猥談往來、春江堂、1928.10 近代デジタル
 
(1)猥談往來 目次
 
日本荒淫好色家列傳……………………………………………………(二)
 (一)女の脛を見て通力を失つた久米仙…………………………(二)
 (二)色魔業平の誘惑振り…………………………………………(六)
 (三)荒淫の惡魔師直………………………………………………(九)
西鶴の好色本と性慾描寫……………………………………………(一五)
   『好色一代男』の世之介のレコード好色五人女の内
 第一、八百屋お七…………………………………………………(一七)
 第二、お夏清十郎…………………………………………………(二三)
 第三、おさん茂右衛門……………………………………………(二九)
(2) 第四、樽屋おせん……………………………………………(三五)
 第五.おまん源兵衛………………………………………………(三九)
よばひ(夜這ひ)の今昔……………………………………………(四六)
 (一)源氏の君の夜ばひ…………………………………………(四七)
 (二)燃ゆる情炎…………………………………………………(五六)
遊女、賣淫の始り……………………………………………………(六一)
 京都遊女の名目……………………………………………………(六三)
 江戸吉原開基の祖…………………………………………………(六六)
吉原十二時……………………………………………………………(六七)
【手練手管】遊女の戀ひ文…………………………………………(八八)
(3) 高尾の手紙――同じく――同じく――奥州の手紙――
性的犯罪と強姦………………………………………………………(九六)
色ろ眼及接吻の快感………………………………………………(一〇〇)
ある可き所に何故毛がなきか……………………………………(一〇四)
   ――毛のなさ女性の悲劇の種々――
惚れ藥、ゐもりの黒燒……………………………………………(一〇八)
   ――由來、製法、使用法――
かげま(相公)の話………………………………………………(一一二)
獣姦と屍姦…………………………………………………………(一一五)
めくら女郎(瞽姫)………………………………………………(一一六)
借妻證文……………………………………………………………(一一九)
(4)支那猥談抄………………………………………………………(一二三)
   小間使の放屁――潔癖性――花嫁小坊主と雀と春洞蓄妾――
猥歌猥謠……………………………………………………………(一二九)
   ――諸國盆踊唄にあらはれたる――
口説き、間男、色情沙汰…………………………………………(一三一)
   ――古川柳にあらはれた猥句――
猥談笑話……………………………………………………………(一三九)
   ――眼ぐすり――祝砲――生地殿――ほうびの屁――座頭――代診――風が腐る――姑と嫁――來月分――とりはづし――――春べやな
【猥談落語】轉失氣………………………………………………(一四九)
(5)【風來山人】放屁論……………………………………………(一六一)
【彌次郎北八】飯盛女買ひ………………………………………(一七二)
多情好色の女………………………………………………………(一八〇)
結婚當夜のキツスの音……………………………………………(一八六)
 
(1)猥談往來
 
(2)猥談往來
 
日本荒淫好色家列傳〔題名と数字以外は総振り仮名だが、大方削除し、また、言い間違い読み間違いがかなりあるが、ごく少数を除いてそのままにした、入力者〕
 
     (一) 女の脛を見て通力を失つた久米仙
 
 一女性の爲めに仙人から凡俗に還つた久米仙人の事はしば/\人口に
膾炙せられてゐる。
 近ごろでは『久米仙』などといふ立派な言葉まで出來て、、助平男の代名詞となつてゐる。
 徒然草には、
 『世の人の心をまどはす事、色慾にはしかず、人の心は愚かなるものか(3)な、にほひなどは假のものなるに、しばらく衣裳にたきものすと知りながら、えならぬにほひには必ず心ときめきするものなり、久米の仙人のもの洗ふ女の脛《はぎ》の白きを見て通力を失ひけむはまことに手足肌などの清らかに肥へあぶらづきたらむ外《ほか》の色ならねばさもあらむかし』
と論じてゐる。
 この久米の仙人の傳記については、今昔物語から引用して見よう。
 『今は昔、大和國吉野郡に龍門寺といふ寺あり。寺に二|人《にん》籠り居て仙人の法を行ひけり。其の仙の一人をば安曇《あんどん》他の一人をば久米といふ。然るに安曇は前に行ひ得て既に仙になり飛びて空に昇りけり。後に久米も仙に成りて空に昇り飛び渡る間《あひだ》、吉野川の邊《ほとり》に若き女|衣《ころも》を洗《そゝ》ぎ立てり、衣を洗ふとて女脛まで衣を掻き上げたるに、脚の白かりけるを見て久米心穢れて其の女の前に落ちぬ。其の後其の女を妻としてあり。(4)其の久米仙只人に成りたるに、馬を賣りける渡文《わたしぶみ》に前の仙久米とぞ書きて渡しける。而る間久米の仙其の女と夫妻としてある間、天皇其の國の高市郡《たかいちぐん》に都を造り給ふに國の内に夫《をつと》を催して其の役とす。然るに仙久米其の夫に催されて出でぬ。餘の夫等久米を仙人仙人と呼ぶ。行事官の輩《はい》あり之を聽きて問ひて曰く、汝等|何《なん》によりて彼を仙人と呼ぶぞ、夫共之に答へて曰く彼の久米は先年龍門の寺に籠りて、仙の法を行ひ既に仙になりて空に飛び渡る間、吉野川に女衣を洗ひて立てりけり。其女の※[塞の土が衣]《ふさ》げたる足の白かりけるを見下し、其の心穢れ忽ち其の女の前に落ちて即ち其の女を妻とし侍るなり然《さ》ればそれによりて仙人とは呼ぶなり。行事官|等《ら》之を聞き然て止ん事無かりける者にこそあるなれ。本仙の法を行ひて既に仙人になりける者なり。其の行の徳定めて失ひ給はず。然れば此の材木多し、自ら持ちて運ばむより、仙の力(5)を以て空より飛ばしめよかし戯れ言いひ合へるを久米聞きて、我《わが》仙の法を忘れて年頃になりぬ、今は只人に侍る身なり、然計りの靈驗を施すべからずといひて心のうちに思はく、我仙の法を行ひ得たりきといへど、凡夫の愛欲によりて女人に心を穢し仙人に成る事こそ旡《あき》らめ年頃行ひたる法なり。本尊何か助け給はんこと無からんと思ひ、行事官に伺ひ然らば若しやと祈り試みんと行事官之を聞き、嗚滸《おこ》の事をいふ奴《やつ》かなと思ひながらも極めて貴《たつと》かりけむと答ふ。其の後久米一つの靜かなる道場に籠り居て心身清淨におして食を斷ちて七日七夜不斷に禮拜恭敬《れいはいきやうけい》して心を致して此の事を祈る而る間七日既に過ぎぬ。行事官久米の見へざる事を且つ笑ひ且疑ふ而るに八日といふ朝、俄に空曇り暗夜の如くなりぬ。雷《らい》鳴り雨降りて露物見へず。此を怪み思ふ間に暫時《しばらく》ありて雷止み空晴れぬ。其の時に見れば、大中小の若干の材木併せて(6)南の山邊なる杣より、空を飛びて都を造る所に來にけり。其の時に多くの行事官の輩《はい》敬《うや》み貴《たつと》みて久米を拜す。其の後此の事を天皇に奏す。天皇も之を聞き給ひ貴び忽ち田三十町を以て久米に施し給ひつ。久米喜びて田を以て其の郡《こほり》に一の伽藍を建てたり久米寺といふ此なり』
 
     (二) 色魔業平の誘惑振り
 
 平安朝時代において和歌が如何に戀愛遊戯の技巧に用ひられたかは、その當時の數ある戀歌《れんか》を見れば判るであろう。
 と共に和歌をよくし。文學的才能のある男女が如何にもろ/\の戀愛に惠れたかを知る證據の一として天下の色男業平をこゝに引き合に出して見よう。
 業平は平城《へいじやう》天皇の御子阿保|親王《しんわう》の第五|子《し》である。右近衛中將《うこんのゑちうじやう》兼美濃守(7)に任ぜられた世に在五中將といふは、彼の官名から出たものであるといふ五十六で卒したが、當代に於ける和歌の達人で、古今集にも彼の詠歌は可成り多く掲げられてゐる。
 業平が陽成天皇の妃《ひ》高子《たかこ》を未だ入内《にふだい》せしめないうちに之と通じた事などは有名な話しで.高子をつれだした時の光景が伊勢物語にはこうかゝれてゐる。
 昔男ありけり、女の得逢ふまでかりけるを年を經てよばひわたりけるを、辛ふじて女の心合はせて盗み出でゝ、いと暗きに率て行きけり。芥川といふ川を行きければ、草の上に置きたりける露を、彼は何ぞとなん男に問ひけるを、行く先はいと遠く夜《よ》も更けにければ鬼ある處とも知らで、雷《らい》さへいと甚しう鳴り雨も甚う降りければ、荒《あば》らなる倉の有りけるに女をば奥に押入れて、男は弓|胡?《やなぐひ》を負ひて戸口に、早や(8)夜も明けなんと思ひつゝ居たりけるに、鬼早や女をば一口に喰ひてけり。あなやと言ひけれど、雷《らい》の鳴り騷ぐに得聞かざりけり。漸く夜も明け行くに見れば率《ひきゐ》し女なし。足摺をして泣けども早甲斐なし。
  白玉か何《なん》ぞと人の問ひし時、露と答へて消なもし物を。
この業平の通つた女の數に就て長禄記にはこう書いてある。
 彼《かれ》の伊勢物語は業平の一生涯を沙汰せる也。契り給ふ女人《によにん》の數は三千三百三十三人也。然共|彼《かれ》の物語には其の數をば書ず只十二人美人第一紀在常娘、第二|文徳《ぶんとく》天皇|染殿《そめでんの》后也、第三小野小町、第四|閑院《かんゐんの》左大臣の女《むすめ》仁明《じんめい》天皇五條の后也、第五中納言|長良《ながよし》卿の女清和天皇二條の后とて業平殊更に打ちも忘れず悔事なく思食《ししよく》す。第六長谷雄卿の妹に戀死《れんし》の女《ぢよ》也、第七文徳天皇の姫宮伊勢齋宮|女御《ぢとご》、第八筑紫|河女《かはぢよ》也、第九中納言行平|女《むすめ》清和天皇後裔|貞純《ていじゆん》の親王御母也、第十大納言(9)|登卿女《とうきやうぢよ》めづらしの前《まへ》也、第十一周防伊勢也
まことや、業平をさして天下の色男と稱《とな》え、後世天下の色男を目して『今業平』なんぞと稱《よ》ぶのは、こうした所に據つたのである。
 
     (三) 荒淫の惡魔師直
 
 室町時代に於ける上流家庭の紊乱は極度に達してゐた。戀愛といふよりも.むしろ醜い肉慾生活に驅られて日もこれ足りない有樣であつた。その内でも最も代表的な者として高師直をあげる事が出來る。太平記に
は彼の事をこう叙してゐる。
 『師直若かりし時より好色、勝れたる人なり。始め高六郎太郎と申せし時、鎌倉の赤橋《あかばし》の前の相州内室の召使はれし女房六御前と申せしを何《い》つの間にか見染めたりけん。玉札の數千束も重ねけれど六御前は人に(10)召仕ふる身の仇名立ちては何かせんと最も強面《こわ》き樣《やう》なりければ師直今はひたすらに戀の病ひとなりて虚く死なんよりは赤橋殿へと參りけり(略)赤橋殿御身には未だ妻女はなきやと問ひ給ふ。師直曰く、妻女は候へども男と生れし者の誰か一|人《にん》の妻女を持つ事の候やと申す。赤橋殿其故にこそ、彼女も定めてなびかでこそ候はめ(略)漸くになだめて歸させけり(略)幾程もなく世乱れて軍《いくさ》度々《たび/\》となりにけるに、數度の高名あり勇の譽《ほまれ》一つを以て諸惡を隱しけるにや、中にも好色に最と甚《はただし》さ男なるにや關東にも思ひ人六人、未だ天下君の御代にして、尊氏威もさまでなかりしかば、師直が所領も僅かなりけるに、京中《きやうちう》に通ふ方《かた》二十餘人とぞ聞へん。覺なん在ければ、我領内を取納めば中々半分にも足らざりければ、普代の郎黨共には京師《きやうし》に強盗する事多かりけり、去れば所々在々にて盗賊|人《ひと》を取《とり》へて見るに、師直が郎黨なりしといひ(11)し云ひし事度々なりし(略)富貴身に餘る樣になりて師直いよ/\心侈り好色益々甚し。公家の事は中々申すに及ばず宮腹《きうふく》なんどの無止事《やむごとなく》なびき給はすも取り奉り一夜二夜にて通ひ捨つる事多かりける。思ひ籠め奉る女《ぢよ》已に六十人に餘れりとにや、又|國人《くにびと》なんとの女《むすめ》、みめ形優なるをば押へて之れを取る事多し。公家武家に限らず、誰某《たれがし》が内室こそ實に以て美人に候なんど云へば、其の男を呼び寄せ、あかなきを離別《りべつ》させて之を取る數《かず》多かりしとにや。蓋して京童部《きやうわらべ》の妻女の事申すも中々愚なるとにや、上《かみ》の好む所|下《しも》も同じゆするならひなれば、高豊前守同じき土佐守舍弟越前守等を始めて、其の外の一類家の子|郎徒《らうと》等の好色侈り皆これに同じ、執事の一類皆如是なれば、他家の人々も皆これを眞似たり。去ればこそに諸國の侍ども、大名高家の人と參會の物語には好色と寺社領を横領の事より外はなかりしとにや、依之《これによつて》世に捨(12)てられし遁世者、なま才覺ある先代の餘黨等京中|並《ならびに》在々とはしり廻りて、美女の有ると聞き出でんと、耳をそばだて歩行し、大名高家の人々に之れを語りけり。取り得て寶禄を得んが故なり。此の故に顔色《がんしよく》美なる妻女並に息女なんど持ちたる者は、深くこれを隱しおきて其人の女何がしの内室こそ美女なれなんど謂ふをば穴勝之を恨む。東施《とうせ》に依《よつ》たりやなんど謂ふをうれしき事に思へり。實にみだりがはしき天下哉と思はず謂はぬ事こそなかりけり』
今一つ『塵塚物語』に書かれある一節を拔萃して見やう。
 『高武藏守師直が、淫欲|熾盛《しきせい》なる事をさ/\書きしるして世に傳へたれど、此の外の不義ばかりがたしと見へたり。ちか頃ある武士筆久しく所持して侍るをかしき草子なりとて見せ侍り。其の中には師直が一生の淫事のしなを擧げて同じく其の女をしるしとどめたる物なり。始終(13)見侍るに世にいへる事は十のものこそばかりなるべく。中々片腹いたく惡《あし》き振舞言葉にいひ盡しがたし。當代いさゝか遠慮の人もあれば、其の姓名をしるし其のしなを現しがたき事侍る。就中《とりわけ》惡き振舞なりと覺へしは彼《かれ》師直が家僕多き中に、美しき女房をつれたりし侍を撰り出し、その女房共の形を見ん爲年五十ばかりなる女房をしたゝめ、師直を室屋《へや》のきげんよろしき女房也と號して、かれが方《ほう》へなんとなく私《わたし》のとふらひのやうにして折々つかわしければ、同じかはほんそうせざる可き、主君御出頭の上うりの御《ご》とふらひなりとて、やがて奥の間へ請じ入れ、主人の女房|裝《よそほ》ひ飾りて出てゞもてなし侍る。斯くの如くして彼《かれ》のよき女房の數を見つくし、師直に申しける間、師直喜び其《その》後《ご》一兩日を過て彼等が許へいひ遣しけるは、執事樣の御奥《おんおく》よりたれかしの内室に御用あり、早々參られて御目見へ致されよと右の老女を遣はしけ(14)る間何の御用にや侍らんかしこまりて候と、何《いづ》れも御うけ申して師直が方へ祗候《ぎこう》したり。今日《こんにち》は晴がましきお目見《めみ》なれば、我劣らじと飾り出でたれば彼《かれ》の周の褒 ??《ほい》、秦の花揚、漢の季夫人昭君|貴姫《きひ》が如きの美女、今こゝに再現せると怪しまれける。彼《かれ》女房どもの容貌を二た目と見るともからもなし。やゝありて奥より申出で侍るは、唯今大勢にて奧へ御目見へ侍る事しかある可からず、上にも一|人《にん》宛召し出《いだ》せとの御諚意ある間、何れの御方にてもまづ一人參らせ給ひとて彼《かれ》の女房の中一人を伴ひ奥の座敷へ請じける。時に師直奧と口との間に一|間《ま》をかこひかくれて彼《かれ》の女房の足音聞くとひとしく立出で捉へては返し、或《あるひ》は懸想しなど尾籠をつくし理不盡の振舞なれば、女房共も是非なく心ならずして師直が所存に從ひけり。斯《かく》の如くにして多くの女房とたはぶれつゝ歸しけもとぞ、其の時のさまこそは物狂はしく。ことやうにあ(15)るべしと片腹いたく覺え侍る。女房共歸り侍れど、斯る事いひ明す可きにあらねば、今日《こんにち》は御氣嫌よろしといひへるまでにて止みぬ。其後は切々御召しあるといひて呼び寄せけるとぞ』
 
     西鶴の好色本と性慾描寫
 
 好色本といへばすぐに西鶴を思ひ出す。それほど井原西鶴は大膽赤裸々に人間の情痴生活を描き、押《おし》へかたき愛慾を叙してゐる。
 西鶴はつとめて市井に材を求めて、筆をおこしてゐる。從つて泰平の夢圓かな徳川時代の社會相を知ると共に、そこに生れた幾多の愛慾生活を見る事が出來る。
 この西鶴の代表的名作『好色一代男』『好色五人女』はいづれも發賣を禁止されてゐて、如何《いかん》ともする事が出來ない。
(15) 『好色一代男』は世之介といふ生れ落ちて間もない六七才の頃から情事《いろごと》に興味を覺えて、五十四才迄に女三千七百四十二人の女をもてあそんだといふ、さま/”\な情事を活寫してゐる。
 不幸な事には眞山青果氏の新釋《しおんやく》によつてその面影を傳へる事が出來るよつて同氏の著からこれを引用する。
 『八百屋お七』、『お夏清十郎』の二篇は町家《ちやうか》の娘の燒きつくす樣な灼熱の戀を描いたもの、『樽屋おせん』『おさん茂兵衛《もへゑ》」は、ふとした動機から心ならずも貞操を疑はれ、遂にそのために邪道に落ちて行つた人妻の牲愛描寫であり『おまん源五|兵衛《べゑ》』は、一旦出家した男が町娘の純情のために又還俗する愛慾を描いたものである。
 
(17)   西鶴好色五人女の内
 
     八百屋お七
 
 年暮《くれ》も愈々二十八日といふ晩であつた。凄まじい火は破れて、本郷の高臺をつゝんだ。見る/\烈風に燒けひろがつて、火は下町神田の方までなびくほどの大火であつた。家、道具を失ふは勿論、その爲に燒け死ぬ人も少くはなかつた。
 その本郷に八百屋八兵衛といふ商人《あきうど》が住んで居た。家も相應に暮らし素性もさまで賤しい者ではなかつた。その一人娘にお七といふのがあつた。色はやゝ薄黒いが、目凉しく冴えて、頸《えり》細く、その頃年も十六の評判娘であつた。
 火が家近くまで寄せて來る。お七は母親に引き連れられて、一先づ旦(18)那|寺《でら》の駒込吉祥寺に立退くことになつた。火を除けて寺々に難を凌ぐ者はこの二人ばかりではない。皆《みんな》それ/”\の所縁《ゆかり》をたづねて、寺々の宿坊はこれ等避難の人々で一杯になつた。
 年頃の娘を持つ母親はなにかと氣遣ひも多かつた。坊主とて油斷はならない世の中だといつて、その目張《めば》り固く出入りに監督して居た。幸にこの寺には避難の人も少なかつた。
 時は嚴寒の十二月である。寺の住職は用意もない親子の身體をいたわつて、寺にあるだけの着換を出して貸してくれた。その中《うち》に梧銀杏《ごぎんなん》のならべ紋つけた、黒羽二重の大振袖が一枚あつた。
 お七何氣なく取り上げて見ると、紅《あか》の燃える紅裏《もみうら》を山道に裾取つて、そればかりでも子細ありさうな仕立方であるのに、何時|誰《たれ》の焚き掛けの殘りか、輕い香の匂がホンノリと小袖を漂うて居た。
(19) 年頃と見れば丁度自分と同じ頃である。何所《いづこ》いかなる姫君の着馴れた小袖、そして、見るもつらき親々の嘆きを籠めた寺への納め物と、隅《ふ》と思ひ付いてお七の心はやさしくも滯《とどこほ》つた。歌の中の遠い人でもおもひ思ふやうに、お七は譯もなくその人が悲しくなつて、深い睫毛が曇つて來る。急に悄《しほ》れ切つて、小さな肩からホツと神經質な溜息を吐いて居た。
 『又、癖が初まつた。』
 母親は野に通り雲でも翳《さ》すのを見るやうに、はしやい〔四字傍点〕だり、沈んだり决まりのない娘の所作をこゝろ可笑しく眺めてゐると、お七はそれでも母親の珠數袋から珠數など出して、暮れ方の空を眺めて悄々《しほ/\》と口の内に小さな題目なぞ眞面目さうに稱へてゐた。
 冬の日は匂ひ薄く暮れて、門前《かどさき》の淋しい表町から暮時のざわめき〔四字傍点〕が幽かに/\空氣を動かして來た。顔を撫でて來る薄暗《うすやみ》の中に凝《ぢ》つとして聞《き》(20)いてゐると、それが遠い世の聲でゞもあるやうな心持ちになる。
 その時、本堂の障子を明けて、縁端《えんばし》に薄明りを追ひながら、銀の毛貫を片手に左の人さし指をいろつ〔三字傍点〕てゐる品好き若衆があつた。あるかなきかといふさゝくれ〔四字傍点〕刺の指に立つたを氣にして、切《しき》りとそれをさがしてゐるのであつた。
 『どれ/”\、私が拔いて上げませう。」
 母親が毛貫を受取つて、さま/”\に試みたけれども、手元が暗くはあり、年寄りの目では覺束なく見ふた。
 お七はいつか題目も口の内に忘れて、自分ならこの目時《めどき》の目で、ツイ譯もなく拔いてあげるにと思ひながらも、眞逆《まさか》に此方から近寄りかねて齒痒ゆさうに遠くから眺めてゐた。すると、母親は毛貫を娘に渡して拔いてあげろといふ。
(21) 『どんな刺? 所何《どこ》に。』
 娘は頼まれ顔に立ち上つた。
 少年の撓やかな指は光るほど白かつた。そして、胎毛《やわげ》の細かい腕の肌は軟かにお七の腋窩《わきのした》に挾まれた。熱い呼吸《いき》が娘の額を掠めるやうにかゝつた。お七は自身の熱した血が、少年と同じく身體中《からだぢう》に脈うつやうな氣がするのであつた。刺を拔いた後《のち》の毛貫を態と心付いて自分の手に持つて戻つて來た。
 『難有う御座いました。癒りました。』
 と若衆は禮をいつて白い指を吸ひながら自分の部屋に歸へつて行く。
 『あら。毛貫を。』
 お七は斯ういひながら後《あと》を追ひかけた。そして、仄暗い廊下でそれを少年に渡した。手が觸《さわ》つた。お七は屹とそれを握つた。そして蓮葉ら(22)しく又バタ/\と母の傍《そば》へ駈け戻》つて來た。
 お七はその日から少年の事を忘れ難くなつた。
       ×  ×
 二人は言葉が無かた。吉三郎は經机にもたれて、肱の間に頭を深く固く埋めて居た。お七はその肱を引つ奪《た》くるやうに荒々しく外して、
 『まあ、髪がほぐれるのに。」といふ。
 吉三郎は切なげに顔を机から離した。息の乾いた聲で、
 『私は十六になります。』と俯向いていつた。
 『わたしも十六になります。』
 吉三郎は又いふ。
 『私は長老樣が畏い。』
 お七又いふ。
(23) 『俺《わし》も長老樣が畏い。』
 そして二人ながら、俯向いて涙をポロ/\零《こぼ》してゐた。
 雨は又はげしく降りそゝいで、神鳴が轟くやうに鳴り騷いだ。蒼白く射す稻妻は濡れた雨繁吹《あめしぶき》の中に、硫黄臭い匂を殘してすぎた。
 
   西鶴好色五人女の内
 
     お夏清十郎
 
 但馬屋は女づれ、男は清十郎一人であつた。春に醉ひ酒に醉ふ花見の若い人々は、小袖幕の外から、ソツと内をうかゞ〔三字傍点〕ひ見て行くものもあつた。
 清十郎は交る/\の盃を引受け/”\飲むうちに、ツイ醉ひ頽《すた》れて、若草の廣々《ひろ/”\》しい野《や》の中にそつと拔け出して、一人仆れて寢てゐた。蒼い風(24)が折り/\その顔を吹いて過ぎた。
 もう夕暮れといふ時、遠くから太い細い太皷の撥音が野面を聞えた。それは斯ういふ遊び所を見掛けて、寄り來る太神樂の囃し音頭である。萠黄を被つた、勇ましい獅子頭は陽炎のチラ/\する緑野《りよくや》を跳り狂つた。女どもは騷ぎたつて皆《みんな》その方へ走《は》せ集《あつま》つた。
 おなつ一人幕の内に殘つた。先刻《さつき》から齒が少々なやむといつて、白い指に頬をおさへてゐた。帶のやゝ空解《そらと》けしたのも知らず、被替《きがへ》の小袖をつみかさねた中に俯伏して、美しい眉をひそめてうづくまつてゐる。
 野も海もうつすりと暮れ近い。淺い潮の匂ひをのせた大氣は搖《たゞよ》はすやうに菜の畑、麥の青い畑をつゝんで、次第に身のまわりにせまつて來る凝つと一つ所を見つめてゐると、やゝ冷やかな夕風が動くとも無く頬をなでて、心の底が美しく飢えたやうな氣味になつた。遠い何所《いづこ》からか(25)幽かに人の聲が聞えて來る。
 お夏は妙に侘しく悲しく心持であつた。又、自分一人物にはぐれたやうないら/\した氣になつて、煙医り立つた遠い野末を眺めてゐると、自然と心が重く曇つて來るのであつた。
 清十郎は偶《ふ》と目を覺して、おなつ一人が幕に殘つてゐることに氣が付いた。そして、松の繁り立つ小徑を幕張りの方へと近寄つて行く。
 松の間は濃い色に空氣が凝つてゐた。砂地が薄暗らく暮れてゐた。
 興半ばにして、獅子舞ひは曲の手をやめた。その時、清十郎は幕の外に立つて、何氣なさゝうに雲に光る夕燒の空を眺めつくしてゐた。
 女どもは殘り惜しさうに太神樂の圍を解いた。
 野は紫色にトツプリ暮れた。
 おなつは身體に空虚が出來たやうな、悲しい然し嬉しい思ひを駕籠に(26)ゆられながら姫路の家へ歸へつた。
 同じ國飾磨の港から上みがた通ひの船が出る。
 月のある晩、清十郎はお夏をソツと連れ出し、出人の家を奔つた。お夏はたゞ男のいふがまゝである。同じ苦しく住まば、せめて世を廣く渡る心だつたのである。その日一日は片浦の寂しき漁師町にかくれて、旅用意も薄く出船をまつてそれへ乘つた。
 早船には乘合の人が詰めてゐる。伊勢參宮の親子づれもある。大阪の小道具賣りといふ目の險はしい若い男もある。奈良の具足屋、醍醐の法院高山の茶筅師、丹波の蚊帳賣り、京の呉服屋、鹿島の言《こ》ふれ、國も言葉もちがふ人々の寄合ひであつた。
 船頭は沖聲はり上げて、
 『さア/\出します。銘々さまの心祝ひだ、住吉様のお初穗願ひます。」
(27) と乘合ひの頭數をよんで一人前七文づゝの集錢《あつめぜに》を柄杓に寄せ集める。そして酒の行く客は間鍋《まなべ》もなく小桶けに汲んだ濁酒《どぶろく》を、肴は乾魚《ほしうを》のむしり喰ひ、茶碗飲みして景氣を付けるのであつた。
 『お客樣方ア幸福だ。風は眞向《まとも》だ。」
 帆に八合ばかりの風をもたせて、やゝ小一里も沖に出た頃、胴の間《あひだ》にすくまつて居た備前からの飛脚男が、
 『あ、失敗《しま》つた。あれほど氣を付けて、刀の柄にくゝりながら、忘れて來た。』と、眞蒼になつてうろたへ騷ぎ初める。
 『飛脚殿、何を忘れた。』と口を出す人もあつた。
 『大事な状箱、持佛堂の脇にもたせて置いたまゝだ。』と飛脚は鈍さうな顔を混雜させてゐる。
 『さては、お前さん、何處ぞへ港で寄んなすつたな。』
(28) 「何有《なあに》、ほんの些《ちよ》いとの間《ま》でした。」と艫へ上《あが》つて陸《をか》の方を見てゐる。
 『はゝはゝゝゝ、あれだ。お前さん女の子に可愛《かあい》がられなすつたに違ひない。』
 『可愛がられるも、貴方、ほんの些いとの間なんです。』と泣きそうになつてオロ/\途方に暮れてゐる。
 『好く魂を女郎の部屋に置き忘れなかつた。はゝはゝゝ。然し船頭どん外の事とも違ふで、まア仕方が無い。船を戻しておやんなされ。』
 船中大笑ひしながら斯う言ふので、船頭は楫取り直して又もとの港へ歸へつて來る。乘合は首途の幸先を折られて、ブツ/\口小言をいつてゐた。
 船が陸《をか》へ着くと、陸には大勢の男が待ち構へてゐた。
 『この船だ、今出た船だ。些いと調べます。』と叫《わめ》きながら、ドヤ/\と(29)中へ入り込んで來た。何れも二人をたづねて但馬屋からの追手であつた
 泣き叫ぶ二人は慘く引き分けられた。お夏はきびしい乘物に押籠め、清十即は繩にかゝつて姫路へ引き上げられた。その樣子氣の毒と見る人も多かつた。
 『清《せい》さま。』
 『お夏さま。』
 若い二人の聲が闇を通して取り換はされた。
 
   西鶴好色五人女
 
     おさん茂右衛門
 
 秋風がたつて夜々《よよ》の木の葉が騷いだ。冬の寒さを今からの養生に、茂右衛門《もゑもん》は偶《ふ》と灸點《やいと》を思ひ立つた。それには丁度幸ひ、在所生れの下女に(30)りんいふものがあつて、これが少しは艾のつまみやうを心得てゐた。頼んですへて貰ふことゝした。
 りんの鏡臺に縞木綿の蒲團を折かけて、それに腰かけて初灸《やいと》の熱さを律儀さうにこらへる茂右衛門のしかむる顔付、それが可笑しいとて女どもはお乳母から、仲居の若い女どもまで周圍《ぐるり》へ集つて笑つた。
 それも初めの一つ二つで、馴れるほど火にいくらか強くなつた。背骨をシン/\つたつて身肉《みにく》の縮れるやうな痛さを忍んで鹽灸《しよやいと》を据えた。
 『熱いでせう。もう止しませうね。』りんは齒を喰ひしばつて怺《ふる》へる男の顔を氣の毒さうにいつた。
 『なアに、我慢します。』
 『だつて、熱《あつ》つさうですもの。熱かつたでせう。』
 おさんの聰い目は茂右衛門をおもふりんの心を直ぐ知つた。心持ちの(31)にぶいりんには又それを秘し隱すだけの氣働きも無かつた。おさんは可笑しがつて、面白がつて、それを傍《そば》から見てゐた。
 田舍出のりんには字を書く手がなかつた。下男の久《きう》七が心覺えに記《つ》ける蹂《にじ》り書きが羨やましく、それに切ない言《ことば》をたのんで見ると、却つて散々にひやかされた上に聞く氣もないことを耳にさゝやかれたりした。その間に氣の腐《く》される彼岸會もすぎて、時雨らしい雨が瓦屋根へハラ/\と音を降らしですぎた。
 おさんは或る日、江戸の良人《をつと》へ内便《ないびん》を書いてゐた。その筆ついでに自分から言ひ出して面白づくからりんの手紙もさら/\と書き流した。茂のじ樣まゐる。身よりと輕るく書いて、引結びの手紙《ふみ》をりんの前へ投げ出した。
 りんは唯嬉しさ、都合の時を見計つてゐると、或る時見せから煙草の(32)火を、と呼ぶ。幸ひ下男の男もゐない。その火にかこつけて手紙をソソと茂右衛門に渡した。皮肉の厚い胸を跳らせながら臺所へ戻つて來た。
 書き馴れた手筋を讀んで茂右衛門は、顔の鈍さに似合はず優しい氣の女と、おりんを然う思つた。そして、手紙にひかれて筆《ふで》面白い返事を書いた。そしてそれをまた。おりんへ渡した。
 おりんは貰つた返事を讀むにも困つた。おさんの機嫌を見て、或る時それを竊《そ》つと襷の袂から出して恥じながら讀んで貰つた。
 取つて讀んで見ると「思ひもよらぬお手紙、此方《こちら》も若いものゝ事なれば、いやでもあらず候へども、事かさなりては取り上げ婆がむづかしく候《さふろ》。去りながら着物羽織風呂錢身だしなみの事共を其方《そちら》から賃をお出しなされ候はゞ、いやながら御心にも從ひやるべし。』と、飽くまで女を冗談にして、嘲るやうな書き方であつた。
(33) 『憎いねえ。何んぼ何んだつて。待つてお出で、私がいゝやうにしてあげるから。』斯うおさんは泣き出しさうな顔をしてゐる下女をいひ慰めて又手紙を書いてやつた。
 りんとて然う捨てた容色《きりやう》ではなし、餘りといへば侮《あなど》りすぎた男の爲方《しかた》を、おさんは自分の事のやうに口惜《くや》しく思つたのである。いやが應でもこの女の恥を救つてやりたいと思つた。好き返事なければ幾度でもといつたやうに、終には本氣に引入れられて度々その手紙を書いてやつた。
 りんは唯オロ/\としてそれを見てゐた。
 一度から一度と讀む度に文面から茂右衛門の心が動いた。始め嘲つたことを悔やみながら素懷《もとなつか》しい事も書いて渡した。又五月十四日の影待《かげま》ちにはと、固く日を决めて約束をばいひ送つた。
 おさんはその手紙を見て、女どもと一つになつて、聲のある限り笑つ(34)た。すると中にゐたお針の婆がいふには、とてもこの上のなぶり事には奥樣がりんに代つて寢床にゐたら面白からうといふ。そして、おさんが叫ぶ聲に合はせて女中共は紙燭《ししよく》の火を差し出して男を嬲り笑ひにする手筈である。
 『それは面白い。好いからお前達も思ふさま言つておやり。』
 おさんも氣輕るくはしやいで、生綿の入つた下女の寢間着に姿をやつした。
 おさんは固い蒲團のさむさになやみ疲れて、明方頃の一時を快よくトロ/\と眠つて了つた。
 棒、薪などまで用意して待つてゐた女どもゝ、宵からの騷ぎにもうおさんより前に鼾を掻いて寢込んでゐた。
 朝おさんは覺めた。そして自分の體に驚いた。最《ま》う何うする事も出來(35)なかつた。
 『何うせ斯うなつたのだ。』おさんは存外に思ひ切りよくその心を决めた
 
   西鶴好色五人女の内
 
     樽屋おせん
 
 『來る十六日に無菜《むさい》のお齋《とき》申上たく候《さふろ》。御來駕においてはかたじけなく奉存候。月日《ぐわつび》。町衆次第不同。?屋長左衛門。』
 斯ういふ案内状が廻された。先代?屋の五十年にあたるのであつた。
 回忌も五十年になれば朝は精進しても、晩は魚類を出して歌酒盛《さかもり》するも差支ないといふ。これが最後《おさめ》の法事ゆゑ、少々の物入は心に掛けない萬事はその積りでといふ出人の心得に、近所の女ども出入りの女房たちも二三|日前《にちまへ》から臺所にあつまつて、諸道具の取さばき、一々の布巾がけ(36)の用意に忙しかつた。
 樽屋の女房おせんも日頃懇意にしてゐる家である。せめて勝手の働きでもと、襷を袂に入れて手傳ひに行つた。おせんさんならソツはないとて、内儀《かみさん》も喜んで勝手働きよりは納戸にある菓子の取合を頼まれる。おせんは頼まれるまゝに、饅頭、御所柿、唐ぐるみ、落雁、と人數に合はせて縁高に菓子を盛り合はせて居た。
 そこへ入つて來たのは主人の長左衛門であつた。棚の上に乘せてある七つ組合はせの入子鉢を取下さうと爪立《つまだて》する途端、手元が辷つて、器は結ひ立てのおせんが髪に落ちた。髪の結目が切れた。
 『やゝ、これは飛んだ粗相しました。どこも痛めはしませぬか。』
 と亭主がしきりに詑びあやよるのを、
 『いゝえ、何う致しまして。』と、おせんには何んの仔細もなく、髪をぐ(37)る/\卷き直して臺所に出て行つた。
 ?屋の内儀はおせんの髪を不審そうに見てゐた。
 『おせんさん、お前さん髪は何うしたの、先刻《さつき》まで綺麗に結つてゐなさつたやうだが。』と、妙に底から見るやうな目付きをおせんに見せた。
 せんは正直にありのまゝを話した。
 『フン。』と聞いてゐたが、それは險はしい顔であつた。
 『旦那も旦那だ。親の法事をするといふその日に。鉢が落ちたぐらゐで髪が解けますかよ。』と、當付けらしく薄唇で罵りながら、プン/\して立つて行つた。
 そして、その日一日は客の前、人の前、唯もう亭主とおせんに當り散らして、二人の中に仔細あると極め上げた口振りであつた。
 おせんは恥よりも口惜《くや》しくなつた。勝氣から顔色は靜めて、穩和《おとな》しく(38)恥を忍んではゐるものゝ、餘りに言葉すぎた邪推、胸の中《うち》は轉倒するばかりに怒り立つた。それ程にいふならば、見事に非を遂げて、憎《につく》い内儀に鼻明かしてやりたいとも思はずにゐられなかつた。私《ひそ》かに長左衛門を見ると、これも氣の毒そうにおせんを見てゐた。
 『何うせ、恥をかいた身體だ。」おせんは外《ほか》を忘れて、斯う一心に思ひ詰めた。
 その後《のち》日が經つて、貞享《ていきやう》二年、正月廿二日の夜《よ》であつた。
 この一日は寶引繩、歌がるた、女が春のなぐさみに遊び暮らす日であつた。夜が更ける程遊び乱れて、負け退《の》きに退《ひ》くものもあれば、勝ちて飽かずに進むもある。また、遊びに草臥れて着所寢《きどころね》に鼾掻くものもあつた。
 樽屋は日一日の働きに草臥れて、前後も知らず眠り伏してゐた。
(39) おせんは夜更けの道を家《うち》へ歸へると、闇から男の聲に名を呼びかけられた。それが、?屋の長左衛門であつた。いやをいやで通しさうな男の素振りではなかつた。これが、初めて男の手に觸つて。ひそかに暗がりを家へ引入れた。
 間もなく、猛り罵《たけ》ぶ樽屋の聲が夜深《よふけ》を破つて家の外へ洩れた。
 
   西鶴好色五人女の内
     おまん源五兵衛
 
 その頃、同じ城下の濱の町といふ所に琉球屋|何某《なにがし》の娘におまんといふのがあつた。年は十六。心持ちやさしい中《うち》に何處か思ひつめたるところあつて、近傍に美人として有名《なだか》い娘であつた。
 おまん何時からともなく源五|兵衛《べゑ》を思ひ慕つてゐた。思ひを寄せる手(40)紙を度々書いた。
 たゞ一筋に弱し、穢なしと女性をいやしむ源五兵衛はその手紙を見るさへ恥のやうに思つてゐた。
 無論、返事なぞ書く筈がない。そのまゝにすぎた。
 十六といふ娘の年頃、そここゝから傳手を求めて、似合ひ不似合ひともに、縁をいひ寄る者も多かつた。
 おまんはそんな話、聞くさへ悲しかつた。終ひには虚病《けびやう》などかまひ、人のいやがることなぞ言ひ出しては乱人らしく自分を他《ほか》へ見せたりした親々も持てあまして、たゞ娘のいふがまゝに任せる外は無かつた。
 おまんは餘程經つまで源五兵衛の發心を知らなかつた。或る人に聞いて初めて驚いた。そして恨んだ。けれども、思ひつめることの深いおまんは、この心何時かは遂げずに置かぬと思つた。
(41) 恨みにも恨めしい。斯う思つて唇を?みしめた。
 女にも才覺はあつた。女性を忌み嫌ふ若者を引き付ける方法を知らない事はない。自分から剃刀をあてゝ中剃を落し、かねて用意の衣類に、誰《たれ》が見てもの若衆《わかいしう》と姿をかへた。
 そして、聞き及んだかの庵室へと忍び入つた。
 十一月、もう山路には霜が深かつた。庵室はその山村《やまむら》からも離れた、もの寂しい杉村の中にあつた。
 庵室の後は見あげる程の岩組、その前に深い谿谷の流れが瀬音を雨と降らして流れてゐた。おまんはワナ/\と胴まで顫えながら、又すくみながらそこに渡した獨木橋《まるきばし》を渡つた。
 平地をたよりに小さな家《うち》があつた。片庇をふき下して、霜に色づきかけた蔓草《つるぐさ》が上《うは》つ面《つら》に這つてゐる。そして、その葉に凝つた山氣がタラリ(42)/\と地に滴り落ちてゐる。
 そつと覗いて見たが、人の氣勢《けはい》もない。南の方は少しばかりの明り窓をあけて、山の背をすべつて來る落日のさびしき光りがポツと家《うち》の中を射《ゐ》しつけてゐた。爐には灰が冷えてゐた。
 おまんは悲しくなつた。見臺によみかけてある本をのぞくと、上に待宵《かちよひ》の諸袖《もろそで》と書いてあつた。
 日が暮れた。山をつゝむ空氣が急に冷たくなつた
 もはや、夜半《よなか》とおもふ頃、こちらへ來ると松火《たいまつ》の火がチロリチロリと野道に見えた。おまんはかくれて覗いてゐた。
 走り寄らうとして氣が付くと、その右と左にやつれ顔なる二人の少年同じ頃なるが同じやうな振袖を着たるが、霧かすみのやうに付いてゐる一人は恨むやうに、一人は嘆くやうに見える。(43)その中に挾まれて源五兵衛は白痴《ばか》のやうに兩方に氣を取られてゐた。
 おまんが足音を立てゝ走り出ると若衆《わかいしう》の姿は谷風に河霧の沈むやうに消えて見えなかつた。
 源五兵衛は不審さうに少年姿の人を見てゐた。夢の覺め切らない人のやうにもあつた。
 『お身さまは。』と庵の前に目を見張つてゐた。
 『私は鹿兒島から、やはり所の者でございまする。』
 『そして。』
 『かね/”\御法師のことをうかがひまして…………、それで。』
 と若者の目をさけて、おまんは苦しさうに俯向いてゐた。
 『それは、然し。』
 『お弟子になされて下さいまし、私《わたし》もとよりその心で。』
(44) 『なにから、して又、そんな心におなりなされた。』
 『八十郎さまのことも何も私は好く存じで居ります。優しいお心入りと聞きまして、何となく悲しく悲しくなりました。』
 源五兵衛は杖を地に立てたまゝなやましげに咳嗽《せきばら》してホロホロと涙をこぼしてゐた。
 『それでは、この荒法師のかくれ家《や》もお厭ひはなく。』
 『はい。』
 『眞實《ほんとう》。』
 『御用とあらば何事でもつとめまする、何うか。』
 『必ずその心ならば、お見せ下さるな、實はかく申すものゝ私もさびしい身の上。』と熱して來る。黒衣《こくい》を纏ふ法師の若い血が躍り立つて見える
 『これが女人ならば格別、法師堂でも少人《せうじん》ならば佛の手前も一向さしつ(45)かへあるまい。』と斯う云つてゐた。
 おまんは擽られるほど可笑しかつた。自分ながらソツと太腿のあたりをつめて痛さを試みてゐた。
 『その代り、私にもお願ひが御座りまする。お聞き下されまするか。』
 『何事でも。』
 『必ず?』
 『必らずでございまする。』法師まで眞顔であつた。
 『ならば、還俗なさるか。』
 『お易い事。何時からとても差支へありませぬ。』
 『必ずで御座います。後はいやと仰せられても聞きませぬ。』
 『それならば大丈夫、今日からでも。』と、最《ま》う舊い事はすべて忘れてゐた。
 
(46)     よばひ(夜這ひ)の今昔
 
 『よばひ』といふのは男性が釋の相手方である女性の許に通ふ事を指していふのである。
 此の風習は上古より行はれたもので、殊に平安朝などに至りては一般上流家庭に於いて盛んに行はれ、そのために風儀を乱した事が多かつた
 その頃の代表的作品として、後章に源氏物語の一節をお目にかける。
 それから後になつても此の風儀はすたらない。現今でも、地方の僻樞の地にあつては、部落の青年達は唯一無二の慰安として、此の風が行はれてゐる。女子なども之を拒否しないのみか、こういふ制度がやがて一種の結婚の下しらべ、ともなつてゐる地方がある。從つて兩親なども見て見ぬ振をしてゐる事が多い。
(47) 『よばひ』といふのは夜、ひそかに他人の眼を忍んで女の許に通ふところから起つた語源で、從つて『夜這《よば》ひ』と宛字を使用する。
 人目を忍び、這ふ如くして女の許へ通ふのである。若し公々然《こう/”\ぜん》と馬か自動車で通ふならば『よばひ』でなくて相手は歴乎《れきこ》とした圍ひ者である
 次に引用したのは、源氏物語の一節であるが、平安朝時代の上流の一面を知るためにもと思つたからである。
 今一篇は森田草平氏の輪廻の一節である。これは地方の、相愛の男女が如何に切ない思ひを胸にいだき乍ら、思ひをとげるに汲々としてゐるかゞ知れるであろう。
 
       一、源氏の君の夜ばひ
 
(48) 源氏の君は内裏を出て左大臣の邸へ行つたが、
 『今晩此處は中神《なかがみ》の通ひ路《みち》になります。二條院《にでうのゐん》もその方角ですから、何處か外《ほか》へ行つて、お泊りにならなければいけません。』
 と迷信の深い家來の一人が云つた。
 『折角緩りとしようと思つて來たのだから、これからまた他所《よそ》へ行《ゆ》く氣にはならない。』
 と源氏の君はうるさがつたが、朋輩の一|人《にん》の紀伊守の家《うち》で、中川の川端に新築された家《うち》がありますから、其處へお出でになると好《い》いといふものがあつたので、源氏の君は行つて見ても好いといふ氣になつて、
 『そんな氣樂な所があるなら行つてもいゝ。』
 といつた。實はそんなに考へないでも源氏の君の行つて泊る家はないでもないのであるが、偶《たま》に來たのに他の女の家《うち》へ行くのは葵の君に對し(49)て忍びない所もあつたのであらう。源氏の君は早速紀伊守を呼んで、
 『おまへの家へ方除《はうよけ》に行つて泊めて貰《もらは》ふと思ふ。』
 といつた。紀伊守は面目《めんもく》あることだといつて主君の前を下《くだ》りながら、
 『少し困るのは私の親の伊豫介の家の女達が占者《うらなひしや》に何か言はれて、その家にゐずに皆《みんな》私《わたし》の家《うち》に來てゐるので、狹い所ではあるし不都合がないかと心配する。』
 と蔭でいつて居るのを聞いた源氏の君は、
 『それが好いのだ、女が澤山來てゐるのは賑やかで私は好きだ。その女達のゐる几帳の後《あと》へでも一晩泊めて貰へば好《よ》い。』
 などと諧謔を云つてゐた。紀伊守は早速使を家の方へやつて、萬端の設備をさせた。源氏の君はそつと左大臣の家を出て四五人の供で中川の(50)家に來た。家の中央の寢殿の東向の座敷に源氏の君の座がこしらへてある。螢が澤山飛んで居て、川の水を引いた庭の樣もよい。家來達は下を水が通つてゐる廊《らう》の間で酒をすゝめられてゐる。源氏の君は紀伊守の妹が容貌自慢の女であることを前に聞いたことがあるので、見たいものだと思つてゐると、この寢殿の西の方に女達のゐるけはひが聞える。衾の外へよつて見たが、灯のともつてゐる明りだけが射してゐて何も見えない。しかし女のするひそ/\話は聞える。
 『あんまり早く御本妻がお决《き》りになつたのであつけないことね、けれど隱しごとだつてお嫌ひの方ではないさうですよ。』
 などゝいつてゐる者もある。源氏の君は藤壺の宮にあるまじき戀をして文などを送ることがこんな人達に噂されて居るのを聞いたらと思はず身が縮《すく》んだ。陛下の弟の式部卿の宮の姫君に送つた源氏の君の歌なども(51)話の種になつてゐる。源氏の君が座にかへつて横になつてゐると、紀伊守の子などが可愛いゝ姿をして御簾の前を通る。内裏などで源氏の君の顔見知りの子もある。紀伊守の弟も交つて居る樣子である、澤山の中で十二三の上品な顔をした子も居た。源氏の君は傍《そば》へ來た紀伊守に『あれは弟か、あれは息子かなどゝ問ふた。紀伊守は上品な顔の子のことを、あれは死んだ右衛門督《ゑもんのすけ》某の子でございます。末子《すゑこ》ですから可愛《かあ》がられてゐましたが、親に死なれてからは姉の縁で私の家《うち》に來て居ります。宮中へ出仕させたらためにもなるだらうと思ひますが、それもその運《はこ》びになりません。』
 と話した。
 『可愛《かあ》いさうな話ぢやないか、あの子の姉さんがおまへの繼母か。』
 『さやうでございます。』
(52) 『それは似合しくない繼母だ。更衣に上げたとか右衛門督《ゑもんのすけ》がいつてゐた樣だが、その女《むすめ》はどうしたらうと何時か陛下からのお話のあつたことがある。その人が伊豫介の後妻になつてゐるのか。運命といふものは解らないものだ。』
 『不意にさういふことになつたのでございます。運命は妙なものですがその中にも女の持つてゐる運命といふものは一段氣の毒なもので、自分の意志とはまるで違つたことにもなるんでございませう。』
 『伊豫介は大切にするだらう。』
 『主人のやうにいたします。』
 『何處にゐる、その女達は。』
 『別の家屋《かおく》の方へやつたのですが、そのうちにお出でになりましたのでまだ少しはこの宸殿にも殘つて居りませう。』
(53) と紀伊守はいつた。家來は皆《みんな》酒に醉つて寢てしまつた。源氏の君は寢入られないで耳を立てゝゐると、この北の襖子《ふすま》の向側に人がゐるらしい先刻《さつき》の話の人の隱れてゐる處かも知れないと思つて、そつとその襖の傍へ寄つて見た。先程の子供の聲で、
 『姉さんはどちら。』
 と云つてゐる。
 『此處ですよ。お客樣はもうお寢みになつて。私はおいでになる所に近いかと心配してゐたが、それ程でもなかつた。』
 と今の子供の聲によく似た聲でいふのが聞える。
 『廂の間でお寢みになりましたよ。』
 と弟《おとうと》がいふ。姉と弟《いもうと》はそれから、成程お美くしいかただとか、私も晝なら見るのだけれどなどゝ話すのが聞えて來た。弟《おとうと》はその間の端の方へ(54)寢るらしい。女は直ぐこの襖子を出た處あたりに寢てゐるやうである。召使の中將が早やく傍《そば》へ來て寢てくれないと心細いなどゝ女は云つてゐる。暫くして源氏の君はそつとその襖子に手を掛けて見ると、彼方から掛金がしてなかつた。開けた所には几帳が立てゝある。暗い灯の光りで着物などの入つた箱などが澤山置いてあるのが見える處を通つて、人のゐると思つた處へ入つて行くと、果して一人小さくなつて女が寢てゐる女の顔の上に掛けてゐた夜着を源氏の君が取るまで待つて居る。召使の中將が來たのだと思つてゐたのである。
 『中將を呼んでお出でになつたから、私が人知れず思つてゐる心が通じたのだと思つて來ました。』
 と源氏の中將は女に云つた。女は魘《おそ》はれるやうに、
 『あつ。』
(55) と聲を立てたが、口の處へ被けた夜着が障つて外へ聲が聞えない。
 『不意こんな無作法な戀をしかけるとお思ひになるでせうが、私は久しい前からあなたを思つてゐて、その話をしたいために斯ういふ機會を作つたのです。决して淺い戀ぢやありません。』
 と、やはらかな調子で男はいふ。
 『それは人違ひでせう。』
 と、やつと女は云つた。繼女《まゝむすめ》と間違へられたと思つたらしい。源氏の君は女の困つてゐる樣子に面白味を感じるのであつた。
 『人違ひなどすることもないのです。あなたはいゝ加減なことをお云ひになる。少しお話がしたいのだから。』
 かう云つて源氏の君は小柄なこの女を抱《いだ》いて自分の寢所《ねどこ》の方へ伴れて行かうとした。丁度其處へ中將といふ女が來た。
(56) 『おい。』
 と源氏の君はその女に聲を掛けて置いて襖子を閉めて、
 『明方にお迎ひにお出で。』
 と云つた。中將は男が男であるから、騷ぐことも何うすることも出來なかつたのである。女は終夜泣いてゐた。曉方にまた襖子の所まで源氏の君は送つて行つて別れた。  (與謝野晶子氏著新釋源氏物語)
 
     燃ゆる情炎
 
 一人の男が一人の女を完全に所有する――それは何といふ珍らしい、何といふ思ひ懸けない幸福であろう! 彼はその幸福に醉ひ痴れて、晝はひねもす女の面影を心に抱《だ》き締めながら、うつら/\と暮らした。が夜間《よる》は日が暮れてそろ/\同じ時刻になると、彼はもうぢつとして自宅《うち》(57)などに座つてゐられないやうな氣がした。と云つて、お粂の許へも、しばらく無沙汰になつてゐるだけに、何となく氣がさして行《ゆ》きにくい。それに、小夜子といふものゝある以上、他《ほか》の人間にはあまり會ひたくないで、仕樣事なしに、土手の上でもぶら/”\歩くか、さもなければ、早くから蒲團を引被《ひつかぶ》つて寢てしまつた。
 やつと約束の日になつた。彼は日が暮れるのを待ち兼ねたやうに、母親の前はよい加減な口實を拵へて、そゝくさと家《うち》を飛び出した。長良街道では、その日の最終の乘合馬車に間に合つた。例の一軒家の前で降りて、又一走り藪蔭づたひに裏木戸へ廻つて見ると、かねて諜《しめ》し合はせて置いた通りに、柱の古釘にちやん〔三字傍点〕と小さな毛絲の輪がかゝつてゐた。これは女の方で『毎《いつ》もの時刻に出て行くから待て』といふ知らせであつた彼はそれを握つただけでもう胸がわく/\した。が、心を鎭めて、その(58)代りにもう一つ紙心撚《かんじんより》りの輪を懸けて置いた。そして、半丁許り遠退いて例の土橋《どばし》の上まで來てから、帶の間の時計を出して見た。八時廿七分! 小夜子の出て來る迄には、まだ一時間半の餘も待たなければならない、が、さうなると、待つのも左程苦痛ではなかつた。女は出て來るに違ひない。そして、あの紙心撚りの輪を見たら、こちらの來てゐることも知る筈だから!
 かうしてその夜《よ》も二人は手を握り合ふことが出來た。が田圃の上では月でもあると却て人目に立ち易い。と云つて、納屋《なんど》の中《うち》は、何時何んな用事で女中か作男《さくをとこ》が入つて來《き》ようも知れない。いろ/\考へた末、二人はだん/\大膽になつて來た。○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○。○○○、(59)○○○○○○○○○○○○○○○○○、○、聲さへ立てなければ、誰がその部屋に這入つてゐようとも、家《うち》の人達に知れる氣遣ひはない。それに、その晩は小雨も降つてゐたので、迪也《みちや》はとう/\思ひ切つてそこへ連れられて行つた。或ひは連れて行かせたと云つた方がいゝかも知れない。そして、暗闇の中で、咳嗽《せき》一つされない身の窮屈を忍びながら、果敢ない逢瀬を娯しんで、又こつそりと脱け出して來た。
 初めてさういふ思ひをして、誰《たれ》にも見咎められないで木戸の外へ出て來られた時は、腹の底からほつ〔二字傍点〕とした。そして、もう二度とこんな危殆《あぶな》い眞似はすまいと思つた。が、危險はそれ自身一つの刺戟でもあれば、誘惑でもある。○○○○○○○○○――○○○○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○。○○、○○○○○○○○○○○○○○○○○――○○○○○○○○○○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○(60)○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○。○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○。
 で、さいふことの度重なるに件《つ》れて、迪也はいつか顔こそ見ないが小夜子の父親の咳嗽拂ひも聞いたり、母親との話聲も耳にしたりするやうになつた。何日かなぞ、夜晩くまで帳簿の整理に起きてゐた父親が、何か見當らない物があるとかで、不意に隣りの佛間まで來て、襖の外から聲をかけられた時には、暗がりの中で縮《すく》み上がつて、もう百年目だ!と覺悟鮮した。が、幸ひその時は、小夜子が猶豫なく起き出して行つて、捜してゐるものを見附けてやつたので何事もなく濟んだ。濟みは濟んだものゝ、人の子を賊するばかりか、無斷で他人の家《うち》を汚してゐたといふことは、深く彼の胸に徹《こた》へた。若し父親がそれと知つたら。何んな思ひをするだらう? 考へて見ただけでも、彼は頬が熱くなるやうな氣がし(61)た。時には又『なに、彼等は故らに俺《わし》と俺の母を遠ざけた。今その復讐を受けてゐるのだ!」と思ひ直しても見た。が、自分の心のどこを探つて見ても、小夜子を通じて、先方《むかう》の兩親に對しても、親しみこそ持て、甞て抱いてゐたやうな憎惡や、嫉視の念は露程も持つてはゐなかつた。つまり彼等は曩日《のうじつ》の敵から更に憎惡の眼で見られない程、完全に復讐されてゐるのだといふことにもなる、迪也は相手が氣の毒にもなつた。
                   (森田草平氏著輪廻)
 
     遊女、賣淫の始り
 
 いにしへより、けいせい遊女の稱へ、世に傳へし事久し。異口《いかう》には、傾城といひ、遊女といふに、隔別の義理ありといへども、爰にけいせいといひ遊女といふ、其品二つ有るなし。異國の妓女、本朝の白拍子、皆(62)|遊君《いうくん》のたぐひ也、爰に白拍子のおこりを尋ぬるに、人王《じんわう》五十七代鳥羽院の御宇に當て、洛陽の島の千歳、和歌の前とて二人の舞女《ぶぢよ》有り、いづれも双《ふた》なきの上手也。是を白拍子の濫觴《らんちやう》といふ、往昔《むかし》延喜の帝の御時、江口の里に白女《びやくぢよ》といひし、歌をよみ古今集に載《の》られたり、同里《どうさと》の妙いづれもよく歌をよみて世に名を知られ、神崎の遊君宮木が歌は後撰集《こうせんしふ》に入る萬葉集に遊び女の歌あり、
  津の國の難波の事も法《のり》ならめ、あそびたはぶれ、まごとこそきけ (宮木)
  いつちだに、心にかなふものならば、何かわかれの悲しからまし
    (白女)
 元和の頃迄は古しへの白拍子の風儀殘りて、京都武陽のけいせいは、小舞《せうぶ》乱舞を習ひ、茶の湯|數奇《すつき》の道を常に稽古しけり。去るに依て諸《もろ/\》の祝(63)儀或は不時の催《もよほ》し結構にも、御歴々へ召され、御歴々の御給仕《おきふじ》いたしたりしが、いつとなく風俗おとり、はしたなくなりしと、老たる者いひけり。慶長|元和《げんわ》の頃は歴々の御方も兼日《けんじつ》約束にて、いづれの日には誰が家《いへ》何といふ丈夫《じやうふ》が手前にて、茶の會《ゑ》に參るあなどとて、心易き同志は誘引ありしと也、今に至る迄けいせいのお茶を挽《ひき》といふも、此|節《せつ》よりの言葉なり。
 
     京都遊女の名目
 
 太夫《たいふ》――これは藝の上の名《めい》也、慶長|年中《ねんぢう》迄遊女ども乱舞仕舞を習ひ、一年に二三度づゝ、四條河原に芝居を構へ、能太夫|舞太夫《たいふ》、皆けいせいども勤めし也、尤|大人《だいにん》歴々の御方御見物あり、種々の餘情華麗なる事ども多かりしと也。去によりて今日《こんにち》の太夫は、誰が家《いへ》の何といふ太夫が勤《つとめ》(64)るなどゝいひしより、おのづから、よき遊女どもの惣名となりけるよし芝居相違なく仕舞候得は、太夫の遊女ともは、町御奉行所へ御禮《おんれい》に上《のぼ》る此例により今以て年頭八朔、兩度づゝ御禮に上り申|候《そろ》。
 天神――勤銀廿五匁なれば、北野の縁日に取て天神といふ、吉原には此名なし。
 格子――京都の天神に同じ、大格子《おほがうし》の内に部屋を構居《かまへゐ》る、局女郎《つぼねぢよらう》に紛れぬやうに格子といふ名を付たり。
 局女郎――銀二十目、局の構樣は表に長押を付、局の廣さ九尺に奥行二間、或は貳間半、亦横六尺に奥行二間にも造る、入口は三尺、表通りは横六尺のうづら格子也、中閾《なかじきゐ》と庭との堺に、二尺斗りのまがきを付《つけ》る。但《ただし》外より内へ入候へば左の壁際也、うづら絡子への通ひに、巾二尺斗り長《ながさ》三尺の腰かけ板有り、入り口に、かちん染の暖簾を懸け、のれん(65)の縫留に紫革にて露を付《つけ》る、右局の、指圖に記す事、詮なき事なれども元禄年中より局といふはすたり、總て吉原の古風取失ひし事多ければ、後々若輩どもの爲に、是を記し申候、局上臈と申事に付、古老の申傳へたることあり、昔一の宮の御息所《ごそくしよ》しか/”\の事ありて、土佐の國|畠《はたけ》といふ所へ趣せ給ふとて、彼所《あすこ》へは往《ゆき》得させ給はで、藝州の廣島へ着せ給ひ此所《ここ》に落魄の後に都の官女達、御息所をしたひて廣島へ下り、みやづかひしたまふ。此時戰國にて又歸|上《あが》り給はんとも叶はず廣島にては彼《かれ》官女達の居給ひし所なれば、局といひもて來りしより、扨|又《この》局上臈といふに付《つい》て、一つの據あり、東山知恩院に開山圓光大師の御傳記あり、忝なくも三代の帝王宸翰を染給ひ淨家《じやうか》に第一の寶也、此|御傳《ぎよでん》に近世義山和尚の註解《ちうしやく》にて、行状翼賛といふあり、本文《ほんもん》に播州|室《しつ》の泊りにて、一人の遊女元祖上人へ見《まみ》え奉り、御《ご》十念を拜受せし事あり、此段の註に同書の九卷(66)傳を引て、昔小松の天皇、八人の姫宮を七道に遣して、君の名を留め給ひき、是遊君の濫觴なりと、一書に遊女の家の長《をさ》が先祖を註して、小松天皇姫宮|玉判加陵風芳《たまわけますをのかぜはへ》と云ふなり、江口、神崎、室《むろ》、兵庫の傾城は此末也。
 神――未だ簪せぬ小女《せうぢよ》。
 遣手《やりて》――古來名を花車《くわしや》といふ、花に廻るといふ意か、然れども、くわしやと呼ては聞へあしきとて、香車《かしや》と書かへたり。香車は將棋の駒の一つなれば、香車と呼ずして、やりてといひふれたり。
 
     江戸吉原開基の祖
 
 吉原開基の祖といふのは、庄司甚右衛門である。
 生れは相州|小田原《をだばら》。父は北條家の家臣。天正十八年、小田原|落去《らくきよ》の砌(67)甚右衛門十五歳の折、折節病氣のため、家來の介抱によつて江戸に出で丁度柳|町《ちやう》の知邊《しりべ》を頼つて居を定め、遂に傾城屋となつたのである。
 それ故自分を耻ぢて、一生父の名字を明さなかつたといふ。但し甚右衛門の姉をおしやぶと云つて、北條氏政公の寵妾となつてゐたと云ふから、さほど身分の賤しい者ではなかつた。
 因にこの當時の吉原といふのは、現在の京橋區柳町の邊《あたり》にあつたのをさして云つたのである。その後現在の吉原《よしはら》に移轉したのである。
 
     吉原十二時
 
 この『吉原十二時』は石川|雅望《がばう》の著である。雅望は博學多識、古學に志して、其著も三十餘種を數へられる。又狂歌を嗜み『宿屋の飯盛』といふ狂歌のペンネームをもつてゐる 天保元年七十八歳にて歿した。
(68) この『吉原十二時」は當時全盛を極めたる吉原の情景を巧に描寫して當時の面影をしのぶには唯一無二の參考書である。この道の粹士は、現時の吉原と、當時の吉原とを比較せられゝば、其處に又別種の趣があるであらう。
 本文《ほんもん》は主として平假名で書かれてあるために、そのまゝこゝに移すことは、意味の不明瞭を來し、且つ讀む人の判讀の不便も多いから、要所々々には漢字をあてゝ更に其の意味を一層判り易くするに努めた次第である。
 
     卯の時
 
 曉ぐれのそらの朧々しきに、門《かど》の戸のごほ/\となるは客人のかへるにやあらん。遊女《あそび》どもは蠣け馴《なみ》けたる衣《ころも》のすそひきかゝげて、あわたゞしく(69)はしりきて、戸《はひり》の口にたゝずみたちておくりす。わきてしたしうせるはひきつれて、中揚屋《なかやどり》の家《いへ》にいたりて、洒くみかはし、かゆすゝりなどして、さて大門《おほもん》のもとにいたりて、別るめり。寢乱《ねくた》れのあさ顔《かほ》、見るかひありなどおもふも、こゝろのなしにやあらん。やう/\あけゆくほど、許多《こゝら》の人ども、いろ/\の衣どもきたるが、こきまぜにいで、いそぎゆくあしもと、ねぐらをはなるゝ鳥にもおとらず、竹輿《たけこし》かくものゝ、欠《あく》びうちして、あまたならぴゐたる、こゝろもとなげなり。こゝに柳ひともとたてり、見かへりの柳とぞよぶなる。糸による物とはなしになど、うちながむる人もありぬべし。門《もん》のうちに、女ばら五七人、物にかくれてたゝずみをり、さるはたのめし人の、よそ人にうつろひぬるをにくみてそのむくいせんとて心持つなりけり。男はかうとだにしらねば、悠々《のど/”\》とあゆみくるを、不意にはら/\と出《で》きて、ひきとらへてゐてゆく、ゆか(70)じと爭《すま》へど、あまたしてしたゝかにつかみかゝりぬれば、すぐなくで、手まとひしつゝおめえd/\となりてひかれつゝゆく、ゆきさつきていかにかすらん、おほつかなし。
 
     辰の時
 
 物乞ふ法師ばらうちつれて、鉢々とよびつゝいりもて來《く》、厭《むづ》かしげなるなる桶さし荷ひて、きたなげなる男どものいりくるも見ゆ。物ぬふ女の、ちかきわたりにすめるが、つゝみひきさげてくるもあり、髪つかぬる男にや、たすきひき結ひて、いかめしき櫛笥ひきさげて、いそがしげにはしりありく、わかきあそびどもは、猶よべのまゝにて、夢路にはあしもやすめぬにや。鼾はなやかにかきて、あらぬ囈言《たはごと》をさへいふなる、夜《よる》ひとよかたらひあかして、こうじけるにや、けさも猶かへらで、やが(71)て眠臥《ねふせ》る客人もあるべし。男どもは部屋々々はさらなり、廊《ほそ》どのくりやの板敷など掻掃き拭ひなどす。大門をはなれて、ながき堤みあり。その下にいささかの町あるを、孔雀長屋と言いふ、輿《こし》かくものどものすみどころなり。今戸の橋のあたりには、船宿の家ども、のきをならべてたてり此わたりは、いづれもよのつねのごとく、このほど朝食《あさげ》など炊くめり。
 
      巳の時
 
 今ゾ家の内やう/\おき出《で》てののしりさはぐ、海にとりたるもの、山にほりたる物、いづくよりもてくるにか、になひきてあきなふ。家あるじ漆の板に、よべの客の數しるしたるをとり出《で》て、物にかきつく。妻《め》はこなたにゐて、煙り草くゆらしつゝ、何くれのことども、人にをしへてまかなはす。からうじて、遊女《あそび》どもおき出《で》て、ひととろに擧《こぞ》りゐて、朝(72)食《あさげ》くひて、さて湯槽にいりひたりて、口々さへづりあへり。さるあまたある遊女どもなれば、心の趣もおの/\いとことなり、物まめやかにつゝましく、こめいたるもあり、又もてひがめたることのみいひて、おぞましく不良《さが》なきもおほかり、互《たがみ》に、ゆぶねの口にかゞまりゐて、垢掻きながしつゝいへることよ、つかさのこそなん、けさはいといぎたなかりし。思ふ人にこそあひ給ひつらめといへば、あらずわかい男なるが、よろづさし通《すぐ》いて、詞おほくなもとなるは、鼻ひらめにひたひはれて、腋臭《わきくそ》さへ花やかなる老人なりき。されど老らかにもてなし待遇《あへしら》ひてかへしゝは、人がらのにぎはしく、たのもしげなればぞかしと、いひてたかやかに笑ひて、ゆかたびらないがしろにうちかけて、つゝむべき所もおほひだにせず、立《たち》はしりつゝいぬる、いと鄙陋《ばうぞく》なり。又いりくるもおなじ筋なる陰言《しりうごと》のみいふめり。いとかしまし。
 
(73)     午の時
 
 おくまりたるかたの部屋《ざうし》にいりゐて、おの/\化粧《けさう》しみがきさわぐ。わかきは衣櫃《いびつ》長持にうちたるかなぐなどみがく、物の蓋に花の枝|繁《こちたく》つみもてきて、部屋《へや》ごとの花瓶《はなかめ》にさしぬるは、花うる男なるべし。紅白粉《べにおしろい》いもの元結櫛扇など、いとふさに箱にいれてもてきてうる人あり、醫師《くすし》にや、あらん。ことやうなるいろの衣《ころも》きて、顔もち尤々《むべ/”\》しきが、おくなるつぼねにいりきぬ。屏風のうちには、いろは眞青《みあを》にしろくあをみ衰へたる女の、ほそき紐してひたひのあたりひきゆひてふしをり、くすしちひさき綿に膏藥といふものをぬりつけて、屏風のうちにいりて、ふたゝび出來《でき》て、異状《ことにも》なかじなぞいひて、咳嗽《しはぶき》うちしてかへりぬ。いかなる病にかあらん。いとほしげなり。はしらによりゐて、文かく人あり、手は(74)よしやあしや、さながら徒蚯蚓の蠢《うご》めくやうにぞ書いなしたる。客人のもとよりおこせし文にや、うちひらきよみ見て、ものしきけしきに眦ひきあげて、何事いふぞ、をこなりや、かゝることたれかはしらんなど、聲だかに踞《ふづくみ》いへるは、何ごとゝはしらねど、おもふにたがふことにこそあらめと、かたはらいたし。
 
     未の時
 
 さとより女親《めおや》の訪らひきて泣きみ笑ひみ、物がたりなどす。げに見るかひある女子《をなご》を、かかる所にはなち置ては、心のやみの霽るゝべきかたもあらじかし。此ころほひより、遊女《あそび》ども格子のまに出《で》てならぶ。顯證《けそう》なれば、窺《かい》まみする人もなし。たゞ田舍|人《じん》の無骨しきが、たちめぐらひつゝ、めを大きになしてうかがふ、うちには石なとり、貝あはせなどし(75)てあそぶ。ふたつばかりの兒のおかしげなるを、ひざにすゑて愛《うつく》しみあそばし、掻撫でつゝ可愛《らう》たがるあやしきえせ法師を、まかきの外によびいれて夢かたりし、占卦《うらかた》なととふ。ひさしくもなりにけるかなとうちおしぬるは、此ゆふぐれのこゝろもとなきにやあらん。又かたへに打しめりて、心のうらぞまさしかりけるといふは、さ忘られぬる人なる可し。との方《がた》にはそば麥いれたる筥《ふえ》ども、になひつゞけて、くばりありく、さるはよるの衾《もの》あたらしう調《しらべ》じたるいはひごとゝて、かゝる事はするなりけり、大方衾などは打しのびてとりかくし、物すべきをもて出《で》て、嚴《いかめ》しくもてなす、例《ためし》かはりたるならはしになん。
 
     申の時
 
 ゆふひ西にかたふくころ、各自々々《おの/\》裝束《したうぞく》つくろひて、女童《わらは》ひきつれて(76)ねり出《で》たる。此世の人とは見えず、柳櫻山吹など、折からのいろあひ相應《さき》々々しくぬひもの象嵌など、めもかゞやくばかりにて、裾長うひきたるうはぎども、いみじう阿那《あだ》めいたり。こゝは大門よりの直路《たゞち》にて、仲の町《ちやう》とぞよぶめる、家ごとに簾れかけて、軒には花色にそめたる布ひきわたしたり、いまうとだつ人のかたにかゝりて、簾《す》のうちなる人に物打いひて、やをら隣のかたへあゆみゆくさま、いとのどかなり、こゝにある家どもは、遊女《あそび》がもとにかゝづらふ人の、しばしのほどの中やどりとて、打やすらふ所となん、やよひの頃は花の木ども所|狹《せま》う植えわたしたれば、右ひだりのたか樓《との》をかけて、しら雲のかゝらぬ軒なし、客人《まらうど》とおぼしきが、ふところ大きやかになして、端居してをり、あそび二三人ちひさき童《わらは》ふたりそひゐたり、歌うたふい女ども四人ばかり、たかやかに打わらひ、酒しひそし乱《みだり》きさわぐ、まらうどあるじに杯さしたるを、いた(77)ゞきをるほど女ひきさして、瓶子《へいじ》とりてつぐに、酒しただりて、ひざのあたりぬれぬ、あるじあわてゝ、紙もてかいのごひつゝしりめにかけていへるは、汝《まし》がわれに懸想じて、しば/\文《ふみ》おこせつるを、諾《うけ》ひかでありしを、わたしとてかゝる二とはしつるなめり、されどまことにはにくしとは思はざらましといへば、女いかゞは、あが見ざることこそたのみ奉《たてまつり》きといひて笑ふ、あるじまらうどにむかひてかれは信實の住所《すみか》と定めて侍れど、本性《ほんしやう》のひがみて、みそか男をのみまうけて、かたらひ侍りといへば、女ばら手打たゝきて笑ひかゝるに、むかひなる簾《す》のうちより童のくろき足駄はきたるが、櫻の枝一もと手にうちさゝげていりきぬ、まらうどにそひをるあそぴかまへに突《つい》ゐて、あがおもとの聞ゆなり、此一枝花もおかしう侍れば、奉まつるになん、こよひは櫻田なる御心しりのわたらせ給うけるよし、わりなううれしうこそおぼすらめ、うらやま(78)しうこそ思給へらるれといふを、まらうどはほのきけどしらず歌つくるもおかし、何事かこまやかにいらへして、よく聞えてよといへば、わらは、足ばやにたちて去《さり》ぬ。その隣なるは、すだれおろしたればよくも見えねど、男だちならびゐて、から聲々《こゑ/\》うたふ、つねきく鳥もわか/\とは、責《しを》りあげたる、糸のしらべもほそく聞えてかみ凄《すさ》びぬる聲づかひもやうありげなり。
 
     酉の時
 
 たそがれのころ、わらはの格子の内にたちて、さしむかひ家のあきびとをよびて物かふとて、玉かひなる人々と、こゑあげてよぶもうつくしげなり、又おなじやうなるわらはの、あかつきたる衣《ころも》きて、つゝみにつゝみたるものわきはさみで、はしるは何事するにか、かの伊勢のごの、(79)錢《かね》に代りゆくとよみけんやうのわざするにやあらん。きのこのかうしのとにたゝずみて、内なる女と打さゝやくあり、互に山鳥の心地やすらんかし、中のまに伊勢のおほん神をまつれる所あり、しも男の來て、鈴うちならせば、あそびらはみなあるかぎり格子のまにゆきてゐならぶ、かの男は、おまへのみ灯《あか》しを物にうつして、格子の間の袖つぎにともしつく、横座にすはりたるは、やことなきほどなるべし、壁には鳳《おほとり》といふ鳥をゑがきて貼《はら》したり、この町なる女ばらは、此壁にせなかおしつゝ群集《おしこ》りをり、まがきのきはにならびたるは、それよりもおとりのかたにや、此女ばら清掻《すがかき》たかうひきならす、大略には許多《こゝら》の人さまよひて、かうしのひまよりのぞく、灯みつよつしもしもしつらねて男の袖をひかへて、女ばら打まじり、そゝめきさうどきて入りくるなど、にぎははしきこといへばさらなり。
 
(80)     戌の時
 
 大きなるすはまやうの物うちかづきてもてく、いづこの嶺の松にかあらん、かげともたのむばかりなるを、ひききりて中にすゑたり、人の心の秋風に、裳《ふづくみ》はせでとのいはひことにや、たかどのには、障子どもあまたへだてゝ、つくりみがきてあり、厨子に貝など泥してまき繪したり、中やどりが灯《あかり》さきにたてゝ、まらうどらのぼりて來《く》、男盃もて出《で》てぬかづく、しばしありて、醉の香高うかほりて、あそびどもかゝやき出《で》ぬたゞいきてはたらく辨財天|女《をんな》のことにあらはれ給へるにや、うちおどろかる、まらうどさかづきとりてあそびにさす、此あひだの作法、いとつゝましくうるはしきは、はじめての見參なればなる可し、掻引く女など出《いで》きて、うたひなどすべし、またいりくるより、女どものかぎり出《いで》きて(81)あざなにやあらん今めかしき名をよぴたてゝ、わらひ戯れてうちとけかたらふは、月ごろ來かようまらうどにやあらん、こゝなるしも男をさして、ぎうとよびつけたるは、いかなる故にかあらん、髪はつれたる女の瞼《まが》はくろきが、はしつかに床司《しやうじ》しめてをるを、やりてとはよぶなり、それはあそびらがうへに、心をやりてよろづあつかふめれば、さる名をばおほせけるにや。
 
     亥の時
 
 衾はみついつゝ、綿あつらかにつくて、大きなるひたゝれめく物さへまうけおきつ、いづれも紅のにしきなれば、さながら龍田の山の秋にあへらんやうなり、うひ山ぶみなるまらうどは、ひとりふせりて、今や來《こ》んずらんと欠伸うちしてまつめり、されど無期に來ねば、徒《いたづら》いねをなど(82)うめきつゝふしをり、とばかりすぐして跫音すなり、そゝやと思ひて、そらねしてをれば、しづかに入りきて屏風おしあけて、ねたまひぬるかといふ聲はづかしげなり、猶そらねしてをれば、あなたに出《で》て、ともしびかゝげ硯とり出《だし》て文かく、やゝひさしくためらふほど千とせをすぐすこゝちぞするや、里をばかれずとこそ、むかしの人もよみたれ思ひぐまなき人もありけり、などおもふも、うち出《で》ねばたれかはしらん、いでやたからにかへて戀する人だに、かうやすからぬこゝろいられはすなり、さは思ふにかなはぬ物は世中ぞかし、あなかたはらいたしや、あなたには、時過ぎたる女の聲して、宵まとひのわらはをしかり責《せめ》なむ、格子のかたはやう/\人ずくなになりて、むげにわかきものゝみのこりゐて、長き夜《よ》をわびがほなり。
 
(83)     子の時
 
 太皷をうつこと子午《ねひる》は九つとこそ延喜の式にはしるしたれ、さるをこゝもとにては、拍子木をよつぞうつなる、此おとにあはせてかうしのうちなるあそびども、はら/\とたちて去ぬ、此とき樞戸《くるるど》をさし、かうしのうちなるへだての障子《しやうぎ》をもあくるになん、このあとなひこなたかなたひとつ時なれば、いみじくひゞきあひて、かみのなるにやとさへおどろかれぬ、厨屋《づしや》にては、らいしをしきかふしたかつきなのたぐひ、あらひのごひて、とりをさめなどす、まらうどせぬ女ばら、わらはなど皆《みんな》ふしどにいりてふす、たゞ番の男のみひとりおきゐて、とき/\おくと口と見めぐりて、拍手木うちありく、大路には、鐵杖《かなつゑ》のやうなるものふりならしつゝ、火危ふしなどよぴつゝすぎゆく、さては按摩の盲ほうし、蕎(84)麥むぎうる男のこゑのみ、大路のかたにきこえて、ゆきかふ人もをさ/\見へずなりぬ。
 
     丑の時
 
 かみしもみなしづまりぬ、雲井をわたるかりのこゑも所からにやあはれに聞なさるゝから、猫のねう/\となくにも、たれかはおきあかすべくとぞおぼゆる。されど猶ねもやらで夜《よる》ひと死《よ》うちかたらふ人もあり、あるは鹽屋のけふり風になびくをうらみ、又山川のあさき瀬をくねるなどとり/”\なり、あやにくにまらうどの二三人きあひたるは、せんすべなければ、例のいもうとだつ人を出《だ》してあへしらはす、おもへどゑこそなど、にくきことをさへいふめり、あるは熊野の神にちかひて、せいしに血をあえてとらせつるを、たがまことかとよろこぶ男もあるを、たけ(85)なる髪をおしきりてやれるを、うれしとだにも見ざるにや、かづら半ケにたへぬるをも見へたる、はやうよりゐなかにやしなはれて、舌だみてものいふ男の、よなかともいはず、手うちたゝきて、おのこどもとく來といふ聲、いとむくし、番の男きて、かしこまれば、ゐだけたかうなしてさけびいへるは、なにがしこそ、とのゝみうちにありても、名《な》なる弓とりなれ、しかるにこよひいみじき耻《はじ》見たり、まづ此《この》かたきとする遊女《さぶ》る、こはいづちいにたる、宵よりまちつけをれど、ふとかげをだに見せず、こまもろこしよりわたせる名玉のごとく、われをば綿あつき衾にくゝみおきてとりいりいろふものもなし、にくしともにくレ、これをもしのぷべくんはいづれをかしのぶべからざらん、此家のあるじこゝにゐてこ、對面していふべきことあり、と肱もちいかめしくしてのゝしる。男たい/”\しき事、しばし和《のど》めさせたまへ、おもとに聞ゆべくといひて、(86)たちてゆくおのれいづくへかにぐる、彼《しか》頭《かしら》うちわりてんといひさまたちかゝるほどに、あそびきて、なに事をかのたまふ、氣ののぼりてくるしければ、しばしかしこにて補ふとてうつぶしふして侍り、さなはらだたせたまひぞといひつゝ、手を袖にいれてかたのほどいささかつみたればさばかりたけ/”\しくはやりたるものゝにはかに萎《しぼ》へ/\とをれで、ゑみがほつくりて、額に手》をあてゝ、わづらひたまへる事はしらでまうししなり、許《い》いたまへといふも聲ふるへていとあまへたるおももちなり、さてひかれて屏風《びやうぶう》のうちにいりぬあはれやう/\さま/”\なる心々おろかなる筆にはかきとりがたくや。
 
     寅の時
 
 まくらがみにひゞく鐘の音は、あさくさでらのにや、などたどるほど(87)に、例《いつも》の中やどりがもとなる男の、灯《あかり》ともして屏風のより顔さしいれて、御迎へにまうきつといふ。まだきにいそがせたまふべしやは、とふしながいふ聲いとねふたげなり。いなつとめてなにかしどのゝ館《みたち》に、ようありてめさせたまふなり、おそくはびんなからんといひつゝおき出《で》れば、みたちに出《だ》させたまはんよりは、北の方の御《お》いさめこそおそろしうおぼすらめ、とくいそがせたまへなどいふも、いとねたげなるしりめなり、とかくして、廊下《ほそご》のいたじきふみならしつゝ出《で》てゐぬ、まろは、むねいたければおくり聞えずといへば、ゆゆしき事、湯まゐりてはやうさはやぎたまへなど、打見かへりつゝいふも、あさくはあらぬこゝろなるべし、
   すみだ川すみわびぬらしうかれめの、うきせながらにながらふる身は。
 
(88)     手練手管遊女の戀ひ文
 
 傾城に誠ないとはたが云ふた……
 浮川竹の流れの身でも、意地もあれば張りもある。涙もあれば情もある。「いや人一倍に涙も情けも持ち合はせてありんすよ、と、立膝の脛に緋の裾がこぼれて、朱の長煙管から紫の煙をぷいとはき出す。
 手練手管の戀の文《うら》、裏と表の四十八手。書き人《て》はいづれも名代の遊君|僞《うそ》か誠か、戀か戯れか、千紫萬紅とりまぜて次にずらりとお目にかけませう。
 
     高尾の手紙
 
 夕は波のうへの御《おん》かへらせ、いかゞ候《そろ》。やかたの御しゆび、つゝがな(89)くおはし候や。御《ご》げんのまゝ、忘れねばこそ思ひいださす候
   君は今駒形あたりほとゝぎす
                        高尾
  千里さま
 
   ×
     おなじく
 
 先もじはゆる/\と御《ご》げんいり、御《おん》嬉しくぞんじあげま由らせ候。まづとや、御《お》かはりなう御《お》くらし《お》めでたく、さては賤《しづか》こともみちのくの大守樣《おほかみさま》へ身請《みうけ》の儀きはまり、近きうちにうつり申し候《さふら》はずにて御座候。二世《にせ》と契りしたまづさも、今はあだ名の筆のあと、ちかの御《こ》げんもうそとなる、鶯の袖のむかしより、いきて家をもともにし、死しては穴を同(90)じうせんと思ひしこともはかなけれ。たとひ天上の榮華をきはめ、こがねの山にあそぶとも、君にわかれて我命、いきてかばねをさらし、なほ後の世にめぐりあひ、長きいもせを契るべし。天にあらばひよくの鳥、地にあらば連理の枝、ほのかに聞きし、天地ときありてつくるとかや。この恨みはわたくし死してつきし時なき夫婦の縁は、わかれて惜しむ血のなみだ、あはれと思ひ給ひなば、かはしたる數々を、必ず忘れ給ふなよ。たとへていはん、君と我、つがひはなれぬ雁《かりがね》の、一羽はれふしにとらはれて、籠の内なるうきおもひ、さき世の望みたえはてゝ、泣したへどもかひはなきも、はや身請《みこ》はすみだ川の、ながれの身ほど世の中に悲しきものはあらいその、みくずとこそなりて候《さふら》へ。かしこ。
 歌に
   我戀は月にむら雲花に風おもふに出《で》かれずもはぬにそふ
(91) かへす/”\も御ゆかしく、筆にも文にもつくしがたう、せんもじ御入《おいり》のそのときが、この世のわかれと知るならば、いひたきこともかずかずあり。御姿《おすがた》をもよく/\ながめおくべきに、いつとてもしみじみ御《お》いとまごひも、御宿《おやど》のしゆびのよきやうにと思ひしまゝ、はや/\御《お》かへり候《さふら》へと、申せしことのかなしさよ。こればかりよみぢのさはりと存じまゐらせ候。びんの髪一|封《ふう》、小袖一重からみのしるしにおくりまゐらせ候申上げたきことは、はまのまさごのかず/\なれど、泪にみづくきのわかちも見えず、をしき筆とめ申しあげまゐらせ候。かしこ。
                         高尾より
   我君樣《わがきみさま》
 
(92)     おなじく
 
 見てもなほみまくのほしければ、なるるを人はいとへとは、よう申しまゐらせ候。けふははや御なつかしく、侍りし夕の心づくしはものかはせめてあらましの墨の色に、かくとばかりのうきふしをも知らせ參らせたく、珍らしからぬことささげまゐらせ候。いよいよその夜《よ》にかはらぬ御《ご》ようだい、御《お》かへりはても御首尾《ごしゆび》よくおはしまし候や、これのみとはまほしく思ひまゐらせ候。まことにすぎし夜《よる》は、たえ/”\の御《おん》けはひにうちむかひ、御嬉《おんうれ》しさのほど、日の本にはたとへん山もなう候。しかし逢ふうれしさに心せかれて、日ごとつもりしことの葉ものこりがちにてぎぬぎぬの別れしあとは悔むよりほかなく候。たとへば、秋の夜《よ》の千夜《せんや》を一|夜《や》にかさぬとも、いふ言の葉はいかでつきなん。まして鳥をかぎり(93)のうき契り、今かたどきと存じ候《さふら》へども、かへりてまた御《おん》ためを思はぬにてもはべりなんかと、とむる心もいかうおくれをとりまゐらせ候。手枕《てまくら》のすきまをだにいとひまゐらせ候に、夜《よ》さむの夜《よ》、さぞお身に、いた/\しうあたり候《さふら》はんと、はがひも永きみちのほどうとましさ、たがなすわざにやと、思へばおもへば罪はこなたにこそと、我が身ながらも憂きものに存じまゐらせ候。なほさらいねもやらず、ひとしほ/\心もすみ候へば、人をとがむる犬の聲かすかに耳にふるゝも、もしやそなたのかたにやと、御跡《おんあと》をしたふ名殘りおしはからせ給へ。さてもたがひに申しかはせし言の葉、御《お》わすれあるまじく候。こなたとても繰りことながら、我れ/\ことは君にまゐらせ候身なれば、いや行すゑかけて頼む、このほどまかぜにはなきと申すものにて候。もちろん御《ご》じよさいなき仰せのうへは、このもしうぞんじまゐらせ候。かしこ。
(94)                  高尾
       ×
 
     やきうし
 
 さりながら、女の身のあさましさ、心のまよひゆえか、飛鳥川のならひなれば、もしやうつろふいろもあらんかと、御《み》心の秋風を、まだ見ぬさよりもきづかはしく思ふも、にくからぬにや。たとひ御《ご》げんのたえまに七夕の逢瀬を、二人がなかになすとても、へだてるなかの天の川、こなたの心はいかでかはらん。申しまゐらせ候ことも、くひてあまたのおほぬさの身なれば、いつはりがましくも思《おもひ》しめし候《さふら》はんかとくちをしく、もとよりうき舟のよるべなぎさによる波の、たつともなき流れの身ながら、心まではさうしたことにはなう候。しかしあはぬ行末ながら、(95)心のたけをもくらべては、いかなる立居につけて、思ひわするるひまもなう候。死んでしらぬ昔《むか》しのぶよりほかなく候。申したきことかさなる山ながら、筆とる言の葉をつくす、はやざつとめでたく候。かしこ。
 
     奥州の手紙
 
 さりとも、御下《おさが》りの近うなりゆくまゝに、をりふし旅の空ながめ、心よりもあはれと、あわただしう御《お》いり候。まことに御心《みこゝろ》にまかせぬ別れにしおはしませば、とゞめあへぬかなしさ、申さぬとてもに候。御《お》げんのをりごとに、憎《に》くからぬ御《お》つたへのしな/”\よもあさぢがが小野のわすれもやるまじく候。このうへはただつゝがなく御《おん》くだりをいのるばかりにて候。かしこ。
 
(96)     性的犯罪と強姦
 
 強姦といふのは、他人の意志に反して之に暴行を加へ姦淫することである。女性の男性に對する強姦は想像されないではないが、生理的機能からして、全然之は不可能に近い。只普通一般的に行はれるものは男の女に對する強姦である。
 社會的に見ても法律的に見ても、人間として恥づべき行爲であり、且つ恐るべき犯行であるが、實にこの犯罪は多いのである。統計的表面に現はれた數字は少ないのであるが、家名を重じ、體面を考へて之を發表し又發表されることを拒むことは非常に多いのである。
 他人の意志に反したと云つても、决して暴力に依るもものゝみをいふのではない。他人が反抗出來ないやうにして置いて之を犯す場合も又強姦(97)である。世間を騷がした醫博大野某の如きは女の無智に乘じて、之を犯したもので、實に憎むべきものである、他人を欺いてこれを犯した場合も勿論強姦たるや言を俟たない。
 最近こういふことがあつた。東京帝大の某所はよく男女の密會所になつてゐるのであるが、某文學士が曾つてこゝを通りかゝつて、男女の密會者を見つけ、本郷本富士署の刑事と僞つて、之をおどかしたところ、非常に相手が恐怖したので、之に興味を覺え、遂に男を歸へした其後で『自由にならねば、警察につれて行く』といつて、やす/\とその女を犯したが、遂には密會者の貞操のみならず金品をも奪取するに至つた。この僞刑事を裝つて女を犯し、且つ金品をまで奪取したといふ事は、常識をもつてしては考へられないことであるが、而もそれが、最高學府を出た妻子ある堂々たる文學士なるに至つては、言語道断の話しである。
(98) 強姦は主として體力の一人前のものが行ふのが通例であるが、未成年者にもある。それは不良少年|等《ら》が大人に劣らぬ罪を犯すものである。或時、池袋附近の通行稀れな場とか物陰|等《など》へ學校通ひの少女を誘ひ出し強姦をなす者があるのを探知し、捜査した結果、被害者は西巣鴨|町《まち》池袋の一四四八番地須藤某(當九歳)外八名の少女で、犯人は日暮里|町《まち》五十一番地笠原某の二男、獨逸協會中學一年生の滿夫《みつを》(假名)といふ十四歳の少年であつたのである。
 強姦罪を犯す者は、其年齡に區別はない。上述の如きものもあるが、特に老年者に多いことは注意に値する。少女強姦は度々聞く事があるが老人が何故《なにゆゑ》強姦を犯すかといふことは、老人の性慾は異常になつてゐて普通の方法よりも異つた方法によつて、その性慾を滿たさうとする爲めである。花柳界に於いて少女の所謂旦那なるものは、老人に多いことで(99)ある。
 最近横濱で起つた事件は、之を如實に物語るもので、大正十四年八月十六日|夜《よ》横濱市南太田|町《まち》二〇五〇附近を伊勢崎町署員が密行中、同所の松崎辰次郎方から救ひを求める女の悲鳴が聞えたので、飛び込んで見ると、一人の老人が十七八の女に暴行を加へてゐたので、引つ捕へて調べて見ると、男は、前記松崎辰次郎(五九)といひ、女は同町一〇五〇山口伊太郎長女、フエリス女學校四年生山口みえ(一七)(假名)といひ、去る九日みえが同所附近を通行中自宅に連れ込み、監禁して暴行を加へてゐたが、松崎は窃盗前科五犯の男で、妻に死に別れ、獨身生活の淋しさから、不良少年を使役して、婦女を誘拐し、自宅に監禁して弄んでゐたもので、彼の毒牙にかゝつた女は二十數名に及び中には相當|良家《りやうか》の子女もあるが、身分を恥じて泣寢入りとなつてゐた。尚みえが誘拐された時(100)にも十三四歳|位《ぐらゐ》の少女が押入れの中に監禁されて居り、押入れの中で暴行を加へられた形跡があつた。
 斯くの如きは既に、一種の狂人《きちがひ》に等しいものであるが、我國の強姦罪で見逃す可からざる原因の一つは、迷信である。古來我國では花柳病にかゝた者は、處女を犯せば全治するといふ迷信がある。今でも尚この迷信を信じて處女を犯すしれ者〔三字傍点〕がある。而も花柳病患者である。その恐るべき害毒を思ふ時は戰慄せざるを得ない。かゝる悖徳漢こそ嚴罪に處すべきである。(前田誠孝)
 
     色ろ眼及接吻の快感
 
 谷崎潤一郎氏の小説『刺青』の中《うち》だつたと記憶する。
 駕籠の中から若い女の足、しかも奇麗に揃つた足の指を見て、男は異(101)常の昂奮を覺えたことがかいてあつた。
 又同氏の作の一節に、二人のデカタンな男の會話として、
 『君はもう眼だけで澤山になつたかね?』
 『ウン、僕は眼だけで十分だ……』
 と女に對して眼で見ただけで一種の○○が達せられるといふ樣な意味の事がかゝれてあつた。
       ◇
 ある男が、その友人の家《うち》に同居してゐた。
 その内にどうした事か、その家の細君とその男とは熱烈な戀に落てしまつた。
 しかし彼等の周圍は頗る嚴重を極めてゐた。彼女には二人の子まであつた。
(102) 而《そ》してその男にも妻君があつて、妻君と一緒に同居してゐたのだつた
 それでも彼等二人は、子供の眼をしのび、妻君の目をしのび、夫の眼をしのんで、接吻だけを交してゐた。二人はそれ以上の行爲は出來なかつたし、又深くそれを愼んでゐた。
 こうして人眼を忍ぶ接吻は一ケ月位はつゞけられた。
 ある時は臺所の隅で、物置のかけで、或時は廊下の隅で、また或時は暗夜《やみよ》の露次に彼女《かのぢよ》の歸るのを待ち合はせて、――。
 然し二人の間はすぐに感づかれた。
 そうして一ケ月位にして相共に別れなくてはならぬ運命におかれた。
 その男はその後その時のことを述懷して、
 「あの接吻の快感は一生忘れられない。恐らく今後一生涯、再びあんな接吻を鰺はう機會がないだらう。私たち二人は接吻だけで十分滿足して(103)ゐたのであつた。○○などを強ひて考へやうとはしなかつたのだ。』
 ○○を行ふにしては、あまりに周圍がうるさすぎた。かくして二人は接吻によつて、それ以上の滿足を得たのであつた。
       ◇
 前者の二例はいさゝか變態めくが、而し多くの場合、周圍に障害のある際は眼が唯一の働きをする。
 いはゆる『色眼』なるものがそうである。
 ヂツと相手を見つめる。相手も、ヂツと見返す、眼と眼の交錯、眼と眼の性的滿足。
 その眼はお互に燃えてゐる。
 昔から『眼は口ほどに物をいひ』といふ文句があるが、恐らく眼ほど移心傳心の妙を得たものはあるまい。――
 
(104)     ある可き所に何故毛がないか
 
       ――毛のなき女性の悲劇の種々《いろいろ》――
 
 無毛の女を嫁に貰ひ又は、之に接する時は、不運をまねくなどと迷信的にいひ傳へられでゐる。恐らくそんな事はあるまいと思はれる。
 然し自ら×部の××を拔きとる種類の女性がある。これは殊に××を商賣にする女郎に多い。
 その原因は××によつて不慮の傷害を引き起し、又は毛虱などの發生をふせぐためである。
 然し毛がないために、古來いかばかり妙齡の女性をして煩悶、懊悩せしめたか知れない。
 顔形がさほど醜くない女が、嫁いで二三ケ月間に離縁になる場合が往(105)々ある。そうして一生嫁がずに押し通して了ふ女がある。
 その原因については種々あらう。
 曰く家風に合はない場合、曰く夫婦間の愛情がない場合。曰く性的不能者の場合。と數へるなかに毛がないための理由によつて、離縁せられた女が决して少くない。
 ある可き所に毛がない――といふ事は一種の不具者扱ひせられても致し方がないのだが、不具者と銘を打つにしては、あまりに滑稽すぎる。
 これはむしろ、男性の好奇心といふか、自己不滿のために、これ幸と許りに離縁にして了ふのである。これなぞは男性のあまりに虫のよすぎた行爲でなくてはならぬ。
 仲にはそうした毛のない女を迎へて、家庭圓滿な御夫婦も頗る多い。
 或る産婆の説では『百人中に三人位の割で毛のない方がございます(106)よ。』といつてゐた。毛のない理由については不幸詳かでない。
 こうした不幸な女性が、自分の不具を耻じて、それを兩親に打ちあけもせず一生獨身に打ちすごして、やがて悲觀の極、悲慘な死をとげる人がある。
 『小町娘謎の死』
 なんどと題して品行方正なオールドミスが鐵路を血ぬる事があるが、これなども、そうした、世人が殆んど氣のつかぬ所に原因が秘められてはゐまいか?
 それについてこんな話があもる
 ある若い女が毛のないのを苦にして入浴の際にしやぐま〔四字傍点〕をはさんでゐたのだつたが、どうかした拍子にひよいと、公衆の面前の洗い場に落して大いに赤面したといふ事をきいた。それほど女性の苦患《くくわん》の種となつ(107)てゐる。
 從つてこうした女性の方々の弱點をとらへて、『ある可きところに毛のなき方』
 なんといふうまい廣告文句で立派に店を張つてゐる商賣上手もゐる
 最近では、又『貼り毛』と稱するものを、この毛生へ藥の代りに賣出してゐる。これなぞもある種女性の弱點を巧に利用したものである。
 その廣告文に曰く
 『婦人として御兩親やお友達に話しの出來ないお氣の毒な事は毛の無い事です。殊に浴場に參りました時に眞實《ほんとう》に氣まりの惡いものです
 この悲しみに小さな胸を痛めでゐる婦人が何萬人あるか判りません
 そうした御婦人の爲めに、數年研究を重ねて漸く完成したのがこの義毛(一名精花)です。毛生へ藥などと違つて生へるかしらと氣を(108)もむ事はありません。
 完全に消毒した撰毛を一本づゝ植へて調製した品ですから自然に生へたのと少しも違はないやうに出來て居ます。之を着液で貼るのですからお湯に入つても洗つても離れ落ちる事はありません。
 どうぞご安心の上お試し下さい。
 恥しい思ひも、きまりの惡い思ひも、此の義毛に依つて無くなる譯です。
 然しこうした貼り毛が、一面に於いてそうした不具の女性を救ふとすれば、これ又結構といふ外はあるまい。
 
     惚れ藥ゐもりの黒燒
        ――由來、製法、使用法――
 
(109) 昔からゐもりの黒燒を相手方にふりかけると必ず厭ひぬいてゐた者も、必らず慕つて來る樣になる――と云つて世の多くの戀愛病患者、わけても失戀者を濟度してゐました。
 さてゐもりの黒燒は何故、惚れ藥として効能があるか――その理由について調べて見ると、
 雄と雌と山を隔てゝ燒いても、その立ち上る煙は必ず一つに合して、空の彼方に消えてゆくと言はれてゐます。また雌雄を別々に引離して釘附けにしておけば、何時か双方が一體に結びついてしまふとも傳へられてゐます。更に何《いづ》れか一方を殺しでもすれば、他の一匹は必らずその死屍のある場所を發見して、そこを離れようとはしないと云はれてゐます
 とにかく、その夫婦仲は、睦じさを通り越して、一種の恐るべき執着《しうぢやく》心をさへ持つてゐると云はれてゐます。斯うしたことが、やがてゐもり(110)の雌と雄とを別々に引離して持つてゐれば、その相寄らうとする執着心が、所持者同志を動かせて近づけるやうになるといふ、如何にも尤もな理窟が生れて來たわけなのです。
 それならば、生きたゐもりを持つてゐた方が、一番効果が多いわけでありますが、御承知の通り氣味の惡い代物ですから、黒燒にしても別に効果に變りはあるまいと、考へ出したのでせう。
 この黒燒は仁徳天皇の頃に百濟から日本に傳はつたもので、その製法としては、二通りあります。
 元來ゐもりといふのは、日本産と支那産との二種類に別れてゐて、支那産の物を蛤介《かうかい》といひ、腹部を切り開いて十字形の竹串に刺し、亀のやうな恰好にして乾燥さしたものを輸入致します。
 内地産のものは、沼や池の底に棲息して、俗に赤腹と稱する腹の赤い(111)ものをいひ、これは日乾しにいたします。
 これを素燒の土器の中へ入れて密閉し、陶器を燒くと同じやうに、窯の中で蒸燒きにすれば、そこに妙藥『ゐもりの黒燒』が出來上るわけであります。
 ゐもりの黒燒の使用法に就ては、いろ/\の説がありまして、思ふ相手に振かけなくては効《かう》がないと言ふもの、或は守袋に入れて持つてゐればそれで充分だといふもの、或は又粉藥かなんぞのやうに粉末にして飲まなくてはいけないと言ふもの等いろ/\の説に分れますが、男女の場合には、男の方は雌を持ち、女の方は雄をもち、また男同志女同志なれば、どちらを持ちてもよく、平素《ふだん》箪笥または帯のくけめ、または二人の枕の中に、或は守袋として下げてもよろしいのです。
 但し果して効能顯著なるものか、どうかはこれを實驗者の實際に徴し(112)て見なくてはなりませぬ。
 
     かげま(相公)の話
 
 支那の女優が、日本の藝者や娼妓と變らない營業である通り、舞臺で藝を賣るよりは、待合から待合、廊下の大鏡で、帶の恰巧と裾前の乱れ鬢のほつれを撫であげ/\氣にしながら、次から次ぎと轉々と頗る多忙にお座敷を働くのが、當時線香の揚高、土地で一番の賣れッ妓であるやうに、居間から居間と、暮六つから明七つの鐘を聞く頃まで、冷い、ひえ切つた臀の温《ぬく》まる暇もなく、お客の間を草履の音高く、廻り廻るのが樓内ではお職を張る、感心? な女郎であるやうに、彼等支那の女優も同じ藝當を演ずるので多忙である。
 彼等は女優になるかと思ふと、公然と妓女の鑑札を受けて、廓内に出(113)没する。
 この點、日本のそれ等《など》よりは公明正大であるが、餘り褒めた話ぢやない。
 女優ばかりかと思ふと、さに非らずで、支那では男優も、尻で光るのか多い。いや大抵な一流男優は尻の光りで、名をなすのだ。
 今、第一に指折られる、帝劇へも出演したことのある例の梅蘭芳《めいらんふあん》、彼だつて年の少《すくな》い頃は、昔の若衆歌舞妓が、上野の僧侶相手に、湯島邊りに全盛を極めて居つたといはれる、女にして見まほしい袖振姿の蠻童《かげま》などゝ、同じ所爲《まね》をして、贔屓の旦那方の御機嫌を取り結んでゐたのである。
 支那の男優で、僅か十一や十二で急にメキ/\とその名を賣りす出す裏面には、多ほくかうした事實がひそんでゐるのだ。
(114) 支那料理が、世界に珍《ちん》として誇るに足ると同じに、こんな方面でもなか/\に研究を積んでゐる。
 清朝の皇族、攝政王と年少男優揚月樓、一代の名優といはれる彼との關係など、餘りにその浮名が有名となりすぎてゐる位だ。
 その他、何某大臣と誰、曰く何《なん》といふ風で、かなりにこの方面での噂は、未だに殘り、傳つて居る。
 最も、支那には、つひ最近まで、首都《みやこ》である北京に、相公《シヤンコン》といふ男娼が許されて居つて、相當知名の人で、これらを知つて居ないのは恥として居た風習さへあつた。
 公然と、彼等は、相公を芝居や物見遊山に連れ歩いたものである。
 中華民國となつてから、宮廷の宦官と一緒にどんな變性男子のやうな一部落の存在は、慧止される事になつたが、その代用を、相變らず、(115)年少男優が努めでゐるわけだ。(支那猥談集より)
 
     獣姦と屍姦
 
 支那人には、往々に性慾に對しては徳義心を缺き、思慮に乏しい連中が多いので、從來から彼等の間に、獣姦、屍姦、偶像姦などといふ原始的な方法で、情慾の滿足を得るものが居つた。
 今でもよく新聞などで見受ける所だ。
 獣姦の相手は主に柔順な驢馬で、時に兎などが引き合ひに出されることもある。
 繁華な城内や淺草公園式な場所にある覗きカラクリやその他にもこの方面の書畫はいくらもある。
 支那人同志で、平城臆面もなく、曝《さら》け出す罵倒の言葉――驢人肉的《ろにふにくてき》と(116)か驢下的《ろかてき》、兎羔子的《とやうしてき》などいふのが、この間《あひだ》の消息を傳へ得て、餘りある
 死姦といふのは、いろ/\の傳説も迷信もあるが、最近では、上海に西洋夫人の死姦問題で、物議をかもしたのがある。
 よく許婚の戀女が死んで、男が墓を發いて云々といふことは、往々小説にも、新聞紙上にも出てくるが、餘り氣持のいゝ話でない。
 それよりは蒙古のランドルマ――婦人の多淫を戒めるためだとはいふが蒙古人にとり、牛そのものが如何に貴重な財産とはいへ、獣姦の逆に行くやうな、いかがわしい佛畫が麗々しく喇麻寺に飾つてあるのは、不愉快極まることである。(支那猥談集より)
 
     めくら女郎盲姫
 
 廣東人は、よく何かに仔〔右○〕の字をつけたがるのだ。
(117) 幼女の事を柳陰仔、下女が美仔、十歳前後の女子が、門仔。※[聰の旁+頁]門仔《そうもんし》。少し大きくなつて、賣られる娘を妹仔。男子の賣られるのは豕仔《ゐし》――豚の子とは有り難くない異名《いめい》さ。
 この妹仔――賣られる娘には、隨分と悲慘なものが少くない。
 東東名物の瞽姫《めくらひめ》といふ娼婦がある。
 これは盲目の女郎だが、何れも容色《きりやう》のすぐれた一粒擇り、歌も巧みだし、舞も上手だ。
 どうして盲目の癖に、しかもかう迄、美しい年頃の娘許り集めたかと始めて瞽姫《めくらひめ》を買ふ者は不審を打つであろうが、决して彼等は生れながらにして盲目でない。
 やはり妹仔――少さい時から賣られた娘の中から、殊に器量のよいのを選び、七八の時分から、みつちり〔四字傍点〕と歌舞を仕込み、十四五歳になつ(118)た時、廓の若い者が無理に兩眼を碎いて了ふのだ。そうして義眼を入れて、黒い眼鏡をかけさせる。
 かうして俄か盲目《まうもく》にしてから、座敷へ出すので、それが瞽姫といはれる女郎である。
 客の老少美醜が分らず、遁げる心配もなし、えり好みして、客を振る心配など、毛頭無いので、樓主《らうしゆ》のいふなり次第、客のするまゝになつて居るといふ素直さ。
 眼開きの妓《をんな》なんかより、廣東では、瞽姫が盛んで、客からも悦れてゐる。(支那猥談集より)
 流石に支那は淫蕩な國だけあつて、こんな點にまで至れり、盡せりを極めてゐる。
 
(119)     借妻證文
 
 支那の新人たちは、日本の眞似をして、娼妓や妾を公認する事は、もつての外の儀である。すべては歐米先進國を見習ねはならないといふ御託宣である。日本も飛んでもない所を握《にぎ》まれて、婦女を虐待する國は野蠻國である。で日本も、……といふ譯で、排日《はいにち》の道具にさへ、吉原を使つて居るのであるが、支那の現代は、なか/\に女を品物扱ひにする所か日本所の比ではない。
 昔時《むかし》から凱旋將軍に、引出物として、君王《くんわう》の後宮《こうくう》の女を贈られて居つた。
 『この者は、予が寵愛して居る女であるが、其方《そち》が此度の殊勲を賞し、褒美として取らす事であろうぞ。大切に愛で遺《つか》はせ』などゝ、體よく使《つか》(120)ひ古しの飽きが來たのを、臣下にさげて居つたのかも知れないが、往々に繰り返されて居た事實である。
 こんな譯で、今でも女といふものが、まるで品物同樣に賣買される、結婚といふのからして既に下流社會になると、金で妻を買ふのと同じで金が無い男は、一生獨身で送るのである。
 滿州邊に出稼ぎをしてゐる乞食のやうな苦力連《クーリーれん》が、何を樂しみに、喰ふものも食はないで稼いでゐるのかと訊くと、其の大部分は妻》を得んとするからと答へる。僅か二三百の金を女の家に贈つたならば得られて、妻となる者がうじや/\ゐるのであるが、其がなか/\困難である。
 それで獨身者が多く、兄弟で一人の妻を持つてゐるのが居るし、困つて來ると元來《もと/\》金で買つたと同じ女だけに、また賣り飛ばしたり、或ひは借金《しやくきん》の抵當に、先方《さき》へ妻を渡して了ふのが幾らもある。
(121) 近頃、これに就いて、面白い珍裁判が起つた。それは十年の期限で、妻を抵當に借金をした所が、幸ひにも借主が、返濟をする事が出來るやうになつたので、いよ/\金を返へして、妻を戻して貰ふとしたが、餘り長い期限があつたので、借主《かりぬし》の夫《それ》よりも、貸主《かりぬし》の男の方に情が移つて了ひ、什麼《どう》しても歸へつて來なくなつて了つた。かうなると、さあ大變だ。
 そこで夫《それ》から告訴となり、説諭位では收りがつかなくなつたのであるそして其の借主《かりぬし》の證文は左《さ》の通りの珍文。
     借金證書
  一、金額   銀、百|元《てーる》
  一、利息   無利息
  一、抵當   憑娃英《びやうけいえい》(拙妻)
(122)  一、期限   十ケ年間
 右金額借受候に就ては、表記の抵當差出可申候期限を經過して返濟致さざる節は拙妻は貴殿へ差上候尚期間内に生む子女は貴殿に歸《かへ》し並びに疾病《しつびやう》死亡等に就いては决して異議無之爲後日一札如件。
 まあざつとこんなやうな譯文であるが、憑《ひやう》といふ男が、妻を抵當として、周から金を借りたのである。(支那猥談集より)
 日本では先頃妻を寢取られた上に、相手の男から脅迫せられて、
  今後拙妻は貴殿に差上ぐ可く、
  これに關しては異存《いぞん》無之
といふ證文までいれた大たはけ〔四字傍点〕者がゐた。
 これは家運を挽回せんために、種々《いろ/\》と金策を依頼してゐた相手の男が親切顔に取振まひ、亭主が無學で、細君がやゝ教育があるのを鼻にかけ(123)夫婦仲が圓滿を缺いてゐた間隙に乘じて細君と通じ、そのあげ句、細君は細君で相手の男と意氣投合するに至つて立派に姦通罪が成立し、その上に亭主に現場《げんぜう》を押へられ、あべこべにピストルを取り出して強迫せらたのである。
 これはその當時の新聞紙を賑はした姦通強迫事件であつた。
 
   支那猥談抄
 
     小間使の放屁
 
 小間使が主客の前に茶菓《さくわ》を持參してきた。
 そしてひよいと立たうとした機《はずみ》に、一發ブツとはずしてしまつた。
 小間使は眞赤になつた。
(124) 主人は來客の手前非常に當惑した。
 が、來客といふのが苦勞人で、さあらぬ態にその場をにごしてしまつた。ので、二人はそれ以上の耻をかゝずにすんでしまつた。
 やがて來客が歸るのを待つて、主人は匆々に小間使を書齋に呼び寄せて大叱言《おほこごと》をくらはせた。
 「二度《ふたた》び、あんな粗相を仕出かさない樣に、一つよく戒めてやらう、どれ御見せ」
 といやがる小間使を後むかせて、その、肛門の邊を撲ちのめして呉れやうと、くるりと裾をまくつて見たところ、むつちりとして白い羽二重《ふぶたへ》の樣なお尻を見て、急に變な氣持になつてしまつた。そしてとんでもない結果に終つてしまつた。
 それから後、小間使は思ひ出して、止みがたい時は、主人の書齋に參(125)つて
 『あの又おならを縮尻ました」と云つて身體を前にのりり出した。
 
     潔癖牲
 
 ひどく潔癖な男があつた。
 どんなに惚れぬいた女に對しても矢張りその癖を發揮した。
 ある夜《よ》、自分の惚れぬいた妓《をんな》と寢ることになつたが、妓が玄人だつたので、不潔でないかを疑つて、身體中を洗はした。
 そしていよ/\床にはいる前に、男はいま一度、手で以つて女の頸から足の先まで撫でさすつて、一々嗅ぎまはした。
 或る所になると、さらにまた洗はした。
 そんな事を三度四度と繰り返してゐる内に、とう/\その一夜は東の(126)空からあけそめてしまつて、目的を達する事は出來なかつた。
 
     花嫁
 
 娘がいよ/\嫁入る當日になつた。
 實家をはなれて、轎《かご》にのると、急に泣き出した。途々《みち/\》泣き聲はだん/”\甚しい。何時止みそうにもない。
 そこで轎夫《かごかき》の男たちも持て餘して、
 『實家にお別れが、辛いのなら、こゝから引き返さうではござゐませんか。』
 娘は、轎のなかで、すこぶる落ついたもので、
 『私、まだ泣きはしませんわ。』
 
(127)     小坊主と雀と春洞
 
 支那では男の××の事を『小和尚《こをしやう》』といふ。
 流石は文字の國だけあつていふ事が巧《うま》い。
 小和尚――小坊主なのであるから。
 また『家雀兒《かいじゃくじ》」ともいふ。
 『春洞《しゆんどう》』といふのは女子の××をさしていふ。これなぞもなか/\巧い事を支那人はいふ。
 この春洞《しゆんどう》といふ文字について、往年支那人が日本に見學にきた時ある大商店の扁額に春洞筆〔三字右○〕と書名してあるのを見て、クス/\と笑つてゐたといふ、その支那人は女子の××を想起したからである。最もこれは日本人の書家の雅號だつたのだが、國が異ると、とんでもない失敗が(128)あるものだ。
 
     蓄妾
 
 支那人は公然と蓄妾する。
 殊に豪族大官になると、第二第三、第五、第六とその多きをもつて誇としてゐる。
 勿論、正妻も承知の上で、同一邸内に一室を與へられて同居してゐる
 花嫁の實家では、花嫁があまりシヤンでない場合には、小さい時から買つてある少女を侍女として二人、乃至は二人を付添《つきぞへ》として花嫁と一緒にやるのが普通である。つまりこれはお妾である。
 花嫁とお妾とを一緒に貰ふ事になるので、支那人の花婿さん仲々大持てである。
(129) が近頃では支那の女も偉くなつて、蓄妾條件なんといふものを亭主に提示して、賛成させてゐるといふ。それにそると、
  一、正妻のいふ事は無條件に服從のこと、
  一、−ヶ月三回以上、妾と逢はないこと、
  一、姙娠したる時は追放すること、
 
     猥歌猥謠
       ――諸國盆踊歌にあらはれたる――
 
   ござるその夜はいとひはせねど、くるがつもれば浮名立つ。
   忍ぶ道には栗黍植ゑな、あはぢもどればきびわるい。
   さまは三夜で、宵々ござる、せめていち夜は有明に。
   一夜落つるはよも易けれど、身より大事の名が惜しい。
(130)   暇ぢやというて羞櫛くれた、心解けとの解櫛を。
   けさのうの字は嬉しのうの字、きゆる間もなきこの鏡。
   臼よ廻はれよ、廻はれよ臼よ、晩の夜挽にまはりあふ。
   殿御忍ぶは辛氣でならぬ、くぐり九つ、古川七つ、十二小口の板戸をあけて、忍込んだら夜が明けた。
   逢ふたその夜の明六鐘を待つにかへたや暮六に。
   宵に見初めた白齒の娘、よるもなりそな瓜の蔓。
   人の娘と新造の船は、人が見たがるのりたがる。
   來いといふたとて行かれる道か、道は四十四里、夜は一夜。
   一夜なれなれこの子が出來て、新茶茶壺でこちや知らぬ。
   吉田通れば二階から招《まね》ぐ、しかも鹿の子の振袖で。
   思ふ殿御と臼挽すれば、臼は手車、中までまはる。
(131)   十七八はだいとの藁で、うたねど腰がしなやかに。
   今の若衆は麥藁襷一夜かけてはかけずてに。
   これの石臼は挽かねど廻はる、風の車ならなほよかろ。
   早乙女の×××]を鳩がにらんだとな、にらんだも道理かや、××に××をはさんだと。
   心通はす杓子のさきで、言はず語らず眼で知らす。
   わしとおまへは小藪の小梅、なるもおつるも人しらぬ。
   人はけなりや兩手に花を、わしも片手に花ほしや。
    口説き、間男、色情沙汰
          ――古川柳にあらはれた猥句――
   口説かれてちりをひねるは古風郎なり。
(132)   盃にほこりのたまる不心得
   村くぜついつまで草をむしつてる。
   こはいもの見たし娘は封を切り。
   間男を見つけて耻を大きくし。
   この頃はつくるに亭主氣がつかず。
   露見するまでは夫と無二のやつ。
   御亭主とねんごろが内儀《かみさん》へうつり。
   旅の留守内へもごまのはいがつき。
   旅戻り大きな腹のまゝで作り。
   道ならぬ戀に明《あ》き店《だな》二軒出來。
   押入れできけば此草履はたれだ。
   ふたりともうごくなと石カツチ/\。
(133)   口紅がさつぱり池の茶屋ではげ。
   下女の尻つめれば糠の手でおどし。
   股ぐらを嗅ぐやうにして髪をすき。
   夜《よる》蕎麥賣《そばうり》いつの間にやら子を出かし。
   御存知のやきてと内儀《かみさん》勝《かつ》て逃げ。
   若後家をすゝめて和尚|法《のり》に入れ。
   お妾の乙な病は寢小便。
   此頃はとほうもないと叩く尻。
   麥畑ざわ/\/\と二人 迯《に》げ。
   色男何處でしよつたか飛び虱。
   片思ひそのくせいけるつらでなし。
   後家の供庫裡でゆすつて酒をのみ。
(134)   割つたなと所化衆に吉三なぶられる。
   下女が夜着借りて亭主をあやまらせ。
   しめたなと湯屋で久松なぶられる。
   やぼらしい大きな聲はせぬものさ。
   女醫者とんだところへさじかげん。
   おれも能い男とごぜをくどくなり。
   かたい下女むしつてやれと思ども。
   浮氣ならいやさと下女はぬかしたな。
   女にはいつそ目のある座頭の坊。
   出合茶屋惚れた方から拂する。
   屁をひつて嫁は雪隱出にくがり。
   マダ伸びもせぬにモウ來る麥畑。
(135)   お見立《みだち》と呼ばると濕瘡《かさ》を掻き止める。
   色文をひろつて御用百にうり。
   一人者隣りの娘うなされる。
   一人者かみさん達になぶられる。
   れい/\と追手のなかに婿の顔。
   心魂にてつして婿は出る氣なり。
   入婿は下女と一緒におんだされ。
   戀婿を入れたで男弟子はこず。
   戀婿の下着はみんな直しもの。
   婆さまと爺さま寢れば寢たつきり。」
   湯屋へ來てはなすは安い女郎買。
   小間物屋男に櫛を賣りたがり。
(136)   姑とちがひ舅のいぢりやう。
   いとけなきものと隱居の大口説。
   おくぞこのない子に隱居はまりこみ。
   文のくる度に息子智惠がつき。
   意見きく息子の胸に女あり。
   座敷初手は遊里にとらわれる。
   恥しさ知つて女の苦の初め。
   花嫁を見に出て娘なぶられる。
   番頭は内の羽白をしめたがり。
   もつと寢て御座れに嫁は消えたがり。
   女房のきくやうによむ僞手紙。
   いつたのさ馬鹿/\しいと内儀寢る。
(137)   花ものいはず女房けどるなり。
   かかアどのとは四五人も出來てから。
   胸倉の外に女房は手を知らず。
   あら世帶夜具に屏風をかこわせる。
   隣から戸をたゝかれる新《しん》世帶。
   あれは元乳母のずる/”\べつたりさ。
   美しい後家方丈の室に入り。
   惚られる程は殘して後家の髪。
   よく締めて寢やれと後家の味氣なさ。
   後家をたでますには糸のひきてあり。
   もう後家をやめねばならぬ腹になり。
   お寢間から笑ひをふくんで妾でる。
(138)   大小をころしてさすは妾の兄。
   お妾の晝間は至極無口なり。
   日暮れから圍れへ來る夜入道。
   ※[しんにょう+外]げのぴた腰元前をよく合せ。
   お見立だなどゝ腰元引出され。
   おとなに乳をふるまい乳母不首尾。
   その手代、その下女晝はものいはず。
   下女の腹心當りが二三人。
   惡堅い下女君命をはづかしめ。
   妾のはだり、下女はゆすりかけ。
 
(139)   猥談笑話
 
     眼ぐすり
 
 眼を病つた男、神佛に願をかけたが捗々しく治癒らない。困り切つてゐるところへ、家傳の妙藥を得た。早速木版刷の効能書を、ズーツと一通り讀んで行くと「めじりにさすべし」とある。それを文字通りに讀めば事は無かつたが、木版が大分《だいぶん》痛んでゐた爲『あじり』の『じ」の字の濁點《にごりてん》が摩滅してゐた。そこで『め』を『女』のとよみちがへたから堪らない。
 『女しりにさすべし』
 ハテ、不思議な藥の用ひ方があるものと思つたが、とも角、女の尻に(140)さして見ようと『厭がる女房を漸く説き伏せて、笑ひ事ぢやない、身の功徳になることだ』とあつて、クルリ裾を捲らせ、細君のお臀《いど》の穴に件の粉藥をさそうとする、動機《はずみ》に、女房苦しくなつて、ブーツと一つ。其の拍子に粉藥は勢ひよく吹飛《ふつと》んで、グツと見開いてゐた主人公の眼の中にけしとんだ。
 『はゝあ、なるほど斯うしてさすものかい。』
 
     祝砲
 
 或る娼妓、客の前にてプイと風の音をならせしに、幇間氣の毒がり、『最う一發失禮ながら祝砲』と言ひながら、プイとやつた。娼妓は大いに喜び返禮として、羽織を與へた。かくと聞いた外の幇間、己も屁の身代り立ち度いと心がけてゐると、或る座敷で同じ樣な事もあればある(141)もの、娼妓がプイと仕損ひ、そりやこそ、羽織にありついたと、大きな聲で、
 『ヘイ、花魁、御相伴致しやす』と、尻を持ち上げてブウツ。
 
     生地殿
 
 男も女もまぢはりて、いろ/\物語の有りつるに、一人云ふ『和泉の國には、なにともをかしき名字がある、のじりやれ、くさべのやれ』と
 又ひとりが「大和にも、へぐりだにのやれ、馬の尻のやれというて、腰より下のこと葉ばかりなり』とはなしければ、四十ばかりなる女房のさしいで『それより、聞きにくいがある』と
 『何ぞ』と問はれ「生地殿《をえぢどの》とこの』。(醒睡笑)
 
(143)     ほうびの屁
 
 初會の座敷女郎プイとの仕損ひ、若者引被り、旦那御免出物腫物處嫌はずと天窓を掻けば、客も去る者にて、ひつたものこいとの事か、コリヤ放屁を遣るぞと、一分はづめば、ふそくは無い、粹樣と頂き、サア御床《おとこ》に致しませうと出て行く廊下で、女郎も何喰はぬ顔で繼いで出で、上草履ゆたかに鳴らして呼び掛り、八兵衛や働いて遣つたによ。(鹿の于餅)
 
     座頭
 
 ある茶屋の座敷で、客がおやまと炬燵に當つて遊んでゐる時に氣の毒のことじや。出ものはれもの所きらはずとておやまが放屁をすつとした其癖音のせぬじやによつてひどい。おやまははつと思つた。けれどもさすが勤めする身じや。鏡袋から伽羅を出してそつと薫《くす》べてまぎらさんとする。其側にゐる座頭が鼻をもく/\して『モシどこぞ此邊に木藥屋は御座りませぬかへ』おやまが『何としたへ』座頭が『ハイどうやら、木藥屋に糞取るやうな匂ひがいたします』
 
     代診
 
 或醫院へ治療に來た婦人の患者が院長の前でつい取外した。すると流石は院長。
 『どうも私は近頃耳が遠くなつて』といつたから、その患者も氣まりの惡い思ひをせずにすんだ。これを聞いた代診は早速應用して見ようと待つてゐた。
 或日矢張り婦人患者が一發放した。代診はこゝなんめりとばかり、
(144) 『エヘン私は近頃耳が遠くなりまして、今の屁も何にも聞えません。』
 
     風が腐る
 
 或金持が大きな袋に風を貯へて置いて、夏になつて暑くなると袋の口をあけて少し宛出して凉んで居つた。或る日主人の留守に小僧たちが密に此の袋を持ち出して、中の風を使つたはよいが、餘り出し過ぎて袋が萎《しな》びてしまつたから、その埋合せに大勢で屁を放《ひ》り込んでふくらませおいた。
 斯くとは知らない出人は歸つて來て、例の通り袋の口をあけると、中から臭い風が出て來たから『餘り暑いので、風が腐つたわい』
 
     姑と嫁
 
(145) 嫁の前で爆發させたが、姑は怖い顔をして『何ですね無作法な』と叱りつけた。嫁はとんだ冤罪だが逆はず、詫言をして『放屁する人は長命ださうですね』といふと
 姑『然うかえ、それなら今のは私だよ。』
 
     來月分
 
 初會の床にて女郎ぶいとしぞこなひ、
 客『こりやたまらぬ匂だ』
 女『おゆるしなんし、此おならには譯がありんす、わたしが母十死一生の時、毎月一度づゝお客のまへで耻をかきんせうと、觀音さんに願かけした』といふ口の下から、又ぶいとのしぞこなひ『おやうれし、來月分も
 
(146)     とりはづし
 
 『昨夜《ゆふべ》の女郎はとんだ氣のきいた女郎だ、おれがついスウとすかしたらすうてうこうけいと唄にまぎらかしてしまつた、さすがはそれしやだ』と話せば、女房やつきとなりて
 『なにそのくらゐの事はわつちらでも言ひやす』
 といふ口の下から、亭主ブウととりはづせば、女房ぬからず『ぶうつうなまいだア。』
 
     春べやな
 
 春は彌生の最中、花の咲く日は浮れこそすれ、和尚も二三の知人と瓢箪ぶらつかせ乍ら東山の花に浮れ出た。散りも初めず咲針きも殘らず、滿(147)山の櫻今を盛りと咲き乱れて人は老若男女《らうじやくだんじよ》のけじめなく、花見衣裳のとり/”\に、唯もう夢中になつてきやつきやつと騷ひ廻つて居る。これを見た和尚は、微醉《ほろよゑ》機嫌の氣も浮々。
 尻をツン出し手を振つて、和尚一流の珍妙な踊りを初めた。坊さんの踊り、是は面白いと、花見の連中《れんぢう》黒山の如くに、和尚の周圍を取卷いてやんやと囃し立てる。和尚益々得意になつて、縱横無盡に踊り狂ふ、途端に思はず、ブツと一發大きな奴を洩らした。
 さあ事だ、女子供はキヤツ/\と笑ひ出す、連れの人々は眞赤になつた。和尚は一向平氣。
 『方々は何を笑はるゝのぢやな』
 『和尚樣、人中でござります。少しお氣をおつけ遊ばして……』
(148) 『何を氣をつける?』
 『只今變な音が致しましたではございませんか』
 『あゝあれかい。あれは俺の音ぢやがな』
 『澄して居ては困ります、他の者が笑つて居るではござりませんか。』
 『はゝ……屁は芽出度いものぢや。』
 『屁が芽出度いとは?』
 『花見には屁が附物ぢや。』
 『花見に左樣な附物は聞いたことがございませぬ。』
 『否《いや》ある、謠《うたひ》に斯うあるではないか、それ、あな面白の春べやな、あな面白/\の春べやな、どうぢや。花も定めし俺の屁で喜ぶことぢやらう、ははゝゝゝ』
 
(149)     轉矢氣
 
 或る寺の住持が身體が惡いので、お醫者をよぴました。
 住『サア/\先生、如何か此方《こちら》ヘ、
 醫『モウ構はつしやるな。何か加減が惡いさうで……
 住『いや少々工合がわるいのでお出でを願ひました。
 醫『それはいけませんな。兎も角、お脉を拜見いたしませう。
 先生脉を見て、それから胸やお腹の加減などを診て居ました。
 醫『些《ちつ》と是は、お腹が張つて居りますな。如何でございます。轉失氣《てんしき》がありますかな。
 此の時住持轉矢氣といふことがわからないが、至つて負惜みの強い坊さんで分らないと言ふのが大の嫌ひ。
(150) 住『ハイてんしきでございますか
 醫『ございませんかな
 住『ないことはございません
 醫『兎も角をとりにお遣しなさい。たいしたことはありませんから御心配に及びません。
 住『それは有難うございます、只今お藥を頂きに參ります、御苦勞樣。
 醫者が歸つてしまふと小坊主を招んだ。
 住『珍念や/\。
 珍『ヘイ和尚さま、何でございます。
 住『お前てんしきといふのを知つてゐるか。
 珍「てんしきは存じません
 住『知らない、知らないではいけないよ、おゝとお前今年|幾歳《いくつ》になる。
(151) 珍『ヘエ十四でございます。
 住『モウ十四にもなれば男一人前になりかゝつてゐる、其の位のことを知らないでどうする。
 珍『ヘエ、それでは和尚樣てんしきとは何でございます。
 住『私が教へてはおまへの氣に緩みが出ていかぬ。前の花屋へでも行つて、てんしきといふのを聞いて見なさい。
 珍『ヘエ畏りました……何だらうなてんしきといふのは。
 門前の花屋へ參りました。
 珍『今日は
 花『オー珍念さん何か用かね
 珍『アヽ此方《こちら》の家《うへ》に何がありますか、コウとてんしきが
 珍『てんしき?
(152) 珍『エー、ありませんか。
 花「いや無いことはなかつたが、此間鼠が棚から落つことして毀して仕舞つたよ。
 珍『エーそうで御座りますか、弱つたなア……ぢやないんで御座りますかね。
 花『アー生憎だつたね
 珍『そんなら和尚樣にさういはう
 珍念はソコ/\と花やを飛び出しました。
 珍『聞いて來ました、
 住『どうだつた、花屋にあつたか、
 珍『此間まであつたのでございますが、鼠が棚から落して毀して仕舞つたそうで……。
(153) 住『さうか、それはいけないね、それでは何しろ一寸チヨツトお醫者樣へ行つて來なさい
 珍「エヽ、和尚樣てんしきといふものは何でございます。
 住『わからぬ奴ぢや、先刻《さつき》も云つた通り、私《わし》がオイソレと云つて教へると、ぢきにお前は忘れてしまふ。何日《いつ》もも和尚さんに教はればよいと云ふ氣になるからいけない 恰度幸だからお醫者樣へ云つたら、私《わたし》が云つたといはないで、お前の心から出た樣にして聞いて見なさい。
 珍『へい
 住『早く行つて來なさい。
 珍『ヘーイ、行つて參ります。
 ハヽ是りや何だナ、和尚樣も知らないんだな、負惜しみが強いからあんなことを云つてゐるんだナ…………。
(154) 珍『お頼み申します。
 醫『ドーレ、オヽお寺の小僧さんが、サア/\此方へお上り。
 珍『エヽ先生
 醫「何だナ
 珍『アノつかんことをお伺ひする樣ですが、先刻《さつき》和尚樣にてんしきがあるかと仰つしやりましたがね、
 醫『あゝ
 珍『私はてんしきといふものを存じませんが、どんなもので御座います
 醫『アヽお前は感心な小僧さんぢや、知らんことを聞くのは决して恥ではない。わからぬことは何でも聞いて覺えて置きなさい。てんしきといふことは放屁《おなら》のことだ。
 珍『エーツ、おなら……お尻から出る、
(155) 醫『さうだ、頭から出る放屁といふのはない。
 珍『ヘエ、放屁のことをてんしきといひますか、さうでございますか、
 醫『ひどく感心してゐるな、傷寒論に氣を轉《ころ》め失ふ、即ち轉失氣とあるよく覺えておきなさい。
 珍『ヘーエ、有難う御座ります。
 醫『ぢや藥を、調合して上げる、是を持つて行つて煎じてあげなさい。
 珍『ヘエ左樣なら……。
 アハ面白いな、和尚さんは知らないんだ。門前の花屋でも知らないんだから、鼠が棚から落して毀したなんて言つたんだ。放屁を棚から落す奴があるものか。
 彼奴《あいつ》も知つたふりして知らないんだ。先生から聞いた通り言つて仕ま(156)つちやア面白くない。何とか言ひ樣がありそうなものだな……。
 アヽある/\、私からお醫者樣に聞かして置いて、それでこう/\云ひましたと云へばさうだ忘れない樣に覺えておけといふに違ひない。何だと云つたら盃のことだと一つ和尚さんを欺してやらう。それがよい。………。
 珍『只今もどりました、御醫者樣に聞いて參りました。
 住『何といつた
 陳『ヘエ
 住『ヘエぢやないてんしきといふものがわかつたか
 珍『ヘエ、分りました。お盃のことだといふことでございます。
 住『ナニ盃……ウムそうぢや、盃のことぢや、よく覺えておきよ、酒を呑む器、そんで呑酒器と書く、是から客來の時に呑酒器を持つて來いと(157)云つたら盃を持つて來るのだ。
 珍『ヘエ
 住『忘れてはならぬぞ
 珍「ヘッヘ……
 住『何を笑つてゐる、それだから覺えないので、彼方《あちら》へ行つてろ、盃のことをてんしきといふのだ。
 珍『ウフ、あんなことを云つてゐる、
 其日ははそれで濟みました。和尚さんは盃とばかり思ひ込んで居りますと、其翌日のこと先生又御見舞。
 住『いや、是は先生、毎日御苦勞樣で……。
 醫『どうですな、御容子は?
 住『有難うございます、おかげで大分お藥が利きました。時に先生|昨日《きのふ》(158)は呑酒器があるかとのお話でしたな。
 醫『ハアハア
 住『その節は無いと申しましたが、實は御座りました。
 醫『それは/\結構で御座います。
 住『何なら一つ御覽に入れませうか、呑酒器を……。
 醫『いやどういたしまして、それには及びません、ありさへすればそれでよろしい。藥の方の加減を致しますから……。
 住『ハハア、けれども是非一つ御覽に入れたいもので……珍念や。
 珍「ヘー
 住『呑酒器を持つておいでなさい。
 珍『フフツ
 住『何を笑つてゐる。
(159) 珍「ヘエ、只今……轉失氣を持つて行きや握り屁だ。
 住『何をグヅ/\云つてゐる。早く持つてきなさい、三組の方の呑酒器を……。
 珍『三つ組ならブー、ブー、ブーだ。
 住『何を云つてる。
 やがて珍念桐の箱の中へ入れた盃を住持の前に持つて行くと、住持は自慢そうな顔をして居ります。
 住『サア先生、此品で御座います。
 醫『イヤ是は恐れ入りました、何かな、この箱を明けると臭氣が致しますか。
 住『イヤ、是れはよく拭いて綿に包んでありますから、臭氣は致しません。
(160) 醫『ハハア、左樣で御座りますか。
 先生は樣子がわかりませんから紐をといて蓋を拂つて見ると結構な盃
 醫『ハハア、是れはどういふ……』
 住『手前が大切にしてゐる呑酒器』
 醫『ハハア、妙なことをお尋ね申すが、愚老の方では傷寒論に氣を轉《ころ》め失ふとある所から、放屁のことを轉失氣と申すが、寺では盃のことをてんしきと申しますかな。
 住『エーツ……コレ珍念
 珍『ウフツ
 住『何を笑つて居る、馬鹿めツ……イヤ是は先生、澤山過ごすとブーが出ます。
 
(161)   風來山人放屁論
 
     前編自序
 
 屁てふものゝある故に、への字も何とやらをかしけれど、天に霹靂あり神に幣帛あり、鷹に經緒《きやうちよ》あり船に舳あり。草に屁青《へくそかずら》あり蟲に氣虫《へつぴりむし》あり狐鼬鼠の最後屁は一生懸命の敵を防ぐ。人として放《ひ》ずんば獣にだも如ざるべけんや。放《ひ》つたり嗅《か》いだり屁《へ》たる君子ありといへば、強ち之れを賤しむべからず。今評判の撤屁男《てつひをとこ》、論より證據兩國橋。(風來山人誌)
 人參呑んで縊《くびくゝ》る癡漢あれば、河豚汁喰ふて長壽する男もあり。一度で父なし子孕む下女あれば、毎晩夜鷹買ふて鼻の無事なる奴あり。大そうなれど嗚呼天歟命歟。又物の流行と不流行も、時の仕合不仕合|歟《か》か。又趣向の善惡によるならんか。柏莚が氣どり、慶子が所作事、仲藏が巧者、(162)金作が愛敬、廣次《かうじ》が調子三五郎がしこなし、梅幸浪花をひしげば、富三東都に名を顯し、川口の參詣、淺草の群衆、深川の角力、吉野の俄、沙洲は木挽町に河東節の根本を弘むれば、住太夫は葦屋町に義太夫節の骨髓を語る。或は機關《からくり》、子供狂言、身ぶり聲色辻談議、今にはじめぬお江戸の繁榮其品數は盡しがたき中《うち》に、さいつ頃より兩國の邊りに、放屁男《へつぴりをとこ》出《で》たりとて、評議とり/”\町々の風説なり。それつら/\、惟《おもん》みれば、人は少天地なれば、天地に雷《らい》あり、人に屁あり。陰陽相激するの聲にして時に發し時に撤《とほ》るこそ持ちまへなれ。いかなれば此男、昔よりいひ傳えし階子屁《かいしへ》珠數屁《じゆすうへ》はいふもさらなり、砧すががき三番叟、三つ地七草祇園囃、犬の吠聲、鷄屁、花火の響は兩國を欺き、水車の音は淀川に擬す。道成寺菊慈童、はうためりやす伊勢|音頭《おんとう》、一中半中豊後節、土佐文彌半太夫、外記河東大薩摩、義太夫の長きことも、忠臣藏矢口渡は望次第、
(163)一段づゝ三弦浄瑠璃に合せ、比類なき名人出でたりと。聞くよりも見ぬことは咄にならず、いざ行きて見ばやとて二三輩打連れて、横山町より兩國橋の廣小路、橋を渡らずして右へ行けば、昔語り花咲男とこと/”\しく幟を立て、僧俗男女押合ひへし合中《がつちう》より、先づ看板を見れば、あやしの男屁もつたてたる後ろに、薄墨に隈取りて彼の道成寺三番叟なんど數多《あまた》の品を一所に寄せて畫きたる樣《やう》、ゆめを描く筆意に似たれは、此の沙汰しらぬ田舍者の、若し首掛りて見るならば、尻から夢を見るとや疑はんと、つぶやきながら木戸を入れば、上に紅白の水引ひき渡し、彼《か》の放屁漢《おならをとこ》は噺とともに小高き所に座す。その爲人中肉にして色白く、三ケ月形の撥鬢奴《ばちびんやつこ》、縹の單に緋縮緬の襦袢、口上爽にして憎氣なく、囃に合せ先づ最初がが目出度三番叟屁、トツパヒョロ/\ピツ/\/\と拍子よく、次が鷄東東天紅をブ、ブウーブウと屁分《ひりわ》け、其跡が水車、ブウブ(164)ウ/\と放りながら己《おの》が體を車返り、さながら車の水勢に迫り、汲んではうつす風情あり。サア入替り/\と打出しの太皷と共に立出づ。朋友の許に立寄り、放屁男を見たりといへば、一座擧つてこれを論ず。或ひは藥を用ひて放るといひ、又は仕掛のあるならんと衆議さらに一决せず予衆人に告げて曰、諸子いふことなかれ。放屁藥ある事は我甞てこれを知る。大坂千草屋清右衛門といへる者、をかしき藥を賣るがすきにて、喧嘩|下《おろ》し屁ひり藥等の簡板を出す。其藥得たれど、それは只屁の出るのみにて、かやうの局屁《きよくひ》を放《はう》ることを聞かず。又仕掛なんとの疑ひ尤もに似たれども、竹田の舞臺に事替り、四方正面のやりばなし、しかも不埒の取締り、何に仕掛の有りとも見えず。數萬の人の目にさらし仕掛の見えぬ程なれば、譬《たとへ》仕掛有りとても、眞に放《ひ》ると同前なり。衆人眞に放るといはゞ、其糟を食ひ其|泥《ひちりこ》を濁らして放《ひ》と思ふて見るが可し。扨て(165)つくづくと案ずれば、かく世智辛き世の中に、人の銭をせしめんと、千變萬化に思案して新しき事を工めども、十が十、餅の形昨日新らしきも今日は古く固より古きは猶古し。此放屁男は、咄には有りといへども※[面+見]《まのあたり》見る事は我日本神武天皇元年より此年安永三年に至つて、二千四百三十六年の星霜を經《ふ》るといへども、舊紀にて見えず、いひ傳にもなし。我日本のみならず唐土朝鮮をはじめ、天竺和蘭陀諸々の國々にもあるまじ。於戯《あゝ》思ひ付たり、能く放《ひ》つたりと譽れば、一座|皆《みんな》感心す。遙末座より聲を掛け、先生の論甚だ非なり。余申すべき事有りと出《で》るを見れば、頃日田舍より來りたる石部《いしべ》金吉郎といへる侍なり。以つての外の顔色にて、扨々苦々敷事を承る物かな。それ芝居見世物の類《たぐひ》、公《おほやけ》より御免《おゆるし》あるは人を和するの術にして、君臣父子夫婦兄弟朋友の道をあかし、譬へば大星由良介が仕打は忠臣の鑑となり、梅ケ枝が無間《むげん》の鐘は女の操《みさほ》をす(166)すむるなり。見せもの異樣なるも親の罪が子に報ひ、狩人の子は不具と成り、惡の報ひは針の先、必ず人々油斷するなとの教へなるに、近年は只錢儲けのみに掛り、かやうの所へ心を用ひず剰さへ屁ひり男の見世物言語道斷のことなり。夫れ屁は人中にて放るものにあらず。放るまじき座敷にて、若し誤つてとりはずせば、武士は腹を切る程恥とす。傳へ聞く、品川にて何とかいへる女、客の前にて取りはずせしが、其座に小田原町の李堂、堺町の巳《み》なんど居合せて笑けるに、彼《か》の女《ぢよ》忍び兼ね、一間に入りて自害せんとするを、傍輩の女が見付け、さま/”\に諌むれども一座がかのほとりの者なれば、惡口にいひふらされ、世上の沙汰に成りなば、どうも活きてをられぬとのせりふ、彼の二人も詞を盡し、此事决していふまじとひたすらなだむれども、イヤ/\今こそ左樣に請がへ給て、跡にて言ひ給はんは必定、活きて恥をさらさんよりは死なせてたび(167)給へとかきくどき、とどまる氣色《きしよく》あらざれば、二人もすべき方なくて、此事口外せまじきよし、證文を書いて漸々自害をとどめしめしとかや。可笑事の樣なれど、女が自害と覺悟せしは、情を商ふ身の上にて恥を知つて生命《せいめい》を捨てんといひ、又いき過《すぎ》の通者《つうしや》も惻隱の心ありて、おほづけなくも證文書いて人の命を助けしは、又|艶《やさ》しき事ならずや。かく人の恥とすることゝ、大道端に簡板を掛け、衆人の目にさらす事無躾千萬此上なし、見せもものは錢儲け、見るが鈍漢《べらぼう》なりと思ふに、先生雷同し給ふ事見限り果たる事なり。盗泉の水、勝母の地、皆其名をさへ惡むなり。非禮聞くことなかれ非禮見ることなかれとは聖人の教なりと。青筋ばつてのいひぶん。予答へて曰く、子《し》が辭甚だ是なり。去りながらいまだ道の大なる事を知らず。孔子は童謠をも捨てず。我亦屁ひりを取る事論あり。夫れ天地の間にあるもの、皆|自《みづか》ら貴賤|上下《じやうか》の品あり、其中に至り極(168)まりて下品とあるもの大小便に止《とゞま》る。賤しき譬諭《へきゆ》を漢にては糞土をいひ日本にては糞の如しと。其糞小便のきたなきも、皆五穀の肥《こやし》となりて萬民を養ふ。只屁のみ放つた者、暫時《しばらく》の腹中快き計りにて、無益無能の長物なり。上天のことは音もなく香《か》もなしといふに引かへ、音あれども太皷《たいこ》皷《つゞみ》の如く聞くべきものにあらず匂ひあれども伽羅麝香の如く用ゆべき能なし。却つて人を臭がらせ、韮蒜握屁《ひしにぎりべ》と口の端にかゝり、空《くう》より出で空に消え、肥《こやし》にさへならざれば、微塵用に立つことなし。志道軒《したうけん》が腐儒をさして屁ひり儒者といひ初《はじめ》しも、尤も千萬の詞なり。斯くばかり天地の間に無用の物と成果てゝ何の用にも立たざるものを、こやつめが思ひ付にて種々《いろ/\》に案じさま/”\に放りわけ、評判の大入小芝居なんどは續くべき勢ならず、富三一人が大當りは菊之丞が餘光もあり。屁には固より餘光もなく惚人もなく贔負もなし。實に木正味《もくせいみ》むき出しの眞劔勝負。(169)二寸に足らぬ屁眼にて諸々の小芝居を一まくりに放潰す事、皆屁威光とは此事にて、地口《ぢぐち》でいへば撒柄者《ひがらもの》なり。されば諸々の音曲者、いふべき筈の口語るべき筈の咽を以つて、師匠に隨ひ口傳を請け、高級金は欲しがられども微塵も文句に意なく、序破急開合|節《ふし》はかせの鹽梅をしらざれば、新浄瑠璃の文句を殺し、面々家業の衰微に及ぶ。然るに此屁ひり男は自身の工夫計りにて、師匠なければ口傳もなし。物いはぬ尻分るまじき尻にて、開合呼吸の拍子を與へ、五音十二律|自《みづ》から備り、其品品|撒分《ひわか》ること、下手淨瑠璃の口よりも尻の氣取が抜群よし。可とやいはん妙とやいはん。誠に屁道開基の祖師なり。但し音曲のみにかぎらず、近年の下手糞ども、學者は唐の反古に縛られ、詩文章を好む人は韓柳盛唐の鉋屑を拾ひ集めて柱と心得、歌人は居ながら飯粒が足の裏にひばり付き、醫者は古法家後世家と陰辨慶の議論はすれども、治する病も療し得ず、(170)流行風の皆殺し、誹諧《ひかい》の宗匠顔は芭蕉其角が涎を舐《なめ》り、茶人の人柄風流めくも、利休宗旦が糞を甞める。其餘諸藝皆衰へ、己《おのれ》が工夫才覺なければ古人のしふるしたる事さへも、古人の足本へもとどかざるは、心を用ひざるが故なり。しかるに此放屁漢今迄用ひぬ臀を以つて、古人も放らぬ曲屁をひり出し、一天下に名を顯はす。陳平が曰く、我をして天下に宰たらしめば又此肉の如《し》けんと。我も亦謂へらく、若し賢人ありて此の屁の如く工夫をこらし、天下の人を救ひ給はゞ其功大ならん、心を用ひて修業《しうげふ》すれば屁さへも猶かくの如し。阿呼濟世に志す人或は諸藝を學ぶ人、一心に務むれば天下に鳴らんこと屁よりも亦甚し。我は彼の屁の音を貸りて、自暴自棄未熟不出精の人々の睡を寤さん爲なりといふも又理屈臭し。予が論屁の如しといへばいへ、我も亦屁ともおもはず。
 
(171)     跋
 
 漢にては放屁《ほうへ》といひ上方にては屁をこくといひ、關東にてはひるといひ女中は都ておならといふ。其|語《ことば》は異なれども、鳴ると臭きは同じことなり。その音に三等あり、ブツと鳴るもの上品にして其形圓く、ブウと鳴るもの中品にして其形飯櫃形なり。スーとすかすもの下品にて細長くして少しひらたし。是等は皆素人も常に放る所なり。彼《かれ》放屁男の如く奇々妙々に至りては、放《へ》らざる音なく備らざる形なし。抑いかなる故ぞと聞けば、彼が母常に芋を好みけるが、或る夜《よ》の夢に火吹き竹を呑むと見て懐胎し、鳳屁元年へのえ鼬鼠の歳、今を春|邊《あたり》と梅匂ふ頃誕生せしが、成人《せいじん》に隨ひて段々功を屁ひり男、今江戸中の大評判、屁は身を助けるとは是ならん歟。讃岐行脚無一坊。神田の寓居に筆を採る。改行
 
(172)   彌次郎兵衛北八の飯盛女買ひ
 
     ◇三島より沼津へ一里半◇
 
 女『お泊りなさいませ/\』
 彌次『エヽ引張るな、此處を放したら泊るべい。』
 女『すんならサアお泊り。』
 彌次『赤んべい。』
 北『いゝ加減に此所へ泊らふか。』
 女『さあお這入りなさいませ。』
 亭主『コレハお早ふございます。御連れw樣はお幾人。』
 彌次『蔭共に六人。』
(173) 亭主『ヘイ、それ三太郎は居《をら》ぬか、お湯を取つて來い。お茶は煮てあるか。それ先づ御風呂をひとつあげろう。お飯《まんま》も出來た、直ぐにお這入りなさいませ。』三人足を洗ひ奥へ行く。
 女『お湯にお召なさいませ。』
 彌次『ドレお先へ參ろう。』と裸身《はだか》になりてかけ出す。
 女『モシ其處は雪隱《せついん》で御座ります此所へ。』
 彌次『ホイ、それは。』と湯殿へ行く。
 十吉『時に彼《あ》の藁苞《わらつゞみ》は。』
 北『床の間に置きやした、後の寢酒に作《こしら》へてもらひませう。』この時十吉湯に入《はい》りに立つ。
 北『時に此所《ここ》代物《しろもの》はすしかの。』
 女「此の間木曾の追分から來た女郎衆が二人ございますからお呼びなさ(174)いませ。』
 彌次『面白からう、器量は?』
 女『マア十人前でございます。』
 北『ハ、……十人前の飯盛か面白い呼でくんな。』
 女『すんなら只今。』ト出て行く、十吉湯より上りきて。』
 十『お前方何か野暮からぬお噺だね。』
 彌次『主や如何《どう》だ。』
 十『イヤ私は彼の内の女に少し咄し合がありやすよ。』この時宿の女きたり。
 女『是は御如才でございます、サアおかへなさいませ、モシ今のが參りました。コレお前等、此處い來なさろ、ドレ向《むか》へに。』とやがてふすまのかげに立てのぞき居る女を引張り、
(175) 女『サア/\來なさろ/\。』
 飯盛お竹『アレサ、一人で行きますから引なさんな。』
 今一人の飯盛おつめ『何をハア出べいとこさ、お竹さんつて出なさろ。』
と二人座敷へ座《すは》る。
 北『サア爰へ來なせい、時に女中膳は引て酒にしやう。』
 女『ハイ今に出します。』と、膳を引て酒肴をもち出す。
 女『サア一つ上りませ。』
 彌次『ドレ/\。』一口のんでお竹にさし。
 お竹『コレヤハア私にかへ。』と呑むまねして北八へさし、北八呑んでつめへさし、
 おつめ『私等呑ましねい、ヤレサア此衆|強《むり》につぎやる事よ。』
 女『お竹さんお前方最うお寢みなさいませ。』
(176) 竹『ホンニ私は次の間へ寢やせう。』
 彌次『ナニサ一所に此へ。』
 十『是は迷惑な。』
 女『サアお前方も着替て來なさいまし。』と夜着をはこび皆《みん》な布團の上に上《のぼ》ると、二枚折の屏風をもつて中をしきる、この内彌次郎のあい方きたりて、
 竹『もう寢さつしやりましたかひ、寒い晩だアもし。』
 彌次『モツト此所へ寄なせい、何も遠慮はねへから少《ちつ》と話でもしなせへ。』
 竹『私等が樣な者はお江戸の衆にはこつ耻かしく何も語るべいこたアござないもし。』
 彌次『耻かしいも氣が強い、お前もう幾才《いくつ》だ。』
(177) 竹『私《わし》やいアお月樣の年だよ。』
 彌次『ムヽ十三、七つで廿歳《ハタチ》といふ事か、大分お洒落だの。』
 竹『ホヽヽ私等此間追分から來て此所の客衆は何《そう》したらよかんべいか、お江戸の衆には氣が詰つてなりましない。帶びも解《とけ》な、而《そ》して此の足さア妾《わし》が上へ乘つけなさろ。』
 彌次『オイ/\斯《かう》か/\。』
 竹『ヤレモツト上へつん出なさろ。』
 彌次『オツト承知/\。』この時北八のあひ方おつめも來《きた》りて色々あれども定《きま》り文句故省く。
 早其|夜《よ》も更けゆくまゝに、助郷馬の鈴の音《ね》も斷へ、はては脊戸に鳴く犬の遠吠、ししとを追ふ鳴子の音《おと》迄吹送る夜嵐の身にしむ計り燈火の、油もつきて何時の間にかは、眞暗。この時|彼《かれ》の床《とこ》の間に置きし泥亀《すつぽん》のそり(178)/\とはい出して北八が夜着の中へ這込と、北八びつくり目を覺し、頭を上《のぼ》ると泥龜うろたへて胸の當りへかけ上《あが》る。北八キヤツと言つて引つかみて投出すと、彌次郎が顔へばつたり彌次郎指先を食ひつかれてビツクリ、
 彌次『アタタヽヽヽ』
 お竹「ヤレうつ魂消た、何うしたい。』
 彌次『灯を點して呉れろ、アイタタタ。』
 お竹『何としたい。』と、騷ぐ程に、襖はづれて後にばつたり手をパチ/\。
 北『眞暗でねつから分らねへ。』
 彌次『早く/\アタヽヽ』此ひまに十吉彌次郎が布團の下に入て置きし、道中の路金を盗み、兼て。作りおきし石ころを紙に包みたるを取替(179)元の布團の下へ入て置く、さてこの十吉は道中のごまの輩《はい》なり。彌次郎が金のあるを見て途中より付け來り、こゝに盗みしものなり。この内|女房《にようばう》あかりを付てみれば、彌次郎の指に泥龜が食ひついて振つても離れぬに、
 女房『何して此所に泥龜が來たや。』
 北『アハハア、晝間の泥龜がつとの中から出たのだ、此《この》奴スポンと拔けそうな物だ。』
 彌次『エヽ洒落所じやねへ、アレ血が出る痛い/\。』
 竹『ソリヤ指を水の中へ入れめさると、じきに離してつん逃げ申すは。』
 女房『ホンニそうなさいまし。』と雨戸を明る。彌次郎手水ばちの中へ手を入る、泥龜は離れて泳ぐ、
 彌次『ヤレ/\/\飛だ目に遇つた。』
(180) 北『イヤ早、奇妙希代言語同斷なことで有たハヽヽ』と其處等を取片付け夜明に間があればとて又も枕を取りてまどろみけるに、中に北八おかしく、
    よねたちとねたも側には泥龜も辱かしいやら指を喰《くわ》へた。
 彌次も痛さを堪へて、
    すつぽんに喰へられたる苦しさにこちや石龜の地だんだをふむ。
 
     多情好色の女
       ――かかる女を戀人に持つなかれ。――
       ――そは愛を他に移す故なればなり――
     一、瞳が何となく浮いて光澤をもつ女あり。
     一、眼の下が口へかけてこけてゐる女あり。
(181)     一、瞳の下の水瞳の強い女あり。
     一、眼の周圍の牡丹色の樣なも色澤《いろつや》の女あり。
     一、顔の白粉の粉の吹いてる樣な女あり。
     一、肉のだぶついた肉感的の女あり。
     一、皮膚が滑らかで光澤のある女あり。
     一、顔にソバカスのある女あり。
     一、眼尻及び眉毛の下つた女あり。
     一、話をせぬ前から笑ふ女あり。
     一、手や顔をふり/\話をする女あり。
     一、光顔《ひかりがほ》の女あり。
     一、口唇《くちびる》の自づから動く女あり。
     一、眼の周圍に筋の多い女あり。
(182)     一、色の黒ずんだ女あり。
     一、眼に白味の多い女あり。
     一、外輪《しちわ》に歩く女あり。
     一、頭を下げて横眼を使ふ女あり。
     一、横眼及び見ぬ振りをしてみる女あり。
     一、獨言を言ふ女あり。
     一、出尻胸高の女あり。
     一、肩のこけた尻の小さな女あり。
     一、口の周圍に肉のある女あり。
     一、言葉の中に途切れの多い女あり。
     一、前額の中心に出た女あり。
     一、生白い齒の女あり。
(183)     一、口唇の青い女あり。
     一、口唇の赤くなく薄い女あり。
     一、歩き乍ら身體を振る女あり。
     一、馬の啼くやうな笑ひ聲の女あり。
     一、頭の大きな頭髪の少ない女あり。
     一、太腿に肉のない女あり。
     一、腰が出てゐる女あり。
     一、浮はついた話うぃする女あり。
     一、出尻で顎の小さな女あり。
     一、雀の歩くやうな歩き方をする女あり。
     一、人を見て顔を掩ふ女あり。
     一、柳腰の女あり。
(184)     一、耳の肉の薄い女あり。
     一、他人の蔭で首を縮めて舌を出す女あり。
     一、爪を噛む癖の女あり。
     一、顔の割合に眼の丸い女あり。
     一、頭を先きに出して歩く女あり。
     一、よく振り返へる癖のある女あり。
     一、一言葉毎に腰を伸ばす女あり。
     一、座つてゐて種々に腰を變へる女あり。
     一、色あくまで白くして、而も頭髪の濃く多量の女あり。
     一、唇をなめる癖の女あり。
     一、前額の廣くて生へぎはの濃い女あり。
     一、身長《みのたけ》の割に首の短い女あり。
(185)     一、鼻の胡座をかいてゐる女あり。
     一、眉毛の両端《りやうはし》に皺を寄せる女あり。
     一、指の比較的短かい女あり。
     一、富士額の女あり、
     一、直立して身《かただ》の片寄る女あり。
     一、縮れ毛の女あり。
     一、寢言を言つて泣く女あり。
     一、鼻毛の生える女あり。
     一、乳の大きなる女あり。
     一、出齒の女あり。
     一、赤毛の女あり。
 但し以上の如く列記したれど、戀人として温良閑雅な女あり、妻とし(186)て良妻賢母たるあり。右は大略《あらまし》を記したるに止る。周章狼狽して、その戀人と絶ち、愛妻と別るべからず。
 
     結婚當夜のキツスの音
        これは女學生同志が集まつての話しの一節である。その内の一人が姉の結婚當夜を語り出したまゝを。
 
 ぶつ! と、突然話手の少女が噴き出した。
 一同の眼が彼女の顔に集まる。中には、最前から焦りて/\仕方のない女學生が、チエツ!といま/\しそうに舌打ちする者も有つた。
 ――だつて、婚禮の場なんて、新派のお芝居見たいのね?
 ――いいわよ。そんなこと……。
(187) ――早くつてば!
 ――あなた案外勇敢でないのね。妾《わたし》なんかだつたら……。
 ――然う! こんな場合はジヤンヌダルクのやうに勇敢でなければいけない、わよ!
 ――ヒヤ/\!
 いや早や、その姦《かしま》しい事/\。女三人寄れば姦しいといふが、これは人數《にんず》にしてもその倍。しかも初めて胸のときめきを覺え出した頃。見る物聞く物。一つとして神秘たらざる無く、好奇心の湧かぬものとてないまして彼女等の足許には、樂しいやうな恐ろしいやうな、性の深淵が、魔の淵のやうに横はたつて居る。况んや、話題がお姉樣の結婚といふ頗る無類のエロテツク。鼻の下に銀色の生毛《せいまう》がビロードのやう。高鳴る心臓のどよめきを豐かな手で、ソツト押へた者もある。ゴクリ、と唾を呑み(188)込んで、さて婚禮といふ桃色にぼかされたイリユージヨンは、彼女達の魂をあらぬ方角に引き摺つて行く。
 ――さつきあたし、お荷物が山へ登つて來ると云つたでせう。一寸變じやなくて? それはかうなの。先のお家《うち》が湖の上の村なの。そしも私の家は其處から六里も離れた町なのでせう。だものだから、その湖畔にある小さいホテルまで行つちやつたのよ。何だ彼だの、そりや大變な騷ぎなのよ。……そして、お晝頃實家を出たお姉樣たちの俥は、澤山の荷物を先登にしてワツサ/\とお祭りのやうな行列。
 ――まあ!
 ――それでホテルへ一先づ落ち着いて、其處ですつかり着附からお化粧迄直すんだわ。
 ――大變ねえ!
(189) ――えゝ。でもね、昔は、もつと/\大變だつたのよ。あの邊としては隨分思ひ切つた新時代だゝつて東京の親類の人達も言つてたわ。それに、ハズがアメリカの學校を出た人でせう。だからまるで舊い式を無視してそれ丈よ。お父さんやお母さん達の舊思想が半分とハズの新思想が半分とゝなのよ。フヽ! これは附けたり。
 ――分つたわ/\。ぢや早くね。
 ――いよ/\本論!
 と、話手の女學生が言つた時、一同の手は、期せずして、バチ/\と歡びに打たれた。
 ――舊式のお家《いへ》なんだけれど、新郎の趣味で、お座敷の裝飾は思ひ切つて清新な、明るいフランス式なのよ。そして、崇重を感じさせるのは十二世紀式の宗教畫がクリーム色の壁に、黒いリボンで裝飾されて掲げ(190)られて居た。それが明るいお部屋の中の空氣をグツト引き締めて居るのだわ。けれども、實際の式は純日本風だつたわ。新郎新婦が向ひ合つて座ると、新郎の方の側には親族の人達が、そしてお姉《あね》樣の側には、親族の人に並んで仲人《ちうにん》夫婦が、チヤンとして座つてるのよ。小さい男の子と女の子とが、赤いお盃をを新郎に捧げて、新婦に捧げて、それを一同の人々に仲人から廻はすのよ。それが濟むと、親族のお爺さんが、ホラ……高砂やあ、を唄つた心。……アラわたしこん事忘れちやつたわ。
 ――?
 ――だつて、それやグド/\しいのよ。同じことを何遍も/\も繰り返すんですもの。だから了ひの半分なんか覺えてないわ。
 ――床直しつてあるの?
 ――するわよ。こゝでお姉《ねえ》樣お衣裳をお更えに成つたわ。そして、初(191)めてお頭巾を取るのよ。そして、新郎と顔見合はせて、
 ――ニツコリなさつた?
 ――ホヽヽヽ! いやな方。
 ――でも、嬉し相な表情じやなくて?
 ――知らないわ。そんなデリケートな事。
 ――それから?
 ――それから、は、新郎新婦は他のお部屋、ハレム(寢室)へ引き取るんだわ。そしてお座敷はお客さんが何時までも殘つて騷いでゐるんだわ。然う/\、お姉樣がお引き取りになるとき、仲人の奥さんと伯母さんとが一緒だつたわ。
 ――えゝ?
と、持ちに待つた場面に到着しかかつた時、きき手の一人が思はず息(192)をはずませて奇聲を發したので、一同ドツと吹き出す。
 ――ハレムは、どんなお部屋?
 ――ステキよ。此處はなんて落ち着いた裝置でせう。あたしこのお部屋を外から一眼見てスツカリお姉さまが羨やましくなつたわ。だつて、幾らアメリカの學校を出た人だからと云つて、こんなに藝術的教養のある男子なんて少ないわ。
 ――あなた、ハレムなんて神聖な結婚につかつちや失禮ぢやなくつて
 ――何故?
 ――だつて、ハレムていふのは、娼婦のあれぢやなくつて。
 話し手は、つと口を噤んだ。實は、彼女とても、ハレムの本當の語義を知つて使つたのではない。オリエンタル、が馬鹿に詩的に響くところから好きであるやうに、ハレムを好んだのに過ぎない。だから、かう追
(193)求されて見ると、胸が怪しくも戸迷ふのも無理はない。
 ――然うよ。このやうな淑女紳士の寢室に、ハレムなんて呼び方は冒涜だわ。
 と、中でも一番年長らしいのが决定權を高唱した。
 ――ハレムのローマンスていふフランスの小説をお讀みになつて? …………それやあワイよ。男が毎日/\變るんぢやないの、其處のヒロインはとても博愛主義。お客が何うすれば有頂天にして歸へす事が出來るか、なんて事を生活の全部にしてゐるのよ。
 ――まあ!
 ――だつて××さん。王宮《わうぐう》にも有るのでせう?
 ――えゝ、有ることは有るらしいわ。けれどそれだつてお妾さん見たいなものよ。だからあたしの次の時代にほんとうの自由戀愛時代が來て(194)も、ハレムのやうなものは全然必要ぢやないわ。
 ――然うね。ぢやあ××さん!
 と、話手の女學生に向ひ、
 ――前言取り消しをなさつちや何う? そして早やく先へ行きませうよ。
 ――それではハレムを取り消すわ。
 ――えゝそして夜《ナイト》の部屋《ルーム》になさいな。
 茲で、先づハレムの方はそのやうな譯で取消し、改めてローマンスはナイトルームの中で發展しやうとする。が、我親愛なる讀者諸君よ! 諸君は既、女學生の如何に愛すべきものであるかを御承知であらう。
これを見ても分る。彼女達の聞かうとし、彼女達の云はうとするローマンスが、新婚の部屋に於ける空想七分の性的描寫だといふのに、ハレム(195)なる語は神聖を涜すものだといふ理論に附會しなければ氣が濟まないのである。このやうな少女が將來のマダムと成る。當今無數の不良マダム又一日にして成らざる所以かなだ。
 ――窓に緑のカーテンが垂れてゐたわ。そして、お部屋の中は夢見るやうな淡紅色の配光。お部屋の眞ン中に敷き並べられた一組の夜具。純白の敷布に、上に掛つた夜具の燃えるやうな紅の艶かしさ。
 ――うーむ!
 ――あら!
 ――野次はお斷りします。それから!
 ――そのお部屋へ、床直しでお着附を直したお姉さまが先に、後からハズ、その後から小母さんが二人續いて這入つて行つたわ。すると、間の唐紙が音もなく閉ぢつちやつたわ。
(196) ――まあ詰んない!
 一同思はず失笑――が直ぐに怪しい眼付で睨む眞似。
 ――あたしこそ詰んなかつたわ。これでおめ/\と引き下つたのでは今までの苦心が水泡に歸するぢやないの。それで、どうしたと思つて?
 ――何うして?
 ――あたしちやんとこんなことが萬一あつた場合にはと、思つて、チヤンと第二の計劃を用意齋してゐたわ。
 ――偉い!
 ――だからちつともあわてなかつたの。ゆう/\と、次のお部屋へ取つて返へしました。ホヽヽ 笑つちやいやよ。そのやうな晩だから、それにお座敷ではまだ澤山のお客さまが騷いでゐらつしやるのでせう。男の人や女の人がウロ/\してるんですもの。あたしなんかに構つてる人(197)は一人だつてゐやしないわ。此處が絶好のチャンス!
 ――旨いわねえ。
 ――このチヤンス逸すべからずと、直に第二の計劃に移つたわ。ソツトお部屋をはずしたの。そしてあたし達に當がはれた部屋へ歸つて來たわ。このお部屋の一方は仲庭に面し、一方にドアがあり、ドアを開けるとサンルームがハレム、おつと御免なさい。ナイトルームの外にあるのよ。この家《うち》の中の建造は、スツカリお兄樣の趣好になつたものだから、こんな時には理想的なので。あたしの、計劃といふのはそのサンルームへ忍び込むことだつたの。
 ――あゝ然う!
 ――首尾よく忍び込めて?
 ――えゝ上々吉。ホホヽだつて隨分冒險だわね。とても今の私には出(198)來ない事よ。といふと、すかさず一人が、
 ――どうだか!
 と言つたので時ならぬ喊聲が擧がるのを、年長のが怖い顔して押し止《と》める。
 ――不安は不安だつたわ。それてもどうにか音も立てずに忍び込めたので、ソツト足音を忍ばして窓の方に近づいて行つたの。そしたら、まあ、お二人が立つたまゝでキスしてらつしやる。
 バチ/\/\、と猛烈な拍手と喊聲。それが一しきり靜まると、
 ――立つてらつしやるの。
 ――然うよ。お姉樣の顔、とても嬉しそうなのよ。眼をかう上へ向けて、半ば開いて夢見心地なの。そして、ハズの肩の上へグツ、
 ――あらいやだ!
(199) ――御免なさい! あたしツイ、失禮ね。かういふ風に手を置いてるのよ。
 ――まあ!
 ――そして二人共固くなつてるの。それから暫くして、靜かに離れたわ。お二人共お寢卷なの。お兄さまが何かおつしやつたやうだつたわ。すると、お姉さまが、ニツコリ笑つて、二人は顔を見合はして、又…。
 ――キツス?
 ――然う。とても猛烈なのよ。そして、今度はだけど早かつたわ。でも、そのままでつと、お床へおはいりになつたの時々、
 すつたのね。大分時間が經つて、×××××××××××然うかと思ふと、
 一同の中から、苦し相な 《うめ》き聲を發する者がある。(夜の東京より)
 
昭和三年十月二十一日 印刷
昭和三年十月廿五日 發行
                定價金七十錢
   東京市日本橋區薬研堀町五十二
 編輯兼發行者 湯淺修
   東京市神田區猿樂町二丁目一
 印刷者  村山鐘次郎
   東京市神田區小川町一番地
  發行所 株式会社 春江堂
〔2018年8月15日、午前10時35分、入力終了〕