　この再會はけだし奇遇とも名づくべきものであつた。吾人は必ずしも前代の文化に冷かなる國民では無いのであるが、今までは囘顧の機會すらも、滿足には與へられて居なかつた。世が改まつて明治の新世代に入つたとき、無意識に興隆民族の壯圖を代表して、能く東方美術の完成に精進した人々は、いづれも純然たる我大衆の天分ある一員に他ならぬのだが、その終生の辛苦を傾けたる製作に至つては、忽ちにして財あり力ある者の私藏に隱れ、僅に若干の古色を帶びて、久しうして出でて同胞と相見えたのである。藝術は固より國民省察の間に成長し生活すべきものであつて、かくの如く單なる懷舊の情味をもつて、忙はしく送迎すべきもので無いことは明かである。

　過去六十年の名作の中には、現に國民公有の至寶として、保存せられたもの少いとはいはぬ。たゞそれが社會の渇仰となり、感激の泉となつて永く流るゝためには、方法はいまだ盡されて居なかつたのである。明治大正の壯麗なる新藝術の背後にも、尚根を張り種子を飛散せしめた千年の大木があるのだが、吾人はいまだ來つてそのかげに息ふことを許されてをらぬ。その他各時代の名匠の遺品にして、因縁無くして今尚埋もれて居るものも、決して少々では無いと思ふ。これを考へると今囘の展觀は、寧ろ民衆に向つて滿たされざる希望の自覺を促したに過ぎなかつたかも知(6)れぬ。

　故に條件のあたかもこれに適合して、青年をかくの如き訓練所に送り得る家庭にあつて、この施設が終始大人望を博するは必然のことである。たゞ吾人は現在の拘束多き經濟組織のうちで、果してこれに滿足し歡迎する者が幾らあり、外に立つてうらやみ若くはねたむ者が幾らあらうかを案じたのである。今や過去一年間の成績が公表せられ、全數百六十萬人のがい當者のうち九十何萬までがこの特典に參與し、殊に農村においてその效果良であつたと聽いて、まだ／＼日本の産業中堅が、この種幸福なる選擇權を失はずに居たことを、慶賀しなければならぬと思ふのである。

　それと同時にこれが一國の政治研究者にとつて、測らざる一大新宿題であることも、また否むことを得ないのである。第一には日本の兵役制が、貧富職業をもつて差別を立てること無く、工場に夜働き、海に出でて久しく還らず、若くは親方の不定時の使役に服する者も、地主自作農の子と平等に待遇せられた原則が、一朝にして中止せられようとして居るのである。強制ある服役に代るべき教練ならば、教練もまた強制せられなければ、この結果は到底免れ難いことであるが、それは現在の事情において、陸軍自身といへどもこれを主張することを得ぬのである。

　特種兵科の教育にも可なりの大問題はあるらしいが、それは別として歩兵の一科について考へるも、あるいは入營期日を前後させ、あるいは歸休時期を二度以上にすることは、その數が半々である場合に、却て甚だ處理し難い難問のあることは想像せられる。殊に豫てより服務期間の一般的短縮の必要に逢着し、しかも今尚青年訓練の無限の普及(8)を樂觀して、假にこれを一石二鳥の妙策の如く考へて居た人があつたとしたら、この例外ともいふ能はざる程度に多數なる失格者を抱へこんで、今更如何にして有效なる軍事教育を與へんかに惱むことゝ思ふ。これ斷じて少數軍事官吏の問題ではないのである。

　故にこの第一年度の實績によつて、もし到底全國を青年訓練所化し得ぬことが明かになつたとしたら、政府はすべからく方針を一轉し、補習教育を義務化してこれと合體するなり、早期普通教育の中に軍訓の一部を委託するなり、もしくは不自由なる職業にある青年等のために特殊の方法を設けるなり、とにかくに缺くべからずとする準備を全體に與へ、さうして一般的に服務短縮を斷行すべきである。たとへ若干の過半數にもせよ、當然與ふべきものをもつて交換條件とし、便宜の地位にある者の人氣をもつて、他の少數を煙に卷かうとするが如きは故意に階級の反感を誘致するものであつて、少くとも國を思ふ者の政治ではない。

　日本の都市の特徴の一つは、累代の窮民といふものゝ至つて少いことである。現在不良住宅に我慢をしてゐる人々でも、多くは田舍に生れ、まだ明るい家、廣い家の記憶は持つて居る。それが境遇によつては九尺二間に女房子を入れて置いて、尚安氣に働いて行かうといふところに、この國民の美質もあり、また困つた點もあるのである。震災以後の假小屋生活が、東京では殊に住居の理想を低下したが、さうでなくとも町に來て暮す者の要求は、早くから驚くべき最少限度を示して居た。しかも家主ばかりはこれを奇貨として、勝手放題な仕向けをしたが、一般社會はまた法外に無關心であつて、恐らくは衛生その他の危險におびやかさるゝために、漸くこれ等自ら苦惱せざる人々に向つて、改良を説かうといふ氣になつたゞけである。

　無論彼等とても自分を幸福だと思ふまでの樂觀家ではあるまいが、少くともある程度に、在來の知足安分の哲學に(10)は囚はれて居る。それを外部からの力によつて、まづその小さなあきらめ〔四字傍点〕を打破し、人工をもつて新たなる不滿不足の感を植つけるといふことは、今日の資本家時代にあつては人望ある政策ではなかつたらうと思ふ。然し救貧の行政にしてもし根底をこれに置かず、單に都いふの美觀とか防疫手段の完成とかいふ如き、共住者の便宜安全のみを標準として設計するならば、結局は驅逐と隱ぺい以外に、一歩も出ることは六つかしいわけである。

　だから今囘の住宅改良事業なるものが、假に新たな厄介なる問題の提起であつて、何等の解決では無かつたとしても、少しでも恐縮しなければならぬ理由は無い。社會が一體としてつとに攻究して置かなければならなかつた最少生活費の問題、即ち人は大凡如何なる程度までの、惡い生活を辛抱しなければならぬかといふことが、始めてこれによつて公に考へられるやうになつたのは進歩である。日本一般の家計豫算が、この點に關してすこぶる賢明を缺いて居たことを、假令徐々にもせよ當事者等に自覺せしめ得とすれば、彼等の新たなる不滿足にもまた十分の意義があるのである。

　同潤會一流の社會事業には、成程心細い能力の制限があつた。それをまだるしとして中央地方の行政廳が、自ら手を下すとしてもその活動は知れたものだ。法令の區域は六大都市を主とし、その中においても年々の補助金や低利貸をもつて、改良の實施を期し得るは十の一にも足らぬ。國内大小のいふ落を威壓する貧窮の大勢に比べては、全く燒石に水ともいふべき間に合せである。從つて單に忠實にこの法令を適用し監督するをもつて、得々とすることは到底出來ぬが、少くともこれ等小規模なる改良を手段にして、幸ひにして世間と當事者との雙方に、新しい時代の住宅の標準を示し、これだけの家にすら住み得ない者は、自ら堂々とその不幸を主張することを得せしめたとしたら、永代の文化に對する彼等の功績は、決して小さいものでは無いと思ふ。出來るだけ住心地よき改良住宅を作つて、それを利用し得ない者をうらやませるのも、確にまた有意義なる社會事業である。

　以前には内閣が分不相應の難問題に遭遇した場合に、暫く口達者なる一種の志士を會同せしめて、勝手な雄辯を闘はせて置くと、門外に押寄せたる解決要求者たちが、素直に延期を承知してくれた時代もあつた。それさへも結局は事態をいよ／＼複雜な、始末の惡いものにするに過ぎなかつたことは、小作制度調査會などの最近の實驗であつて、無策の窮策としてもう通用がし兼ねるのである。いはんや算盤の音をもつて、借銀の言譯に供せんとするが如き態度は、反感以上の效果を收める見込は有り得ない。五ヶ年後に漸く物になるやうなこの政府の名案を、當にしてゐる者が一人でも無い限り、そんな餘計なことはいはぬ方が利益である。

　統計は昔から政府獨占の便利な武器であつたが、現在の問題にはこれによつて始めて左右を決し得るやうな細かな論點はほとんと無かつたと同時に、不完全な數字のために國論を累はされ、無意味の樂觀をもつて大切な機會を空過した事例は悲しむべく多いのである。日本の生産統計が至つて不精確なる報告の集積であつて、これに基いて大勢を判ずることは、あたかも腰だめの鐡砲の如きものなることは、親しくその事務に携はつた者の、一樣に認むるところであるに拘らず、過去數十年の間政府は平然としてこれを公認し、寧ろその中からいはゆる説明の材料をねん出し得(12)る者を能吏とした。

　けだし統計の病は、慢性にして發見の困難なものであつた。外見如何にも精確の如くにして、欺かれてこれを信ずる者を生じ易いのが、何よりも警戒すべき症?であつた。殊にいはゆる中央文化の光に打たれて、絶計の大數字に醉つてしまふやうな人心が、もつとも病弊を蔓延せしめたのである。久しくこの符號の如き國富の計算法のみに滿足して、いまだ曾てそれが如何なる傾向を取つて分配せられ、消費せられつゝあるかを顧みなかつた事實は、終に近年の如き食物市價の亂調を來し、もしくは連續的輸出不足の惨?を招いたのであつたが、政府には更に國民をしてその眞因を考慮せしめるだけの用意といふものがなく、問題の甚だしく急迫を告ぐるにおよんで、始めて小田原評定の心細さを感ずるに至つたのである。故に今囘の如き機會に際して、若干の忍苦をもつて根本的改良を企つることは、時期の不當に遲かつたといふ以外に、非難すべき理由はないのである。

　たゞ吾人の竊かに憂ひとするのは、目下の政治に向つて若干の勢力ある一部階級の人々に、統計は忽ちにして彼等の救濟たるべしといふが如き希望を抱かしめ、依然として成心をもつてこの事務に臨み、何等か各自の主張に好都合なる材料の收集を、企畫するかの如く豫期せしめることである。全國二十四萬人の調査員、三萬人の檢査官とかいふものが、果して何事を意味するかは解し難いが、もしかういふ仕事までが田中内閣の政策の一つであつて、徒らに鳴り物入の一芝居を打つに止まるやうなら、國の統計病は當分は全治の見込も立たぬであらう。經濟統計の今日の如き不完全は、正直のところ國民の大きな恥である。必ずしも萬國會議の約諾を重んずるがために、始めて大規模の革新を要するのでは無い。たゞこれに對する吾人の覺悟は、今の當路者の聲明を超過して、公正なる判斷の資料として、在來の便宜間に合せ主義を排除するだけのものでなければならぬ。現在民間の政論の空疎を極めて居るのは、實はこ(13)の覺悟の足らぬためであつた。實着なる普選政治の出現に向つて、何よりも重要なる準備は、精確にしてかつ周到なる統計である。これを完成するためには如何なる政府でも援助する必要があるのである。

　海上半月の變化多き御生活を經驗遊ばされて、今や還幸の殊に御さわやかなる英姿を拜し奉ることは、吾人の感激に堪へざるところである。この天下のもつとも公けなる御旅行に向つて、一人として曾て十二分の成功を危む者の無かつたことは、かの「台風が御航路を避けた」といふ世説に由るも明かであるが、しかも萬民のため、はた御學問のためとはいひながら、八月炎南の勞苦を意としたまはず、親しく臣下の至つて微々たる者と、朝夕の行動を同じくしたまふことを拜察して、逸如たることを得ざる者は多かつたのである。切に希はくは暫く國務の聖安を累はすものなくして、玉體の益々雄健ならんことを。

　謹んでおもふにわが陛下の御治世になつて、庶民の新たなる希望は開かれ、國運の進路には更に幾つかの可能性が加へられたが、特に前代を空しうした歴史上の事跡としては、今囘の盛擧をもつてその第一次のものとせねばならぬ。南方洋上の小さき島々は、固より天然が認めたる我皇の領土ではあるが、不幸にして歴世の巡狩にもれ、數千年の久しきにわたつて、史書の風物を録するものさへまれであつた。然るに始めて昭和の新しい御代におよんで特にそのもつとも知られざる二つの群島に向つて、君の大御船は進んだのである。單に理論においてこの土この民を知ろしめすのみならず、身親しく彼等の生活の、如何に中央平原の通例とするところと、異なり遠ざかつて居るかといふことを見そなはせられたのである。孤島の生存は誠に平易でなかつた。智愚は交錯し權勢は偏在して、その下積みとなつて黙して働く者は、ほとんと世にうんで疲れ倒れんとして居たのであつた。しかも一たび貴き御足跡の島の土に印せら(15)れたるを拜するや、忽然として精氣は囘復し、生活の興味は蘇へり、人世尚住むに足るといふ感は、ひし／＼と彼等が素ぼくなる胸を打つたのである。しかうしてその無形の德澤の流傳するところ、聖明も尚いまだその如何に廣くかつ大なるかを知ろしめさぬであらう。

　海事國防の方面において、今囘の行幸が強大の好刺激であつたことも疑ひは無いが、これは專門の士を煩はして解説をこふの他はあるまい。それよりも更に一段と重要視すべきものは、國の學問に對する貴重な感化である。畏れ多いことではあるが、陛下御研究の方法はいづれの場合にも實證的であつて、すこぶる我國近年の學風の外國の論著を祖述援引するものと異つてゐる。日本の國土のいはゆる特殊事情が、白人の曾て豫想し得たものゝ外であるべきことは、一たび世界の地圖を開いて見た者の、心つかざるを得ない點である。生物界の現象を始めとし、これと至大の交渉ある水土氣界の變化には、國の學者にして始めて心を潜めて考察し得べきものが多々である。社會事相の殊に顯著なる特色は、島と島との交通の全く陸續きの地と同じからざるに基いてゐる。これをしも尚机上に講説せんとすれば、(16)學問は決して人生の伴ではないのである。この改革は趣味の差といふが如き小な口實をもつて拒むべきものでは無いのだが、しかも天子が自らその範を垂れ示したまふことによつて、必ず卒然として永年の姑息を轉囘するに足ると思ふ。もし果して然りとすれば、列聖好學の大御心はこゝに昭和に至つてまた空前の成果を收めさせられたことになるのである。

　農商二省の分立に先だつて、國家としてこの問題を論究し、迷はざる解決をして置かねばならぬ必要は迫つて居たのである。然るにいはゆる三業四業の各部面には無論眞黒なる玄人はあつたけれども、彼等には各自自分の利益があつて、これを中央の聯合體において、程よく調和せしめる望みは無かつたのである。この點は折角新規に設けさせた蠶絲局も同じことであり、無理に親方顔をする農林省といへども、實は黙つて別々の苦情を聽くことゝ、いふなり放題に金をだして遣ること以外に、これぞといふ統括力は持つて居なかつたのである。泰平無事の好景氣時代ならば、自然の共存共榮も出來たであらうが、尚その裏面には要望の必ずしも兩立すべからざるものがあつた。いはんや現在(17)の困難事情はやゝ深酷である。財界のこれに應ずる能力は甚だしく制限せられて居る。從つてまづ濟はれんとする者が他人の苦痛のために、考慮する餘裕の乏しいのを責めることは出來ぬ。この際局外の國民たるものゝ、單に公平なる第三者として、その批判を求められてゐるのみで無い。最近の銀行破綻事件でも痛切に經驗した通り、少くとも將來に向つては、豫め問題の大樣を知り、機會ある毎にその傾向に注意して、とゞの詰まりの損失ばかりを、背負はされるといふ大危險に備ふべきであつた。

　けだし絲價安定といふ標語は、奇妙にも相場暴落の足取のやゝ意外であつた場合にのみ人望があるが、假に輸出商と工場主との利害に、寧ろ若干の亂高下を歡迎すべき事情があつたりとしても、その原料生産者の立場から考へて曾て一度なりともその必要を見なかつた場合は無いはずである。地價であれ生計費であれ、租税であれ、他の一切の要件はこと／”＼くくぎ付同然なる農村において、ひとり養蠶業の收入許りが、何等の豫算無く先方の成行次第で、差支なしといふ理由はあり得なかつた。農民は本來その樣な冒險家では無い。實際のところはいはず語らずの間に、例へば今囘の如き大不況の到來した折には、多分は座視してをらぬ政府といふものがついて居ることを、一種の保障と考へる習慣が生じて居たのである。米においても消費者の反抗年を逐うて強く現れ、行々期待は裏切られるかも知らぬが、今はやはりその?勢が尚認められる。いはゆる蠶絲業組合のう〔傍点〕合の衆も、この目的に向つては有效に役立つた。補助の分配にも不公平はあつたらうが、いづれ外から取つて來たものだから辛抱がし易かつた。これだけは仲よく心を一つにして、今までは自分たちの國庫を責めはたいてゐたのである。新しい農林大臣ならずとも、日本の農業保險制度がこんな不完全な、かつ無責任なものと知つて、一驚せざる者は無いわけであつた。

　しかし考へて見れば容易に分ることだが、これが百や二百の銀行業製絲工場ならば、人の財布を當てにしてうまい事をしたともいひ得るか知らぬが、今日の養蠶家の如く全國に行渡り、かつ國の産業の根幹をなすものにおいては、補助をもらふといふことは自ら養ふことに他ならぬ。結局は自分と友人との税が重くなり、生計が苦しくなつて不安(18)が加はることを意味する。いはゞ無算當なる企業の損亡を少しく複雜なる形體に變化させて、自ら慰むるに過ぎなかつたのである。いつまでその樣な迂遠なる尻ぬぐひをして、無用に政治屋どもに恩を着ねばならぬのであらうか。

　日本の養蠶と桑栽培とが、非常に農村らしからぬ投機的産業であるといふことは、多くの人の力説するところであつたが、結果から見れば少くとも事實に反する。現在府縣の多數小農の如きは、到底外援無しに損失を持續し得る力は無かつたので、問題はたゞ如何に久しく、彼等をして他の同情と保護に依頼することを常態と考へしめることが、國家健全の成長のために必要であるかに存する。日本の農業は現?維持をもつて滿足すべき樣な、快活なる?態にはをらぬのである。たゞしそんな理論はもちろん眼前の急に應ずるには足らぬ。故に一貫目三圓といふが如き悲惨なる繭相場に、泣き寢いらしめない計畫は立てねばならぬが、またしても製絲業者の代表に一任して、一時を切拔けしむるが如き姑息策はいけない。根本の生産費を基礎とした條理ある協調以外に、立場を異にした三業者をして共存共榮せしむる途は絶對に無いのである。

　人はこの複雜極まる新時代の經濟關係において、尚各自の生活苦の廓大をもつて、今日の不景氣の實相なるが如く、即斷する傾きを持つて居る。不景氣はそれ程にも空ばくたる不安であり、また取留めの無い經濟知識でもあつた。通例の場合に隣人の多くが憂悲して、我ひとり太平を鼓腹するやうなことが無いといふのみで、中には辭令もあれば、また取越し苦勞もあり得る。人を欺いて利得せんとする者が、窮して更にその暴を振ふ際などは、却て竊かに落し穴を設けて、相手の今一段の低處に陷らんことを期して居るかも知れぬのである。少くとも多種多樣の生計の間には、利害の到底相容れざる例が、幾らとも無く出來て居るのである。これを通覽して幸福の一般的標準を立てることすら容易の業でない。いはんや單一の方策によつて、この區々にしてしかも急迫せる要求に應ぜしめんとするが如きは、遙により賢明なる政治家に對しても、尚これを期待する事が無理である。さればこそ既に年久しき失望の連續があつた。夢を食物として活きて居た者も、もう覺めなければならぬ時節が到來したのである。

(20)　あるいは出來る限り安全なる行詰まりの、一旦は早く出現した方がよいのかも知れぬ。歴代の當路者のたつた一つの能事は、預金部の蓄積を我物の如く處理して、これを目前の穴ふさぎに充てることであつた。その無謀なる利用法なるものは、早くも數億の損失を國民に與へて居るのである。善良なる管理者の責任は盡されなかつた。その上へ、更に低利貸と稱する人氣取案が、別に吾人をして租税の中から、利子までも手傳はしめるのである。この恩惠が一樣に小民の末にまで及び得たとしても、まだ非議すべき餘地は十分にある。しかも目に見えて確に少數の失敗者の尻ぬぐひとなり、それも多くは永遠の效果を確保し得ないものであつた。

　いはゆる地方還元の政策の如きは、何分にも心もとない經濟論であつた。地方には營々として子孫の未來のために、忍苦して衣食の資を節する者と、寧ろ彼等の不用意の支出に頼つて、自己の繁榮を目ろむ者とが、軒を連らねて共に住むのである。今もし甲から預かつた大切な虎の子が、出でて乙の便宜に供せられるとしたら、還元どころか内通のもつとも有害なものである。しかもこの誤つたる論法が、一切の偏ぱ恩惠の場合に適用せられ、至つて善良にして眼界の廣からざる者は、しば／＼張三が酒を飲んで李四が醉ふかの如く教へられて居た。果して説く者自らもしかく信ずるならば、この誤りは速かにこれをたゞさねばならぬ。世には各人の生産能力、もしくはその平常收入と一致せざる浪費を勸めても、尚その結果を目して好景氣といはねばならぬ職業がある。都會はおろか田舍の隅々にまで、既にそれが蔓延して居るのである。もし政府者の漫然たる放資が、結局展轉して彼等の滿足をも得るものだつたとしたら、不景氣救治策の效果は果してどこにあるだらうか。

(21)　心ある農民はまづ自問自答を試みなければならぬ。一體全體如何なる年、如何なる經済界の景氣の下に、彼等はその大切なる本色を發揮して、人にすがらざる自由人となり得るのであるか。若しまたどうしても助けられるの他に生存し得る途無しとしたら、その常久貧困の過失は何人にあるか。要するに彼等の生計に病があつて、その病は都市から傳染したものでは無かつたか。中央文化の偏重に惱む者が、地方に中央文化式を移さうとするのは解決では無い。それよりもまづ流行の拘束に反抗して、いつまでも購買力の消長をもつて地方の景氣を測定せられるやうなろう〔二字傍点〕態から脱するに限る。病の治療は恐らくはその上の話である。

　これを端的に國の平和の姿と感ずることは、固より詩人にあらざる者の能くするところでは無いが、兎に角に曾て赤土の強く人の眼を射たものが、今は改まつて成育と繁茂の相を示すのみならず、泉はこれに由つて更に清く、魚鳥(22)はおの／＼その生處を得たのである。民に未來を重んずる念慮のある限り、この壯大なる緑のかい調の中から、何か新たなる希望の象徴を、見出さうとするのも自然である。殊に本年は御代始の神聖なる式典が、國を擧げていよ／＼その準備に着手せられ、尚これと相前後して永く昭代を記念すべく、初度の普通選擧が行はれんとして居るのである。いはゆる内つ國青垣山の遠き世の物語は、既に民族の胸に蘇つて居る。もし何等かの方法があるならば、一たびは夢を現實に復して、眺めたい者も多いであらう。都府を主とした外國の文化において、種々なる記念の工作物が出來たのも、大抵は同じ樣な心理からであるが、それが日本の如き天然の殊寵ある島國では、更に今一段と安らかな、かつ一般的なる國土莊嚴に、絶好の機會を供することになるのである。

　故に最近公表せられた政府大規模の林業奬勵案なども、もし空なる標榜で無かつたとしたら、この人心の機微を捕へ得たものとして、賞賛せられてもよいものであるが、惜しいかな法外に抱負が小さい。その上に見當もはづれて居る。憲法上の責任論は別として、從來久しく篤實なる愛國者たちに、一種説明すべからざる不滿の感を抱かしめたことは、いはゆる善政を以て先づ黨派の力に歸し、これに次いでは權勢の表裏に居る者の、好意とか智慮とかに感謝せしめんと力めるばかりで、いまだ曾て惠澤の由つて來たるところに、思ひ及ばしめんとせざる點である。金を補助して産業の便宜を講ずるが如き、何等の經營無く、また危險もなき通常の政治まで、我は顔に自身その全部の功に居り、却つて元首の御爲には至つて單純な、日常の御行動の中からのみ、御仁慈の例を擧げ説かうとしたのは、誠に畏れ多き慣習であつた。かくの如き不親切なる弊習は、今囘の機會を待つまでも無く、とくに改めらるべきものであつた。殊に今日の如く上下一心の聖旨に基づいて、國を改良すべき必要の迫つてゐる場合に、もしその一轉期を區劃する爲の、林政刷新であつたとしたならば、何をさしおいてもその永世の效果を、天子の御德に歸せしめるだけの用意が無ければならなかつたのである。

　恐らくそれまでは考へることが出來なかつたのであらう。二十餘年前の植林助長においては、山は青くなつたが實(23)は山村は荒廢した。資本を持つ者ばかりが格段の便宜を得て、僅かな手切れ金を得て永久に薪の無い住民が出來た。町村部落が共有地を栽ゑた場合にも、算盤は始終將來の木材市價のためのみに彈かれ、世なれぬ山中の人に不完全なる商人知識を吹込まれた。前貸抵當訴訟等の順序を踏んで、奧山の過半は既に住民の有では無い。外見は平和に見える谷底の平地に、爭氣怨毒は黒雲の如くわき起つて居る。今さらその悲慘事をくり返す餘地は無いのだが、この事實が果して政府者には知られて居るかどうか。知つて居るとも思はれぬ理由には、あまりとしても今度の計畫が、二十何年前のものによく似過ぎて居る。

　實際杉、檜の長命に比べると、林業家の有爲轉變はあつけなかつた。一時の好景氣時代に大きな木は伐り盡して、新たに山を仕立てる融通のつかぬ者、馬鹿な評價で立木を質に取つて、債務者に冷笑せられて居る者、そんな連中が今では又うんと出來て居る。萬一にもそれが我黨内閣の古い客人であつて、結局今度の掛聲で急場をくつろがしめるのが、實は目論見の隱れた動機ならば、それもよからうとはいふことが出來ない。少なくとも千載一遇の今囘の機會だけは、かういふ邪念のために汚されたくないからである。國民は別に獨立して、美しい記念事業を完成したいからである。

　候補者が自己の適任を立證する手段方法は、實は甚だしく制限せられて居る。久しく土地の利益のために飛び囘つてくれた世話人を、禮心をもつて投票する時代も、既に過ぎた。萬人が均しく感謝するやうな仕事は最初から少く、顔役元締といふ類の在來の標的は、普通選擧の新世界にはすこぶるその光を失うて居るからである。多數の地方名士は今や選擧人の心をとらふべく、新たなる何物かを發見する必要に迫られて居る。恐らくは國の政治に關して彼等の去就を指導するだけの力は有つまい。要するに二個の未知數の間に、假に關係があつたとしても、それもまた未知數に相違ないのである。

　一つしか無い戰法をもつて、中央地方二通りの政爭に、兼用せしめんとしたのが無理であつた。それも近年の選擧演説の如く、公會にあつては相手方の惡評を專らとし、退いて座談と稱して少數のいはゆる有力者に、怪しげなる暗示を與ふるをもつて、秘傳と心得て居た間はよかつたが、今囘はもうその樣式が役に立たぬことを、何人よりも先に選擧の神々が心づかれたのである。そこで第二段には人氣取りと名づけて、すこぶる日本人の野次馬癖を惡用する樣(25)な方策が企てられる。それには幸ひにしてまだ成功した者もなく、假に今後において名案が浮び、例へば政府の米價釣上に由つて、全國民が歡呼するやうな奇跡が現れたとしても、これを理由として與黨の末輩を、地方議會に送らねばならぬと、考へる者は有り得ないのである。要するに中央政治力の過信と崇拜、殊にいはゆる藩閥時代の遺物たる、權勢ある個人の私曲偏執に頼つて、僅に活きんとするが如き念慮が、既に新たなる選擧制に由つて、片隅の方に押遣られた以上は、金や縁故や尻押ばかりが、幾らあつても競爭の武器にはならぬ道理である。

　府縣には必ず府縣各自の問題がある。それを討究し解決するのが地方議會の第一の目的なることは、三尺の童子でも知つて居るのである。しかも從來はその問題の發見までを候補者に要望し、候補者の多數はまたこれを黨の本部に相談して居た。實情に縁の遠い外聞の智惠者が、居ながら案出する樣な人心迎合策ならば、簡單で露骨で普へん的で、かつ少しく臭味のあるものに極まつて居る。それが利權豫約の禁條に觸れなかつたのは、いはゞ法文の不備であつた。そんなものがもし成功して更に第二次の勝利をも豫測せしむるに足りたとしたら、實は府縣會の機能が、不當の束縛を受けて居たことを意味するのである。

　選擧は一言でいへば政治家の試驗である。問題が無いならば假設してゞも與へなければならぬ。然るに現在は無いどころか、到るところに陳情と運動と、不滿と冷評とがうづを卷いて居る。それには手前勝手が角突合ひをして、到底總括した大問題を作りあげ得ないか知らぬが、更に一段と根本に横たはつて、直接多數者の利害を左右する生活要項が、今はこと／”＼く懸案となつてをるのである。その内でも耕作者の爭論とか教育設備の不足の如き、問題の各地に共通したものは、中央の政府も若干の努力をもつて、これが解決に志してはをるのだが、何年經つても調査々々で、少しでも積極的な變化を見ぬばかりか、寧ろ論點を一二の大綱に限局して、却て政治を實際から、引離さうとするかの感さへある。地方の選擧が萬一にもこんな議論に追隨して、眼前の急務を忘れて居るやうならば、それは共同生活の死滅で無いまでも、たしかに危篤に近い重患だといはねばならぬ。

(26)　故に新たなる公論の喚起は、正しく地方政治の復活を意味して居る。幸ひにしてその兆候は最近漸く著るしく、國の政治家が堂々として空論のもつとも實現し難いものを唱へ、いはゆる氣休めによつて一時を切拔けんとするに反し、別に痛切なる實地の問題の、從來曾て顧みられなかつたものを掲げて、これに答ふる能はざる凡ようが、輕々しく名乘を揚げることを防がうとして居る。全國町村長會の本年の會合が、教育に關して決議したる數項目なども、それが單なる要求であり提議であつて、何等の解決手段を示さなかつたにしても、尚この意味において大なる警せいと見ることが出來る。財政經濟その他各方面の老巧なる實驗家が、引續いてこの愉快なる先例を學ぶならば、今囘の總選擧の歴史的價値は、ひとりその外形方法のみに止まらぬことになると信ずる。

　初度の普通選擧の永き記念のために、吾人のもつとも希望する一事は、棄權者歩合の出來るだけ少からんことであるが、この點に向つては樂しみはまだ豐かで無い。第一に投票を唯一の手段として、國の前途を開いてゆかうといふには、無數の小さい者の同心協力を要するのであるが、その練習をして居る時間が無かつた。いはんや一つに固まつても尚弱い者が、分裂して互に惡罵を交換し、人をして中心のいづれにあるかを知るに苦しましめて居たのである。第二にはいはゆる公民教育の、盗人を見てなはをなふものすら、實はある一派の機關以上に、公平かつ親切なることを得なかつたのである。獨り合點に近い術語の排列は、新たに大衆の心意をとらへんとする若い政派の方において、寧ろやゝ甚だしいものがあつた。即ち自由なる新選擧人の群をして、迷ひ動搖しかつ煩累に堪へずして問題を放てきせしむるやうに、わざと仕組んだかと思はれるまで、拙劣なる宣傳を試みてゐた。

　けだし舊式各政黨の病弊指摘などは、確に一つの戰術でありまた論法でもあらう。また一種の妨害候補者を立てゝ、情實政治家どもを動?せしめることも痛快といへばいへる。たゞ如何せんそれは單に多くの新國民を幻滅に導き、さうで無くとも政治を馬鹿げたる遊戯と感ずる類の、小さな皮肉屋の數を増加するに止まり、少しでも新政黨の強味と(28)はならぬのみか、惡くすると諸氏が曾て斷念したる議會否認の傾向を助けぬとも限らぬのである。そのきざしは久しい以前から、老先輩の不注意によつて、既にある地方には現れて居るのである。今更新鋭なる運動力をもつて、そんな消極的傾向を推進してもらふ必要は無いのである。

　地方の實?においては、無産大衆の過半は今尚何物かに捕はれて居る。それが無明の因習である場合もあれば、また中味の不確なる新標語である場合もあつた。今までは彼等を尚一段の混迷に陷れなければ、これを利用する途が無いと斷定して、さうしようとした人が多かつたのであるが、如何なる犧牲を拂つても、新たに起つた政黨のみは、その故智を踏襲させたくない。即ち彼等を自由ならしむる第一歩としては、寧ろ積極的に政治にある興味を抱かしめて、徐々にその知能の自ら導くを期すべきであると思ふ。單なる無産政黨の參加は、選擧の勝敗とは無關係に、既に立派なる一個の衝動であつた。少くとも選擧が自身の選擇であることに、これによつて心づいた者は多いのである。選擧費の極度の缺乏の如きも、恐らくは内々の頭痛ではあらうが、それが寧ろ無手で競爭に臨むといふ可能性を實地に教育した手柄は大きいのである。

　穩健なる政治の題目は幾らもある。新黨の軍師が徐々にこれを論究して、古臭い破壞論と取換へようとして居る努力は、たしかに第三者の同情を買ふ所以である。それから進んでは、澤山の行がかりをもつ舊政黨の政策を、一つ一つについて批判するのも結構である。兎に角に一旦の勝敗には關りなく、遠く望み確に歩むの態度には、敵黨といへども敬重するであらう。豫て世人が當然の如く豫想した官憲の壓迫は、この調子ではあるいは問題とならずにしまふかも知れぬ。幸ひに果してさうあるならば、初陣としては明らかに一つの功名である。

　三ヶ月以前に公表せられたいはゆる自作農創定事業の目論見と比べると、今度の案は兎に角に大分具體化して居る。さてはいよ／＼實行の腹ありと、推斷したならば御注文通りであらうが、その注文は少しばかり無理である。既に先例國の先例によつて、學ぶ人ならば學んだであらう如く、社會がこの類の制度を非常に要求したのには、時代があり、また世態があつた。それを過ぎれば即ち後の祭である。さうして現在主として何人がこれを希望して居るかについては、疑惑の尚解き難きものがある上に、更にその方法と稱するものには、效果のもつとも危むべき大浪費を含んで居る。假に二種の總選撃を眼前に控へた今日ならずとも、これを眞面目に企畫せられたものと認めることは困難である。

　たゞし國民は幸ひにして、これに基いて二つの大切なる問題を考へさせられる。その一つは善政の定義である。こんな大雜ばな先の知れぬ案でも、いやしくも億とか千萬とかの金の音を聽くと、忽ち目がくらんで隨喜の涙を飜すまでに、我々の人氣は取り易いものであるのか。またあるいはさういふ風に、見縊られて居てよいものか否かである。第二には中部諸州に小作の騷ぎが始まつてから、もう引續き十年になり、その間には何度でも内閣は逃げ退いて居る。今頃まだ雨を降らせて水喧嘩をやめる式の、古臭い方策以上に人間の智惠の進まぬのを、彼等の責任に被けて置いて、(30)輿論で政治をきめる新しい時代に、入つてゆくことが出來るか否かである。もつと露骨にいへばこれほど重要なる社會問題に關して、何等世論の改良を見ること無く、歳月を空過した罪の大部分は、社會自體が負ふべきではなかつたかである。固より高論卓見の有無を問ふのでは無い。それを比較し考量し、一致せしめようとしなかつた無能力を難ずるのである。

　今囘の起案については、既にその動機に若干の不明がある以上、吾人はこれを當局と論議する勇氣は無い。たゞこの機會において改めて同胞と共に考へて見たいことは、果して一期半期の奉公人をして、かういふ百年の大計を立案せしめてよいかどうかである。これが至つて自由なる放任經濟を説いて居た昔から、いはゆる自作小農の有利なる理由は、彼等が甘んじて土地の束縛を受くる點にあつた。雇はれて働く者が時間を制限し、競うて生活の改善を策する世の中に、彼等のみは星を戴いて出で、月を踏んで歸ることを厭はぬといふだけであつた。それも一定の餘地があつて、未來の安樂のために現在を割引く場合ならばいざ知らず、もし活躍の範圍がせまくして、全力を利用するに足らぬとしたならば、永く一國の生産總高のために、他と比較にならぬ惡い生活を、續けて忍ばなければならぬといふ弱點は、つとに認められて居たのである。日本の細小農は正しくそれにがい當する。彼等が幸福の標準とする所は年と共に進んで、その勞苦と智能とは、與へられたる面積の外に出で難い故に、即ち近年の農民苦惱は始まつたのである。それを眼前の利益で誘ひだして、假に一時は小作勞働者の自由を放棄する者があつたとしても、その次は何に變化するか。結局は不滿の乘換へと、境遇の今一段の拘束と、これに基いた過度の忍耐とによつて、依然としてわびしい農村を保存するのが落ちではあるまいか。

　いはゆる「農家が生計を維持するに足る面積」は、恐らくは非常に窮屈な、これからどうして延びようかの、見込も立たぬものであらう。それを普通農夫の要求に應じ、もしくは少くとも若干の未來に備へしめんとすれば、實は創設に先だつてまづ自作農の擴張に向はねばならなかつた。然るにその實現の甚だしく困難であつたのは一方には農場(31)の併合によつて多くの失業者を生じ、他方には小作人等のいはゆる耕作權を取上げねばならぬからである。この至難なる準備條件を無視して、ひたすら問題を中止せんがために、各自のねこの額を守らしめんとすれば、個々の農民の貧苦とは何の交渉も無い新種の紛亂を招くばかりである。

　三十何年を費しての三分の一組替は、ほとんと解決とはいはれない。土地が賣り易いものなら小さな自作農の、賣つて資金を得ようとする誘惑は實は強いので、國庫の補助はたゞ土地所有權の移動と短期使用者の出入とを頻繁にする資金を供與したことになり得るからである。特別會計を設けて地方の融通を盛んにするだけならばその弊は寧ろ小さい。名を貧農の救濟にかりて、却て彼等を束縛の地に引いれ、更に取引に干渉して地主の賣拔けに便ならしめ、しかもその一切の雜用を全國民の負擔に歸せしめんとするが如き法案に至つては、滿足不滿足は問題では無い。實は油斷がならぬと批評してよいものである。

　大學の教授たち、殊に醫學部の先生の如く、術語の秘密價値を認め、若しくは飜譯の面倒を厭ふ人々が、いはゆる原書の讀めない學生を受取ることを承知しないのはわかつて居る。然しながら彼等が學者の尊敬すべき迂遠をもつて、今日まで曾て知らず、または知つて尚憂へなかつた重要なる教育界の問題は、かやうにまで滿ちて溢れ、しば／＼門前において斷られる何千の青年中、果してその原書なるものを利用するの勇氣を付與せられて、遣つて來た者が幾割あるかといふことである。試驗の暗礁と世途の計畫に追はれて、力をその方面に割き得ない者がどれ程多いかといふことである。免?をもらひ背廣を着て、一歩世の中に踏みだすや否や、永久に外國語の專門書と絶縁すべき學生が、今日は如何に増加してゐるかといふことである。申すまでも無くその類の研究者のみでは大學が遣り切れまい。が如何にせん世間の過半數の最高學府に對する要求は、僅かな學問の相續人を作るために、他の全部の便宜を犧牲にしてくれといふことでは無かつたのである。

　西洋人が新しい文北をもつて、異種の民族を啓導せんとした最初には、まづ舶來のイロハを教へ、それによつて先(33)生の言を理解せしめようとするのが普通である。政治以外の征服はどし／＼とこれによつて行はれた。日本には幸ひにしてそんな完全なる屈辱は無かつたが、それでも初期は澤山の外國教授を聘して、その親切なる教訓に感謝しなければならなかつたのである。あの時代には言語の外國化は少なくとも大學教育の要件であつた。假に寛大なる試驗をもつて入學を許されても、外國語が分らなければ苦學は無用であつた。ところが今日は事情が全く異なつて居る。横文字は新聞も怪しいといふ人々が、立派に卒業しかつ活躍してゐることは、進歩でありまた名譽である。國民はいはゆるお雇ひ教師の不眞面目を免れんがために、國力不相應の經費を投じて若い良い教授を養成し、現に學問はその結果として、文字通りの日本の學問となつたのである。開國以來もう七十年、決して急速の發達でも何でも無い。今頃子弟に日本語をもつて教育せよといふ要求を聞いて、首を傾けたり振つたりするのは義理にはづれて居る。

　少なくとも大學の準備教育から外國語を追出して、何が困るかといふこと位は、幾ら傳統の大切な教育界でも、一人や二人は考へる人があつてよろしい。先生は既に優れたる日本人であり、日本語をもつて現にどんな著述でもして居る。學生の實際的なる者は、喜んでその全部を學び、しかもその以外は學ぶまいとして居るのである。中學以來の七年八年を、入用も無い言語の試驗に苦しんで、やせたり病んだりする必要は無いのみか、世間に出ても日陰者の如く、いはゆる原書の讀めないことを、隱させねばならぬといふ理由が知れぬ。だからそれがもし二三の博覽強記をこの世に留めるためであつたとすれば、實に無謀を極めた人使ひの荒さと評してよい。

　あるいは大學はそんな卑近な事業で無い。そも／＼などと講釋を始める人があつたら、必ず大きなことをいふなと冷笑されるだらう。過去の何十年を一貫して、肩書と稱するをかしな名稱は、全體何物が一手製造を引受けて居たか。卒業間際になると教師は御用聞き注文取りの如く、もみ手をしてお出入先を狂奔して居たのが大學では無いか。その便宜を得て有りつかんがために、志望者は門に溢れたのである。許されるから入つて來たのである。世の中がそれを當然とし、また期待したのである。今更職業教育は目的にあらずと宣明したとて、馬鹿でなければこれを信じまい。(34)故に實際化の議論は大學にも適用してよいのである。

　サンスクリットやヘブライの如き六つかしい外國語でも、學問をしたい者は入用なれば遣る。根氣のよい學者は現に一語も知らぬ國にさへ留學する。彼等の入用なるべき外國語の準備教育は、今の程度では無論足りないから、棄てて置いても自分で何とかする。しかし丸々外國語を教へぬのも義理が惡いならば、別に研究所でも置けば濟むことで、そのために青年の九割九分を苦しめるにはおよばぬ。もしまた本科別科の差別がうるさいならば、大學といふ名などは世間で働く人に遣ればよい。彼等に取つてこそ、肩書はもつとも必要なのである。

　親が子を殺してから自殺するといふ惡風が、悲しむべき一時代の病的現象であるか、乃至は國民の氣質の不幸なる現れであるかの問題は、寧ろ談理の徒に一任して置くもよからう。兎に角に最近における同種事例の頻々たる續發に(35)至つては、黙としてその結果について長大息すべく、餘りにも殘忍でありまた奇怪である。これに對して當路要人の用意と考案との有無を、究追すべき理由は十分である。すべての人類群のあらゆる文化の階段を通じて、これ程亂暴なる生命無視、これ程抵抗の無い殺りくが、何等の制抑無しにくり返されて居た場合があらうか。吾人の昭代の隆昌に向つて同心に期待したところは、要するに親が子を殺さねばならぬやうな、怖るべき事態を絶滅することでは無かつたか。これをしも日常普通の出來事と看過して、別に何樣の尺度の天下泰平を測定すべきものがあるか。

　親子心中の名は既に大いに誤つて居る。自殺自由の論の當否とは獨立して、これは眼前の微々たる行爲すらも、責任を負ひ左右を判定するの力無き者である。しかも如何なる場合にあつても、甘んじて死を擇んだ者では無いのである。避け得べくんば必ず逃れ走つたであらうが、親を信じて完全に欺かれ、もしくは無心にして防衛の途を解しなかつたのである。かくの如き赤子が相次で命を奪はれ、何人に向つても永くその罪を訴ふる能はず、世間は忽ちにしてこれを忘却し去るとすれば、同胞國を成し社會相よるの實はもう無いのである。なるほど彼等の將來は心細きものであり、あるいはその親の憂へた如く、孤兒の悲痛なる苦勞をもつて一生を終つたかも知らぬ。しかし少くともその運勢は未知數であり、また普通健全の父母は、我子のためには十二分の樂觀をさへなし得たのである。人が死に臨んで心亂れ、卒如としてその希望を割引し放棄する權能は無いわけである。

　骨肉隣保の相互扶助は、曾ては我國においては極端に行屆き、今はまた急激にその保障を緩にしたことも事實である。故に童兒の一身を託して、略々その生存を全うするの途あることを知つたならば、罪も無い二葉の芽を摘んでめい〔二字傍点〕途の道づれにはしなかつたらうとも考へられる。その方法は如何にも具はつて居ない。親があつてさへ貧家の子は惱んでゐる。もしも彼等の少くとも大部分が、各々長義の機會を得て、天分を發揮し得るの見込が立つたならば、あるいは最初からそんな無謀なる處置を考へなかつたかも知れぬ。故にその手段も大に試みるがよいと思ふが、この悲慘事の眞原因は更に尚一層の深處に横はつて居るやうに思はれる。

(36)　昔も我々の祖先は盛んに腹を切りまた自害をしたが、彼等は確實に死後の生を意識した故に、これに由つて人間らしさを中止はしなかつた。寧ろ永世の名と譽とのために、却て絶ち難きものを絶つ場合が多かつたのである。然るにこの信仰のみは近世に入つて一變し、死が百事を解決すといふことを、人も我も責任の全免と見たのである。刑罰の極度はこれであり、それを自ら甘受した以上は、何物の制裁もおよぶ能はずと解し、實際外聞もまた著るしく批判の手をゆるめたのであつた。法令の人類を改善し能はざる弱點は、社會が自殺を寛容しまたはやゝ尊重する國において、まづ暴露するのが當然のことである。しかもこの氣風に乘じて自殺の動機は日に退化し、單に同情に飢ゑまたは問責を恐るゝ者が、最後の勇敢をもつて光無き國に飛込むに至つた。しかもじよ〔二字傍点〕すべからざる自家どう〔二字傍点〕着は、他の一方には舊式の家族私有觀を保持し、我子の生命と未來とを第二の貴重品として、自由に處分し得るかの如く考へかつ實行したのである。生きて兒を殺すことが既に罪ならば、死に去つてそれが訴追せられぬのは法制の不備である。その平明の理も尚解せられず、個人自由の主張ばかりが濫用せられるとすれば、世の無防禦無抵抗なる者の、慘酷に拘束せられるのは獨り自殺者の幼兒のみでは無いのである。

　世のいはゆる同情にも固より責はある。たま／＼倫常に反した事件の現るゝ毎に、俄然として錯かく〔二字傍点〕し忽ちまた忘れ去るが如きは、輕薄であり不親切である。しかも手をこまぬいて事態の横發に任せ、徒らに世道のたい廢を説くが如きは、斷じて文教の責にある者に期待する所では無い。假にまだ效果の多少を論ずる能はずとしても、少くともこの國家の異變に對して、意見無し方策無しといふ能はざる者が居るのである。まづ彼等をしてその所信を告白せしめねばならぬ。しかうして國民は熱心にこれを議すべきである。萬一にも罪なき者の殺りくが、今後も自在に行はれ得べしとする者が政府ならば、彼等は即ち信頼すべからざる政治家である。

　製絲が日本のもつとも成熟したる産業なるに拘らず、何故に國庫の助勢を仰ぐにあらざれば、その市價の安定を策することが出來ぬかといふ理由を、何人よりもよく知つて居るのは當業者である。今日補助を唯一の解決手段なるが如く、呼號してやまざる人々である。然らばまた何故に、豫めこの押詰まつた?態に陷るのを、避けようとはしなかつたのであるか。僅に十年の歴史を囘顧するも、彼等が自ら備へ得た機會は何度かあつた。曾て一たびは同種の厄にかゝつて、苦惱して漸く救はれた經驗をさへ持つてをりながら、それに懲りて失敗を再びせぬだけの用心も出來なかつた事情、これもまたこの人たちの知り拔いて居るところであらう。この際まづ國民に向つて、果してその弱點を告白する必要は無いかどうか。

　主務當局者は幸ひにして、我國蠶絲業の根本的改善といふことを説いて居る。即ち現在の業體に、治療を要とする(38)病原あることを認めて居るのである。しかも第二等の專門知識がこの言を發するは頼もしいといふべきだが、十年の歳月と五千萬圓の損失とを費し終つて後に、そろ／＼着手しようとは氣の永い話である。その樣に念をいれなければならぬ程、複雜にして看破し難い情實は無いやうに思はれる。明治以來の勸業政策が單調に失して、たつた二つか三つの物産を取つて押へ、明けても暮れてもその計數の上下のみ注視してこれによつて國の經濟の盛衰を測定しようとした方針が誤つて居たのである。新開國の初期の通商においては、何でも出てゆくからその樣な單純な標準をもつて、いはゆる産業國是が立てられたかは知らぬが、いつまでも同じ形勢の持續する道理は無かつた。けだし貿易の種目が年と共に増加するばかりでなく、曾ては重要輸出品として一廉の望みを囑せられた物産でも、自然の推移によつて次々にその窮極を見、新たに出づるものと更代しなければならなかつたに反して、幸か不幸かひとり生絲の一種のみは、あたかも世界の流行に際會し、かつ地の利に基いて久しくその需要を失はず、つひに誤つてこれを永遠の常態の如く、解せざるを得ぬ階級を生じたのである。今において盛者必衰のことわりを説き示し、無限の生産増加の望みなきことを論ずべく、餘りにも利害の根が深くなつた。人は力めて人造絹絲の將來を見縊り、生絲の新たなる用途販路を樂觀しようとするけれども、假にその通りとしたところが、尚現在は既に保守の時代に入つて居る。市價の動搖がその低下時において、特に深酷なる影響を與へると稱するのは、即ち反動の勢ひの漸く微弱ならんとすることを意味し、現にまた最近これによつて、治すべからざる痛手を負うた者が、到る所に見受けられるやうになつたのである。この際に當つて盛時の夢いまだ覺めず、政府の力は必ず昔の繁榮を囘復せしむるに足るべしと信ずることは、當業者としては誠に自然の情である。能ふべくはこれを試みるも惡しからず、また彼等自身には保險の資力なしとするならば、一たびは國が代つてその道を講ずるもやむを得ぬが、いやしくも政策指導の本務にある者が、この明瞭なる大勢と當然の傾向をも達觀すること能はず、一方に一時的好況に際會すれば、資本以上に業務を擴張し、または算當も無く新たに生産を開始せんとする者を抑制せず、自由自在に眼前の利益に奔馳せしめ、末には苦しい競爭をもつて等しく疲れ(39)倒るゝに放置したのは誤りである。これでは結局する所保護援助は寧ろ慘酷の業である。まづ彼等を戒告して無謀なる生産過剰を愼ましめぬ限りは、いはゆる貿易の大宗はいつまでも國民の厄介者である。

　これに比べると今囘の人口食糧問題調査委員會が、單に水産の問題を大きく取扱はうとするばかりで、いまだ何等の決斷にも到達せず、また當分は到達しさうにも無いといふ事實は、齒がゆいやうではあるが、ある意味において、遙に有效なる好刺激である。けだし米麥生産額の年々の増減は、世人は久しい以前からこれを農夫と米商との事務なりとは考へなかつた。家畜の繁殖および肉類市價の昂低の如きも、多分は西洋人を眞似て、これに若干の注意を拂ふ者があつた。しかもひとり日本の一大國是たる海の幸の消長に至つては、いづれもこれを漁師といふある一團の利害問題として、黙つてその産物のみを受用して居たのである。それが人口増加の顯著なる傾向に心づいた結果として、もし我々が子孫の代のために安全の道を求めるとすれば、必ず一應は公けに水産業の未來を考究して置かなければならぬことを、始めてこの小田原評定によつて、暗示せられたことになるのである。時幾分かおくれたる憾はあるけれ

　故にもし一國の水産政策がこれを機縁として新たに確立するものならば、その效益のおよぶ所は決して若干當業者の上のみで無いのである。けだし消費者の立場から視察を下して、近世日本の漁業の大體において幸福なる發展を見たといふことが出來る。交通機關の改良に助けられて、漁獲の豐産は常に分配の普及を伴ひつゝあつた。久しく山里に住居した人々が、始めて海魚の生の味を知つて、永く忠實なる需要者となつた數は多い。常民食物の品種はこれに基いて明瞭に變化し、その榮養の効果も恐らくは既に現れて居る。少くとも草原遠く連なる大陸國の農法をとつて、今頃獣食の風を村落に運びいれる必要は見なかつた。たゞその間接の影響としては、至つて急激なる消費の増加があつたために、如何なる豐收をもつてするも、滿足にその用途に應ずる能はず、漁業はすなはち有利なる産業の一つとなつたが、價格の一般的騰貴によつて、往々消費者をして經濟的缺乏を忍ばしめることになつたのである。但しこの方面においては穀類などと違つて、政府のいはゆる量の調節も消費者の利害を目途とし、關税や買上をもつて生産者(41)の無能を援護するやうな懸念はなかつたのであるが、如何せん漁民の技術知識勇氣には限りがあつて、將來はさて置き現在のところでも、まだ完全なる供給はしてをらぬのである。

　日本がこの地位この大切なる關係にをりながら、いまだ率先して海の學問を進め、世界にその知識をわかつことを得なかつたのは恥辱であつた。純なる目前の自家利害から考へても、今は既に他國の研究の餘慶に甘んずべき時代で無い。しかるに魚族に關する根本的の研究の如きは、これを僅少の老學者に一任し去つて、その成績に注意を拂はぬのみか、却て速效なき辛苦を輕んぜんとして居るのは、あまりなる輕慮である。然し學問にもまた時運があり、公衆の支援が入用である。願はくば食糧論のやゝ高調せらるゝ今日に際して、兼て歌にうたひつゝある海洋調査所を實現せよ、調査は迂遠であらうとも空虚には優つて居る。

　大帝御在世の當時から、けふは年中最上の一日として、萬民の歡喜愉樂する日であつた。田の物は方に熟して嚴霜いまだ到らず、氣はすみて日の光野山を照らし、不思議にもこの日ばかりはうらゝかな好天氣が多かつた。乃ち天皇日和の語はひろく全國に行渡つて、出でて遊ぶ者も家に居て憩ふ者も、端的にその幸福を至尊の靈德と結びつけて、等しく泰平の化を感じたのであつた。上古歴代の神部等が生日足日と名づけて、祈願しまた占定して居たのも、たゞかういふ一日の巡り來らんことであつた。それを自然の記念日として、誕生遊ばされたお方の御運勢を、祝福せぬ者は無かつたわけである。

　案ずるに明治文化の一大特徴は、清新の二字をもつてこれを要約することが出來る。初期の政變は幾分か急速度に、古くから有つた一切を處理し盡し、その收拾復舊のために多くの勞力を費すことを要しなかつた。四十餘ヶ年の大多事は即ち建造の多事であつた。豫期しまたは豫期せざる無數の新問題は、次々に解決せられねばならなかつた。幸ひ(44)に大帝の明德によつてあらゆる選擇は正しく、あらゆる畫策は根本の方針を誤らなかつたけれども、社會諸事相の成長と進展とは、遂に御治世の後までも續いたのである。明治年代が我國民に委付したものは、多くの未完成の大事業であつた。もちろんそれはみな愉快なる希望であり、また感謝すべき激勵ではあつたが、吾人はこれあるがために單なる追憶と思慕とのみをもつて、安靜にこの新たなる大節日を守つて居ることを得なくなつたのである。

　それが我大帝の御志で無いこともまた明白である。光り輝いたる御一代ではあるけれども、尚これに伴ふ數限りも無い御辛勞があつた。殊にさかのぼつて御誕生の當時を考へて見ると、畏多いことながら、末永くけふの一日を生日の足日として、國擧つて喜び仰ぐべしと、想像し得たる何人があつたであらうか。誠に神の如き思慮をもつて國運の前途を見定めたまひ、つとに民意を汲み取つて新たなる政治を御導きなされた故に、始めてこの今古を空しうする大展開を見たのである。即ち日本において末代に記念せらるべき一日が、菊に清香ある十一月三日であつて、永き歎きの七月三十日で無かつた理由もここにあるかと思ふ。

　國を懷ひ人を愛したまふ大御心は、乃ち朝夕の御口ずさみに顯れ、田夫野老の境遇はしば／＼吟詠の題材に供せられた。これはたゞ列聖の慈德を現代に祖述したまふのみにあらず、兼て至純なる王者の文學の典型として、世界の國々に誇示するに足るもので、久遠に培はれたる國體の根基と、特殊の使命を帶たる將來の進路とは、自からこれによつて正當に理解せられるの時を期し得べしと信ずる。我大帝の堅實なる御素質が、幾度か國難に際會してその光を放つた故に、あるいは武勇の御德をもつて明治の一時代を特色づけんとした者も、行々また必ずその誤つたる判斷を、(45)自認するの日がくるであらう。明治筋の制定は日本の新しい文化のために、この意味において特に重要である。

　任期のある市長をいぢめて追ださうとすることは、惡い流行だが昨今の流行では無い。東京では引續いて何度と無くその計畫が成功し、京都でも最近馬鹿げたる一例があつた。地方大小の都市も連年交替して、如才無くその眞似をくり返して居る。そのたび毎に後任の品質の低下するらしい懸念もまた一樣であるが、市民が一向に結果を顧慮せずして、大入場の見物の如き態度を持する點までが、全國共通であるのは憂ふべき次第である。願はくは今囘の西久保氏事件を參考として、眞面目な市長を得る見込がまだ少しでもある内に、弘く一般のために惡弊改革の方法を考へて見たい。

　けだし革新會の如き迂散臭い一派が、微弱なる一時的多數を頼んで、市長を手製したのはせん越であり、これにか(46)つがれた者も心得ちがひではあらうが、彼等をして名ばかりにもせよ革新の名を名乘らしめたる根據は既にあつたのである。その以前の多數派も同じやうに横暴であつた。氣にいらぬ市長を無理に取替へて、勝手な事をして見ようと企てたのであつた。これ等を自治體の政黨化などといふは誤りで、目的の今一段と陰秘なるものであつたことは、末輩の離合集散の跡を見てもわかる。一言でいふならば利益の爭奪であり、市長は便利なる一虚器に過ぎなかつたのである。その動機が底に横たはる限り、幾度改選を重ねても市政の刷新はおろか、單なる進行をすらも望むことは難いわけである。

　然しながらこの毒氣を含んだ見苦しい爭奪戰をもつて、單なる多數決選擧の結果となし、今後はいはゆる全會一致により、無味無臭の高級人物を推戴して、圓滴の解決を期すべしとする者があるならば、それもまた實際に觸れない議論である。第一には當世その樣な人間が、果して有りや否やも確で無いのみならず、この類の諒解にも油斷のならぬ場合が多い。現に敵味方のつかみ合ひをさへ辭せざる者が、ガスとか何とかの利益の目途があれば、知らぬ間になれ合つて居たのである。要するに國が外國人を大臣にしてはならぬに反して、市長ならば有るか無きかの因縁をたぐつて、外から雇つてくることに極めて居るのが惡いのである。さういふ借り物の蛙の王樣のやうなものでは、市を代表して頼んで來た最初の義理を忘れて、僅な手前勝手をもつて取替へたくなるのは、全會一致の場合とても同じことであつて、結局は丸太ン棒の如く耳も無く眼も無く、完全に無力なる者をもつて理想とすることに歸するかも知れない。いはんやその地位に少しでもうま味があつて、なりたい止めたくないの私情が手傳ふからには、市民が自ら監督しなければいつまでも市會の紛爭は續いて絶えぬことと思ふ。

　市長は顯榮の要職なるが如く、世人は久しく思ひ込んでゐるけれども、少くとも今日の實地とは反して居る。帝都が空前の厄難に際會して、處理すべき公務が目前に山と積まるゝ場合にも、尚私心に滿ちたる群小にさいなまれて、何一つとして計畫は立たず、事務は擧がらず、ひたすら一身の安危にきふ／＼として肩で息をして居ることが、果し(47)て何の名譽であらうか。しかも政界の殘黨官吏の古手などが、懲りもせずに始終後がまをねらひ、中には巧んで排ぜいを事とする者さへ出てくるのは、いはゞこの連中の安息所として、至極適當であつた結果ではあるまいか。そんな事にして置いていや／＼市長がその地位を見棄てた時ばかりやたらに適任者呼ばはりをして見たところで、それはただ市政のために新規の弊習を招きいれたに過ぎぬのである。

　固より個人として責を負ふべき者はあらう。がこの煩雜極まる實際政治の衝に當つて、手短に少數のブローカーと交渉し、濟むものならば利益恩惠をもつて、便利なる總括的支援と交換しようとすることは、理想低き過去の政治家に取つて、寧ろ自然ともいふべき思ひつきであつた。即ち七十何名の連記投票といふが如き、世界に類の無い馬鹿げたる選擧規程は、かういふ取引の雙方にのみ、甚だ入用なる武器であつたので、國民がその惡結果に心づくよりも以前から、もつと早く内部に不滿不平があり、また折々はそれが破裂してもよかつたのである。

　有爵議員たちの過度の穩健に對しては、國民はほとんと絶望しかかつて居た。政府自らも歴代この世論を逆用して、もつとも肝要なる一點を除いた改革案をもつて彼等を釣り、現?維持のためにまた他を顧みる餘裕なからしめた。殊に研究會の近年の活躍に至つては、一意專心に從順なる頭數によつて、戰はずして政府を威壓することを心がけ、末永く、この?態の保ち得ないことは覺悟して居たらうが、兎に角一時逃れに事實上の過半數をもつて、代々の内閣をして秋波を送らずにはをられぬやうに仕向けてゐたのである。目に見えぬ國の損失は可なり大いなるものがあつた。(49)近年何一つとして廣く世の中のために、上院が積極的に働いたことの無かつたのは、つまりは底に新時運が發牙して、意識せられたる弱點の苦悶が、おのづから制抑し得られなかつたからである。

　しかし個々の同爵者が選擧制に約束せられて、一致の行動を餘儀なくせられたのは、まだ若干の論理がある。終身議員の勅選や、公侯爵議員の若手までが、大きな團體に加はつて居たら、いつかは抱負意見の一部分でも實現し得るかの如く樂觀して、年季小僧の如く辛抱して居たのは實は悲劇であつた。この人々の中にもあるいは野望があり、または持上られて自分ばかり、大切なる一員をもつて任じて居る者もあつたらうが、次々の國家の大問題が議せらるゝたび毎に、結局は幹部の聲望に貢獻する以外、得る所は無くして責任は漸く重荷となつて來たのである。動搖は既に久しい以前から、いやしくも政治を解する者の一せいに期待したところであつた。少しでも意外と名づくべきものがあるならば、それは寧ろ他の多數のいはゆる不平分子の、さうまでせずともといひたさうな顔付である。

　新たなる選擧規則で選ばれて來た地方議員などは、あるいはまだ土地不案内でおとなしくして居るのかも知らぬ。さうで無くとも色々の私的注文をもつ者が多く、それを達成するには立寄れば大樹の陰と、雨宿りを求めて居る連中も多いであらう。それは最初から如何とも致し方の無いことであつた。この人々には研究會幹部の甘言などは、ちやうど適藥の持藥であつたといへる。彼等のある者にはこの二段の懷柔を受けて、これを一身一家の名譽と心得る者があつても不思議は無い。獨りあやしむべかりしは門地と閲歴と、はた平生の議論と自由自立の境がいとをもつて、天下の囑目を集注した人々が、なほ漫然として群の制動に服從し、まれに感慨の言を發するも、却て世人をしてこれを一片のさふ話小景の如く、輕々に看過せしめて居たことであつた。

　過去の短日月をもつて我上院の黄金時代と認めることは、もちろん吾人の願ふ所でない。近衛公その他の新人公子は、年劫にしてあるいは記憶せず、あるいは最近世史の研究が足らぬかも知らぬが、彼等の先代はもつとも官僚政治家の懷柔手段をにくみ、貴族院をして獨立公人の論政場たらしむるために、忍ぶべからざる辛苦を敢てした人々であ　 (50)る。世改まつてその志繼ぐべからずとしても、尚興津田中村の消息通たる以外に、幾らでも清明なる愛國心を、國人に示すべき方法はあつたはずである。道は近きにあり國政は日に惱み、當路の處置は概ね的をはづれて居る。――かうして田中首相の内閣は存外にいはゆる情意投合の欲に淡いらしい。今において力を刷新に注がなかつたならば、二院無用の論は公等これを招けりといふ非難を免れる途は無かつたのである。これ吾人が目下の事態を目して微々たる一政派の内紛となす能はざる所以である。

　その結果が至つて重要なる問題の内こうとなり、解決の遲延となり、若しくは準備の缺乏となるべき懸念は、近年に至つて殊に多かつたのである。朝野の諸政派がほとんと暗黙の申合せをもつて、故意に末節において闘爭し、努めて自己の能力を超越した根本義を避けようとした形跡は、やゝ久しい前から容易にこれを看取することを得たのである。そんな計略は既にあきかつ疎まれて居る。いはゆる公民教育の事業には一の見るべきもの無しとはいへども、新しき世代の力は自然に痛切なる實驗を供して、永く地方住民をして空虚なる慰撫と聲明とに、耳を傾けしめることが難くなつた。曾ては捕そくすべからざる社會不安として、寧ろ逃げ口上式解説によつて滿足せんとした問題が、今や鮮明なる形體を具して、眼前に去來するに至つたからである。

　殊に現内閣の成立事情の如きは、明々白々として萬人の記憶に存する。大戰と災害と、二つの大事件が釀成した財界の變調は、いはゞ不發の爆彈の如きものであつた。あらゆる政治家と實業家は、ひたすらにその授受に戒愼して、一人として勇を鼓して未然を防止する者が無かつた間に、時やゝ過熟して猛火は炎々として揚がつたのである。若槻内閣の?覆もこれがためであつたと同時に、田中男の天下に期待せられたる使命は、この破綻の收拾以外に、實は何物も無かつたといつてよいのである。然るに今や年のせ〔傍線〕を前に控へて、人は奪はれたる預金の一小部分の返還の可能不可能に對して、全心を擧げて一喜一憂するまでに零落して居るのである。どこに積極政策があり産業立國があり、はたまた時局展開の技能があらうか。假にも政治が國民の生活と交渉すべきものなりとする以上は、彼等はまづ自らその存在が、果して政治なりや否やを考慮すべき場合に立至つて居るのである。

　小作問題の現實がわが農村の振興を累し始めてから、いう／＼として既に十年の歳月を算へて居る。一個粗製の小(52)作法案を抱へ込んで、調査委員の髪の毛は白くならうとして居る。公黨なれども彼等にはこれを決定する力無く、空しく小田原評定をくり返して居るうちに、事情と戰法とは幾度か變轉を重ねて、終に暴力をもつて相撃つに至つたのである。これに對する方策はたゞ一つ、今でも自作農創設維持の補助方法を呼號して、それが雨降つて水喧嘩を中止せしむる如く、無數の怨恨と陰私とを解除し得るものと、信じて居るらしき顔付である。もし不幸にして法文が理にかなひ、豫算乏しきこと無くして次の年度の實行を可能ならしめたとしたならば、如何にしてこの見當違ひを始末する積りであつたか。常識のある者には恐らくは想像がつくまいと思ふ。

　今において國民は議員が解散を悲しみ、一月半月の延命を祈つて居た理由を解したであらう。現在政治に志ありといふ人々に、果して何程の素質ありやは問題であるが、少くとも在來の者には何も無いといふ證據がある。彼等が政治と名づけて運動百方したものは、いづれもある一群の直接の利益となり、現實何人かの要望に合致するものに限られ、それも動機の公表し難いものが多かつた。そんな事ばかりは考へて居ないといつても、正に世の中の進みはその言を裏切つて居る。至つて普通なる國民の常識をもつてしても、今日の悲しむべき不幸には、曾て豫め憂へられなかつたものは一つも無く、また彼等が無責任に、有りもせぬ手腕に信頼せしめようとしなかつたものも無いのである。しかも彼等が專ら狂奔して居たのは、要地の爭奪でありまた利權の探索であつたとすれば、いやしくも自ら知る限り、新しい選擧の試驗に臨んで、必ず落第すべきことを覺らずにはをらぬであらう。しかうして試驗の問題は日を追うて難かしくなつた。試驗官たる國民にもまた相當の支度が必要になつた。徒らに歎息と悲憤をもつて、この好機會を空過することを戒めなければならぬ。

　補習教育の前途が囑目せられて居ることは事實である。大小の都會には種々の便宜、種々の刺激の知識を長養するものあるに反して、村落の少年は一たび小學校を出てしまふと、それから先の大切なる數年間を、たゞ昔風な空氣のうちに經過しなければならぬ者が仲々多い。彼等の眞率なる心持では、僅な經驗の缺乏が非常なる弱味に感じられ、從つて實際は少數の小利口なる者に、引囘される場合がまれでは無い。折角普通選擧が始まつても、これでは頭數の混雜を増すばかりで、當分は政治の改革も心元無いといふことが、補習の振作をもつて寧ろ二年ばかりの義務教育延長よりも、意義深しと認める者の多かつた理由である。

　出來るならば併合によつて、人心を統一して見たいといふ計畫が、文部省に起つても不思議は無い。幾ら文部省でも多數教育者の共通の感想が、丸々反映せぬほど、雲の上のものでは無いからである。年々全國から代表者を拔き集めて、改良すべき點如何などと諮問すると、これに對して必ず待遇の改良と補助の増加と、少々の抽象的文字とを可(54)決するにきまつて居る機關以外に、世論は無いものと思ふまでに迂遠では無いからである。故にもし今日の青年訓練が青年本位で無く、萬が一にも陸軍本位であつたとしたならば、これは警戒すべき陰謀といふことが出來る。が、さうで無い故に結構なる企てといひ得るのである。

　結構には相違ないが準備は確に足りない。今のところでは故障百出であらうと思ふ。元來ならば補習教育機關が一國國防の本旨を體して、この任務を最初から引受けるといつて、一も二も無かつたのである。どこの國に公民の養成を心がけず、また青年の訓練を要無しとしてもよい補習教育があらう。然るにこの口は別口だと、いはゞ店先に店を開かれて、見物して居たほど氣の毒な補習學校であつた。その後發奮してどれ程生活力を増したかといふと、その答へは避けた方がよい位のものだ。要するに名前だけでは仕事は出來ない。しかうして今までの補習機關は實は名前だけであつた。始めて日本に普通教育の制度の確立した際は、普通といふ語の意味は今の普通選擧などの普通では無かつた。中學校に行ける者に中學校、女學校の費用をだし得る家庭に女學校を與へて、必ずしも行渡りはしないが、それが澤山出來ると普通教育の隆盛であつた。次には小月給取を速成すべく、甲種の實業學校を開いた。地方の財政などはこれだけを支るためにへと／＼になつて居た。それでも殘りの者が餘りに多數で、何物をも施さぬのは氣が濟まぬとあつて、補習の制度だけは設けたのである。經費を要せず校舍も教員も有合せで間に合ふといぶ點が、就學の自由といふことよりもより多く人望があつた。封建時代の棄て扶持といふ格であつた。

　それが今日の要求に應じ得ないのは固より、この繁さ〔傍点〕なる小學事務を一方にかゝへて辛勞多き人々に、少しの増給を條件としてこの任務に兼ねしめて、面白い成績の擧がらう道理が無い。無理をしてまでも子供を中學に遣らうとする親心を見ても察せられる如く、幾ら補習の積りでもこれだけは選擇する氣にはなれなかつたのである。義務制萬能の信者は、こんなものでも強制したら效果があると思ふか知らぬが、追々生活の興味を追求する年頃の者に、無趣味を強ひることは望みが無い。改良の第一歩は知識の豐官なる供與よりも、寧ろ共學の氣風を活發ならしむるにあるの(55)だが、それが現在の兼任主義において、果して土地と未來の住民の結合を助けるやうな、強固なる中心を作ることはまづ不可能だ。

　いやしくも教育の實際化を説く者ならば、とくに注意せずには居なかつたと思ふ。乙種實業學校の衰微以來既に著るしく農民の教育機會は減少して居る。その上に不完全なる中學利用者の、學問の方向に迷ふ者が多くなつた。鋭敏なる者は大抵は浮動分子となり、着實に故郷に留らうとする青年は、やゝ過分に控へ目である。彼等の温順を奇貨として、與ふべきものを與へぬのは罪惡なるのみならず、民論の中正を期するの途としても缺けて居る。今囘小規模の補習教育振興が、他日の大飛躍の段階といふなら是非も無いが、これで地方を統一し、折角新たに起つた圍體行動の事業までも併どんしようといふのなら、それは政治家にもあるまじき失敗である。

　從來地方政治の紛亂のこれに類したるものある場合に、人は往々にしてこれ感情問題なりと稱して、進んでその以上を調査しようとせぬ風があつたが、それは全く輕率なる斷念である。人間の感情はそれ程まで不明瞭な、かつ陰秘(56)なるものでは無いはずである。理窟ではあるいは口賢き者にいひ負かされるか知らぬが、いはゆる皮裏の陽秋は何としてもこれをおほふことが出來ぬといふならば、曲直はおのづから決するところがなければならぬ。單に策士等の謀計智巧が微にいり複雜を極め、常人の能力では到底追求し得ぬといふ理由のみをもつて、忽ち度外視して問題を彼等のつかみ合ひに放任するならば遂には不正なる者が故意に怪しき沈黙をもつて、その形跡をくらまさうとする結果を見る他は無い。即ち公明なる政治は永く現前するの期が無いのである。

　然るに東京の市會は幸ひにしてこの點にだけは注意深かつた。數ヶ月の久しきにわたつて、繼續して彼等の無法なる欲望を、寸がうの隱す所も無く市民の前に表白した。市長西久保氏の最後の功績としては、能くその劍客らしき豪放さをもつて、事態をこの單純なる論理的歸結に導いて來たことを認めねばならぬ。今囘の破裂の如きは、實に痛快に見苦しく、また徹底的に手前勝手なものである。これ程露骨なる教訓も珍しく、これだけの大文字をもつて印刷せられた政治讀本も滅多にはあるまい。今において學修する所無くんば、東京人は永遠に市民と名乘ることは出來ぬかも知れぬ。

　次にはこの樣な市會でも尚信任を口にするのを見ると、如何に今日まで市民が信任に無關心であつたかゞ考へられる。市會議員には立候補の當初から、必ずしも明確なる立場といふものが無かつた。通例は中央政黨の勢力が背景であつて、現に最近は幾度と無く、右に左に時を得た側に寢返りを打つた者は多かつたのである。今度の不信任案の採(57)決の結果、可否票數の差がちやうど二八會の會員數であつたなどは、皮肉を通り越した適切なる警戒である。曾て多數を頼んで横暴の名を甘んじ、我は顔に一人の市長を擁立した者も、時不利なれば忽ちに節を變じ、謀を寄手と通じてその覆没を策するが如きは、敢て二三子の新發明でも無い。今こそ得々として虎の威を借る者も、ある時にはやはり白いバラの花を胸にさして、悲壯なる正義の聲を振りしぼらうとしたのである。要するに彼等の大多數は、人の信任を論議するに先だつて、少くとも半季一年に一ぺんづつは、市民の信任を問はねばならぬ人々であつた。

　しかも解散の方法はかくの如く具はつてをらぬのである。今日の?勢にあつては、理事者如何樣に樂親しようとも、いはゆる監督官廳がその申請に應じて、新たに吾人をして市議貝の素質を點檢せしめようとは想像せられぬ。結局は濃厚に後の怨みを遺し物議の種を繁くまいて、他日今一囘出來得べくんばこれ以上の無理押しをもつて、報復を敢てするの餘地を存するばかりである。いはゆる事務のじふ滯はけだしその跡を顯著にする。多數住民は何の罪あつて、手も足もだし得ずに徒らにその弊を受けなければならぬか。これをしも大なる疑問とせずして、徒らにこの好機會を經過し、再び舊江戸兒式の落首文學、乃至は自稱通人の漫罵趣味に墮在するやうならば、國内のもつとも信任すべからざる者は市長にもあらず議員にもあらず、またいはゆる監督官廳にもあらずして、帝都市民自身といふことになつてしまふかも知れない。

　特に政治に限つて待合内の協調を不純視し、平生相應にこの機關の利便を實驗するらしき人々までが、その觀察に雷同するといふ理由があるのであらうか。但しはまた一派のある長袖者流のみに、殊にその害毒の警戒すべきものがあつて、他の尋常の豪傑等は、安然として既に免疫の域に達して居るのであらうか。何にせよ今頃事新しく可否の論が起り、それが研究會ばかりの問題の如く取扱はれて、大體片づかうとして居るなどは笑ひ事で無い。少くとも何故に彼等の待合入だけが非難せられねばならぬかを、考へて見る必要はあつたのである。

　けだし日本の如く一飯の恩をろう〔二字傍点〕記する國柄においては、飲食も誠に恐るべき輿論政治の敵である。しかも名を公事に託してその感謝を忘却することは、今尚世論の是認せざる道德なる故に、乃ち堂々たる選擧の法規中に、辨當に關する煩雜なる取締りの個條を設けて、強ひて食はさうとする者を罪惡と認めしむるに至つたのである。然しながら如何程古風に義理固き連中でも、貴族はまさかに食物で釣られるやうな、簡單な良心は持つて居ない。いはんや施與に類する待遇に對しては、寧ろやゝ過敏なる反感をさへ抱く人々である。從つて待合政治活用の動機が、この方面に無かつたことだけは明かである。

　だから小さい愉快で無い問題として、輕々しく看過することが出來ぬのである。酒は第一この東京の社會においては、比較的偉大なる效果をもつて居た。その上に淺香山の橘諸兄以來、酒を酌する者の前では、角張つた物いひをせぬことが、國民遺傳の一つの趣味であつた。そればかりか苦勞少く活きて來た者には、年老いるまで見得坊といふ弱點があつた。御承知の通りといはれていや承知せずと明言する能はず、解つたかと問はれて解らぬと答へ、忽ち師弟の如く丁寧に説明してもらふことを、取分け女童の聽くやうな場所において、恥辱と感ずる者が多かつたのである。この二種の心理作用は、從來久しく厄介なる談判の解決に、可なり巧妙に使役せられて居た。それにつけ加へて今一つ、意味の甚だしく不明にして濫用自在なる術語があつて、それが前世紀以來のある方面の武器であつた。率直なる東都市民は、通とか野暮とかいふ短評の閼迫を受けて、不必要に討議商量を端切り、粗忽なる決定に累せられて、しかも泣き言をいはぬをもつて見得とした。その風習が今尚一部に殘留して、ために著るしく常識の精練を妨げたことは事實であるが、老くわい〔三字傍点〕なる舊政治家等は、これをしも尚利用することを怠らなかつたのである。

　世上多數の社會改良運動においては、この種一局部に偏在する弊習は、往々にして閑却せられて居る姿であるが、その當面の重要性に至つては、かへつて個々の家庭平和の問題を超越するものがある。必ずしも獨り政治の一面に止まらず、社會交渉のもつとも複雜にして特に愼密なる思慮を要求する事件を、單に當事者の骨惜み、乃至は腹黒き巧(60)智をもつて、置酒歡笑の間に突如として完了しようとすることは、後代に對する甚だしき無責任である。しかも節制なき饗宴が往々にして心情のもつとも下劣なる部分を暴露し、互にこれをもつて相許し得たりとすることは、假に彼等を一世の師表と認むる者絶無なりとしても、尚人生の表裏を當然とし、恥づべき妥協をもつて即ち政治なりと解さしめる危險はある。研究會の二三子を戒めて、その待合出入を愼ましむるをもつて、終結とすべき問題で無いことは明白である。

　實業同志會の聲明書なるものは、惡氣は無いのか知らぬが結果において皮肉であつた。多數にしてしかも在野黨なる一變態黨の、目下唯一の頼みとする軍略にけち〔二字傍点〕をつけて、彼等の氣勢をいよ／＼擧がらぬものにした手際は、政府與黨の注文といへども、恐らくこの外に出なかつたであらう。時あたかも樞要なる政治季節に近づいて、友黨が互にその態度の弱點を批判し、激勵し合ふのは結構なことだが、それならば寧ろ心ある國民に代つて少しく彼等の惰容に向つて活を入れてもらひたかつた。今頃委員割當て方の舊怨を愚痴るなどは、これも甚だ花やかならざる、婆樣の如き政治家たちである。

　それはまづよいとして、來年のもつとも大切なる政治は、一體どんな風に進展しつゝあるのであらうか。この内閣の如く曾て揚言したる解決を長く持越し、更にその以外に色々の新種の不安定を計畫して、社會の信用を困難ならし(61)めんとする者も珍らしいのであるが、それを警戒し、若しくは少くとも公に吟味することは、果して何人の役目であらうか。實際民政黨の陣容は振はないものであつた。彼等が政綱の旗印は、しをれ傾いて風露にも堪へざらんとし、如何なる偏愛なる同情者の眼をもつてするも、これを望み見て威風堂々なりと、批評することは容易で無い。必ずしもある一政派の盛衰問題としてゞ無く、この樣な乏しき用意をもつて、果して多事を極めたる昭和三年の政治研究に、着手することを得るかどうかは心細い疑問である。

　政黨の離合集散の大なる效果は、かういふ場合に際して殊に痛切に感じられる。通例今までの混成團體においても、少くとも一度の總選擧に遭遇しなければ、本當には中が固まらぬものであつた。いはんや突差に半外部からの閼迫を受けて、結合せざるを得なかつた議員群が、いまだ一度の議會さへも經て居ないのである。統一の得られぬのは自然の數であり、中心共通の利害が見出し得ぬために一方に必至のものと目せられる解散に當面して、確固たる勇敢をもつて直進するだけの計畫が立たぬのである。必ずしも濱口、床次以下の老政客が、急に留保主義の白紙ずきとなつたものと、推定することを要しないのである。

　日本の地方利害の區々として中央の政治系統を累すことも、すこぶる豫想に超ゆるものがある。單なる片意地や感情からでは無く、個人としての私の要求が隣人と相容れず、選擧の機會にその勢力を利用して、必ず相手方の頼むところを覆へして、失望せしめねばならぬのがこれまでの二黨對立であつた。そのバランスが近年しば／＼亂れて、更に一段の複雜を見るに至つたのであつて、中央政客の個々の判斷によつて、所屬を決定することは始めから不可能であつたのである。その實情は略々理解しながら、目前の自衛のために假にこの民政薫を作つた。吾人は今において鐵道省のS字形またはZ字形の毛細管式鐵道網が、少くともこの暫定?態の混亂に大いに役立つたことを認めざるを得ぬのである。

　しかも右の如き地方的知謀が、果していつまでかその馬鹿々々しさを保ち得よう。今の時におよんで、吾人がこの(62)病身なる大勢に向ひ、忠告し得る折の養生法は三つある。解散はなるほど前期議會までは、國民に取つて甚だ適切な問題ではあつたが、この期におよんで何人がその一月なると五月なるとの差に興味を持たう。有つても可、無くても可、いづれお別れをする議員さん方である。從つてそんな人たちに、信任の不信任のを考へてもらふ必要もまた無いのである。わづかの日數を待つてをれば、國民の信任は國民が自ら表示すべき時がくる。それよりも議會には來秋の大典を始めとして、目前決定して置くべき問題が澤山ある。毎年不信任案をだせば泥合戰、それが白熱すれば傷害罪と、順序はかねてきまり、もう何度も見た芝居だ。何か物ほしさうにその中から、同情の種を拾ひ集めて、向かない代議士を再選せしめる工夫ばかりに、心を傾けるのは愚では無いか。

　それよりも憲政會の議員のうちには、比較的物のわかりのよい人が多く、お世辭ではないが慾もやゝ一般に淺いやうだ。さういふ人々をして個人々々に、一生懸命に正しき政見を、表白せしめる議會を作つて遣つてはどうか。少くとも少數地方の有力者を悦ばしめる政策を暴露して、これに參與せざる來年の選擧人をして考へしめたら、假令今ある議員は引込んでも、その後がまによりよき多數が現れ來り、民政黨なるものゝ永久の結成にも、大きに都合よくなる事と思ふ。もし幸ひにこの大局の見切りがついて、靜かな尋常な生活が續けられるならば、案外早く民政黨の神經衰弱は、平復するであらうことを請合つて置く。

　歴史をその實現の以前に、完成よりこの方の側面に立つて展望するといふことは、さう容易には獲られない機會である。例へば六十年前の戊辰の年の如きは、氣運はつとに動き形勢は既に定まつて、心ある者は固より變革の必然を感じて居たけれども、しかも國民一般はこれが永世に記念せらるべき一新時代の序幕なることを知るまでに、まづ色々の意外なる驚歎を體驗し、更に整理したる記録によつて、改めて解説してもらふ必要があつたのである。從つて假に愼重なる準備によつて、今一段と改良の效果を増加する餘地があつたにしても、それはたゞ批判であり史論であつて、單に將來の參考までに研究して置くといふ他はないのであつた。

　囚はれざる推理は國民に要求せられて居る。世には僅なる外形の一致を理由として、強ひて追憶をもつて一部の感激を促さうとする者もあるが、昔の今で無いことは至つて簡單に證明することが出來る。六十年前の政治改革においては、反動の氣勢は尚強烈であつて、これを平定して維新の大業を完成するためには、十數年の心血もいまだ足れりとしなかつた。現在はこれに反して宿老は朝野に充ち、成行を常道とするの説は日夕耳にするところであるが、一旦民論の確定してこれを實行に移すことゝなれば、非難の聲は忽ちに閉息して、ひたすらに時勢に追隨せんとする人々が、爭うて先見の明を事後に誇示せんとするばかりである。普通選擧制の立案が、ある舊政黨の手柄であつたことは信じ難く、彼等が參政權の大なる擴張に由つて、難儀をすることも事實なるに拘らず、今はある限りの方策を講じて、速かに次の代の粧ひに改めんとして居るのである。これは少くとも明治初年における日本風と見ることが出來ぬ。

　大體に改革が行はれ易く、故障の少くなつたといふことは悦ばしいに相違ないが、同時にまた形式化と無關心との危險が、増加したことを意味するのである。冷淡なる者の寛容は眞面目なる反抗以上に、新しい制度の精神を損傷する。しかも吾人が同胞多數の福利のために、求めてやまなかつたのは外形の文化で無く、また空虚なる標語でもなかつた。戸口が増殖し生活方法が一變して、國と國との交渉が面倒になつてから、人の窮苦を訴ふる聲は、少くともその質と種類とを複雜にした。これを救解して家々一樣の春の樂みを味はゝしめんがためには、廣く公務の參畫者を全國民の間に求めて、各人の意圖を伸張せしめることをもつて、もつとも適切なる手段と認めざるを得なかつたのである。もしこの樞要なる目的に向つて十分の協同が行はれないとすれば、新制度の恩惠も永く行はれず、徒らに利害交渉の一段の亂雜をもつて、終ることになるかも知れぬ。戒愼しなければならぬ。

　社會機能の誠に片寄つた發達のために、久しく經濟上の屈伏を忍んでゐた階級は、他にもまだ幾つかの種類があることはいふまでも無い。その中では小作農は數も多く、事態もより多く切迫して居たとはいひながら、丁度今囘の政治改革の先に立つて、偶然に組合を結成するやうな問題が發生して居たばかりに、いち早く昭和三年の總選擧に、その組織を利用する事が出來るのは、少くとも他の多くの後からくる同胞と比べて、幸福と認められねばならぬ。彼等のいはゆる政治闘爭は、即ち今日におけるたつた一つの有利なる方法であつて、それを採用したのは決して他人のた(70)めではなかつた。

　だから最初は比較的小規模なる目的をもつて生れ、例へば小作の問題さへ存分に解決してくれるなら、もう解體してもよい樣な簡單な農民組合であつても、時を得て段々に政治化してゆくことに不思議は無い。狹い眼界とやや利己的なる主張とをもつて、脇目も振らずに進んでゆかうとしても、世間がこの新らしい運動に興味を抱き、政治家ならば國の政治を論ずるであらう。少くとも資本家以外の立場からの、社會評論を國會の演壇から聽くことが出來るであらうと、期待するのだから致し方が無い。さうしてその期待が買被りであるや否や、昔の英國の愛蘭議員の如く、け〔傍点〕にも晴にも一つしか問題を持たない局限代表者であるか否かを、判決せられる場合が近づいたのである。この退引ならぬ實際に當面して、改めて日本人としての公の煩悶が、起つたとしても意外なことでは無い。

　けだし「農民は農民黨へ」の如きは文學的標語であつた。一朝にしてこれを弊り〔傍点〕の如く棄て去るのは惜しいやうな氣もする。然るにどうあつても出直してくる必要から、當分この標語ともお別れをすることになつたのは、文句よりも寧ろこれをひねり出した寛大ならざる心持がよくなかつたのである。今少しく具體的に申すならば、主として小作人の利害のみを足場にして立つてをりながら、農民黨だの農民組合だのと潜稱したのが不當であつたのである。今は幸ひにして國民一般が、深く内容に立いつて吟味しようとしないからよいが、いよ／＼政治的前進が張られたる曉に、いはゆる無産政治家等の出やうによつては、馬鹿げた名實の不一致を暴露する危險があるのである。

　小作は成程今日の日本において、容易ならざる難問題に相違ないが、農民として急速に論究せねばならぬことは、まだ幾つと無く横たはつて居るのである。殊に農村の半分を構成する微小自作農の前途について、何等かの目算が確立せぬ限りは、實は他の半分の者の地位ばかりが、單獨に安全になる見込はまづ無いのである。ハイカラ無産者の手本とする國ではどうか知らぬが、日本の農勞働者は大部分が工場勞働者の競爭者で、野田でも散々實驗したやうに、いつ何時でも出て來てストライキの補缺をする。それと同樣に自作小農は、小作人等の代用員であつて利益に厚薄あ(71)りと見れば直に後者の地位を取つてしまふ。それを防がうとすれば初期から感情に訴へ暴力を用ゐ、我から進んで村の平和を破らねはならぬ。議會や法制の干與し得る餘地は乏しいのである。

　をかしい話には對支政策とか、教育の制度といふが如き、懸け離れた題目には一通りの口をきく人たちが、こんな見易き目前の交渉を度外視して、黙つて政界へ打つて出ようとして居るのである。良心ある者ならば他人の指摘をまたず、まづ自分たちの立場をもつて、一旦は全日本の農民を小作化してしまふなり、それが出來なければ共々に歩む途を見出すなり、兎に角に國としての農業政策を、公表しなければならぬ時に臨んで居るのである。それは空論でも何でも無い。解散後の議會に眞先に現れるものは、地主黨の作つた自作創成案であり地租委讓案であつて、いづれも定見なき一派代表者に、盲探りをさせてよい問題では無い。いまだ省みられざる他の數百萬人の新選擧人の利害を調和させて、徐々としてその無産黨を成長せしめるためには、三萬や五萬のいはゆる農民組合は、幾つ合同させてもまだ足らぬ位である。内輪さへ固めてゆけば勢力は自然につくかの如く、考へて居るのであつたらごまかしである。彼等はまだ本當の一人前では無い。少くともまだ大いに發達しなければならぬ。

　當初この政府が鐵道によつて彼等の善政を布かんとするや、主として豫算に關係無き監督方法の手加減に着眼したらしかつた。即ちいはゆる竝行線豫定線の私設免許である。補助範圍の延長である。運賃制限の寛假である。これ等有意義なる積極政策は、普通の年ならば疑ひ無く多くの隨喜者を招くはずであつたが、不幸にして財界の狂風に吹き立てられ、天下の思惑師には傷き倒るゝ者が多かつた。そこで第二次の努力は必要と認められ、會計の獨立を智用して年度變更の案を立て、國有工事の前景氣をもつて地方の消費經濟に注射したのみならず、一方には急雨の如き買收運動者を激勵して、終に四千何百萬圓の公債増發に立至つたのである。人の金だと思つて氣前の好いことは、事小なれども寧ろ臺銀救濟の前例を凌ぐものがあつた。成行やむを得ずとは申しながら、常人には企て難い大英斷である。

　この政策の動機ともいふべきものは與黨の末輩は固より也。當局自身といへども必ずしも強ひてこれを隱さなかつた。世上は賢愚と無く、一樣にこれ選擧のためといふことを解して居る。これが見方によつては政界の一進歩とも認められる一點であつて、もしこの決定が單なる收賄に基き、乃至は個人に配分せらるべき利得の推測せられる場合ならば、如何に厚顔なる政治家が現世に生存して居ても、今囘のやうに勇敢には、この種の計畫を公表することを得なかつた道理である。それ故に假に私欲のこの事件に參加するものありとしても、それは微小にして顧みるに至らず、表に立つた理由としては、堂々たるおためごかし、即ち必ずしも固くこれを信ずるわけでも無いが、かの若干の顔役連の悦ぶところを見れば、地方一般もまた多分は幸福として感謝するならんといふ推量から出て居るのである。果して一定數のいはゆる運動者が滿足する如く、あらゆる有權者も恩に着てよいか否か。もしくは結果不明なりといへども、下らぬ説明でもする人があれば信じてよいかどうか。この簡單なる問題が、公の宿題として付與せられたのであ(73)る。政治の練習を新選擧人にさせようといふのである。無意識には相違ないが、結構なる指導法である。

　日本の國有鐵道は、山坂の中を布き散らして、年増しに利じゆんを減じ、資本の損を重ねて居る。近年はまた幹線の修理も行屆かず、いはんや人口の増加に伴ふ擴張は、ほとんとその望みが無いと認められ、改主建從といふが如き變妙なる熟語をさへ生ずるに至つたのである。貨物の停滯を訴へられるのは、專らこの方面であつたのに、それを逆用して有つた方が尚よいといふ地方から、中には不可能として斷念して居た深山まで、いはゆる鐵道網の振賣をしたのである。その損失が結局は全國民に歸することは、まさか知らぬ者は無いのであるが、分け取り爭奪の場合には手をださぬは無益の遠慮と考へて、地方は喧嘩し大政黨は分裂しようとしたのであつた。分裂の危險を防がんとすれば、三十五十の總花主義の他は無い。さうして全國一樣に損な鐵道を敷設せられることになると、始めて國民は協同して今こんなことをしてもよいのかを、考へてみることになるのである。買收鐵道の買收されたがつた理由の如きは、地元の人たちの方が早くから知つて居る。經營に失敗があつて、尻ぬぐひを要する分はまだよい方で、最初から引合はぬことの明白なものを、いつかは買收をさせる考へで、企てる者さへ多かつた。そんな金を拂ふやうな餘裕が、果して日本にはあるかどうか。それを決して後に地方便宜の論には耳を傾くべきで無いか。

　買收にせよ補助にせよ、乃至は不急線の起工にせよ、小川さんの小遣をだすのでも何でも無い。全國の上から見れば、取つた租税の割戻し以上に出でぬのである。しかも悲しいかな小學教育費の全額支辨などを、今頃手柄顔に提出するやうな野黨は、このわかりきつた理窟をすら指摘する資格が無い。いはんや今囘は解散であつて、鐵道省の御馳走は略々獻立だけの印刷費で、濟むだらうといふ評判である。頭のいゝ人に會つてはかなはぬと、惡い方の頭をかいて居る者が多さうだ。鐵道の積極策はこんな連中に教へてもらふ程、込いつた問題でも無いのである。選擧人が自身で考へて見るのに、ちやうど頃合な好題目である。

　けだし今囘の肥料管理特別會計法案なるものが、果して當局の無邪氣なる無智に根源するものならば、假に全然の無益に終つた場合にも、尚これに基く發見の教訓的效果は期待せられる。穀物賣買の干渉において、もつとも大なる難點と目せられたる一つは、二個の大切なる利益を、同時に擁護せねばならぬといふほこ〔二字傍点〕とたて〔二字傍点〕とであつた。如何に公平を務めても、政黨の政治には片寄りがある。一方を立てるに熱心なる結果が、偶然にも他の一方の不幸を座視す(75)ることになるかも知れぬ故に、一通りならぬ熟慮と計算とを要するのである。これに反して肥料の分配ならば、實は簡單で、一言でいへば手數が厄介ならず、安くさへあればそれでよいのである。然るに事を好む農林省の惡癖は、今囘もまた市價の調節などといつてをるのである。その失敗を期待する者が、天下に充滿する所以である。

　奇拔なる珍案には相違ないが、肥料の常平制度には一驚をきつせざるを得ぬ。全體肥料が安くなつて、どういふ人が困るかといふことを考へて見るがよい。人工をもつて一種の國内品を保護すると、相場の影響はどこで止まるかといふことを考へて見るのもよい。一つの工場の悲境を救ふがために、又日本の農民をして常からやゝ高い肥料代を拂はしめたとしたら、相手は分散して結合せざる米消費者の如く、黙してあきらめてたゞ難儀をしてくれるかどうか。それよりも尚手短かに尋ねて見たいと思ふのは、農林省は農家の安い肥料を探すことをやゝ抑制して、國内の肥料製造工業を引立てゝやる任務を、いつ何人から委託せられて居たのであるか。

　高ければ安いものを求めてこれに代へる位は、日本の農民はもう教へられて居る。たゞ高くて致し方の無い場合に、それを安くする方法に世話を燒くといふならば解つて居るが、あまり安くなつては他方に困るものゝあることまで、心配してもらふ必要は無い。しかも國が手を下さねばならぬ仕事は他に色々とあるのである。かういふ缺くべからざる物品が大資本家の商品となつてからは、その勢力は農民の機關におよび、例へは歴々の農業雜誌までが、肥料會社の大廣告で生活を支へて居る。選擇と適用の時として賢明ならず、あるひは欺かれて粗惡の品を求め、目に見えぬ損失をする危險はある。いはんや農村の一隅においては、資本力の貧弱なるがために、對等の取引を營むこと能はず、經濟上の自由を制限せられる場合が少くない。肥料管理の美名を掲げながら、今囘農林省の計畫の如きは、單に困惑する者のために活動の前面を打開する力無きのみならず、寧ろ永年これによつて衣食した商人等の、目下の窮?を救はんとするが如き企てでは無かつたか。

　警察と選擧、この二つの名詞には果して何の關係があるのであらうか。これは民族の名譽のために、この際改めて深思すべき問題である。昨年地方議會改選の實驗をもつてすれば、數百萬を算する投票のうちについて、この煩雜なる法令の條項に觸れたる者は、その數僅に二千何百と報ぜられる。しかもその一部分は警察の任にある者の違反であつた。果してサーベルを引きずる人々が全く手を引いて、選擧を當の責任者の自治に一任した場合、如何なる弊害の忍ぶべからざるものがあるとするのであらうか。日本國民はいはゆる官憲の監視の下においてのみ、正當なる選擧を遂行し得る者と見縊られて居るのであらうか。乃至はまた警察は別に事犯を減少せしむべき、特殊の手腕を具へて居るのであらうか。何にしても過去の成績の甚だしく微小なるに對して、いつも支度の業々しいのには、驚きかつ歎息せざるを得ない。

　以前の制限選擧の世の中においては、總選擧は通例在朝黨の勝利をもつて終つて居た。殊に二流以下の都市においては、毎囘必ず現政府のために投票をする癖さへあつた。今囘も政府はその聲をもつて景氣をつけようとして居るが、公平なる批判は果してこれに與するや否や。省察の餘地は尚多いのである。最近清浦内閣の失脚の前に、苦い經驗をした人々は今野黨に居る。彼等は寧ろかの折の失敗に基いて、新しい樂觀を築きあげることが出來るのである。その上に萬年政府黨の地盤ともいふぺかりし、市は編入せられて中選擧區の一部になつたのみか、いはゆる無産派の根據はその間に經營せられたのである。それよりも何よりも遙に重大なる變化は、今度の總選擧には千萬人の惡癖なき國民が、新たに來つて投票に加はらうとして居るのである。この場合にも尚大小の役人を集めて、積年の宿弊を説法す(78)ることに一見して何等かの陰れたる效果があるか。思ふにいはゆる密室の秘策とかは、與黨末輩の情ない窮餘の宣傳と見ていいもので、うかとこの樣なる示威運動に乘ぜられることは、まづ第一に範を後代にたれんとする田中首相等の志で無いにきまつて居る。

　けだし指導監督の任に在る人々の、國家に對する第一番の本務は、多數の新選擧人に警察の怖るゝに足らぬこと、彼等は寸分の干渉をすらもなし能ふ力の無き者なることを、教へるにあるは固よりである。日本は既に普選の國となつたけれども、地方に住む純良なる農民のうちには、少數帶刀の階級を畏敬する舊習いまだ失はれず、あるいはまた彼等の訪問をもつて、家の面目と兩立せざるものゝ如く、誤解する風が養はれて居る。故に中央官廳が警吏を激勵して、選擧に活躍せしめることは無益なるのみか、時としてはまた有害でもあり得る。事を好まざる者の棄權、危險をまう想する者の曲從、かういふ善人たちの心得ちがひは、卑劣漢の節を賣り操をひさぐよりも、尚悲しむべきことである。いはんや新法は極度にまでか〔傍点〕察であつて、一郷一村の心あり私無き者も、嫌疑を避けて彼等のために説くことを差控へるかも知れぬ。特に「細心なる注意」を要する所以である。

　しかも馬鹿げた場合は決して一例や二例では無い。都府その他の新開地において、某々縣人會の名を利用し、同郷のよしみを種にするなどもこれである。異郷に新住して人が少しく孤獨を感ずると、早この點につけこんで、心の知れぬものに入札させようとする計畫がある。婦人選擧權獲得の希望に熱中する女史たちが、久しい前からさも當然の如く、人に説いて居るのもその一つに他ならぬ。女性解放の重大なる問題であることは、恐らく有神無神の論と同程度でもあらうが、今日の多事急迫せる政界の前線において、それが果して如何ばかりの關心を國民に要求し得るとするか。來年の建議案、再來年の立消え法案に、女にも選擧權あるべしといふ文字をはさむ約束の下に、如何なる鈍根でも選ぶべしといふならば、吾人は寧ろ婦人に選擧權無きを幸ひとするのみならず、各家庭のいはゆる帳中説法が、(81)能ふ限り無力ならんことを希望せざるを得ぬのである。

　教育の實際問題に至つては、各政黨はいまだ解決の能力を示さず、しかも眼前に燃ゆるが如き人の親の苦惱を見るのである。これを酒遊廓の問題と同大視することは、いふまでも無く不倫であるが、吾人は尚中央の教育諸團體が、特に黨派觀念を超越すと稱して、專ら教育に理解ある者といふことを目標とするをもつて、甚だしく國政に對して不親切なる態度と認めざるを得ない。教育は如何にも重要痛切であるが、その不振の根原をなすところの國および個人の貧、強ひて文教に干渉して少數一部の我見を通さうとする勢力の制限、外國文化の横溢に對する國民的用意の如き、政治家で無ければ議しても無益なる問題が多々あるのに、果して少しでもこれを考へ得る力ありや否やを問はずして、媚びるならば許さうといふ淺はかな條件を提出するの非は、ほとんと婦選女史の金切聲と擇ぶところは無いのである。彼等のいはゆる「理解」は、いはゞ、優遇と補助増額との約諾では無いか。そんなことだけなら低能者にでも出來る。

　利權の提供を以て不正なる方法に算へる今日、一部階級の悦喜するが如き聲明を要求することは、それが農村振興たると教育の改良たると、はた酒税の輕減たるとによつて、差別することの困難なる惡取引である。然るにかゝはらず與黨が率先し、他の各派もまたこれに追隨して、競つて限られたる選擧人の個々の欲望に迎合することによつて、各候補者品質の吟味を御免蒙らうとする姿があるのは、初度の普選としてもつとも不安心なる兆候と見なければならぬ。要するに多數の新選擧人の愛國心が見くびられ、彼等の政治問題を消化する力が、極端に低く積られて居るのである。國民は相勵ましてもつとも正當にこれを反證しなければならぬ。

　在郷軍人會は過去の政戰に際して、いつもその率直單純なる勇敢さをもつて、却つて實力の濫用を危ぶまれて居た。本年は幸ひにしてこれぞといふ題目が無ささうだからよいが、假にもし國防の擴張といふやうな論點が現れたとしたら、恐らくは宿老一戸將軍の百の訓戒をもつてするも、外部よりこの名この結合力を用立てんとする者を禁じ得られまい。しかも年齡から考へても地位から見ても、彼等會員が到底選擧に冷靜無關心なり得ないことは、青年團の二百(82)數十萬も同じことである。今囘はこの二大團體の幹部の愼思熟慮によつて、幸ひにして會の名を利用して勢力を作ることは制止せられたけれども、尚彼等を取卷いて黨派を問はず、ある一問題に理解ある者を選べといふが如き、輕率なる言動をする仲間が斯う多くては、いつ苦肉の計略をもつて、乘ぜられるかも測られぬ。故に心ある選擧人は何よりもまづ私心を抑へ、理由を問はずして尚滿足の出來るやうな、いはゆる消化し易い標語には警戒しなければならぬ。

　故に教養ある青年の國に對する任務は、まづ第一にこれ等古風なる憂慮であつたことを立證するにある。宣傳の巧拙によつて左右せられず、標語の外形美に誘惑せられること無く、全く一人の獨立した判別をもつて、進まんと欲する途を擇ぶべきは無論であるが、更にそれ以上に大切なることは、いはゆる己の欲せざるところをもつて、これを人に施さざるの用意である。政治の論爭には一定の武器、一定の限界が無くてはならぬ。言論によつて屈すべからざる相手に向つて、その他の手段を講ずるは舊派の武器である。青年の意地と感情、必ず負けまいとする執心を利用して、間接の壓迫を加へしめたのが在來の戰略である。その結果は往々にして良心なき選擧となつた。今更清淨なる新投票者の、學ぶべき術策では無いはずである。

　選擧には以前から、種々なる激越の標語があつた。例へば反對者を敵と呼び、撫斬りとか首を取るとか、殺伐なる形容詞は多かつたが、いはゆる無産派に至つては幾分か事を好み、わざと闘爭の文字を濫用して、元氣の鼓舞に供して居る。それを眞劍の如く解しようとする者が、まれには無邪氣なる若者の中にあつた。スポーツに熱狂してさへも、時には亂闘する樣な一本調子がある故に、それを怖れて老人は不當に新思想を警戒したのである。しかしそれならば自分たちは、さういふ血氣を利用せねばよいのだが、實はそのために分裂を郷黨におよぼし、交遊の和親を傷けた例も古くから存する。自己に便利なる雷同付和をもつて、身勝手なる平和の理想とする者が多かつたために、近年の政治には忌まはしい陰險が行はれ、怨恨はむすんで解けなかつたのである。八百萬票のいはゆる浮遊投票は、なる程多(84)きに過ぎまた無力に失するが、實はこれあるがために、今年の普通選擧は、この悲しむべき積弊を一掃するに足るのである。時勢が委託したる重大なる責任は、一に新選擧人の雙肩にかかつて居る。もつとも賢明なる省察を必要とするわけである。

　世には政爭の興味をもつて、自然にしてまた必要なる誘導方法の如く、解して居る者があるかも知れぬ。しかしそのために眞面目なる反對派を敵として、終生反目すべき理由は無い。敵が入用ならばこゝに公共の敵はある。法律には嚴として選擧費の限度を設けながら、平氣でその規定に違反して自他共に怪しまず、法廷のう〔傍点〕の目たか〔二字傍点〕の目もその視力はこれにおよばず、終に一世を擧つて法は空文の感を抱かしめんとするのは災害ではないか。これが首謀をなす者は少くとも國家の友では無い。これを利用して當選を企つるは惡徒である。しかも今や純情なる青年以外、敢てこれを惡み得る者も無いのである。故に彼等は國民として結合しつゝ、尚大いに闘爭することが出來るのである。

　多數の前代議士等は寧ろ地盤といふ意味の、出來る限り具體的ならず、極端にぼんやり〔四字傍点〕としたものであらんことを望んで居る。彼等が樂觀の資料の主たるものは、土地には大勢があつて新米の選擧人等を指導し、例へば長老を眞似した村の衆の昔話の如く、一々に彼等の手元を見てその通りを學ぶだらうといふ推測であるが、堂々たる政府政黨の政治教育なるものが、果してどの程度まで無效であり、舊式なる模はう〔二字傍点〕心理はどの點まで尚行はれるかといふことは、關心すべき一つの見物である。棄權は一生懸命にこれを戒めるが、個人の判斷は出來るだけ働かしめぬやうにといふ注文が、無理であつたか否かは試驗せられんとして居るのである。

　しかも傍觀者の立場からいへば氣になる點は無いわけでもない。第一にはいはゆる公認の權能を中央幹部の手に握つて、力めて候補者數を限定した策略である。しかもその選擇の根底には、事實と合せざる地盤觀があつて、出來るだけ新有權者に向つて、新候補者を供給すまいとした形がある。これが不幸にして有力なる二つの舊政黨に、共通した弱點であつた故に、結局はいはゆる大勢に卷込まれて、不本意なる追隨のために、あたら一票を浪費する者は多いかも知れぬ。この意味から見ると現行の登録制度は、候補者亂立の弊害は防止する代りに、すこぶる新選擧人の政治興味を滅殺し、從つて棄權防止の説法を不徹底ならしめた。他日改めて大いに討究すべき問題であると思ふ。

　歴史に殘るべき二月二十日は既に近づいた。以前の選擧ならば、もう今頃は大勢が定まつて居た。今度もあるいは定まつたと揚言する者があるか知らぬが、如何なる推理に由るも豫測し得るはずは斷じて無い。單にさういつて迷ふ者を煙に卷くのみである。昔の運動方法で少しばかり都合が惡いと、早くも小選擧區制の復活を説くのを見ても、彼等もまた自信は無いのだ。この上警戒すべきは金と力、いはゆる最後の五分間の暗中飛躍であるが、それはいづれも不正であり不義であり不法である。大切なる新選擧人の能力の發揮は、何よりもまづ疑ふべき形跡ある者を、忌避することにあると信ずる。

　政黨政治が日本に始まつてからこの方、理論として二大政黨の對立を唱道した人は多かつた。しかも實際のところこの意見は、しばしば一派の勢力擴張に利用せられたのみならず、寧ろ時としては不自然なる離合集散を促したかの觀さへあつた。制限時代の數十年を一貫して、民意は必ずしも本式に選擧の上に反映せず、多くの内閣は陰謀をもつて倒され、現に政權をは〔傍点〕持する者は、常に解散を有利に導き得べしと信じたのである。然るに今囘の選擧の意外に至つては、求めずして自から憲政の常道と合致したばかりで無く、更にその上に間髪を容れずとも名づくべき、もつとも際どい朝野互角の形勢を現出して、あらゆる舊式の選擧の神々を驚かしたのであつた。内外數千萬の觀望者、殊に良心の一票をもつて各自の政見を表白した人々の、均しくこの政局の今後の展開に向つて、無限の興味を抱くのは必然の結果であつて、これを普選の賜ものと稱して、異存ある者は一人も無いわけである。

　今の時に當つて、何よりも必要なるものは堅實なる輿論の成長である。國民は單に熱心かつ精細なる觀察によつて、次の選擧の判斷に備へるだけで無く、尚その目に見えぬ平日の力を發揮して、迷へる政治家等をしてよるところを見出さしめなければならぬ。專門の政治家たちは實際において迷うて居る。冷靜なる批判を試みるならば、政府の當選(89)豫測も根據無き樂觀であつた。從つてこれを減少と名づけて悔い悲しむにもおよばぬと共に、一方野黨がこれを大勝利などと稱して、忽ち乘取りの結果を夢想せんとするが如きは、大早計の甚だしきものといはねばならぬ。今囘の如く一國の投票がほとんと平分して、二黨の甲乙の決し兼ねる場合には、純理はもちろん選擧の遣りなほしを要求するのだが、それにはまづ今少しく平易なる選擧の練習を積まなければならぬ。もし再び血眼の狂奔をくり返すだけの根氣が、もういづれの方面にも無いとしたら、それではこの政局は結局如何にして安定すべきであらうか。これが現在の新問題の一つの中心であることは明かである。

　けだし民政黨は混成の一新黨であつて、まだ民衆の前にその能力を實證したもので無い。それが偶然にも豫期以上の投票を集め得たことは、いはゞ時の運であつて彼等自身の功では無い。だからこの機會を最善に利用して、これからまづ野黨の本分を表すことを心がけなければならぬ。單に相手の術策に警戒して、自ら守るだけではまだ足らず、いはんや正當なる順序を踏まずして、一擧に政權に近づかんとする野望を抱くなどは、要するに他日自分の倒壞の準備をする者に過ぎぬであらう。例へば内閣の不信任の如きは、最近に民意を聽いて、既にそれが如何なる程度のものかを明かにした以上は、改めてこれを議院内に表現するを要しない。それよりもまづ政策の實地によつて、自己が果して信任せらるべき野黨であるか否かを、證據立てる方が急務である。

　次に問題とすべきは中間の諸政派、殊に新たに選ばれたる無産黨の立場である。彼等は新顔にしてよく論議するが、(90)その票數は尚少く代表する區域は尚狹い。しかもその主張には改めて深く計究して、漸く決すべきものが多いのである。これがいはゆる漁夫の利を占めて、迎へられて輕々に許されることは、たしかに若干の不安である。もちろん彼等は十分にこの情勢を利用せんとするであらうが、民意は必ずしもそれを豫期しなかつたのである。いはゆる二大黨の接戰に盲目なる政治家等は特に彼等の選擧人のために、否全國の大利害のために、果してその穩當なる緩急の判斷を、私欲の犧牲とするなきや否や。從來の實驗は必ずしも有利でなかつた。國民は改めて彼等の進退を視察すべきである。

　それは決して空論で無く、また形容の語でも無い。この角力でいふならば四に組んだ大土俵の眞ん中において、雙方まづ同じ位な力の者に、これといふ巧妙な投げ手が打たれる道理は無い。結局は苦し紛れに愚劣な手を出した方が、負けて轉がるべきことは明かである。しかもこの政治的決戰のせ〔傍点〕戸際にあつて、見物たり兼行司たる者は他には無い。中には無論ひいき〔三字傍点〕をもつて、片方の勝利を念ずる若干はあらうが、勝敗は即ち彼等の如何ともする能はざるところ、判定の任務は自から屬するところがある。一言でいふならば民論が政治を行はんとして居る。

　普選の時代になれば常にこの通りと、解しては間違ふかも知れねが、少くとも現在の與黨野黨は、どうすれば人氣を味方へ引寄せようかに、氣の毒なほど苦慮してゐる。無細工千萬なる暗中摸索をもつて、日頃の不用意を今になつ(92)て告白して居る。利權で釣るなどは昔の事であつて、人が片端から表決の能力を持つ段になれば、一部恩惠は却て他の部分の惡感の種なることは、わざ／＼經驗をして見るまでも無いことであつた。殊に最近の政黨には見解の相異はあつても、計畫の目途には共通ばかり多く、互に入亂れてたれからも好い兒にならうとした故に、一層何をもつて民意の迎合を企てようかにまごついた次第である。ほとんと信じ得べからざる法定選擧費の超過、若くは途方も無く大係りな投票賣買が今更話題に上るのも、要するにこの無能力の現れに過ぎず、それが選擧を過ぎて後までも、尚彼等を累して今日の苦境に陷らしめたのである。

　主客の地位は細説をまたずして既に明かである。吾人の切に望むところは、國民の自重心が、この目前のいさゝか馬鹿げたる混雜を實驗することによつて、出來る限り急速かつ堅實に成長し、かゝる拙劣なる機嫌取りに機嫌を取られること無く、自分の判斷をもつて疑ふべきものを疑ひ、怪しむべきものを怪しみ、更にまた大いに賤しむべきものを賤しみ退けんことである。日本人の感情は過去の政治において、一半は抑へられ一半は悲しむべくまう〔二字傍点〕用せられて居た。古來この國に盛んであつた義の道德が、新しい時代に入つて著るしく衰弱して居たのは、全くこの餘弊をもつて目すべきもので、純情なる青年をして政治に無關心ならしめ、他の一方には名を公憤に假りて、各自の私心を遂げんとする者を寛容したことが、終に多數の愛すべき農夫をして、今度もまたろう〔二字傍点〕獄の人たらしめねばならぬ根本の原因である。

　今囘もあるいは窮餘の一方法として、ゆくゆく昔の通りの冷血なるせん〔二字傍点〕動事業が考へられぬとも限らぬが、そんな(93)巧に乘つて狂奔し怒號することは、固より眞成なる感情の政治では無いのである。私心私慾の刺激をうけて、意地と稱して人をして相打ち相惡ましめた先例は、有り過ぎて困るほど既に持つて居る。新しい政客等が勢ひを民衆の感情に借らうとするのはよい。たゞ必要なる一大要件は自主である。欺かれざる同感である。巧を横へて人の純情を誤らしむる者は、その罪は買收よりもにくむべく、誤られて感情を逆施する者は、即ちゆるすべからざる愚者である。

　杜會のあらゆる新事態を竝べて見ると、政治くらゐ歩みの遲いものは他には無い。もつとも善意にこれを解釋して見たところで、國の進歩が餘りにも急激であつて、ついてゆけなかつたといふまでゝあらうが、この節などは政權の授受と維持ばかりに問題は集注して新計畫も舊調査も、一つとして休止の?態にをらぬものは無いといふ光景である。單なるさ〔傍点〕上の偶語をもつて、もう座視してをればよいといふ時代では無いのぢやないか。いはゆる試驗地獄の救濟案の、如何ともし難い行詰まりに突當つて、さう考へだした者はけだし少數で無いと思ふ。

　金解禁などの込いつた誤魔化され易い問題とは事かはり、こんな簡單なる右か左かの決定について、輿論の動きが尚遠慮深かつたのは、深く省察すべき事情があると思ふ。利害關係ある國民の一部は、いはず語らずの間に到底現在の財政が、滿天下の志望者を滿足せしめ得ざることを認めて居る。即ち全部の共存は到底その望み無き故に、まづまづ自分等のみ何とかして限りある便宜に有りつき、他の一般的問題は徐ろに考へようとして居たのである。火事の立退きや難破船の場合と同じく、これは一種の緊急心理とも名つくべきもので、固より非人情をもつて責むべきで無いか知れぬが、少くとも傍觀をしてはをられない?態である。個々の家庭の一喜一憂として、、永く辭令の同情を交換することは、既に許されなくなつて居るのである。

　しかも問題の解決は、少しでも面倒なことは無い。必要と國の貧富とを校量して、奮發をするか辛抱をするか。この二つのいづれかより答へは無い。然うして入用だけの學校を急増することは、税も公債も支へられず、若くは中流のみに旨過ぎるとするならば、たれかが選に漏れることは我慢させるの外は無く、何人も我子の人よりも惡いと評せられるを好まぬとすれば、抽せんで運を定められるのも恐らくは必至の論であつて、校長教員の手加減を望みまたは怨むが如きは、それこそ大勢とは交渉無き末節の紛亂であつて、單に當局の即斷を餘りに身勝手に、樂親しようとした弊害に過ぎない。

　それよりも國民の公に關心すべき一點は、既に學校といふ機關が希望せらるる教育の全部を授與し得ないことが明(95)白になつたとすれば、殘りの必要は何の手段をもつてこれを充さうかである。假令完全に學校の任務を代位し得ずとするも、少くとも多數少年少女の不合格をもつて、直に教育との絶縁に歸着せしめない何等かの途があるか否かを考究することである。日本の父兄の學枚萬能觀は、實は今日では幾分の迷信となつて居る。いはゆる肩書の有難味はひとり地位狩獵者の鑑札であるに止まらず、一種の芙衣しょうの如く無用に人間を粉飾しようとして居る。何等の眞價無くしてこれを方便とする者は論外であるが、もし今人間の修養と向上とが、別に自由なる經路を踏んで、求め得らるゝこと明かになるならば、徒らに群を追つて勞苦するにはおよばなかつた。一方に全然その用意を怠り、他方學校を唯一つの學問方法としたことが、我々の文化の失敗の一つであつた。今度を機縁として徐々にその弊を改むべきである。

　事後の評論は敗者に對して、幾分か冷酷に感ぜられるであらうが、彼等の多數が指導者に誤られたといふことは、(97)今となつては爭ふべからざる事實である。彼等が前年數囘の強硬談判に功を奏し、意奢り自ら信じて、相手の力を輕んじて居なかつたら、もちろんその態度も最初から、やゝ堅實であつたに相違ないが、一旦結衆して少數の代表者を選定し、全部の外交を委任した以上は、彼等の耳目は即ちおほはれなければならぬ。然るに重責の地にある者が形勢の觀測を失し、若くは故意に樂觀の情報をもたらして、ひたすらに對抗の氣勢を強め、一方に終局の打算を疎かにしたといふことは、何よりも大なる惨敗の原因であつた。

　あるいは初期の勞働運動が、一度は必ず經驗すべかりし失策であつたかも知れぬが、組織ある同盟罷業の暴動と異なる點は、機會と勝算との有無である。然るに資本家に十分の防備あり、寧ろ新たなる事端の出現を期待して居たことを、久しからずして發見したにも拘らず、騎虎の勢ひを制止するの力無く、幾度か退陣の必要あるに更に戰線を進めて、結局感情を最惡にし怨恨を集積し、あるいは血氣の青年を驅つて非法の擧に出でしむるに至つたことは、如何なる好意の辯解を煩はすとも、戰法拙劣の批難は免れるの餘地がないのである。

　日本人が平和の競爭に習熟せざる弱點は、ひとり勞働の爭議に暴露したばかりでは無い。小はスポーツより大は政黨間の爭ひまで、勝つ喜びを知つて敗るゝ苦痛を忍ぶこと能はず、行司無き力競べは常に最後はつかみ合ひである。殊に勞働者の團體は好んで激語を用ゐ交渉の相手を敵と呼び談判交渉を戰爭に比する故に、無邪氣なる者は忽ち昂奮して、形式の悲壯のために當初の目的を無意味にするのである。戰爭は生死を度外にし打算を超越すべき事業であるが、一方これに反して生のため利益のために企てられたる打算的行爲である。この二者を混同せしめて、假に一時的にもせよ却て人を貧苦缺乏のどん底まで、引落すが如き無謀なる勇士を、この種の問題の前線に立たせたことは、取りも直さず經濟知識の缺乏であつた。

　然しながらこの類の恩澤には、必然的に限りがある。多數日本の青年が精巧なるコロタイプによつて、泰西の繪畫彫刻を論じたのも年久しいことである。足利氏以來の古器名物が、今はほとんと自動車の臭き煙の如く、徒らに富家翁の氣紛れを嫉視せしむるの標的となつたのも是非ないが、時を同じうし世の誇りとする平民の天才が、その生がいの一部を傾けたる力作すら、忽ち新月の去つて西山に入るやうに、縁なき一好事家の珍襲に歸して、再び後進をしてその流風を體得するの機會を與へぬのであつた。從つてこの方面の圓本主義は決して幸福でない。僞物の横行である。濫作である。劣品の賣買である。いづれにしても一般國民の情操を鍛練するにおいて、いさゝかも益する所がなかつたのである。

　東京では最初一篤志家のまづ美術館の容器のみを寄付したものがあつて、市民は假小屋テントのあわたゞしい心境から解放せられ、靜かに一年の藝術の展開を視ることが出來るやうになつた。六十年來の名作展覽會の如きも、幸ひに早くこの機會を利用することを得たが、收集は更に數倍の難事業であつて、しかもこれに基かなければ、永く中流の藏幅趣味者をして盧生五十年の夢を頓悟せしめる途が無かつたのである。志ある富人が世の爲に私占の欲念を斷つことは既に望み難い。いはんや名門の零落し資本家の失脚して、悲しむべき經濟上の没收によつて、辛うじてその好機會を生ずるが如きは、固より熱情ある者の忍び得るところでは無いが、これをしも尚空々に看過し去り、再び平然として分割私占をたくましくせしめんとする世相に對しては、殊にこの願あつていまだ充されざる總國民の藝術心のために、長歎せざるを得ないのである。

　最近我社の樓上において、しばらく公開せられんとする版畫收集に關しては、讀者は既にその興味あるローマンスを熟知せられたであらう。小島烏水氏は少くとも大富豪にあらず、自身長年の研究者であつて、その收集は則ち彼が(101)學問の里程標であることを告白して居る。即ち一々の動機目途、採擇の標準に至るまで、こと／”＼く同胞をして共に學び進ましむるに足るものがあるのである。しかも傳ふるが如くんば所有者の欲すると欲せざるとに拘らず、兎に角にこれを日本の地に保持して、版畫の傳統と東西相互の交渉とを、研究するの資料たらしむるを得ないらしい。吾人は既に藝術の歎美すべきことを知つて、いまだその眞たい〔二字傍点〕に接することを許されず、求めて與へられざる哀れなる美術國民のために、かゝる世相の速かに一轉せんことを希望してやまぬ者である。

(102)　昨今この事業のいよ／＼準備に着手せらるゝや、期せずして一致したる全國民の感動は、まづ第一に我國の航空技術およびこれを支持するところの各科の學問が、かくまで急速に進歩して居たかといふ喜びであつた。人も知る如くこの問題には必要なる秘密があり、從つて空ばくたる樂觀と悲觀とが、久しく大衆の夢を支配して居たのである。然るに卒然として實現は問題にあらず、問題はたゞ經費であり人であり、若くは機械であることを教へられたが故に、これを幸福なる一大啓示として、直に成功の日の壯快を想像せざる者はなかつたのである。

　多數の推理は常にかくの如く單簡であつた。また同胞各自の熱情と勇氣とに對して、古來少しの疑念をも抱かぬのが日本人であつた。もし現在の如く方法に數途あり、準備に若干の曲折があつて、それを決定するにも尚新たなる審議を要することならば、あるいは第一次においては單に專門家にこれを實行するの意圖あること、しかうして實行は決して不可能でないといふことのみを公表して、期日その他の末節はこれを多くの討査の後にするのが、より賢明なる順序であつたかも知れぬ。然し國民の訓練としては、かういふ方法もまた適切である。吾人は寧ろ問題の全部に直面して、つとに專門家たちの苦心に參加し得たることを喜ぶものである。

　但し期日の一點に關しては、性急なる輿論の干渉を愼まなければならぬ理由がある。帝國に取つては太平洋は永遠の實際である。征服といふならば語弊があるか知らぬが、これを民族の日常生活に織込んで、將來この偉大なる天然を、たん／＼たる天下の公道と化せしめんがためには、今囘の如き實驗は尚何度となくこれをくり返し、徐ろにその最善最平安の一つを選ぶべきものである。奇を求め冒險を愛し賭をするが如き一時的人氣に乘じて、徒らに競技の勝利を博してやむべきもので無い。固より能ふべくは成るべく速かに、また何人よりも前にこの目的を達することが、萬人の切望する所には相違ないが、安全なる完成はそれよりも遙に大事である。意地を説き名譽を高調して、まげて未知數を飛越えしめようとするが如き感情論は、これに携はる勇士智謀の士の境遇に同情して、出來る限り差控へなければならぬと思ふ。

(103)　殊にこの際にあつて個人的勇氣の問題を論じ、乃至は關係者の熱心の多少を議するが如きは不當である。これ等の問題は日本において久しい昔から既に解決して居る。何人か衆に推され重責を託せられて、生死を超越し身命を度外視し、慨然として危きに赴かなかつた者があらう。過去の記禄は却て沈重に機會の熟するを待つこと能はず、やゝ短慮に突出して難を踏んだ實例の、餘りに數多きを悲しむべきものがある。しかもさういふ勇氣は不幸にして往々必要であつた。少なくともこれを非難せざる道義律をもつて、花の若武者を導くべき時代は久しかつた。然るに太平洋の横斷飛行の如きは、至つて重要であつてしかも危急では無い。國民總員の希望と國の利害は、一致してこの目的の達成のみに係つて居る。必要無くんば冒險の先例を誇示するにもおよばぬ。寧ろ豫想し得べき失敗の原因を豫想して、一々これに備へたといふ名譽こそ、今後の學術の指導のために缺くべからざるものである。國際の競爭は成るべくこの方面においてこれを試みたい。個人の勇敢もまた不純なる感情論と對立して、忍耐し自重する點において、新たなる好例を示すべきである。現在の事態においては、まだ何人も飛行家のおく〔二字傍点〕病遲鈍怠慢を責めんとする者は有り得ない。この一般の信頼は、恐らく事業の遂行のために、もつとも大切なる基礎であらうと思ふ。

　朝憲紊亂の忌はしき陰謀に加擔した者に、もし多數の大學生または卒業者があつたとすれば、それはいづれの點から見ても、いはゆる最高學府の名譽で無いことは確である。殊に日本の如く必ず一定の型にはまつた人間を、社會に供給すべく豫期せられた國では、これに關與する人々が無能以上の非難を受けることも、また當然の結果である。しかしこれに由つて、假に大學の利害得失が論議に上る場合が起るとしても、少くとも總長なり文部大臣なりが全部の責任を負うて、善後の解決をなし遂げ得るものと見ることは、すこぶる過當なる信頼といはなければならぬ。制度慣例の表面から見ても、また彼等の智能學問から考へても、干渉の餘地は人事以外に何物も無く、近年はこれすら必ずしも意の如くでは無かつた。その十分なる過去の實驗を持ちながら、今はた口に大學の改革を説き、押問答と評議に日を重ねんとするのは、恐らくは今囘の重大なる刺衝に乘じて、試みにかつて行ひ難かつたものを行はうとするのであらう。即ち國民の輿論は探られて居るのである。改めて深くこの間題を討究すべき機會である。

　吾人の觀察をもつてすれば、いはゆる左傾教授の感化力、よくいへば學德、惡くいへば誘惑は、單なるき〔傍点〕憂老人等の買被り以上に、可なり顯著なるものがあつたやうである。無邪氣なる多數學生の感激性には、時として判別を超越した一種の陶醉さへ認められた。これが我國の文教當局をして、終始一個の成人を遇すること、あたかも中學以下の少年群を視るが如くならしめた不吉なる原因であつたかと思はれる。日本の元服はもと十五歳で、既に丁年と稱する者は、親といへども一程度の自治を認めざるを得なかつた。しかも學校においては規律と稱して、寧ろ集團の特殊心(105)理を利用し、出來る限り子供らしく、左し右するが如き氣風を流行せしめ、教授は即ちその一個人一國民としての見解と好尚とを、能辯に説き聽かしめ、必ずしも學生が先生と説を異にすることを寛容しなかつた姿がある。職業獲得と大關係ある點取試驗法の如きは、殊に從順なる學説承繼者に便であつて、學校の生活は寧ろ己を空しうする雷同を奬勵した觀があり、相異はたゞ一方の極端に走つて、惡むべき犯法に陷るをさへ省みない者が、幸ひにして至つてまれであつたといふのみである。

　つまりは日本の大學には教授の自由のみ豐かに存して、學習の自由は悲しむべく限られて居たのである。それを奇貨として學派を樹立し、私家の見を主にし比較の研究に疎ならしめた指導者の、概括して責むべきは元よりであるが、これを常態として寸分もあやしむところなく、却てこの道によつて能ふべくは人心を偏依せしめんとするが如き、官廳もまたその非を覺らなければならぬ。ひとり保守によつて自ら安んぜんとする階級のみでは無い。世の有爲有望なる青年の父母親族にして、既に成長したる新國民がいつまでも口移しに精神の糧をもらひ、終には系統ある宣傳に引いれられて犬馬の勞に服するが如き傾向を、眼前に座視したことは誤りであつた。しかも國のためはた個々の靈魂のために、まづ起つて覺せいすべかりし學生自身が、今尚痛切に各自の不自由を會得しては居なかつたのである。單に間接に進退と給與とのかぎを握る者に、今更思想の善導を企てられるが如きは、近き未來において一大帝國を支持すべき人の、責務に背きまた威嚴にも關することでは無いか。

　從來大學の自由の高唱せられるのは、必ず教授が官を罷められ、會が解散を命ぜられた場合に限られてゐたのは、滑けいとも悲慘ともいひ樣の無いことであつた。個々の學生の自由なる學問が、如何なる無形の壓迫を受けても、これを憐れまんとする人すらも無い。そのために僅なる少壯教授の片寄つた學問でも、忽ち流行となつて次から次へと、前へ出て譽められんとする者を生じ、他の一方には缺けたる知識、國のために更に必要なる新方面の研究は、永く顧みるところとならぬのである。思想が思想戰となることは事既に奇異である。いはんや食ろくにきふ／＼たる刀筆の(106)吏さへ、思想は思想をもつて戰ふべしといひ得る世の中になつても、いまだ何をもつて戰ふべきかの方略も立たず、徒らに傾向の高潮に搖蕩せられて自ら省みるの餘裕無く、今や老翁の調査會と強壓政策とに由らざれば、禍根の絶滅を期せられぬかの如く、推斷せんとする者をさへ生じたのである。まづ自由なるべきものは學問である。大學はこの意味において、第一着に改革せられねばならぬ。

　大多數の新選擧人がもつとも無邪氣なる好奇心をもつて觀望するにも拘らず、今囘の政争經路は餘りにも複雜微妙であつた。少くとも明るい政治の手本として、永い記録に存留するに足るものが少かつた。これに比べると露骨にしてかつ理由無き二三子の變節の如きは、却て消極的ながらも教訓の價値が大きいやうに思ふ。けだし彼等の道義律乃至は品性を、今頃問題にする者は一人も無いが、少くとも二月二十日以來、一日何囘と無く勘定せられた黨代議士の頭數が、あたかも不信任案表決の間際に臨んで、秋の一葉の如くぼろぼろと落散るといふことは、何か日本現代の政治のみに、特有なる原因があるのでは無いか。それを尋ねて見ないことには、折角の普通選擧も尻を結ばぬ縫絲である。

　皮肉なる一派の觀察者は、これをすら野黨幹部の腹藝の一つに、算へんとする者もあるらしいが、その樣なる餘裕があつたならば、勢ひのかくの如く窮まらぬ以前、今少しく見苦しからざる轉囘も出來ぬことは無かつた。要するにただ目算の粗漫に基いて、う〔傍点〕合の結衆をもつて強固なる力と誤信したものと見るの他は無い。地をかへるならば政友會とても、恐らくは同じ結果を收めたことであらう。全體に政派のセメントを個人的恩義に求めようとした傾きは以前からあつた。殊に今囘の選擧にあつては候補者公認の制を嚴守し世にも珍しい公認料といふ名目の下に、多分の入費を補給することにしたために、一段と個々の議員の節操を買占め得たといふが如き、愚かなる安心が強かつたのである。

　然し賣るべき何物かを持つ政治家ならば、その取引方法を有利に導かんとするのも當然と見なければならぬ。彼等の進退去就は、元々個人の利害から割だされたものであつたとしたら、形勢の切迫に伴つて動搖するのはやむを得ない。もちろん彼等とても、甘んじて賣節の名を博したくはなかつたであらう。もし兩黨對立の陣形が今日の如く、一二次色子の向背がこれ程の重大性を帶び、競うて彼等の前に九拜して唯命これ聽かんとすることを豫想したならば、(108)如何なる投資を忍んでも中立を標ばうしたであらうが、この輩の短見無知は到底その機をつかむことを得ず、殊に解散の虚聲に脅かされて、一層見苦しい戸惑ひをしなければならなかつたのである。

　故に問題は眼前の小さな爭奪では無い。この舊式極まる陣がさの操縦法を改めぬ以上は、時と共に醜惡は増長し、後世をして今日の歴史を、正視することを得ざらしめるに至るかも知れぬ。しかもその原因はほとんど唯一つ、法律は明かに選擧費の額を制限するに拘らず、朝も野も義人顔する者も、同心一せいにこの規定を無視し、金力の勝利を當然とし、終に天下の候補者をして、何人かの軒先に立たなければ、當選は出來ぬものゝ如く解するに至らしめたことである。その隱れたる惡結果は、斷じて解散の畏怖と怪文書と、親分子分のごた／＼とには止まらぬと信ずる。資本階級の利害が今後續々として論議せらるべき議會としては、これ以上に氣遣はしい問題は無いのであつて、それをよい加減に打切らうとする司法當局の不徹底は、誠に歎息の他は無いのである。

　いはゆる議會の内部からの破壞は、寧ろ笑ふべき空想であるが、一方にはこの不安なる現?をもつて、永久に維持すべき常態と考へることも大なる誤りである。普選の本當の效果は目覺めたる傍聽席の批判を、追々に議場に下り來らしむるにある。人間としてまた男子として、一般に認められざる事態が、ひとり議院内においてのみいつまでも行れてよいといふ理由は無いからである。しかもその實例が比々として現出するのを見ながら、終にその原因のいづれにあるかを究めようとせぬならば、今度はまた再び意味不明なる議院内の泥試合となつて、いよ／＼國民をして昏迷の中に陷らしめるであらう。

　これを普選第一次の議會として觀測するとき、何が果して新たなる民の聲の、反應と目すべき特徴であるか。この疑ひは所屬黨派の如何を問はず、議員自らもまたこれを抱かずにはゐられまいと思ふ。成程世にいはゆる議會の空氣は、今も以前の通り停滯しまた混濁しては居るが、既にある種の通風路が開けてある以上、たとひ凡眼には見えずとも、その效果は現れずにはをらぬはずである。あるいは國民の期待が性急に失したために、徐々たる革新のいまだ認識にあたひせざるものがあるか。但しは不自然なる障壁の一時尚隔離を繼續して居るものがあつて、殊に世相を今日の如く、陰森不快ならしめて居るのでは無いか。

　かういふ問題が自然に提出せられ、人は必ず何等かの解答を、これに與へんとして居ることは事實である。以前政權が一部に偏在して、情實と陰謀とが交互にその力を施して居た時代には、これを當然として略々あやしむところなかりしものが、今日は兎に角に著るしく奇妙に見える。古風なる立論は何人の指摘をも待たずして、自身既に不調和の弱點を暴露した。時代は改まつたのである。國民が徒に紛々たる世説に指導せられず、まづ現實に面して疑惑の眼(111)を見張つたといふことは、恐らくは更に進んで根底ある政治觀を求め、確固たる目標をとらへんとする準備であつて、吾人はこれを新たなる選擧制の、好影響の一つに算へんとするものである。

　自由なる批評を忌避せんとする態度は、幸ひにして議會とその僅なる周圍とに限られて居る。しかも現今の議會の如く、批判を必要とする機關も類が無いのである。彼等の政治技術は如何にも進んだが、その精微なるどう〔二字傍点〕察と攻撃方法は、いまだ曾て大局を制するために用ゐられたことが無い。政治は國が平和なる限り、次第に形式化する傾向を有するが、それにはまた一定の識見と智能とを條件とすべきである。近來の政爭は相手の弱點に乘ずる以外、人心を狹あい〔二字傍点〕なる利害問題に引つけて、單なる同黨異伐に熱中せしむる以外、他はほとんど省みるところが無かつたのである。この内容の空疎をもつて、次第に政治の形式を固定せしめんとする結果は、比々たる毎囘の審議未了をもつて、國務の一半を荒廢するに至り、一朝突發の事件に遭遇すれば、たちまちにして國是の不安定を暴露して、徒らに責任の歸屬ばかりを論辯することにもなるのである。

　現在の?勢を重ねてゆくならば、政治は追々に議會の外に逸出するかも知れぬ。しかも國民各階級の利害、および區々相容れざる政見を反映すべき機關が、かくの如くその精力を無用に消費し、たま／＼獨立してその所説を提供すべき政治家すらも、好んで政權爭奪のくわ〔二字傍点〕中に卷込まれて、穩健なる評論は全然そ〔傍点〕止せられ、ほとんと中立を無意義ならしめて居るのである。討議と攻究との任務は既に職業政治家の任務では無くなつた。國民は單に傍觀者の興味のみをもつて、この變遷を眺めては居られぬ。彼等の勝手放題の説明に先だち、自ら進んで一定の見解を持し却て彼等をして據るところを知らしめなければならぬ。

　新渡戸博士が永遠性を承認したるこの國の武士道は、問ふまでも無く實質であつて、その外形または名稱でない。假に日本今日の言論文章において、もはや偶然にもこの語がくり返されぬことは事實であるにしても、これをチョンマゲの存否を尋ねられた場合と同じく、一笑に付し去らうとするのは許すべからざる輕薄である。しかも他の一方にこのやや唐突なる刺衝に驚いて、忽ち國人の一般的無關心を痛歎せんとするのも、不用意の極みといはなければならぬ。國に外來の珍客と同樣なる知識慾が、いまだこの問題に對して起らなかつたといふことは、保守派の立場から見れば寧ろ喜ぶべき兆候と稱すべきである。

　成程日本國民の自意識は金一銀四の比率當時以來、いつもよそから來て戸をたゝく者に、喚び覺さるゝ習ひがあつた。半世紀の西洋心醉はしば／＼舊文化の棄賣式評價を敢てせしめ、今更無益の悔恨をもつて、死兒の齡を算へたや(113)うな例も多かつた。然しながらそれは單に不利なる交易が、無知によつて誘導せられた場合に限ることであつて、この古今を一貫して常に存在し、常に成長しかつ進展した國民道德の基準の如きは、たま／＼外國の學者によつて時おくれて始めて承認せられたといふことが、少しでもその價値を増減するわけは無かつたのである。しかも局外別樣の空氣に生活した人でなければ、批判し分せきすることの困難なる事情は、當然にこの間に横たはつて居る。いはゆる武士道の精神が名を更へても今も我々の社會に存留するならば、それが單なる文化史學の一間題として、その全き姿を國氏自身の心鏡に、映出せぬのはまたやむを得ぬのである。

　然るに世は改まつて異種民族の接觸はますますしげく、外間の批評は人のこれを歡迎すると否とに論なく、日に月にその精細を加へんとして居る。これに對して永らく同情ある者をもつて理解ありとし、異議を唱ふる者を無理解と名づけて、獨自の慣習を持續し得るか否かは問題であるのみならず、國内にも各種の注脚を構へて、狹量に互に相爭ふ者が次第に増加した。もしその異見ある一つを正しいとすれば、他の全部は即ち誤りでなければならぬ。吾人の殊に危む一點は、ひとり外國式觀測者をしてその正解を失はしむるに止まらず、過度に無我なる多數國内のきん聽者が、却て彼等の推斷に追隨して、實地眼前の生活に遠ざかつてゆく懸念である。

　名稱の武士道が武士といふ階級の消滅と共に、今は昔となつたのは不思議でも何でも無い。しかも武士が農民で無く、僅な國民の一部分を意味して居た時代は、極めて短くまた變化して居たのである。史書を愛する者の容易に心づくことは、彼等の特徴は觀望せられる階級であり、また特段に批判せられる階級であつたことで、そのために戒愼して日常の言行を道義的ならしめ、固有の美德を長養した結果はあつたが、一方にはまた無用にその範圍を極限して、餘りにも武士たらざる者の武士道を輕視するやうになつた。しかうして現在はもはや外形の武士は影を收め、大小の政治家は即ち匹夫であるに拘らず、一世の期待は彼等の境遇の變化を認めつゝも、尚大に割引するところが無かつた故に、こゝに悲しむべき一種の破綻を見たのである。國民としての幸福からいふならば、寧ろ新渡戸博士の名著出で(114)ずして、このやゝ狹あい〔二字傍点〕にして區々の解釋ある「武士道」といふ文字が忘却せられ、これに代つて「男らしさ」、若くは「日本人らしさ」といふが如き適切なる名詞の、世界に知れ渡らんことを希はざるを得ぬのである。

　かくの如くすれば、始めて極東の多くの民族の間に、偉大なる力となつて充ち渡るところの感情、即ち恥に敏感にして笑はれあざけらるゝことを、死以上に恐るゝ慣習と、それを根底として我民族の一致が、徐々に改良し完成した道義律の、如何に理想的であつたかが知れるわけであり、從つてその現實を無視した國際の交はりが、如何にして不自然であるかといふことも、追々に隣人等の會得するところとなるわけである。それがガイドやホテル人やまた無頓着なる公私の外交人に圍まれつゝ、僅に若干の文書を飜讀したのみで、學び知らるゝものでないといふことは、たゞこの?態においてのみ心ある外國の學者に、諒解せしめ得る望みがあるのである。

(115)　けだし田中義一氏等が政黨觀なるものは、最初から著るしく時代と相應せざるものであつた。しかも數十年の訓練實證に基いて、公理公情の大體に通じて居なければならぬ舊黨員が、薄々といふ以上にその事實を承知しながら擔ぎ來つてこれを自派權勢の擴張に、利用したことが根本の失策である。その必然の結果が時と共に益々暴露したとすれば、天下の選擧人に對して第一次の責を引くべきものは、即ちかゝる黨首をして内閣を組織するを得せしめたる者でなければならぬ。今頃分裂によつて保證の義務を免るゝ能はざるはもちろん、良心ある政治家ならば、到底單なる收拾と仲直りとをもつて、その良心を安からしめることも出來ぬはずである。

　無知の勇敢には時としては尚憐れむべきものがある。これに反して既に世情人心の向ふところを解し、革新の機運の方に到達したことを感知して、自身また折々それを口にしつつ徒らに私情と行懸りに囚はれて、目前の便宜主義に降伏し、有る限りの辭令を濫用してその非理を粉飾するが如き者は、假に外部からの指摘を免れ得たとしても、まづその自責によつて罰せられなければならぬ。與黨今日の苦悶の案外に同情を博し難き所以のものは、その過去の經歴において、往々にしてこれに類する行爲があつたからである。今となつては性急なる素人總裁の地金が、豫期以上急速に事態を行詰まりに導き、否應無しの革新を促したことを、感謝しなければならぬ理由があると思ふ。

　故にもしこれを一個の機縁として、不自然なる永年の誤りを切上ることが出來るとすれば、まだまだ歴史ある一つの大政黨は救濟せられるかも知れぬ。反省の能力を具へたる者の限りは、改めて新しき政治の道に進み得るかも知れぬ。例の議會中心論の突如として燃え上り、會て官僚政治の盛時において、もつとも彼等の先輩たちを苦しめた一種の論法が、僅ばかり形を變へて再び蒸し返されるや、まづ煩悶した者は野黨にもあらず鈴木氏にもあらず、自由黨以來の傳銃に養はれて、議會を陛下と臣民との間の、たつた一つの連鎖と考へて居る與黨の中堅であつた。かゝる揚足取り同然の論辯に苦勞することは、固より無用に近い事であらうが、然らば政黨内閣制開始の名譽を持つ政黨として、實際果してどれだけの業跡を擧げ、どれだけまでいはゆる憲政有終の美に向つて歩を進めたかといふと、一言をもつ(116)てこれを盡せばゼロであつたではないか。

　政權奪取のために集注せられた種々の術策、既存勢力と結託した紛々たる動機は、今更その不愉快なる記憶を喚起するに堪へぬが、たゞ一つのもつとも忍ぶべからざる事實は、毎囘の議會を亂闘惡罵のちまたとして怪しまず、却て國民の存在と至大の交渉ある國務を擧げて、出來る限り會期以外の時を待つて處理せしめ、寧ろその間に陰謀密計の餘地を見出さうとしたことである。田中内閣の名聲を後世に傳ふべき第一の特徴、即ち常識を無視したる私恩式人事の如きも、要するに皆歴史ある一個の政黨の、事實上の非議會中心主義の表現に他ならず、たま／＼その選擇が彼等に私せざりしが故に、始めて慨歎し若くは正論せんとするに至つては、如何に考へても代議制度の下に存立する政黨の誇りとは申されぬ。

　測らず全國民の關心するところとなつた日本の大學問題は、單に一二教授の引退と不良學生の處分のみをもつて、少しでも解決したもので無いことは、豫て吾人の痛感するところではあつたが、その後諸般の兆候は更にその懸念を深め、一段と戒愼反省の急かつ切なることを認めしめる。例へば京都大學來年の新經費に、思想善導費百二十餘萬圓を計上せんといふ風聞の如き、これをある暴壓政府の忠僕をもつて終始するいはゆる治安警察機關などの、牛刀鷄を割くの案と同一視する者は有り得ない。さういふ無思慮なる態度をもつて、この不面目極まる問題を處理せんとするが如き空氣が、果して我大學の當務者等を鎖して居るならば、この上餘分の面倒を忍んでまで、尚少數有産階級の子弟のために、かゝる大規模なる施設を存置しなければならぬか否か、それがまづ疑問になるわけである。それを既定の動かすべからざる原則の如く、輕々に看過し來つた世間も責めはあるが、事態を今日の?に運びつゝ、尚申譯ばかりの善後策に没頭して、自ら本務のいづれにあるかを覺らざる指導者も、まづその公に對する良心を復活しなければならぬと信ずる。

　當初國民の最高學府に期待したところは、斷じて今日の大學の如きものではなかつた。新たなる制度文物運用の法はいまだ具はらず、萬般の學藝智術はさくそうして來り進むべきが故に、有爲の青年壯年をして速かに出でて活躍せしむべき必要急なるにも拘らず、暫らく學窓の餘裕を與へて、事理を判別するの素質、根本の學理を修得せしめんとしたので、國としては百年の將來に用意すべき、もつとも重要なる犧牲であつた。今や果して多く學ばざる部分は迷(118)ひかつ動かされて居る。殊に眼前の實驗に刺衝せられて、輕々しく信じみだりに走らんとする者は、日一日とその數を加へ、代つて彼等のために深く思ひ遠く慮るべき者の必要は迫つて居る。然るに學府所定の學問を未熟の?態に中絶して、出でて街頭の人と共に狂奔する者の多數を生じたのである。即ち最初から學問に志無く、大學を卑近の活計に利用せんとする者を收容したか。さうでなければ教授が無能にして、早く青年向學の興味をうましめたか。若くは彼等の感化力と自由なる境地をはさんで、研究以外の刺激に學生の熱情をおびきだしたか。いづれにしても本來の事業から外へ遠く、大切なる國民からの預かり物を、迷ひ出さしめたのは大學であつた。この醜態を今後に絶滅すべき責任は無論ある。しかも國家のため新たに大に思索し攻究せしむべき學生を驅つて、必ず學生監指定の道路を歩ましめ、大學と感化院との差別を、撤却せんとするのは何事であらうか。

　思想といふ文字は今日の俗用において、際限も無く曲解せられて居る。警察には思想係の巡査あり、判官には思想用の文庫が供せられる。思想は恐るべき惡魔であり、昔の善人は夢にもこれを持たなかつたかの如き思想は、危險では無いか知らぬが少くとも愚劣である。大學あたりの如何なる學科にも、恐らくは思想の取締り得べきものなることを、論證し得た者は一つもあるまい。それにも拘らず、思想の精錬所をもつて期待せられる機關が、總長の力をもつてこれを統率しようとするのは、あつものに懲りてお刺身を吹いて食ふ痴態といはんよりも、そも／＼また自ら信じ能はざるの甚だしきものである。

　世間の批難に恐縮して當分思想の何物なるかを説き得ないのも是非が無い。あるいは現在の惡結果に鑑みて、惡人警戒のために警察の下役を勤めさせられるのもやむを得まい。然しもし假りに千百の學徒中、自由にかつ專心に書を讀み古今を究め、新たにこの社會の眞事情を知しつ〔二字傍点〕して、他日世に立つて批評し論辯し指導するの準備をする若干がありとしたら、彼等はどこにその監察に服すべき理由があらうか。これを要するに大學の不幸と不面目とは、思想に警戒しなければならぬ人々の手では、これを防衛することが六つかしい樣である。

　今度の日本宗教大會の特徴は、發企人の政府でなかつたことが一つ、幹部とも名づくべき人々が、少しく宗教の何物たるかを知つて居ることはその二であつた。しかも他の一方には十數年前の三教會同も同樣に、單に存在と重要さとを主張すべく、兼ねて闘志を抱いて奮つて出席した者の多かつたことは、氣の毒なる次第であつた。全國から選拔せられたるお歴々にして尚かくの如し。ましてや多數の凡夫が、かつは聯盟の果して可能なるやを危み、かつはその實績の豫期よりも更に貧しきに失望するのは、是非も無いことではあるが、もし將來この種の運動をして、少しなりとも時世に益するところ有らしめんとするならば、まづもつて意義を解説すべきである。全體宗教大會といふ語は、聞えは甚だよいけれども語弊がある。宗教は到底大會し得るものではないのである。

　各派古來の熟信者の目から見れば、自宗他宗を維持した一個の普通名詞が、有るといふことさへも忍び難い讓歩である。如何なる野心深き競爭團體でも、大抵はある程度まで相手のなは張を承認するに反して、ある宗派がこれを敢てすれば忽ち論理は崩れ、内部の信仰は動搖しなければならぬ。それが單純なる握手の好意を抱いて、一堂に集まり得べしと考へることが、既に無理解の始めである。いはんや一部の論者の憂ふる如く、こんな臨時の騷々しい寄合ひに由つて、一が他を感化し席卷する陰謀あるかの如く呼號するに至つては、ほとんと自信を無視したる話である。假に我邦現在の多數宗教が、平然として難行兼修を看過し、説く者自ら迷ふが如き拔殻式遺物であつたとしても、これは尚外部の刺激によつて、各自の獨尊を意識すべき好機會ではないか。内外の歴史を囘顧して見ても、會議と討論と(120)は大概は新派の分裂を促して居る。どこに大會の多數決をもつて、消えて無くなつた信仰があらうか。

　さういふ懸念を抱くといふことが、もはや宗教を手段視する末世の兆候といつてよいのである。然らば何のための一致を目的として今更宗教大會を開くぞといへば、これは日本の有識階級、宗教家大會とも名乘る能はざる名流たちが、現代の風潮に敏なることを意味する。世界にこの種の會合の流行することは、單にある文明國の大會ずき、若くは國際辭令の趣味發達が、その原動力であつたと解するわけには行かぬ。平生は相論難して互に一歩をも假借せず、各々異端の折伏をもつて最終完成と信ずる程の人々すら、尚かつ共同の事業として、起つて力爭しまた防禦しなければならぬ目前の危機あることを提せい〔二字傍点〕して、寧ろ意外をもつて滿天下の視聽を集注せしめんとするのである。この意味においては四年前の對米抗議が、相當の重味を認められたと同じく、少なくとも一部の政治家の故意の大聲によつて、理由も無く動亂して居る人心を鎭定し、能ふぺくんば更に今一歩を進めて、往々狂熟に馳せ易き新奇政論の蔓延を制御し得るかも知れず、これをしも時を得たる試み、世を憂ひ國を懷ふの企てとして、特に感謝の念をもつてこの會の成功を祈るべきは當然であつた。

　然るに惜しいかな、今度の大會の參畫者等は、自ら宗教家以上の宗教通をもつて任ずるにも拘らず恐らくは群衆の心理に誘はれて、餘計なる誤解と紛亂との種をまいて居る。いはゆる東西思想の融和は、研究としては固より可能であり、哲學としては一時成立するかも知らぬが、これが單一宗教の二葉となることは、到底見込の無いことが明白であるのに、強ひて希望の語を放つて、教主無き宗教の可能を信ぜしめんとした。その樣な事をすれば怒る者は法華宗ばかりでない。次にまた無法なるは内容無き宗教教育を提げて、弱腰の文部當局を突飛ばさうとする態度である。今日青年の諸學校にもし宗教があつたら、統御の遙に容易なることは多言を要しない。然らば如何なる宗教をもつて彼等の教育に充てようかと問へば、今日はさて置き數十年の未來にかけて、果してこれに答へ得る何人があらうか。宗派の圖體が自ら設立した學校すら、今頃地獄極樂を論難して居る世の中だ。國が維持し府縣以下の公共團體が設立す(121)する學校において、何の力が能く教義を選定し、生徒の信心を歸一するといふか。もしまた今度の大會の開會の辭の如きものを、幾つか組合せてこれを宗教教育と名づけんとならば、結局はそれを主張する者の眞意が疑はれることになると思ふ。

　憲法第八條のいはゆる緊急必要の認定については、往々にして解釋權の濫用を免れないことは、必ずしも今度始めての經驗でない。これを防止すべき第一次の手段としては、こゝに議會の不承諾があるのである。議會が緊急勅令に對して承諾を與へなかつた場合、法の明文にはたゞ將來に向つてその效力を失ふことを公布すれば即ち足るかの如く(122)見えるけれども、無論政治上の責任は歸するところがなければならぬ。殊に治安維持法の改正案の如く、到底次の會期に承諾を受ける見込の無いことが、公けの聲明によつて既に確實なるに拘らず、それを押切つて一時の我意を通さんとする政府の、陛下と國民とに對して至大至重の責任を負荷すべきことは、一言の解説をも要せざることであらう。

　故にもしこの内閣が反省し得る内閣ならば、今更これを樞密院の問題とするまでも無かつたのである。事は一片形式の當否に係るかの如く、あるいは輕々に論じ去らうとする者もあるらしいが、吾人の見るところは決然としてこれを否とする。けだし現在社會相の混亂は即ち事實であるとしても、これを整理する能力はさて置き、これを透視してその實情を理解するだけの能力が、有ると認めることすら六つかしい樣な、時代はづれな事ばかりする政府である。しかも國民不安の根本は、極刑をもつて今の時に臨むことが、果して適切の策なりやを危むの點に横たはつて居る。それが一囘の公議をも經ることなく、何等危險の眞相をも立證するなくして、いはば豫審終結以前の誇張せられ易き風聞を背景として、この重要なる案件を少數官吏の間において即決するといふことは、斷じて立憲政體の國家において、許容せらるべき政治では無いからである。

　然るに多數民衆は餘りにも無邪氣であつた。自身夢にもか樣なる刑條に交渉せぬといふ確信を持ち、假にその類の惡黨がこの世に居るならば、如何なる方法をもつてこれを罰しても可なりといふ簡單なる判斷の下に、いまだ證明せられざる假定説を看過させられようとして居るのである。不幸にして物々しい政府側の風説が全部事實であつたとしても、尚未然に惡傾向を制御すべき對案の他に存するや否やを究めなければならなかつた。いはんやその基礎とする理由が、未だ曾て正式に疏明せられざるのみか、寧ろその機會を避けようとした形跡すらあるのである。目下疑惑の衝にある同胞に對しては、既に好意を冷却してしまつたのも是非ないが、少なくともかゝる極度の嚴刑によらなければ、果して一國の統一を保持することが出來ぬか否かを、一度も我々の代議士をして討議せしめず、徒らに自信も無い政黨の内閣をして、よらしむべし知らしむべからずの專制政治に成功させることは、光榮ある東方の一大民族にと(123)つて、永世にぬぐふべからざる不面目といはねばならぬ。

　樞密院の顧問官たちが、その地位から見てまた年齡から考へて、我々の憲政擁護に如何ばかりの力があるかは、尋ねて見ずとも始めから解りきつて居る。それが勅令案のかの院の所管に移ると見るや、あるいは己を空しうしてこれを説かうとする議員あり、甚だしきは忽ち憲法の番人なる稱號を捧呈して、豫めその意を迎へんとした者さへあつたのである。樞密院が誤られて政府の計畫に口を容れた場合には、往々にしてこれを説くべからざる陰謀のこれを利用したこともあつた。千餘萬の參政權者の國を愛する志をもつてして、なほかつ難しとする程の重大なる事業を、少數世情にうとい老人に委託するは、實に不當を極めたる重荷ではあるまいか。世を憂ひ時の非を欺く者が、この際を機會として起つていはゆる民衆運動につくのはよい。たゞその方向は徹頭徹尾、同胞民衆の啓發と進歩でなければならぬ。徒らに多數の力をもつて少數官僚を威壓するの具に供するが如きは、これも又議會の機能を無視するの結果は一つで、單にその行き方を今の政府と異にするといふだけになると思ふ。

　少しく惡意ある好奇心をもつて、寧ろ反對黨の側から熱心に觀望せられて居る自作農地法案の成行は、申すまでも無く政友一家の内輪の問題ではないのである。進歩せざる常識政治家の一隅に、曾て自作農の創設によつて小作紛爭を消滅せしめんとする空夢が宿つてから、もう彼これ十年にもならうとして居る。その間に變らぬものは立法者の技能のみで、地方はまづ實際問題の考察に一歩を進め、今頃まだ論爭の的となつて居るやうに政策の成果は當にせず、能ふぺくんば目前の生存のために、そのかけ聲だけを利用せんとする姿がある。かうした事情を略々知つてをりながら、なほこの舊主張に固執する農林大臣だとすれば、責は簡單に事實上の無策無能に止まらず、故意に民間の自然の解決を妨げ、かつ亂すといふ非難を受けなければならぬ。

　理財當局の丁寧なる説明を待つまでもなく、自作農地法實現の可能性が、來年度は本年度よりも更に少くなつて居ることは、大抵の人には推察し得られる。何か成算でもあるかの如き一言に向つては、別に何人も問返して見ようとするだけの勇氣を持つ者すらなかつた。實行は必ずしも「決心一つ」では無いらしいのである。然るにも拘らず、内(125)閣の破綻もあるいは辭せざるかの如き大擬勢を示して、問題を再び行詰まりの間一髪まで、持つて行かうとして居る人の眞の動機は、想像し得るものが全く無いでもない。第一にもし自らこの一件で騷がなかつたならば、必ず兼々の言質を提げて、外から騷がせようとする者が出てくるに相違ない。實際はまたさう無造作に斷念したならば、小作問題の對策は差當り種切れといふことを、告白する結果にもなるわけである。しかし個人としては一應もつともな内情かも知れぬが、そのために國に無益なる芝居を見物せしめることは、餘りとしても手前勝手に過ぎる。

　第二には小作人の多數が、必ずしも自己の自由なる立場を貴重視せず、出來るならば五反三反の所有權を獲得して、小さくても土地持ちの名を收めて甘心せんとする風あることは、最近明瞭に看取せられたる我邦の實情である。いはゆる農民組合の共同前線は、往々にしてこれがためにかき亂さるゝの懸念があつた。外國の先例の移して用ゐ難き理由の一つは、日本の農村においては、現實の自作農は小作人の兄弟であり、永年共に微小農場の苦難を談り合ふ友であつたことである。強ひてこの二者の間に幅廣き溝をほり、相對立せしめようとするは不自然であつたが故に、彼等を引立てゝ自作農たらしめるといふ前觸れは、寧ろ不利なる實際の計算の暴露せざる間において、より有力に小作人をして、二の足を踏ませることが出來たのであつた。

　政府が少なくとも一時的にもせよ、この樣な未解決を解決に利用し得たといふことは、單に紛きう〔二字傍点〕の追加であつて、終局の利益で無いことは解つてゐる。しかも同一筆法は更に進んで、餘計な干渉を現在の土地取引に與へようとして居るのである。最近の小作運動のすう〔二字傍点〕勢に徴すれば、いはゆる不勞地主の將來の見込は、必ずしも晴々としたものでなかつた。家郷に愛着して再び力耕の生活に復る者の外、多數の不在所有者の如きは大勢を豫察し、いち早く持地を處分してこの不安と煩累とを脱せんと欲する傾きが見えて居た。土地の相場もまたその影響を受けて、綬慢なる低下の足取りを示さゞるを得なかつたのである。この際に臨み故意に計畫の大要を公示し、來り援ひて彼等の賣拔けに便ならしむべきことを、確信も無く聲明した者が政府であつた。これをしも農村を振興し、平和を田園に持來すの政策(126)なりと認むることは、普通の判斷力ある者の敢てせざるところであるが、兎に角にある一個の大臣の巧妙なる密計は成就したのである。この法案の成立すると否とは、今は既に問題で無いのみならず、事によると昔の某議員の禁酒法案と同じく、また來年も頑張り得ることを便として居るかも知れぬのである。

　問題は即ち國民の多數、殊に最大の關心を有すべき小農の總階級が、いつまでかくの如き不眞面目なる策略によつて、飜ろう〔二字傍点〕せられて居てよいかにある。農村經濟組織の最近の變化によつて、一番大なる壓迫を感じ、乃至は苦痛を味はつた大地主の階級と、深い因縁をつないで居る政黨から、不利ならざる改革制度を期待するといふことが無謀では無かつたか。同じく實現の望み皆無なる法案をひねくつて、徒らに大言壯語するよりも、今は靜かに機運の果實を收穫し、傷つく老少なき自然の推移を迎ふべき時ではあるまいか。果してもし然りとすれば、目前不愉快なる政府の小策の如きも、尚進んでそのよつて來るところを視て、これを今後の行動の參考とする必要がある。たま／＼農民組合の分解作用が行はれ、今やその展開の一時期を畫せんとする形勢に面して、吾人は殊にその觀察の精確にして計畫の着實ならんことを希望する者である。

　この頃内外の國事が多端にしてかつ急性であつた結果、土地によつてはあるいは未だ具體案のまとまらぬものもあるらしいが、一方には既に新たなる計畫が成立つて、着々としてその實現に向つて進んで居るものも少くない。新聞は努めてその各地の?況を詳報し、相互の參考に供せんとして居ることは、讀者の承知せらるゝ通りである。この事業は必ずしも壯大を競ひ、もしくは無類を求めることを要しない。實着にしてしかも永遠の效果ある先例ならば、それを近隣の思ひつきに學んでも差支が無い。たゞ原則としては住民の出來るだけ多數の、一致協力によつて實行されることが望ましいのである。

　手近にある先例としては、大正度の御大典の折に、全國にわたつて行ほれた記念事業が、現前にその成績を諸君に提示して居る。無論十餘年間の世の中の進みは、單なる舊い型の踏襲を許さぬけれども、大よそその今日の?態について、曾て我々が適切の記念なりとしたものが、豫期通りの效果を擧げ得たか否かを、見極めるためには用立つことと信ずる。微々たる一本の木を栽ゑて置いても、今は既に花さき實を結び、あるいは仰ぐばかりの壯木となつて居るわけである。しかうして以前市町村民が心をこめ、また辛苦して建設したる事業なるものは、果して成長し繁茂し、(130)少なくとも人をして遠く望んで、當年を記念せしむるに足るものがあるかどうか。不幸にしてもし徒らに形骸を今日に留むるに過ぎなかつたとすれば、即ちその計畫は明かに失敗だつたのである。再びそれを昭和の昭代にくり返さしめてはならぬのである。

　あるいは事業といふ文字に囚はれて、專ら群の力を利用して生産の増加に猛進した地方もあつた。固より結構な志には相違ないが、人は記念ならずとも終始これを企て、しかも資力境遇の差異によつて、受くる利益が一樣なることを期し難いのである。多く働き少しく收むる者を生じ易いのである。行政官吏がかうした機會を逸せず、平日のいはゆる奬勵勸誘等に由つて、中々收められなかつた數字上の成績を收めんとするが如きは、これは利用であつて本當の記念にはならぬ場合があり得る。少なくとも前囘の事業に徴して、不平不滿の聲無きや否やを、檢査する必要は確にあると思ふ。

　いはゆる文化的施設の方面においては、單なる金石碑の如き外形を存留する以上に、引續いてその生活機能を保つて居るものも少くはあるまい。併しもしこの僅なる歳月の間にすら、尚たび／＼の變動を受けて、最初公表せられたる豫定を割引し、乃至は世上の期待したやうな恩澤をおよぼし得なかつたとしたら、それが百千年の未來に對する記念として、不適當なることは申すまでもないのである。地方の學問が大正の御代の始めに際して、新たに一囘の刺衝を受けたことは、確に記念事業の賜であつた。從來はほとんと首府に一任してあつた大著述、困難なる研究が處々に起り、書物に縁無しと見られた公共團體が、大きな出版物の發行者となつたことは事實である。しかも人がこれを讀んで、身を利し世を益するに至つたか否かは明かでない。圖書館の數などは依然として増加し、立派な建物だけは方々に出來たが、いはゆる試驗地獄の青年以外、人がこれに由つて學問をして居るかどうかは、至つて心元ない今日の有樣である。利に赴き害を避ける日々の必要事以外に、今年の如き大記念の際を期して何か積極に着手するとすれば、何よりも今日の一般文化に比して、特に缺けたるものを補はうとしなければならぬ。しかうして地方の學問は今や大(131)に缺けて居る。寺とか風景とか以外に、市町村特有の誇りとして世に示すべきものがなく、文化はことごとく大都市の眞似である。これが人心におよぼす惡感化を考へたら、今頃まだ評定に日を暮して居るはずはないのであつた。

　もし單に粗製であるかも知れぬといふ疑惑から、博士の濫造を説く者があるならば、それは甚だしく穩當を缺いた批評である。粗製が忌まはしき所業であるとすれば、少量生産の場合とてもまた同じである。しかも現在は各大學に機關を具へ、面倒なる審査の手續を尋す上に、更に形式ながら監督大臣の認可をさへ要として居るのである。これを(132)しも粗製と評せんとすれば、必ず確實なる證左がなければならぬ。強ひて個人の害ありといふ理由を掲げて、たゞ漫然とそんな風説を流布しようとするのは、寧ろ一國の恥を思はざる者で、假にその壓迫を感じて與ふべき博士號を與へぬ大學があつたとしたら、その弊は却て濫造に超ゆるもの無しとせぬ。

　然るに醫學博士の粗製濫造に對しては、この的確ならざる不安を抱き得る者が、實は俗間にもつとも多いのであつた。殊にその最近の激増が比較を絶し、しかも往々にしてこれを職業の便宜に供する例あるを見て、あるいは一括してその眞價を危まんとする者をさへ生じたのは、いはゞ吟味せられざる風説の罪であつた。二三大學關係者の説くところを聽くときは、吾人は寧ろ全部の醫學部出身者をして、ことぐく博士たらしむべき必要を認める。その説に從へば、最近この方面の學術の進歩は、大學所定の學年をもつて、尚短きに失するの感あるに至らしめた。故に彼等をして安んじて學徒研究家の名を帶びしめんがためには、是非ともその上に大學院の課程をふましめるの要がある。博士は究極するところ醫學者としての最小限度を、證明する肩書に過ぎぬといふのである。如何にも今日の醫術の精をもつてして、尚敷多き不治の疾あり、日に月に蔓延して制止すべからざる難病の、十指を屈してまだ足らぬことも事實である。この意味においての博士増加ならば、確に現在は尚半途にあるといふことが出來る。いはゆる濫造は多々益々辨じ、能ふぺくんば國内五萬の醫師、殘らず博士となつて激烈にその智その能を競はんことを、希望するもまた過ぎたりとせぬのである。

　何科の學者でも、曾て一度は粗製でなかつた人は無い、それが同胞の無知を悲しんで、身をぬきんでて難きにつき乃至は名を求め利に誘はれて、互に相切磨してつひに一代を指導すべき大任を負ふに至るのである。しかうして日本の醫學は、既に著るしく進歩したとはいへ、尚多くのものを將來に期待しなければならぬ。彼等もし割據して相爭はずんば、國民の保健は永く眼前の悲況を脱するの望みが無いのであつた。即ち粗製の世に害ありとするものは、決してこの學問の方面では無いので、弊風はいはゆるうさぎ〔三字傍点〕とモルモットの博士殿をもつて、耆婆扁鵲なりと誤認した世(133)間俗衆の見解にあるのであつた。この種の弊害ならば數十年來引續いて行はれて居た。然るに突如として今頃博士の濫造を叫び、人爲をもつてその増加を食ひ止め、他人を粗製視してひとり自分等のみ、精製品の待遇を受けんとする者は横着である。時勢は日本においては唯徐々にのみ推移した。今後の博士の眞價もし疑ふべくは、前年の博士もまたすこぶる怪しむべきである。要は治療を求むる民衆に名醫とやぶ〔二字傍点〕醫者とを實績によつて判別せしめ、稱呼の必ずしも重きをなすべからざるを知らしむれば即ち足るのである。更に進んでは形式一片の大臣認可制を速廢して、個々の大學をして安賣の責任を負はしむれば問題は即ち解決する。寄合世帶の全國的審議會が、情弊百出して徒らに無益の博士を作つたことは、今も尚人の記憶に新たである。いはんや更に一階の大博士號を設置せよといふが如きは、笑ふに餘りある窮策といはねばならぬ。

　内務省が今度また醫療機關の普及のために、更に考慮することを言明したのは大いによろし。たゞ憂ふるところは官公立の病院が、自ら率先して醫師に無益なる階段を認め、一方には都門富人の不必要なる奢りをうらやましめ、他の一方には醫業を投資化せしめて、過當の治療費の増加を招き、貧家の子女をして往々にその生命を心元なき賣藥に託せしめんとすることである。これをしも顧みるなくして徒らに虚名に追隨せしむるが如きは、單に大學その物の恥のみといはず、そも／＼また人民の福利を講ずべき職にある者の、責任思想の形式化に他ならぬと信ずる。

　近頃案外に無味淡泊であつたのは、本紙に公表せられたる無産派某々君等の既成政黨評なるものである。今や彼等のいはゆる理論闘爭は、街頭普通の日本語に飜譯せられ、現に澤山の新熟辭を日常の生活に分布したのみならず、自身またもつとも接近して、實際の政治を觀測して居たのである。果してそれが平々凡々を極めて居たにしても、尚直接に彼等の口から、如何に平凡なるかを談らせて見たいのが、一半大衆の隱さざる好奇心であつた。その意向を看て取ることも出來ぬ程の鈍重なる政客は、彼等の間には居らぬはずである。しかも政黨の微力少數なる際には、言論は彼等の能不能を判ずべき唯一の準據なるにも拘らず、何ぞその見解の奇拔ならざるの甚だしきや。

　けだし彼等のいはゆる一つ穴のある獣、即ち二個の大なる舊式政黨の間には、實はやゝ久しい以前からその穴を別にしたいといふ苦悶があつて、それがまだ何としても成功しなかつたのである。しかるに自然は幾分か彼等の努力よりも有力であつて、知らぬ間に黨員の移動増減とは獨立して、少しづつ二黨の地位境遇を變化に導きつゝあつたのである。局外者の眼をもつてするも、この推移には大なる興趣がある。いはんやその主たる原因は無産派自身の進出であり、この情勢に處して特に利害を感ずべき者もまた彼等である以上は、たとへ蛇の道は蛇に聽いてなりとも、今少しく細部の調査をして置いてもらひたかつた。

　最近の議會から今日に至るまでに、國民多數が略々實驗し得たことは、在野黨の黨員にはいつも面倒なる種々のカン詰策が必要なものだといふことであつた。政權獲得の希望以外には、ほとんと彼等を眞劍の統一に、持つてくる見(135)込が無いらしことであつた。有りとあらゆる非議會的倒壞運動が、すべて無效と決した上でなければ、いはゆる新たなる政爭形式に思ひおよぶものでないといふことであつた。ある種の議員等は必ずしも不き〔傍点〕獨立ではないけれども、最初からくら〔二字傍点〕替能力だけは持つて居る。黨に對する彼等の誓約は甚だしく個人的のもので、かつ主義と名づけ得るものからは非常に遠かつた。別の語をもつて説くならば、かくの如き黨人を二分して、形ばかりの二黨對立の?勢を作るといふことは、不自然にしてまた至難であり、一時偶然にその實を示したのは、いはゞ特殊理由の積算に過ぎなかつたのである。

　政友會の苦勞人は流石にこの間の消息に暗からず、かつやゝ無遠慮にお互の弱點をさらけだして居る。彼等在野黨のいはゆる政治財源の、程なく枯渇すべきことを道破し、その一致したる抗勢のあるいはこの冬まで、持續し得がたきかを樂觀して居るのは、恐らくは悲しむべき眞相かも知れない。實際過去十餘年にわたり、既に百をもつて算すべき破廉恥犯罪を暴露したにも拘らず、人は尚議員製造のために入費を調達することを、異常事件とは考へざる惡癖を持つて居た。それが一國憲政の上において、急治を要とする疾病で無くで何であらうか。しかも無産黨議員もまた幾分か經驗したであらう如く、徐々としてまづ野黨の方面から、黨費を發見してそれを買收に應用することが、少しづつ困難になつて來た。といふことはひとり與黨のみが摘發せられざる拔路を持つて居ることを意味し、また依然として議會本然の手續以外に、舊式の倒壞陰謀を講ずべき必要を意味しないかどうか。

　眞に僞善と空虚なる名分論とにあき果てた者ならば、これだけの事實を見出して、無邪氣に失したる選擧人等に説明することも困難でない。殊にこの眼前の變化に據つて、下し得る豫言は一つしか無いはずである。いはゆる既成政黨は三つでも七つでも結局在野派必敗の傾向は年を追うて暫くは増進すべきである。それが必ずしも國家として悲しむべきでない理由は二つある。その一は原氏のぼつ〔二字傍点〕後に一度既に實歴した如く、與黨の擴張は少しく度を過ぎると、必ず内から解體して色々に分裂する。幾ら利權の握持者でも、さう／＼は多くの要望に、滿べん〔二字傍点〕なく應じきれぬから(136)である。第二には他の一方がもし縮小するならば、比較的清節正義の士は必ず後に殘つて名を著はしまたやゝ道を説くことが出來る。これをしも來るべき新式政黨の種子として、國論がこれを育成するの日を期する以外に、日本にはまだ政治改善の機會が無いので、少なくとも希望は幾分か、今の意氣地無き民政黨の方にあるのではないか。無産黨の評論家が緩衝地帶をうんぬんした根據は不明だが、兎に角起つて現實の政治に當らうとするからには、少しは豫想豫言をするがよい。現在の無産大衆の大部分は、今尚諸君とは他人である。道を彼等に説かんとするならば、もうちつと率直かつ親切であつてもよいと思ふ。

　いはゆる慈善事業には通例これを職業とする若干の事務員があつて、何かといへば世上の冷淡無關心を歎息し、これを不振の原因とする癖があるやうだが、少なくともこの場合だけはそれは不可能な事である。いやしくも人間でありまた親である以上、この種の悲惨事を聽いて胸をうち、涙をのまざる者は一人だつてあり得ない。もしも各自の努力にして何程かこれを未然に防止し得べしと知つたならば、敢て辭せざる者もまた決して少なくは無いのである。然るに悲しいかな現在の社會には、この志を集合して有效に働かしめるだけの中心がない。事件は案外の方面に突發して、後になつて寧ろ報道の餘りに精細に、また頻繁なるを憾むばかりで、その結果はたゞ小き自己の周圍に戒心し、僅にわが眼前の不安を切拔けるに、きふ／＼たらしめるに過ぎぬのである。これをしも個人の利己主義といふべくんば、そも／＼また責は協力の策を授けざる者にあるのであつた。

　現代の政治が往々にして人の家庭に侵略し、教育の方針をすらも自由ならしめざらんとする傾向と相對して、かくまで多數の日本の幼童が、事實何等の保護も無く、虐遇せられまた殺りく〔二字傍点〕せられるといふことは、これを文明國の驚異といはずして何であらうか。中世のローマンスを思はしめる人買舟の往來が、今の組織ある内務行政の下に、尚持續して居たといふのは奇怪の極としても、首都の放浪兒の警察もまた如何ともする能はざる者は、その數千をもつて算すべきのみならず、寧ろ彼等の放浪生活を幸福とし、より安全なりと認めなければならぬやうな兒童の厄難が、現在は少しでもまだ防禦せられてはをらぬのである。

　果して未開と稱せられる前代の社會においても、この樣な情ない生活が幾らでもあつて、單に我々はそれを知らず、若くは知つて心を動かさずに眞に忘却してしまつたのであらうか。人間の事業が尚簡易であつて、その計畫の大半を(138)一代に終了し得た時代ですら、民族は常に未知の後繼者に向つて、無量の期待を抱いて居たのである。ましてや國の進運の測り知り難く、あらゆる機會と能力とを盡して、僅に前途の萬全を保つべき今日において、單なる敗殘の生存棄權者に、我子の運命を專だん〔二字傍点〕せしむべき理由はあり得ないのであるが、今日のいはゆる兒童愛護は、却て人間のもつとも無責任なる者に、貴重なる後代生命の全部を擧げて、信託しようとして居るのである。

　漫然たる世上の人口論者は、あるいはまた食物總量の計數を提示して彼等の結論を試みんとするかも知れぬ。國全體としては如何に豐富の支持力を具へて居るにしても、現にこの通り自ら養ふことを得ない者があるのである。しかもたま／＼その分配を整理せんとすれば、忽ち慈善と稱して、しかもその力は表面の病患をすらも除くことを得ないのである。この種世相の變化を理解せざる守舊論者に、いはゆる救貧の根本義を講究せしめることは、恐らくは結局無益なる希望であらう。吾人は必ずしもその成績に期待する者では無いが、それにしても他方これに對して新たなる生存權を主張し、次代の社會のために一個の理想を標ばう〔二字傍点〕する者の、無批評無方策は心元なき限りである。果してこの眼前の悲痛事が終止する見込があるか無いか。今後の社會政策は是非ともこれをもつてその虚實の別れ目としなければならぬはずである。

　何故に婦人の讀物ばかりが、特にこの頃目に立つて墮落して來たか。世間は往々にしてこれを發行者が不料簡の致すところと解して、彼等を貴めまたは取締れば、乃ち改善の目的は達するかの如く考へてゐるらしいが、さうも斷定してしまはれぬ理由がある。成程彼等の主要なる辯明は、買ふ人があればこそだすのであつて、いはゆる壓倒的賣行の風教上の效果に關しては、必ずしも親切でなかつたのは事實かも知れぬが、それをいへば男子の讀物とても同じ事で、特に年若き女性をのみ眼の敵とし、全力を彼等の誘導に傾注すべき必要は無い。しかも弊害の忍び難きものは、まづこの方面に現れて來たのである。少なくとも日本今日の婦人讀者の側に、何か乘ぜられ易くまた見溢られ易い弱點があるのではなかつたか。さういふ懸念がもし少しでもありとすれば、第一にはそれを考へて見なければならぬ。

　根本の問題は教養ある婦女に對して、必ず特別に婦女の讀物が、無くてはならぬといふ考へ方の當否である。衣食育兒は如何にも彼等の領分であり、現在はその知識に添加すべきものが多いことも確だが、それは要するに農家の農業書と同樣に、入用に應じて供給するをもつて足れりとしなければならぬ。その以外に人としてまた社會員として、殊に男女の間に分界を立てゝ、相守るべき理由は少しも無いに拘らず、人は無意識に讀書の上にまで、尚昔の女らしさの制限を認めんとしたのである。そんなことはせずとも、趣味情感には自然の傾向があつて、女は精々女らしい男子の讀みさうな物までしか手はださない。然るに多くの家庭が協力して、まづ女には女の讀物を要求し、しかもこれに對して今まではろくな著述がなかつた。かゝる?況の下に婦人雜誌の競爭を許すとしたら、到底涙の告白や良人操(140)縦法の類に、永久の千篇一律をくり返すことは不可能であつて、末には淺ましい性的記事によつて、刺激の一轉換を企てんとするのも自然である。

　最近着るしく成長した家庭婦人の讀書力、殊に餘閑の利用法の進歩は、閉ぢこめられたる者の好奇心と合體して、やゝもすれば凡書の大量生産を促したことは、たとひ性慾記事の劣等なる趣味を養成するなしとするも、尚甚だ憂ふべき傾向と認められなければならなかつた。劇務か失業か大多數の男子は、今やその生がい〔二字傍点〕を狂奔のうちに徒費せんとする時代に際して、この豐富なる婦人の時間および知識慾は大切なものである。國の一般文化の未來のため、ほとんと唯一つの希望といつてもよいのである。しかも普通の學力ある青年女子に對して、讀物の種類乏しきことは遙に幼年繪本以下であり、たま／＼彼等の景慕し渇仰するところの名流女史の如きは、終始その能力の男子と同等なるを立證するに急であつて、未だ曾て興味ある指導をもつて、彼等に新たなる選擇の自由を與へんと試みざるのみならず、たま／＼出版界の弊風のもはや目を覆うて黙過する能はざるものに出くはせば、忽ち袖を連らねて援助を警察に求め、その干渉に依頼して出來るならばこの災を脱しようとして居る者さへあるのである。

　吾人の經驗した所によれば、日本人の警察は特に御依頼を要せずして、隨分よく干渉する警察であり、また時としては無意味なる干渉をしてくれた警察である。一方には出版業者の無限大なる宣傳廣告を容認しつゝ他の一方には購讀者を黒表に登録して、能ふべくんばこれを威壓しようといふ類の、わからぬ人々のたまりである。あるいは女史たちの運動が聽屆けられたとして、それが果して婦人の讀書界に、如何なる效果を將來すといふのであるか、もし出版物の取締に國の學問を改良する力があるならば、もう相應な成績は見えてもよい。然るに少なくとも婦人の方面においては、教育の進みはかくの如く、警察の活躍は彼の通りであつても、この十年十五年の間、惡くはなつたがよくなつたところは無く、今でも先覺婦人とやらの老いたる足跡を、なめて行くより以外に開いた前途は無いのである。

　故に社會がもし切實に出版界の弊害を悲しむとすれば、寧ろ何よりも先にこれ等の女流大家、即ち文章講説の力を(141)もつて感化を將來の婦人に與へ得る者に向つて、運動を試みるのが順序であつた。然るに彼等の無策またはおく〔二字傍点〕病なる、徒らに首を垂れて招くべからざる干渉を迎へんとしたのである。心細い話には相違ないが、然しまだ覺せい〔二字傍点〕する餘地はある。いやしくも全國の女性同胞のため、新たなる立場を建立しようと名のる者が、これだけ急迫した眼前の悲況を、一片行政の干與に委付して置いてよいわけがない。不買不寄稿は微々たる防禦に過ぎぬやうではあるが、しかも彼等の決意は手本であり、また時としては流行でさへもあり得る。何が公けに讀むことを恥づべき讀物であるかを、知らしむるだけでも指導である。淫書惡書の潜行は恐らくは絶滅し得まいが、優美なる情感を有する日本の少女等は、恐らく單にその種の讀物の非難せらるゝを聽いたゞけで、忽ちにして忌んでこれに遠ざかり、ゆく／＼その出版を不可能に終らしめるであらう。問題はたゞ然らば何を讀むべきか、何人が彼等を導いて、自由なる清き讀書の生がいにいらしむるかにあると信ずる。

　半世紀以前に始めてこの公機關の開設せられた頃には、成程諸外國の類似の名稱を帶びたる制度も、本質において略々これと大差無きものであつたかも知れぬが、その後の久しい年月の變遷は、彼にあつては單なる増加成長といはんよりも、寧ろ改造と名づくべきものであつた。これに要した經費の巨大なりし代りには、その社會的能率を督責せらるゝことも、また極めて急なるものがあつた。隣を連らねたる大小の文明國間においては、文化の角逐は却て武備に過ぎたるものがある。彼等は外に向つてはまづ學問の功業を競ひ、内には即ち國の誇りを、具體化する必要があつたからである。然るに日本は幸か不幸か、必ずしも切にその壓迫を感ずることが無かつたがために、その傾向はやゝ平和に失し、規模方針にこれぞといふ展開が無かつたのみならず、まれには初期の抱負を縮小したかと思ふ節さへあつた。舊來の設備が震災によつて破壞せられずとも、はたまた新御代の盛典に逢遇せずとも、臣民は謹みて國家文運のために、つとにこの問題に關して所信を述ぶべきであつた。

　帝室博物館の今日尚未だ博物館らしからざる第一の點は、民衆一般の學藝と餘りにも交渉の薄いことである。卑近な例を引くことを許さるゝならば、人の留學と稱して澤山なる旅費を使ひ、いはゆる他山の石を求めに出かけた者に(143)は、必ずしも一地に定住して專門の會話に通ぜず、また必ずしも研究室の作業に没頭するなくして、單に諸大都市の博物飴を歴觀することによつて、隨分相應なる智能を磨いて、還つてくる者も少なくない。日本は今や東亞研究の一大中心として、地球の果からも仰望せられて居るが、果して我の受けたるが如き利便を、彼に與へることが出來るかといふと六つかしい。前代の學者が夢にも期待せざりし無數の資料は、ひとり博物館の倉庫のみといはず、有力なる學者の分割愛藏するものはあるが、これを整頓排列して志ある者に實地の益を受けしむるの途や即ち缺けて居る。

　第二の缺點は博物館が責任ある管理監守の事務以外に、いまだ積極的の事業に幾歩をも踏だして居ないといふことである。今や夜明けんとする實證派の歴史學、耳と同時に眼を動かさんとする古代研究のあるものにおいては、實際は博物館内の豐富なる集積によるに非ざれば、到底明確なる論證を示す能はざるものが多いにも拘らず、今はまだ許多の報告をその關係者に期待することが出來ぬのである。これは決して番人を學者たれと責める意味ではない。ある部面においてはあれだけの資料を擁しつゝ、これに伴ふ研究員といふものが、餘りにも少數なるらしいのを怪しむのである。

　第三の缺點は博物館の機能を、寶物保存に限定しようとする誤解である。如何にもある一機關の干與するものがなかつたならば、國寶にも準ずべき國内私有の高價なる藝術は、散逸もし死藏もせられるであらう。しかも一國の事業としてこれを防ぎ、これを保護しなければならぬ主たる目的は何であるか。徒らに一部の好事着流をして、ガラスを隔てゝ隨喜の浜を流さしむるとならば、これを個々の郷紳の茶室の評價に放任すると、大して異なるところを知らぬのである。學問藝術の道の上の評價は、おのづから別途でなければならぬのだが、今日はその混亂が、悲しむべく博物館の經理を誤らしめて居る。

　もちろん徒らに範を異國に採るの必要は無い。日本は當然に日本風の博物館あるべきことは、世界の均しく我々に豫期するところであらう。問題はたゞ功績である。如何なる方法をもつてするを問はず、廣く全體の文化のために、(144)殊にまた自國民の發育のために、何程の刺激と援助とを與へて居るかによつて、博物館の進歩と退歩とは量定せらるべきものである。今や國民の大多數は驚くべく自國の知識にうゑ、自ら知るの前にまづ飜譯に由つて、他國の理論を學ばんとさへして居るのである。かくの如くにして模はうはもつとも弊がある。しかも今において尚國立博物館の妙作用を解せず、天朝民を導きたまふの本旨をも體せずして、あるいはこれを單なる國の外ばうの粉飾として、その支出の當否を議せんとする者あるは、そも／＼また孤立の先例に安んじた者の責ではあるまいか。民衆をして心からこの事業の精神を會得せしめるには、これに關係ある當局は、改めて過去の事態に徴し、もつとも有效の策を見出すべく、まづ自ら博物館事業の何たるかを理解し、舊來の機關と獨立して、別に新味ある組織を創建するを可とせざるや否や。

　しかしてまた一の流行たるかの觀ある諸種の博物館事業の間に統一と聯絡、あるいはその整理を必要とせざるや否や。内務省は拓殖博物館を、商工省は産業博物館を新設し、鐵道省は鐵道博物館を、遞信省は遞信博物館を擴張すべく、豫算に計上してをり、東京市は教育博物館を同じく上野に建設すべく傳へられてゐる。これらが各々その特色あり、御大典記念の歴史美術博物館とは別個の目的をもつて建設せらるるとはいへ、その間に自ら緩急あり重複あるは免れざる所、吾人が博物館事業の盛大ならんとする勢ひを喜ばんとする前に、その流行化を戒むると共に、まづその統一と聯絡とについて愼重考慮を促すの必要を感ぜしむるゆゑんである。

　けだし映畫と交渉ある我々國民の教育なるものは、素より限られたる舊定義の教育では無い。文部大臣の統括の下に、進退任免せられる教員の教育ではないのである。學校の與へ得るもの以外、個人が自ら進んで生活を理解し、社會常識の大要を學び知らうとする雜然たる運動は、如何にも近代に入つていよ／＼雜然とし、いよ／＼意識ある感化を必要として居ることも事實であるが、この方面の廣大なる社會教育に對しては、主務官廳なるものは果してどれだけの權能を把持し、またどれ程の適質を具へて居るものか。曾て國民はこれを檢討するの手段を與へられなかつたのである。

　映畫の影馨が殊に青春の子女に強烈であり、その效果の既に現れたるものは、十中の九以上惡であつたことも事實だが、その出發點は最初から校舍事業の外であつた。要求は娯樂でありまた解放であり、かつ寧ろ無拘束であつた。もしそれが忍ぶべからざる侵害を教員の教育におよぼすとすれば、防衛の策を講ずべきは無論であるが、單にその種の制限と排除とをもつて、映畫教育の目的は達し得べしとなし、若くはこれに代ふるに學務の注文に成り、一派既成思想の宣傳を目途とするものをもつてして、滿足にその效用を遂げるが如く、誤解する者があるならば手前勝手である。

　近頃は少年映畫場の設備も無く、兒童入場の制限をも立てずして、漫に月一囘ばかりの映畫日を作つたがために、却て幼稚なる活動狂を養成しようとして居る地方もある。單に何等かの新しい知識を求めて、いまだ何物を求むべきかを知らざる彼等に對して、努力してその供給を制限し、もしくは變哲もないものを押賣せんとするのは、この不完全なる教授制の下においては、殊に不當なる兵糧攻めである。娯樂を專門とし寸分も社會教育の意無き當業者等を集めて、その意見を徹すといふに至つては、輕薄なる場當り以外の何物ですらも無い。この種の資本的利害が高一にも文部省を動かし、更に新種の映畫の輸入までを妨げるとしたら、映畫は到底教育といふ文字と、連ね稱する價値が無くなつてしまふではないか。

　國民の社會に與へられる教育は、窮屈なる學校主義の押廣めであるわけにはゆかぬ。感動が各般に働き、注意が八方に散る間から、各人は久しい年代を通じて、常に自分に有意義なるものを拾ひ上げ、それを積あげて今日の日本人(147)は作られたのである。市井の道德の大部分は、笑はれあざけられるに鑑みて段々に進歩して居る。講談、落語の愚にもつかぬものすら、ある時代には教育映畫以上の效果を收めたのである。今や彼等は一方に活動寫眞の競爭に堪へず、他の一方には怠慢沈滯の當然の罰を受けて、衰へて復起たざらんとしてをり、しかも多くの公人は世のてう〔二字傍点〕笑を恥づるの念を失ひ、厚顔に醜惡をあばかれて尚生きて居る。この間接の影響は口眞似の危險思想よりも危險である。文部當局の社會教育に野心ある者は、寧ろ順序としてこの落語の熊公權助を改良し、大いに世の人非人どもを笑はしめては如何。徒らに浪花節ばかりの悲壯の響きをもつて、この大多數のてう〔二字傍点〕罵の聲を、埋去らんとするのはよくあるまい。

　國民が檢察官廳の活躍に向つて、たつた一つの希望をつなぐといふことは、餘りにも物さびしい現象である。この國威國信の何物よりも必要なる今日に際して、吾人は殊に重き心をもつて、職に司直にある人たちの精勵と不屈とに、(148)感謝の意を表しなければならぬのである。東京市會の自ら稱する淨化運動なるものは、不幸にして到底成立つべからざるものであつた。次の間題は即ち各被害政黨、およびそれが割據するところの議會なり政府なりが、果して能くその淨化をなし遂ぐるの實力があるか否かで、今の局面においては、これすらも尚大いに危まれんとして居るのである。

　市政の内面は獨り東京の一部に限らず、概ね醜に非ずんば則ち劣であつた。文字通りの群小がこれによつてその私を營む例は無數であつた。しかも國の政治家は往々にしてその本務を逸出し、百方彼等が利便を講ずるのみならず、甚だしきはその爭闘を誘ひまたは刺激して、事態を一層の陰微に導かんとする姿さへあつたのである。これを他日の選擧人操縦の手段の如く解して居た人々は單純であつた。最近における都市財政の急激なる増大と、市民監督力の不完備とは、優にこの間において各黨政治費の調達を可能ならしめたが故に、多くの政客をして他の一方の地位をはさんで、かくの如く熱心に地方の行政に干與せしむるに至つたのであつた。しかうして事態の摘發せられ、暴露せらるるものは寧ろ僅であつて、大小の議會の議員等は常に公法の原理以上に、特に結託しまた互助すべき必要を認めて居たのである。この事情を徹底的に熟知しつゝ、平然として市部の勝利をもつて、その政治知識の進歩に基くが如く説明して居た男などは、眞に惡むに餘りある僞善者であつた。

　ところが近頃の一奇現象としては、市會議員の代議士をねらふ者が、選擧の度毎に増加する傾向があつた。たとへ法令はこれを制止せぬにしても、一個の狂奔者が二地の利蓋を代表するといふことは、奇怪なる現象と考へられて居たが、今に至つてはほとんと眞意をとらへることが出來たやうである。彼等のある者はその私を營むがために、進んで自ら代議士の地位を購ふを便とし、しかもこれに由つて獲得する利益は、存外容易に衆議院議員の選擧費を支辨するに足りたのである。いはゆる群小としてはこれ位學び易く實行し易い妙計は無いわけで、全國の都會地のやゝ餘裕あるものが次第にこれを流行せしむべきことも想像に堪へたるものがあるのである。

　國の政黨に取つて、これが何事を意味するかは多言を要しない。即ち今までは金錢を手段とし、國攻の改革を目的(149)とすともいひ得た政黨が、追々に國政を表面の口實として個々の私を遂ぐるの用に供することになつたのである。たとへ手段にもせよ、非常なる司法行動によるに非ざれば、その非を明かにすることも出來ぬ樣な路から、政黨の金を作らうとしたことは既に誤つて居た。ましてや口にはそれに近い理由を唱へつゝ、實は何等の國の政治にも貢獻せず、單にこれによつて勢力を養ひ、腐れ縁の子分どもと共に、不正の富を分つて居た者も澤山あり、それが終にはまた今日の如き夜盗以上の惡しみを受くべき犯罪を誘致したのである。

　故に舊式政黨のほとんと全部、いはゆる無産派の二三子が試みたやうな、選擧費の調達方法を持續する限りは、假に淨化は出來たとしても、それはたゞ一度だけのことであり、終始毒素の分布によつて、全部組織の腐敗を見るまでは、この不愉快極まる空氣は放散せぬことであらうと思ふ。傳ふるところにして實ならば、民政黨の新分子は、今囘の疑獄によつて異常なる衝動を受け、これを自然の成行に放置する能はず、何等かの自衛方法をとらうとして居るといふ。それが一片の聲明書なりや、はた敵黨との臨時協調なりや、もしくは禍根の承認と表白とであるやは知らず、少なくともぢつとして居られぬことだけは、吾人もこれに同意する。それが國民の同情と化しまた聲援支持と變形するか、但しは今囘の損失の尚一段と大いなることを、切望するの情となり終るかは、一に彼等の目前の決意によつて定まるであらう。兎に角に國民は一日も早くこの陰雲低迷の政情から脱却しようと望んで居るのである。

　五年は決して短い期間といふことは出來ぬ。現に厄難を共にしたる周圍の市町村を見渡しても、不幸なるたゞ一個の横濱市を除くの外は、大抵は既にその成すべきものを成してゐる。それを復興と呼ぶか否かは字義の解釋に屬するが、少なくとも創い〔傍点〕のあとは消えて居るのである。然るにひとり最大の富と力とを具へたる帝都のみは、今尚復興關係者の報告を受けて、漸く慰撫せられまた希望を與へらるゝに止まり、しかもその完成近しと稱するものは、單に彼等の管掌する道路や橋、小學枚、市場、遊歩場等の限られたる施設に過ぎぬのである。

(152)　區畫整理の遲々として進まなかつたのは、寧ろ市民各自の要求の餘りにも熱烈なためであつたと傳へられる。彼等自身のいはゆる復興力は、少しでも震災直後に劣るところはないのであつた。固より若干の極度に不幸なる者の、沈んで再び浮び得ないものはあつたが現在首都を維持して居る人々としては、寧ろ震災によつて生計の活氣を加へ得た者が多いのである。個々の市民は少しでも無能でなく、また少しでも冷淡また怠惰では無い。然るに我々の帝都は見渡すところ荒野よりも尚見にくく、空地は草高く茂り、一隅には人がいもの子の如く押込められてゐる。さうして官人等のいはゆる復興がたま／＼成績を擧げて、あるいは渡らぬ橋となり、あるいはごみの中の公園となるにおよんで、寧ろ反映によつて一段と復興せられざるものゝ苦惱を顯著とならしめるのである。

　今日の事態によつて判ずれば、市民の愛都心とも名づくべきものはいまだ深く睡つて居る。當局にしてもし心あるならば、これを眼前の特殊公債等に利用する以前、今少しく根底についてこれを攻究して見るべきではないか。成程新たなる移住者の多くは、愛情によつて引つけられたものでは無いが、しかも彼等もまた局部的には、早くから都市の愛着を感じて居る。これを長養して次第に一個の生活體、一個の成長する藝術作品として、協同して都市を愛護せしめんがためには、方法と共にまたその中心となるべきものを指示するの要がある。曾てこの大都會が持つて居た氣質風習、あるいはやゝ精微に過ぎたかと思ふ趣味感情はもちろん大地震によつて始めて失はれたものでも無い。新たに入替はつて來た市民等は、その亡失をすら意識せず、いはんやこれを補充して更により美しいものを打立てんなど(153)とは、考へて見たこともなかつたのである。

　あるいはまた展覽會の開設をもつて閑人の閑趣味に過ぎずとし、これを排斥して特に別派を分立せんと努むる者もあるが、それは片意地をもつて自ら生活の領域を狹むるの嫌ひがある。いはゆるプロの藝術を新たに興すは結構としても、強ひてその圏外にあるものゝ伸びて自由に變化することを、制止する必要は無いわけである。場所なり時なりの制限があるいは一部の者に、美術館の利用を限る結果はあつても、それがために大衆との交渉を否認することは出來ぬ。野外競技の近頃の流行をもつてしても、直接觀覽の席に列なる者は高の知れた人數である。他の大部分は見る便宜を持たぬからといつて、いはゆる運動の民衆化を否み得るものではない。そればかりでなく米、薪、鹽の如き、今一段と日々の生活に痛切なるものでも、多くの民衆は常に遠方から、たゞ間接にのみその利害を感じてゐるのである。

　今や博物館改造の計やゝ熟して、一國の與論はまづ東方藝術の研究のために、とくにも設けらるべかりし機關の完成に傾いて居ると傳へられる。しかも不幸にしてもしそれが在來の好事者流だけの感謝するやうな仕事に歸し終るならば、名のみは徒らに御大禮の記念であつても、その實國民全般の智能幸福と交渉するところが無くなるかも知れぬ。統一は固より容易に望むべきものであるまいが、少なくとも個々の主張と流派に立てこもる人々をして、その系統と地位を解して未來の進路を望ましめる必要はある。この民衆の大事業が今はまだ僅に端緒であつて、各人は新を競ひ異を立つるの餘りに、却て無分別なる輸入模はう〔二字傍点〕を事とするの弊をさへ見るのである。

　だから今秋處々の展覽會の如きは、特に將來に向つて美術史上の意義の多いものである。心ある人々は次代の民衆の立場に立つて、もつとも新しい鑑賞を試み、果して現代の名工と稱せらるゝ者のうち、何人が舊習から立離れまたは外部の感化を逸出して、新たなる東方藝術の前途を指示して居るかを點檢すべきである。過去三四十年の雜然たる流行が、幾多の不純なる動機を包容したとすれば、それを淨化することもまた政治輕濟の方面と同じく、眞面目なる國民の協同討究でなければならぬ。しかうしてその道は明るく開かれて居り、笑ひさゞめきつゝ我々の進み來ることを待つて居る。ひとり新秋清涼の感覺をもつて、時世の煩熱を洗ひ去るのみではない。そも／＼また學問藝術の眞實のみが、ゆく／＼民心の和平を期待するの手段なることを確めて、永く愉快の印象をもつてこの大切なる一年を記憶するに至らんことも、決して望み難いことではないのである。

　獨り東京市民のみといはず、全國の政局觀望者にして、一人として今日の黨派關係の没條理に驚いて居らぬ者は無いことと思ふ。徹底した政見の不一致はやむを得ずとして、論爭はしば／＼感情に走り、非難は外形の細微におよんで、常に倒閣の叫びを絶たず、到底共に天を戴く能はざるかの如き二政黨の間において、所屬代議士は終始聲息を通じて秘密を合辨し、いはゆる誘かいの機會は至つて多しと稱せられるのみならず、更に進んでは不正醜惡の利權のために、この仇敵は久しく提携握手して居たといふ風聞が高いのである。普通の人間社會の現實としては、これは固より想像し得る限りで無い。政界には果してどれ程の特殊事情があつて、假りに暫くの間にもせよ、かゝる奇怪の存在を許したのであらうか。これをしも再建を意味する分解作用の前兆と認めないならば、國民は恐らくこの混迷を忍ぶことが出來ぬであらうと思ふ。

　今や幸ひにして、法廷はこの未曾有のなぞを釋かんとして居る。吾人は前途一道の光明のために、殊に良心をもつて、「人を愛するの政治」を力説し得る司法大臣を有することを悦ぶ者であるが、しかも翻つて現前の事態の困難に思ひおよぶときは果して局に當る者の決意が、これに對して十分に異常なり得るや否やを、危むの感なきを得ないのである。けだし必ずしも朋黨本位の政府ならずとも、自ら進んで親近す〔傍点〕要の地位にある者の邪惡を發くといふことは、平凡の努力の能くするところではない。寧ろあらゆる權勢と智巧とを應用して、責めては消極的に醜?の暴露を防ぎ、かつは連累の廣くおよぶを避けることは、それこそ古今政治家の常の情と名づけてもよかつたのである。例へば最近(157)の選擧違反において、突如として檢擧の打切を表明した如きは、もちろん司法官府の聲望のために、遺憾無しといふことは出來なかつたが、これは國民に取つては又かといふ程度の手加減であつて、寧ろ政權を握る者の役得でもあるかの如く、解して怪しまぬ者さへ多かつたのである。

　然るに今囘の收賄事件はこれと反して、最初より社會のこれを重要視した態度が、單なる程度の差ではなかつた。しかも調査の進行と共に、奇怪は累次に擴張して底止するところを知らず、風聞のもつとも根據乏しと目せられたるものが、日を重ねてこと／”＼く現實化せんとして居るのである。この國民の耳目の緊張、必ず眞實に到達して疑ふべからざる者を疑はず、公人道義の崩壞を、その必要なる最少限度に食ひ止めしめんとする熱心は、斷じて好奇一ぺんの野次馬式環視では無いのであつた。原氏が單なる一介の黨人であつたとしても、もし?勢に明敏ならば、必ずや安然として舊習に追隨し得なかつたわけである。

　疑惑は時としては空疎なるものであるかも知れぬ。しかも政治にはこの大なる不可解あり、黨人は暮夜に去來して策謀至らざるところ無く、官に在る者の秘密は、しば／＼政爭のために惡用せられた形跡がある。人心動搖の結果は、あるいは輕率の徒をして國に正人無きかの如く即斷せしめ、然らざるも果して何者の言を信じて、これに基づいて政治の當否を判ずべきかに惑はしめるのおそれありとすれば、これに處するの方法はもはや優柔滑脱なることを許されぬ。前代以來のびほう〔三字傍点〕が終に百計盡きて破綻收拾の困難なる役まはりに當つたことは同情すべきであるが、これも又雲を排して眞如の光を仰ぐべき好機會である。必ずしも狹あい〔二字傍点〕なる一局面に行詰まるべき理由は無いと信ずる。

　この立場から觀察を下せば、不運なる我東京市も、また確に改造の端緒をもつて惠まれてゐるのである。市民が永年の情弊に驚覺し、いはゆる城狐社鼠の災害に對して、正當なる憤怒を感じたことは、この時よりも痛切なるは無いのである。しかうして市政革正の聲は既に久しい以前から街頭にみなぎつて居た。もし市の理事者にして少しでも手腕に自信あり、また民意をじゆん〔三字傍点〕行するの誠實があるならば、この異常の機會を利用して、平生必ずしも行ふべから(158)ざる決斷を示することは何よりも容易なはずである。社會民衆黨の問責とか勸告とかは、あるいは一種の示威劇として、手輕くこれに應對してもよからうが、もし萬一にも心の底から、これを何でもない一個の事件として、手を膝にし首をかしげて、唯おとなしく結果を待つて居る樣な市長であるならば、彼もまた積弊によつて選出せられたる平常時の市長にして、到底市民と共にこの難局を切拔けるの力無きことを證するものである。彼はまず市民の忍耐が、必ずしも無限のもので無いことを學ばねばならぬ。

　二三の財政意見に關しては、まづは濱口氏が容易に變説改論せぬ人なることを確めたるに止まり、いはゆる思想政策については彼の一黨にこれといふ定策の無いことを示して居る。たゞ一點少しく具體的なるは、補助金制度の弊害をこの頃しみ／”＼と覺つたらしき口振であるが、それが果して小學教育費の全額國庫負擔までも包容しての言であるか否かゞ明かで無い。この次のいづれかの大會においては、せめてこの點のみは追加して精確にしてもらひたい。地方の獨立自助の精神が、この種輕薄なる聲明のために永らく搖蕩して居ることは、もちろん悦ぶべき現象でないからである。

　土地に取つては可なり大切なる利益が、かうして若干のかん〔二字傍点〕才ある仲間の一人によつて、賣られんとした場合は多い。沖繩縣は過去にもまた將來に向つても、殊にその不安に富むと目せられて居るが、同種の危險は決してこれを他の地方に見出すに難くない。會てこの類の企畫が詐僞を伴ひ、または欺かるゝ者の空夢を笑ひ得た時代には、單なる摘發をもつてその損害を防ぐことも不可能ではなかつたが、現在の如く半ば公然に地方に話題を提供し、今日の政黨の私計をもつてすれば、あるいは成功の見込無きにあらずと、推測する者を生ずるに至つては、地方人の心理は次第に一變して、他に致さるゝよりはまづ自ら致すべしと卑劣利己の行爲に走る者の、益々多くなるのもまた自然の弊である。

　いはゆる地方利權の實は少數關係者の懷を肥し、これに付隨する若干の取卷連以外、一般は何等の恩澤を參與せざるのみか、寧ろ目に見えぬ永遠の害を被つて居た例は多い。小は官署敷地や停車場の爭奪より、大は補助金の分配穀價保持の政策に至るまで、それを利便とすべき理由の何に存するかを考へずして、徒らに一部の欲求のために、夢中で太鼓を釘つたのが制限時代の選擧戰の特色であつた。今やその制度は既に改まつて居るにも拘らず、舊式政黨は尚(161)在來の筆法を踏襲して、政治運動といへば、必ず地方人中のやゝ算數に長じ、微々たる郷黨の遺利を食はで自らひとり富まんとする者と結託し、利を分ち縁をつないでこれを投票收集の機關として居る。思ふにその根本の原因はやはり多數の善人の無知無力、即ち地方各自の總利益の討究に疎いことであつた。

　在野黨の總裁が今頃漸くにして國民の依頼心を批判し、獨立自助の大勇猛を高唱し始めたことは、吾人のいまだその眞意を知らず、またその效果を頼むことも出來ぬが、少なくとも日本が普通選擧の今日になるまで、ほとんと一票の代表も無い屬領植民地と何の擇ぶところ無く、地方の經濟は一部私欲の徒を通じて、これを國の政治に利用し得べしとするが如き誤解だけは、この際を機としてこれを放棄せしめたい。困らせて置いて後に救ふといふ當今の社會政策以外に、最初からその原因について畫策すべき問題はまだ多い。殊に卑しむべき裏切者に功名の地を與へ、彼等をしてしば／＼その私を遂げしめたことは明かに既成政黨の忍ぶべからざる恥であつた。これを改めてから新しい政治家の本務といふに止まらず、また野黨の氣力を囘復せしむべきたつた一つの自衛法ともいふことが出來る。

　上院議員等の自ら憂國運動と稱するものには、以前も幾たびか同じ樣な歸結を見た例はあつたが、今囘は特にその無意味を探る必要を感ぜしめる。帝都市政の亂脈が日を重ねて益々その醜?を暴露するに至るや、彼等のある者が老巧なる市民として、また少なくとも知名政治家の一人として、安閑とこの經過を座視するに堪へず、相集つて意見感覺の交換を試みたことは、たとへば何等の反應を見る無しとしても、尚その本志の極めて自然なるものあることを認めしめ得たのであつた。現代都市氣風の零落は今古に比類なく、しかも害蟲のその衰弱に乘じて、不正の生を營まんとする傾向は、これを全國の通弊と名づけてほとんとその不可を見ず、たまたま法網の羅致するところとなると否とによつて、甲乙を付することすらも危まれる位であるが、兎に角に地は帝都たり、時はあたかも一國盛典の擧行せられんとする秋において、この大疑獄を現出せしめたのは警策であつた。この深刻を極むる人心の激動を利用して、ここに一革新の端緒を見出すことが出來たとすれば、あるいは不幸中の幸としてやゝ自ら慰むる者もあり得たのであつた。然るに當初市政の革正のために、大いに討議すべしと唱へて、甚だばく然たる數個の條項を公表せしめたる人々は、僅かばかりの各派交渉の後、忽ちにしてその標語を司法權の擁護と改め、それでも尚僭越だといふ批評があつて、更に檢察官だけの擁護に限定し、しかも當路に向つて本式にこれを通告して居る。その謙そんの點は如何にも申分が無いやうだが、不審に堪へざるは何の理由をもつて、日本の檢察官が彼等の尻押を要すとしたかである。どこにこの樣な空虚なる形式を踏んでまでも、問題をいはゆる政治化するの必要があつたかである。

(163)　けだし議員の閉會中の行動には、これを普通院外團の奔走と差別すべき法的理由が無いことは固より、政治上の理由すらも有り得なかつたのである。しかも最近折々くり返された類似の申し合せなるものは、いづれ策士の介在によつて能ふ限り本旨を不明にし、故意に兩解の辭を設けて自得するだけで、精々政局内面の煩累を付加へるに過ぎなかつたのであるが、それでも尚今囘の如き當然の事理を高調するの痴態は無かつた。これが幸ひにして最初の發起者等の素志は行はれず、今頃中道にしてこれを打切るとすれば、またその消極的惡影響を懸念しなければならぬ故に、特に無意味なる結末をもつて、その失敗の跡を覆うたものであるならばよいが、もしも最小限度の一致に滿足して、これだけでも尚上院の威風を宣揚するに足ると解したものとすれば、その智術の究、先見の乏、獨り一個の長大息をもつて、輕々にこれを看過することを許さぬものがあるのである。

　近世數十年の制度成長につれて、辛うじて開始した國民大多數の公生活には、つとに建設せらるべくしていまだ建設せられざるものが多く殘つて居る。かの思想國難の論が何等の用意も無く急呼せられ、しかもその問題を無策に放置して、歳月を空過し得るが如きも、いはゞその不幸なる一兆候であつた。貴族院の人々の尋常なる憂慮、もしくは意見の交換や政府今後の處理方法の質問の如きは、必ずしもその積極的效果を期待すべきもので無からうが、少なくとも世論に暗示して政治道德の何物であるかを考慮せしめるの機合ではあつたのである。單に惡人をにくみ現れたる醜行を痛罵難責するだけならば、島帝國在來の社會制裁は久しく間然するところが無かつたのみならず、却て新時代に入つてその敏活を加へた姿さへあつた。それ故に郷黨故舊の間にあつては、世評に畏服して姦僞を戒める者は、尚その例に乏しくは無いのである。ひとり都府においては交情はいまだ密ならず、相互に異人視する者來つて相隣し、その間に爭奪すべき何物かゞ横たはつて居たのである。單に刑罰を嚴にし惡人をして無爲に苦しましむるのみをもつて、永く禍源をふさぎ得なかつたのは當然であつて、たま／＼暴露したる者は、寧ろ方法の拙を悔み、後漸く權勢と付託して、更に曲私のより巧なるものを求むるの患へさへあるのである。この際に當つて徒らに世情に追隨し、僅に(164)背後より小石の少しく大なるものを投げんとするが如きは、これ野次馬であつて政治家の所業では無いのである。いはんや全天下の庶民が新たに執法の大義に參加し、公平をもつて自ら臨まんとするの日において、知られたる一小部分の不正漢に向つて、力めて嚴格ならんことを冀望するなどは、到底民風の衰勢を憂悲する者の言動でないと信ずる。國民の公人に期待するは政治家の常の道である。たとへば道路相傳へてあるいは巧妙に免れ得たりとするが如き者、果して如何なる方法をもつて、その清節を表白すべきやである。善惡の外部の裁斷に關しては法令がある。司法官の卑怯と勇敢との如きは、吾人の問ふべき限りでは無いのである。

　自作農創設の問題は、世上のこれに對する期待が如何樣であらうとも、兎に角にこの政府の一枚看板とも名づくべきものであつた。最近の選擧演説の主要なる項目の一つであつた。少なくとも約一年の歳月を通じて、靜止無成長の?態に放置せらるべき案件では無かつたのである。然るに數ヶ月もの前から、特にこの問題に關して數囘の熟議を遂げたりと稱し、あるいは既に一定の成案を得たかの如くにも揚言した關係二省の政務官たちは、今に至つて再び交互に相容れざる自家の見を提示し、半ば公然と他方の弱點を指摘するに餘念が無い。しかもその論旨は丁度昨年の今頃、頻にくり返されたものと略々同じく、さうして豫測せられる結末もまたこの春と同じく、首相一任以外の何物でも無いらしいのである。

(165)　この事實は單純に與黨統一の強固、乃至は總理大臣の信望強盛の徴候として、慶賀せらるべきもので無いことは申すまでもあるまい。法定の豫算編成期がとくに經過した今日、久しく天下に聲明した自派の政策が尚確定し得ないのみならず、内部のしかも重要なる一機關より、その實現の到底不可能であることを立證せられても、それでもまだ考究中といふことが果していへるものか否か。この何よりも簡單なる疑問をすら、獨り解釋すること能はざるものが日本の與黨だとすれば、いはゆる政黨内閣の實は、今においてすこぶるこれを認識するに困難となるわけである。

　單に一個の政派の聲譽または安全のために、これを論究する必要はあるいは無いのかも知れぬ。地方參政者の多數はずつと以前から、いはゆる空手形の發行を實行し、政治家の大言壯語は、僅にその志の存するところを示すに止まることを知つて居た。ある種の政見には最初から雙方の黙契の下に、必ずしもその實現を期せざるものさへあつた。これに比べると今囘の農林大臣は少なくとも血相をかへて、膝詰談判の勇力を示したとも傳へられ、少くともこれを一年の懸案とする以上の讓歩はしなかつたのは誠意ともいへる。だからこの程度に滿足してもはや無用の究追を打切るべしといふが如き議論も、一部の事情通の間には成立つて不思議は無い。然し吾人の見るところによれば、かくの如き政治遊戯の許さるゝと否とは、一に問題の性質如何につながることである。小作論爭の如き時代を横斷し、あるひは全國の土地産業の形態をさへ改めんとする重要事項には、斷じて適用せらるべきものでないと信ずる。

　けだし現在の農地金庫法案の如きは、その空想的豫測によるも、覆ふところは僅に問題の片端に過ぎない。その多大なる國費の負擔をもつてして、尚小規模なる對症療法以上に評價することは困難なものである。假に急速の實現を見ることが出來るとしても、單にこの一策をもつて責任の全部を果すことは出來なかつたものである。ましてや見込も無き論爭に歳月を徒費し、財務その他の諸條件の障害に遭遇して、頓足しまた切齒してすなはち申開きの立つやうな、平易なる問題ではもちろん無い。つとに推察し得べかりし政府部内の故障の如きは、まづこれを除却すべき責任もあれば、最後の判定を託すべき者の智慮如何の如きも、今少し前からこれを調査する必要があつた。しかうして形(166)勢に若干の不安ある以上は、少なくともこれに備ふべき第二第三の案は、局に當る者の義務として作成して置かなければならぬはずである。ところが問題がいよ／＼急迫し來つて、暴露したのはたゞ古臭い背水の陣である。しかうして今頃心痛する與黨なるものは、これまた提示すべき何等の調停案も持つて居ない。假に八百長で無くまた芝居で無くとも、世間がさう認める根據は十分に具はつてゐるのである。

　しかもこの樣なる淺薄の技藝を世間はいつまで見物してゐるのであらうか。たとへばうそから出た誠でもよろしい。この期に臨んでは與黨は決心のほぞを堅めて、少くとも地主小作のこの氣遣はしい紛爭に對して、全然無策無能ではなかつたことだけを立證して、政黨内閣の實を擧げなければならぬ。さうしてその成績によつて、改めて國民の試驗評點を受くべきである。現在の有樣では眞面目なる者は却て議論を避ける。元來自作農創定は古い政策といふのみで、注文通りの成績はほとんといつれの地方にも現れて居ない。さうして直接に利害を感ずべき階級の意見は、少しでも省慮せられては居なかつたのである。こんなおく〔二字傍点〕斷的な政府の政策が、いつまでも無意味な遷延によつて、その功罪を檢せられる機會を持たぬといふことは、一國政治の進歩のために何よりも悲しむべきものである。然るに一方にはまたいはゆる農民組合の分合集散のみに關心して、いまだ進んで全階級のために實質の政治の當否を論議し能はざる人々があり、小作法案は地震時代の舊?に停滯してはとんと國民の憂悲を度外視して居るかと思はれる。しかも不幸にして農村事態の變化が、かくの如き無爲無策の間にも隱然として尚持續すとすれば、吾人は要するに興味なき演劇のために、非常に高い觀覽料を拂つて居る譯である。

　もつとも簡潔なる處理方法の一つとして、市會解散は既に二、三の方面より提議せられた。しかうして他にはこれに代るべき程の、有力なる第二案はまだ無いのである。故に調査會の諸君が假に勇敢にその解散説を採用したとしても、少數利害關係の甚だ深き者以外、今更きつ〔二字傍点〕驚する人はまづ無からうと思ふが、それと同時に單なる所存の表白、何等實現の手段を伴はざる決議だけならば、別にあの連中に御依頼をする必要も無いといふことになるのみか、出來ない相談は却て後日の不愉快を増大する結果にもなり得るのである。

　吾人の見るところ、解散論の討究者としてもつとも實行力ある適任者はやはり市會である。今や市民はその輕率無思慮なりし選擧に災せられ、ひとり中外に對して首都の名聲を誇る能はざるを恐るゝのみならず、我と我代表者を危(168)みまた疑はればならぬが如き、悲しむべき境遇に置かれて居ることは事實であるが、しかも現在においでは制度として、また政治の實際から考へて、この不幸なる殘存市會以外には、別に彼等の總意を映發すべき機關といふものを持たぬのである。市民が過去の不賢明に對しては、その制裁は既にやゝ過酷であつた。彼等は自らまいた種なるがために、この苦きしぶき果實の收穫をやむなしとしたのである。この上更に尚若干外部の人々の進言によつて、何等その意向を問はるゝことも無く、自由なる監督官憲の裁定によつて、突如としてその選擧の效果を無視せらるゝ如きことがあれば、その精神上の損害は決して一時的でない。從來久しくこの種の實?に無關心であつた人々に、それ程大なる後見の權利は有り得ないことである。

　故に解散の當否は必ず市民のために、共に謀るの權能ある者をして、これを決せしむる必要があるのである。東京の市會は疑獄事件の初期に當つて、いち早く淨化の急を認めて、しかも成功しなかつた市會であるが、あの頃にはまだ内部の故障が、今よりも遙に多かつたのだから無理は無い。元來淨化といふ語は他のもつと不潔なるものから、借用して來た語であるが、これを形容の辭として解するならば、市會を正しき道に引戻すことである。單に十名二十名の罪?もつとも明確なる議員のみを、刑罰に付してそれでよしといふべきもので無い。市會の本來の責務が往々にして果されず、市は極度の財政難に陷りつゝこれを救解する一策無きのみか、寧ろその混亂を引起すべき許多の原因をなし、事務の整理は行はれず、交通機關の整理、中央市場の開設を始めとして、ひろく全市民の福利のために、急速に施行すべき多くの事業は、こと／”＼く議員が個々の請託に忠にして、一般の利益を念とせざるがために、すべて停頓して歴代の理事者たちを、完全なる無能者となさゞればやまなかつたのである。この點から見れば、市外電車の乘入問題の如き、乃至は板舟權案の不正なる解決の如き、いづれも罪人を作りだすだけの素地餘裕は始めから具はつたので、たま／＼事犯の暴露によつて、始めて鼻をおほひ眉をひそむるが如きは、斷じて市民に忠誠なる淨化案ではなかつたのである。

　良心をもつて市民のために議員たることを聲明し得る者ならば、この好機を感じまた利用しないはずは無いと思ふ。あるいはいはゆる痛くない腹を探らるゝを厭ふといふならば、それは私の便宜のために公を輕んずる者である。しかも單に眼前の曲事に一指を染めなかつたといふことは、いはゞ幸福なる偶然とも名づくべく、この犯罪の頻出すべき?勢を座視して、今日の現?の到底保存すべからざるを知らざるが如きは、議員として自ら責むべき者である。特に一々の市民の心意を探らずとも、彼等が執るべき方針は豫め定まつて居る。少なくとも最近の討議においては、この際根本的に一新することが、市民の利であるか否かを考究すべき義務があると信ずる。

　けだし飛行機の單なる縮地縮天の術で無かつたことは、これを經驗する機會が既に多かつたが、いよ／＼その實用の途が盛んに軍事以外に展開するにおよんで、特に人類のもつとも壯烈なる德義が、これに基いて新たにその活躍の場面を擴大したことを認めるのである。從來の武勇は專ら國境においてその精華を發揮するを期せられ、たとへばこれによつて假りに他人を害せざるまでも、少なくとも抗爭の氣をもつて相臨むべしとしたものが、今は共榮の理想のために、背後には萬口一せいの感謝と激勵とを浴びつゝ、安然としてその光を後代に放つことを得るに至つたのである。

　願はくはまづ何の爲に、人が書を讀まんとするかを一顧せしめよ。青年の大部分は試驗を好成績ならしめんがために、鉢卷をして深夜に本と首引をして居るのである。又ある者は更に洪水をもつて境防を破るぺく、ある限りの古書新書を漁らせんとして居るのである。また他のある者は疲勞を慰し乃至時を殺さんがために、出來るだけ解し易く、また幾分か愚劣笑ふべきものを見つけんとして居るのである。また他のある者は人が讀む以上は自分も買ふべしとして、好奇心をもつて流行を送迎して居るのである。もちろんこの以外にも少しばかり、安閑として街上に往來する者もあるにはあらう。知らず今日の先輩は果してそのいづれの者を捕へて、その一日一ペーヂを説法せんと志すのであるか。

　良書の絶對に良なるものを指示せよとまでは彼等に要求せぬ。少くとも一身の境遇、時々の須要あつて、甲は甲の書を要し、乙は即ち乙自身の立場から、有用のものが少しくあるといふことを、教へることが出來なければ、この週間は無益であるのみならず、事によると少しばかり有害である。かの菅秀才が手習ひをした時代には、書物のはん布には宣傳は無かつた。今日はどうも少しばかり宣傳があるかと思ふ。圖書館當事者にはその宣傳を制御する力があるか無いか。それを自ら判斷して後に、明年からはこの種の事業を繼續してもらひたし。

　從來問題の單に國民一小部分の利害に關するものが、往々にしてそれがためにその重要性を無視せられ、僅に言論の機會を有する若干の人の意見に由つて、不用意に處理または停止せられた例は多かつた。然るに社會局の船員保險法案のみは、幸ひにして早くその内容が公示せられ、種々なる專門家にこれが論評を許したのみならず、世間もまたこれを對岸の火災視せずして、熱心にその經過を注意して居た。全國船主側の容易にこれを是認する能はざる理由乃至は内情に付ても、固より我々は最終の決定以前、十分慎重に研究すべきものなることを認めて居たのである。たゞ意外とするところは一年に近き討議を重ねたる今日、全國各地船主聯合と名づくる有力なる團體が、何等の對案も立てず、期限をも指示せず、ばく〔二字傍点〕然たる國家の損失を名義として、丸ごとこの案を押つぶしてしまはうといふ決議をしたことである。必ずしも日本海運界の將來のためといはず、彼等獨自の立場から打算して見ても、これが果して時に合したる賢明なる行動といふ事を得べきや否や、大なる疑ひなきを得ない。

　始めてこの計畫の世に傳はつた時から、船主連中の大不機嫌は既に一般に知られて居た。最近の工業クラブの反對建議にしても先月の海事研究會の評定にしても、または毎囘の特別委員會の面倒なる質問にしても、基くところ系統(174)は一つであつて、結局は事を好み新たに負擔を添加せられることが、すこぶる願はしくないことを、言現さうとする試みであつたことは諒解し得られる。しかもその際においてすら尚具體的なる辭柄を發見するに苦しんだものが、今頃時期尚早とか「理想的に過ぐ」とかいふが如き空な斷定をもつて、果して局外にある人々を首肯せしめ得ざることは分つて居ると思ふ。彼等資本家仲間だけならば、始めから一言の理由にもおよばぬはずである。察するところ彼等はもはや理論の闘爭に斷念し、いはゆる實力をもつて法案の提出をそ〔傍点〕止するの手段を開始したものであらう。豫算難の今日、この策謀はあるいは成功するかも知れぬが、さりとては感心し難い舊式な戰術である。

　近年の人口壓迫、また勞働機會の制限は無くとも、日本はその地勢上今少しく海上經濟の發逢してよい國であつた。それを長い間の不振?態に置いて、まだ一方の血路をすらも開く能はざらしめたのは、固より經營者の心がけにも數々の非難すべき行爲があつたからではあるが、一つには海事の思想一般に普及せず、純良なる勞働者の出でてこれに就く者の、甚だ少なかつた結果ではないか。單なる資本家の利害から考へても、個々の要求せられたる待遇改善以外、別に世の新機運を利用して、ひろく適當なる海員を招致すべく、地位の安全と條件の有利とを標示するの必要はあつたので、その經費を將來の效果に換算するが如きは、いはゞ簿記上の煩累に過ぎなかつたのである。然るに一方には怠惰にして計畫の改定を面倒とし、他の一方には遣りくり算段の殊に甚だしく、經營?態のもつとも惡き者の、目前の窮迫を叫ぶ聲に引ずられて、もし簡便に問題をうやむやに付し得べくんは、それの方が尚結構といふが如き一時のがれの考へを、國の海外活躍を代行すべき本務をもつ大會社までが、抱くといふことは、長歎に餘りある姑息である。

　強ひて社會局をして講釋せしめるまでもなく、過去の微弱なる勞働政策の内にも、確に海上の勤務者を偏重する方針は顯れて居る。今後の國是としてもまたこれを繼承して、時期いまだ遲からざる間に今一般の堅實なる地歩を、洋海に固めて置く必要はあると信ずる。然し時の事情がそれを支へずとならば、その點は漸をもつて進んでゆくことにしてもよい。即ち公示せられたる法案は各條項の審議を許し、一部即時の實施に便ならざるものは、重ねての機會ま(175)延期することもやむを得ない。進み過ぎたの批評は吾人の聽くことを欲せざる語ではあるが、少なくとも草案を丸のみにする必要は無かつたのである。しかも六萬六千人の海の勞働者に向つて、かの工場、鑛山にある者がきやう〔三字傍点〕受する程度のものを、無期に拒絶せんとする理由はどこにあるか。

　海員保險の問題は今や公論に登つて居る。公衆の注視するところとなつて居る。從來の工業クラブ員等が筆法にならうて、單に氣にいらぬから反對すると、いひ得る時代はとくに過ぎて居る。何故に陸上の保健制と權衡を失せざるものまでを廢案とすべきか。何故にその不權衡を認め難きか。また如何なる方法時期においてならば、この案の施行を可とするかといふ點は、明かにしなければならぬのである。資本家は假に無理なる身勝手でも通るかの如くに盲信するとしても、政府は少なくとも彼等をしてさう信ぜしめてはならぬ。百の社會政策の空手形よりも、この問題こそは試驗である。しかうして世上の政友會内閣を目して、極度に金權に弱しとする推測は、既に相應に根深いものがあるのである。

　最近のいはゆる三種の國難調査などに比べると、これでも人口食糧問題の調査會は、多くの專門家を含むだけに、眞面目によく討議する方であつた。決して世間がその存在を忘却する程度には怠慢でなかつた。少なくとも名を調査に託して與論を閉鎖せんとするが如き態度は、政府の側にも認められなかつた。しかも尚「急速實施」の文字を解釋すること、かくの如く極度に寛大であつたのである。いはゆる積極政策の標語の概ね空談に屬し、單に補助支出額の増減を尺度として、主務者の勉強と否とを測らんとするが如き習癖の、改め能はざるも當然の結果であり、今頃周章して緊縮と無能との差別を立證せんとしても、何人も耳を傾けないのは致し方が無いわけである。

　今日の政論の傾向において、一番眼につくことは朝野を通じて、常に問題の理解に苦しんで居ることである。獨り國民に向つて現實の事態を説き示す手段を知らぬといふのみで無く、政府自身もまたこれを精確にするだけの餘裕と能力とを缺いて居る。しかも一方には必要なる知識が刻々に變化して居るのに、一旦標語化した政綱を無我夢中に振囘して、徒らに論戰をせん鋭ならしめて居るのが政治である。この行詰りに一展開を與ふるためには、眞面目なる調(177)査會は實は唯一の手段と稱してもよいのであつた。それが誠意無き當座のがれの口實に供せられ、もしくは政略の目途に濫用せられぬ限りは、意見ある多數の專門家を會して、その所信を吐露せしめることは、必ずしも迂遠の企てゞはなかつたのである。

　その中でも現在の人口食糧問題の如きは、殊に職業政治家等の不得手とするところであつた。しかもこれに關するばく然たる不安はとくに世上にみなぎり、その不安に乘じて各自の私を營まんとする者は比々として既に現れ、根據無き豫察やおく〔二字傍点〕斷の下に、種々なる方策が出でて失敗し、また失敗せんとして居る。誠に平心にして學術に忠なる者の、大いにその抱負を行ふべき秋である。しかも吾人の尚多くをこの調査會に期待し能はざる所以のものは、その方法の如何にも舊式でかつ狹あいである點にあつた。最近第三次の「急速」事項として、そろ／＼答申せられんとする米精白法の改良、および産兒調節方法の當否について、特にこの機關の從來の態度の、一日も早く變更せらるべき必要が感ぜられるのである。

　けだしこの二つの項目の如きは、學問の上からもまた生活の實際からも、至つて新しく又適切であつて、今日の社會のもつとも關心する好話柄である。政府當局以上にこれに冷淡なる者は、無いといつても決して過言で無い。右にせよ左にせよ、これに關する有識者の所見を聞知して、與論の根低に參酌しようと希望する者は多數である。しかも貴重なる幾週かの論議を費して、單にその結果を考慮せざる者の考慮に供し、實地の見込なき實施を要請してすなはち止まんとするに至つては、餘りにも無益なる辛勞といはなければならぬ。調査會のいう〔二字傍点〕長は必ずしも非難すべき弱點ではあるまい。廿六億萬圓の食料増殖案の空夢なることを知り、百數十件の調査項目が人間の一生に剰ると諒解する世人は、責めて彼等が目前の急速實施案のために、智惠ぶくろを傾けんとすることを多とするであらうが、然らば何の故をもつて、これを必要ある社會の用に供しようとせぬのであるか。その點が何よりも心許ないのである。

　吾人は今において積極政策の好標語のために、新たなる一注釋の付加へられることを希望せざるを得ない。調査會(178)の職責が本來諮問にあつて、政府は普通にはその答申を握りつぶすより他の策を具へぬとならば、少なくとも當初の揚言の手前、まづその經過を公衆の用に供すべきである。人口食糧問題の調査の如きは、いはゞ世間の聲に動かされて始めたもので、その間には政略の秘密はあり得ない。それを特殊の階級利害のために、利用することすら今は望みなしとすれば、この次には討議の内容を公開して、これに基いて世論の自然に成長するを待つより他は無いでは無いか。全然無用であつた最初の調査案の作成に比べると、この方の勞費は知れたものである。しかもそれが實行に向つての一歩であるとすれば、これを積極と名づけて少しも差支ない。これに反して無知の抽象論をもつていつまでも民衆を指導せんとすることは、たとへ放漫に國費を支出することが出來ても、國家進運のためには尚恐るべき消極の政治である。

　四海の仰ぎ視るところ、萬民の勇み仕へまつるところ、一切の布設は成り諸般の用意は備はつて、今日こそは御一代の晴の行幸として、いとも畏き賢所の神靈と共に、車駕いよいよ西の都に進ませたまふべき當日である。この度は皇后陛下にもめでたく御同列に加はらせたまひ、すべて式制の御豫定の通り、これより二十五日の長きにわたつて、莊重無比の大儀式は執行はせられるのである。願はくは聖德充ち足らひ、熱誠上に透り、この國家最要の精神事業を安らかに完成して、これによつて雄邦の新たなる姿を中外に映發し、かつは民衆をして永くこの盛代の勝事を記念せしめたい。

　今囘の御大典のもつとも悦ばしき特徴は、第一にはこれに參與する國民の數の、いづれの大御門の御時よりも、遙に立勝つて居るといふことである。固より交通と教育との力ではあるが、如何なる山の奧小島の陰に住む者でも、あるいは講話と文書により、あるいは新聞とラヂオの報道によつて、一人としてつとに即位禮大嘗祭の本旨を解して、これが天朝の國命を支配したまふべき根本の理法を、表現するものなることを知らぬ者は無いのである。獨り空前の衆力を結合して、この神聖の事業に貢獻せんとするのみでは無い。地遠くして御車の影を望み得ざる者まで、各人一樣に個々の至願として、連日の御儀こと／”＼く森嚴を極め、奉仕の諸員何の落度も無く、終始戒愼して能くその職分を全うせんことを祈るのである。かくの如き民心の統一は、恐らくは前代その類を見ざるところであつて、單に古式に準據し舊制を保存することをもつて、即ち廟堂文華の面目なるが如く解する人々の、改めて更に大いに學ばねばな(180)らぬ點である。

　けだし世界最大の儀式を傳へ、最古の精神を連綿として持續して來たことは、固より日本國民の當然の誇りではあるが、我々の國家儀式は、如何なる場合にも決して「保存せられたるもの」では無かつた。新しき時代の須要に應じて、あるいは齋忌の期日を省き、あるいは異邦の使節に對して、内侍所の神門を開きたまふが如き、古制の改定せられたるものは一にして止まらず、しかもこの先見ある解放に由つて、四民は始めて國の太古の精神に觸れ、純なる民族意識の根本に目覺めたるを見れば、單に幾千年の間活きて傳はつたといふのみならず、また常に成長して常に世と共に新たであつたのである。

　四海の仰ぎ視るところ、萬民の勇み仕へまつるところ、一切の布設は成り諸般の用意は備はつて、今日こそは御一代の晴の行幸として、いとも良き賢所の神靈と共に、車が〔傍点〕いよ／＼西の都に進ませたまふべき當日である。この度は皇后陛下にもめでたく御同列に加はらせたまひ、すべて式制の御豫定の通り、これより二十五日の長きにわたつて、莊重無比の大儀式は執行はせられるのである。願はくば聖德充ち足らひ、熱誠上に透り、この國家最要の精神事業を安らかに完成して、これによつて雄邦の新たなる姿を中外に映發し、かつは民衆をして限り無き感激のうちに〔十字傍線〕、永くこの盛代の勝事を記念せしめたい。

　今囘の御大典のもつとも悦ばしい特徴は、第一にはこれに參與する國民の數の、いづれの大御門の御時よりも、遙に立勝つて居るといふことである。固より交通と教育との力ではあるが、如何なる山の奧小島のかげに住む者でも、いやしくも普天の覆ふ限り〔十二字傍線〕、あるいは講話と文書により、あるいは新聞とラヂオの報道によつて、一人としてつとに即位禮大嘗祭の本旨を解して、これが天朝の國命を支配したまふべき根本の理法を、表現するものなることを知らぬ者は無いのである。ひとり空前の衆力を結合して、この神聖の事業に貢獻せんとするのみでは無い。身拙くして式の庭に列なる能はず〔身～傍線〕、地遠くして御車の影を望み得ざる者まで、各人一樣に個々の至願として、連日の御儀こと／”＼く森嚴を極め、奉仕の諸員何の落度も無く、終始戒愼して能くその職分を全うせんことを祈るのである。かくの如き民心の統一は、恐らくは前代その類を見ざるところであつて、單に古式に準據し舊制を保存することをもつて、即ちびやう堂文華の面目なるが如く解する人々の、改めて更に大いに學ばねばならぬ點である。

(182)　けだし世界最大の儀式を傳へ、最古の精神を連綿として持續して來たことは、固より日本國民の當然の誇りではあるが、これを唯一つの大切なる美點と信ずることは單純に失しまた自ら知らざるの非難を免れない〔これ～傍線〕。我々の國家儀式は、如何なる場合にも決して「保存せられたるもの」では無かつた。必ず時代々々の須要に基いて、常に活きまた常に成長しつゝ、もつて今日におよんだのである。唐土の文物の始めて朝廷に採納せらるゝや、九重の威容大いに整ひ、こゝに即位禮の盛儀は備はつたのであるが、後代古典の研究の次第に進むと共に、固有の傳統に準據して改定せらるべき點は漸く多かつた。明治大帝の御治世に入つて、皇洋二系統の學は蔚然として競ひ興り、文藝は繁延し思想は錯綜、信仰は互に相批判するに至つたが、尚執中居正の聖旨を奉戴して、古制慣例を損益　した程度は、必ずしも世の復古論者の冀望する所と同じくはなかつた。例へば大嘗齋忌の期間を短縮して、これに先だつて花やかなる宮殿の賀儀を張らせたまふが如き、または内侍所の神門を開いて、特に異國の使臣女性等を導きいれたまふなど、新しき時代の要求に順應して設け定められたケ條は皆新規であつたが、しかも四民はこの先見ある解放によつて、始めて國の太古の精神に觸れ、純ことして純なる民族意識に、目覺ることを得たのである。

　儀禮の新たなる成長はひとりこの一點に止まつては居らぬ。昔は禁中少數の官吏のみに參與せしめられた御祭が、今は直接間接に全國總國民の奉仕するものとなり、以前は久しく近江、丹波に限られたる齋田が、遠く九州、關東の地に點定せられるに至つたのも、明瞭に國運の開展に起因すると同じく、會ては皇居一隅の淨地を畫して、必ずその中に行はれるものと定まつて居た御式が、今日の如く遙なる山河を越えて、東から西へ、また南へと、次々に移り進ませたまふ御例となつたのも、恐らくはまた民心の望み迎ふるところであつた。皇室典範第十一條の規定は、たゞに千年の舊都を愛護して、これを世の常の故跡に化せしめじの御思召のみからでは無かつたと思ふ。天皇御巡幸の大昔のいひ傳へは、絶えて久しき後の世に至るまで、尚諸國の父老たちの説いて暫らくも口を絶たぬところであつた。しかもそれが維新聖代の現實となるにおよんで、彼等は却て夢かとばかり驚きかつ感泣したのである。ましてやこの御(183)代始の壯大なる御儀式として、親しく神器を奉じて兩京の間を往來したまふことは、正に前代を絶したる雄圖と稱すべきものであつて、これによつて沿道の老幼婦女の輩、ゐ〔傍点〕ながらにして神聖なる御羽車の御行方を拜むことを得るに至つたのも、その間接の效果においては誠に意義多き改革であつた。

　世界最古の國の公の御祭、起源もつとも遙なる大嘗の御式の中に、尚時代の常民生活と比べて、多くの著るしき一(185)致を見出すといふことは第一之神秘である。豊かなる秋の收穫を終つて後、直に新穀を取つて酒を釀し飯を炊ぎ神に感謝の祭を申すことは、今も村々の常の行事であつて、殊に直會の古例を存する土地においては、畏多いことではあるが、規模の絶大と微小との一點の差を除いては、至尊御親ら執行はせたまふところと、略々その樣式を一にして居るのである。それ故に農民はもつとも容易に、大新嘗の本旨を會得しかつ感激する。農國本主義の時代變革を超越して、永くその支持者を失はざる所以である。

　農國本はあるいはこれを食糧國本と解するを正しとするかも知れぬ。いづれにもせよ民食の特に主要なる一種瑞穗の大御國の貴き傳統に由つて、神に惠まれたる稻實を重んじたまひ、年の始めには民に代つて年を祈り、秋は則ち天が下のために、歡喜謝恩の情を敍べたまふのみならず、更に相饗の古法則に遵うて、神皇一體の微妙なる境地を、仰ぎ信ずる者に御示しなされるのである。國民は素より同じ穀物を生命の種と頼む者であるが、昔は豐凶の利害を神意に統一し、朝家の御榮をもつて、直に國を養ひたまふ御力なりと認むることが出來たのである。世は開けて人の業日に繁きを加へても、民の食を足はす以上に適切なる政治は有り得ない。その供給の任に當る者が常に日本の農民であるとすれば、彼等がこの御祭の第一次の參加者として、永くその功に居らんとするも理由がある。但し名のみは農にして常に獨占を志し、寧ろ國内の缺乏を利とするが如き者が、その列に加はることを得ないだけである。

　昔も必ず同じ經驗があつたことゝ思ふが、悠紀主基の地方の齋田に點定せられたる耕作者、その他各種の農産物を、この日のために栽培する人々の、熱誠と精勵とには感動せぬ者は一人も無い。殊に近世に至つて必ずしも田地の條件を問はず、專ら篤農の品性無難なる者を指名して、これ等光榮の任を託せられることは良制度である。郷黨知友老幼婦女來り助け、たとへ一季の生産にもせよ、ほとんと現代の簿記法を超脱した力作を、可能ならしめるのも亦農村の特徴である。固より萬人をして共にその跡を踏ましめることは出來ぬが、少なくともこの異常の興奮を目撃したる者をして、新たにある心強さを感ぜしめたことは事實である。

(186)　要するにこれは新たなる可能性の發見であつた。重要なる精神上の理由が意識せられる限り、まだ我々の同胞の間には、能く振ひ起つて尋常のなし難しとするものをなすだけの氣風がある。それが人類のためにもつとも必要なる食物の生産者、若くは將來都市改革の任に當るべき農村人であつた上に、更にその感化は漸をもつて、他の種々なる生産におよび、人はその餘力を資本化し、若くは無意味なる體面維持に費消する代りに、これを奉公に役立てようとする傾向を示したことは、何よりも悦ばしい御大禮の記念である。現代經濟學の個人主義は、如何なる國土の如何なる産業にも、一つの例外をすら認めようとしなかつたが、吾人は少くとも神と皇室とおよび主要農産物の關係において、現にかの學派の法外と目すべきものを見付たのである。これが如何なる程度にまで固定して社會の一部に存續し得るかは、論究するよりも寧ろ實驗すべき問題である。兎に角に日本は新たなる經濟の一異例を提供したのである。

　吾人はさきに御即位禮の日において、二十六個國の使節たちと共に、世にも尊き御勅語を拜して、感慨のやむ能はざるものがあるのである。世界の平和と人類の福祉とを、治道國交の第一義とすといふことは、實は多くの外國においては、誓約といはんよりも寧ろ高く掲げられたる理想であつた。たゞひとり日本においてのみは、あるいはその實現を近く期待し得る理由があるのでは無いか。國民はこの仁慈の大御心を體して、努力してまづその可能性を見出さなければならぬ。信を中外に貫いて國の威望を高めるためには、第一には内に社會の窮苦を輕くするの要があるが、從來試みられたる手段は大抵はその效を收め得なかつた。士風の振作と固有文化の發揚によらなければ、今後も恐らくは後れて他國の跡に隨ふことになるであらう。かくの如くにして久しく與國をして徒らに期待せしめんことは、そもそも臣子の心安んぜざる所であるが、幸ひにしてこの神聖無二の好機會に遭遇して、國民は始めて新たなる日本人の特質を發見したのである。兎に角に一たびその成長し得べきや否やを究めて、これを國運の展開に試みることは、與へられたる一つの新生面であると信ずる。

　世界最古の國の公の御祭、起源もつとも遙なる大嘗の御式の中に、尚新時代の常民生活と比べて、多くの著るしき一致を見出すといふことは第一の神秘である。豐かなる秋の收穫を終つて後、直に新穀を取つて酒を釀し飯を炊ぎ、神に感謝の祭を申すことは、今も村々の常の行事であつて、殊に直會の古例を存する土地においでは、畏れ多いことではあるが、規模の絶大と微小との一點の差を除いては、至尊御親ら執行はせたまふところと、略々その樣式を一にして居るのである。それ故に農民はもつとも容易に、大新嘗の本旨を會得しかつ感激する。農國本主義の時代變革を超越して、永くその支持者を失はざる所以である。

　農國本はあるいはこれを食糧國本と解するを正しとするかも知れぬ。いづれにもせよ民食の特に主要なる一種、瑞(188)穗の大御國の貴き傳續に由つて、神に惠まれたる稻實を重んじたまひ、年の始めには民に代つて年を祈り、秋は則ち天が下のために、歡喜謝恩の情を敍べたまふのみならず、更に相饗の古法則に遵うて、神皇一體の微妙なる境地を、仰ぎ信ずる者に御示しなされるのである。國民は素より同じ穀物を生命の種と頼む者であるが、昔は豐凶の利害を神意に統一し、朝家の御榮をもつて、直に國を養ひたまふ御力なりと認むることが出來たのである。世は開けて人の業日に繁きを加へても、民の食を足はす以上に、適切なる政治は有り得ない。その供給の任に當る者が常に日本の農民であるとすれば、彼等がこの御祭の第一次の參加者として、永くその功に居らんとするも理由がある。但し名のみは農にして常に獨占を志し、寧ろ國内の缺乏を利とするが如き者が、その列に加はることを得ないだけである。

　昔も必ず同じ經驗があつたことと思ふが、悠紀主基の地方の齋田に點定せられたる耕作者、その他各種の農産物を、この日のために栽培する人々の、熱誠と精勵とには感動せぬ者は一人も無い。殊に近世に至つて必ずしも田地の條件を問はず、專ら篤農の品性無難なる者を指名して、これ等光栄の任を託せられることは良制度である。あるいは名譽律の拘束を受けて、過度無用の緊張に傾くの懸念も無いとはいはれぬが、兎に角に郷黨知友老幼婦女來り助け、たとへ一季の生産にもせよ、ほとんと現代の簿記法を超脱した力作を、可能ならしめるのも又農村の特徴である。固より萬人をして共にその跡を踏ましめることは出來ぬが、少なくともこの異常の興奮を目撃したる者をして、新たにある心強さを感ぜしめたことは事實である。

　要するにこれは新たなる可能性の發見であつた。重要なる精神上の理由が意識せられる限り、まだ我々の同胞の間には、能く振ひ起つて尋常のなし難しとするものをなすだけの氣風がある。それが人類のためにもつとも必要なる食物の生産者であり、若くは將來都市改革の任に當るべき農村人であつた上に、更にその感化は漸をもつて、他の種々なる生産におよび、人はその餘力を資本化し、若くは無意味なるしやし〔三字傍点〕に費消する代りに、これを奉公に役立てようとする傾向を示したことは、何よりも悦ばしい御大禮の記念である。現代經濟界の個人主義は、如何なる國土の如何な(189)る産業にも、一つの例外をすら認めようとはしなかつたが、吾人は少なくとも神と皇室とおよび主要農産物の關係において、現にかの學派の法外と目すべきものを見付たのである。これが如何なる程度にまで固定して社會の一部に存續し得るかは、論究するよりも寧ろ實驗すべき問題である。兎に角に日本は新たなる經濟の一異例を提供した。

　めでたき御祭の齋忌の日に當つて、これ以上の論辯は愼むべきであらうが、吾人はさきに御即位禮の日において、二十六個國の使節たちと共に、世にも尊き御勅語を拜して、感慨のやむ能はざるものがあるのである。世界の平和と人類の福し〔傍点〕とを、治道國交の第一義とすといふことは、實は多くの外國においては、誓約といはんよりも寧ろ高く掲げられたる理想であつた。たゞひとり日本においてのみは、あるいはその實現を近く、期待し得る理由があるのでは無いか。國民はこの仁慈の大御心を體して、努力してまづその可能性を見出さなければならぬ。信を中外に貫いて國の威望を高めるためには、第一には内に社會の窮苦を輕くするの要があるが、從來試みられたる手段は大抵はその效を收め得なかつた。士風の振作と固有文化の發揚によらなければ、今後も恐らくは後れて他國の跡に隨ふことになるであらう。かくの如くにして久しく與國をして徒らに期待せしめんことは、そも／＼臣子の心安んぜざる所であるが、幸ひにしてこの神聖無二の好機會に遭遇して、國民は始めて新たなる日本國の特質を發見したのである。兎に角に一たびその成長し得べきや否やを究めて、これを國運の展開に試みることは、與へられたる一つの新生面であると信ずる。

　與黨の要人等の御大典期を利用した策動は、一つとして政權の現勢維持を目途せざるもの無きこと明白なるにも拘らず、それが幾分なりとも效果を擧げたといふことは、却てことごとく内部均衡の紛亂を暴露し、人をしてこの派他日の分解作用の、必至にしてかつ急速なるべきことを、推察せしむるの便となつて居る。恐らくは今後いはゆる個人としての忠言漸く多く、いはゆる少壯代議士はしば／＼けつ起活躍して、幹事長の憂慮を意外の方面に的中せしむることであらう。しかも二囘の總選擧の中間における頭數増加が、不自然を極めたものであることは、世上の既にしたたか〔四字傍点〕に實見した所であり、利害の一致せざる者の假の一致が、常に國務の進歩を妨げて居ることも確である以上、この機運の新たに具體化したのも、もし天意といひ能はずんは、少くとも時の力である。即ち政治は如何なる場合においても、決して停頓はして居なかつたのである。

　けだし政友會の黨總括法には、つとに甚だ興味ある一つの傳統があつた。全國を關東東北等の數個の大地區に分割して代議士を結合せしめ、名義を各方面の代表に託して、黨内に相けん制することを許したのであつた。地方の代表は固より常理であるが、縣は現在の行政組織の缺點として、通例は隣縣の生活と風馬牛相關せず、かつ往々にして相競はんとさへして居る。支部大會の毎年の例を見ても知れる如く、信越は他の北陸の諸縣と共同して討究すべき一つの事務を持たず、また議員たちの努めてこれを發見しようとした痕も無い。今において囘顧すれば、かくの如くにして各地各團に一二の小頭目を存在せしめ、その懷柔によつて節制を簡易ならしめんとする策であり、即ちまた封建遺(191)習の逆用であつた。歴代の總裁が常に千萬長者にして、能くその實力をもつて直接の恩威を施し得たならば、とくにも一般の中央集權主義に準じて改定せらるべきものであつた。如何せん政治費の激増は三土忠造氏の證言する如くであり、政界の縁故即ち親分子分の如き關係は、これ等第二級の名士等の日を追うて必要を痛感する所であつたのである。

　しかも地方の小利害は寧ろ競立抵觸の兆を加ふるのみであつた。必ずしも名義ばかりの區畫制には拘束せられず、時としては遠く他領の頭目に聲息を通じて、土地の大親分を袖にする者があり、それが野心の比較的強き者に歡迎せられ、一方在來の勢力を持續すべき適任者は絶えて、いつと無くこの地方團體の重要さは失はれ、群雄のいよ／＼志を行ひ得る時が來たのである。久原房之助氏は自ら稱する如く、どの點から見ても政治家の一年生で、その素人臭は紛々として鼻を突くものがあるが、尚率直なる現實の承認に由つて、一道の新味を舊式政黨の間に、たゞよはせて居ることは事實である。彼に金銀の集積が政界においても尚何物かを意味することを、教へた人が既にありとしたならば、それを利用せんとする欲望がいつれの方面に向ひ、若くは彼の素質がこれに適するや否やは問題で無い。兎に角に大なる一個の政黨の内部には割據があり、曾ては巧妙なる地方區畫をもつて、　　　略々均衡の?態を保つことを得たが、最近に至つて次第に分野は混亂し、たゞ背後の付隨者の頭數に由つて、時々の權勢を上下するやうになつたこと、從つていはゆる黨中黨の血戰は、今後益々その花々しさを加ふべきことを、單なる風評以上に例示してくれたのも、またこの人の功勞であつた。

　成る程當代は一種の風雲兒の、存外容易に志を行ひ得る機會でもあらう。しかし氣の毒ながらそれ位の野望ならば、何人でもこれを抱く者をだし得るので、困難は寧ろ獨占の手段にある。現に近年の多くの事例においても、一派の成功は必ずその僚友の反目であつて、未だ曾て黨自身の結合を強固ならしめたためしは無い。次に起るべき他派の策動の、如何なる種類であるかも想像することが出來る。分解の形勢は明かに既に成つて居るのである。但し政治家に對(192)する數のみ力は、ある程度までは分裂の損失を避けしめるかも知れぬ。單に表決權の統制だけならば、まだこの議會だけは可能でもあらう。野黨の拙劣を盡したカン詰方法をもつてしても、一時はあの頼もしからぬ議員等をまとめて居た。ましてやこゝには政權があり、それに釣られて寄つて來た者も多い。しかもかくの如き同床異夢は、到底事功の見るべきものを期し難いのみならず、一朝黨人等が痛切とするが如き問題が突發するならば、今度は小さな中心が多いだけに、結果は恐らく政友本黨の時のやうに、簡單に二つに分れるだけでは無からうと思ふ。例へば田中總裁の引退時期、およびその後繼者の何人であるべきかの如きは、世間よりも先に政友會員が篤と熟考して居る。やがて總裁彼自身もまた、この問題を取上なければならぬ時がくると、血眼になつて前後を忘却する者は、必ず五人や七人で無いことゝ思ふ。與黨近來の動搖にはすこぶる?勢の促迫するものあるを感ぜしめる。少なくともこれが健全なる政治の成長に歸着せんことは、吾人の國民と共に希望してやまざる所である。

　元來この大會の成立ちは、女性の事は女性これを考究するに適すとする、やゝ制限せられたる主張が基礎であつた。今まで年々の議事の跡を見ても、いつも女らしさの道德をもつて、彼等の明辯達識を包まうとした姿があり、たまたま激越の音調をもつて、世上の耳をそばだてしめたものは、大抵は對抗自衛の論のみであつた。さうして婦人精神能力の今や略々對等であることを、更に社會をして心より承認せしむべく、次の方法を求むるの必要に面して居たのである。性の種別を超越したこの國際教育の大問題が、彼等の省察に供與せられたことは、又と得難い機會なりと認められる。吾人は程なく出現すべき女性獨自の輿論に向つて、多大の興味を抱かざるを得ない。

　けだし現代の民衆政治にとつて、外交はまだ一種の大乘であり、無能政治家の囘避所である。何とも知れぬ二種の抽象論に煙にまかれて、その判別を斷念して居る者は成人にも多い。しかもその利弊によつて直接の惱みを忍ぶべき者が、今尚半點の準備をすら與へられてをらぬとすれば、教育改造の急務の徒らに原則是非の辯によつて、調節せらるべきもので無いこともまた明かである。數十年來の小學教育の普及をもつてして、依然として目隱し式移民を海外(194)に送り出し、その前途の光明と不安とについて、何等の概念をも描き得ない國情は恥辱である。比隣民族との紛亂に處して、現に和協の望み雙方に切なるにも拘らず、未だ少數局に當る者の異望と失算とを指摘して、國交を正道に復せしむる能はざるが如きは、少くとも教養のある民衆の自尊を傷つけること大である。普通教育の大任に對して、男子と責任を半割するだけの自信ある者ならば、最初にまづ現制度の缺點にして、各自の奮闘をもつて到底これを補ふ能はざるものを明示しなければならぬと思ふ。

　たとへば今日の外國地理の教授法の如き、小店員の育成にすら尚不十分であるのでは無いか。太平洋上に國を立てながら、學ぶところは遠方の都市人口、普通の大通りの沿道の名所に止まり、周圍の島々やこれに住む人々、ゆくゆく少國民等が平和の接觸を續けなければならぬ方面に在つては、單なる固有名詞すらもまだ與へられて居らぬのである。この驚くべき西洋丸寫しは、既に人間の二代三代にわたつて居る。國を孤立にするやうな原因は一つでない。女教員が國民の一員たる以上に、更にその特徴たる細心の考察と温和の態度とをもつて、改めてこの未來の計畫に參加すべき時期は到着したのである。

　國有鐵道の電車經營を引離して、民間に讓渡するらしいといふ風説の傳はつたことは、少なくともこれで三度目である。首都の周圍にのみ群集する短距離乘客の整理のため、現に最近まで着々擴張して居る事業にして、昨今漸く國の幹線と、共同の設備を整へんとして居る電動輸送の計畫が、今頃原内閣の遺策とやらに引ずられて、分割せらるべき道理は有り得ない。大よそ世の中にこれ程信じ難い風聞は無いのであるが、假に一時にもせよ、その樣な無謀をさへ企て兼ねまじく懸念せられ、または部内にうはさ〔三字傍点〕の種をまく者が居るとすれば、小川鐵相などは少しばかり氣をつけるがよいと思ふ。

　鐵道國有主義の四半世紀を一貫して、國民はいまだかつて政府を一大運送店主と見て、その考課?を徴したことはなかつたのである。もし鐵道省が單なる商店であつたとしたら、その近年の番頭たちは、片ツ端からしくじつて居たはずである。如何なる深山絶壁の難工事でも、頼まれた以上は敷設を約諾して、豫想の收益の必ずしもこれと釣合はざることをかへりみず、毎期の純益と稱するものはたゞ帳尻をちらりと見せただけで、直にこれを勝手な新線路に注ぎ込み、一度でも本當の勘定はして見せぬうちに、段々とそれが不利益線の穴哩にまはされるといふ一事のみは、今や略々疑ひ無くなつたのである。殊にその中でも小川君の如きは、鐵道は必ず損をすべき事務なることを、信條とするかとも見ゆる生粹のお役人ではないか。ところがその新たに任命した監察官は何よりも先に電車經營が本業を食ひ倒しつゝある事實を指摘して、僅に一局部の合理化を進言せんとしたのである。誤つてそれが外局の新設、特別會計(196)の開始となつて、徐々に民間委讓の素地を作るものと、推量せられたまでは不本意なことか知らぬが、少なくとも今更この樣な問題に疑ひをはさんで、鐵道省の本務の營利にあるかの如き説を生ぜしめた點だけは、下僚訓育の法その宜しきを得なかつた責を免れない。

　電車經營の收益およびこれに投下せられたる資本が、混同共通に基く事務上の故障無きにも拘らず、今まで若し果して區別して計算せられて居なかつたとすれば、それは如何にも驚くべき粗慢に相違ない。彼等監察官が新任の第一着手として、これが整頓を要求するは至當なことである。しかし鐵道の會計がそれ程までだらしのないもので無く、實際上業務設備を汽車輸送と合同して居たがために、二者を分立對比するの手段が得られなかつたのだとすると、今頃突如としてこの種專門的數字の、公表せられたる動機は解し難く、從つて世人はこの事々しき調査が、事實鐵道相の意を承けたといふことを疑ふか、然らずんば更に他のあるものを疑つてもよいわけである。

　國有鐵道の電化計畫は、今や二三の幹線に向つて逐次に進められんとする最中である。いはゆる東京市の省電はただその特殊なる一部であつて、これをいづれの分界において割讓せらるべしといふか、空想としてもはとんとその足場が無い。不可能は簡單に明白である。しかも小人の巧智は、往々にして半途においても仕事をする。今やいはゆる資本の偏在は既に幾多の野望を促進し、必ずしも企畫の實現を期せざる者が、尚虚業の奔走によつて利得しようとして居る有樣である。かういふ時世にあつては風説もまた警戒すべき危險である。

　帝都四周の省線電車の經營が、實際それ程不十分な利益をもつて甘んじて居たものであり、そんなにまで市民と郊外の住居者とのために、盡して居てくれたものとすれば、それは益々國有を確保すべき理由となるばかりである。山手線などの開通當初においては、まだ何人も東京がこんなに大きくなるべきを想像した者は無かつた。即ち國有線は座ながらにして景勝を占めたものであつて、今更條件の有利を理由として、この責任を他に嫁せらるべきものでない。年五分以上の補給を受け、土地の投機を兼業とする私設會社に比べて、利益の少ないといふ點が寧ろその唯一つの功(197)績で、今後は經營の好模範を示してゆく／＼多額の補助金を無用とし、もつて國有制度の意義を明かにしなければならぬ立場にある。徒らに成靖を私人の資本事業と競はんとするが如き態度は、小川鐵相ならずとも恐らくはこれをしよ〔二字傍点〕する者はあるまい。但し現在の役人仕事では、まだ色々の拙なる點があり、一方私人の輕營に在つては、利便を害せず運賃を高めずして、尚若干の收益を増加する見込があるといふならば、出かけて彼等に教へてもらひさへすればよいわけだが、實際はその必要は無いことゝ思ふ。缺けたる何物かがもしありとすれば、それは國家のために鐵道を役立たせようといふ根本の誠意ではあるまいか。

　無産諸政黨の合同は、世間がまづこれを當然に來るべきものゝ如く考へ、次で各派の意向を代表するらしき人々は、社會民衆黨の條件付を除いて、いづれもいはゆる統一戰線の希望を表白せざる者は無かつた。一見する所問題は時期であり、もしくは方法であり、故障はたゞ陰謀であり小さき感情であるかとも考へられ、從つて同時に乏しい種々な(198)る解説も行はれんとして居たのである。今度の五派聯合の新黨樹立協議のみは、たとひ各關係者に取つては知れ切つたる内情の露出にもせよ、少なくとも外部の觀測者には興味多き新經驗であつた。單にこれに基いて合同の必ずしも簡易ならざる實情をうかゞひ得たるに止まらず、更に進んでは今後の合同が、大體において如何なる用意を必要とするかの、見當をつけることも出來たわけである。これをもし各派の指導者等が、兼て所持して居てしかも利用し能はざりし知識なりとすれば、正確なる世論の結成は、その理由をもつて一段と大切な事になるのである。

　日本勞農黨では今から三月程以前に、社會民衆黨との提携を促進すべしといふ意見が、多數の中央委員と、いはゆる戰線統一委員との名をもつて提出せられたが、それとほとんと日を同じうして、何故に無産大衆黨と合同しないかといふ議論が、これまた至つて有力なる全國農民組合の幹部によつて唱へられたのである。外部の知り得たのはたゞこれだけの事實、即ち一個の政黨の中堅と目すべきものに、相容れざる兩端の主張があるといふ事だけであつたが、後に内談に折合ひ困難なるものがあつたと見えて、まづ當分は現?維持といふことで、雙方が一時その話を引込めて結末となつた。それが今囘の新たなる合同談に際しては、丁度準備會の開かれんとする前夜、關西工場側を代表する二三の幹部と、農民組合中の一委員とが辭任を申出で、麻生書記長もまたやゝ明瞭ならざる理由の下に、自ら平黨員に下つて、合同の結果を監視せんといふ樣な聲明をだした。即ち前囘に幹部をけん制して、片翼合同の計畫を兩引にした農民組合の主張が貫徹した形で、即ち全無産大衆の合同を首唱すべく、もつとも形勝の地にありと見えた中間派それ自身、その内輪には尚いまだ合同し能はざる異分子を、假につなぎ合せてあつたことが現れたのである。

　この最近三月弱の停滯期は、あるいは今度の新計畫の背後の策謀期であつたと推度してよいのかも知れぬ。無産大衆黨がこの計畫のいよ／＼熟する日まで、一向無關心のやうな樣子を見せて居て、突如として來り加はつたなどは、却て下打合せの可なり密であつたことを思はしめる。全國農民組合は人も知る如く、久しく分裂して居たものゝ近頃の再合同であつて、今こそ強力に一個の日勞費黨を支持しては居るが、その半分は前には解散せられた勞働農民黨内に(199)あつて、無産大衆黨の諸員と相知つて居たのである。少なくともこの擧動とあの行がかりは假に社会民衆黨の老成自重をもつてせずとも、尚若干の不安を抱かしむるに足るものがあると思ふ。もし單純なる合同以外に、何等の他意無かりしものとすれば、如何にしても不利益なる形式を採つたものである。

　殊に吾人の農民組合のために惜むのは、彼等がこれよりして一層文字通りの全國の農民の組合たることを困難にしたことである。組合の數は今でも多いとはいひながら、地域から見ても數から算へても、無産農民の同じく苦しみ、同じく救はれんとする者はまだ恐らくは何十倍も外に居る。彼等は決して知らずして合同の外に立つ者のみでは無い。自己の素ぼくの性と經驗の不足に鑑み、また世間の評判によつて、一朝結合の後才智辯口ある二三子に引囘され、空しく數の力を彼等の濫用に供せんことを危むのである。農民の多數は特に巧あり、惡貿らしと評せられんことを憚つて居る。もしも彼等が組合の社會的有利を知りつゝも、尚餘計な裏面の策謀を惡んで、望みつゝも來り加はることを敢てせぬとしたら今度のやうな小合同の成功は、たま／＼起るべき未來の統一を、遲延せしめるの結果となるかも知らぬ。

　風説の無産諸派に有害なるものは一つで無い。中にはもちろん故意の造語も決して無しとはせぬが、これが正確なる判別方法を、宣傳によつて教育する望みは無い。方法はたゞ新政黨らしく、出來るだけ行動を單純にし、表白を率直にするの他はあるまい。近來の實驗はあるいは舊式政治の趣味を教へたかも知れぬが、やたらに腹藝の如きものを演ずるも考へものである。例へば中間無産黨の成長のためには、左右兩翼からの參加を期するは當然であり、それが大きくなると共に兩端の差は次第に分裂の危險もあつて、強ひて全線の統一を企てんとすれば、三を合せて二で割られるの結果を見ぬとも限らぬ。それが冒險の限度であることは、何人でもこれを認めんとして居る。非難は恐らくは試みてかつ失敗した經驗を打明け得ずして、いつまでも無用の推測説を流布せしめて置く點に在らうと思ふ。眞の合同の障害は、やはり指導者の複雜區々なる立場にあつたらしいのである。

　米穀市場に關係ある全國の有力者を中堅として、構成せられて居る一つの團體が、時々集まつては米穀法の運用を非議し、あはよくば制度の全廢を高調せんとする氣勢を示すことは、見樣によつてはこの法令の尚入用であることを支證するものともいひ得ると共に、他の一方にはまた地主派の急先鋒たちの、至つて蟲の好い度々の要求を、制御する結果ともなつて居る。國の經濟の論策は是非ともこの調子に、二つの利害階級の要求を對立的に反映せしめるものでなければならない。かくてこそ第三の公平なる判斷、もしくは假に公平で無くとも、ひろく中間の諸種の希望を成立せしめて、民衆をして最後の取捨を決せしむるを得べきである。この意味において吾人は雙方の宣傳の、共に相應に深酷ならんことを期待する。

(201)　農林當局のたつた一つのみそ、即ち近年この一種の穀物のみが、よほど上下の値幅を狹めたことは事實と認めてよからう。もしこの事實が米穀特別會計の致す所でなかつたならば、取引所員たる者は如何に事業の閑散を歎じようとも、かくまでこの法律を目の敵にして、食つてかゝらうとするわけは無いからである。然しながら同じ値頃の安定といふ中でも、消費者と生産者とには注文の著るしい差等がある。その何れか一方に偏して安定せんよりは、寧ろ相場師等と共に時々の亂高下を祈る者も無しとせぬ。しかうして政府者にはいまだ會て、相當米價に關する意見が無かつた。單に定見を有たぬといふよりも、能ふ限りにおいて、一方の利便を計らうとする成心があり、今尚大正十三年の陳米を擁して、竊かに過去の生産奬勵の、效果成るべく小ならんことをさへ願つたのである。乃ち毎年の損失をその都度國庫に轉嫁すべしといふが如きへき〔二字傍点〕案の、由つて起るべき素地を作つた者は彼等であつた。

　米相場の古風なる投機法が、今日の興隆せる經濟力の下において、濫用せらるべきは當然であるにも拘らず、國民は尚不必要に數度の苦き經驗を嘗めたのであつた。僅か數百萬圓の資金を工面し得る者が干與するならば、買占釣上だけは少くとも朝飯前の仕事であつて、それには正しく米穀法のけん制は有效であつた。地主にもし政府者の傳ふるが如く、これを有難迷惑と感ずる者が既に現れたとすれば、その惡因の警戒すべきことは、成程米穀法以上であるかも知れぬ。しかもこれ等の事實は、要するに現在の米穀市場制に根本的の改正を加へて、新しい時代の生活と適應させなければならぬといふ結論を導くだけで、不完全なる法律を保存し乃至は惡變するの理由ではあり得ない。米を買ふべき地位にある多數の國民が、大資本力の奴れいとなつては堪らぬことは、政府自身が相場師であり、また買占家であつても同じことである。ましてや我々の國庫に幾らでも尻ぬぐひをさせて、更に損失の資金を増加せんといふが如き企ては、想像するだけでも心を寒くするのである。

　現在の米價維持手段に支援せられる者が、どれだけの範圍であるかは、略々明瞭になつた。しかも政治家が少しでも大地主の感情をはばからぬ間は、かやうな正宗の名刀の如きものは、彼等の手に託すべき武器では無かつたのであ(202)る。區々たる經濟事情の全國を畫一して、これを單一なる常平倉下に統制せんとすることが、既に大膽なる試みであつた上に、これを第二種の懷柔策に兼用せんとするが如きは、古今いまだ聞く所無き先例の曲解であつた。最近の成績の甚だ香ばしからざるは當然の結果である。假にその任に當る者が努力して過ちをおほふはやむなしとするも、學者何の心ぞや、更に弊害の由つて來るところを問はずして、却て現?のために辯護の辭を見出すに辛苦せんとするのである。

　國の生産政策の效果とは獨立して、地方の經濟事情は日に月に變化する、消費者の生活もまた決して常平で無い。人間の智力もかつ一段の進境を見なければならぬ。曾て是なりとした制度の點檢も必要となつて居る。吾人は干渉百端なる政府の買占法を待たずして、尚自然の調節を見るべき時代を期待する者であるが、單に他の市場の激變を喜ぶ者と共に、その廃止を主張することをちうちよするのみである。いはゆる大日本米穀會がその決議を來年の四月に延期したるは大いによい。この期間を大切なる實驗の機會として、果して米穀特別會計制の、尚存續しなければならぬ時代なりや否やを確めたいと思ふ。さうしてまた政治家と、これに追隨する者との識見を試みたいと思ふ。

　我が陛下の深い御思召によつて、今日は關東一府四縣の若き人々を召されて、親しく訓練の成績を御覽なされることになつた。この昭和の新しい大御代に、ちやうど青春の盛りの日に囘りあひ、これから世の中に立つてそれ／”＼の職業境遇のために、勇ましく働かうといふ人々は幸ひである。昔はこれだけの多數の若者が、志を同じうして集まつてくるといふことさへ、想像もし難いことであつた。ましてや尊き陛下の御前に召されて、新しい大御代の奉祝の歌を御聽きにいれるといふことは、一生記憶して居ても尚足らぬ位な大きな記念である。

　多くの優秀なる次の代の國民、努力と天分とのそれ／”＼の效果によつて、日本のために役に立つ人々が、今日集まる者の中にはこもつて居る。少しでもその力が無益に散亂せず、一人の所得は直ぐに萬人の利益に歸するやうに、さうして昭和の大御代の名を永く遠く、後世世界の端の端までも持傳へるやうに、互に助け合ふことがけふの日の期待である。それが我が陛下の畏き御思召であることは拜察せられるのみならず、國民一同もまたその希望を強くし得る(204)ことによつて、始めて心の奧底から、國の榮えを歡喜することを得るのである。指導の局に立つ人の責任ももちろん重くなつた。この新しい大機會において、教育の方法も必ず改良せられることであらう。然しながら教訓は直接に青年自身のものである。三千年來の日本の清く明かなる精神は、直接に彼等の心に吹込まれたのである。その成長をもつて他人の事業としてはならぬ。

　我々の同情週間は囘を重ぬると共に、いよ／＼多數の温かい心の、通路を開き得たばかりで無く、その計畫者も意外とするやうな、澤山の新しい意義を發見しようとして居る。何よりも喜ばしき一つの事實は、この交通がとくに前代の慈善主義の域を脱して、多數の小さな力の相互の聲援、即ち場合によつては自分もまた、同情せられねばならぬ境遇の人たちが、常にその僅なる餘裕を提供するの用意あるを示したことである。固よりその直接の效果は大であり(205)得ないが、これが自然の影響にしてもし幸ひにして早く現れるならば、世の富豪と稱せられる者の、古來この事業に對して居た態度は、改まらざるを得ないと思ふ。

　第二に經驗し得たる幸福なる事實は、人が同胞のために働き得る力が、今でも尚甚だ豐かであつて、偶然はたゞその發露を妨げて居たのだといふことである。大きな聲援は才能ある人々の一顧であつた。これを善用する途がもし具はつたならば、世間はまだ必ずしも愁ひ衰ふる者をもつて、充ち溢れるにはおよばなかつたのである。殊に藝術に携はつて居る多くの名家が、その本來の美しい感情を、そのまゝ我々の仕事の方に傾けんとせらるゝことは、ひとり同情週間の成績を大にしたに止まらず、更に著るしくこの社會のあやの目を微妙にしたのであつた。

　その上に事業は少しく消極に過ぐといふ批評もあつた。排込資金の巨大なるに比べて、預かり金の増加ははかばかしからず、それを尚利用し能はずして、始終大部分を保管してゐるといふ有樣であつた。しかしこの石橋をたゝいて渡る式の遣り口にも、固より一面の理由と同情とはあつたのである。まだ當分の間は文字通りの、金庫の番人として置いてよからうといふ考へを抱く者もあつたのは、それが全國の信用組合の、もつとも具體的なる信用の基礎にもなつたからで、また假令彼等が自發的にその必要を認めて創立したもので無いにもせよ、いつかはこれを善用して益々その本分を發揮するの時來るべしと、推測することが出來たからである。

　然るにこの樣に堅實なる足取でも、やはり浮世の荒波には少しづつもまれて、動搖しなければならぬ場合が折々は遣つてくる。それがよい經驗となりまた刺激ともなつて、次第に一人前の達者な機關となつてくれることは、多數の小さき經濟の繁榮のために、いつも吾人の心から希望する所ではあるが、時勢は不幸にしてさう簡單なる樂觀を許さない。隨分底氣味の善くない者も、その邊には居るらしいのである。最初この機關を利用しようと試みた人は、いはゆる蠶業立國の愛國者のみであつた。政府の低利資金は中央金庫を通して、恩澤をこの人々の團體に施し、お陰をもつて最終の事業年度は、數字の上に花々しき活氣を呈して居る。この口はもちろん特別の事情ある別口であつて、仕(207)事は帳面の上では仕別けることが出來たのであるが、あるやゝ受動的なる一個の金融機關が、一旦保護的貸付の溝きよ〔二字傍点〕になつてしまふと、その藥は存外に早くまはり易いものと見える。少なくとも高い利子の方の金を借りにくる客は段々少なくなり、從つてこれを預金の預け先として、親しみを持つ者も増加しない。八億萬圓の貯金を持つといふ全國信用組合の中央金庫として、すこぶるその名に背くやうな結果を見るのも致し方が無いのである。

　市部信用組合の特別取引に關する規定は、恐らくはまださまでの影響は無いことゝ思つて居るが、兎に角に組合關係者の都市的に賢明となり、次第に農民離れをする傾向は驚くべきものがある。從つて地方の金融界における組合の威望は、幾分か必要以上にも成長して居る感がある。それが本來の相助の精神と、どれだけまで兩立し得るものかは疑はしいが、少くともその最近の兆候をうかゞひ知るためには、中央金庫が格別の資料を供與せぬことだけは事實である。組合が次第に自分等の中央金庫の存在を認め、出來るならばこれを利用せんとするに至つたことは、果して同情者の豫期の如くではあつたが、その利用の方式だけは全然その設立の趣旨と違つて居るのである。

　しかも近頃までのたゞ一つの特長は、こゝには政治の影響の存外に薄かつたといふ點であつたが、今度はそれをしも撤回して、事によると私恩を賣ることにもつとも妙を得たる政治家が、背後にあつてその世話を燒くことに、なるかも知れぬといふ風説が傳はつて居る。日本ではいやしくも法律をもつて作つたほどの經濟體ならば、一度はその厄に罹つて失敗して見なければ承知せぬといふ、難儀千萬なる傳統があるのだから、事によるとこれもその一つの例になるのかも知れぬ。悲しむべく高價なる實驗方法ではあるが、もし左樣の事があつても信用組合の名聲に何の影響も(208)無い程の中央金庫ならば、組合側としては黙つて見て居てもよからう。然し決してさうで無いとすれば、早く起つて防衛しなければならぬと信ずる。組合に對する三十年間の保護は、國民の異常なる信頼を意味して居る。その期待に背かじとする志が、今も組合經營者の一部の中に活きて居るならば、たとへ直接には自分の事で無くとも、尚共同の名のために、かやうな計畫を看破しなければなるまい。彼等の資金は始めから寄付では無かつた。それが組合の多數によつて、利用せられなかつたのさへ大なる遺憾であるのに、今度は更に濫用をせられるかも知れぬ危險さへあるのである。

　いはゆる大衆文藝がその名の堂々たるに似も遣らず、いつの間にか御定まりの一つの型を作つて通用し、今年も棄てゝ置けば寶物と敵の捜索、劍士と女賊と紅毛秘術との交渉をもつて、また一年を空過しさうな懸念があるといつて、微弱ながらも方々にその革正運動が始まつて居る。文藝は必ずしも大衆の特に關心する問題で無かつたのかも知れぬが、この何物をも氣輕に看過して、成る樣に成らせてその奇怪を疑はんとさへしなかつた氣風は、少なくとも國民の進んで世を新たにしようといふ願望とは一致しない。時弊のもし根原を討ぬべきものがあるとしたならば、端緒は却てこれを大衆生活の、平易かつ自由なる方面に求めて見る必要があるかと思ふ。

　無精といふ點にかけては日本大小の工業家なども同樣であつた。ある生産がすこしく利益を擧げると見ると、競うて人の足跡を追うてむさぼるは分量ばかり、仕事の變化も産物の種類をも考へずに、賣れ殘れば不景氣の責任は、買手にあるやうなことを唱へようとする。買手の從順さも誠に驚くに絶えたるものがあつた。品物が市に溢れるのをこれ流行と誤信し、謹んで各自の趣味を抑制して、彼等のために滯貨の處分を手傳つたのである。資本の力と宣傳配給(212)の方法が、その弱點に乘ずるは當然であつた。しかうして今日の大衆文藝の背景もまた、それ以外の何物でも無かつたのである。

　あるいは劍劇とこれを保存した活動寫眞と、相も變らざるちよんまげ式講談とが、これを支持してこの長期の流行を可能ならしめたと見て居る者がある。大衆文藝は乃ち自分の力も無く、從つてまた自分の責も無いものゝ如く、辯護せられて居るのも一理はあるが、少なくともこの名稱だけは、説明の業務を彼等に分擔せしめることは出來ない。大衆は營々として心を文藝の間に遊ばしむる餘裕無しといはゞ乃ちやむ。假にも彼等をして新しき世の生存を味得せしめんとするならば、その囘顧趣味を濫用してこれを歴史の一隅に導き去らうとするさへも既に親切で無い。ましてや半點も國人の性情と關係無き殺伐怪奇の浪漫境を設けて、無邪氣の見物人に異樣なる前代觀を抱かしめようとしたことは、たとひ惡意の無い物好みに過ぎぬとしでも、結果は有害なる大衆想像力のいう閉であつた。

　無論この狹あいなる既成趣味の征服に對しては、まづ反抗すべき者は束縛せられんとする者で無ければならぬが、時代はまた確にその有力なる味方とならうとして居るのである。日本の文藝界は、最近はまづ衰微のどん底であつた。この日々に成長する讀書子の大群を前にして、有觸れたる過去著作の複成をもつて、辛うじてそのかつ望を醫する以外には、ほとんと一つの新篇の世に問はるゝものも無く、やゝ著名なる文人はこと／”＼くその生前の遺稿の如きものを整頓して、我と我生存に區切をつけ、他の多數のまき耕す者は、未だその次の收穫に對して、何等の期待をも持つことが出來ないのであつた。あらゆる外國の新しい傾向は、見境も無くとりいれられまた紹介せられるが、それが餘りに數多くかつ性急であるために、却て社會の辨別を粗雜にし、時としては冷淡にさへしてしまつた。個々の批評群はほとんとその擁護力をさへ失つて、この春は殊に物悲しい自己解説の聲が多い。いはゆる易行道の生産は末期遠きに非ず、その下もえに芽ぐむものは、既にその根を深く國民の求むる心に根ざさんとして居る。

　失業の問題を現?維持論者に解決せしめようとすれば、末には混亂となり全體の衰弱に歸すべきことは、決して文藝市場のみの法則ではない。たゞ今日の大衆文藝なるものが、餘りにも馬鹿々々しく舊臭の途をたどつて居るのを見て、殊にその敏速かつ顯著なる轉變を豫測し、それを先例として次々に新たなる生産の、必ず大衆の必要を基礎とし、その必要の攻究と發見とをもつて未來の職業の要件とするの傾向を作りたいと願ふのみである。資源の缺乏と販路の困難とは、いつの世にもおく病者の口實であつた。それが單に不熱心と骨惜みとの別名であることは、まづこの方面においては明白に證明せられたのである。

　岐阜縣は治水行政の成績の、特に顯著なる地方として知られて居る。人のいやしくも明治聖代の三大土木事業を記念する者は、常にこの縣最近の繁榮を聯想して、その恩德を感銘せざる者は無かつたのである。然るに今囘は突如として、これに起因して悲しむべき人心の激昂と動搖が、その一部に現れたのである。これを暴動と名づくるはもちろ(214)んまだ早いであらうが、知事が半縣以上の警察力を擧げてまだ鎭靜すること能はず、既に非常の規定によつて、若干軍隊の援助をこふの不用意を示したとさへ傳へられる。土木工事の如き平和なる内務問題において、假に解決の急を要するものがあるにしても、この種の示威運動の施し難きことは明かであつて、結局は徒勞に歸し、無益の怨恨を殘すに終るべきことは是非も無いが、少なくとも一般國民に向つて、これが新たなる一つの警戒となり、また啓示ともなつたことだけは確である。

　國の治水費に向つては、實は年久しき先入の信用があつた。如何に缺乏せる財政の?態においても國民は概ねこれを非議せんとしなかつた。然るに事務がいよ／＼完成期に近づくに從つて、地方住民の利害のこれによつて影響せられるものは多くなり、當局の取捨選擇は一段と自由になつて居る。假にこの事態を政治の上に利用せんとする野心を持つ者があるとしたら、效果は却て鐵道の敷設買收補助などよりは、遙に擧げ易きものがあつたのである。國民の地理智識は今は至つて乏しい。土地の實情は少數關係者以外には、相接する縣郡においてすらも、これを詳かにするの途無きが普通である。さうして地方官はよく更迭し、また必ずしも上司に對して硬骨で無い。少なくとも情弊の豫て防止しなければならぬものが、潜行する餘地だけはあつたのである。それを今囘の岐阜縣事件が、始めて國人に注意してくれたのである。

　水利土木のやうな大規模の事業において、常に眼前の利益の均分を期することは六つかしい、だから一部の不平は(215)官憲の力をもつて抑制しなければ、到底全般の幸福に到達することが出來ぬといふこと、これが早くから承認せられたる一つの法則の如きものであつた。從つて政府はこの方面に向つて可なり專制であり、またその力を支持せんがために、半額補助といふが如き偉大なる與奪の權を握つて居たのである。かういふ制度をいつまでも存置する以上は、特に當局大小の官吏の公平清廉を監視しなければならぬ痛切なる必要があるのである。處分の表面の理由の如きは、專門の役人ならば何とでも説明することが出來る。普通人の能力では到底その非を指摘することが出來ず、しかも腹中の不滿は多くは邪推と化し、從つて政黨大臣とその部下の信頼は、徐々として薄らがざるを得ないのである。立憲政治の本旨から考へても、かゝる補助萬能の土木事業は、改革することを利とするのである。

　あるいは公用徴收には法律の保護がある。公の事業によつて損失を受けた者は、當然に補償せらるゝが故に、何人もこれによつて眞に迷惑をする者は無いのだといふであらうが、それは農民の土に對する愛着、殊には濃尾平野などの土地飢渇?態を無視した者の論である。最近岐阜縣では五十餘町歩の廢川敷地の公用廢止を告示すると、三十年前の買收によつて持地を失つた舊村民等が、その先買權を獲んとして運動を開始した。土地に離れたる農村勞働者の生活は、この地方においては特に見じめなるものであつた。それが單なる隣村住民の幸福を期するために、強ひて官廳の力をもつて奪ひまたは傷つけられるのだといふことを知つた場合、假に一人の隱れたる煽動者が無いとしても、從順にその年來の職業の喪失を甘んじないのは當然である。いはゆる輪中根性は決してこの地方のみの特色では無い。假に個人主義の傳道のまだ盛んで無い地方であらうとも、かゝる背水の?態において、自己の幸福を譲歩することは、到底尋常の農村人に期待し得べき道德で無いのである。

　多くの小作爭議において實驗し得た如く、この地方の農村經濟は確に行詰まつて居る。人は暴力の使用以外には、その私經濟を保持し得られぬかの如き、誤つたる見解に墮ちんとして居る姿がある。この際に臨みて單に法規の權能を頼みとし、少數の不便は容易にこれを無視し得るかと信じて、かういふ恩惠の偏在を省みないものが、今日の土木(216)當局であるとしたならば、その流弊は寧ろ警察力の集合を要せず、軍隊の援助をこふことを要せずして、何等の反抗無くその計畫を實行し得る地方において、更に一段と痛切なるものがあることゝ信ずる。

　與黨が露骨なる議員爭奪策をもつて既に大よそ下院の多數を得たかの如く揚言して、尚いつまでも陰微の手段をくり返して、敵派の氣勢を殺がうと試みるのは、果して朋黨政治の常弊たる雅量の缺乏のみをもつて説明せらるべきも(217)のであらうか。但しはまた別に公表すべからざる弱點の潜むものがあつて、現在の情勢ではまだ防禦の手薄を感ぜざるを得ぬのであらうか。國民の疑問は第一にこの點に係つて居る。政府がその信用を維持し、社會をして若干の安心をもつて、掲げられたる政策に追隨せしめんがためには、最近風説せらるゝが如き裏面の小刀細工は、單に無益といふよりも、また幾分か有害である。その樣にまでしなければ無事にこの議會を通過することが出來ぬのかといふ推測は、寧ろ反對者のために空虚なる倒閣論を支援するやうな結果にもなつて居る。有能なる洞ヶ峠の諸君が少しくその志を得んとするのも、いはゞ政友會の陣營のざわ／＼と物騷がしき樣子が、手に取る如く報告せられるからではなかつたか。

　頓狂なるものは野黨聯盟の呼び聲であつた。いはゆる孤軍獨往の民政一黨を除いては、日本には野黨と名乘り得る者が有るか無いか。それが問題となつて居る今日の聯盟呼ばはり程、人を笑はせるに足るものは少なからうと思ふ。しかも聯盟の中心をもつて目せられる人物が、白日平然として與黨の門をたゝかんとするに至つては、いよ／＼もつて風評の流傳の、取留も無いものであつたことを感ぜしめる。實際それ程まで材料の缺乏に苦しみながら、尚斷念することの出來ぬといふ政治上の取引は何であらうか。假に今日のいはゆる野黨が本物であつたとして、彼等は果していづれの政策によつて、聯盟の實を擧げ得べしとするのであるか。彼等は既に政見の不一致を名として、最近に個々の分裂を敢てし、寧ろその孤立の地位を利用せんとした人々である。今頃何等の進境も無い民政黨と聯盟するなどは、恐らくは復歸以上の難事である。それにも拘らずこんな空想が成り立たうとして居たのは、要するに二三個人の利害から割だされて、いまだ常理によつてその當否を黙殺せられざる案であつた。

　國民はもちろん必ずしも不可能なる理想を排斥する者では無い。殊に餘りにも非理想的なる現在の行がかりに對しては、假に實現の望みは近く無いまでも、かの既成政黨解體論などが、今少し聲高く唱へられんことを期待して居ることゝ思ふ。しかもその樣なる大言壯語に隱れて、何等目前の國政に抱負無き者が、單に政權を得んがための策謀を(218)ろうすることを、寛容する者は斷じて無い。もし現政府の失政を指摘して、速かにその引退を促すべき必要がありとすれば、まづ第一にこれに代つて行ふべき方策を確立しなければならぬ。野黨倒閣の聲が日を重ねて却て反響の力弱く、その年中行事たる不信任決議案の前途について、興味を抱く者の甚だ少ないのは、必ずしも田中内閣の信任を意味しないとしても、少なくとも國民は同時に代つて現るべきものに、まだ十分なる希望を有たぬこともまた確である。

　新黨クラブの床次首領などは、かつては日本のもつとも陽性なる政治家として目せられたこともあつたが、現在のところでは何人もその記憶を矢はんとして居る。國の一般の氣風が完全に彼を感化したか、但しはまた一旦の?勢に制せられたものか、最近この一派の行動の特に鮮明を缺き、少しでも新黨の新味を發揮しないのは遺憾である。いはゆる議會の空氣などは何とあらうとも、國民はこの多事多難の國情に鑑みて、當面の諸議案のもつとも周密に審議せられんことを願つて居る。政治家の態度の何物よりも明確に、次の時代に對する能力を擧示せんことを期して居る。しかも現下の陰慘たる政情に、無限の資料を供給せんとする者は、主としてこの一群の不徹底なる表白であつた。しかも少數雜多の分子を包容して、もつともこの不安定に惱める者もまた彼等だとすれば、あるいは展開の機運は尚この間に潜んで居るのかも知れぬ。

　望月内相の婦人參政權に對する意見として傳へられたるものは、如何にも簡單でしかも平凡なる尚早論に過ぎなか(219)つたが、不思議に永年の婦人運動を統一し、また具體化するの效果があつた。一年以前には政友會に人氣取りの政略だの、一夜作りの金看板だのと批評せられて、何人も眞面目に實現を期待し得なかつた選擧權獲得が、今度の市町村制改正法律案提出によつて、突如として非常に近い未來の實際問題となつたことは、今更ながら政治の勢ひであり又氣合であつて、到底一二有力者の私し得るものでなかつたことを感ぜしめると共に、國の守舊派の意見を特に忠實に代表せんとした一人の政治家が、結果においてはこの運動の促進者として、無意識の功勞を録せられることになつたといふ點において大なる興味を抱かしめる。

　今まで政治の教育には少しでも力を費さず、出來るだけ女性を世の中から遠くして置いて、彼等の多數にはまだ參政の希望が無いと説かうとしたことは、第一にやゝ手前勝手なる論理であつたが、その希望のある無しといふことも、實は甚だ根據の乏しい獨斷であることが分つた。氷炭相容れざる朝野の二黨が、その喧嘩の最中にもこれだけの一致を示し、競うて同文の法案を我おくれじと議會に提出して、發案の功名を他に讓らじとする現?が、もし豫想し得られたならば、果して内務大臣はあのやうな氣強いことをいひ得たかどうか。果して大勢のかく動くべきことを期して、わざとあのやうな激勵の語を吐いたといひ得るかどうか。もしそれが疑はしいとすれば、いはゆる天下多數の婦人をして、忽然として自己の社會的勢力に自覺せしめ、單に現在の政治には彼等の働き得る餘地が有るのみならず、外部もまたその參與を待ちかつ望んで居ることを、發見せしめたのもまた同じく人の力であつたといへる。

　婦人に純理の論が多くまた妥協性に乏しかつたことは、恐らくは現在の境遇の然らしむるところであつた。その上に從來は教育の必要を主とし、實行に向つての希望は必ずしも大でなかつた故に、つい近頃までは主義方法によつて彼等の團體は分裂し、ほとんと共同の運動は見込無きかの姿であつた。それが若干の互讓によつて、漸次いはゆる戰線の統一に向はんとする矢先に、ちやうど政黨の内部において、これを當分の人心集注點として選んだのは、渡りに船とも名づくべき奇遇であつた。三通りの權利はいづれも即座に、かつ必ず論理的手段によつて獲得すべしなどと唱(220)へて居たならば、五年や七年はまだ空論のうちに過ぎたかも知れなかつたものが、世論は一朝に囘轉してこゝに婦人公民權の問題は、平々然として衆議院を通過し去ることになつたのである。貴族院が多分握りつぶすであらうなどといふことを、はづかしげも無く口にする代議士もあるらしいが、彼等が内々はそれを豫期しつゝも、尚賛同せざるを得なかつた大勢に對しては、幾ら貴族院でも無感覺では有り得まい。いつまで彼等が問題の矢面に立つて、望月内相に代つて第二段の防禦陣地を守つて居ようか。それは寧ろ興味をもつて觀望してもよい未知數である。

　獨り婦人の公民權獲得が、實際の政治問題に化したといふのみならず、この變化は當然に第二第三の解決をも導いて來るに相違無い。今日の如く婦人の政治能力が、有利に試驗せられ得る時代は、前にもその例が無く、後にもまたまれにしか來ないであらう。家庭の生活に取つて何物よりも痛切なる子女の教育には地獄がある。消費の放任の結果恐るべき亂雜を極めて、家々の經濟には少しでも將來の計畫が立たぬ。大小公共團體の種々なる弊害は、人を自棄の境遇にさへ導かうとして居る。婦人の公心協力の要求せられるのは、決して彼等の爲ばかりからでは無い。果して彼等の智能を信頼することが出來るものとすれば、これを郷黨の小事務に制限する理由はどこにも有り得ない。さうしていまだ試みずしてその結果を危んで居た人たちが、悦びまた安んじてその前説を撤却すべき機會は、幾らでも現れてくることと思ふのである。

　あるいは婦人運動の關係者の中には、寧ろこれ程までの急激なる展開を意外とし、まだ多量の精力の餘剰を感じて居る人もあるか知らぬが、兎に角に前途はすこぶる明るくなつて來た。殊に日本のために慶賀すべきことは、この運動の終始平和であつて、何等不愉快なる衝突や混亂を見ないうちに、問題が着實なる歩調をもつて進むやうになつたことである。もし幸ひにして剰つた力、利用せられざる闘志があつたとすれば、それを無益ならしめるやうな國?では決して無い。排除すべき不正と醜惡、援助を要する弱點は社會に滿ちて居る。普通選擧制度はまだ若く、新しい選擧人は多くは睡つて居る。これを喚び覺ますだけでも可なり骨折なる一役である。吾人は何よりもまづ女性の周到な(221)る努力が、いよ／＼その實際的效果を據ぐるの日に近づいたことを幸ひとしなければならぬ。

　ところが、兩者の論戰は、對立の物々しきに似ず、質問の中味も答辯そのものも、これまでの質問應答を反覆したといふに過ぎない。普選による議會となつても、議會の品位や議員の素質が、一向代り榮えせず、とかくの非難を招いてゐるが、それと同じく十年一日のごとく進歩しないのは、政府當局の答辯振りが、政黨内閣の下においても官僚内閣の當時と少しも變らぬ紋切型であることである。殊に現内閣は對支外交については、戰々きやうきやうとして薄氷を踏むが如く、如何にすれば答辯を拒否し得るかと苦心してゐる風がある。かうした態度から國民を首肯せしめ、國外にも強くアッピールする何ものかを期待せんとすることは、到底不可能である。肥料分配時代の答辯に比すれば、首相の答辯は紋切型の板につきかけ、一日の若槻氏の質問に對するよりは、二日の答辯はやゝ上出來であつたといふだけのことである。

　答辯の舊式たると否とを問はず、また紋切型であると否とにかゝはらず、現内閣の對支外交と前内閣の幣原外交とは、日本の政界における對しよ〔二字傍点〕的對立をなすものである。田中外交の長所であり、同時に短所でもあるところのもの(223)は、理論や理想を持ち合はせないが、現實の力を働かせるところに強味がありさうに思はれ、幣原外交は理論は整つてゐるが、極めて非力であると思はれるところに弱味を感ぜしむるのである。國民の望むところは、外交の理想と理論と實行とを兼ねた力ある外交である。理想なき力のみの外交は危險極まるものである。吾人が田中外交を排斥するのは主としてこれがためであるが、同時に幣原外交の理論は整つてゐても、眞の意味において、氣力薄弱なる不安と弱味とに對して、與みすることが出來ないのである。幣原前外相の質問は、上品であつたといふ以外は、自己辯護と事務的の内容であつたことが目につく。幣原外交の長所であり短所でもあるが、幣原前外相は何故幣原外交の特徴である理想の高所大所から田中外交と對質する態度にいで得なかつたのであるか、日本の外交は支那にも呼びかけてゐないごとく、國際的にも呼びかける何物をも持つてゐないのである。幣原外交の取柄はその點にあるらしく思はれたのであるが、質問は理想に燃ゆる精彩がなく、理論的ではあつても、線が小さく甚だ物足らぬものであつたと評する外はない。

(224)　東西の銀行業者等は、預金利下の理由をもつて自衛手段なりと公言し、また能ふ限り現在の貸付金利相場を保持して、利鞘増の收得を全うせんと企てゝ居る。これに反して政府は今日の郵便貯金利率において、兎に角に既にある程度の低利貸付を行つて居る。方法の宜しきに合するや否やは別問題として、四分八厘はいまだ會てその事業の遂行を妨げては居なかつたのである。單なる銀行經營家の便宜のために、小貯蓄者の利益を殺ぐべしと考へたゞけでも、抗議をする理由は十分である。ましてやこの機會をもつて、黙つて千萬圓餘りの利子支出を、免れようとする下心があるものとしたならば、それは甚だ質のよくない名案と評すべきものである。

　併し他の一方から見ると、最近一年有半の郵貯激増には、若干不自然なる原因が加はつて居る。地方中小銀行の不始末に懲りた預金者たちが、種々なる便法に由つて最高二千圓までの制限を潜り、一時郵便貯金を利用して居ることは公然の秘密である。この種本來の産業資金を、以前の常道に復せしめるためには、銀行信用の徐々の増進と、監察事務の刷新だけでは尚足りない。もし一般の銀行預金が利下をして、郵便貯金の利子ばかり元のまゝであつたらあるいはまだ永くこの變調が續くかも知れぬ。それを整頓していはゆる二種の貯蓄の分界を明かにすることは、現在においてはその必要を認めないわけに行かぬ。

　この意味において今囘の郵便貯金利下は、一昨年以來の金融界動亂の後始末として、二つの條件の下にこれを是認すべきものであると思ふ。今日の貯蓄銀行が利率協定に加入し得ない事由は、何といつても郵便貯金の壓迫である。故に後者の利下が誘因となつて、貯蓄銀行もまたその預金利率をさげることになつたならば、假令手前勝手なる當業者の目算は何とあらうとも、貸付金利は追々にまた引下られて、自然に今後の金融界は健全なる歩調を取ることが出來るであらう。若し幸ひにしてその機縁を作ることが出來るならば、この際の郵貯利下は乃ち無益ではなかつたといつてよろしい。

　第二の條件は郵貯利下に基く増收入の利用法である。これは政府の事務費のためでなく、單に外部の事情によつて(225)偶然に生じたる餘得である故に、是非ともこれを貯金者の屬する階級のために支出しなければならぬ。今の内閣の社會事業費と名づくる者は、小口ばかり多くて總計は貧弱を極めて居り、たま／＼その無爲を難詰すれば、常に財源の缺乏を口實として責を逃れんとした。ところが今度は十七億圓に對する年六厘とかの利子が浮くのである。これを他の支途に向けようとすることだけは嚴重に抑制しなければならぬ。郵便當局の役人等が、貯金者は利子の高下を問はぬなどと稱して、今からその餘得を勝手に處理せんとするが如き口振を漏らすことは、眞に油斷のならぬ態度といふべきである。

　もし果して然りとするならば、現在の政局は特に將來の改革案に對して、適切なる幾多の好資料を提供するものといふべきである。濱口民政黨總裁の演説は例によつて辭句莊重、言々風霜の氣を帶び、野黨彈劾の辯論としては、如何にも上乘の出來であつたに反して、政府の側から見ると現在はもつとも防禦に不便なる時期であつた。支那の問題には意外の停頓が起つて、いまだ前途の光明を掲ぐるに至らず、更に連日の拙劣なる應しゆう〔三字傍点〕によつて、新に色々の攻撃材料を敵に付與して居る。この太刀打の與黨に不利なることは、最初からほとんと疑ふ餘地は無かつたのである。しかもかくの如き空虚なる勝敗は、たゞ徒らに政敵の怨念を痛甚ならしめ、更に一般國民をして慰撫すべからざる憂愁と不安とを抱かしむる以外に、何等のもたらす所は有り得なかつたのである。

　今日の衆議院においては、可否の票數は少しでも未知數では無い。若干の政治家は選擧人の意向と期待とを無視して、その態度を反對に鮮明ならしむることをさへ憚らず、政府はまたその事實を承認しつゝも、尚安然としてこれによることを許されて居るのである。この慣例が改まらぬ限りは、いはゆる節操買收の惡弊は常に存し、國民は往々にして次の選擧期までの、專制政治に忍苦しなければならぬ。それが現在の對外政治の如く常に國民として呼かけられてをりながら、尚不適當なる機關をして、永く代表せしめなければならぬといふ場合において、一層壓抑の堪へ難きを感ずるは申すまでも無い。

　在來の政黨は政權に離れると意氣地が無かつた。自派の立場には出來るだけ餘地を殘し、單に相手を傷つけてひとり倒るゝを待つて代らうとして居たのである。それが陰謀となりまた流言となつて、結局は實力無き内閣をして、百方權勢を固守せしむるの形勢を養つたのである。不信任案の提出に氣勢を副へんがために、普通に開催せられる院外の大會なども、實は不經濟なる精力の浪費であつた。それが痛快に成功する樣であつたら、やはりまた憲政の成長を妨げたであらう。然るに今回は兎に角に何等の事端をも發生せずして、この常例の一日は過ぎた。この次には今一段と平穩なる手續をもつて、二派の政見の敏速に判定せらるゝ樣な新制度を、講究することになるのが順序であらう。

　さきに山東撤兵竝に濟南事件が解決の域に達したとの報道に接するや、吾人は難關の餘りに手取り早く解決さるゝ(228)に至つたことを、實はいさゝか意外として驚いたのである。それにしても、年來山東撤兵竝に濟南事件の解決を希望して來た吾人は、寧ろこの意外の急轉を多としたのである。いまだ解決の内容については知るところなかつたが、解決その事が田中内閣の面目を臺なしにして屈辱的屈服だとの非難は非難として、田中内閣が兎も角も自らまいた種子をかり取る分別をなすに至つたこと、その時機はおくれたとはいつても、なさゞるに勝るものとして、吾人は日支兩國の大局よりこれを歡迎したのである。田中内閣にもと／＼そう明な外交の持合はせがあれば、無理な出兵に手を燒くにもおよばなかつたであらう。外交をぬきに馬車馬的の行動を敢行したために、斷がい〔二字傍点〕絶壁に乘りあげたも同じ運命に逢着したのである。然し出來たことは出來たことゝして、事件の解決を計らんとせば、從來の立前と行がかりとにとらへられてゐては、いつまでもらち〔二字傍点〕の開くはずは無いのである。

　今折角の好機會が到來し、多大の期待がかけられてゐた矢先に、突然駄目となつたとの報に接したことは何とも遺憾千萬である。決裂の原因はいろ／＼に傳へられ、いづれが眞相をうがつたものであるか、判斷出來ないが、日本の新訓令に基くある種の要求を支那側が拒否せるためであることは確實のやうである。撤兵時期の如きはも〔傍点〕早それ程重要性をもつものとは思はれない。日本が撤兵を行ふからには將來のしかとした保障を要求し確保せんとすることは當然といはなければならぬ。濟南事件は、相互の面目を傷つけぬ範圍において、相殺的に片つけられる外はなく、今更責任論をふりかざしたら、果てしが無い。日本の新しい要求なるものが、如何なる程度のものか、支那側として果して容れられぬ種類のものであるか否か、吾人には何とも想像がつかない。なほ出兵や濟南事件に基因した排日取締を日本が要求することは、事件の解決上これまた當然のことであらう。吾人は決裂の原因について、目下のところ的確な判斷を下すことが出來ないので、これについては兎角の批判は避けたいと思ふが、折角成立しかけてゐた交渉が、一時的の停頓を來たしたといふ程度なら兎も角、決裂によつてまたしても解決の望みを失ふことは、忍び難いことである。吾人はこれを交渉成立前の一大波亂にとゞめ、近く再び解決に向つて好轉するやう一層の努力が拂はれんこと(229)を兩國當局に切望せざるを得ない。

　地方生活者の大多數に取つて、米價の昂低以上に重要なる問題の無いことは分つて居る。農民がその經濟の安全を保持すべく、百方これが對策を講ずるは當然の話である。歴代の内閣がこれを援助して、あるいは倉庫を供し組合を設けしめ、あるいは低利の資金を融通したことも、いづれもそれ／”＼の必要があつたからではあらうが、その結果の(230)往々にして中央の政策にまたなければ、各自の私輕濟を支へ得ざるが如き感を與へたことは、地方分權の前途のために意外に大いなる障がいであつたと思ふ。その中でも困つたのは米穀管理の特別會計である。これがある間は地方人の首都に集まつて、農村盛衰の空論を闘はす弊は止まず政黨者流がこれを簡易なる武器として、選擧人を懷柔せんとする志望は絶えず、百の權限を府縣以下の行政廳に付與しても、依然として地方は中央の鼻息を伺はなければならぬことになるのである。地方分權の盛んに論議せられた議會にして、尚この樣な自家だう〔二字傍点〕着の現象を黙過するとしたら、政治は誠に空虚なる雄辯くわう〔三字傍点〕辭と、評せられても一言は無いわけである。現行の米穀法は少なくとも立法の當初において、その兩面の運用を豫期せられたものであつた。いはゆる數量調節市價調節の差別は、あるいは堅白同異の辯とも見られるが、兎に角に安ければ買あげ、高くなれば即ち賣だすものとしてあつた故に、獨立して一つの特別會計を維持することが出來たのである。然るに故意か拙劣かは知らず、政府はいつもこれを一面にしか運用することを得なかつた結果、僅の年月の間に忽ち會計は行詰まり、事實においてこの常平の制度を繼續することが出來なくなつたのである。一言でいふならば米穀法は自滅せんとして居る。管理の當局は責を引き、失敗の記録を後の鑑みに殘すべきであつた。安然として法規の形骸を守るさへも、無責任の非難は大であつた。然るにも拘らず、尚裏面より米を賣る人々を操縦して、個々の代議士の大體に通ぜざる者を威壓せしめ、新たに損失の尻ぬぐひと資金の倍増とを目的とする法案を提出せしむるが如き、恥を知らぬ策謀に出でた者が若しあるとすれば、これは正しく中央集權の濫用といふべきである。

　地主と小作人と小農と大農と、これが全農村の共同の利害であるといふことは、果して代表者等の言の如くであるかどうか、それからしてまづ疑つてかゝらねばならぬ中央の政界である。それ程に廣はん〔二字傍点〕なる一致がもしあるならば、何故に各地方において共同の對策が立たず、これを中央の權力に訴へて、その干渉に由つて始めて救はるべしとするのであるか。これもまた愼重に考へて見なければならぬ問題である。けだし生産者の自ら防護する手段は、農業においてはやゝ力弱しと稱せられるが、その代りには他の業務の者が受けられない樣な便宜が與へられてある。これ等の方法を試み盡す以前に、米穀法は特に手輕なる米價引上の手段なるが故に、これによつてもつとも螢勞なく、かつ速かにその利を收めんとするが如きは、いはゞ消費者の階級に對する、至つて露骨なてう〔二字傍点〕戰であつて、少しく先見の明ある者ならば、かゝる運動のいつも成功するもので無いことは考へられる。しかもさういふ危險の多い將來の政戰に、知りつゝ平和なる地方人を、導いてゆかうとするのもまた大なる集權の弊でなければならぬ。

　多くの隣國においては、中央の國權をもつて、全國の經濟を統御せんとすることは、寧ろ生産者以外の階級の政略となつて居る。憲法は各人に生活の自主を認めて居るにも拘らず、しば／＼法律を發して地方の特殊利害を無視しようとする者は、本來農業と特に縁の遠き人々であつた。日本はかゝる畫一的支配に適せざる國柄である故に、一日も早く地方をして各自の經濟自治に、練熟せしめる必要があるのである。これをしも省みずして一切の調和手段を棄て、ひたすら一時的便法に信頼して、他日の不安を痛切ならしめんとして居るが如きは、農國本國の農民のために、殊に吾人の憂悲する所である。

　會期尚三分の一を剰す今日の議會において、早くも重要諸法案の審議未了を、豫想する風評を傳ふることは、單なる常識の到底信じ得ざる所ではあるが、如何せん在來我貴族院の行動には、往々にしてこれ以上に不徹底また不親切なるものがあつた。但し近頃になつて風潮は少しく變じ、必ずしも各派幹部なる者の專横を假借せず、いはゆる大量取引の慣習に甘心せぬ人々が、相次いで互選議員等の中にも現れんとする傾向があるといふが、それが果して能くいづれの點まで、かの哀れむべき消息通の經驗を裏切ることが出來るであらうか。國民はまづ興味をもつて、近き數週日の?勢を觀望すべきである。

　賛否の當不當は將來の問題として、いやしくも國のために立法の決に任ずる議員が、豫て計畫してその本務を怠らんとするが如きは、假に二三密謀家の私念に屬するとしても、尚けしからぬ話といはなければならぬ。ましてやさも有るべきことゝして、今から外部の者にこの經過を測量せしむる如きに至つては、恥辱はひとり現在の在職者に止まらぬわけである。然るにも拘らず、形勢は寧ろこの忌はしき豫言の適中に向つて、進みつゝあるかの如き姿が無いでも無い。殊に心許なきは政府および與黨の多數が、名づけて一片の忠言なりとする決議案の前に意氣沈垂し、その諒解運動と頭數計算の拙劣を自認した餘りに、早くも税法諸案の可決について、何等の確信を持すること能はず、しかも未だその否決の場合に處すべき度胸が無いために、内々はせめてその握りつぶしによつて、一時の急迫を逃れて見たいやうな、情無い希望を抱いて居るらしき點である。

　在野主黨の他力本願も、また別個の趣旨において上院の煮え切らぬ態度を希望して居るかも知れぬ。彼等の倒閣運動なるものは、元々目的ある一種の虚勢であつた。意外なる問責決議案の成績に度を失ひ、歡呼しまた喜泣せんとするが如き内情にあつては、何等政局の新たなる變化に、處すべき用意無きことは察せられる。しかも委讓法案の否決は事によると事實となつて現れるかも知れず、その結果が假に内閣の崩壞となるとすれば、何の用意が無くてもうれしいか知れぬが、罷り間違つて解散とくれば大變である。それよりも出來るだけ大きな傷を負はせて、後で緩々とかつ手輕に、さも／＼自分の腕をもつてするかの如く、押倒して代らうといふ腹は見え透いて居る。その計略を修飾する辭令としては、そこにはやはり貴族院の本分論、もしくは穩健着實主義といふ樣なものが、すこぶるまた無爲無能の持つて生れた習癖を、支援する結果を見るかも知れない。

　吾人は貴族院内部の自然の改革に關しては、まだ少しばかりの實驗しか持つて居らず、從うて目下の政局の新たなる動搖に對して何程の期待をも抱くことは出來ない。たゞ一點の興味ある未知數ともいふべきものは、この利害を正反する朝野二政派の持久戰が、もし等しく貴族院の審議未了を便とするとせば、何れか一方の豫測の誤りであることだけはまづ確で、早晩その誤算は暴露せずにはをらぬといふことである。税法諸案が上院で可決すれば、野黨はもちろん元の熟柿主義に復らねばならぬ。否決の結果も略々雙方が同じことを想像して居る。たゞ問題になるのは握りつぶしの末が、果して政府のために有利に展開するかはた又野黨の觀ずるが如く、程よき頃合の更迭に歸着するかであ(234)るひ與黨の立場から見れば、負けて議會の後に政權を投だすとなると、いづれ今日の衆議院の?勢においては、解散があり敵黨治下の總選擧があることは知れて居る。それが誠に必至の勢ひであるならば、寧ろ我手に解散を斷行して、今一度運命を試みる方が勝つて居る。それを見切つて上院と正面の衝突をすることを避けるのは、全く民政黨の策士等と兩々相容れざる樂觀にふけつて居るからである。彼等は互に相手の樂觀の誤りならんことを希望するだらうが、希望は決して正しい判定者では無いのである。

　國民は必ずしも政界裏面の情僞には通じない。彼等の要求するところはこの樣な長い黙劇の一幕では無い。唯この内閣の出來てより二年に近く、何を國のためにしたか、またなさんとするかを知りたがつて居るのである。何か政策を行ふが如き觸込をもつて、無理をして多數をかき集めんとしながら、その實一つとして成績を示したものは無く、たま／＼一枚看板の二枚委讓を掲げつゝも、それをすら我内閣の長命祈願のために、再び未決に放棄して省みざらんとして居るのが彼等である。しかもこの良心乏しき人々に向つて、この上説法する精力は既に盡きた。ひとり頼むところは貴族院の諸君の、徒らに政爭激成の嫌疑を避けんとして、他方にはかゝる變態的政局不安定の、全責任を負ふことを省みざるが如き態度である。

　帝都は果して淨化し得べきか否か。擧國七千萬の民衆に取つても、これは明かに一大關心事であつて、近く二週日の後に現るべき投票の結果については、單なる好奇心以上にもつとも熱烈なる觀望の眼を見張つて居る者は多いのである。この際において寧ろ市民の一部に、やゝ問題を冷視する者あり、選擧の氣勢はこれがために揚がらず、徒らに舊式世話人の提燈の火に導かれて、再び利得以外には抱負無き若干の小人物が、我々の市政に近づかんとする形勢があるといふことは、如何にしても心許無い話である。今囘の解散のたつた一つの理由は、市會その物の腐敗であり醜?暴露であつた。その總市民に對する精神的打撃に至つては、優に六年以前の物質的大災害と、匹敵するに足るものがあるのである。人心はこれに由つて極度に動亂し、市は即ち邪智に富む者の、地位をはさんで自ら養ふの食器なるかの如く、想像する者をさへ生じて居るのである。單なる復舊の尺寸もその不安危險を除くに足らざるは當然である。心有る人々はたゞに一身の清白を期するに止まらず、進んでは隣人のために愛市の急務を力説しなければならぬのであるが、時あたかも中央政局の多事に臨んで、兎角街頭のゴシップまでが、その方に傾き勝ちなのは殘念なことである。

　あるいは選擧制度の適用の、何かまだ實?と調和し難いものがあるのかも知れぬ。この新興大都の特殊なる社會構造が、あるいは法の效果を妨げんとして居るのかも知れぬ。もし少しでもその樣な疑ひがありとすれば、それもまた今囘の如き異常改選の機會においてもつとも痛切にこれを實驗して置く必要があると信ずる。自治體の情僞流弊が今(236)度ほど露骨に摘發せられ、社會一般の批判が今度ほどせん鋭に一致したことは、空前にしてまた恐らくは絶後でもあらう。これだけ與論の強大なる支援を受けて居りながら、尚革新の實を擧げ得なかつたとしたら、東京市は明かに病體であるといつてよい。實際に大震災を一つの堺として、市民の大半はいれ代つて居る。假ぐう〔二字傍点〕者の數もまた激増した。彼等の大多數は本當の意味における隣人を有たず、たま／＼特殊の縁故によつて少數の結合を試みる者も、いまだその力を市政の上に行ふだけに、市の實務を理解せぬ場合が多いのである。市民として自己の政策を持たざること、これが現在の最大弱點といつてよいと思ふ。その結果としては一片の改革案も持合せず、甚だしきは何等の知識抱負無しと公言する者が、折々は立候補を宣し、また若干の人氣を博して居る。私黨結託の淺ましい醜態に懲り果てた反動として、いはゆる人物本位主義を高調したことが、今はまた幾分の散漫を見ようとして居るのである。

　最近の經驗においては、市會の今までの各派は概ね共謀團とも名づくべきものであつた。彼等は利慾のためには政敵とすらも手を握つて居り、その害惡は特に一國の大政黨と、連絡するものにおいて甚だしかつた。かゝる惡因縁を打破するためには、中立孤立の將來の去就を自由にして居る者が、望みを囑せられるのは自然であるが、彼等にしても主張無く操持無く、いはゆる淨化後の市政に對して、何等の畫策をも示すことが出來ぬやうな候補者であつたとしたら、その行く先も心細いものである。少しく多辯に失するの難はあるが、無産各派の出現はこの意味において愉快なことである。ひとり豫め彼等の投票者等を指導して、市政の實地に參加せしめるの力あるのみならず、更に彼等の主張を批判し制限しもしくは反對せんとする者をして、各自具體的にその立場を示し、徒らに人品風さい肩書金力等の、少しでも市政と關係無きものを標準として、義理や行がかりで古風な入札を敢てする者を、段々に少なくする結果に歸するからである。

　今日の報道によれば、立候補の登録は既に二百五十餘件、競爭の激烈は必然的に豫期せられて、寧ろ若干の尻込取消を誘致することはあつても、この上多數の新名士を發見する餘地は無いかも知れぬ。後藤伯の擁立は興味あるニュ(237)ースであり、他の若干の有志推薦候補者の出現も、また愉快なる新傾向ではあるが、今頃さういふ特殊の機會を待つて、これによつて淨化の希望をつないで居るわけにはゆかぬ。吾人が東京市民のためにそれ以上に慶賀することは、兎に角に今囘の總選擧を期として、まづ完全に舊勢力が覆滅して、新たなる人物の續々として出て來たことこれが一つ、次にはやゝ線香花火式の嫌ひはあつたが、各種の革正運動の少なくとも半分は眞面目で、彼等自らその主義主張をもつて自分たちを拘束するのみならず、更に幾分のよき感化を、從來無頓着なりし周圍の市民に與へたことが第二である。更に今一つの點を付加へるならば、候補者の人物に至つて顯著なる優劣のあることである。市民が僅なる熱情と注意とをもつて彼等の行動を視察すれば、正しき選擧は何の面倒も無く行はれ得るといふ實?は、帝都將來の光榮と幸福のために、もつとも喜ばしい自然の準備であると思ふ。

　新黨クラブの首領床次君は、その最近數年來の出處行藏に照らして、二大政黨對立制の眞意義を解説すべく、極度に不適任なる政治家である。かの操特の鮮明ならざる少數舊友を辛うじて結束し、この實驗未了なる受賣政治論をほ(238)とんと唯一の根據として、卒然と唱出する所の小選擧區案なるものが、耳を傾くるに足らざることは分りきつて居る。然るにも拘らず、一朝與黨がこれに迎合して幾分の技巧をもつて問題を重化せしめ、努めて時論をこれに集中させようとする形跡があるのは、疑はしき一個の政略である。殊に會期終に近よつて通過の見込に乏しく、新黨自身もまた一たんはこれを次年に延期せんとして居たものが、急に轉囘して下院議壇を占領することになつたのは、すこぶる人をして敵は本能寺にありの舊語を、想起せしむるものがあるのである。

　國民全般のために、選擧法は何物よりも貴重なる國憲である。これを窮餘の内閣とその與黨の、カモフラージたらしむことは斷じて警戒しなければならぬ。隱れたる動機の想像に上るものは幾つかある。疲れたる政客等は恐らくは確固たる意識も無しに、浮べるわらの如くその二筋三筋をつかまんとし、この案が萬一にも二院の協賛を得るならば、乃ちうそ〔二字傍点〕から出た誠となるのであらう。第一の動機は世人にも略々推測するやうに、改新連携のきつかけをこれに由つて作り設け、今更ゆき所無き床次君一派のために、被併どん〔二字傍点〕の辭柄を見出さしめんとするにあるかも知れぬ。これがまた傷い〔傍点〕滿面の與黨のためにも、殘されたる一つの活路の如く、自ぼれたらあるいは見えるのかも知れぬ。

　第二には即ち腰弱き上院議員に對する一種の威かく、解散はする腹あり、總選擧にはこの二派手をつないで、散々に貴族院をこきおろす支度をして居るかの如く、感ぜしむることを得れば能事了るのであるかも知れぬ。それよりも今一段と適切にいへば、現在論戰の標的となつて居る二三の重要法案を、なるたけ陰密にまた姑息に、取片づけしめる機關を多くするのみならず、更に進んでは醜聲の包むぺからざる鐵道諸案、乃至は時代の恥ともいふべき歳費増加案を、この混雜に紛れて物にしようとする情ない魂膽が第三の點かも知れない。上院にも野黨にも大いに警戒すべきである。彼等もまたかくの如き際に、潜かに渡りをつけられた例は從來にもあつたのみならず、現に彈劾などといつて惡罵を交換しつゝ、歳費などについて仲よく諒解しようとして居るのである。

　これをしも選擧法改正案の目的といひ得べくんば、こんな急造の新區表を公示して、個々の代議士の利害を混亂せ(239)しめ、更にそのやゝ遲鈍なる者をして、たゞ空ばくたる不安動搖を味ははしめたといふ點は、あるいは一應は成功であつたとも認められる。政友會内においても、この選擧區割當を各自の都合にあてはめて、承知をせずまたは心痛をする者が若干ある如く、反對黨内にあつても、一部分は、この新區制に由つて損をせず、あるいは制限超過の選擧費を今少し巧者に、またはより有效に使ひ得ることを喜んで居る者のあるらしきことは、安達君等が口裏からでも察するに難くないのである。米や肥料や鐵道の問題でも經驗したやうに、また歳費手盛りの案で今一層露骨に證明せられるやうに、日本の在野黨は總括的不信任に例外無き投票をした後でも、一身の便宜のためには平然として、政府の使走に甘んずるだけの面皮を持つて居る。新たに彼等を區々の利害、種々なる私心の交錯に導いてくることは、與黨内部の統制よりも、更に有效なる對議會策であつた。哀れむべし、民政黨は今や腹背に敵を受けて、内にはその大群を牧すべきむちも無くまた好きまぐさも無く、空しく彼等が土手を越えて、歳費増加の汚れ水に等しく飲はんとするをさへ座視すべき運命に立到つた。いはゆる憲政の常道の單なる合言葉で無かつたことを、今ははじめて體驗し得た者が多いことを信ずる。

　この際に當つて黨議を小選擧區反對の大方針に取まとめ、改正法案の不成立のために奮戰することは、假令その擧動が兒戯に近しとするも、尚かつ努力は承認するに足り、その效果は一個舊式大黨の改造のために、若干の希望を抱かしむべきものである。今囘の改正案の排撃せらるべき理由は、必ずしも單なる朝令暮改の點のみでは無い。政權以外の何物をも目標とせざる二政派が對抗するの際、一人一區を本則とした競爭に限らんとすることは、即ち新たなる第三黨の出現を防止して、多量の散票を無效ならしめ、選擧權擴張の本旨を、出來るだけ没却するからである。提案者は既に公然とこれを説いたとも傳へられるが、實はそれよりも卑近なる目的は、選擧實費を節約して、だ棄〔二字傍点〕すべき在來の運動手段を、今少しく續けて居たいといふにある。しかも現在はほとんと通過の目途すら立たざるに、更にこれを第三以下の、公表すべからざる政略に使用せんとするに至つては、その醜、その劣、人をして面を背けしむるも(240)のがあるのである。個々の議員の私利私慾からいへば、到底この案の歸趣を豫測することは出來ぬが、もしこれを日本の諸政黨の、公黨として存續する資格ありや否やの試金石として見るならば、その決定は既に目前に迫つて居る。馬鹿げたる法令は他日何時でも改訂することが出來る。これによつて議員の眞價を比定するを得るならば、この實驗は寧ろ廉價である。

　衆議院の取引所關係者その他から提出した限月延長法案は、既に大多數をもつて衆議院を通過し、目下貴族院において委員付託となり、その審議を進めてゐるのである。取引所賭博化法案とも稱すべき今囘の取引所法改正案が、衆議院議員から提出されたことは、議員歳費倍額増加案さへ臆面もなく提出されんとする今日の衆議院にありて敢て怪(241)しむにも足らないが、かくの如き法案が貴族院をも通過しいよ／＼法律として成立し、折角改善の一歩を實現せしめた我國の取引所制度を、再び改惡の方向に逆轉せしむることは、公平なる識者の等しく遺憾に堪へざることであらうと思ふ。

　元來取引所なるものは經濟上必要なる機關ではあるが、その弊害も又甚だしいものである。特にその弊害の大なるものは取引所が著るしく賭博場化するの憂ひあることである。從つて國家は取引所に對しては特別の監督を加へてゐるのであるから、思惑を助長するの憂ひある制度上の改廢は、取引所關係者を中心とせる人々から提出されるものでなく、政府自身經濟事情その他を十分に考慮して提出すべきものである。今囘のやうな取引所の思惑助長法案を議員側から提出し、政府自身その賛否をあいまいにするは甚だ無責任の態度であるが、衆議院の委員會では政府の反對なきを幸ひに、原案を變更して、改惡の目的を更に徹底せしめてゐる。即ち原案では株式の限月を法律にて二ヶ月と限定せず、その期間は勅令にて定め得ることゝし財界の?勢、市場の繁閑等によりてあるいは二ヶ月制とし、あるいは三ヶ月制となさんとしてあつたのを、衆議院の委員會では法律の正條に三ヶ月といふ規定をさふ入し、有價證券の清算取引は總て三ヶ月制に復舊せしむることにしたのである。提案者さへ合理的の主張に氣兼して勅令に讓るとぼかして〔四字傍点〕ゐたものを、衆議院では限月復舊を勅令の規定を待つまでもなく、法律の當然の結果として完全に實現せしむることに修正したのである。徹底的といへばそれまでゝあるが、國民經濟全般の利益を代表すべき衆議院が、取引所賭博化の運動に迎合し、その不純なる希望を徹底的に達成せしむる如きは、毎々の例ではあるが衆議院の權威を失墜するも甚だしいものである。

　いはゆる金力候補に對する反感と警戒とは、今や既に一つの機運となつたけれども、その次の縁故情實の運動に至つては、尚あるいはこれを普通の事の樣に考へて居る人もある。然しかういふ運動をする者は、大抵は他に頼むところの無い者に多い。識見と素養の他人の信望を博するに足るもの無しと感ずる者が、主としてこの拜み倒しや顔役連の利用をもつて、投票をかき集めようとするので、勢ひ窮まつて買收の不正を敢てする者は、必ずしも金持に限らず、その危險と後の害に至つては、却てこの秘密の運動費を、元入の如く考へる者において恐ろしいのである。

　學生青年婦人等の團體で、自身選擧權の行使に與からぬ人たちが、多くの眼をもつてこの選擧戰の經過を觀察してくれることは、喜ばしい今囘の新現象の一つである。彼等が市民生活の展開のために盡さうとする無私の動機は、殊(243)に感謝しなければならぬものであるが、然もその效果のおよぶところ果してどの位であらうか。地方選擧の在來の經驗によると、土地の青年たちが選擧に興味を持てば自然に運動は淨化し、怪しき者の尻込するが普通であつたが、東京の青年團などには、不幸にして今まではその力を試みる機會は無く、寧ろ往々にして二三小頭目のために、その多數を代表させて居たやうな憾みがあつた。若し今囘の助力勢援が自發的のものであり、直接に彼等の力を市に捧ぐるの意圖に出たものならば、收穫はけだし大いなるものがあることゝ信ずる。ひとり純眞なる青年の理想に背く者が、市會に出て荒れることを防ぐに止まらず、彼等自身もまた今度の經驗に學んで、次の選擧期の良投票者となることを得るからである。

　解散は吾人の主張の容れらるゝと否とに拘らず、現在の實?より判じて、幾分かその可能性を加へつゝあるかと考へられる。もちろん提出せられたる選擧法改正案が、兩院の協賛を受けざる限り、與黨はこれをもつて解散囘避の口(244)實にせんとするであらうが、それは單に今囘の如き行詰まりに逢着して、尚内閣の餘命が持續する場合にのみ、效果を生ずべき腹案といふに過ぎない。假に他の一切の失敗に對しては、目を閉じ時の經過を待つだけの忍耐があつたにしても、この内閣の前途には改造といふ難關があり、各種の利害は今既に内に暗闘して居る。政友會がこれに因つて四分五裂せぬ以上、これで内閣が倒れるものとしたら、次には必ず改選をもつて、今の多數を訂正せられるに相違ないのである。

　けだし政權の爭奪は、必ずしも民衆の關心せざるところではあるが、餘りとしても現在には希望が無さ過ぎる。殊に全國多數の地方居住者にとつて、忍ぶべからざるものは農村衰微の聲であつた。歴代の政府が徒らにこれを急呼して何等見るべきの方策を行はざる間に、動亂は既に事實となつて現れ、人々他を排して獨り利せんとするの運動は、日一日とその險を加へつゝあつたのである。現内閣のこれに對して、その救治の手段なりと稱するものは、何れも二階から目藥の一種に過ぎぬ上に、しば／＼一派の欲求に致されて、その效果の危むべきもの多きことは、くり返し吾人の指摘するところではあつたが、兎に角に局に當る者が信じて行はんとする政策である以上は、一旦これを試みて彼等の能力のどれ程であるかを、檢査する期間だけは待つてもよいのであつた。それが今囘はこと／”＼く空に歸し去つて、全然手を束ねて傍觀して居たのと、同一の結末を見んとして居るのである。即ち與黨はまづ彼等の信者をして絶望せしめ、しかも尚きふ／＼としてひとり自存の謀を求めんとして居るのである。責めては新たなる變化に前途一線の光明を見出さんとする努力が、當然に彼等の同情者の間よりも、起るべき實?になつて居るのである。

　いはゆる質問戰の效果は案外に恐るべきものがあつた。これまで隱れて居た多くの現實、例へば地方財政の氣遣はしき弱點、農村教育の爭ふべからざる不備の如き、その他多量の未解決は相次で白日の下に照され、政府はただにこれを承認するだけでは無く、更にこれに向つてまだ何等の具體案を有たぬことをさへ公表した。數年の評定と大げさなる前觸れとを費して、漸く持ちだしたものさへ貧窮なること彼の如く、それを握りつぶされんとして平然たること(245)もまたこの通りである。これに向つて更により以上を期待する何人があらうか。つまりはこの政府何もせずして、ただ人をして深く憂へしめんとして居るのである。解散は誠に地方の煩累であり、現在においてはまた一つの誘惑の危險でもある。好んで早期の總選擧を迎ふべき理由は無いわけであるが、この浸じゆんしてやまざる經濟不安、政治家の能力に對する一般的不信用を醫するため、少しでも多く新方面の言論に接觸して、將に燃え立たんとする生活問題の解決に、幾分の機會を付與するといふ側から見れば、この豫側は必ずしも不愉快なものでは無い。國民が待ちこがるゝ明るい天地、それはたゞ解散の彼方にあるかと思はれるからである。

　政府は上院における重要諸法案の停頓に省みて、この際一大決意をなす必要がある。これが與黨最終の代議士會の決議であつたと傳へられる。然るに當路の諸君等はあくまでも受動的で、何一つの決意らしきものを示すこと無しに、こそ／＼と所定の會期を終つてしまつた。與黨年來の政策として既に天下に公約し、かつ衆議院の多數によつて支持せられて居る澤山の法案が、こと／”＼く上院において握りつぶされるといふことは、黨の面目にかけて忍び能はざる所である。これをしも意とせずして平氣で居すわらうとするが如き態度は、必ず黨勢の將來に重大なる惡影響をおよぼすであらう。與黨腹心の中には何の憚るところも無く、かういふ意見を吐露する者もあつた。然るにも拘らず政府は確に平氣で、實際また居すわらうとしで居るのである。その惡影響がもし重大でなかつたならば、將來の政治は全(246)く夢の如きものに歸し去るであらう。社會は少なくとも公義公道のために、この政友會幹部等の豫言に、裏書するの義務を負うたのである。

　田中内閣の對議會策なるものは、終始一貫して拙劣を極めたものであつた。單に拙劣といふ以上に若干の惡質さへ帶びて居た。しかも總理は假に買被られたる素人に過ぎなかつたとしでも、左右には煮ても燒いても食へないといふ古兵、體よくいふならば老成練達の士が控へてをりながらこれはまた何といふ見苦しい馬脚であらうか。それを手輕に彼等の老衰、もしくは精氣の減退に歸することは冷評に失する。それよりも更に有力なる敗北の原因は、やはり眼に見えぬ時勢の變化であつた。時勢は彼等に向つて一言の斷りもいはずに、幾足か前の方へ進んで居たのであつた。

　今度の議會に對する準備としては、政府の策謀は相應に周密なものであつた。その上に個々の戰法においては、一つとして前任者の舊智を踏襲しなかつたものが、無いといつても決して過言で無い。例へば反對派の突崩しにせよ、弱點ある議員の強奪にせよ、もしくは中立小黨の懷柔にせよ、今までも絶えず行はれで、また成功して居る手段であつた。今囘はそれがやゝ露骨に失したけれども、それは要するに僞善と陽惡との差であつて、政府は寧ろ取引の公明を期した積りかも知れぬ。それが一つの近因となつて、この一般的不人望を買つたのは意外であり、彼等は今もつて自分ばかりが責められる理由を解し得ないかも知れぬ。

　第二段には貴族院の操縦と名づけて、二三事情通の内應に信頼し、その案内の下に大勢を統御し得べしとすることも、恐らくはまた原總裁以來の傳統であつた。忠實にその傳統を承繼してしかも失敗したといふことは、自家の責任では無いやうに今でもまだ感じて居る者が多いであらう。今議會の如く上院の諒解といふ語が、何度もくり返されたことは空前であつた。政府は中頃形勢の變化に心づき、いつもの柳の木の下にどぢやうのをらぬことを知つたけれども、時既に遲くして新たなる策を施し得なかつた。さうしてまだ氣休めの情報を受けて、最後に近くなるまで空なる望みを絶たなかつたのである。

(247)　この突如なる空氣の變化は、決してある者の揚言する如く少數民政議員の努力奔走の結果では無いと同時に、また名づけて貴族院の、精神的革正といふべきものでも無い。連記互選の非常識なる選擧制が續く限り、少數世話人の威力は常に有爵總議員の黙從を強ひ得るかの如く、豫想してゐた迷信が覺めたといふだけで、それには偶然に任期は半ばであり、不平連が多數であり、幹事が私心に富みたる小人物であつたといふことなどが、手傳つてこの一時的混亂を來したといふに過ぎなかつた。しかも中心無き行動になれざる議員等は、存外に大勢に敏感であつた。各個獨自の見解を打立つる以前に、まづ世上の批判に耳を傾けんとする故に、政友會内閣の傍若無人なる多數振りが、特に彼等の警戒を促さゞるを得なかつたのである。

　いはゆる否決の意味における握りつぶしなるものは、慘虐なる法案のなぶり殺しに他ならぬ。かくの如くすれば上院は内閣倒壞の責を負はずといふことも不通の論なれば、これをたゞ一つの理由と頼みて多數無能の殘生を保ち得べしといふこともまた驚くべき曲解である。しかもこれに對して憲政の常道を力説すべき一黨、何等具體案の世人を冀望せしむべきものを掲げず、徒らに對手の衰亡を待つて、代つてその地位に居らうとするが如き態度が今は却て不安多き政局を繼續せしめんとして居るのである。議會の能力の否認は公平なる外間の觀察者よりも、寧ろ直接これに携はつて居る人々に、これを敢てする者が多いのである。會期のある間は空論の限りを闘はせ、會期終るや否や直に陰險なる暗中飛躍を開始して、人を突落して乘取るが如き策をろうする間は、こんな活力の盡きたる内閣すらも、尚その現?を死守せんとするのである。責任は專ら議員にある。國民の政治批判は僅に目覺めて、その力はまだこれを表現するの力が無い。時勢は更に尚數歩を光明に向つて進められなければならぬ。

　現行の中等學校教育制において、つとに改善の急務を認められて居た要點は二つある。その一つはこれによつて國民普通の修養を完成せんとするものと、これを上級の職業教育に進むべき準備たらしめんとするものと、二種の兩立し難き被教育者の要望を、この一個の機關をもつて成就せしめんとする無理を除却することであり、第二段の更に忍ぶべからざる弊害は、數において僅に三分の一にも達しない準備教育の希望者のために、他の三分の二以上の利害を無視するの實があつたことである。今日の教育實?について、比較的多くの理解と關心とを有する父兄が主としてこの少數派に屬するものであつた結果は、國民一般の注意は久しくこの不公平なる教育法に向けられず、いはゞ堂々たる普通教育の名の下に、限られたる階級に向つて職業獲得の利便を供することを黙過したのであつた。少しく選擇の能力を具へた者が、兎に角にこの方向に向つて奔ることは自然であり、いはゆる高等遊民の輩出して、勤勞以外の生活方法を求めんとするのも、その素因はまたこゝにあつた。然るにこの形勢の既に十分に現出して後まで、何人もいまだ多數の屈從者のために、制度の濫用を非難せんとする者は無く、僅に受驗地獄の聲漸く高きにおよんで、始めて學校増設の一手段のみが、この固有の弱點を治療するに足らぬといふことを心づくに至つたのである。

　無智の不運の今日の如く痛感せられる時世に、今頃教育の實際化を説かなければならぬといふことが、それ既に局に當る者の大なる恥辱である。ましてや輿論が十分にその急務を承認してから、四年五年の月日を重ねても處理案は尚實現せず、たま／＼改善の名あつて實乏しきものを提案すれば、半歳以上を費してこれをひねくり散らし、結局は(249)後帶を引つ張つて更に若干歩を引戻させんとするものが、日本で文政審議會と稱する合議體である。かゝる悲慘に近い現?に直面して、尚いはゆる學識經歴ある老大家等の判斷に信頼せんことは、勝田文相の抱負に期待すると略々同等の難事である。元來教育の問題は税制や豫算の如く手のこんだ專門知識が無ければ理解し得ないものでも無く、また鐵道の許可や買收のやうに、土地々々の利害が背反する事柄でも無い。軒を竝ぺて住む多數の民衆は、それぞれに我家庭の必要を實感し、それがまた互に一致し共通して居るのである。單に從來の如く國に識者があつて、能く各人の利害を忠實に代表してくれるものと、當にして居た習慣の惰性があるために、今尚個々の校長教員の人望論以外に、その觀測と注意とを延長しようとしなかつたのである。しかうして問題のとくに提出せられ、解決の遲々として進まざることはこの通りである。今においては各自の生活上の要求に基いて、改めて當然の常識を養はうと努めるの他は無い。誤解はもちろん共同の討究をもつて、順次に訂正してゆく必要があるが、兎に角に産業の方面においては、國民の聲は揚がりかつ聽かれて居る。ひとりこれと對立すべき教育の改革が、今もつて民衆參政の基礎をなすに至らぬといふことは、全くこの永年の他力本願の結果であつて、吾人はこゝにまづ輿論の實際化の必要を認むるのである。

　二種のいはゆる中等教育の目的を混同させまいとすれば、當然にその機關を二つに分つことが、常識の指示する解決方法でなければならぬ。如何に完全に就學を強制するも、六ヶ年の義務年限は今の教育方法の下において、普通の教育を付與するに十分で無いといふことは、これもまた久しい以前から天下の通論となつて居る。然るにも拘らず歴代の内閣はこれを空想と同一に待遇して、少しでも義務年限の延長に向つて手を着けたものが無かつた。中學の改善は既に「住地における教育」を斷念し、一部資力の許さゞる者を取殘して出て來たもので、その本末の順序を誤れることは、幾度か吾人の力説したところであるが、しかも尚これを普通教育のために利用する多數者を主とし、その他の準備のためにする者を從とするならば、尚若干の不公平を免れて、國民の中堅をして生活の基礎をこの間に見出さしむることを得たわけである。然るに現在の提案の如きは、僅に三學年以後の科目の加除をもつて、少年の前途を差(250)別せしめんとするに過ぎなかつた。二三の實業學校式教課を付與することによつて半途に學習の一部を斷念せしめんとするもので、名は二種併立といふが實は優劣上下の感を與ふべきものであつた。二種の中學を必要と認むる以上は、教育は始めから二つに分けるか、それが困難ならば上級教育の希望者だけに、別に準備の學課を授けるより他は無い。實際の生活において普通はとんとその用途を認めざる外國語、もしくは漢文を少しばかり授けて、これだけで滿足すべしといふが如き教育は、恐らく人情ある指導者の敢てするに忍びざる點であらう。

　文部省原案の外國語の時間制限は、もちろん不徹底なものであつた。外國語教員たちの反對を待つまでも無く、そんなことをすれば效果は更に微弱となるは知れて居る。しかも中學校を最終とする多數子弟に向つて、これが何等の生活の必要あるやを考へると、その時間數を復舊して依然として準備生徒のお付合に苦しましめんとする審議會の修正が、いはば現?に囚はれたるとつおいつ〔五字傍点〕に過ぎずして、普通教育の實際北を距ること、いよ／＼遠きものだといふ感を抱かざるを得ない。問題は依然として日本人を脅かして居る。解決はいよ／＼一國の事業となつた。國民は努力しなければならぬ。

　最近のいはゆる現實暴露の後においてすらも、尚若干の説明を加へなければ、十分に第三者の理解を期し難い位に、この日魯漁業の問題は面倒な行がかりをもつて居る。しかも事は至つて大切なる國民榮養の補給方法と關係するのみならず、相手はやゝ皮肉にしてかつ冷淡なる一個の政府であつて、將來の我立場はまだ必ずしも安定的とまでは解決して居ないのである。この際にあつて外には總國の利害を代表し、内には問題の根本の意義を注釋しなければならぬ任務を負ふ人々が、あまりにも一派の紛亂の中に深入して居たといふことは、まづ第一に困つたことである。國の多大の援助の下に漸く今日有るを得た外國領海水産組合が、單なる一企業會社の手足同然となり、この事件の突發に臨んで何等裁定の能力を示し得ないのも法外な話であるが、更にそれ以上に責められなければならぬのは、監督指導の權能を總括するといふ主務官廳の態度であつた。外務農林兩省の當局たちは、今やその公人としての面目を保持するために、可なり大なる苦惱を經驗しつゝあるかと思はれるが、彼等に對する世上最大限の同情は、たゞ彼等が實業家だけの知能も先見も持たずして、漫然とその前棒を擔いで居た無邪氣さの承認に止まり、能ふべくんば圓滿なる處理方法を立てゝ、この失敗の罪滅ぼしをさせたいのではあるが、それは恐らく安心して一任しようといふ者は至つて少なからうと思ふ。

　日本の實業界は、最初から統一ある前線を具へて居たものでも何でも無い。それがたまたま外國の領土に出て、兄弟内に爭ふの實?を示したからといつて、直に國の恥を隱さなかつたといふ非難を、この種利得を旨とする人々に浴(252)びせかけんとすることは、無理でもありまた速斷でもあらう。あるいは内に潜んで在來の經營方法の弱點を見拔いた者が、あたかも外部の相手方と通謀して居たかの如き結果をもつて、不意に出現して背後から突飛ばしたのは、非人情であるといふ批評も、この連中には無益の説法であるかも知らぬが、兎に角に我政府の態度さへ、最初から完全に中立であつたならば、今日の如き見苦しい周章方は無くて濟んだのである。一個歴史ある大漁業會社をして、一朝にして奢る平家の如き陸沈のふちに臨ましめたものは、彼等としては頼むべからざるものを頼みとした無知無能であると同時に、政府はまたどこまでもその無謀なるひいき〔三字傍点〕の引倒しに對して、責を負ふ所が無くてはならぬ。

　いはゆる優先權漁場の何を意味するかといふことは、まだ一般の間には研究せられて居ない。露領水産組合の内規第十一項なるものは、吾人の始めて耳にする所であるが、これが競爭入札の現在の制度と、果して兩立し得るや否やは大なる凝問である。日魯漁業會社がもしこればかりの申合せをもつて、全國同胞の企業熱を永遠に封鎖し得べしと信じて居たとすれば、それは右内規の法律上の效果よりも、寧ろ背後の大なる勢力が、永遠にこの?勢を支援することを頼みとしたからであつて、即ち政治は既にこの限度を超えて、一派の資本力を長養せんとして居たのである。國家百年の生活安定のために、國が勤勞の機會を遠近に求むるは可であるが、それは如何なる場合にも一般のためで無くてはならぬ。特に因縁ある一小部分のために、安頓逸樂の地を供せんとするの嫌ひある限り、假に何等の後暗い諒解は無しとしても、尚その政治は公正なるものといふことは出來ない。手續きに於いてこそ若干の遺憾はあるが、今囘の暴露は寧ろその時期の早かつたことを慶賀してよいのである。けだし日露漁業條約の本來の精神は、我政府の力のいれ方が足りなかつたために、まだ十分に隣國國民に徹底してをらぬ懸念がある。島國三千年の生活慣習は、洋海をもつて大陸人の牧場と同視し、一種の養料は專ら海産に依頼して、この繁榮を持續して來たのであつた。今日の技能に到達するためには許多の危險を踏み辛苦を凌いで、漸くにして世界優越の漁民を作りあげ、今や餘力を他の諸民族と分つことを得るまでになつたのである。この計畫は領土領海の思想のいまだ今日の如く發達せざりし時代から續(253)いて居る。從うて隣國がこの事業に對して供與する便宜は、農林鑛業の如く地力の開發を基礎とするものと、その性質を異にすべきは當然のことであつて、特に一部の深酷なる資本家が、眼前の經濟事情によつて負擔し得べしとする使用料をもつて、その當然の所得と認むることは出來ぬはずである。甲の會社の根據乏しき獨占漁場の評價が不當であるならば、乙の企業家の冒險的入札をもつて、ある期間の純益のほとんと全部を權力ある者の誅求に委ねんとすることも、實際勤勞する者の本來の利益を侵食する點においては一つである。日本の政府が漁場の利益を少しでも安固ならしめんがために、主張すべき要點はこゝにある。それが今日まで述べ盡されて居なかつたのは、名を國家の利益にかりてその實は一局部を援護せんとしたからであつた。幸ひにして今囘の事態は明かにその不當と不可能とを證明したのである。吾人は日本漁民の一般の幸福のために、寧ろ露領水産組合の微力なる團結力が、早期に改締せられるの機會を得たことを喜ぶ者である。

　第五十六議會が開院式を擧げてから、もう彼これ三週間にもなるが、政府は樞密院のせ踏みといふたつた一つの大事業に浮身をやつし、輿黨は明けても暮れても政務官のことばかり騷いで居る。政務官の更迭に黨の空氣を刷新するといふ程の作用があることは、普通の推理をもつて解し難い話であるが、何か日本今日の政黨に限つて、隱れたる微妙の意味合ひがあるものであらうか。いはゆる舊式政黨の舊式なる所以が、もしこの間において發見し得らるるものならば、國民は尚一分の忍耐をもつて、今暫らくこの頓狂なる實?を、觀望して居る張合があるかも知れぬ。

　けだしこの種の局外の好奇心の如きものは、さう頻々と濫用せしむべきものではないが、現在世に傳へらるゝ内閣改造のかけ聲なども、たしかにまたこの意味において、一時政府の命脈をつなぐ力を有つて居る。政府は寧ろこの未定の?態の、出來るだけ永く持續することを望むかも知れぬが、しかもその遷延には限りがあつて、少なくともある程度の異動は避け難くなつて居る。これに反して政務官の新陳代謝の如きは、どこにその必要があるかを見付ることが、外部の素人には全然不可能であるにも拘らず、ひとり黨内においてのみは急迫なる督促の聲が揚がり、あるいはこれによつて田中内閣終末の日近きを、直覺せしむるものがあるのである。即ち輿黨にはこれをしも改造に包容せしめんとする者はあるが、等しく獵官の個人的問題ながら、二者は明かにその性質を別にし、從うてまた運動の方向を異にして居るのである。

　この内閣成立の初期に當り、自ら適任なりと信じた政務官の候補者は、察するに網の目から手が出るほど多かつた(255)のである。情實に忠なる各省大臣等は、その無數の競望者を絶望せしむるに忍びず、徐ろに他日を期して個々の更代を黙約したらしいのである。現任の政務官においても、薄々はその事實を知り、特に官制以外の任期の如きものを承認しなければならぬ内情があつたかと思はれる。さうで無いならば、今頃突如として野に遺賢あり、その器に非ざる者が朝に立つて、適材の進路をふさいで居るといふ事實が、發見せらるべき理由は無かつたのである。

　問題は何故に政務官の地位が、それ程熱烈に競望せられたかに歸着する。日本の議員は位階を重んじ勲章を好み、中には官吏と同じく年功をもつて、老後の扶持を受けてよいと、論じて居る者さへあつた。これが東方帝國のめでたい特長であつて、それでこそ世が治まるのだと考へて居る人もあつた樣だが、實際は治まる者は當人ばかりであつた。位勲の制度に關しては論究せらるべき點が尚殘つて居る。終生營々として公のために身を盡し、辛うじて郷黨の譽を博した人々が、一朝選擧によつて出現した議員に比べて、遙かにその下風に立たなければならぬといふ事實は、往々にして顯榮の效果を没却し、人をして尚階級制度の下に立つかの如き、感想を抱かしめて居るのである。しかも品格經歴の如何に拘らず、いやしくも政黨員なる限りは、機を見て必ず任官しなければならぬものと考へる傾向には、必ずしも單なる一門父老の渇仰を期するといふが如き、無形の古風なる動機があるばかりでは無かつた。

　今度の議會においても幾度と無く指摘せられ、また幾たびと無く否認せられたやうに、政務官は少なくとも外から見て、威望權勢の地位であり、同時にまた普通官吏の持合せざる勇氣をもつて、その地位を利用するかと思はるゝ境遇であつた。彼等のある者は田舍にゆき、しば／＼如何なる私曲偏ぱの決裁をもなし得るかの如く、人を信ぜしめんと試みたこともある。この態度にして學ぶべく、また徒らに少數をして獨占せしむべきもので無いとしたら、爭奪は自然であり半季交代もまた常理であるかも知れぬ。しかも今日の如く政權の前途は風前の燈火であつて、何人も次の議會に對する畫策を敢てせぬ場合に、尚この志望を斷つことが出來ぬといふのは不可解のやうであるが、彼等にとつてはこれとても單なる虚榮では無いのであつた。

(256)　政黨心理には國によつて色々の變化がある。日本では議員が自ら好んで段階を作り、もし大臣たり政務次官たることが野望ならば、甘んじて參政官級の名にをらうとする者は幾らも居る。さうしてそれにはまた若干の實利を伴うて居るのである。その結果は寧ろ政權のやゝ動搖して居るに際して、急いで一定のいはゆる肩書を收めて置かうとする者を、續出することになるのも不思議は無い。この間にはまた各地方の權衡論が現れる。黨内分立の兆候もこの爭ひに油を注ぎ、中央統御力の衰退は、露骨にその弱點を國民の前に擧示するのである。田中大將の出現以前から、我々の政黨は軍隊式に秩序立つて居た。今やその軍紀は少しく緩み、いはゆる陣がさの悲哀は忍ぶべからざるものとなつた。從うてせめては旗持ちにでもといふ類の紛爭が、果して空氣の一新になるか否かは、疑ふ者の方に常識があるといふことが出來るのである。

　全國市町村會議員の改選は、まだ漸くその半分近くが片づいたといふのみで、いよ／＼總決算の報告せられる日までには、尚若干の未知數の乘り加はるものが無いとは限らぬが大體において今からでも豫斷し得る一事は官廳乃至は中央各政黨の集計すべき議員所屬別の數字増減なるものが、必ずしも地方政治の將來の歸向を示すに足らず、從つてこれに基いて普通選擧制の效果如何を、考察することが出來ないといふことである。その理由は甚だ簡單で、一たび内側に立つて選擧の進行を視た者ならば、直に承認し得ることであらうと思ふが、要するに黨派はたゞ國政上の意見の相異であつて、多くの公共團體の目前の政治問題とは、大抵は直接の交渉を有して居ないからである。

　政黨の闘爭が中央において激烈になつて行くと共に、地方の端々までが追々にその影響を受けて、住民を二派以上に分たうとして居ることは事實であるが、それは大部分の選擧人に取つて、單に利用せられんとする行がかりに過なかつた。あるいは個人や家々の間に根強い競爭があり、または兩立せざる利害の對抗があつたにしても、少なくともそれが中央の幾つかの黨派に分屬しなければならぬ理由は、元を尋ねて見ると角力のひいきの如く、大方は偶然の選擧に近いものであつた。いはゆる政黨化の悲しむべき技巧は、出來るだけこの私情を公けのものたらしめんとし、政治が個人の生存競爭の上にも、利用し得るものなることを教へんとしたけれども、しかも地方の利害は土地によつて統一せられる場合が多く、一たび外部に向つて何等かの主張を必要とすれば、忽ちこの差別を除き去つて、結合してこれに當るを例として居たのである。兒戯に類すといへばやゝ過言の嫌ひはあるが、少なくとも兄弟の内にせめぐの(258)は、寧ろ差懸つた問題の公務を累はすものが無いことを、意味して居るといつてもよかつたのである。然るに今囘の總選學においては、一方には無産各派の進出によつて動かされ、他の一方にはいはず語らずの間に、衆議院議員の改選來るべしといふ意識が底に働いて、地方の政黨員等は再びまたこの機會をもつて、彼等の地盤を開かうとして居るのである。個々の公共團體の生存幸福のために、何よりも大切なる議員の選擧をもつて、單なる將來の政黨分野の畫定と解して、公然として一喜一憂する者も、世上には少なくないのである。東京その他の大なる都市において、内部の利害の對立する場合ならば、あるいは國の政黨の抗爭を導き來つて、こゝにも二分三分の勢ひを形成する餘地があるかも知らぬが、それすらも外觀を裝うて潜かに一致する必要が多かつたと傳へられる。ましてや小弱なる農村の終始結合によつて、僅に獨自の生存を保ち得るものに在つて、もしもこの事實が單なる一時の名義に止まらず、是非とも義理固く一旦の行がかりを守つて、いつまでも國の政黨の足跡を追ひ、少しも土地とは關係の無い借物の政論によつて、永遠の去就を決するものとしたら、それ程怖ろしい中央集權の弊は無いわけであるが、幸かはた不幸か地方近年の多事多難は、永く我々の選擧人をそれ程迂遠なる片意地に、踏み止まらしむることを許さなかつたのである。

　この意味において市町村會議員の黨派別なるものは、單にある一期の政治の傾向を暗示するといふまでのもので、その將來の地方政治におよぼす影響は、依然として個々の議員の郷黨に對する愛情と、事に臨んで一致結合する熱心の多少にかゝつて居る。さうして新たなる階級利害の抵觸に直面すれば、その無産各派の進出に對する態度の如きは、政友も民政も、恐らく何の區別も無いことになるであらうと思はれる。選擧が市町村の住民にとつて、何よりも適切なる實地の公教育であることは、今更事新しく述べるまでも無いことであるが、この點にかけては今囘の地方選擧は、尚甚だ遺憾の點が多い。獨り舊式政黨が無暗にその旗じるしをひらめかせて、人物本位の中立議員を立ち難からしめたのみならず、無産黨の各派においても一般に候補者公認の方法をとつて、中央の主義原則をもつて地方の實情を壓抑しようとして居る。彼等が第一次の普選に多分の收穫を豫期せず、寧ろこの磯會を宣傳に利用しようとしたことは、(259)時に取つての賢い遣り方かも知れぬが、その結果は徒らに無遠慮なる空論の徒を陣頭に立てゝ、却て着實なる選擧人をして、果して紛亂と抗議以上に、何か積極的な畫策に參ずるだけの、力量があるかどうかをさへ危ましめたのは、また決して彼等のための、終局の利益ではなかつた。今日の農村には澤山の無産者が住んで苦しんで居る。然るにその利害は必ずしも彼等によつて代表されず、尚元通りの舊式名望家の間に、多量の投票を分取せられた形があるのは、つまりはこの選擧戰術が、土地の實?に對して親切で無いからであつた。今となつては希望はたゞ次の變化の上につながれて居る。選擧は舊式であつたが、時代は確に變つて來た。普選の偶然なる好結果は、兎に角に人が新たになり又若くなつて居ることである。彼等が議員としての新しい經驗は、自然に次期の政戰を改良して、今一段と着實に土地の利害の、いづれの部分が一致を要求し、またいづれの點において抗爭と折合とを期すべきかといふことを、明言し得る者で無ければ選擧に出られない樣に、なつてゆくであらうし、又さうしなければならぬ。

　日本が世界有數の海難國であるといふことは、國の地理的環境を考へ、また今日の住民に賦課せられたる生活戰の役務の、新規かつ急迫なるものが多いことを考へると、あるいは必ずしも意外なる現象だといふことが出來ぬのかも知れぬ。年々著るしき國内勞力の供給増加に對して、僅に海洋の一方面のみにおいては、略々失業就職難の歎聲を聞かず、獨り在來の漁夫船員等の子弟が、次第にその作業場を延長し得たるのみならず、近來はまた農村の青年達の、新たに過剰の勤勞をこれに向けようとする者が多くなつて來たのである。冒險は既に幾多の新機會を發見させてくれた。昔も今の如く我々は種々の厄難から生き殘り、誠に文字通りの生死の海を越えて、漸くにして今日の繁榮には到達したのであるが、かくの如き苦闘には、もとは尚一段の協力があり、またより多くの理解を伴うて居たやうである。現在の社會はこれをしも尋常個人の、業務勉勵と同一視するに止まらず、年々くりかへされて居る多數無名の小家庭の悲慘事をよそにして、その豫想し得られる原因に對してすら、いまだ必ずしも防備の人力を施さうとはして居ない。この一般的冷淡が、特に我國の海難を憂ふべくまた怖るべきものにして居ることは、爭ひ難き事實である。

　最近のことに顯著なる實例としては、また一つの豐國丸沈没事件があつた。悲壯を極めたる新任船長の殉職、公私艦船の勇敢なる救助作業は、いづれも傳ふべき美談たるを失はぬが、それよりも更に痛切に世人を驚歎せしめたのは、命たゞ一つを拾ひ物として、辛々戻つて來た出かせぎ漁夫の言であつた。當初船齡四十三歳の豐國丸は、函館を出んとして港外に座洲し、一應は引返したけれども格別の檢査をも受けず、そのまゝ再び荒海に浮んでしまつたやうであ(261)る。一等機關士が浸水を報告して來たのは、僅に沈没の數時間前だといふが、それよりもずつと以前から、早くも船底には異常の響をきゝ、漁夫の一團は極度の不安を抱いて、頻に元の港へ引戻さんことを要求し、ために船員等と論爭した末に、格闘して血を流す者さへ多かつたといふことである。船の心得の乏しい出かせぎの人夫たちが、最後の苦惱は十分に長かつたのである。しかもこのボロ船には十萬圓の保險があり、船貨には卅五萬圓とかの保險がついて居て、荷主が難破によつて損失した額も、また約卅五萬圓なりと傳へられる。もちろん假に若干の超過保險があつたとしても、ためにこの不幸を豫想し乃至は滿足する企業家は有らうはずが無いが、餘りにも容易にまた無造作に、生命を北海の荒波に投げ棄てさせられた數十名の境遇に比べると、彼等の危險は法外に常に小さかつたのである。

　この問題はすでに日本の海員組合の間に、何事も無く論議せられて、今尚省みられざるものである。海員は各自に船體の長所弱點を知り究めて、いはゞ冒險の安全率ともいふべきものを、打算し得る能力を具へた人々であるが、それさへも職業獲得の急に迫らるゝときは、制度によつて漸くに一身を保護せられるの必要を生ずる。いはんや何等の船舶機關の智識ももたず、無邪氣な生命をみす／＼この通りの險難に暴露させるといふことが、もし官府監督の域外にあつたとしたらどうであらうか。しかもその動機が前途の企業利得と、自分ばかりは安泰なる保險の信頼にあつて、危險は必ずしも業主と平等に、これを分擔するにおよばぬのだとしたらどうであらうか。吾人はこれを單純に海の悲劇といふべきか、はたまた資本の悲劇と名づくべきかに迷はざるを得ないのである。

　間宮氏松浦氏の探險時代から始まつて、人の北邊の事功を國家と結びつけて、大言壯語したのも久しいものであつた。國民は徒らに空なる標語に耳熟して、今尚何物かの一般の幸福に寄與せられるべきを期して居るが、果してその期待は裏切られなかつたのであらうか。現在の北海は固より無人の地では無いが、その間には第三の觀察も無く、また同情ある批判も無かつた。獨り有る者は少數のいはゆる成功者と、何等郷黨の親情も無くして、たゞ利用せられ誅求せらるゝところの、多數の素ぼくなる者とのみである。監獄部屋の慘話は地を轉じて無限にくり返されて居る。獨(262)り田舍の勞働者の智術に乏しき者を、便として盛んに利用するに止まらず、しば／＼その危難をもつて各自の私利を支へしめんとしたのである。日魯漁業會社が卒然として漁民の憂苦に泣き、彼等の將來の不安のためにその必死の力を盡さうとするなども、場合が場合だけに幾分かその同類の疑ひがある。この會社がもつとも繁榮して、二割の配當もなし兼ねまじき勢ひであつた頃から、引續いて漁民の地位は不安であつた。しかも浸水が炭庫の中腹におよぶまで、平氣でボロ船の航海をして來たのも會社であつた。海の勇敢なる實際の征服者たちが、その厄に無知であつたことも一種の海難である。必要がなければこれをさへ不問に置いて、ひたすら自己の安全率を講じたる資本家等は、あるいは保險の方法として、退いて一身の苦を免れるかも知れない。國の大きな事業を二三私慾の輩の爭奪に一任して、これを制するの道さへ知らぬ人々には、まづ第一にはやたらに國家事業の語を、放つことを禁ずるがよいと思ふ。

　今度新設せられようとする米穀調査會においては、全然白紙の?態に立戻つて、米價が果して調節せらるべきものかどうか、もし調節の必要がありとしても、現行の制度方法が當を得たものであるか否かといふ基本の問題から討究して見る積りだと當局は言明したさうである。ところがその顔ぶれなるものを見ると、大部分は今日までの調節策と深すぎる關係を有し、これでも有效であつた失敗で無かつたと、辯護しなければならぬ樣な人ばかりである。結局は二億圓増額の農會案に、再度の機會を付與することにならなければ仕合せである。

　政府近年の米買上の中でも、今囘の分は取分け成績が無かつた樣であるが、これに對してすらも尚農林省には辯明の辭といふものがある。素人にでも容易くわかることは、田植も將に始まらうとする五月上旬に入つて、市價の低落を厭うて持米を賣兼ねて居るやうな農家はどこにも無いといふことである。如何に産業組合の優先申込を許さうとも、こんな時期を選んで買上を試みる以上は、その名義の商人のために借用せられるのは知れたことで、これでは却て人を僞善に誘ふやうなものである。某々二三の縣で組合の文字を誤解し、全く米作とは關係なき他の同業團體までが、米の賣主となつて名義料を收得したといふなどは、滑けいながらも好個の教訓であつた。米穀法の本旨の農業保護にあることは、この政府といへども承認せざるを得ない。もし然りとすれば制度の有效と無效とは、たゞ農民がこれによつて、保護を受けたか否かをもつて決すべきで、今更御歴々を集めて物々しい論議を闘はすまでも無いことである。然るに今囘は餘りにも露骨に、買上が純然たる米屋町の問題であつたことを表示したのである。賣買どちらでまうけ(264)ても差支の無い商人の群に、相場に興味を抱く少數の地主政治家が入交つて、これを思惑の種にしようとしたのだが、しかもその計畫すらも實際は中らなかつたのである。これが米穀法の成功であるか否かを明かにするためにならば、委員會などの必要は絶對に無いといはなければならぬ。

　現在日本の不如意なる財政において、三千萬圓は誠に大きな金である。事實産米を保持する各農業を調べて、假に一俵一圓の補助金を交付するとしても、今日となつてはその總額は知れたものである。然るに名は融通と稱してその實は囘收の目途も無く、單に既往の缺損の繼足しのために、更にこの巨費を支出して無用の財貨を抱へ、しかもその恩惠はといへば農民はおろかのこと、一部政商の輩にも尚あまねくおよばなかつたとしたら、知慮ある一個の大臣がこの機會に乘じて、白紙主義を高唱するのは寧ろ意外で無い。問題はたゞ利害あり言質ある多數の委員たちが、果して能く目前の?勢を看取し、政府をしてこの將に暴露せんとする徒勞の浪費を、中止せしめるだけの雅量があるかどうかである。

　聞くところによれば政友會の一部には、この頃漸く黨勢擴張の舊方針について、不安を抱く者が現れて來たといふことである。その意味は從來は兎角地方の有産知識階級の側にばかり、勢力を集注する嫌ひがあつたけれども、それは早現在の普通選擧の世の中には不向きであつて、そのためか否かは知らず、都市の選擧の形勢が面白くない。そこで自由黨以來の面目を發揮して、改めて大いに無産大衆に呼びかけようでは無いかといふ説が、より／＼唱へられて居るといふ話である。あるいはまだ至つて空な話かも知れないが、もし田中男の内閣でも、これに由つて動かされることがあり得るとしたら、差詰め實際の應用を見るのは、やはりこの米穀法の問題であらうと思ふ。最近數年間の與黨の行動は、如何にもこの説の如く都市庶民の利害を無視したものであつた。いはゆる米價の調節は假に生産者の保護にはならずとも、少なくとも消費者の損害にだけはなつて居た。しかも一念發起の功德は、そのおよぶところ決して都市の大衆には止まらない。年の五月に入つては農民の大多數も、同じく又消費者として保護せられる必要がある(265)のである。彼等の經濟においては、米は收穫の日に賣つて暮れの勘定を決濟すべきものであつた。假に若干の餘穀を藏し得た者があつたにしても、それを賣れば直にまた自分の用料を購はなければならぬ。さういふ人々に對しては、市場の好況は空景氣ですらも無かつたのであるが、今までは單なる總括論に卷込まれて、まだ小さな各自の生活を意識する暇がなかつたのである。その上に彼等の生産者としての立場も、決してまだ十分に防護せられては居なかつた。例へば米穀市價の騰貴に對して責任を負ひ得る者は、いつの場合においても彼等の外にあつた。政友會の態度變更が幸ひに眞劍なものであるならば、まづこれ等の利用せられたる階級に向つて、米價調節制度の眞實の動機を告白するの必要がある。それを敢てし得るだけの用意があるか否かに、吾人の米穀調査會に對して、抱き得るたゞ一つの興味がある。

　近頃は何か學枚に騷動が起るたびに、必ず背後に赤化運動の計畫があつて、絲を引き人形をあやつる者が居たから(266)だと、非正式に説明せられることになつて居るが、あれは如何にも不安心なる流行である。假にその樣な解釋が常に事實として受入られるとしても、その結果は折角の善導政策の見當違ひであることを意味し、また自由を要求する學生の實は野次馬なることを承認するやうなもので、雙方の名譽には歸着せぬ上に、まれに學校側の眞の弱點を暴露するやうな場合があると、忽ちにして人は他の多くの理由をも虚構として、却て警戒を怠たることにならうかもしれぬ。當局にしても能力あらば、今一歩を進めてこの風説の實否を、確認する必要は正にあるのである。

　學校の騷動は誠に好ましからざる近代日本の癖であつて、事實久しい前より大小種々なる動機の下にくり返されて居たのであるが、今囘早稻田と本郷に日を同じくして併發した紛亂だけは、陰謀の形跡が幾分か濃厚であるやうに見える。これを物々しき赤化の語をもつて形容するの當不當は知らず、少なくとも少數事を好む者のために、動かされまた致されたる分子は確にある。早稻田大學の強壓監理方針は、昨年以來の繼續であつて、學生の對抗運動はとくの昔に絶望を宣せられて居る。今頃日を期して認められざる大會を企つるなどは、豫め衝突を計畫したものといつてもよいのである。帝國大學の授業料引上反對に至つては、更に辭柄の選擇に窮したる嫌ひがあると思ふ。學生監、守衛等の干渉は、恐らくは授業料のみの現?維持をもつて、これを防ぐことは難いからである。

　來る三十日からジュネーブにおいて開かるゝ第十二囘國際勞働總會の主要題目たる給料被よう〔二字傍点〕者の就業時間に關する件について、政府部内では審議の末、我國の商慣習の相違と、商業勞働者の雇用關係の特殊であるのを理由として、一日八時間一週四十八時間制を、原則とするがごとき條約案には反對の旨を、出先の政府代表に訓令する内議ださうである。十年前ワシントン工業勞働者の勞働時間を極める會議の際、自ら求めた一週五十七時間の特殊國規定さへ、今もつて批准もせねば、實行の可能性すら眞面目に研究しようとしない政府の事であるから、その舊債務の辨償も濟まぬうちに、また厄介な新債務を背負ふ篤志があるはずなく、かやうな決定を見るに至るは、寧ろ當然である。今度は恐らく特殊國扱ひの長時間を例外的に求めることさへやめて、御趣旨は結構ながら、國情が即行を許さぬ位のところで、無精を極め込むのが落であらう。政府がこれであるから、使用者側代表は一層強い意味で、さきに實業聯合會や工業クラブが決議した通り、絶對反對を唱へることは必定である。

　我國のやうな小商人の多過ぎる國で、工業勞働に比して遙に緩慢、自由な勞働?態にある商業勞働者に對し、直に一律に急進的な勞働條件を適用せんとすることはいかにも無理であらう。また消費者の側からいうても、夜間買物を(268)なし、「銀ブラ」情調をたつとぶ多年の風習を一時に廢するのは不可能でもあらうから、直ぐ西洋同等の就業時間を採用することは困難であるにしても、現在の如く店員の労働條件に關しては何等法的保護なく、睡眠時間を除く外は、全部店務に身を縛られて居るといふ者さへある?況に對しては確に反省の餘地なしとせぬのである。

　使用者側の人はともすると店員生活に特殊な家族主義の故をもつて法的保護の無用を唱ふるのである。今度の國際會議に對する彼等の態度は正しくそれであらう。しかし、近代の産業組織が雇よう〔二字傍点〕關係に新しい影響を與へつゝあることは、敢て工業と商業とを選まないのであつて、一部のごく特殊な商店生活にいまだ幾分封建的氣分が殘存してゐるからというて、これをもつていつまでも全部を律し、勞働時間制も、災害補償や社會保險の保護も、一切特殊關係の理由のもとに拒否せんとすることは時勢が許さぬのである。現に從業員四千人を算する大百貨店が、その店則とする「家族主義」の故をもつて、從業者の圖結陳情を否認したといふごときは、そも／＼何の意味の家族主義であるのか、解するに苦しむところである。封建時代の餘習、主人と家族同樣起居を共にせる店員が、年期を終りて後、のれんを分けてもらふといふがごとき場合には、成程家族主義の意味も肯けるのであるが、世智辛い世にさやうな面倒を見る主人がどれ程あるのであらうか。ことに人多く職少き現代において、一般需給の經濟法則は、假令小商店の雇よう〔二字傍点〕關係だからというて、その適用を容赦せぬのである。この場合に家族主義とか、温情主義とかいふものは、たゞに虚名たるに止まらず、その美名のもとに勞働者が徒らにさく取せらるゝ結果を招來するのみであるが、我國現在の商業勞働者のごとく、その保護に關して全然無法律の?態に置かれ、貧弱ながら工場法や健康保險法の保護を受けてゐる工業勞働者程度の法益すら認められてをらぬ場合において一層然りである。

　外國の立法例を見るに、一週四十八時間勞働を原則とする點においては商業と工業との間に區別をしないのが通例であるが、しかしそれでも一律に如何なるものにもこれを強制しようといふのではなく、業態の種類により、一日十時間、甚だしきは十一時間までを是認してゐるのである。また今度の國際勞働會議の質問書草案を見ても、工業勞働(269)の場合よりも、一層餘裕を取つて規定せんとする傾向が示されてあるから、政府や、使用者側が、さう當初から逃げを張る必要はないのである。今囘を機會に從來全く閑却されたこの方面の保護に關して官民ともに努むるところあらんを切望するのである。傳ふるところによれば、當局は百貨店等に對し國内的に何等か規定を設けんと考慮中とのことであるが、望むらくは視野をさらに擴め、商業勞働者全部のためにも、更に深く考ふるところあつて欲しいのである。

　しかも制度によつて貴族院を改革しようといふ從來の世論は、實は盲從をもつて上院の本質なるかの如く、見縊つ(270)ての上の立案であった。今や幸ひにして研究會の内側に、少しく拘束と自由との當否を考究する者を生じたからには、將來あるいは一段と手軽に、改革の機運は開けるかも知れぬ。この上はたゞ社會の常識に準じて、決議の拘束とは政見の積極的に分裂した場合にのみ必要なものであること、賛否是非の消極的判別に至つては、個々の義務あることを、知らしめるだけで十分であると思ふ。今頃盲從の可不可を論ずるのは奇怪ながら、吾人は今少しの忍耐をもって、改革の前途に期待しなければならぬ。

　何といっても内閣改造は、現前政界の一話柄たるを失はぬが、それが元來は與黨内外の人心動揺を、暫らく別方面に引つけて置かうとする假の魔術に過ぎなかったのではないかといふ疑ひは、依然としてこれに伴うて存在する。世上取傳ふるところの風説なるものは、今日は昨日よりも更に空ばくとなって、新たに幾つかの相容れざる原則の併立(271)を見るに至つた。直接改造に影響せらるべき人々の言も區々に分れ、今や深沈大度の德を備へた者は、田中首相たゞ一人となつたかの如き観がある。國民の期待の何にあるかは問はず、この空氣こそは兎に角にある種の改造をなし遂げずにはやむまい。

　あるいはこゝ當分の間は、わざと今日の様な自由なる未定を、保留することを便とする者が多いかも知らぬが、それは固より國の政治の幸不幸を、標準としての意向では無いのである。政友會自身の立場からいへば、第五十六議會は即ち成功であり、民心は舊の如く現内閣を支持してゐるのだから、改造も實は無益の苦労といってよかつたのである。必要やむぺからざる補充以外に、あるいは進退を総理に一任せしめ、あるいは虚病や空用事をかこつけに、未練ある大官を勇退させてまで、大規模の異動を立案しなければならぬといふことが、既に説明の甚だ困難なる急務であつた。しかも人心はいはゆる一新を要すること極めて切であり、その方法はこれ以外にはもう無いとすれば、單に黨獨自の利害から打算しても、一日も早く今少しく力量氣はく〔二字傍点〕の更に勝れたる士を見立て、打惱まされたる諸政策を盛返さしめることに、協力しなければならなかつたのである。

　然るに彼等の問題は如何なる場合においても年功の多少であり地方の割據であつて、それでは一國の人心はさて置き、黨内の御機嫌さへ一新は覚束なからうと思ふにも拘らず、更に改造の名義と機會とを利用してあはよくば政策の詰替をもつて、政權の容物だけを保存させようといふ者が、與黨の内輪にさへ少なくないといふのである。内閣が當初世に掲げたる政策の一つをも實現し得ずして、二年を空に過ぐることを許されるといふことが、既に立憲政治の奇(272)怪なる異例であつた。それを推行する最後の窮手段として、一部の讓歩を忍んで黨外の助援を招くといふことすら、今となつては大なる面目の問題である。まして到底責任を分擔し得ぬことの明かなる人々を引込んで、その結果の旗じるし撤却に歸着することを省みざる如き案に至つては、如何に血迷うたる者でも、これを眞劍に改造の一種と考へ得る道理が無い。いはばこれ程までの無理をしても、尚この内閣改造の風説を利用して、ある期間の難局を切拔けて見ようとする者が、あつたといふことを意味するに止まると思ふ。

　日本の地方行政が、既に久しい前から大なる一囘轉を必要として居たことは、かの郡役所廢止の不便が、頻に在來の理事者等によつて、未練がましくつぶやかれるのを見てもよく分る。然るに世には町村の經營を我事業の如くに考へて居る少數があつて、今までは兎角郡制時代の仕來りのみによつて、現?を維持して見ようとしたのであつた。彼等がもし時勢を知り、殊に重大なる環境の變化に明敏であつたならば、この素志においては少なくとも親切であり、また縁故においてはもつとも濃厚なる前期の愛郷者等を失ふことは、正しく公共の損害であつたらうが、如何せんその多數には、改革の急不急を判別するだけの確信が無く、一まづは一切の變化を忌み避けようとした上に、時にはその地位を利用して、特に保持しなければならぬ私的利害を持つ者があつたのである。極めて少數の異例ではあるが、一朝選擧によつて多數を失へば忽ちにして生活の安固をおびやかされるやうな突詰めた程度にまで、いはゆる階級對立の?勢を運んでゐたものもあつたのである。

　かくの如き場合にあつては、反動は誠にやむを得なかつた。ひとり郡長の後見人式指導時代が過去つてゐたのみな(274)らず、郷黨の利害はとくに二つ三つに立別れて、調和互讓の必要はもつとも切であつた際に、なほ依然として元の監督官廳の行政に信頼し、中央の政治の統一せられることをのみ念じて居た以上は、これは寧ろ意外なる結果ではない。地方分權は空なる呼び聲だけであつたがそれでも早多くの年月を經て居る。前兆は久しく現れて居たのである。この變化の適應すべく、何等の考慮をも費さなかつたことが、いはゞ一部の反動をやゝ激越なものとしたのであつた。

　然るに幸ひなることには、他の多數の自治體においては、これでも時期はまだ遲きに失しては居なかつた。住民の新分子が案外に大なる興味をもつて、我も我もと地方の公務に參加せんとし、それが多くの舊議員と交代したことは事實であるが、この人々は必ずしも反動的では無かつた。中央黨爭の餘波はこゝにもおよんで居るけれども、それも半分以上は競爭の手段の如きものであつた。彼等のもたらし來つたものは、第一段には一般庶民の福利に對する關心と、これを増進せしめんとする自由なる論議とであつた。あるいはその中にも一種の物珍しさ、若くは單なる名聞のために、強ひて進出を試みた虚榮漢もあるか知らぬが、そんな考への馬鹿げたものであることは、忽ち了解するであらうのみならず、少なくとも郷黨の改善を口實としなければ、彼等を選擧する者は有り得ないだけに、住民の政治意識は進んで居たのである。

　土地に適した新たなる自治方法が、次第にこの間において提案せられ、かつ試驗せらるべき機會は到來したのである。國の概括論と大數主義に對抗して、今後は市町村の獨自の判斷をもつて、計畫せらるべき事業が増加することゝ思ふ。固より幾多の失敗は免れぬであらうが、少なくとも郷黨知友の間においては、今の中央政府よりも責任の歸屬と、その制裁とは明確に現れるであらう。さうなれば意味も不明なる社會課などの方針に盲從して、單なる外國制度の實驗臺となるかの如き不安も無く、自治は即ち自活だといふ意識の下に、地方分權の實は始めて擧るわけである。國の公共事業を統一し、また單純ならしめんとした在來のいはゆる社會政策は、事情の區々たる日本の如き國柄においては、效果を收め難いのみならず、時としてはまた有害でもあつた。それが追々に改まつてゆくとすれば、まづ救(275)はるゝものは監督官廳である。だから彼等もまたこの機會をもつて、大いにその仕事振を改めなければならぬと思ふ。

　時勢は幾多の社會改良家の、計畫ある運動をさへ追ひ拔かうとして居る。十餘ヶ所の遊廓を許して居る石川縣において、現在公娼の數は全體で五十六名となり、貸座敷はあつて一人の賣春婦も無いといふ土地が既に五ヶ所も出來たといふことである。他の府縣にも少しづつ、この傾向は以前から現れて居た。つまりはかの業々しい縦情機關が、多數近代の趣味とは合致せぬ結果であつて、必ずしもある一地方の風紀が、卒然として振作せられたものと、解釋するわけにも行くまい。然しながら一部の保持論者が曾て唱へたやうに、これが社會の實情に適した必要なる安全瓣だといふことは、少くとも事實そのものが否認してくれたのである。しかもその代りに何物を設備すべきかについては、世にはまだ定説も無く、また既存の利害も無いのである。永年辛苦し來つた廓清運動者に取つて、これぞ天與ともいふべき絶好の機會ではあるまいか。

　近世の歴史を囘顧して見ると、いはゆる貸座敷の業務そのものよりも、更に何倍か不愉快なのは、これを存置せしめんとした者の動機、およびその僞善的口實であつた。地方の有力者や行政廳の態度が改まらず、單に別種の流行がこの制度の不人望と衰微とを促したのだとすれば、次で出現すべきものゝ情無さは想像するにも餘りがある。實際またこれ程現著なる風俗の變移を見ながら、下流女性の幸福は少しも増加せず、彼等の自由は一段と殘虐に制限せられんとしてゐるのでもある。知らず從來の廢娼運動家なる者は、果してこの種表面の成績に滿足し、二三地方議會の寧ろ風潮に乘じたる決議などを、勝利の收穫としてがいせん〔四字傍点〕しようとするのであらうか。

　内閣の改造ばなしも久しいものである。改造しなければもつてゆけないといふところにすでに缺陷の自認があると共に、改造しようとしても思ふやうに、早く出來ないところに、更に大なる缺陷がのぞいてゐるわけである。閣内でイスをかへて見ても、真内の大臣病者の一人二人を收容して見ても、はたまた黨外から大頭と稱するものを引つ張つて來られたとしても、天下の人心が轉換するわけでもなく現内閣を離れた人氣が囘復されるはずもない。不人氣はまづ第一に田中首相その人にあるのだし、改造の必要からいへば、現内閣を土臺から引つくりかへさなければ駄目だからである。

　不戰條約にせよ、滿洲某重大事件にせよ、國家のためには、一日も早く片をつけなければならぬ問題である。それを片をつける事が、責任者をだすことであり、責任者が出ることは、外相であり首相である田中男自身の責任問題に歸することであるがために、のばせるだけのばして今日におよび、議會後すでに議會の會期ほどの長い時を空過して何等の進展を見ないのである。某重大事件が、たとへそれが邪推にしてもかう長くなつては確信に變化して、一年間の調査の結果、我陸軍はもちろん邦人に全然關係なしと發表しても、國外に對し何等の效果を收めないことになる。不戰條約にしても、内閣が御批准を奏請しない内から、御諮詢もない事項を天皇最高顧問と密議に日を送つてゐるのは、大權の無視であり、私議でなくて何であらう。かくの如きはすべて政權にかじりつくためには何をしてもかまは(278)ぬといふ現内閣の根本方針に出てゐるのである。これ現内閣の生存一日長ければ、國家の損害一日多しとする所以である。

　田中首相その他今度退けば、もう政界に出られないことを知る者が、恥も外聞も忘れてかじりつくのは致し方ないとして、政友會はともかくも將來に生命を續けてゆかねばならぬ公黨である。たとへ政友會が現内閣の倒壞と共に分裂し崩壞するとしても、憲政會が民政黨と名をかへて大體同一内容の存在を繼續してゐるやうに、民政黨に對抗する政黨として再び發生しなければならぬ運命にある。この意味からいへば、「田中内閣は短く、政友會は長し」である。歴史あり未來ある政友會が、田中内閣の無理にして無效な延命策のために總てを犠牲にして、過去の名譽と將來の生命を併せ失ふのは愚の至りといはなければならぬのである。政友會に人あれば、英國の政變に鑑みて、進退の機を誤らざらんことを要する。

　目下流行の標語ながら、社會教育の限界を明かにすることは容易でない。普通の用法では社會を學校と對立するものと豫斷し、かの一定の組織ある機關以外で、やゝ亂雜に行はるゝ指導方法の總體を意味して居た樣だが、もちろんその中では教育と名づけ得るものと否とを、明白に區別しなければならなかつた。しかも文部省のいはゆる社會教育に至つては、單にこの頃試みんとする幾つかの行政の一束であつて、假に便宜のためにこれを局の名としたものに過ぎないことは、その管掌事務の列記を見てもわかる。あるいは餘計な心配かは知らぬが、名稱からくる誤解は珍しくない。誤つてこの二つのものを混同する不なれな部員がもしあつたなら、それは何よりも大いなる社會教育の不幸と(280)いはなければならぬ。

　このたびの行幸の深い御趣旨は、まのあたり尊き御影を拜し得た者と否とを問はず、等しく各人の胸の奥に、一言の解説をもちゐずして既にしみ透つて居ることと思ふ。大阪はひとり御歴代の御親しみある土地といふに止まらず、今や一國經濟の中樞に向つて、新たなる努力を注ぐべく、非常に大切なる重點をもつて目せられて居る。關西の各府縣はいふまでも無い。全日本の興隆機運が、これを一個の心軸として轉囘せんとして居ることは事實であつて、しかも僅に缺くるところのものは、利害の大いなる一致であり調和であつた。國を單一なる總體として、その健全なる成育を望みたまふ御一人が、まづこの地を顧念せらるるは自然であり、またこの上も無い大阪の名譽である。即ち大阪は日本の經濟生活の、少なくとも半以上を代表して、この前途の祝福と、有難い激勵とを拜受しなければならなかつたのである。

　しかも國民が新たなる貴重の體驗として、永く感銘すべきものはこの一點のみでなかつた。誠に我大君の御國しろしめすといふことは、現實にこの國土の現在と未來とを、知つてしかうして憂ひたまふことであつた。もれ承るさへ畏れ多いことであるが、陛下の御言葉には常に民を新にしたまふの御志が溢れて居る。國の生活の躍進は既に著るしいものがあるといひながら、尚今日の?態をもつて、滿足すべきもので無いことは、我々もまた考へて居たことであるが、更にこの大切なる未來をもつて、多數少壯の國民の、統制ある結合に期待しなければならぬといふことは、意味深甚なる今囘の親閲式の御催しによつて、始めてこれを會得した者が少なくない。社會の現?にはまだ色々の病はあらうが、一たびこの庶民階級の偉大なる動きを見た者は、一人として國は泰山の安きに在ることを、感ぜざる者は無かつたのである。

　この思澤の源は外には無い。國民教育の根本が、改めて審議せらるべき時勢に入つて、かういふ大切な方針が朋確(282)に指示せられるといふのも、また偏に聖德の致すところである。大よそ育英の道に携はる者は、もつとも空論を戒めて速かに眼前の病弊を見出すことに力むべきであると思ふ。日本の科學が外形になづみ易く、しばしば國内重要の知識をすら逸しようとしたことは、いはゆる實際化論の唱へらるゝ所以であつた。今度のもつとも御多忙なる御旅行の中においても、寸刻も研究の念慮を廢したまはず、あるいは島山の深き林に求め、あるいは民間布衣の學徒を省みたまふが如き、我陛下はつとに實行をもつて、範を後代に垂れんとなされたのである。學問もまた國を濟ひ得べきことは、今や我々の大いなる希望となつた。聖跡は眼の前である。この上はたゞこれに習ふ者の、日を次で益々多きを期するのみである。

　ところが、この古風なる机上の論において、想見し得なかつた新時代の現象が、幾つと無く我々の實驗に上つたのである。海外諸領の供給増加はその一つであるが、更に意外なのは一般投機能力の増進、殊に政治をこれに利用する專門米賣主等が技術の進歩であつた。全體に昔の常平の善政に比べると、區域が餘りに廣く、また餘りに複雜でもあつた。そのために終始一隅の統制を受けて、仕事は片方に引寄せられ、名は調節といひつゝもその實はつり上げの勤務に專念して居たのであつた。その結果が最初の言明を裏切つて、年増しに資金の減縮に歸するは當り前の話であるが、その帳尻を毎年の豫算に塗りつけて、損はし放題と規定して無いのが、現行法の缺陷だと農林大臣は仰せある。誠に飛んだ人を頼んだと、後悔する者も多いわけである。國で手傳つて米の價を高くする事務が、永久の國民の負擔をもつて進行してよいか否かは、疑ひも無く大切な根本問題だ。それすらまだ決して居らぬ現在の米價政策ならば、今から改めて調査せられるのもまた止むを得ないかも知らぬ。

　あるいは新舊知事たちの力量才幹はた辯舌の共進場として、乃至は文書をもつて交渉すべからざる事務の交換所として、この種會合の微妙なる作用を説く者もあらうが、それにしては型に囚はれたる平凡の訓示をもつて、費さるゝ時間が餘りに無駄であり、無駄は現内閣の新たに排斥せんとするところであつた。全體の地方官は地方に居る時でも、無用若くは無内容の説法を聽くになれ、分けても上司に對しては終始忍從の德を發捧せんとして居るために、しばしば心無き京童が口の端にかゝり、兎角の冷評を浴せられる場合があるけれども、それが多數國民の本意で無いことは、今更細説するまでも無いことである。彼等には必ずかういふ機會において、何とかして述べ立てなければならぬ内情があり、また意見があるはずである。假に一人の太刀打においては大いなる遠慮があらうとも、多數が集まつてしかも期せずして所感を一にするならば、それは確にまた新たなる力である。せめては愚にもつかぬ常例の辭令を割愛して、彼等が共に訴へんとするところに耳を傾けるのが、この六十年に近い歴史をもつ地方官會議に向つて、生命を吹き込むたつた一つの途では無いかと思ふ。

(285)　けだし地方財政の近年の行詰まりといふことは、人情ある我々の内務大臣が、幾たびか聲高々と憂慮したところであつた。これに救援の手を差伸ばすと稱して、二年の時と勞とを費して結構せられたものが兩税委讓の諸法案であつた。然るに金鼓徒らに響き空砲は頻にとゞろいて、今や援軍の旗の影は遠く天の一方に消え去つた。田中首相が「幾多の重要法律案は二院を通過した」と告げたのは事實と反する。地方はもはや待遠しき二年の後においてすらも、何物をも期待する能はざらんとし、改めてその獨自の力に頼んで、前にまさるの苦境を切拔けなければならぬ羽目に陷つて居るのである。しかも忠實に政府の方針を信じて失望し、尚あらゆる眼前の逆境にこう立して、今一度公共團體の活力を以前の健康に喚戻すべく千思萬慮しつつある者は、この當面の理事者を除いては、ほとんと算ふるに足る者が無いのである。思ふに今年の地方長官會議の如きは、寧ろ黙々として彼等の難詰し若くは愁訴するところを聽いて居るべき場合であるかも知れぬ。

　もしそれ多辯にして考課を誇らうとする地方長官のある者が、今において尚前途の希望を放棄せず、何等かの方策を立てゝ局前の展開を期し得べしといふならば、その熱情は特に認めてやらねばならぬ。眼前の事態は實は必ずしも甚だ明るくない。既に中央の大官の知つて居る範圍においても、資力ある擔税者は相次いで都市に隱れ、未納は漸く加はつて決算を遲延せしめ、しかも内外の政務の新たに地方に課せられるべきものは多くなつて、微々たる農業調査の第一次の經費すらも、縣によつては支辨の途無きことを悲しんで居る姿である。從來の經常費目がともすれば公債に振向けられんとするは自然の傾きといつてよい。しかも政府は經濟調査會などの理論に心服して、これからはもつとも嚴重に、生産的起債をさへも制限する積りだと揚言して居る。そんな事を敢てする以前に、何か一應は説明して置くべきことは無いのか。大藏大臣は良心に富みたる政治家であつて、一切この問題の始末と將來の對策とを、直接指導の地位にある内相の訓示に委讓したらしく見える。その内相の訓示こそは聽きものである。がもし何かの都合によつて、こゝでもまたこの題目は後まはしといふことならばそれは席を改めて委曲を一問一答の間に盡さうとの趣旨(286)であらう。乃ち大いに地方長官會議の機能を發揮すべきである。

　原法相の訓示中、治安維持法が改正されたにかゝはらず、昨年三月の檢擧以來一年にして、再び日本共産黨に對し第二回の大檢擧をしたといふ事實が傳へられ、また學生の思想善導施設がなされたにもかゝはらず、數多の學校において、一部學生就中その優秀分子中に今もつて共産黨一味の誘惑に陷り、赤化運動の犧牲となりつつあることを告げられてゐることは、實に憂慮寒心すべき至りである。しかしながら一方において、同じ日文部省官制中改正案がかけられた樞密院の委員會席上、學生の思想を取締ると同時に、上に立つ者は思想惡化を招來するが如き行ひを愼むべきことが警告されてゐることは、前日全國教育大會の決議が、教育の目的達成のためには、政治を明かるくし、公人の出所進退を公正にし、責任を明白にしなければならぬことを指摘してゐることゝ思ひ合せて、文教當局のみならず政府當局の思ひをいたさなければならぬ所がある。

　調停法施行の五年間において、さしもに混亂を示したる我邦の小作騷動も、大體その落着くべき前途の見すゑがついたやうに感ぜらるゝに至つたことは、大規模の自作化を企てゝ成功しなかつた政府當局よりも、主として全國の現場に分散して、能く忍びまた能く説いた小作官たちの、かげの辛勞に向つて謝さなければならぬ。殊に僅な一部分ではあるが、寧ろ闘爭の長びき、苦惱の更に切なることを利とするが如き立場にある者をさへ前にまはして、たとひ一(288)時的にもせよ、全く新しい種類の平和を多くの農村に運びいれた努力は、相應に有意義なものであつたと信ずる。

　あるいはこの樣な制度の新たに設けられたために、却て自然の展開に放任して置いた場合よりも、紛議の件數を増加し、無用の交渉を流行せしめたかの如く、誤解して居る者も無いとはいはれぬが、それは各事件の内容と結末とを、比べて見れば直ぐにも分ることで、特に解決を困難とするやうな惡性の問題は、かういふ早期に發現したものゝ中には無いのであつた。單なる抑制とこ〔傍点〕塗とをもつて、無事無難を期し得べき時勢はとくに過ぎて居た。假に小作官等に餘力あつて事を好み、強ひて眠れる兒を喚び起した形があつたとしても、時にはそれすらも爭闘の防止手段と認めなければならぬ場合もある。ましてや彼等には曾てその時間も無く、またそれまでの遠き慮りも無かつたのである。

　日本の地主階級なる者の大多數は、必ずしも富を頼み力を誇る樣な理論的さく取者では無いのであつた。彼等もまた新經濟の波亂に搖蕩せられ、一方には境遇の拘束に苦しめられて速かに自ら脱解の道を尋ねなければならぬ人々であつた。それが一方の更に苦しめる者と對立して、能ふべくはせめて目前の?に姑息せんと試みたこともあつたが、一たび二者のいづれかが忍ばねばならぬといふことを知るや、即ちまづ忍ぶべき者の自分たちであることを認めたのである。調停はかくの如き場合に對して、決して説き易い事業では無かつた。しかも率直なる日本人の氣質としては、それが他人の壓迫や強制に基いて、しぶ／＼我慢をするよりは遙に樂であつたかも知れぬが、兎に角に雙方の理解をこゝまでに持つてくる間、説明しなければならぬ永年の實情は、恐らくは非常に込いつたものであつたらう。地方政治の隱約の力の如きも、固より輕視すべきものではなかつた。現?の保持をもつて國論を統一せんとする運動も可なり強かつた。然るにそれ等の影響を押切つて、辛うじて一道の光明を地平の前線に見出すやうになつたといふことは、單なる制度の效果では無いと思ふ。

　國を新たにせんとする一般の機運は、確にこの陰に潜んで働いて居る。しかうして敏活にその機運を感知し得た者が、幸ひにして折衝の任に當つて居る若き同胞であつた。五年の經驗は殊に大切なるものがある。まづ第一に學び得(289)たことは、當も無く國家立法の發動を待つ以前に、庶民が自力をもつてなし得る部分の多かつたことである。第二には中央に行はるる概括論の、必ずしも個々の地方の平和を囘復せしむるに足らなかつたことである。第三には眼前の時代相からたゞ一歩立離れて、未來を望み過去を省み得る者が、結局は事態を處理するの能力を持つて居たことである。第四にはこれだけ變化の多い地方の經濟事情の下においてすらも、東西南北が相呼應しなければ、國としての進歩は期し難いことである。希くは農林省常例の小作官會合が、空々しい訓戒のくり返しに終ること無く、また個々の小功名談の共進場たるに止まらず、この何人も下に感じつゝ、いまだ形態を具有させ得ない前途の好望、即ちたつた一つの路筋が再び農村の居住者を導いて、怨み無く惡みなき共榮時代にいらしむる見込あることを、一同に意識させることにしたい。原則は久しい以前から掲げられてゐる。速かにすべての人々の働き得、また働かねばならぬ世の中を迎ふべきである。

　吾人は當初より新しき青年訓練所の設置よりも、實業補習教育の充實によるを可なりとしたのである。現在においても、すでに實業補習教育を青年訓練所にあてたものが無いわけではないのであるから、むしろ進んで制度上兩者を合體するには、青年訓教と實業補習教育を合せて管掌する社會教育局が新設され、實業補習教育と青年訓練の補助費二百五十萬圓を増額したこの際がもつとも適當である。これに從來の國庫補助費を加ふれば一年四百萬圓に達し、地方の負擔する青年訓練所費を合すれば、優に一千萬圓を越すのである。さうすれば專任教員もろくになかつた實業補習教育の充實振興期して待つべしである。過去の實驗は短くとも陸軍當局に教ふる所は多かつたと信ずる。この際よろしく實業補習教育の完成に助力し、これを利用することによつて、より賢明にその目的を達することをすゝめるのである。

　近年のいはゆる登山熱が、次第に金のある連中の流行から通例の年中行事に遷り、一方には又少數の客商賣の誘引手段から、眞率なる山地住民の一般的歡待に變らうとして居ることは、何よりも喜ばしい傾向といはなければならぬ。殊に地方の山岳會員が互に相助けて、旅する人々に便宜を供與し、かねて無謀なる計畫に因つて、不測の危難に近よる者を防止せんとする努力に至つては、これを單なる人情美といふ以上に、たしかに一つの社交上の進歩である。山川に遊び樂しむ若者の心に二つは無い。學生がたゞ學校の中に日を送り、異なる境遇を將來に豫想するばかりに、往々にして異種族の如き觀をなして居たことは無用の差別であつた。だからかうして新たなる趣味と勞苦と知識慾との共通に基いて、一朝に間の垣根を倒すことが出來たならば、その交歡の效果もまた大いなるものが有るわけである。

　日本の山々には今でもまだ大樹のかげ、岩のはざまが多く、野宿は昔からの青年の簡易生活の興味であり、あるいは假初の小屋を引結んで、後にくる人々の相宿りに供するなども普通の好意であつた。今更物々しい天幕の個人主義を、この間に運び込む餘地は少ないのであつた。が、それでもまだ國風と調和した、隣人式キャムピングの方法は想像し得られぬことは無い。困るのはたゞ新開國の廣大なる荒野を、縦横に押囘して居たテント生活を、そのまゝ模は(294)うすべしとする半解の洋化主義者であつた。そのために多くの整頓した林野けい〔二字傍点〕流は荒し汚され、いつまでも都人は亂暴にして思ひ遣りが無いといふ非難の聲を絶たぬのであるが、いづくんぞ知らんやその多くの者は、寧ろ地方人の子弟の特にこの方面の教育を受けなかつた者であつた。今や幸ひにして好機會は到來した。彼等が天然を愛慕するの情は、この際更に一段の訓練を添へ加ふべきである。

　固より資本家の前衛としての、根本的不信用は一掃することは困難であり、また強ひてこれを求むるがために、こびを賣り調子を合せることは甚だ望ましくないが、兎に角に濱口君の内閣は觀望せらるゝ未知數である上に、結論は尚千差萬別であらうとも、一般大衆が政治を批判せんとする立場もしくは角度だけは、略々無産各派のそれと一致して居る。從うて今後政府の策動が、果して後者の解説に便宜を供與するか否かは、大なる利不利のわかれ目である。少なくとも無意味なる踏襲はこれを極度に制限して、新に獨自の見解を提げて、世に問ふの用意だけは無くてはなら(295)ぬと思ふ。

　無産黨の側においても、彼等の政治的前線は、實際はまだ十分に廣く無い。勞資直接の衝突以外の問題にして、彼等の手を下して居ないものは幾らも殘つて居る。故意に異を立て反對を利用せんと欲せざる限り、彼等の共同に討究すべき事項は、必ずしも不急のもののみでは無い。教育既に然り、消費經濟の改善の如き、また決して協同の努力の望み難しとせぬ。一部の闘爭主義者はあるいは忌み憎むかも知れぬが、もしかうした白紙の好機會において、十分なる判斷力を養うて置かなかつたら、彼等の政治能力はいつまでも長成する望みは無く、結局小民の福利を不必要に抑留することにならうも知れぬ。この點から考へて見ると、今は彼等に取つても、また一つの大切な試驗期である。

　今囘の聲明書の中で、幾分なりとも具體的に、新内閣の公約として掲げられたものは、僅に三種の委員會を設けて、六ヶ月を超えざる期間内に調査をまとめて見ようといふ一ヶ條のみで、それさへも採擇實行しようといふのか、はたまた握りつぶしてしまはうとするのかを明かにして居ない。その他の重要なる各項目に對しては、單に問題の急迫して居ることを認めたのみで、新たに表示したものは方針といはんよりも、寧ろ受動的な一種の態度に過ぎなかつた。この種の抽象的言辭には、久しく朝野の政客によつて、少しの配合の相異をもつてくり返されて居たものが多い。殊に金解禁の「諸般の準備を整へ近き將來に斷行する」といふ一句に至つては、確に一度以上三土氏の口からも聽いた語である。こればかりではさういつまでも國民の善意の解釋を、期待することが出來ぬのではないかを氣遣はれる。

　折角莊重なる形式をもつて發表せられたけれども、これではまだ「實行せんとする當面の政綱」なるものを去ること遠く、社會は尚依然たる不安の感覺を抱いて、明日明後日の空模樣をうかゞはなければならぬ。濱口内閣の心がけが、よもやその先代に比べて、より惡いもので無からうといふだけは、幸ひにして今も信じられて居るが、如何にせん彼は憲政普通の順路を踏み、その政綱の是認に基いて、推戴せられたもので無かつたのみならず、最近のいはゆる倒閣運動においても、主として對手の弱點を指摘するを能事とし、積極の方策の世上の希望をつなぐに足るものが、いまだ十分にその形を整へなかつた間に、意外なる熟柿の落下を見たのである。問題視せられるのは善政の手段方法(298)であり、危まるゝものはその實行力の有無であつた。かゝる幸福なる機會に臨んでこそ、夜を日に繼いでも平生の抱負の、具體化に努力すべきにも拘らず、今頃尚一片の修辭によつて、多分の餘地を將來に保留し得べきが如く考へるのは、恐らくは悲しむべき輿望の誤解であらう。

　もつともその意を得るに苦しむのは、この少數黨政府が漫然として、昭和五年以降の財政計畫を公言することである。目下の?勢をもつて押し進むならば、昭和五年の豫算は否決せらるべき豫算である。新たなる當路者はそも／＼何の成竹あつて、これに對して若干の期待を、國民に抱かしめんとするのであらうか。國民は今更政友會二個年の公約が、概ね夢まぼろしの如く消え散つたことを、悔い恨んで居る暇も無いほどに、局面の展開を待ちこがれて居る。然るにあたかもこの内閣と同樣に問題の重要性のみを認めて、寸分の解決もせずに打棄てゝあるものが、今は既に十指を屈するに餘つて居るのである。單なる支出の削定と公債の現高維持とによつて、更に無期限の將來を突切らうとするが如き態度は、たとへば舵を絶えたる海上の舟であつて、これが多少の安心をその觀望者に與ふるかと信じた者がもしありとすれば、その樂觀はまづ彼等のために危險である。

　けだし民政黨傳統の消極政策なるものは、不幸にしていまだその本旨と限界とを明かにし得ざる間に、しば／＼誤解を受け、また反對派の有害なる宣傳に利用せられて居た。しかも今日の如く一方には整理し、他の一方には建設しなければならぬ必要の、一般に認められて居る時代は無いのである。即ち辛苦は固より大であるにしても、事功の認められ易いことも、恐らくはまた今に優る機會は無い。徒らに微細の黨情に没頭して、大局を遷延させて居る餘裕は無いはずである。いはゆる政道のくわいまい〔五字傍点〕は常にこの類の腹藝式言説に起因する。さういふ戰法はもう古臭い。選擧人は常に簡明なる解説を待つて居る。國民の消費節約を促進するといふのは一體どういふことを意味するのか。本年の財政整理には、果して陸海軍經費の削減をするものと見てよいかどうか。原則は即ちこれを諒とした。引つづいて直に責任ある者の注脚を要求する。

　現内閣の緊縮方針は、刻下の時勢に處する緊要の政策であり、いかに不景氣嫌ひの經済界でも、隱忍やむを得ざるものと認めてゐるが、然し緊縮の一面は、無用の整理と共に有用の伸張であるはもちろんであつて、財政計畫の縮小といひ、民間經濟の節約といふも、緊縮によつて蓄積したるすべてのエネルギーを、如何にしてより有效適切な方面に能率を發揮せしむるかゞ根本の問題であり、即ち現内閣成立と共に企畫せる三大審議會の如きも、ひつきやう緊縮(300)政策の半面たる、財政經濟政策の合理的發展を考察するといふ任務に外ならぬではないかと考へる。故に吾人は、その一端として如上の兩審議會に對し、豫め一つの希望を開陳して置きたいのである。

　國際貸借の改善と關税政策の確立は、互に離るべからざる關係を持ち、共に金解禁の途上において關心せらるべき重大問題であるが、その調査について第一に當局の考慮を促したいのは、我産業保護政策の合理化といふことである。歴代の我政府は常に産業立國を口にしながら、彼等の取つた産業政策はほとんと支離滅裂のものであつたのである。假りに工業保護の點について見るも、從來の遣り口は全く手當り次第の保護であつて、果して當がい工業が、將來本邦のよつて立つべきものであるかどうか、左樣な確信の上に立たず、たゞ漫然たる保護を與へて顧みなかつた。産業保護の手段たる關税政策の如き、その目的は政府の收入を計るにあるや、將又産業の保護にあるや、その目的を疑はしめ、産業そのものゝ將來の發達を助成するといふよりは、中にはある工業の漸く衰微しかゝらんとするを、僅かに支へてゐるといふ遣り方をなしてゐたのである。故に不徹底にして萬べんなき保護政策の結果は、關税においては千四百餘種の雜然たる税率の羅列となり、然して一般および特別計畫を通じ一億圓を超ゆる總花式の産業補助金となつて現れてゐるのである。かくの如きは我産業政策の不徹底を示す明かな證據であつて、これがために國ど〔傍点〕を濫費せること、あたかも燒石に水を注ぐが如き有樣であつた。故に今日は、かゝる分散不統一の補助主義に向つてふえつ〔二字傍点〕を加ふるに絶好の機會で、審議會の如きもこの點につき十分政府の反省を促さねばならぬところである。

　國際貸借改善の上に、有效適切なる施設を行ふことは、我邦の如く輸入超過をもつて不斷の常習とするものにあつては、極めて困難の問題であるとせられ、輸出貿易に對する金融的援助の如きも實行せられてゐるが、一向に效驗上らず、生絲、綿絲の如き重要産業を除いては、輸出の増加は甚だ望み薄しといはるゝ。一面輸入の防壓についても、その主要品はいづれも國民生活に缺くべからざるもので、綿、鐵、機械を減じ、米、小麥、肥料の輸入を止めることは出來ないのである。然しながらこの難問題の解決が容易につかないといふのも、最大の理由が上述の如き産業政策(301)の不徹底に起因することは、大いに考慮を要するのであつて、いやしくも産業保護の根本を明かにし、無用の補助を廢して消費者を利し、これを有效適切の方面に集中するの政策を樹立するにおいては、難問必ずしも永久に解決し得ずとせぬのである。

　今日のいはゆる分業制においでは、土地を美しくする任務などは、不幸にしてまだ分擔者が定まつて居らぬ。個々の趣味なり時代の流行なりが、自然の調節を保つて居た間はよかつたが、一たび入用あつて舊物を改造する段になると、跡の始末をする役目は、たれ一人これを引受ける者が無い。驛が事實において民衆文化の小さき中心であり、利用のもつともひろい營造物であるにも拘らず、少くとも外來者の第一印象に向つてあらゆる殺風景を代表しようとす(302)るものが多いのは、當の責任を負ふべき人が無いだけに尚一層困つた問題といつてよいのであつた。

　個々の國民の財政も固より行き詰まつては居るが、まだ幸ひにして年收四倍に近き借財も無く、從うてまた見す見す效果ある計畫を中止したり、延期するまでに窮しては居ない。たゞ各人の生活振りに自主が無く、消費の價値といふものを顧念しない者が多かつたために、國の會計よりも、一段と整理の餘地が多かつたのである。それを國なり公共團體なりが、四苦八苦の?態において立て直さうとして居る際に行へば、振合ひもありまた辛抱もし易からうといふだけの話である。この内閣には無口の人が多いのか、もしくは例の原則病に囚はれて居るのか、如何にも政府の眞(305)似さへしてをれば、それで生活は安定するかの如き印象を與へ、今後大いに活躍すべき生産界にまで、無益の不安を與へるのはよくない。抽象的なる消極積極の論爭などは、もういゝ加減にやめたがよい。現在のやうな放縱の消費は、實は積極方針とは何の關係も無いのだが、これを誘導しまた認容したものは、粗大なる進取主義であつた。吾人は當局の緊縮方針には同情するが、同時にその無差別なる消極論の、不當に人心をゐ〔傍点〕微せんことをおそるゝ者である。

　政友會内閣の兩税委讓論に比べて、現政府者の在野時代に聲明した、義務教育費全額補助主義なるものは、更に一段と難儀なる行懸りである。あるいは自今の國庫?態においては、一日逃れの口實は幾らも有るといふか知らぬが、それは第一に不正直であるのみならず、いつまでもこれを左券として一部の増額を要請する者を抑止することは出來まい。吾人は固より表面の辭柄を構へて、公約を帳消しにせんとする態度を容し得ざる者であるが、同時にまた一旦の心得違ひに引きずられて、泣き／＼ついて行かねばならぬ如き、政治家の心弱さを危まずには居られぬ。即ち誠意と質實とを認められて居る濱口首相の、男らしき決斷を期待する所以である。

　補助金萬能の在來の安易政策が、既に忍ぶべからざる弊風を生じて居ることは、曾て濱口氏も堂々とこれを直言し(306)た。しかうして農林省系統の各種補助金の如きは、その目徒らに數多しといへども、これを集合しても尚この一項の小學枚經費の重要さにはおよばぬのであつた。補助金の整理がもし必要であるとすれば、最初に問題になるのは義務教育費のそれで無ければならぬ。聲明せられたる民政黨の政策方針に、前後兩立し難いものゝあることは、必ずしも新らしい現象では無かつた。ただ緊縮の必要の將に切迫するに際して、改めてその取捨の決を突留んとする者が多くなつたばかりである。

　各地方の意外の豐漁といふことは、時と所とを異にして毎度報道せられて居る。現につい二三日前にも福井縣敦賀若狹の海岸では、北海道に劣らざる同じ魚族の大漁獲があつて、忽ち供給の過剰を生じ、仲買にたゝかれてしまつたといふ話である。漁民は交通不便の時代の常態に養はれ、かつ慾が小さくて早く滿足をしてしまふ。折角の天惠に遭遇するたびに、いつでも驚くべき無駄を平氣で見過して居る。國内には曾て魚味にあくことを得ない何千萬人があるにも拘らず、餘れば腐らせることがまだ當然の如く考へられて居る。ニシンを肥料にするのを一廉の利用厚生の如く、久しく自得して居た者は日本人であつた。それ故に資本の力をはさむ者が來り臨んで、如何なる樣式の分配でも、なし遂げ得られるのはこの方面であつた。漁獲の計數は幸ひにして大いに増加しても、かくの如き經營の現?に放置する限りは多くの漁村は永遠にその貧困を脱し得ない道理である。

　國家營養の立場から、一日も早くこの樣な不利不便を脱すべく、種々なる公の機關團體は設けられたのである。然るに彼等の能事はたゞ國費を支出せしめるより他に出でず、たつた百萬圓ばかりの經費が出なくなると、直に失聲とん〔二字傍点〕足して大事去れりといふが如き顔をする。左樣な悲親をもつて一般の人氣を腐らせる前に、まづ魚を腐らせない算(308)段をして見てはどうか。天然には既にこれだけの餘裕がある。少しなりともその利用の革新を計り得たならば、日本の水産業は確に自分の力でも成長し得るはずである。その自分の力を粗末にしつゝ、助けを外に仰ぐのは同情の濫用では無からうか。

　堀切市長の財政案なるものが公表された。公表されたものはたゞ骨子許りであつて、詳しい檢討を許さぬ程度であるが、大體堀切案が何をいひ、何を需めんとするかだけは解る。計畫の要領は、市財政の行詰まりと現内閣の政策とが當然必要づける緊縮財政たるは無論であつて、新規事業は一切これを見合はせ、現在やりかゝつてゐる街路の修築費の起債まで中止して、思ひ切つた消極豫算で臨み、行政費の整理は市來前市長の計畫した年額四百萬圓に更に加ふるに百萬圓餘をねん〔二字傍点〕出するのであるが、それでも尚歳入に不足を告げるため、五年度以降において年額約六百三十萬圓の新増税を必要とするといふのである。

　この市長の財政案は前市長市來氏の計畫における少くとも二つの難點を除去してゐる。第一は現在一千七百萬圓の歳入缺陷を補てんするに、市來案は氣短に向ふ三年間に大部分市税負擔をもつて充てようといふのに對して、堀切案はこれを市債に求め、十ヶ年で償還してゆかうといふのであるが、この一千七百萬圓の歳入缺陷は主として市有地の賣却が豫定通り出來なかつたのに因して居るので、將來景氣が直れば賣却の道も開かれることであるから、その歳入故障を何も急いで現在の負擔をもつてうづめずとも、起債による方が妥當と思はれる。第二の點は新税において市來案は借地權税と借地權取得税とを竝置したのに對して、堀切案は非難の多かつた借地權税をやめて、單に借地權取得税だけに留めて居るのである。

　然し、借地權税の額は市來案において百八十一萬五千圓と見積られ、その新税計畫の大部分を構成して居ただけに、(310)これを捨てた堀切案としては、勢ひ増税の方面に重く懸らねばならず、地租、營業、收益税、所得税等において、市來案に比してその付加税の増率割合遙に高く、殊に營業收益税、所得税の付加税にあつては市來案の略々二倍を増徴せんとするのである。尚新税においても、市來案の商品切手税に加ふるに、金庫税、扇風機税、女給税その他を漁らねばならぬことになつた。しかし、これ等は賑やかな話柄を作る割合に、大した重要性を有つて居るものではない。

　全體において堀切案が市來案に比して一見世間受けの惡い點は、新規事業を一切見合せながら、それでも新増税併せて市來案のよりもまだ約二十萬圓多いといふ計算にあらう。市來案は十年間に一億千九百萬圓の新事業を計畫したのであつたが、これ等は特に新事業といはんよりも、多くは現在の仕事の繼續ともいふべきものであつて、その道路修築、河川改修、下水改良の如き、いやしくも市が有機體として活きて居る限り、その起業はいづれも當然と認むべきものであるが、それすら今囘は一切打切つて仕舞うた。然しかゝる不自然な打切りが決して永續すべきはずは無いのであつて、いづれ二三年の内には頭をもたげてくる事は明かであり、結局更に何等かの形において市民負擔の増加を豫想さすものであるが、これ等を全然別にしても、なほこゝに六百萬圓以上の新増税が必要なりとの堀切案の結論は吾人をして市民の責任が實に容易ならざる事を痛感せしむるのである。市が目下公表して居る資料だけでは、何故六百萬圓以上の新増税が、かゝる極度の緊縮政策のもとにも尚必要なのであるかが明瞭で無い。あるいは今までの歳入の見積り方が過大なため大きな穴があつたためといふ理由かも知れぬが、兎に角これだけでは納得が難しい。望むらくは、矢繼ぎ早にその邊の説明が出來る數字を一般に示してもらひたい。

　何にせよ、この時節柄、從前の税收入を一躍三分の一増加させようといふ案である。たとひ、他の大都市に比して市民に擔税力の餘地ありと信ずべき多少の理由があるにもせよ、復興の間際、この不景氣に、時代逆行の大増税を市の現況のためまげて承知させるには、理事者としても竝々の努力だけでは濟まされまい。この公表を切つかけに市長先頭に立ち、大童になつて市民につじ説法するの熱意を示すと共に、計畫案の基礎となる復興公債利子補給繼續その(311)他政府の財政的援助に關して、一日も早くその筋の確實なる言質を得て市民に安心を與へ、他面、行政財政の徹底的整理緊縮において、單に天引何分といふに止まらず、新たな眼をもつて拔本そく〔二字傍点〕源的の英斷に出で、市民もその誠意に動かされて、進んで負擔の増加に應ずるといふやうになりたいものである。これには第一市民を代表する市會が徒らに人氣取りに没頭せず、市財政の現況が市民の如何なる協力を要求するかを正解し、その職務を遂行する上において勇氣を有たねばならぬ。これこそはほんたうの市會の試金石である。

　實際この極暑の折柄のいはゆる陳情攻めは笑ひ事では無いが、心有る人々は新大臣たちの吐ほ〔傍点〕握髪振りを禮賛するに先だちて、何故にかゝる厄介なる流行が始まつたかを考へて見なければならぬ。例へば鐡道の方面一つを見ても、さきに前議會に小川平吉君の、大膽至極なる敷設案が提出せられておく〔二字傍点〕面も無くその必要理由が述べられた時にも、僅に弱點のやゝ顯著なる一二が指摘せられたのみで、半年を出でずしてこれ程思ひ切つた削定をなすべかりし當時の在野黨は、大體においてその原案を黙認してしまつたのである。いはば人が鐵道をかけてもらつて悦ばうとするのを、邪魔するまでの理由は無いといふ樣な態度こそ、今日の累はしい陳情運動を誘致した一原因であつたのではないか。

　自動車を代行せしめて、當分の辛抱をさせようといふ案などは、けだし窮策のもつとも窮せるものといつてよい。單純なる交通の便を悦ぶ者は、獨り多數の素人衆のみであつて、他には尚隱れたる色々の樂しみ、たとへば材料を供し仕事を得ようとする者、土地を割よく換價しようといふ者、乃至は「このおれが」といふ面目を施さうとする者などの注文が幾らもある。自動車でこの連中が滿足するはずは無いのであつた。しかしながら今日しやうけつ〔五字傍点〕を極むる鐵道病の病因を、かうして二つに分けて見ることは、偶然ながら好結果があらう。何となれば數ある鐵道運動なるものの中には、名は總住民の要求にあつて、實は各自の目論見を主としたものが折にあつた。その種の僞善代表者に口實を失はせ、鐵道の敷設を早くすれば神、延期させたら地方の敵であるかの如く、ふれまはる樣な弊風だけは免れるかも知れぬ。但しそのためには更に一歩を進めて、今後はかゝる顔役等を選擧に利用せずに、多數の投票が得られるやうな方策も講じなければなるまい。

　失業問題の應急對策としては、さしもの緊縮内閣も尚かつ府縣の公營土木事業を承認するのみならず、時としては勞力費二分の一までの補助をさへ辭せぬといふことを表明した。この決心は政府が如何ばかり現在の勤勞者不安に對して、心を傷めて居るかを立證するには足るが、果してその效果のあまねく行渡るか否かを考へる段になれば、自他共にすこぶる心細からざるを得ないのである。當局の調査が追々に示して居る如く、今日の求職不能は、既に社會のあらゆる階段をおびやかさんとして居る。獨り街頭にうろつく日給の人夫には限らず、折角長期の準備教育を終つて、新たに世の中に送りだされる青年等の中にも、最初から仕事に有つけぬ者が年を逐うて増加する上に、彼等の熱烈なる割込運動のために、早期に現在の地位を見切らねばならぬ者が、またその數を添へつゝあるのである。單なる紹介所の執務の敏活、聯絡の周智のみをもつて、解決し得られる樣な表層の缺陷で無いことは申すまでもない。假に一時の調節手段として、かゝる人工的の勞力需要を開いて、その急に應ずるとしたならば、恐らくは中央地方の一切の財(314)政方針を覆へしても、尚足らざるを感ずるであらう。だからこの不急土木の特施の如きは、いはゞ一種のまじなひの樣なもので、これを合理的なる一つの方法には算へることが出來ぬのである。

　いはゆる高等遊民の増加に對しては、これを忌み畏るゝの聲が朝野に高く、從うて近來の學校濫設を悔いて、今更その收容力を抑制せんとする説さへあるが、これもまた政府の失業對策の一つとなす能はざることは同じである。ある種の職業に地位あつて人足らず、ためにその方面の展開を妨げて居る場合ならば、あるいは青年の進路の一方に偏よることを戒めてもよからうが、現在はいづれを向いても、人の手が剰つて居る。いはば國全體が失業のうき目を見て居るのである。かうもしたならばより豐かなる機會に惠まれるかと、各自の知慮能力に應じて判斷し選擇する者を、國はまだ干渉し、また指導するだけの資格は無い。もしも今日の如き不用意なる人口激増が、何人をも責むべからず、また責めても效無きものであつたとすれば、第二の方策は生活方法の發見より他には無い。有りもせぬ仕事の無益なる捜索、若くは不自然に近い一部の救濟よりは、まづ新たなる生産事業の創定をもつて、根本的の失業防止策としなければならなかつたのである。素よりそれは容易なる骨折では無いまでも、兎に角に力をその方向に費すべき義務はあつた。然るに近年の内外移民案が、少しく試みられていまだ效を奏せなかつた以外には、ほとんと一つの政策のこれに代らうとしたものさへ無いのである。六ヶ月の期限を指定せらるゝ社會政策審議會なるものは、果してどれ程の新機軸をもつて、彼等の第一諮問案を處理し得とするか。主要なる勞働團にはこと／”＼く共濟の組織があつて、僅に散在せる不熟練勞働者のみを救濟すれば、それで一應は形がつくやうな國の先例を眞似て、平然として未來の混亂の前に、自得するやうなことが無ければ幸ひである。

　いはゆる景氣不景氣の俗論が、特殊の經濟界の觀測者を動かすことも、今の日本の一つの國情であつた。如何に不健全なる消費の事業であらうとも、そのお陰に人が用ゐられ勞銀の割がよくなれば、忽ち慶賀しまた陶醉して、根本の難問を忘れようとしたことは、あたかも三割の勞力費を見積り得れば、どんな地方事業でも許さうとするのと同じ(315)であつた。ところが濱口氏の内閣はやゝこの時流に反抗して、消費の限定を主眼とした教化運動をさへ起すやに傳へられる。失業を促進したるものは彼なりといふ中傷を、受くべき危險を暴露した内閣である。それが恐らくは自衛のためにこの勞働界の根本問題を解かうとするのである。吾人が若干の新味を審議會の結論に期待するのは、彼等が到底歴代の故智を踏襲して、今更お茶を濁して居ることの出來ぬことを知るからである。

　無駄な事は一切省くのが建前の緊縮内閣たる以上、地方長官會議が無用でないのを示すためだけでも、その訓示は何か實のあるものが欲しかつた。殊にしゆん巡遂に臨時議會を開くの英斷に出で得ざりし新内閣として、せめて地方長官會議を通して、何か新しく國民に呼び懸くる所があらうかとの、好意ある吾人の期待は裏切られて、會議第一日の訓示はたゞ平凡といふ外は無かつた。首相の訓示は（一）綱紀のしゆく正、（二）思想取締、（三）財政緊縮、（四）國債整理、（五）金解禁、（六）産業振興等に渉り、藏相の訓示は首相訓示中財務に關するものにおいて、敷えんを試みたものである。その強調する綱紀しゆく正と財政緊縮、金解禁の準備は、いづれも原則として吾人の賛意を表するとこ(316)ろではあるが、組閣後一ヶ月餘を閲した今日、國民の地方長官會議を通して知らんとするのは、最早原則論ではなくして、應用政策であつたのを、過去に發した施政方針の聲明書の、當時既に相當批評のあつた漫然たる抽象的言辭を更にこゝにくり返す外、何等積極的抱負をこゝに見出し難いのである。

　首相はへき頭、「政治の公明と綱紀のしゆく正とは現内閣施政の根幹を成すもの」と見得を切つて、近時たいはいを極めたる官場の空氣を一新すべきことを説いて居る。歴代の内閣いづれもこれに言及せざるもの無き常たう語とはいふものの、前内閣に特に激しかりし官紀のし緩と、後繼内閣の首班濱口氏の爲人と相映發して、この言葉には相當の重味を與へることは事實であるが、折角これをいふ以上、何故更に歩を進めて、過般なしたる地方長官の大更迭に關聯して、いはゆる政治の公明と綱紀のしゆく〔三字傍点〕正とが如何に解釋さるべきやについて徹底的解説を與へなかつたか。首相が現に訓示する所の地方長官の過半數は、自己の手によつて置き換へたものである。そのかく首したる二十七名中その多くの者は前内閣時代の黨弊に染みたものとして罷免のやむなき事情はあつたにもせよ、これに替つて新内閣によつて復活を惠まれし多數の浪人組に關しては、格別の戒ちよくを加へぬ限り、その浪人時代前内閣に對する憤まんの反動と現在周圍をめぐる黨員地方民の期待豫斷とは、相結んで必ずや、新しき黨弊と綱紀のたいはいを招來することは見易き道理である。されば首相にしてもし眞に政治の公明を期するものであるならば、この際自己の子飼の新任用者に對して、けい等を拾ひ上げたのは新内閣であるとしても、それはたゞ一個の機會を與へしに過ぎず、一度陛下の官吏となりたる以上は、今後絶對に公平を旨とすべく、いやしくも一黨一派に偏する振舞あるべからずといふ意味の訓示をなすべきであつた。さやうな覺悟を示してこそ、始めて官吏道のたいはいを前内閣限りで打ち切ることが出來るであらうに、この點において、首相の先輩故加藤高明伯が組閣當初の地方長官會議訓示に、「近時官場の風を見まするのに、純然たる事務官の位置にある者が、當然守るべきしん〔二字傍点〕を越えて時の政府の政略に迎合し又は付隨して時にあるいは非違を敢てする者が少からぬやに聞くのであります」と喝破した勇氣は濱口氏の學ぶべき所では無かつたか。

　海の滿員も珍しいニウスではあるが、山の雜踏に至つては全くびつくりさせられる。東京は廣々とした平原と、海との境に現出した都であつて、今なほどの方角を向いても涼しい樹影が求められ、涌き流れの音を聽くことが出來るのであるが、忙しく働いて居る人たちの週末の安息には、近い距離といふ以上に簡便なる設備が要求せられる。それにも適當なる海岸は決して乏しいのでは無かつたけれども、少しばかり評判になると、忽ち有閑階級の十日半月はどこで暮らしても差支無き連中が、前囘りをして遣つて來て要地を占領し、そこをいはゆる流行の場所にしてしまふのであつた。

　それでは第一に氣分の轉換も望み難く、人を遊惰に導くの弊も可なり大きい。旅行の趣味が元氣ある青年の間に鼓吹せられるのは、本來はこの無意味なる人眞似に對抗せんとしたのであつた。然るに現在はどうであるか。自然に親しまんとするの愛情も無く、新たなる知識を探らうとする志も無くて、知れきつた山路を人の後から、單に互に見た(318)り見られたりのために、汗まみれになつて登つてゆく者が過半を算へるやうになつたのである。一年の好季節にやや續いた日數の休みを得る者は、若い人のうちでも實は一小部分しか無い。その大切な時間を片端から、こんな平凡なるくり返しに費消させるのは惜しいことだと思ふ。

　幾ら日本が狹い島であつても、山海はまだ人いきれを苦しまなければならぬほど窮屈で無い。清く靜かなる自然は到る所に人を待つて居る。必ずしも流行の僕となることを願はざる青年をして、各々その望むところを得せしめないのは實は指導が惡いからである。この指導は客をむさぼる宿屋と案内者に託し難いと同じく、また大量輸送をもつて能事とする鐵道の役員にも任すことが出來ない。試みられざる旅行の殊に手輕なものを案出するには、素人旅行者の相互の連絡をもつて、各地の交通と旅心地の善惡とを、知らせ合ふやうにするの他は無いかと思ふ。

　ゆゑに安達内相が濱口首相の訓示をふえんして「辭を尊皇愛國その他各種の美名にかり、その實金錢の收受等不純の目的のために暴行脅迫を敢てするものゝ如きに至つては、心事もつともにくむべく、社會の安寧を害すること極めて大なるものあり」として、これが取締を強調し、同時に「社會の各方面において生活の安定と地位の向上とを主張する思想運動」を自然の傾向として、善導助成し、その健全なる發達を期してゐるのは、當然ながら、田中内閣のなしたるあとに顧みて、その訓示の實現に期待しなければならないのである。ことに右傾暴力團のばつこの如きは、實際に警察官の黙許あるいは共動がなければあり得ないのであつて、安達内相の訓示する如く「警察本來の職司を守りて嚴正公平常に正義の擁護者」として「正しく強くしかして理解ある警察權の行使」があれば、全然存在の餘地のないものなのである。

　濱口首相の人格が、緊縮方針と一致して表裏無く、地方長官會議に、縣廳自動車で乘り込む者なく、多くの屬官を隨行せしむる風習を改め、ぜいたくな宴會が廢されたといふ如き報道は、國民に好影響を與へるものではあるが、爲政者の言論が國民に影響する範圍はこの邊に止まるのである。しかもそれは實際の「行動」の力であつて、一片の「訓示」の力では出來ないことなのである。この點から見て、安達内相の訓示に多くの具體的な力があるのに反して、小橋文相の訓示に、抽象的の影しか捕へられないのは遺憾といはなければならない。

　これをもつて小橋文相が教育に素人なるがためであるとするのは當らない。今日わが教育の刷新、教育界の行詰まりを打開し得るのは、教育界内部の事情に通じたくろと〔三字傍点〕であるよりも、教育界を外部から達觀的に批判し得るしろと〔三字傍点〕(320)でなければならぬ。近年文政の局に當つた者で、成績を擧げたのは、その積極放漫なる高等教育機關の擴張が、今日の大學卒業生の過剰と就職難を來してゐるとはいへ、教育界の素人小橋文相であつて、教育界の玄人である岡田文相ではなかつたのである。精神方面の訓育が「一世の師表」たる教育者の實行一致きう行實せんにまつ外無いことは、同時に文部大臣の訓示を地方長官が承つたゞけでは出來ないことを示すのである。それは「體育の奬勵」の如く簡單にはゆかぬのである。「精神の修養と人格の養成」は、「一に教育者その人の風格氣品によりくん化」する所による外はないのである。これは文部大臣の權力では直接に支配出來ないのである。ただ「現下の教育が形式に流れ畫一に墮」してゐるがために、教育家の個性を殺し、自らその人格の尊重を忘れ、そのために教育者と被教育者と、從つて教育そのものを殺してゐることは、認めざるを得ないのである。その意味において、教育制度の改革、教育行政の刷新によつて、今日の教育を蘇らせるの可能が十分あるのである。地方長官や社會教化團體よりもより多く文部當局自身の努力にまつ所が大なのである。ゆゑに文部大臣の地方長官會議を機會として、第一聲を擧ぐるに際しては、より以上の活眼と新味と意力を期待し、これなきに失望するのである。

　今度七十餘人の生命を犧牲とした歌志内の炭坑は、豫て干さうがはげしくて、炭塵の多量なるをもつて知られて居たといふことである。あるいは無神經な坑夫が、竊かに煙草を吸つたのでは無いかとの説もあるが、死人に口無し、少なくともその樣な想像が成立つ位では、火の用心の取締が十分に嚴重であつたとは思はれず、果して絶對に引火の危險なき坑内燈を、使用させて居たか否かも疑はれてくるのである。坑主が計畫をもつて人を怖るべき厄難の下に働かせて居たといつては不當であらうが、兎に角炭塵除去の装置をする入費と、萬々一の場合に支拂ふべき死傷手當の額とを、權衡にかけて居ただけは否むことが出來まい。これはたび／＼問題となる地上の監獄部屋よりも事がやゝ重要である。北海道といふ地方の炭坑には、全體監督官廳といふものが實際あるのであらうか。

　金解禁は主として商工業に關する問題であつて、農村經濟としてはほとんと没交渉であるかの如くに考へてゐるものもまれではない。甚だしきは金解禁問題の解決は商工業經濟を建て直すためにのみ必要であつて、農村經濟としては犧牲のみ多く、何等益する所はないと考へてゐるものさへある。この種の意見を有する人々は、金解禁そのものの解決に冷淡であることは無論のこと、金解禁實現のため財政を緊縮し、諸種の政府事業をあるいは中止し、あるいはくり延べたことに對し、少からざる不滿を抱いてゐるのである。然しながらこのやうな間違つた考へを抱くのは、要するに金解禁の經濟的意義を十分に理解してゐないためである。政府當局者は何が故に金解禁がそれ程重大問題であるかといふことを、廣く國民に理解せしむるやうに努むるの必要があると思ふ。

　金解禁が單なる都市經濟、商工業經濟のための重大問題ではなく、農村經濟の問題としても極めて重大問題である所以は、金解禁といふことが貨幣制度の根本に關する問題であるからである。金輸出禁止は貨幣制度の病的?態であ(323)る。金解禁を行うて始めて我國の幣制は對外的にも對内的にもノーマルな健全な?態に回復し得るのである。しかして貨幣制度が堅實であるといふことは、經濟全體の問題として極めて必要なことである。商業工業といふが如きある種の産業に對してのみならず、公經濟私經濟を通じて必要缺くべからざることである。といふのは今日の經濟組織は貨幣を仲介として處理され、かつ又貨幣の作用により富の増減變化を表示することになつてゐるからである。

　更に問題を具體化せしめ金解禁と農村經濟との關係を考ふるに、農村經濟にもつとも重大なる關係を有するものは、米穀と生絲であるが、農村人にして金解禁を憂ふる人は金解禁を行うたならば今日よりも米繭價等を下落せしめはしないかといふことであるやうに察せられる。然しながら吾人の見る所では、金解禁のために米穀經濟蠶絲經濟をより不利益ならしむることは決して無いと思ふ。この點において米穀と生絲とは幾分事情を異にするが、第一の米穀の市價を支配するものは主として作柄の關係である。米穀は小麥や綿花のやうな國際的商品でないために、二割の豐作であれば市價は五割も崩落し、反對に二割の凶作であれば五割以上も昂騰するのが實情である。從つて金解禁を行うた結果、米穀市價を低落せしめ、それが、米穀經濟を惡化せしむることはあり得ないことである。第二の生絲は重要輸出品である。これは爲替關係上金解禁と重大なる關係があるが、しかしながら大局から見て金解禁、爲替囘復は生絲貿易の堅實なる發達のために願はしいことである。なぜなれば、生絲貿易の發達は爲替不安定の?態にては到底望み難いことであるからである。爲替が安いから賣れるなどいふことは一時の話、爲替が動き通しでは貿易そのものが投機化し、輸出貿易を手堅く經營することは不能である。であるから咋年生絲業者も金解禁速行の必要を政府に陳情した程である。元來生絲の市價を左右する主力は米國の景氣である。生絲に對する米國の需要である。しかして爲替不安による生絲市價の激動は米國の需要者に對しても不良なる影響を與へつつあるのである。從つて金解禁の實現によりて生絲貿易を健全なる?態に復せしむることは農村經濟から見ても利益こそあれ不利益はない譯である。

　當面の責任を持つ府警察の吏員等が、陰にまはつて取締の困難を説き、あたかもこの運動の無力なることを裏書するやうな態度を示したといふことは、殊に穩かならざる心がけである。根本人間の弱點を改革することまでは、彼等の如何ともする能はざる所であらうが、今日のやうに大通りの軒竝を居酒屋化し、公然とこびを賣る者の出没する?(325)態を放置して、これを新文明の自然の姿だといひ切ることが出來るであらうか。市を愛する者が、この亂雜を悲しみ、事業家が少壯從業者の墮落を憂ふることは、寧ろ當然の發言權と認むべきで、東京は更にこれ以上に、防護しまた愛惜しなければならぬものが多々あるのである。前には煙草を飲む青年を排除しようとさへ申合せた學校長等が、今尚この問題に無關心なるは意外である。知らず令名ある丸山總監もまた、揚足を取られ易き民間實業家の奮起を待つて、始めて何等かの辭柄を案出しようとして居るのであるか。

　田中反動内閣のために解散されたる舊勞働農民黨、新黨準備會の連中が、その政治的自由獲得勞農同盟を解體して、合法政黨組織に再起せんとしてゐる。合法的運動をも彈壓してあまさゞりし反動内閣の下において、最左翼黨が、非合法性を唱へて、勇敢にやけくそに戰はんとするのは、左傾弾壓の程度が、左傾過激の程度を規定する必然の結果といはなければならぬ。しかしてこの左翼の一團が、右傾暴力團を抑へて、合法的社會運動に對しては多少の理解をもつことを聲明した濱口内閣の出現を機會として、合法的左翼政黨結成に對するせぶみ〔三字傍点〕を試みんとすることもまた當然の成行と見られるのである。

　それは濱口内閣を試驗するものでもある。現内閣は最初の無産政黨である農民勞働黨を結黨後直に解散した内閣の後繼者である。すべての社會運動が現在の法的秩序に對して改訂を求めるものである以上は、そこには常に幾分の非(326)合法性を伴ふのである。治安維持法と治安警察法を兩手にもつてゐる者は、いくら合法的左翼政黨なりと唱へても、眼光を政綱の紙背に徹して、その政治結社を禁止することも、一脈の赤い血が通ずるところを見出して政黨を解散することも自由なのである。たゞ濱口内閣が田中内閣と異る程度はどの位であるか、その社會運動に對する理解がどの邊にあるかを示す機會を提供するものとして興味をもつて見るのである。

　提案者が「萬一濱口内閣が合法政黨としての存立を拒否するなら、その時こそは絶對絶命の腹をすゑて直に第二の手段に移るより外に道はない」といふのは、昨年十二月結黨式を前にして「合法的手段により」の文字を綱領第一項より削除して、田中内閣に對しててう戰した新黨準備會の態度と同じことをくり返すわけであるが、かうやつて出來た非合法性の勞農同盟が、決して勞働大衆の政治的自由獲得への一歩をも築く所以でないことを自認して、こゝにふたたび合法政黨組織に産れかはらんとすることは、特にその成行において注目すべきものがあるのである。

　それは合法的政治結社としての存在が無いために「曾ては舊勞農黨の陣營に潮の如く來り集まるを常としてゐた全國各地の戰闘的勞農大衆が」惡税撤廢、家賃値下、ガス電燈値下要求運動等の如き政治闘爭の必要に迫られて「心ならずも」社民黨や日本大衆黨の如き右翼に應援したり、應援を求めたりする傾向が全國各地において濃厚に現れだしたといふ事實である。すなはち議會主義に對する大衆的日常闘爭主義にあつても、いやしくもそれが、せん鋭化に自己滿足するのでなく、大衆と共に政治的自由を闘ひ取らんとするならば、秘密結社的勞農同盟では駄目で、正々堂々と民衆の目の前に存在出來る合法的政黨でなければいけないといふことが全國各地の事實において證せられ、これにうながされて新勞農黨の提唱がなされたのである。

　合法政黨は社會民主主義政黨以外のものではあり得ないとして、新黨準備會が勞働者農民黨の結成を急ぎながら、その綱領から合法的手段を通じての字句をのぞいて、その非合法性を明かにし、その解散命令を誘導したことの誤りを認めて、「日本共産黨とは全然別個の我々自身の合法的左翼政黨」を持たんとしてゐるのである。大左翼結成主義の(327)下に着々その歩を進めつゝある社會民衆黨と、それは常に合法的ではあり得ない最左翼過激なる一團との間には、廣き左翼政黨のよく野があるのである。指導精神といふ看板の下に、實は各自の指導權のために爭へばこそ、分裂につぐ分裂がある。眞に具體的に大衆の「爭闘を通じて結黨へ」のスローガンをかゝげて進むならば、無産政黨の陣營は、今現にあるよりも、遙に統一したる共同戰線においてあるはずである。合法的左翼政黨樹立の提案が、看板に僞りなからんことを希望して、奮はざる無産政黨戰線に、新しき活氣がわき上らんことを期して待つのである。

　この點はひとり一個の夏羽織の問題では無い。座敷を下りることも無いやうな市井婦人の服装を、そのまゝ採用すれば村の女たちは、働けなくなるのにきまつて居るが、今ではもうそれが普通になつてしまつた。青年團員の團服とても同じことで、この水分の多い國に生れて、汗を發散させて漸く清涼の快を取る若者等に、あんな厚地の上衣を着せ靴をはかせる故に、多くは苦しがつて行儀のよいなりをして居ることが少ないのである。新たな生活方法を始めるならば、同時にその當然の結果だけは考へねばならぬ。ぜい澤をする位ならば責めてはその害を被らぬだけの用心をするがよい。無意味に人眞似をするのはからす〔三字傍点〕だといふこと、これを實際について詳しく説いたならば、夏羽織の流行ぐらゐは直ぐに消えて無くなるであらう。

　從來はたゞ何でもかでも、多く作ればよいといふのが、農界上下を通じての一大方針であつた。五十年來の經濟政策を貫通して、少しは生産を差控へよと勸誘したことは一度だつて無い。勸業は即ち際限なき豐作運動そのものであつた。然るにも拘らず、實際には多くの生産制限が行はれ、もはや統計表上の名を列するのも恥かしいものさへ幾つかある。繭のやうな重要視せらるゝ農産物で、一方に拔き差のならぬ桑畑を擁した生産すら、もし翌年以後の相場の傾向が察知せらるゝならば、各自掃立量の加減をもつて、出來るだけ過産の壓迫から免れようとして居るのであつた。但しこれは生産奬勵のしば／＼うそ〔二字傍点〕であつたことを、實地に經驗し得たる高價なる發明であつて、決して大都市の樓閣に住する自稱代表者等の、指導に基くものではなかつたのである。

　如何に專門の指導者が數量の増減を氣にすること、この節の寒暖計を見るが如くであらうとも、業全體の安全のためには尚往々にして各種作物の作付高を制限すべき場合があることは、確に新時代が付與したる農民の智慮であつた。米の栽培には成るほど特別の施設を要し、土地を他の使途に轉用すべく、技術上の不便はあるだらうが、こればかり(330)は古風な數量萬能を固信し、僅に帝國農會の啓發によつて、始めて生産制限の利を覺るといふが如きは、有り得べきことでは無かつたのである。然るに何が彼等をさうさせたか。第一には米の收穫を少なくしても、これに代へて收穫し得るものが今は無い。絲瓜を西瓜とし落花生を除蟲菊たらしむるやうに代りの仕事が無い限り、罷めればそれだけの手と財産が遊んでしまふ。折角倉庫を建てゝもらつても、いれて藏つて置く品物も無いやうな人々に、唯生産を手控へせよといふなどは、旦那衆で無ければ出來ぬ藝で、だからこの計畫は無效だといはれるのである。

　しかも穀物市場が今日の如く、僅少なる過剰にも敏感である間は、幾ら願望しても凶作、戰爭等の用意のために、次の年の貯藏を企てることは不可能である。實際またこれ程多種多樣の缺乏が感ぜられる時代に、餘分の物を作つて置く必要などは無いと思ふ。即ち生産制限は出來るものならばしてよいのであるが、それをなし得る力は群集より他はたれも持つて居ない。ところがひとり機械工業の方面だけでは、僅な經營者の申合せをもつて、氣のまゝ千萬なる生産制限を行ひ、今まで世間はそれを當然の如くに考へて居た。國民が物の豐産を慶賀する唯一の動機は、それが市價を低めて生活を樂にするからであつた。然るに市價は同業者の競立を誘致するだけの高さを保持して、無暗にこれを地方の購買者に押つけ、少しくその低落を見れば生産費の節約は試みずして、直に生産の制限を申合せ、必死に高いものを買はせんとしたのは彼等であつた。永年この無法なる高賣の矢面に立つ農民等をして、起つて對抗の策を講ぜしめなかつたのみか、今更その故智を學んで、出來もせぬ制限策を説くに至つては、恐らくは大いなる何かの思ひ違ひであらうと思ふ。信望ある中央の諸機關の間に、これだけ相容れざる意見の兩立する時代には、實驗をもつて研(331)究を進めて行くより他はない。吾人はまづ國内の眞の農民をして、そもそも生産制限とは何を意味するかを、體得せしめるの機會が來たことを喜ぶべきである。

　滿六年間の難戰苦闘をもつて、漸くのことで帝都の復興事業が、あら方完成の域に近づいたと報ぜられるのはうれしいが、申すまでもなくこれは單に物質的一側面だけの事である。希有の天災の絶大なる破壞力の下に、市民の精神生活もまた不幸なる傷害を受けて居たことは、却て歳月の經過につれて、始めて少しづつ感じられてくるのであるが、それはまだ今日の問題の外である。何等の哲學をも伴はない人生無常觀が、辛うじて厄難を脱却し得た者の喜悦と合體して、人をせつ那のきやう樂主義者たらしめ、若くは無謀輕慮の消費者たらしめたことは、實は眼に見えぬ打撃の特に慘たんたるものであつたが、これにはまだ復興の計畫は立つて居ないのである。都府の感覺は尚動搖し、また甚だしく荒びて居る。ひとり未來を見失ひまた永年の隣保を解體したのみならず、更にこの氣風は一種の流行となつて、何の關係も無い地方まで浸じゆんせんとして居るのである。緊縮をもつて教化の主眼とする現内閣も、たゞ頻に世界大戰期の好景氣が、一種の惡癖を植付たことを歎くばかりで、まだ深くはこの方面の影響を考へて見なかつたのではないかと思はれる。

　但し假に十分なる理解があつたとしても、これは到底少數理事者の計畫に一任し得るやうな、單純なる復興事業ではなかつたのである。吾人は寧ろ表面系統立つた、政府中心の緊縮運動なるものが、折角自治の内部から自然に發芽せんとするものを、無意味に抑制するが如き結果を氣遣つて居る。現時民間に散在する社會改良事業などは、いづれも名が正しく志が親切だといふのみで、その割據の力は如何にしても強大だとはいはれないが、しかもその最小なる(333)一團隊といへども、それぞれ眼前に實地の病弊を痛感して、座してその結果を視るに忍びなかつたものばかりである。少なくとも治療の急務を認めなかつた者は無いのである。放任の不安を體驗しなかつた者は無いのである。今日の物質復興は固より金の力であり、また權限ある者の畫策に基くことも事實であるが、尚その背後にあつて現在の亂雜を承認し、これをある程度の整頓に持つてこなければ、都市として面目を保ち得ないことを、熟知して居た人々の大なる支援があつた。だから精神生活の方面においても、單なる原則の概括的指導のみをもつて、實效を擧げることはむつかしいのである。

　東京市としてのもつとも大いなる不幸は、その病を訪はれざることである。現在一部の氣紛れなこの生活?態をもつて、世相はすなはちかくの如し、人生のこれが常の姿なりと、速斷する者の漸く多いことである。このうちにあつてひとり憂ひ得る者は、假に孤立であつても尚貴重である。しかも直接に震災の打撃を受けざる青年の、始めて實際に目ざめんとする者が、これを歴史や國體の記録に比べて、少しもその不一致を怪しまなくなつたら大變である。この意味において街頭各種の小運動、殊に八十幾つの團體を合せて、人員僅に三千といふが如き酒無しデーの行進でも、尚深くその出現を悦ばなければならぬ。彼等の外部に對する感化はよしやいふに足らずとも、少なくともこゝに亂雜なる消費の人生を不安に導くことを、我と感銘し決斷した者が、これだけは居るのである。それが次の代を委託すべき有爲の學生の一部であるといふことは、殊に何よりも愉快なる復興の先ぶれといつてよいのである。

　政府が昭和四年度實行豫算の編成によりてねん出した剰餘金を、主として公債發行高の減少に振向けたことは當然の處置であるとしても、明年度豫算の緊縮によりて生ずべき財政上の餘剰をも公債の減少にのみ振向けることの失當なるは嘗ても吾人の本欄に述べた通りである。もつとも剰餘金の使途を決定するに先立ちて必要な問題は、財政の緊縮が相當まとまつた餘剰を生みだし得る程度に徹底的のものであらねばならぬといふことである。實行豫算にありて一般特別兩會計を通じて一億數千萬圓の緊縮をなし得たことは、會計年度が既に三分の一を經過した場合の處置としては、まづ好成績と稱し得たるも、これから推して明年度の豫算では必ずそれ以上の徹底的緊縮が實現し得るとは保證し難い。といふのは總選擧が遠からず行はるゝことを豫想して與黨側からは無論のこと、政府部内でも新事業の要求が相當多額に上るべきことを想察するからである。

(335)　しかしながら豫算の緊縮は現内閣の重大政策である。如何に與黨側から黨略本位の新事業要望が起らうとも、又政府部内でも同樣の立場から緊縮綬和の希望が起らうとも、斷然としてこれを排除し、徹底的の緊縮を實現せしめねばならぬ。しかしてその一つとしてこの際是非とも排除せねばならないものは、義務教育費國庫負擔増額の要求である。傳ふる所によると與黨側では選擧對策として義務教育費國庫負擔額増加の必要を大藏當局に要望してゐるといふことである。義務教育費の全額國庫負擔は民政黨在野當時からの主張であるから、この際の要求の起るのは一應當然のやうではあるけれども、それは今日の財政緊縮とは根本において相容れざるものである。

　現在の我國の財政?態にありて緊縮を必要とするは中央政府のみではない。地方財政にありてその必要の更に大なるものがあることは、累年の歳計激増の計數が雄辯に物語つてゐるのである。「教育費は惜しむべきでない。教育費の増加こそ一國文化の眞の發達を指示するものである」といふが如き意見を無條件に受いれた時代は既に去つた。今日においては寧ろ教育費の整理が必要である。特に地方財政にありては資力不相應の教育費が財政ばうちやう〔五字傍点〕の重大なる原因をなしてゐる。であるから今日の地方財政緊縮に當りては教育費を節約することは、土木費の節約に次で必要であるのに、この際國庫から進んでその補助額を増加する如きは、地方財政緊縮の趣旨ともむじゆん〔四字傍点〕するのである。假に義務教育費全額國庫負擔の趣旨は正しいとしても、豫算緊縮を現内閣の中心政策としてゐる際、これだけは是非ともその實現を急がなければならぬといふことは黨利黨略上の必要以外には何としても理解することが出來ない。

　今日の財政緊縮は一方において財政の基礎を強固にし、他方において國民の負擔輕減を努めなければならぬ。公債の發行を打切る如きは前者のために必要であるが、後者の目的を達するには減税に着手することが何よりも有效である。特に細民の負擔を輕減するために消費税の輕減を行ふことはもつとも必要である。關税の如きも財政上の見地と産業保護の見地のみに偏する所なく、物價の見地即ち國民の負擔輕減の見地からして大いに考ふる所がなければなら(336)ぬ。現内閣の豫算緊縮はその結果が減税の上に現るるにおいて始めてその意義を全うし得るのである。義務教育費の國庫負擔増額の如きこの際斷じて問題とすべきことではない。

　小橋文相が醫者の數はもう十分だといはれたのは、登録員數をもつて全國の總人口を、割つて見ただけの結論では無いか。もしさうだとしたらその方法は甚だ誤つて居る。改めて現在民間の必要が、果してある程度まで滿たされて居るか否かを、再調せんことを勸告せざるを得ない。今日の開業醫が都市の内外に群集まつて、苦しい競爭をして居ることは事實だが、それはまだ決して供給過多の證據では無い。東京、大阪などの大都市を含む府縣ならば、あるいは五百六百の人口に醫者が一人といふこともあらうが、それとても村落の隅々まで、醫療の方法の行渡つて居ることを意味しない。ましてや地方によつては二千數百に一人、ひどいのになると三千以上の人口に、たつた一人といふ縣さへある。同業團體の自衛運動が、かゝる數字を援用するのはやむを得ないが、政府の目的は今一段と高いところにあるはずだ。兎に角にもう少し考へかつ調査をしてから後に、かういふ問題については意見を述べてもらひたいものである。

(337)　醫學の進歩は折角世界に引けを取らぬやうになつでも、その恩惠が國民の大部分におよばなければ、まづ教育の效果は低いと見てよからう。大小都會のいはゆる醫者群集區域に住んで居ても、實際は賣藥ばかりで漸くの手當をしなければならぬ者が、今日の如く多くては醫學の進歩が何だ。その賣藥とても税を罷めたといふばかりで、醫者の費用が今のやうに高い限り、いつまでも改良せられず、高いことも依然として高く、單にこけおどしの廣告ばかりで、賣つて居るといふ?態では無いか。衛生行政は現内閣の一つの看板らしいが、現在のところではそれがまだ少しも信用が出來ない。

　區々たる一隅の利害に囚はれざる限り、この間題の何故にかくの如く複雜になつたかを、知ることだけは實は容易である。當初政府は人口累年の増加率に驚いて、單なるアラーミストの立場から、將來の食糧供給を憂慮し始めたのである。この傾向をいち早く利用した者が、耕地擴張論者と稱する一派の資本家と、およびその手先たちであつた。内地は無理だから企てた半分も擴張しなかつたが、朝鮮と臺灣では官廳が世話を燒かずとも、自然に増さんとして居たところだから、忽ちにして成功したのである。いはゆる産米増殖の計畫は物になつたのである。保護が無くてさへも植民地の米生産費は低い。その供給が増してくれば、内地市場をけん制することも當然の結果であるが、それでは今までの米作者が困るから、保護をしなければならぬといふのが一方の意見である。二つの政策は明白に相兩立し得ざるものであつた。食糧の充實か、はたいはゆる農村の救濟か。その何れを重しとするかを決し得ない限り、政府はおろか調査會そのものまでが、事實白紙をもつて終始しなければならぬかも知れない。

　けだし朝鮮半島の米増産策の如きは、吾人の最初よりその趣旨を解するに苦しむところであつたが、不思議なることには内地の地主等は、これに對して一向にその不安を表示したことも無く、寧ろ自分たちも共に政府の開こん奬勵の恩典に參加して、我と供給増加の壓迫を招かうとして居たのであつた。だから今日においても植民地の産米が、何等か人爲の手段によつてその市價を釣あげられるならば、もちろんそれだけでも滿足するのであらうが、それは消費者に對して増産の效果を無意味にするものであるのみならず、實際また永くその樣な?態を續けられるものでも無い。生産總量の年々の不足は、いつも中間投機者の乘ずるところとはなつて居るが、結局は入用以上の生産を勸誘すれば、條件のもつとも不利なる者から排除せられてゆくべきはやむを得ないのであつた。

　米穀法の施行を二つの屬領におよぼすべしといふ議論も、既に前年以來これを耳にして居るが、これは全く政府監理の能力を、過信した人たちの言であつた。政府の買上米が永久に腐り又は埋もれるものであるか、さもなければあ(339)る期間の不賣却を約束してくれぬ限り、幾ら倉庫にあつても供給であることに變りは無い。多くの米商等が法の廢止を希望するやうに、これが頑張つて居る間は、少くとも買占的の相場は出ない。出來るものなら試みて見るのもよいが、一方生産費の少い耕作が奬勵せられ、毎年需要を超過した増産がもし續くならば、少くとも今日の地價を維持せんとする内地の農産は、改訂せられずには居られぬことと信ずる。しかうしてそれが今後の農村經濟に取つて、果して悲しむべきことであるか否かは、簡單には斷定することが出來ないが、兎に角にあれまで顯著なる積極政策をもつて、いはゞ頼んで始めてもらつた植民地の米作を、内地に競爭を苦しむ者があるといふ理由の下に、制限するといふことは六つかしい事業であり、假に總督府が一切の補助指導を中止したとしても、一朝に轉じて別途に向はうとも思はれず、またそれに代るだけの生活方法とても今はまだ無いのである。過去の政策の當否は別問題として、今頃この既成の?勢を抑制しようといふことは恐らくは不可能であらう。寧ろ力めて問題の政治化を避けつつ、新たに内地農業の展開を企圖するの必要は無いか。いはゆる同床異夢の雜然たる米穀調査會は、果して國家のためまた新領土のために、どれだけの考慮をこの點に拂つてくれるであらうか。

　この驚くべき人口の大異動に對し、いはゆる大東京の備ふるところは何であるか。道路、下水、その他密集生活に伴ふ諸般の設備は如何なる?態であるか。折角巨額の費用を投じて新式下水を丸之内方面に完成したとて、日々こゝに集散する四十萬の郡部在住者が、戰りつ〔二字傍点〕すべき不衛生地區に生活する間は、市の衛生を如何ともなし得ぬではないか。又市内の貧民くつは年と共に移動するにも拘らず、郡部における人口十萬に近い町が、社會事業費として豫算に計上するもの僅に三百圓に過ぎぬといふのがある現在の實況ではないか。

　國民政府の主席である?介石氏について、近來兎角の取さたが行はれ、今にも地位が危いやうに傳へられてゐるのは、時節柄興味以上に、注目を引くに足るものがある。支那一流の謠言が勝ち過ぎたものであるか、煙のあるところ火の氣のあるやうに、反?熟がいよ／＼高じて、氏の地位を脅威せんとするまでに立ち至つてゐる事實の反映であるか、その確否については、目下のところ斷定し難い。氏の身邊に敵の多いことも、共産黨や左派の反?乃至は倒?計畫のあることも、またそれ以外の氏に對する反感が日と共に高まり、昨今一層その度を加へつゝあることもおほふべからざる事實である。が、氏の地位がいよ／＼危たい〔二字傍点〕にひんしてゐるとの消息は、これをそのまゝ肯定するには、尚疑問の餘地が多いと思ふ。

　?氏の地位は、最近まで大體氏の思ふつぼに政局を引ずつて來たことによつて、寧ろ外觀的には、ヨリ〔二字傍点〕安定に向つてゐたやうに思はれる。即ち第三次國民黨大會を御手盛り通りに切囘し、次いで廣西派の勢力を一掃し、さらに最後の脅威と目せられた馮玉祥氏一派に對して内部の結束をかう〔二字傍点〕亂して馮氏をして遂に下野するの餘儀なきに至らしめ、統一の障害をより一層取除いたことによつて、それだけ國民政府の基礎なり、氏自身の立場なりが、よくなりつゝあつたと見るのは、必らずしも不當ではなかつた。だが然し、それは單に表面的に觀察してのことで、國民政府の基礎(342)にしても、これがため本當に堅實を加へたものとはいへない。形の上からは統一が出來たといへるかも知れないが、下野したはずの馮玉祥氏は外遊を餘所に引續き山西に滯留し、河南方面の部下は氏を離れて國民政府にくら替したけれども、陝西、甘肅の西北一帶の舊部下とは今尚相當密接に聯路を保ちつゝあるものゝ如く、氏の存在は、依然として惑星的存在である。馮氏が?氏に對して如何なる感じを抱いてゐるかは、大分舊聞に屬するが、曾て山西に氏を訪問せる聯合記者に對して、口を極めて第三次國民黨大會の非を鳴らし、?氏の政治的行動をもつて、南京に帝王的獨裁を振ふものとして痛烈に指彈した露骨な談話の口ふん〔二字傍点〕からしても想像に餘りあるが、然し、馮閻兩氏の外に張學良氏も加はり反?計畫を具體化してゐるとの説は、にはかに信じ難い。馮閻の關係は?閻の關係よりは密接であるが、極めて消極的である閻氏が果して馮氏と腹を合せて反?計畫に深入しつゝあるかどうかは、今後の事實に徴する外はない。張學良氏の聯盟參加説に至つては、今日のところ寧ろ、その反對であると思はれる。もつとも東支鐡道問題から、兩者の關係は非常にデリケートなものとなりつゝある。張氏としては、單獨でロシアとの間に問題の解決を計らんとした事實があるが、外交權を統一せる名目の下に國民政府がこれを妨げ、?氏一派が機會ある毎にその手を東三省に延ばさんとしてゐるのは、張氏の固より恐るゝところである。從つて?氏と張氏との關係が、今後の推移とともにどう變化するかは容易に豫想を許さない。

　吾人が觀るところでは、?介石氏竝に現國民政府に取つての死活問題は何といつても財政問題である。編遣會議の決定に基く裁兵の大綱は既に出來上つてゐるが、財政的にこれを如何に實現してゆくか。?氏竝に國民政府に對する財政上の信用は漸次失はれつつある。財政上の不信用こそ?氏竝に國民政府に取つて致命的打撃である。最近の?氏の不評判は大半これに基くものでないか。反?の空氣の高まりつゝあるのも、聯盟計畫説の起るのも財政上の不信用と相關聯するものでないか。軍人として?氏の手腕は、現代支那において、一頭地を拔くものと認められてゐるが、政務家としての手腕は尚疑問といふ外はない。第三次國民黨大會や廣西派の始末や馮派に對する驅引さては東三省關(343)係において、?氏の政治的手腕は相當にすごいものであることを示したのであるが、氏の地位の安定と否とは、いよいよこれからの試練に堪へ得るや否やによつて決すると見るのが、當を得た觀察ではなからうか。

　國定教科書の教師用のものを、自由に生徒に買はしめてゐる學校があるといふが、それはまだ極端なる一部分のことかも知れぬ。それよりも更におそろしいのはいはゆる虎の卷の流行を、學校が見て見ぬふりをして居ることである。町の少年の幾らでも買ひ得る場所に、名のみは自習書と稱する樣々の劣惡なる手引草を陳列せしめ、いゝ加減口うつしの學校教育を、尚一段と不消化なものにして居る實?は、もしまだ文部當局が心づいてをらぬとすれば、これこそ(344)春の三月にたゞ一度くる入學地獄よりも、遙に戰りつ〔二字傍点〕すべき大な〔傍点〕落ではあるまいか。

　もし今日の小學教科書が、こんな忌はしい參考書の援助を借りなければ、どうしてもその效果を完了し得ぬものとすれば、それは政府の教科書編集事業の不信任を意味して居る。永年多額の國費を使つて、何をしてゐたかといふ疑惑を招かざるを得ぬ。もし又現在の程度の教科書をもつて、目的を達するに十分なりといふならば、今日の如き雜書の紛亂を座視して居るといふことは、緩怠の甚だしきものといはねばならぬ。國定教科書の定價引下を唱へた人々も、幸ひにして少しく騷いで大いになだめ〔三字傍点〕られることを目的にして居たので無いならば、この個々の家庭に對する金錢の負擔以上に、兒童の心身に殊に重課せられるものを除くことに努力すべきである。肝腎の小學教育の情無い現況には手も着けずに、やたらに餘分な特殊事業に手をだすのが、もし文部當局の病といつてよいならば、口ばかり達者で救濟におろそかなる教育會側のその日暮しも、また一種の神經衰弱と評せなければならぬ。

(345)　豫算改訂權の國法上の限度、乃至はその政治上の當否については、見解は確に分れて居る。本紙を始めとして全國大小の新聞は、各自一方の所見を表白して居るに拘らず、この間題の重要性を認めたる結果、特に忠實に朝野兩黨の聲明を採録してほとんと一語をも遺すことなく、これを讀者に傳へて居るのである。もつとも善き意味において新聞は利用せられて居る。論點は既に十分に明瞭になつて居るのである。次に來たるべきものは批判の權能ある者の批判でなければならぬ。然るに新たなる解説と布えんによつて、更にその決斷を左右し得べしとするところにあるいは單なる雄辯家の自信以上、尚地方人の智能をもつて、與し易しとする樣な豫斷が潜むのでは無いか。もしさういふ舊式な考へ方をする者が、少しでもあるならば、それは失敗であつたと一日も早く、彼等に經驗させて遣りたいものである。

　與黨が議會協賛權の侵害者だといふ攻撃を、是非とも反駁しなければならぬ如く、野黨は政策で對抗することが出來なかつたといふ樣な惡評を、速かに排除すべき必要をもつて居る。前議會以來の政情の變化によつて、政友會の主要なる政策は帳消になつたが、その代りに出現した題目もまた決して小さくない。いはゆる農村漁村の生活安定であれ、はたまた失業就職難の解決であれ、いづれも事態が重要また急迫であることを、叫んだばかりでは物にならぬ。地方が新在野黨の英氣に對して、冀望するところのものは具體案である。興味は將來の未知數にあつて、不愉快なる過去の追懷には無いのである。この萬人のもつとも聽かんとするものを後にして、今更知れ切つたる新聞事實の温習のために堂々たる名士を派出させるといふことは、假に彼等自身の迷惑は是非無しとしても、それが地方の政論を形式化するの弊害は、殊に今日の時勢において忍ぶべからざるものがあると思ふ。

　米穀問題には應急的の對策と根本的の對策と二つのものが存してゐるが、目下の問題は寧ろ應急的對策を如何にすべきかといふことである。昨今の米價は二十五圓臺である。かくの如き米價が農村經濟として堪へ難い市價であることは、少しく農業經濟を理解する人々の等しく同情する所であらうと思ふ。しかして今年の作柄に考へ米價の前途は更に低落することがあるかも測られない。これは單なる輕濟問題ではない。政治問題として又農村社會問題として看過し難い問題である。然るに米穀調査會の提案や論議を見ると、いづれも根本的解決の對案とも解すべきもののみで、少くとも目下の米價問題に對する應急策としては參考ともなり得ないものである。更にこの點を具體的に陳ぶると、東京商工會議所會頭たる藤田君は米穀法の撤廢を主張してゐるが、假りに米穀法は無用有害なものであるとしてもこれを廢止しただけでは農村乃至農業の救濟にはならぬ。如何にして現下の米穀問題を解決すべきかの應急策には何等貢獻するところがない。又矢作博士や三輪氏の米穀專賣案にしたところでこの際急速に實行し得べきものではない。假りに米穀專賣案の趣旨にとるべきところがあるにしてもこれは輕々に採擇し實行し得べきことではない。無論目下の米價對策とは没交渉である。

(347)　然らば根本的の對策として各委員の提案は今後十分研究に價するものであるかといへば、吾人はこの點においてもこれ等に賛意を表しかねるものである。藤田君の米穀法廢止案は根本の思想として農業生産者に對する公平なる同情が缺けてゐるやうに思ふ。米穀は我國の重大産業である。金額としても年額二十億圓を上下し、更に又國民糧食の問題としては幾多の工業生産に見ざる重要性を帶びてゐる。消費者又は商工業者の立場からのみ米穀經濟を見る人は米價は少しでも安いに限るやうに考ふるけれども、米穀とても經濟の理法を離れ、生産費以下の生産は持續し難いのである。不當の米價低落が遂に農村を荒廢せしむることは免れ難い。米穀の供給は外國に一任しても差支へないかといふ極端なる自由貿易主義の議論が是認されざる限り、米價を適度に維持するため政府が適當の施設をなし相當の出費をなすは當然のことである。この見地から米穀法の運用により國庫が五千數百萬圓の損失をなしたとてそれは必ずしも驚くに當らない。しかもそれは大正十一年以降本年二月まで約八ヶ年にわたりての損失である。たゞ吾人の遺憾とするは米穀法運用の效果が米穀の調節に對して甚だ不十分であるといふことであるが、それがために適當の對案もなく米穀法はこの際廢すべしといふ結論には達し得ないのである。

　矢作博士の朝鮮米臺灣米專賣案は内地の米價問題農業問題のみを考へて植民地特に朝鮮の農業經濟に對して同情を缺いた議論ではないかと疑ふのである。朝鮮や臺灣の農業は内地の利益のためのみに存するものではない。共存共榮の趣旨からして農業の改良を行ひ今日までの進歩をなしたのである。從つて朝鮮における米穀を低落せしめて内地の米價を維持せんとする如きは公正を缺いた態度である。臺鮮米および外米の專賣に輪をかけて米穀全體の專賣案もあるが、これは我國の經濟組織の根本に關する重大問題で、極めて多方面にわたりて愼重の考慮を要することである。これは根本的對策の一には相違ないけれど、何人たりとも容易に同意を表し得る問題ではない。米穀調査會の委員がかくの如く色々の提案をなすことも惡いことではないが、米穀問題は相當差迫つた問題である。實行不能の空論に費すべき時期ではなく、實行的の對案を決定すべき場合である。これに對して政府では何等對策を示してゐないが、こ(348)れは甚だ物足りないやうに思ふ。吾人は消費者の利益のみを重視せず、又生産者の利益のみを偏重せず、國民經濟全體のために、政府が對米穀政策を誤らざらんことを希望する次第である。

　樞密院の改革なるものが、説くべく行ふべからざる難事業であることを、一番痛切に實驗したはずの現内閣が、折角目前に出現した一機會を試みることに、甚だしく臆病なりと傳へられるのは意外な話だ。世間では餘りにもその理由が不可解なるがために、政府がいはゆる大臣の表決權を失ふことによつて、一層樞密院の勢力を増長するの懸念を抱いてゐるかの如く、想像してゐる者も少しはある樣だが、それは到底有り得べきことで無い。二代の内閣をぎうぎうと痛めつけた樞密院近年の強勢ぶりが、もし絶頂で無かつたら大事である。第一これ以上に増長すべき何物かゞあ(349)るといふことは、想像することも六つかしいでは無いか。　かの定員増加の要望の如きも、いはゞその勢力の一つの表現に過ぎなかつた。田中前總理の内約が有效であれ無效であれ、その根據とする所は大臣表決權との釣合だけで、しかも大臣の表決權などは、無くてもよいと考へて居るのも彼等である。この點は偶然にも樞密院の見解が、現在普通の世論と一致して居る。内閣が自身立案して御諮詢を奏請したものに、再び參議して見たところで結果は始めから分つて居る。寧ろ執行の任に當る者が、改めて可否の表決に加はるが故に、事實議案の變動を招き易かつたのである。憲法には少しも豫測せられざる政務の干渉は、この二個の機關を分離することによつて始めてこれを免れる見込がある。滅多に行使もせずまた行使する必要も無い大臣表決權に、今頃未練を持つ理由は考へ得られない。だから何人もこれを意外として居るのである。假に何等かの隱れたる理由がもしあるなら、それこそは政府が説明すべきものである。國民の多數を疑惑に置いて、ひとり内部に向つての表決權を問題にするなどは、今日の政治常識の許さゞるところである。

　この數十年來の世界交通によつて、支那が國外に持ち去られた學問上の財貨は、實に甚大なる數量に達して居る。過去の文化の唯一の痕跡、無二の記念物として保存せらるべきもの、故土の山川と結びつけられて、始めて光輝を放つべき學藝の參考資料の、散じて所存をさへ録せざるものが幾らあつたか、單に遠國の博物館などに運ばれて、容易に訪ひ寄ることが出來ぬといふに止まらず、しばしば好事無識の富豪連に買取られて、無意識に私藏せられて居るものも、また決して少ないことは無いのである。我同胞の間にもその責任の若干は分たねばなるまいが、吾人は自國のいはゆるフェノロサ以前の時代を囘想して、いまだ來らざる隣國の悔恨に對し、多大の同情を抱かざるを得ないのである。從つてかの學術取締令なるものゝ深意も、一面からはこれを理解することが出來るのである。本國調査委員の參加の如きは、もしそれが有效のものならば、寧ろその便宜を認めてもよい位であり、また標本配分の規程の如きも、見やうによつてはあるいは寛に失するといつてもよかつたのである。たゞ問題はその原則を更に押擴めて、一個生物學者の天然の調査にまで、無差別なる抑制を加へんとすることが、果して確實に民國教育部の意圖であつたか否か。(351)はたまた謹嚴なる一人の執行官が、單に世なれざる學究に向つて、その旅行手續の不備を指摘したのに止まるかどうかである。

　支那が世界の文化國の一つとして、つとに取消しに努力しなければならなかつたは、數百年以來の不可思議國、もしくは學術上の原始林といふが如き、外部からの批評であつた、それにはまづ兵馬の難の速かに平ぎ、國内有爲の學徒をして再び安んじてその研究を續けしめるの日の、忽ち到來せんことを祈願するの他は無いが、まだそればかりでは世界の知識慾、殊に實際の疑惑に逢着して、第一にこの廣大なる未知の領土に、その解釋の手懸りを求めんとする、隣國の學者の向上心を辛抱させることが出來ぬ。日本の學問とても、今は決して必要なる全般にはおよんでは居ない。中には熱心なる外國の探檢家を歡迎して、その刺激によつて始めて端緒を開くべきものも無いとは申されぬが、少なくとも自然諸現象の研究については、支那さへ今少しく綿密に調査せられて居たならば、あるいは理由が明かになつたかも知れぬと、考へられて居る樣な場合が多いのである。これをしも單なる知識闘爭、平和的征服欲と解せんとすることは、餘りにも狹あいなる人生觀ではあるまいか。我岸上博士の場合の如きは、少なくとも國土國境の觀念を超脱して居る。世界の學術のために一方面を引受けて、將に知識の水準を高めんとする熱意がなかつたら、何を苦しんで一身を異域に投じ、この官憲の無理解で、護照までも必要なる動亂の國に、わざ／＼老體を運んで行かうか。思はざるもまた甚だしといはねばならぬ。

　中華民國人の愛國心が、如何なる樣式をもつて發露するかを問はず、兎に角に過去數百年間のかの領土の記述が、大半は外國人の力に成つて居るだけは事實である。それが今頃學問の鎖國主義に復つて、出來る限り隣人の研究を困難ならしめんとする慮は、正しく政略に野津頭する多忙なる要人の輕慮なるべきと同時に、前にさういふ感情を長養せしめたる日支文化事業なるものゝ失敗でなければならぬ。國の學問とは殊に風馬牛なる外交官吏をして、かゝる事業に參與せしめた弊が、この極端なる實例をもつて現れたのである、だから一日も早く現在の組織を改訂して、責めて(352)は學問だけは政府の如何によらず、直接兩國民の平心に相提携し得るものとしたいと思ふのである。

　思ふに世界大戰後、ヨーロッパに生れた新國はもちろん、舊國も、相次いで保護主義に隨喜し、互に高き關税の障壁を築きあげたことは、如何ばかり歐大陸の經濟的混とん期を長びかし、各國民を苦惱せしめたことであらう。これは一昨年の國際經濟會議でも、否その以前および以後の諸會議でもたび／＼問題とせられたものであつた。若しいはゆるヨーロッパ經濟聯盟案によつてこの關税的闘爭が緩和せられ得るとすれば、それはヨーロッパ人にとりての一大(353)祝福で無くて何であらう。ブリアン氏の氣持も恐らくはこゝにあるのではなからうか。然してあの廣きヨーロッパ大陸にわたり、多數の邦國を含んで、自由貿易的政策がとらるゝとき、その同じ心理は、遂にこれを世界全部におよぼさるゝを自然の發展とするのでは無からうか。殊にブリアン氏は昨年十一月右聯盟がイギリスをも含むべきこと、排米的であつてはならぬことを條件とすと聲明したのでは無かつたか。

　今次第五十八囘の御式年について、特に後世のために記念すべき點は幾つもあるが、第一には空前の莊嚴をもつて、昨秋執行はせられた御即位の大典に引續いて、偶然ながらもこれが昭和御代始めの、民を新たにする一つの大切なる目標となつたことである。第二には政府が國民多數の心からの希望に順應して、いよ／＼この御儀式を全國化し、また中心化しようとして居ることである。これは少なくとも過去の御遷宮の事績においていまだ録せられざる新しい出來事であつた。單に式場參列の榮を荷ふ者を、新たに各方面の代表者から指定せられたばかりで無く、地方は神職たちの豫ねての用意に基いて、一樣に奉祝會を組織し、當夜は午後の八時を期して、遙拜黙念の式を擧げることになつて居る。この間接の奉仕者の數に至つては、ほとんと全國中にへん滿して居るといつてよいのである。昨年御大禮の日にも實驗したことであるが、この大規模なる協同の意識は、何よりも含蓄の多い一種の國の力でなければならぬ。

　しかも國人の精神的參加は、決してこの樣な受動的關係に止まらなかつたのである。過日文部省の公表したところによれば、神宮奉頌唱歌の公募に應じた者が、國内海外を通じて二千九百餘篇、それが大半は個人の製作では無く、多數合同の文思情熱に成つたものが多かつたといふことである。その現代式なる歌謠の一篇が選拔せられ、更に若干(355)の彫たくを加へて、今日は一せいに各地の少青年によつて、聲ほがらかに合唱せられんとして居るのである。平生は放歌高吟を禁止せらるゝ伊勢の神域においても、特にこの歌この日に限つて、それを許されることになつて居る。兼て少しでも興味をこの計畫に注いで居た人たちが、改めてこの題目の内容によつて、與へらるゝ印象は必ず深いことと思はれる。

　新聞が報道しまた衆人の熟知するものは、いはゞ一つの例に過ぎなかつた。これと同樣なる感動と關心とは、恐らくは他の多くの國民的藝術の上にもおよんで居る。純なる日本風の建築はいはずもあれ數十種を超ゆる御装束神寶を完成して、それを神聖なる記念品として調進保存する前には、報いまたは報いられざる無量の精進があつた。睡れるものは乃ち覺め、怠れるものは忽ち勵んで、こゝには流行趣味の動搖も無く、また外國意匠の利用といふものも、忍び込む餘地は無かつたのである。國の儀式は純なる國民の心情を統一して、これに奉仕するの他は無からしめたのである。これは今日のいはゆる教化運動の、企てたる目的では無かつたでもあらうが、それが何等の言説を費すこと無くして、測らずもその歸着を一にしてゐたのは幸ひであつた。

　遷宮の御式の根本の精神については、意外にも專門學者の解説が今尚甚だしく區々であつた。そのうちでも有力なる宮地博士の説く如く、神の御心を清く新たにすることに由つて、國總體の力を若く勇ましくせんとする目的だといふのは、その説もつともいう〔二字傍点〕玄であるだけに、更により深く考究する價値がある。國の生命の若返り、これが我歴史のもつとも幸福なる經驗であれば、また現在の殊に切實なる希望である。それがもし誠實に古式をじゆん守する者の、期待し得る效果であるならば、全國奉仕者の喜悦はこれに過ぐるものは無いのである。新時代の國學はまづこの機會に乘じて、進んで古意を探り窮むべきである。單なる懷古者の感激をもつてこの日を迎へんことは、明白に昭代の聖旨では無いと信ずる。

　一番氣になるのは全國的統一といふ呼び聲の下に、その實は二つ以上、もしくは一つの甚だ雜駁なる澤山の小團體とを、促成する結果にならぬかといふことである。全國の青年團といふものが實際は久しくそれであつた。最近漸くのことで彼等の間に、自主的指導力は現れようとして居るが、今までは大むね外部のセメントがつなぎであつて、從つて唯それにつながれる者だけがついて來た。さうして操縱に甘んじ得ない者が、幾らとも無く外に立つて冷語を放ち、これを聽く者の心を動搖せしめて居たのである。何が容易ならぬといつても、日本の若い女性を、心から一つに結ばせるほど六つかしいことは無い。甲の家風に育てられた娘が、乙の家に移されてもはや問題を生じ悲劇をかもし(357)て居る。外を見させずに村限りで、何千年の昔から作つて來た心境と利害とを、一つの大きなる方針に統括せんとするには、是非とも遠く住みしとやかに暮して居る者の感覺を、無視せぬことを約束しなければならぬ。しかも全國の隅々からこの催しに應じて出かけてくる人はたれかといふと、大多數は青年でも無く、また處女でも無いよその伯母さんでは無いか。彼等の新思想は東京から輸出せられたものだ。それを今一度逆輸入して、わざ／＼拜聽せずともいふことは今から分つて居る。そんな形式的なことをする前に、まづ地方の處女會をして、尚當分の間自身で働かせて見てはどうか。それとも政府の形式萬能の弱點を、是非とも一應は自ら暴露しなければならぬのであるか。

　今秋の天候が意外にも生産の好望を傷つけたことは、自他の大いなる不幸には相違ないが、久しい間多量の古米を抱へて、一意基金の食ひ込みを悲しんで居た當務者としては、現在ほど利用すべき好機會は無かつたのである。單な(358)る賣拔の口實としてで無く、實際喜ばしい影響を多數の小生活者に與ふる方法も、今ならばこれを立てることが出來るのであつた。それには數量と賣拂場所の、餘りに限られて居ることを非難しなければならぬが、それは一方に相場には格別の效果無しなどと評する人々が、豫め格別の效果の無いやうに、けん制して居るのだから致し方が無い。

　あるいは一方には次年度出囘期の同一數量買上の言明は、餘りに氣が弱いと笑はうとする者もあるが、これは絶對に自由を留保した方が尚よかつたといふのみで、本當は差支の無い話である。端境直前の秋の雨の降る時は、小さな消費者のもつとも困る時、新穀取いれの最初の何個月は、小さな生産者の殊に踏倒される時である。たとへ約束はせずともこれが常平の常道である。しかも以前は丁度その反對の事を企てゝ、尚米穀管理者の公務を盡したかの如く考へてゐた者があつた。それに比べると確に一つの改良といふことが出來るのである。

　普通選擧時代の政黨内閣としては、これだけ反對の聲の昂まるべき減俸案を、やゝ手柄顔に公表したといふことが、まづ第一の弱點であつた。假に至つて善意なる誤解であらうとも、一般民心を誤解して居た責任は負はなければならぬ。しかしながら既に結果の明かになつた後まで、強ひて一旦の主張を固執しようとすることは、黨や個人の利害は一切拔きにして、國の政治の上から見ても惡いことである。現在はまだ幸ひにして單なる豫想であるものが、これを遂行すれば忽ち實害と化するからである。もちろん政黨改造の過渡期で無ければ、過去にもはた未來にも、この樣な事態は發生のしやうが無い。もし改めてこの重要なる教訓を買ふべき必要があつたのだとすれば、その代價の高かつたのもまた忍ぶべきである。

　學び得た人は必ずしも當路の諸公のみでは無かつた。濱口首相は半ば否定せんとして居るが、彼の律儀なる頭を暗々裏に支配して居るものは、義務教育費國庫負擔金の増額であつた。新たなる財政の餘裕が假に期し得るにしても、それを迂遠なる補助金の形式を通して、不確定なる負擔の輕減に引當ることの、妙策で無いことは彼もまた認めて居る。しかも來年度の財源には、これを可能ならしめるだけの永久的のものが無かつたのである。然るにその實?をのみ込むだけの能力も思ひ遣りも無くて、やたらに責め立てた者が政黨員であつた。今になつて政府の失政を憤らんとしても、災の種は寧ろこの連中がまいたといつてよいのである。

　それには多分國民の多くの者が、いまだ與り知らぬ色々の内情もあるのであらうが、もし公約を問題とするならば、(360)政府には更にこれよりも數倍嚴しゆくなる、天下周知の公約があるのである。何かといへば國家政局の異常時を口にして、私人の私經濟にまで立いつて節減を説かうとするの言が、假にも耳を傾けられたといふのは、反面に政府にもまたこれに相應する一大決意を、有つことを期待したからである。それが今囘の如き重箱やうじの形をもつて、まづ現れたといふことも失望の他は無いが、更により大いなる不安は、次年度の豫算にかゝつて居る。與黨はそも／＼如何なる方策によつて、この政府をしていはゆる異常時の難關を突破せしめようとするのであるか。今や世上の疑惑はやゝ深まりつゝある。これを解くことが出來なければ、百の約束手形も末にはすべて空に歸するのでは無いか。

　さきに政府は十ヶ條の聲明書を發して三つの大調査機關を設け、必ず六ヶ月以内にその成果を公表すべきことを約して居る。然るにその議事團は徒らに半途に横たはつて、期限はもう眼の前に迫つて居る。金解禁はたゞに債券市場を動亂せしめた以上に、何等の計畫をも具體化せしめた形跡が無い。これがもし一二局に當る者の引責によつて、帳消しになつてしまふ樣な懸念があるとすれば、政黨などはあれども無きが如しといふ以上に、寧ろ人心を混迷せしめるの具であつたと評せられるかも知れぬ。片々たる地方の黨利黨爭を超越して、この公約ざたはどこまでも窮追せらるべきもので無ければならぬ。

　一流財政家なる者の手腕をもつてするも、いはゆる輕濟國難は救解し難きかの如き、誤つたる感覺は速かに除却する必要がある。しかもその希望は決して空では無い。假令第一次の豫算は不成立に終るべしとしても、整理の方向は既に示されて居る。國民の　　　略々理解して居るところ、また在野黨の新黨首が、決して反對すまじきところの軍制改革、こゝにこそ現下の財政不安を除くべき若干の餘地は存するのである。少なくともこの間題の更に精細に討究せらるべきことは、これまた既に公約せられて居るのである。物窮すれば必ず通ずる。政府にしてもし新たに與論に聽くことを學び得たとすれば、徒らに陰謀の襲撃を患へて左顧右べんする必要は更に無いのである。

　今度の政友會總裁が、單なる黨議の一執行機關であると否とに論なく、犬養木堂翁のます／＼老熟した政治哲學は、到底その效果を一代の政論の上に、およぼすこと無くして止まうとは考へられぬ。現に政策の缺乏を患とする大野黨が、前囘は議會にまで提出した選擧區制の改定案を、そつと戸だなの隅に取殘して、東北大會に臨まなければならぬのも、見やうによつては頭目の代つたおかげである。さうして今日のところでは、選擧法はまだ實際の問題にはなつて居ないのだから、特にこれ以上の態度表明を野黨に求める必要は無いのである。

　新たに憲政の常道を學ぶべき者に取つて、犬養氏は終始一個の好師表たるを失はなかつた。如何なる問題をも直さい簡明ならしむる技術、どれ程面倒なる事件に對しても、假初にもあやふやな説明が出來ぬといふ氣質が、時としては郷黨幾千の子弟をして、彼を生神の如くにも景慕せしめたる所以であつた。然るに今や大小の政治疑獄は突發して、堂々たる名流の弾指せらるゝ者日に多く、風教の賊は寧ろこれ等の指導者階級に、潜んで居るのでは無いかといふ不(362)安は深くなつて來た。犬養翁が重望の地に立つて居る以上、假に事いさゝかも政友會の要部と交渉する無しとしても、尚その門をたゝいて教を請ひ、解説を求めんとする者の、多いのは當然の話であつた。それに應へるの語は多端であつてはならぬ。いはゆる複雜なる内情や、いふにいはれぬ行がかりなどは、いやしくも犬養流の政治教育を受けんとする者の、最初から持合せて居ない用語であつた。近頃これといふ格別の機會でも無くして、幾たびかこの先輩の選擧制に關する個人的意見を聽くことを得たのは不思議の樣でもあるがこれは多分あの明敏なる論理の働きをもつて、豫め議論の落着くところを示さうとするもので、必ずしも前年少數黨時代の主張に對し、強ひて尾生の信を守らうとするのでは無い樣に思はれる。もしさなりとすれば政友會の總裁公選は、偶然ながらもよい事をしたといふ結果になる。

　それからまたこの黨の黨員等の、強慾惡むべき取込主義も、これによつて意外に早く一轉機を促し得たともいへるのである。何故に今日の政治家ばかり、あの樣に不正な富を戀しがるかといふ問に向つて、もつとも上品な答は選擧に金がいるからといふ一言であらう。しかも眞率なる青年ならば、さうですかといつて引込んではしまはない。次に起す疑問はどうして選擧に金がかゝるか。どうして買收によつて當選した者が、ぬく／＼と議員で出て居られるのかといふことでなければならぬ。それもこれも誘惑が多いからだ。選擧區を思ひ切つて大きくして置けば、末には金をまくことを斷念するより他はなくなると、一應はそれでまづ説明がついたと認められたのである。この意味からいふと現在のいはゆる中選擧區は、實は甚だしく生煮えなものであつた。これであきらめて金を使はずに競爭をして見たといふ者は至つて少なく、寧ろこのために一層中央の兵糧方を苦しめ、現にまた明白にその理由を掲げて、元の小選擧區制への逆戻りを主張した人々が、幾らでも政友會の中にはをるのである。

　だから無造作の樣に見えても犬養氏の個人意見は、可なりの制約を黨内の舊勢力に加ふべきものであつた。少なくとも今後小選擧區を可とする黨議を、一執行機關として執行することだけは、犬養氏には出來ないだらうと思ふ。も(363)しもさうすれば刑法の網の目のくゞれる限り、依然として實業家と結託して金を作り、末には醜惡なる疑獄の種を殘してもよいといつたことになるからである。語を換へていふならば、犬養翁の選擧區論なるものは、今の力においてなし遂げ得る、彼が唯一つの清黨策であるからである。今度の議會はまづ解散ときまつて居る。それに適用せられるのは現行の選擧法であつて、これが改正の是否などは、今の議員たちに考へてもらふ必要は無い。問題は單に吾人等が久しく唱道する選擧革正に、朝野の二黨はどれだけの誠意があるかであり、差當つてはまた眼前の政治疑獄の善後策如何である。來るべき總選擧においては、これこそ確に大多數の選擧民が、もつとも注意を拂ふべき問題である。與黨の鼻元思案がもし現在の?勢を見て高をくゝつて居るならば、あるいはまた例の如く、老巧なる政敵のために背負投げを食はされぬとも限らぬ。

　新たに五萬圓の補助金を割いて、政府が興隆せしめんとする東洋文化の研究は、わざとかは知らぬが非常に似た項目が多い。さうしてまた今までの篤學家たちによつて、既に久しく掲揚せられたる問題ばかりである。各方面の學徒に期せずしてこの一致があつたものか、但しまた百六十餘の補助要請者の中から、出來るだけ同じ傾向ある者のみを拔きだして、まづ第一次にはそれを支援せんとしたものであらうか。吾人は文部當局が實利物質の一側面のみに忠なりといふ批評を避けて、新たに外見無用に近い研究を疎末にせぬといふ態度を示す趣旨は諒とするが、單にいはゆる精神科學の諸論題の中で、かういふものが特に好ましいといふ彼等の選擇を表示した以上に、これだから補助をしなければならぬといふ理由を解することは出來ないのである。

　さきに大戰終期の好景氣時代に、若干大工場主等の意見が世論となつて、もつとも世用の顯著なる理化學的研究を支援し、急いでその效果を收穫せんとしたことは、今から考へて見ても餘りうれしくない實利的態度であつた。然しかの補助には機械なり材料なり助手の手當なり、兎に角貧乏なる學者の懷からは、だすことの出來ない金の入用があつたのである。然るに今度のいはゆる精神科學の補助において、學者に金を遣るのは何のためであらうか。彼等は補助無くとも圖書館にいり書室に引こもり、夜遲くまで讀んだり書いたりして居るのである。補助を與へずとも今列記せられて居るやうな題目で、本を書き論文を公にして居たのである。この人々を選んで金を給するといふことは、却てかういふ大切と信ずる問題ばかりが、補助でも受けなければ學者の省みないものになつたといふことを、間接に立(365)證する結果になりはしないか。あるいは學校の教師の收入減を補はうといふことであるならばわかるが、それではまた一種の教育費補助増額であつて、精神科學の奬勵は即ち虚名だといふことになるかと思ふ。

　如何なる巧妙の辭をもつて説明しようとも、筆問筆答試驗の一部復活を目して、この年來の懸案の解決だと思ふ者は無い。それ程にまた試驗地獄の害惡は、怖るべきものであつたのである。現行の内申制度とても、最初から何人も異議をさしはさむ者が、無かつたといふわけでは決して無いが、それでも尚打棄てゝ置くには優れりとして、いはゞ新たなる局面を展開して見たのである。ところがこの方面にも豫想以上の情弊があつて、僅々二三年の實施も尚このままでは繼續することが出來なくなつたのである。大阪府下の醜聞なるものは幾分か政策に利用するために、誇張の報道を傳へたかとも思はれるが、これに近似して必ずしも規律に觸れず、事態隱微にして摘發を免れて居るものが、別に數多く世上の私語に上つて居る。殊に忍ぶべからざるは兒童の競爭が更に早期に現れて、小學校の生活をもつて(366)快活無邪氣また平等のものたらしめざることであつた。利己一ぺんなる親々の愁訴請託、これに伴ふ不正なる誘惑すら、親心としては尚諒としなければならぬ程に、少年少女を苦しめて居ることであつた。要するに文部當局の處理方法は、第二のものもまた第一と同樣に、完全に失敗に終つたので、次にはより良き第三の策を發明しなければならぬといふ結論にはなるが、二つの弊害あるものを合せて二で割つて、それで片づいたといふ理由にはなり得ないのである。

　根本の國民の要求を失念してもらつては甚だ迷惑する。國民は小學校が獨立して、その本然の責務を遂行せんことを期待して居る。然るに現在は出でて上級の學校にゆかうとする一部の者のために、大いなる混亂に陷つて居るのである。獨り義務教育のみをもつて學業を終らうとする多數が、下積みの冷遇を忍ぶといふに止まらず、進出者自身もまた生殺し的希望に釣られて、眞の小學校らしき教育を受けることを許されぬのである。校長職員の注意を一方に片寄せ、落ついて常務に勤むることが出來ぬのは申すまでも無い。この大弱點の除き得ぬ限りは、問題は決して解決したといはれないのである。

　けだし準備教育の無益有害なる辛勞は、一に志願者の過剰から起つて居る。如何なる方法であらうとも、選拔に標準があることを知る限りは、兼てその用意をして力のおよぶだけは、謝絶のうき目を見まいとするも人情である。だから口頭試問をもつて適否を別たうとすれば、忽ち速製の機智を付燒刃せんとする者があり、以前性能鑑別とかの流行した時代には、早くもその係員の判斷を誤らしむべき愚劣なる準備書さへ市に販がれた。どれだけ暗記を要しない學科を選ばうとも、それは唯小學校の混亂期を長くするだけの效果しか無いことは、あたかも内申書が三年四年の小學兒童をして、もう點數の奴れいたり、教員の前のよき兒たらしめんとすると同じである。問題の骨子は競爭の苦を拔くにあるのだが、在來の方法が二つながら、いはゞこの試驗には落第して居るのである。全體普通教育と名乘ながら、進んでこれを受けんとする者に唯失望と苦勞とを與へるといふことは、明白に國の義務を缺いて居る。正面の論(367)理からいへば中等學枚を増設するか、さも無くんば過度の學校崇拜熱を放冷して志望者教を現況と調節せしめなければならぬのだが、假に政府の實際の能力が、これを企てるに適せぬとしたら、差當つての便法としては、抽せんがもつとも影響少く、また幾分か公平に近い。但しこれにも私曲不正が伴へば是非無いが、幸ひにして學校の缺乏は、今はまだ一部地方のみの現象であつて、そのもつとも甚だしと稱せらるゝ東京府下においても、大多數の志望者は結局何れかの學校に配當せられて居る。もしやゝ早目に志望順位によつて、競爭多きものから抽せんをもつて收容を決定してゆくならば、一切の不安とせう慮とはこれによつて除かれ、少しは落ついた餘裕のある小學教育が與へられると思ふ。準備教育の慘害に神經過敏なる小學校長たちが、その復活に同意せぬのはよいが、我から内申制の煩累に落込んで、微細なる外部の人情に刺激せられんとするは智惠が無い。殊に兒童の個々の内情に干與して、その入學の許否を進言するなどは、本分を越えた事務であつた。文部省のいはゆる人物考査が、人物を養成すべき中學校としては、ほとんとその意味をなさぬと同樣に、いづれも皆希望多くしてその希望に應ずる途を知らぬ者の、甚だ不當なる責任の囘避策に過ぎなかつた。かゝる不徹底なる方法をもつて、既にこの問題を解決したかの如く、假に信じて居るとすれば雙方共に誤つて居る。

　ところが文部省當局の見る所は寧ろこれと反對で、もし府縣町村がこれに由つて平均給額を低下せんとするの意が無いといふことを確め得るならば、初任給の引下だけは承認してもよいといふ意向らしく傳へられる。果して教育團體の人々が無益の心配をしてゐたかどうかは知らぬが、少なくとも地方税の輕減に供すべく、無理算段をして割戻さうとする一千萬圓に、わざ／＼教育國庫補助といふ名稱を付する程、教育に熱心なる現政府であつて見れば、如何に地方費整理の計數を擧ぐるに急であらうとも、まさかに教員の事實上の減俸を、合せて賛成するやうな事はあるまいと思ふ。

　初任者の優遇は素より望ましきことであり、それがまた自然に優秀なる教員を招致するの途ではあらうが、實は現在の平均給與額が、これと比べて餘りに低きに失して居るのである。そのために教員の家庭のもつとも成長し、その精神生活の欲求の將に盛んである際に、これに對して必要なる増給が許されない。彼等の進級は通例甚だ遲々として、(369)忍んで年功加俸期の到達を待つことが困難であり、從うて不平不滿の日を送り易いのであつた。これが小學教員の職務において、殊に怖るべき惡結果を見ることは、實驗した土地も多く、想像することもまた至つて容易である。假に今日の事情が新たに豫算を増加するに困難だとすれば、やゝ朝三暮四の嫌ひはあるが、初期の給與の一部を轉じて、他方に平和精勵なる適任者をして、出來る限り一地に落着いて働かしめるの策を講じてよいと思ふ。

　若い教員の度々の轉任は、兒童に取つてもまた大いなる悲劇であつた。それが人望ある先生であればもちろんの話、さうでなくとも内部の動搖は忽ちに敏感なる幼者の上に影響して、教練の效果のこれによつて割引せられることは多大なるものがある。政府がもし設備と人の配置との大體によつて、一律一樣なる普通教育が、全國に行渡つて居るかの如き樂觀を抱くならば、それは飛んでもない間違ひであるが、更に憂ふべきは市町村の住民と理事者とが、徒らに經費の多少のみを論義して、教育の眞價を測定するの道を知らず、自分等の兒童を不利なる境遇に置くを意としない危險である。公共團體のそれ／”＼の役目を分擔する者の中で、學校職員ほど多量かつ重要の任務に服して居る者は他に無い。その人物と技量學識の高下くらゐ、大きな結果を後に遺すものも無いのである。しかも官廳の介助干渉の繁きになれて、いつまでも委託物の如き感覺を脱せず、たま／＼校舍の美觀を競はんとする町村はあつても、いまだ曾て學校職員の熱情と精力とをもつて、他に誇らうとする者は無いのである。土地が貧窮であつて租税は公費を支へ難いといふ場合には、あるいは教育の恩惠をすら斷念しなければならぬが、さういふ際においても、學校の職員は尚この問題の專門家として、適切なる意見を吐き得る唯一の相談相手でなければならぬ。然るに忽ち彼等を外にして勞働市場の評價を試みんとするのみならず、時としては帝都に近きある一縣の如く、監督官廳の目を脱れて、作爲の文書をもつて公定の給與額を、棄權せしむるを常習とする地方をさへ生じて居るのである。だから初任給引下反對の如き、または平均給與額の維持の如き、運動效を奏し監督は密を極めようとも、直接に問題に干與する者が教育事務の自治に目覺めざる限り、いはゆる教育の獨立は脅かされざるを得ないのである。心ある教育者達の奮起すべき急務は、教(370)育の效果のまづ住民の上に現るゝことを立證し、更に町村を扶翼して、その本然の責務を果さしむることにある。もし幸ひにその範を地方に示し得たとすれば、優遇は恐らくその自然の歸結であらう。徒らに雙方を刺激して使用者被使用者の對立を促さんとするは賛成し難い。ましてや一部中等教員の地位を防護するために、強ひて、これを全國町村教員の聲に化せしめんとするは陰謀である。小學教員の初任給の如きは、多くの地方においては既に十分に低い。これを削減しようといふ無謀の計畫は、實はまだ一般的にはなつてゐないのである。

　世人が際限も無き醜聞の續發によつて、單なる好奇心の刺衝は疾くの昔に通り越し、うんざりさせられて居ることは事實である。豫々社會の上游に住む者の生活振りに、合點のゆかぬ節が少からず、あるいは非法の私を營む者があるのでは無いかと疑つては居たが、よもやこの程度にまで腐敗が廣がつて居らうとは思つて居なかつた。時あたかも外國の官民と、多種多樣なる交渉あるに際して、かゝる恥がましき事件をもつて毎日の新聞を賑はさんことは、彼とこれと何等の關係無しとはいひながら、實はどれ位肩身が狹いか知れないのである。だから假に司法機關の能力の不足に由らうとも、兎に角にもうこの以上に、檢擧し得る不正が無いといふ報告の、正々堂々として發表せられる日を、實は待ちこがれて居るわけである。

　しかもこの事實をもつて、直に與黨のいはゆる刑事政策の目的の到達と解することには、一人の賛成者も恐らくはあるまい。勅選實業家議員のいはゆる陣中見舞金は、少くとも十數年來の惡癖だと傳へられて居る。それが單なる好意であるか、はたまた榮典重職の買得代金であるかの差別は、もはや秋官の獨立不き〔傍点〕の判斷による以外に、これを明かにする途が無くなつて居るのである。私設鐵道賣込の運動なるものは、もつとも猛烈なるものでも多くは三四代前の内閣から開始せられて居る。信用乏しき輩の言には相違ないが、何かといふと死人に口無き者を引合にだして、故意に問題を複雜ならしめんとする努力が見え始めた。あるいはまた俗にいふ抱込みの威迫を用ゐて、乃公一人は安全なるかの如く豪語した者があつたとさへ傳へられて居る。さうして御苦勞にも身の潔白を聲明しなければならぬ者が、日一日とその數を加へつつあるのである。これを打切の好機會の如く強辯せんとする者が新たに疑惑の的となるべきは當然の話で、いかに世情に疎い現内閣の人々でも、まさかに進んでその樣な不利益を招くまいと思ふ者が多いのはそのためである。

　これ等の風聞の多くは根據無く、中には爲にする者の虚構も交つて居ることは、事新しく陳辯するまでも無いこと(372)である。が少くとも流言飛語は増加した。さうしてその害惡と不快とを、より多く流さうとして居るのである。率直にいふならば、政府とその支援者の一部も、疑はれようとして居るのである。この場合における刑事政策は他には無い。彼等しば／＼いふ明るい政治、信頼し得べき内閣を國人の前に建てることである。既成政黨に對する一般的不信用が、かゝる臭い物にふたの方法に由つて避け得るかの如き、臆病かつ盲目なる考へを棄てることである。泥試合の勢ひ窮まるときは、轉じて政敵とでもなれ合ふかの如き、淺ましい外形を示さぬことである。殊に憲政の常道のために、もつとも吾人の耳にすることを惡む流言は、今囘の疑獄事件をよい位にほかして〔四字傍点〕、それを來年の選擧戰に利用する計畫が、最初からあつたといふ類の説である。そんな横着千萬なことが假にも出來るならば、これもまた間接に他人の收賄をもつて、自家の軍用金の不足を補はんとするもので、斷じて政爭を光明に導く途では無い。いはんや事件が展開してやゝ雙方の不正が相殺せられるかの如き形勢を示すや、慌てゝ打切説を持だして少しでも強辯の餘地を殘さうといふ態度を取るなどは、誠に腹の底を見られるやうな拙策である。そんな血迷うた人間が果して與黨の端の方にも居るのであらうか。

　暴力團の取締勵行に對して、警視總監の勞苦が感謝せられ、引いてはその徹底的檢擧方針を指示した中央當局までが、さも一廉の手柄を施したやうに、世間一部の者から認められて居るといふことは、他の側面から見ると實はやゝ心細い話であつた。現政府は去る七月成立の當初、既に全國に命を下してこの種有害なる遊民の掃蕩に着手したにも拘らず、その後半年に近い時を經過して、別にこれぞといふ成績は擧げて居らず、それならば豫め嚴罰の聲に威壓せられて、彼等の多數はへい〔二字傍点〕息四散したかといふと、この頃ぼつ／＼と大頭引致などの聲を聞くのである。彼等が犯罪は常に白晝衆人の前に行はれて居た。さうして必ずしもその所業を隱微に付せず、普通の良民が世途に營々たる間にあつて、公然として不正の收入によつて、美衣美食して憚らなかつたのである。あらゆる惡者の中で、これ位見つけ易いものも無く、また市井幾多の物取りと比べて、これ程大規模なる侵害も他には無いのであつたが、しかもこの長々しい準備期間の後に、やつと若干の特に見逃し難い者を捕縛したことをもつて、我も人も大成功の如き感を抱き、事によつたら一場の苦心談に、耳を貸してもよいといふ位に、喜悦し又慶賀する者の多いのは何故か。特に説明の困(374)難なる一種の故障が、從來この類の檢擧には横たはつて居たのであるか。即ち惡者の立場からいへば、何か特殊の便宜もしくは安全率が、この方面だけにはあつたのでは無いか。果してその推察に近しとしたならば、單なる二三案件の摘發をもつて、世間は到底安どの胸をなで下すことは出來ぬのであつた。

　現在は不幸にして士人と惡漢との差別の、甚だ明瞭ならざる時代である。皮ばかりの名士の公社會に來去するを防がうとすれば、もつとも混入を忌まなければならなかつた時節である。然るに暴力團の殊に慘虐をたくましくした武器は、警察の幹部を親友に持つて居るといふことであつた。被害者をして訴ふるに途なきかの如き感を抱かしめることであつた。これも虚構であり詐術であつたかは知らぬが、兎に角にその口實を支援するが如き、色々の便宜を供與した形跡はあつた。その影響は暗黙の間に、更に警察の配下にさへおよばんとして居たのである。さうして次第にこの方面に對する、威力を解體せしめようとして居た故に、新たにこれを振作することが、案外に困難であつたとも想像せられるのである。以前の司法警察においても、いはゆる放免の徒を密偵に利用する惡弊はあつた。しかしそれはたゞ公安防護の消極的事務のために、末端においてこれを使役するに過ぎなかつたが、それさへ害惡のやゝ著るしきを見て、決然として舊習を改めたのである。今日の警察の本分から考へて、今頃新たに心術の正しからぬ者を近づけて、親交を結ばねばならぬ必要は一つも無い。ましてや彼等に食ひつかれて、縁を絶つことの出來ぬやうな、忌まはしき急處などがあるはずは無いのである。これは全くこの重職激務にある者を、更に陰謀の政治に干與せしめた結果である。政治が下品になつた原因もまたこゝに存する。だから假に從來の慣行であり、また下情に通じた一大官を、機密に參加させることは便宜かも知れぬが、この際は永年の積弊を根絶するの趣旨をもつて、忍んで警視總監等をしてその努力を本業の上に專らならしめたいものである。

　さうで無いと市民の不安は、加はるあつて除かるゝ見込は無いのである。今囘の暴力團退治は、今までの態度が極端に放縱であつただけに、何人の目にもこれが反動作用であることは察せられる。もつと率直にいへば政友内閣の時(375)代に、特に愛護を蒙り便宜を許容せられて居た輩が、まづ嚴しく取締られんとして居るとしか見えない。それすらもこの通り中々一筋なはでは始末し得なかつたのである。さうしてまだ許多の無頼漢は外に立つて見て居るのである。二種の危險は尚依然として存在する。その一つは次の内閣におけるある者の復活であり、その二は民政黨系の惡漢の、新たに育成せられはせぬかといふ懸念である。その樣な不快な臆測を受けることは迷惑であらうが、今の内閣も檢擧の問題については、必ずしも私心絶無といふことを立證して居ないのである。

　濱口首相は白面の一書生では無い。この際具體案を伴はざる産業合理化論などを、聲高に提唱するに適しない人であつた。然るにも拘らず世上が彼の言によつて、幾分の興味を釣られようとして居たとすれば、それは全くこの金解禁時の經濟不安に直面して、今尚若干の非合理が日本の産業に潜在することを、意識する者が多くなつて來た兆候である。さうして彼ならばまだ何事かをなすかも知れぬと、期待する者の今でもある證據なりと、やゝ樂觀的に解することも許されたのであつた。ところがさて實行の方策をいよ／＼公示する段になつて、堂々たる主管三大臣の腹案が、何であつたかと問へばまた調査會、また委員を設けて大いに論じてもらつて、その最後の答案について、更に考慮するといふことに落ちてゆくらしいのは、殊に近頃の經驗に基いて、吾人の失望落膽を禁じ得ざるところである。政府が一旦自分の新政綱を掲げて置きながら、最初から大體の標的をも擧示せずに、自由なる論議に日を費さしめるといふ方法は誤つて居る。この點がまづ今少しく合理化せられないと、國民は結局空論に耳を傾けたことになる恐れがある。

　米穀調査合がもとう〔傍点〕合の衆であり、各員相容れざる利害を代表して、頭數をもつて強ひてその主張を爭はんとする意氣込があつたことは分つてゐる。しかもこれ程長い間の辯難討究を經て後まで、尚割據の勢ひを持して相降らず、僅に一二票數の差異をもつて、右か左かの重要政策を決しなければならぬなどは、實は合議體としての機能を完うしたものと認め難いのみならず、かゝる一種の經濟競技を計畫して、今まで面白げに見物して居た政府も、決してその(377)當初の聲明に忠であつたとはいはれぬのである。今日の結果に據つて判斷すれば、第一に政府はこれ等委員の選定において、甚だしく不公平なる配分をして居たのであつた。委員の多數が單なる一個公人として、國家總體の立場から時に合うた良案を採擇し得る能力のある者ならば、この選定の當否は必ずしも大いなる問題でなかつたかも知れぬが、今度のいはゆる調査の如く、最後まで一階級の要望を固守し、寧ろ中立白紙の少數を左に誘ひ、右に引張るの苦心をもつて終始するやうであつては、最初から殘されたる需要者の一團のために、相應なる員數の強辯家を指名して置かなかつた不親切が殊に甚だしく目に立つてくるのである。もし傳へられて居る小委員會の決議が全部であるならば、この一國大多數の消費者の利害は、あの中には爪のさきほども代表せられて居ないのである。それが果して濱口内閣なるものゝ素志であつたかどうか。參考のためにこの際是非明かにして置きたいと思ふ。

　次に注目せらるべき合理化の委員なども同じだが、もし單なる各自の工場、各自の投資事業を顧念する者に、この大問題を委託して置いて、それで怠慢なり誤判なりの責任が、一部でも轉嫁し得るものゝ如く思つて居るならば、それは大いなる料簡違ひである。彼等は當業者としての實地知識は持つて居るが、その私人的注文は政友内閣の時から一貫して、必ずしも次の政府の革新の趣意を體しては居ない。寧ろ變動に臨んで既存の利益をかばひ、若くは限られたる各自の局面に、便宜なる轉囘を導かうとして居る者があるかも知れぬのである。さういふ連中の多數を相手として、果して一般産業の合理化が企てられるか否か。それが早既に一つの疑問である。少なくとも彼等の多くの者は都人士であり、またいはゆる實業家である。果して米穀調査會などにおいて、全然度外視せられた農業の合理化まで、その目が屆くかどうかは覺束ないものである。

　農業の合理化はその生産者もまた久しくこれを期して居る。元來彼等の推進せんとするは純益であつて、もし生産費を省いて産物の市價を低め得るならば、それを悲しむ者は耕作者の中には居ないのである。消費者の利害との安全なる妥協は、たゞこの一路にしか求め得られない。それを合理化といはずして他に何物があらう。然るに高の知れた(378)租税の減免、肥料材料の市債低落を急呼する者はあつても、いはゆる「必要以上に過大なる」土地資本の、切下げを企てんとする者は一人も無い。これが出來ない以上は生産費の低下は、ほとんと見込が無いことは明かなるにも拘らず、寄つてたかつて現在はこれを支持して居る。即ち消費者の利害の無視せられる必要さへあつたのである。一方に産業の合理化を唱へながら、他の一方には現在の生産費、生計費によつて、米價の基準を作らんとする説が、成立せんとして居るのは奇觀である。澤山のゆきがかりと思惑とを經由して、今日の土地相場は出來て居る。昔もこんな時代はなく、將來も恐らく永くは續くまい。その現?を維持しなければならぬといふことが、もし合理化先生の内閣において確定するならば、政治は結局口先の事業に過ぎなかつたといふことを、彼等自ら證明したことにもなるのである。

　しかしその問題を研究會の常務委員會なるものが、力説することだけは意外である。日本の鐵道會議の古傷古病ひは、もとこの機關を政府案通過のレールとし、兩院の議員をその枕木に使はうとした點にあつた。その結果が僅なる吹込知識を振舞はして、私恩を地方人に賣らうとする者が、獨り選擧を生命とする代議士の間のみで無く、縁もゆかりも無い上院議員の間にも生じ、鐡道の問題は情實に由るにあらざれば、到底解決する見込無きが如き忌まはしい傾向を養つたのである。今囘はその年來の惡習を一掃する必要に迫られて居るのである。果して政治の拘束を受けない良心ある鐡道會議議員を主とし、議院各派の權衡などは問はず、獨立自由に國家の立場から、賛否を決し得る者のみをもつて、新たに鐵道會議を構成すべしといふ立案を、なし得る者が研究會にも居るのであらうか。

　緊縮主義内閣の交通改良政策として、いはゆる自動車網案の提出せられんとするは意外で無い。殊に江木鐵相が在野時代から、反對派の増設方針に對抗して來た論據の一つもこれだつたとすれば、その弊害暴露の今日の如きは、ちやうど力こぶのいれ時であるかも知れない。調査會の議案の今度發表せられたものを見ると、約半分までは非常なる難工事地で、假に敷設豫定線中に掲げて置いたところが、事實において實現が遲れがちであり、結果は地元住民の希望を釣るに過ぎぬ線路である。もし急速にこれを自動車が通ふことゝなり、道路もそれに相應した改修が加へられるならば、今まで閉そくされて居た二府縣間の經濟關係が開けて、後來自然に鐡道架設の必要を、公認せしめる機運を作るかも知れない。話ばかりでいつも釣つて置かれるよりは、その點は少なくとも土地のために望ましいことである。

　然し政府も既に認めてゐる如く、自動車網なるものは要するに間に合せである。決定した以上は急速にこれを施行して始めてその價値がある。八十二線三千何百マイルなどといふ、どう變るかも知れぬ内輪の案などを公表して、來年度はたゞそのうちの一小部分しか開かれぬと稱し、そこに競望の餘地を開かうとするのは宜しくない。氣のまはる人々は、鐵道當局は今までの政略鐵道案を一氣に覆へして置いて、今度は自動車線路の甲乙選定をもつて、安上りに地方を操縱せんとするものゝ如く解して居る。由來鐵道省は威福をろうしたがる者の、盤據せんとした地位であつた。然るにその年來の惡聲を一掃し、こゝに時代の親切なる應急政策を行はうとする人たちとしては、全體に今囘の自動(381)車網案なるものゝ廣告ぶりは不用意であつた。名ばかり自動車網で實は片絲であるのもまだ致し方が無い。願はくはこれをもつて地方人を釣し、網するものとするが如き、忌はしい邪推を受けないやうにしてもらひたい。

　問題の難點が非常に深い底の方にある爲に、あるいは一國の機關にその解決を託するの他無きが如く、考へて居た者も多かつたやうであるが、最近の實驗はほとんとその期待を裏切らんとして居る。たとへば市中小商人の最初の不安は、全く百貨店の壓迫に根ざして居たのであつた。然るに將に提出せられんとする答申案の内には、小倍商自身もまた結合して百貨店になるべしといふ一項があると傳へられる。雨が降れば水爭ひは無論やむ。その代りには結合し能はざる小賣商が少しでも殘る限り、それだけは更に何倍の壓迫を甘んずべしといふ案である。假に歳晩の不景氣時(382)代に優に間に合つたとしでも、やはり救済とは無關係な、遠大の謀ごとであつたかも知れぬのみならず、さしも結構なものゝ如く認められる百貨店そのものが現在は既に大規模の苦惱を味ひつゝあるのである。

　小倍商人の數の過多なることは、諮問者自身でもとくにこれを知つて居る。今日はもはやこの事實を否認し得る者は無いと斷言しても差支はあるまい。多過ぎるが故に共難儀をして居るといふことがたしかならば、特に手數をかけて審議をして見ずとも、數を減ずればよいといふ結論は當然に出てくる。しかもこの單純極まる常識を、單純に表明し能はざる者がこの間題を管理して居るのである。希望無き遷延は生殺しである。この際は寧ろ速かに未解決の解決に見切りをつけて、別に各自の行く先を考へて置くのが得策では無いだらうか。

　小賣機關の過剰は單に店ぽの敷ばかりでは無くなつた。同種商品の供給總量が、現在はまた不必要に多くなつて居るのである。これは實際の用途を測算のうちにいれなかつた無差別なる生産奬勵の結果であつて、政府國民は共に一部の責任を免れることが出來ない。この傾向の行止まりとしては、今や大部分の生産業者は始終その製品の倍拔けにきふ／＼として、高率の割引をもつて昔ながらの小倍口錢を支持し、いつまでも小賣を安全なる遊民の隱れ家としたのみならず、一方には更に百貨店經營の興味を多くして、終に今日のやうな必死の競爭を誘ひ來つたのである。僅ばかりの消費節約の聲にも、忽ち顔色を失はなければならぬ樣な、形勢は豫め作られてあつたのである。反動内閣の緊縮政策なるものは、當然にこれだけの影響を覺悟すべきものであつた。この期に臨んで小賣制度の改善の至難であることを、新たに發見するやうなことは無いはずである。

　新時代の都市住民の中堅をなす者が、何一つの豫備知識をも持たずして、たとへ小なりとも商業と名のつくものに、從事し得るといふのは不思議であるが、實際は多數のもつとも不用意なる人々が、たゞ流行に引かれて新たにこの中に入り込んで居る。小賣は細元手をもつて何人にも取つき易い職業として、いはゞ失業のがけの縁を歩む人々が、際限も無くこの群に加はつて來たのである。これを自然の現象と座視して何の對策をも講じなかつた者が、突如として(383)その過剰を説くのはもちろん殘忍であるが、經濟の法則は恐らく致し方があるまい。消費者階級の自覺が進むと共に、もつとも不適當のものから段々に、選り除けられることだけは豫想しなければならぬ。

　この點にかけては行政官廳の能力は、實は最初から非常に限られたものであつた。政府がこれだけ剰つてをり、またこれだけ不向きなる小賣商人に對して、尚廢業轉業を勸告し得ないのは、必ずしも遠慮で無く、また失業の後始末に責任が取れないためでも無い。實はそんな判別をするだけの方法が一つも無いからである。これをなし得る者は顧客の來往であり消費者の判斷である。あるいはこれを都市自身の生活意識と名づけてもよいかも知れぬ。農村の住民はしば／＼誤りつゝもなほ昔からの共同意識をもつて居る。都市の自存のためにどれだけの消費、如何なる供給方法を持つのが至當であるか。それを決する力は住民の總意にある。從來はそれがほとんと睡つて居た。それを尚暫く睡らせて置かうとするやうな姑息な改善案は、實は單なる破綻の延期に過ぎなかつたのである。

　近く全國高等學校以上の學生生徒主事の會議が、新任文部大臣の前で開かれることになつた。今度の大臣の長所はもし一つしか無いとすれば、それは彼が世故に長けたる苦勞人だといふことであり、假に七つばかりあつたとしても、教育界の情實に通曉して居るといふことは算へ込むことが出來ぬだらう。ある側面から見ればこれもまた利用しなければならぬ一機會である。かういふごく素人の常識から考へて、過去二十何年もの間引續き、毎年ある季節になると必ず全國のどこかの學校で、ほとんと年中行事の如く校長の排斥、同盟休校の騷ぎが持上り、何年經つてもこれを豫防する方法が無いといふ事實は、如何なものであらうか。殊にそれを一つの理由にして、主事といふやうな特別の制度を開始しながら、それが今もつてこれといふ效果無きはさて置き、手段そのものをさへ今から評定しようといふ?態にあるのは、果してよき手順、適切なる應急策といへるものかどうか。これ等の問題は寧ろ餘り色々の内情を知らぬ人に、考へさせる方がよいと思ふ。時あたかも一二の高等學校において、ほとんと常識では理解し難い動機の下に、相も變らざる大騷動が始まつてゐる。實例として不足は無い。願はくはこれを一個地方の青年群の問題としてゞ無く、幾何の同齡階級がこれに由つて、いつまで惱まされなければならぬかといふ意味において、もつとも率直なる判斷を下してもらひたい。

　國の優良なる後繼者を育成するといふ上からいへば、心ある國民は皆彼等に對する父兄である。この千百人の間において僅に一人に付與せられる境遇と、限りある學問の年數とが、十分なる平和をもつて利用し得られないといふこ(385)とは、一般公共の立場からいふも大事件である。理非の判別の如きはこの騷動が發露してから上のことで、それがいづれに決して見たところが、到底この不幸なる損失を償ふことは出來ない。解決すべき痛切なる難關は、如何にすればこの樣な團結反抗の氣風、寧ろ惡へき〔二字傍点〕と稱すべきものが、常に日本の高等教育機關に、培養せられて居たかである。新たにその病根を現下の學校制度そのものに探るべしといふ意見が起つて來たといふのも、あるいは素人文相出現の偶然なる影響かも知れないが、それにしては餘りにも現?の保持に忠實なる校長主事の解説をまづ謹聽しようとするのは考へものである。

　これと同時に今後の方針の決定に向つて、學生生徒の意見を徴せんとする計畫にも、吾人は到底賛成の意を表することが出來ない。赤化運動潜入の風評は別問題として、彼等の間にも許多の勸説激勵と、その感化のあることは爭ふことが出來ない。一旦雄辯なる少數が群の空氣を動かし得た以上は、殘りの半以下が大勢に聽從することは、これを制止する途が無いのである。しかも平日個々の青年について、その望むところを尋ねて見たならば、靜かに三年の學業を完成して、學び得る限りを學びたいと、答へざる何人があるであらうか。否たとひ同盟休校のたゞ中においてさへも、由無き爭闘の突發のために、貴重なる學窓の日を浪費したことを、内心悲しみつゝある者は少くは無いのである。

　彼等に問はなければ學校生活の當初の趣意、將來の希望と計畫、乃至は何を欲し何を厭ふかを知ることが出來ないやうでは話にならない。固よりその要求の中には個人の偏見もしくは思索の不足に基いた不可能事を含むに相違ないが、それが全般に滿ちわたつて、一つの反抗的大勢を作りあげるまで、何等のきやう救を試みずに置く道理は無い。知ればもちろん試みたはずであるから、實際はこれを知らぬか、少くともその結果を推測することが出來なかつたのである。然るに近年の文部省は努めて學校騷動の無效を實證せんがために出來る限り主任者を支援せんとして居る。その卑近なる動機はこれを認め得るがたとひ事後には窮迫したくない事情があるにしても、少くとも事前の責任だけ(386)は堂々とこれを問うてよろしい。然るに全校蜂の巣をつついたやうになるまで、これに向つて何等の處置を取り得ない者が、往々にしていはゆる指導の任に當り、または新たに意思疏通の方法を講ずべしといふ論を立てゝ居る。病の源はあるいはこの職務に對する自覺の缺乏にあるのでは無いか。直に學校制度の改革といふが如き實現困難なる空論を交換する以前、考へて見てよい弱點はまだ殘つて居る。

　舊來のいはゆる指導階級の立場から見れば、本年は隨分惡い年であつたといふべきである。今まで久しい間曲りなりにもせよ、どうにか動かして來た政黨内部のからくりを、丸ごと明るみへ表白しなければならぬ情勢が内に迫つて來たのみならず、外には的中の見込みも無い豫言を、なほ引續いて要求せられて居るのである。いつの政局にも解散の機運少しく動けば、議員はざわめくものと相場がきまつて居るが、今囘の如く露骨にして、しかも哀調を帶びたる(387)前例は無かつた。囘避運動の痛烈なることは、當然に局面の大いに展開すべきを意味する。革新を企圖する人々に取つては、この聲は更に前途の希望を新たにせずんばやまぬであらう。

　普選第一次の成績は、實驗者の説を組合すれば失敗であつた。これは何よりも大いなる遺憾であつたが、少なくとも忘るぺからざる教訓だけは遺してくれた。惡いことをしない限り、到底前通りの選擧は遣り切れないといふことが、即ちその教訓であつた。しかうして次に來るべき第二次の總選擧も、依然として前囘の醜態をくり返すに過ぎまいといふ某君の豫言は、幸ひにこれを信じ得る者が甚だ少ないのである。人は必ず試みに問はんとするであらう。如何にすれば來年も田中内閣時代の如き、馬鹿げた普通選擧をくり返すことが出來るといふか。犬養、濱口兩者の財布の重みは問題で無い。また法定費額の條文が、勵行せられるか否かも問題でない。たつた一つの問題はたれが一體今日の形態の下において、うま／＼と政客の口車に載せられ、選擧の御用金を納めるであらうかである。あるいは少々の淺慮なる者が、今でも政府の御用ならば勤めても損をすまいと思ふこともあらうが、その金をかき集めて二千萬圓の公認料式選擧を行はうとしたら、それこそこの次は政界實業界の巨頭たちが、一人も殘らず後へ手である。爪のあか〔二字傍点〕ほども先見の明ある者ならば、少なくともこれを口實にして誅求を避けるであらう。

　だからこの次の總選擧は、金無し選擧にきまつて居る。現内閣が吾人の忠言を容れず、選擧費調達と鐵道疑獄との關係を、皮をむき肉を顯はして萬人にさらけだすまで、解散の斷行を延期したといふことは、この意味において偶然の手柄であつた。だからこの樣な金無し選擧が行はれ得るのである。これを前囘も同樣の選擧なるべしと豫言する人は、最善意に解しても盲である。金が出なければ許多の自稱顔役連は運動についてこない。若くは定評ある惡町村は棄權してしまふかも知れぬ。少なくとも歸屬の未定なる散票は多數に上り、分野の豫測については新聞記者が惱むであらう。さういふ新たなる弊害の、更に第三次以下において改良しなければならぬものは生ずるかも知らぬが、兎に角に同じ選擧はくり返されるはずがない。さうして現代議士中の自信無き者は、これを何よりも迷惑に存じて居るの(388)であるひ即ち彼等ほど能く自ら知つて居る者は無いのである。

　濱口氏の内閣の無意識なる功勲は今一つ、全國のあらゆる公團體に活をいれ眼を覺まさせて、まだ格別の我流政見を吹込んで置かなかつたことを算ふべきである。日本のいはゆる教化諸機關の如きは、出來てからまだ二十年を經たといふものすら少ない。普通ならばその存立の本旨に從つて、今頃は盛んに活躍して居なければならぬのだが、それが二三の幹部任せで、外から大いに刺激しなければならなかつたゞけは事實である。さうして兎に角に新政府の方針に由つて、總動員をしたことばかりは事實である。その原動力たりし一大臣は、他に理由があつて罷めたけれども、幸ひにしてまだ自分を手本とせよとはいはなかつた。個々の團體は單に背を打たれて、はつと驚いてそれ／”＼の部署についたのである。彼等は公の幸福を唯一つの目途として世に生れた。彼等の世の中を視る角度はそれ／”＼に別でなければならぬ。足腰不自由なる舊指導者から、眼をおほうて引囘される必要は少しも無い。處女會にも物を批判する力、青年團にも理非を見わける資格が具備して居る。それが意外なる早き選擧に際して、改めて朝野兩黨人の是非、もしくは雙非をすらも裁定する事を許されるのである。春來りなば、鳥は野になき花はその自然の芳香を放つべきである。玄人の豫言それ何するものぞ。

　過去四十年の代議政治に携はり、立憲の常道を講説し來つた先輩政治家等が、今においてその一生の辛苦の甚だ徒じ〔傍点〕なりしを發見したことは、何としても同情すべき失望には相違ないが彼等もし強辯ならずんば、そこには必ずいまだ思ひ至らざりし、潜みたる幾つかの原由が指摘せられるはずである。率直にこれを當來の投票者に向つて表白することは、恐らくその政治教育的效果において、却て第一次の説法に勝るものがあるであらう。故に國民はまづ最初にはこれを要望し、更に進んではその果して事實に合するや否やを驗すべきである。

　いはゆる政治腐敗の眞因の一つとして、一般有權者の内省の不足、もしくは國政の發達に對する冷淡を難ずることが、今日では一つの流行の如くなつて居る。これが一種のとん〔二字傍点〕辭に過ぎなかつたかどうかは、この革正期の總選擧に先だつて、特に討究せずには居られない大問題で、これを問題として提出してくれただけでも、もう一つの功勞といつてよいのであつた。舊來の政治家たちは、以前その受賣の學理を説くに當つて、常に概念の標準公民を假設するの弊があつた。それが永年の實驗に基いて、漸く情實の地方によつて區々であり、人に理非曲直の著るしい差等のあつ(392)たことを、無遠慮に言明し得るに至つたのは進歩であるが、これを全國の普通の?態一樣の傾向と目するが如き説をなすことは、實はまだ甚だ輕慮なる獨斷であつた。「清き一票」は不幸にして既に僞善者の標語となつたが、少なくとも公明正大の態度をもつて選擧權を行使して居る人々は、各々起つてこれに抗議して然るべきである。

　ところが近頃數囘の選擧を囘顧すると、投票買收の惡癖は、往々にして以前正しかつた土地にまで浸漸して居る。いはゆる金力候補の出現によつて、一たび私曲の利を味はつた土地は刑罰の恥をさらすまでは改めない。さうしてその周圍には寧ろこれを常例と見て、その脱法手段の巧妙を感歎しまたは模はう〔二字傍点〕せんとする多數の觀察者さへあるのである。日本國民の持傳へた道義律は、今までは總て郷黨によつて管理せられて居た。假に個人の不正にして害惡を他におよぼさぬものでも、尚非難攻撃の的となつて、その存立を許されざることが、我國の著るしい特色であつた。然るにひとりこの主要なる公生活の不正のみは、ほとんとこれといふ制裁も無しに、勝手に蔓延しまた傳染することが出來たのであつた。これをしも内省の缺乏とし、國民がいまだ全力を擧げて議會を愛する能はず、法令を尊重する能はざる結果なりと評するは理由のあることで、假令各人は自身何等の後暗い事をしなくとも、尚連帶して國の憲政の一時的衰微に對し、責を負はねばならぬのであつた。

　今の選擧法を存分に改定したならば、直に政治を清く明かなるものになし得べしと、斷言し得ない點に國民としての苦惱がある。日本の議會は解散を前に控へつゝ、尚無數の建議案をお土産にせんとする議員あり、成立せざる法案の數十件を、單なる世間體のために準備する官廳ある如く、久しく效果も無い空文の陳列に、大切なる立法機關を利用せんとして居たのである。たゞに一個の選擧法のみといはず、利息制限法は三十餘年前の舊法であるのに、それを今頃になつて勵行したといつて、手柄顔する警視廳があれば、禁酒禁煙等の罰則ある法則を設けながら、府縣は手加減をもつて、その適用をさし控へて居た。法が空文になることは滅亡で無くてはならぬ。それが行政官吏の任意によつて、活殺自在の?態に置かれるといふことも、明かに立法機能の退縮で無くてはならぬ。良き議員を送つて立派な(393)る議會を造るのも、目的は活きた法律を定めるためであるのに、全然その結果に向つて無關心であつたことが、つまりは今までの選擧を無茶にして居たのである。議會が單なる一種の舞臺藝術の如く、觀望せられて居たのもそのためであつた。幸ひなことには今囘の暴露は、國民の意識せざる法律の制定が、たゞ無益の混亂を招くに過ぎなかつたことを教へた。さうして多くの社會改良方策は、いづれも有效なる議會の出現を待ちこがれて居るのである。果して新たなる選によつて、どれだけまでその希望を達し得るか。僅にこの一點に心づいたゞけでも、政治はもう革正の軌道の上に乘つたといつてよいのである。

　單に文字の表面から見ると、無産各派が産業の合理化運動に、反對するといふことは不思議である。このほとんと無意識に近き永年の流弊、何人の眼にも既に顯著なる經濟組織の非合理?態に、強ひて踏み止まらんとする者が彼等であらうことは、到底常識をもつて想像することが出來ぬからである。しかもこの運動の發頭人等が高く掲ぐるところの九つの項目が、果してその「一切の問題」の主要なるものだつたとすれば、吾人は勞働階級の利害を切思する人々の不滿不安をもつて、相應の理據あるものと認めざるを得ないのである。このいはゆる合理化は、明瞭に勞力需要の省略を一つの目的にして居る。さうして今までの多くの改良案と同じく、剰つた人間の智能をいづれの方面に向つて、新たに利用せしむべきかには論及せざらんとして居る。依然たる私企業の忠言者である。天下がこの合理化の好(394)文字によつて、當初期待して居たものとは大分の開きがある。いはゆる國力充實の程遠い希望の前に、まづ眼前の失業苦を更に痛烈に味はなければならぬ懸念は大きいのである。だから獨り直接の影響ある勤勞者の團體のみといはず、心ある者は何人も安閑として、かゝる審議の進行を座視し得ないのは無論ながら、それは要するにたゞ合理化方法の緩急と得失とを、更に綿密に討究すべき理由であつて、いまだ合理化運動そのものゝ、忌み嫌はるべき理由にはならぬのである。與へられる絶好の機會に對して、僅に一片の消極的故障を投つけ、結局はこの大切なる一標語をもつて、在來政客の人氣取手段に委讓するが如きは、殊に新興の無産各派のために、その無氣力を悲しまざるを得ないのである。

　政府が假に資本家企業者等の一方に偏して、彼等の合理化のみを審議せんとする傾きを有つとすれば、これに對立して更に今一段と廣はんなる、合理化論の交換せられる必要あるは固より、幸ひにして企てゝいまだ思ひ至らざる點があるのだとしても、これを補充訂正するの責務は吾人に在る。近頃商工大臣が公表した單種多産主義の意見なども、あるいは單なる米國流の受賣かは知らぬが、少くとも豐富なる注脚を加へた上で無いと、彼の所屬する一國の現?には當はまらない。これは察するところ生産に模はう競爭ばかり多くして、徒に無益の消費を誘導するといふ一方の弊害だけを防がうとした説であつて、假に國民が從順にその説を容れ得たとしたら業を失ふ者はたゞに現在の賃銀勞働者のみでは無いのである。個々の生産事業には恐らくは無益なる重複があり、合同結合もしくは優秀の地位に在る者の獨占によつて、以前と同一以上の效果を擧げることも、必ずしも不可能で無いであらうが、その不用に歸したる勤勞なり設備なりを、豫め何に轉用するかを決してかゝらぬ以上、それはたゞ分配の新たなる混亂を添加するに過ぎない。折角各人が指導者の手を離れ、個々獨自の才能を働かせて、その生産の變化を企てようとする矢先に、これを引戻して一部の能率の増進に便ならしめんとすることは、その結果から見て決して國力の充實にはなり得ないのである。

　現政府の對失業政策については、多分の信頼を拂ひ得た者は最初から少かつた。それが何を感じたものか新たに又この樣な大規模の無職群を、計畫して作らうといふのである。無産政黨が甘心してその政策を支持しないのは當然といつてよい。しかもその無産派にもまた責めなければならぬ心得ちがひはある。第一には政府がもつとも適當なる失業問題の解決者であるかの如く、今でも思つて居ることである。第二には國の實情がまだ個々の獨立した小生産者を存立せしめ得ることを省みずに、是非ともこれを給金勞働者の階級に引いれて、それからその力によつて政治を行はうとして居ることである。第三には日本が特に失業の危險の多い國であり、それが常に彼等の結合の力をおびやかして居ることを感じつゝも、いまだこれに對して何等の方策を考へださうとしなかつたことである。更に第四の弱點としては、これほど意味の深い産業合理化の標語を、やみ／＼と資本利害を代表する人々に取上られて、今更效果も無い愚痴苦情をこぼさうとして居ることである。彼等が國を濟ひ得る日は果してくるだらうか。

　どうして日本語が今のやうに、學びにくくまた使ひにくい國語になつたか。その原因を知つて置かうとすれば、當然に國語純化の問題にぶつからずには居られぬだらうと思ふ。現在は日本人どうし、僅に教育ありといふ者の話して居るのを聽くと、十語に一語は横文字の口移しで、中には「新語辭典」にもまだ出て居ないものを、わざと使ふかと見られる人さへある。四つか五つの幼兒のする言語練習を、髭くひそらした大男が眞似てゐるのである。漢字は恐らく棄てゝ置いても自然に制限せられ、あるいは全廢の希望すら絶無では無いか知らぬが、今の國風ではその代りのものが必ず現れる。それは片假字だから又はローマ字だから、差支ないとして棄てて置くかどうか。我々の國語が成長すべくして成長せず、如何なる無理な文章でも直ぐに手本となつて、寧ろえらい人の證據のやうに認められたのは、いはゞ古代における國語愛の缺乏の結果では無いか。日本人ほど母語を粗末にする民族も珍しいといふ評判にも、反省しなければならぬ千年來の過失があつたのでは無いか。

　肥料配給方法の改善が、若し幸ひにして農林省の豫想の如く、産業組合の性能を發揮せしめる機縁となり得るならば、それこそ確にうそから出た誠である。前内閣の肥料管理法案なるものは假にそれが實現して居たとしても、何程の農村振興に役立つたのであらうかは實は疑はしいのであるが、何分あの當時の觸込が大きかつたゝめに、地方には今もつて若干の期待をこれにかけて居る者がある。政府の無爲無策と眼前の不景氣と、直接因果關係があるものと信ずる以上は、假に町田農相ならずとも、到底この問題に少しも手を着けずに、棄てゝ置くことは出來なくなつて居たのである。ところが時あたかも解散の濃厚なる雲行に面して、法案通過の見込みは遠いのみならず、財政も窮屈であ(398)つて花々しい豫算を阻むことが出來ない。しかもこれ以外には何一つとして、まだ農村の投票者に示すべき計畫は立つて居ない。そこで大風が吹いてをけ〔二字傍点〕屋が繁昌する如く、偶然に産業組合の本分が論ぜられることになつたのであるが、結果においてはそれもまた結構なことといつてよからう。

　日本の産業組合は今や大きくなり過ぎたといふ程によく育ち、また丸々と肥えて居る。獨立獨歩が出來るかどうかの心配はとくに通り越して、現在は寧ろ餘りに商事會社の眞似をすることを、用心しなければならぬ時代に達して居る。從つてこれに、肥料配給の重大なる特權を握らせるには、當然幾つかの新條件をつけなければならぬのである。これは必ずしも從來濫用せられて居た地方肥料商の立場を保護し、今更競爭の公平を期するといふやうな動機からでは無い。個々の取引の方法こそは似て居るが、組合と商店とは根本の利害が異なつて居るはずであつた。組合がもし組合員を單なる花客として、自家の利得を目途に活躍するだけの法人であつたならば、租税の免除、中央地方の補助、その他各種の特典をもつて、これに優越の地位を認むる根據無きは固より、強ひて一方の事業を奪つて、移して全購聯なるものゝまうけ口たらしむる理由もまた無いのであるが、果して主務官廳にはこの産業組合制の本旨を徹底するだけの、十分なる監督が出來るのであらうか。

　現政府のいはゆる消費節約方針は、時として個々の販賣業者の不運と失望とを、無視してまでも行はれんとして居る。然るに消費者の利害を結合して、專らこれを防衛するがために設けられたる購買の機關が、普通の問屋同樣に、單に賣上總高の増減のみを標準として、その事業の盛衰を占なはんとする樣な氣風を生じて居たとしたらどうなるか。この點は地方多數の信用組合、殊にその聯合體においても常に氣遣はれて居たことではあるが、今度新たに肥料の一手販賣が彼等のために公認せられ、在來の高利貸兼業に近かつた肥料商店の地位を、組合そのものに引繼がしめんとする計畫あるに際しては、更に一段とその論究を必要とするのである。

　商店式購買組合の弊害は、必ずしも反對者の故意の惡聲のみと、聞き流すわけにはいかぬものがある。殊に今日の(399)やうに少數才幹ある理事者が重任して、總會の意思表示は形式に止まる場合には、名は組合でも實はその間に主客の別を生じ、消費者の利害は依然として、問題の外に置かれがちである。いはゆる農業能率の増進は、今尚耕地の擴張と既存田畑の極度の利用とを目標にして居るかと思はれるが、從來農家の生産の主要なる一つであつた自給肥料が、もし外部の巧妙なる勸誘によつてこと／”＼く金肥と代り、しかもこれに費されたる人の智能勞力が、何等の利用を見ること無しに終るとすれば、それから生ずる私經濟の缺損は補充するの途が無い。産業組合の理想は消費者自身の實驗を基礎にして、買はずともよい肥料を買はせぬ樣に、若しくは不向きなる肥料を賣らない樣に、即ち出來る限り賣上總高の、減じてゆくことを努めてゆくことにあるのだが、それが果して今日の組合業者に企てられるか否か。農林省の計畫では、肥料配合の適否は別に研究所を立てゝこれを研究し、その結果をもつて農民を指導し、また組合の賣込熟を加減するにあるさうだが、この大切なる消費者の團結に對して、僅にその程度の信用しかもち得ないで、これに配給の全權能を付與しようといふのは、幾分か子供に刃物の嫌ひはあるまいか。單なる一時の責任逃れの肥料政策で無いならば、願はくは今少しく詳しく、これを現在の産業組合に委託した理由を、説明してほしいものである。

　市民が自ら作つて居る常設の商工會議所、もしくは實業組合の聯合會よりも、より深く小賣商疲弊の實情に通じ、これが救濟の方策を審議するに適した機關は無い方が本當である。從うて如何なる商工審議會といへども、その意見を無視しては到底實現し得べき改善案を立てることは出來ぬわけである。がそれだけ有力なる利害團體の反對論であるからには、たゞ折角提供せられたる一つの計畫に、難癖をつけるだけの消極的のものであつては困る。何か自分の方でもそれよりはかくするが宜しいといふ代りの案を示すやうでないと、見方によつては現?の保持をもつて、滿足するかの如くにも解せられるから損である。

　百貨店の急激なる進出が、豫想外の壓迫を彼等に加へたことは事實である。國家が今更その機運を促進する必要も理由も無いことはこれを認めて居る者が相應に多いであらう。しかもこの百貨店の大資本主義と、消費者本位をもつて公認した市場とを、一括して敵とし排除するやうな態度は、餘りなる利己主義ではあるまいか。東京商工會議所の商業部では、公設市場の組織などは「姑息の策」だと決議してゐるが、彼等が姑息で無いと信ずるものは果して何で(401)あるか。この點を少しも明かにして置かずに、たゞ政府の救濟を期待してゐる方が、何層倍姑息であるか知れたものでない。

　以前の總選擧においても、既にこの問題は幾度か注意せられて居たのであるが、今囘は特に徹底的にこれを論究し、また省察しなければならぬ必要を感ずるのである。けだし政治の革新を急務とする一國家としては、今までは實は餘りにも先例に囚はれ易き嫌ひがあつた。その先例の始めて成立した當時を囘顧すると、往々にして輕慮の妥協もしくは不用意なる黙認によつて、偶然に世論を喚起することなくして、過ぎたといふだけのものが多いのである。それが隱約の間に重積した場合ですら、尚流弊の拔き難き結果を見ることが希でない。ましてやこのたびの未決囚人の逐鹿に至つては、前にもこれと似た事が少しくあつたといふのみで、いはば惡先例の大飛躍である。假に國民の間に何等の疑惑を抱く者無くして、平然としてこの事態を看過するやうなことがあつたとすれば、子孫後生の選擧遺德、即ち今人の名づけて公民教育といふものゝ效果が、如何なる變化を見るやも測り知ることが出來ない。影響は非常に廣くかつ大である。ひとり二三の選擧區の名譽不名譽といふが如き、微細なる問題ではないのである。

　無實有實は固よりこの際の論點ではない。この一世を驚倒せしめたる大疑獄は、少なくとも單なる個人の破廉恥罪の集合ではないのであるがために、始めて犯し得るところの罪名であり、また議員たらんがために行はんとした惡事(402)なりと認められて居る。即ち選擧そのものと因果密接の關係があるのみならず、折角新たに設けられた普通選擧の清流を、初頭から混だくせしめたのもその力であつたとまづ世間では想像して居るのである。もちろんこれに對しては良心といふ語がしば／＼用ゐられた。ある良心が少しでもやましくないことは、せめてもの一る〔傍点〕の望みではあるが、少なくとも朝野兩黨の要部においては、この事件があつたために突如として選擧革正の聲を高め、ほとんとこれたゞ一つ手段によつて、道德的連座の厄難を免れようと努めて居るのを見れば、この關係だけは既に承認をして居るのである。醜惡なる昭和四年の大小疑獄と、この悲しむべき選擧界の汚辱との間に、ある種の脈絡があるだけは、ほゞ告白せぬわけにはゆかなかつたのである。現内閣の諸君は單に少數多數のわかり切つた論理をもつて、解散の必要を説明し得たと思つて居るか知らぬが、背後の有力なる國民の希望、一日も早く別の議會を構成したいといふ念願が、これを支持して居たことを忘れて居る。議院が數十百人分の不法選擧費を、工面調達するの機關であり、もしくは公盗の巣でゝもあるかの如き風評が廣く流傳し、國民生活の安定のために何よりも大切なる一國の交通政策が、實は大親分等の食ひ物に過ぎなかつたといふうはさ〔三字傍点〕を耳にして、それで尚現在の議員に國務を託して置かうといふ、安心が保てなくなつたのは當然である。そのために解散は希望せられ、また歡迎せられたものであつた。忘れてもらつては甚だ困ることは、今囘の總選擧が舊二黨に取つては辯疏の選擧であり、國民全體のためには洗たく〔二字傍点〕の選擧であることである。それにのこ／＼と面も洗はずに、出てくる者もありまた出す者もあるのは、これは何といふ心得ちがひの事であるか。

　今更事新しくいふまでもなく、如何なる刑事被告人にも法律上の被選擧權はある。あすの日囚獄裏の苦役に服すべき者でも、尚選ぶ人があれば選ばれた先例もある。彼等の立場に立つていふならば、自分は公盗だから選擧してくれと、名乘つて出るわけでは毛頭ない。寧ろ罪證の未決である間に、自ら身を引けば後暗さを認めたとも取られるから、幸ひに厚顔ならば出て堂々と「良心」を披れきした方が利益なのである。年來の同情者たちの心持もまたこれに近い(403)であらう。だから起訴せられたる罪種を限定して、被告となつた者の被選擧權を停止するやうな法律の制定でも無い以上は、この人々の押して出ようとすることは、恐らくはこれを防止することは出來まい。ひとり吾人の堂々として非難をするのは、神樣などといふもつ體ないあだ名を持つ兩黨の選擧主任等が、一方に選擧革正の空砲を放しつゝ他方には國民に向つてこの輩を公認した事實である。彼等のある者はこのいひわけとして、「一々問題にして居ると際限が無いから」といつたといふ。それは信じられないが、少なくとも政界淨化の精神を口にする人々が、平氣でこの樣な事をするといふことは何としても不可解な話である。

　會つて選擧の財的援助をもつて、角力や芝居などのひいき〔三字傍点〕と比較して、その當代にも尚絶無といふべからざることを、立證せんと試みた者があつたが、假に想像せらるゝが如き餘裕ある浪費家、單なる昂奮の興味や好奇心のために、巨額の金錢を投じ得る者がまれにあつたとしても、彼等の無産者の同志といふべからざるは明白である。さういふ氣まぐれなる物特の恩惠に頼つて、大衆進出の足場は築かれるもので無い。いはゆる先輩故舊の友情は、選擧間近になるといつも高く唱へられるが、それが色々の意味において拔き難い義理を結んで居たことは、幸ひにして十二分に實驗せられた。金に縁の薄かるべき無産各派の人のために、殊にこの動機を詳かにせんとする者が多いのも自然である。

　現行の選擧法と、その前から引繼がれた多くの慣習が、一つとして無産候補者に不利でないものゝ無いことは、世間がよくこれを認めて居る。然るに不幸にして彼等多數の經驗は、まだ世人の豫期したほどに、痛切なもので無かつたやうである。彼等のある者は自身一廉の有産者であり、またある者は無名の有産者を友人に持つて、敢て尋常の太刀打を辭せざらんとして居るのである。この傾向は無産政派の發達のため、決して喜ぶべきもので無いと思ふ。少なくとも彼等が今一段と窮迫しまた困苦しなければ、選擧革正の眞の聲は、廣く無産の全層に徹底する見込が無い。彼等のために古風なる選擧費調達を不可能にし、改めて獨自新式の戰法を討究せしめるには、この際特に必要なるは會計の公開、殊に受入の方面を明快にすることであると信ずる。

　多數の寄宿工女を使つて居る製絲工場が、賃銀毎月拂の法規上の義務あるにも拘らず、社會の諒解に苦しむ「社會局の諒解」なるものに由つて、彼等に都合のよい長期の不拂を黙認せられて居たのは、古くからの話であつた。それが工場主の資金融通、その他さま／”＼の手段に利用せられ、結局は力弱き者の損失に歸すべき原因はつとに備はつて居たのみならず、實例も既に絲價不況以前から幾つでもあつたのである。これを當業者疲弊の兆候の如く説明し、多少の同情を彼等に歸せしめんとすることは、絶對に不可能なる企てである。最近の蠶絲界の困難は、寧ろこの隱れたる資本家專横を、幾分か早目に注意させてくれたといつてもよいのである。

　賃銀をその債權者の干與し能はざる方法をもつて一方に管理せしめ、しかも折々の微弱なる檢査ぐらゐをもつて監督して居たのでは、大小多數の工場の中には、轉用使ひ込みの出來るは當りまへの話である。法令執行の責に任ずる人々は、斷じて外部經濟事情の變化などをもつて、この悲しむべき破綻を辯疏することは出來ない。日本特殊の女工勞働については、從來もしば／＼その缺陷が注意せられたにも拘らず、何等か問題の新たに起る毎に、彼等多數の境遇の不利、保護の不足が、公表せられないことは無かつたのである。その上に折角法制の付與したる最低限の安全率までが、監督官廳の不可解なる解釋によつて、この通り有れども無きが如き?態に置かれて居たのである。政府が工場法の精神を實現するの誠意をもつて居たならば、今囘の如き問題は起るべからざるものであつた。當面保護の本務は完全に盡し得ずして、今はこれを資本家救濟の口實に利用するが如きは、論理と人情との共に許さゞるところであ(406)る。

　又ぽつ／＼と買收豫約の、氣持の悪い違反事件が現れ始めた。今囘の總選擧の最大關心事は、如何なる歩留りにおいて棄権を食ひ止め得るかといふ以上に、朝野兩黨の共に大聲疾呼した選擧界革正の聲が、果してどの程度にまで一般民衆の間に徹底して居るかといふ點であるが、来るべき二月二十日の實地經驗は、恐らく府縣毎に、否寧ろ個々の小地域毎に、可なり著るしき成績の優劣を示すことと思はれる。近頃我社の企てた選擧人座談會の空氣に徴するも、買收を世間黙認の行爲の如く誤解して、例があるなら眞似ようといふ類の無智は、幸ひにしてもう大方無くならうとして居る。この上は單に非を知つて尚密に犯さんとする者に對して、社會の制裁力が今一段と強くなることを待つばかりになつた。ここにおいてか各地青年住民の熱誠なる感覺が、如何にこの眼前の重要問題を處理しまた批判せんと(407)するかについて、多大の興味を抱かざるを得ないのである。

　さきに大日本聯合青年團の理事者たちが、全國一萬六千餘の青年團に向つて發したる訓戒は、固より吾人の同意を表するところではあるが、かやうな訓戒がこの際において必要であり、また何等拘泥の恐れの無いものであつたかどうかについては、尚若干の疑ひなきを得ない。いはゆる修養を目的とする青年團で無くとも、選擧に利用せられてよくない團體は幾らもある。たゞその中では青年團だけが、特に知識辯舌などの發達に差等あり、多數は單純に過ぎて雷同付和し易い。故に一層二三の小ざかしい者のために、團體そのものの勢力を借りられる危險を、防衛する必要があるといふならば解つて居るが、それならば團の組織の健全なる成育、もしくは團員相互間の扶助誘導を激勵すべきであつて、少しでも團に屬する人々の對社會的態度を、抑制するが如き結果を期待してはならぬのであつた。假にもしこれに近い誤解を、ある部分に起させたとしたら、それだけは甚だ遺憾である。

　實際またそんな不自然なる抑制は、出來るものでも無いのである。いやしくも公民教育の片端に觸れた程の者で、今囘の總選擧と、それに先だつ約半年の政界紛亂とが、何を意味するかを知らんことを欲せず、平生卓上に講説せらるゝ國家憲政の常理と、目前實地の現象との食ひちがひについて疑問を生ぜず、もしくはこれを眞らしく説明する人々の斷定の區々について、果していづれが正しきかを見極めて置きたいといふ念慮を、起さない青年があり得るであらうか。いはゆる三尺の童子すら、尚無邪氣なる質疑を連發して、父兄を微苦笑せしめざればやまざる世の中である。ましてや青春は觀察の時期であり、率直かつ鋭利なる批判力の、盛んに長養せられてゆく年齡である。單なる各個の知識慾からでも、彼等は永くさへぎられたるものに冷淡であり得ない。しかも彼等は次代社會の改善任務をもつて、その雙肩の上に置かれて居るのである。それをこの革正期の總選擧に向つて、風馬牛相關せざらしめんとする企ての、不可能なることは明白である。

　彼等共通の興味ある世相が、青年團内の常の話題となることも、當然にまたこれを避けることが六つかしからう。(408)故にこれに向つて選擧に利用せらるゝなと戒めるよりも、寧ろ今囘の選擧をもつて、彼等自身の修養に利用せよと説いてもらひたかつた。選擧費制限の法令は嚴として存し、候補者各自もまたこれにて足ると言明するに拘らず、實地のゴシップは常にその數倍の支出を傳へて居る。費用公開の論は口ばかりで、いまだたれ一人として寄付とその出處とを明示し得た者は無いのである。僞善と實犯との、推測し得らるゝ場合は至つて多い。青年がもしこれを知らず、知つてもしこれを省みないやうならば、殘念ながらその土地の選擧は、この次も多分見苦しいであらう。起つて彼等が直にその善惡を見分けて置かうとするのは寧ろ至當ではあるまいか。

　選擧人年齡の適度が、果して二十五歳以上であるか否かは、この序をもつて論ずべく餘りに大なる問題であるが、少なくとも今期の青年の主要なる一半は、次の總選擧の選擧人である。それがたゞ一度の實地修練の機會に際して、自ら修練するのをはゞむべき理由は無い。ましてやこの際は殊に常道において想像し得られぬやうな問題の盛んに論議せらるべき總選擧である。吾人は純眞なる地方青年の耳目の、いつよりも更に鋭敏ならんことを希望せざるを得ない。それは單なる彼等の觀望と批判にも、尚今日は大なる意義があるからである。

　全國同胞が老と無く少と無く、心をこめて記念する今日の大節會が、ちやうど總選擧のまん中の日に當つたといふのは、偶然ながらも考へずには居られぬことである。今の日本には内にも外に向つても、ほとんと建國に等しい幾多の難事業を控へて居る。それを一つづつなし遂げてゆく矢先に、今までの政治は實はたゞ外形手續の論に日を送つて居たのである。選擧でなければこれに一つの區切りをつけることが出來ないことは、解散を斷行した政府よりも前に、まづ國民の多數がこれを感じて居た。さうして右するか左するか。兎に角これからはもつと確固たる足取りをもつて、歩み直さうといふ決意の日が、あたかも眼の前に近よつて來たのである。自身候補を宣して陣頭に立つた者と、その周圍の何人かは、あるいはもう血眼になつて居るかも知れぬが、選擧人等には少しでも、夢中になつて今日の御祝ひを空に過ごす必要も無く、またさうする道理も無い。人はよく選擧界の白熱化といふ語を口にするが、その樣な境地に置かれて居る者は、實はまだ少ししか無いのである。假に日本人の性として、あるいは早くから影響を受けた者があるにしても、この一日ばかりは今一度靜かなる心に立還つて、國の始を懷ひまた未來を考へるべきである。何よりも必要なることはこの國の政治をきたなくせぬために、謹んで日本人らしき選擧をすることである。前囘の選擧もちやうど今年と同じく、紀元節を中にした、しかも第一囘の普通選擧であつたけれども、土地によつては投票を賣り、その他國法の戒めた惡いことをした人が少なくなかつた。たとへ自分一人は正しいことをしても、同胞にそんな者が出るやうでは圃の恥は同じである。さういふ情無い者を無くすることが、正しい國ぶりに歸ることである。しかも總(410)選擧が來なかつたら國民としてこれに心づく折も無く、あつても實行することが六つかしかつたかも知れぬ。この意味において我々は、心を一つにして今日の御祝ひ日の貴とさを、今一度考へ直して見ようではないか。

　一人々々の投票者が、その選擧權を賣り物に供する場合は、非常に目に立つけれどもそれだけにまた、世間の耳目を逃れることが容易で無い。これに反して今囘の如き檢察の嚴、私設監視員の東奔西走をもつてするも、尚不正選擧の災ひの根を絶つことを望み難いのは、いはゆる選擧ブローカーの弊が、深く地方に食ひ入つて居るからである。これは必ずしも法令の不備、もしくはその網の目を潜る技術の巧妙ばかりからは説明することが出來ない。主たる原因は個々の買收が既に明白なる惡事と認められてゐるに對して、各地顔役連の集合的取引行爲は、今もつて普通の慣例として、ほとんと無差別に普選以前より踏襲せられて居るからである。

　この際を期として、大小運動員の運動方法の正否を、檢討して見る必要は確にあると思ふ。たとへばこの期間一切の金錢授受は避けたとしても、過去に恩を負ひ、今後に報償を黙約せしめたとすれば、利のために節義信條を曲げたことは同じであるが法令は形無き腹の中までは追究することが出來ない。ましてや直接物質上の條件は無くとも、多數の投票を左右するの力ありと認められ、もしくはおだて〔三字傍点〕られ奉られることを利得と解する者どもに取つては、それもまた一種の交換取引に他ならぬのであるが、實際現在の候補者の中には、ほとんと拜み倒しを唯一の武器として、(411)この無形の買收を敢てしつゝある者も、決して少ないとはいはれぬのである。

　選擧費節約の一つの手段として、今囘は同一選擧區内の地盤割當が、幾分か從前と異る意味をもつて、行はれんとする形勢が看取せられる。雪の季節の山國の選擧においては、これも平地方面の人々の想像し難い實情かは知らぬが、この前に多數の投票をある一派、または個人に集積した村落地方を、今度は最初から思ひ切つて、互に相侵すまいとするやうな暗黙の諒解が、時としては異黨對立候補者の間にすら、成立つて居るのではないかと、疑はれる場合も無しとせぬ。これは普通選擧の本旨に反するといふのみならず、また吾人が切願するところの棄權防止のために、特に考慮しなければならぬ問題である。

　地方の政見と政治利害とは、既に必ずしも統一せられて居ない證據は、個々の地方議會の表面にも現れて居る。それが衆議院議員の選擧に限つて、一つの町村を擧げてある政派、もしくはある個人の地盤に化するといふことは、實(412)はいぶかしきことである。假に一囘の總選擧に際して、自然にさういふ結果を見たことがあるとしても、その後二ヶ年の政情は、甚だしく變動して居る。議員の出處行藏には録せらるべきものが多かつた。それに基いて信頼を改訂し、批判を立て直すべき理由は、幾らともなくあつたはずである。今も依然として過去の因縁が、つきまとうて居るものと速斷することは、餘りにも選擧人を安つぽく見たことになるのである。

　問題はそれ等ある一派の運動者のみによつて、獨占せられて居る地域の參政權が、どれだけ自由にまた雷同性無しに、實現し得るかといふことに歸着する。普通人の今までの心理は、熱心でもない者に投票してやる義理は無いといふにあつて、それが棄權を多くしまた戸別訪問の誘惑ともなつたのであつた。しかし投票は自分たちのためで、頼まれるからいれるといふ性質のものではない。限りある候補者とその所屬黨の、いづれに力を持たせるかは自分の問題だ。さうしてその判斷を自由に下すべく、幸ひに今囘は文書の資料が豐富である。個々の選擧人は進んでこれを利用し、徒らに十ぱ一からげに目算せられるの、災難を免れなければならぬ。

　國内の市場こそ、實は農會の如き組織ある團體の力をもつて、ある程度までは統制し得るはずであつた。既に何囘か經驗して居るやうに、幾ら調査をしたところで、國外の趣味は變つてゆく。また少しく長期の需要が起れば、こんな遠方からいつまでも買つては居ない。同じ一國の内ですらも、ほとんとあらゆる特殊農産物が、程なく消費地近傍の競爭を被つて、痛めつけられざるものは無かつたのである。この動搖から受けて居る農村の損失は現に可なり大きいのである。今はたこの樣な大がかりな改良を試みて、果して農會は勸説者の責任を完うし得るであらうか。

　更始一新の聲高き政友會の内部において、目下もつとも知らんと欲するは世論の向ふところ、殊に新しい彼等の陣容に向つて、何が想望せられ期待せられて居るかであらう。もしそれが公然の問ならば、答を得ることは存外に容易である。この今日の選擧法を、如何にすべきかを示すのが最初の一つ、さうして選擧期日の計算方の、違法か否かを論ずるなどは、その最後のものですらも無いのである。假に三十日が三十一日だと決したところで、もう一度選擧を爭つて見るだけの自信なり用意なりが果してあるといふのか。そんな無益な事は本當にやめた方がよい。

　近頃の樣子では、與黨はどうやら勝利の記念塔として、現行選擧法に手をつけずにあはよくば安達氏の傳をもつて、もう一度運用の妙を味はつて見たいらしい。しかも總選擧以前醜疑獄以後、罪を法制の不備に塗りつけて、相互制裁の責任を逃れんとした者の、個々の言質は澤山に殘つてゐる。人によつては比例代表の原則の、早く實現に入るべきことを口走つた者も相應に有る。しかうして政友會の總裁は、とくの昔から明白なる同論者であつた。今日少數の野黨が發案して、與黨を導引し、また少くとも混亂せしめ得る法案はこれだけしか無い。然るに政友陣笠たちの泣き言はこれに反し、政府のあの案も我黨の意見だ、この案も我黨の故智を學んだのだと、今から首筋を取られて否應無しに、盲從させられる素地を作つて居る。これでは再び形式上の揚足論をもつて、邪魔をするより他はなくなるであらう。何よりもそれは見苦しいことである。

　この間題に對しては、政府近頃の出方はすこぶる誠意を缺いて居た。當初議員の有力者が金をつかんだ形跡の暴露(416)するや、實は私慾に起因するものまでも、こと／”＼く選擧費裏面の入用が、巨額に上るからだといふ風に、説明したのも彼等であつた。選擧法令の改定によつて、あるいはその流弊の源を淨め得るかの如く、一旦世人の注意力を、斜に走らせたのも彼等であつた。さうして選擧法革正の審議には、直ぐにも着手するかの如く想像して居ると、いつの間にか「法」の一字は脱落して、出來上つたのは衆議院議員選擧革正審議會であつた。その事業の一ヶ條には、法の改正に關する事項といふのがあつて、棄權も公營も比例代表の問題も、別にそれ／”＼の研究題目に掲げてある。これではいつになつたら、新しい法案が物になるのか。次の通常議會にも間に合ふかどうかなどと空とぼけた事をいふ人もあつてほとんと何故に審議會が出來たのかを、忘れてしまはせようとする魂膽としか見えない。これは幸ひにしてまださう安々と、忘れてしまふ人ばかりはない。乃ち古きを棄てゝ新たなる物を打建てようとする政友の一團が、ちやうどその批判の力を示すべき好機會ではあるまいか。

　選擧法の問題ばかりは、選擧の直後で無ければ周到に論じられない。時過ぎ次の改選に近よれば、個人の利害が判斷を錯そう〔二字傍点〕せしめ易い上に、活きた材料は忽ちにしてしをれてしまふ。敗れたる政友會は現行法の弱點、これを惡用すれば幾らでも惡用し得るといふ、多くの實例を有し又大いに收集しつゝありと傳へられる。それをもつとも有意義に、國民の福利に供し得る方法は、これに基いて新たなる具體案を提出することである。それが間に合はずば少なくとも態度をきめ、原則を明かにして置くことである。徒らに根本の革正は教育にありなどと、今の子供が二十五歳になる頃、即ち彼等の死ぬ頃にやつと效果の有無を檢査し得るやうな、とぼけた審議案を待つて居るやうでは、再びまた追隨の憂目を見ることは必然である。

　今度の政友總裁は元は神策鬼謀の士であつた。今でも泥試合の空氣を作らせぬ位な手腕はまだ持つて居ることと思ふ。しかも何もする事が無ければ、議員は必ず空騷ぎをするにきまつて居る。少なくとも彼等に向つて、堂々たる正論の機會を、供給することは必要である。一方黨員等の側から考へても、現行選擧法に許多の不備あることは、しば(417)しば犬養翁の公に高呼したところである。これにしも耳を假さずとすれば、これ事實上の總裁排斥である。もちろん内部にも比例選擧乃至は年齡低下婦人參政等を不必要とし、一流の運用法を持續すれば却てこの方がよいとも考へて居る者があらう。その同論は現に民政黨内にも多いが、これは明かに氷炭相容れざる二説で、その是非當否は結局國民に裁定せしめるの他はない。世論に傾聽するなくして、如何にして更新の實は擧げられるわけがない。兎に角にまづこの眼前の問題に對して道理ある國民の期待を裏切らないことが肝要である。

　新たに全國の小學教員を目がけて、襲ひ來るかの如く感じられる生活不安、殊に地方自治體の内部における、餘りにも冷血なる雇主雇人式折衝の風潮については、主たる責任を負ふべきものは從來の監督行政廳である。市町村住民の重要なる構成分子として、小學教員はもと決して自己の屬する公共團體と對立の地位に置かるべきものではなかつ(418)た。然るに餘分なる府縣學務課以上の干渉は、終に今日の如き氣まづい關係を外間の問題に供するに至つたのである。しかもこの問題たるや、早晩全國民の協力して、その解決を講ずべきものである以上は、あるいは幾分か意外であらうとも、これもまた一つの機會である。徒らにこれを現政府の一千萬圓増額の、うそ〔二字傍点〕の論據に利用せしむべきで無いと思ふ。

　明治初年のいはゆる畫一教育主義が、もつとも單純に信受せられた時代すら、政府は必ずしもその實務の執行までを國家の手に收めなければならぬとは考へて居なかつた。それ故に府縣に師範校を置き、町村に子弟を採募して、一日も早く異郷、殊に都市に學んだ者の感化を避け、各地方に相應した教育を與へしめんとして居たのである。しかもその日的はつとに達し、如何なる邊隅までも、それ／”＼自分の教員資格者の若干をもつやうになつたにも拘らず、府縣は尚任免の權を總括して、教員の輸送を業とし、維新以前から殘つて居た外來過重の氣風を、改めさせようともしなかつたのである。教員の費用はこの際より既にかさみ、生活不安の根底はつちかはれて居たのであつた。

　教員優遇といふ語は響のよい音調を有つて居たゝめに、それが教育自治權の無益なる侵食を意味して居たことを、心づかざりし者が多かつたのである。最初新式の普通教育が起つて、果してこれが町村の平和と福利とを、増進するの途なりや否や、經驗なく智慮なき住民が時として危み、また否んだ際にこそ、あるいは後見人の干渉も必要であり、教員の生活保障までも、法令をもつてこれを強行しなければならなかつたか知らぬが、その樣な時代はずつと昔になつた。今日は一人でも多くの優良住民が育成せらるれば、現にその土地は榮えまた快活になつて居る、同じ六年の義務年限でも、僅なる方法の優劣によつて、效果は眼の前にその著るしき差等を示して居るのである。家の童幼がよく教へなければならぬ如く、町村の教育の善惡は、直接にまた父老の關心するところとなつて居る。それをえん〔二字傍点〕として店頭に菓果を購ふ人の如く、彼等をしてその價をねぎらしめるやうな流行を生じた原因は何であつたか。要するに自分の田園に育成したものを、路上から評價させるやうな近來の制度の結果では無かつたか。

(419)　監督官廳の總括觀の弊害と目すべきものは色々ある。その中でも殊に吾人の感心する能はざるは、俸給の多少をもつて直に教員素質の高下を論斷せんとすることである。これが各地の實際と、多くの場合において一致しないことは、住民こそもつともよく知つて居るのである。もちろん經驗と練熟とは年功に伴ふが故に、それを求めるには多く拂ふべきであるが、同じ天分力量を具へた者でも、これを滿足安易の地位に置いて、快適にその本分を盡さしめるのと、その反對の場合とでは效果は丸で違はなければならぬ。それを一樣に金錢の評價にかけたのは、他に方法が無かつたからでもあらうが、餘りにも人を機械視した話であつた。

　教員俸給額と設備とを加へたものに、いつでも比例して普通教育の成績が擧がるものと、教員自身が既に信じては居ない。土地の?況によつて經理にも手段あり、同じ效果を收めるがためにも、試みる方法は尚色々あることを、認め得ないものは寧ろ監督官廳のみでは無かつたか。全國町村長會の如きは、何の權限も無い機關とはいひながら、兎に角に直接この問題にふれ、土地の苦情にも通じて居る。それが初任給の低下を望み、平均給額の自由を求めるといふ決議をしたことは、即ち少なくともさういふ土地もあることを意味して居る。假に地方が無思慮にして、章魚が足を食ふやうな節減をしたにしても、その弊は自ら何人よりも先にこれを思ひ知るであらうが、事によるとこれを行うて效果に何の害も無いといふ實地の確信を有つて居るのかも知れずまた現?を維持して居ても、格別よいことが無いと考へて居るのかも知れない。何故にこの彼等最大の利害問題の解決をもつて、彼等の自治に一任し得ないのか。改めて共に考へて見るべきである。

　けだし小學教育費の全額負擔は、これもまた明かに一つの主義である。吾人は自治の面目のために、斷然としてこれに反對するけれども、それで遣れると信ずるものが、これを主張することだけは怪しまない。たゞ如何なる場合を想像しても、到底その實現を期し難くして、名をそれに假りて一旦の誤れる方針を追ひ、僅か一小部分の負擔額を増すことによつて、一層市町村と教員との間を離間し、更に後者を不安なる要保護人の群に引きいれようとするのは、(420)主義でも無けれぼ地方教育の親切なる相談相手でも無い。地方住民はいつまでもこの未成年待遇に甘じようとするのであるか。

　世人はまづ注意しなければならぬ。これは肥料を高くする任務を、少しでも管掌してゐない農林大臣の發案せんと(421)する所である。この大臣が昨年就任の際から、頻に肥料の値下手段の容易に實現し得ないことを説いてゐたのに思ひ合せると、要するにこれは反對黨内閣時代の、肥料管理法案の引繼ぎに他ならぬのであつた。但し管理法案の方は策略として、これよりも何倍か巧妙なものであつて、あの當時の素人連は、何故に政友會が全力を盡して、この案の通過を期したかの動機を、實は不審に思つてゐたのであつたが、今になつて考へて見れば、窒素肥料市價の低落は、たとへ今日の如く急激であらうとは思はなかつたにせよ、兎に角に既にその道の者の、測算の上には豫見せられてゐたのである。單に外來のいはゆるダムピングのみならず、國内の投資安賣もこれを想像するに難くなかつたのである。それをその期に臨んで今囘の如き、露骨なる救濟を要とせしめざらんがために、名を農民の救濟にかりて、かねて政府をして國費をもつて商業を營ましめ、事實緩衝の任に當らしめんとしたのがあの特別會計の案であつた。しかも一たびこの世界相場の大勢に心を安んじた者が、これによつて巧を誇り名に居り、陰に陽に利する所多かるべきを知つたとすれば、それこそ如何なる慾無し政黨といへども、食ひつかずには居られぬ一石三鳥の妙案であつたのである。ところがその好夢は見ごと裏切られ、徒らに一個の不當廉賣防止付加關税法といふが如き、なまくら刀を殘してゆかれたのである。今頃そんなものを拔かなければならぬのは、いはゞ跡始末の貧乏くじである。普通の智能を具へたる男子ならば、何かよく／＼の腐れ縁が無い以上、そんなものに手をださうとはせぬはずである。怪しむべし我々の農林大臣は、僅か三四人の窒素協議會員に説かれて、もう半分ばかりその氣になりかゝつて居る。彼は果してこれ程までに、のん氣なる大人なのであらうか。

　單なる少數の營利會社と、多數の農民との對抗問題としても、この問題はもう細論するの必要は無い。現在の農業は以外なる産物市價の低下によつて、ほとんと次年の生産資本をさへ失はんとして居る。肥料はその需要の減退だけからでも、下向の足取を見せるのは當然であつて、肥料製造業の卷添へを食ふことは是非が無いのであつた。負擔の輕減とか鐵道運賃の引下とか、あらゆる「二階から目藥」までが試みられんとするの際、假に一時にもせよ外國の生(422)産者が、進んで安値を賣らうとするのを謝絶する理由はどこにあるか。ましてや折角下らうとしてゐる國内の供給品まで一括してくひ止めて、強ひて百姓をして高い金肥を買はしむべく、今頃古臭いダムピングの經濟原論を説くなどは、餘りにも農林の局に當る者らしくないでは無いか。

　知りつゝこの樣な實際に遠い説をなすとすれば、誠に農民を馬鹿にした話であり、知らずにさういふならば國としての大きな恥さらしである。無盡藏なる空中窒素の利用は智惠と技術の問題である。また學問の人を幸福ならしむべき最大の希望の一つである。文化の年と共に進むにつれて、益々その産量を豐富にし從つて生産費を低下して行くのは、ほとんとその永遠の傾向である。現在日本の如く眞似を專らとする國でも、もし特許權の獨占者が獨りで旨いしるを吸はうとすること無く、又專横なる料金制の壓迫がなかつたら、今頃はもつと安いりう酸アンモニヤを使はせることが出來たのである。しかも外國から競爭でも無い限りは、いつまでも身勝手なる現?を保有したいといふのが、多くの思惑師資本家の常の情であつた。假に關税をもつて彼等の立場を保護しなければならぬとしたら、この種のいはゆる不當廉賣は永く續き、いつになつても農民をして、文化の恩典に浴せしめる見込みは無いであらう。その點から見れば今囘の外品競爭は、寧ろ一國のための好機會であつた。思ふさま當業者をして苦慮せしめ、自ら解脱しまた人を助けるの途を案出せしむべきである。彼等今日までの經營ぶり、事業の歴史を記憶した者ならば、これが世にいふ「幼稚なる産業」であつて、忽ち外國の壓迫のために、ぼく滅させられるなどと思ふ者は一人も無い。それよりも寧ろこの白々しい特種の造説の陰に、何か感心し難い因縁のあることを、邪推する者ばかり多いことゝ思ふ。農林省は好んでその樣な不利の地位に立たず、曾てかの特許權の買收を試みたやうな氣力をもつて、今一應この事業の内容を見たらどうか。それから今度の問題だけについて、意外におとなしい各種農業團體も、今少しく持前の階級の利益を主張し、目下漸く考究せられんとする生産費低下論の方面に、多少の折合をつけて見てはどうであるか。

　消費節約の根本方針を撤回するに非ざれば、經濟界の好展開を期することが出來ぬといふ議論がある。その意味は今までの浪費趣味を、批判したり改善したりするやうなことでは、結局は一般のためにも不利益だといふやうに解せられ、町にうろつく道樂者共に取つては、得たり賢しの口實であると同時に、折角起りかけて來た生活内省の氣風に對しては、可なり戒愼しなければならぬ誘惑である。然るに昨年はさしも心強く、來るべき金解禁後の悲況を豫期しつゝも、尚これに直面するの勇氣ありと高言した一政府は、既にたれよりも先に左顧右べんし始めた。いはゆる「景氣か不景氣か」のもつとも解し易きスローガンをさへ乘越えた與黨議員も、今や砂上に偶語してその後悔の方法を議しつゝあるやに見受けられる。曾て一見誠實らしかつた指導政治家の憂國説に共鳴して、新たに郷黨教化の運動に進まうとして居る人々も、何時中途において尻腰無き相棒に、逃げられるかも知れぬ不安を感じて來た。國民は却て彼等のために、改めて堅忍不拔の説法をしなければならぬ必要を生じたのである。

(424)　全體政府がまだ完全に自分の無駄をも排除し得ぬ前に、個々の私經済に對して勤倹の道德を訓論したことが出過ぎて居た。しかも私人にはこれに從ふと否との自由がある故に、效果はいまだ必ずしも顯著ならざる前に、早くも世上はそのかけ聲のみによつて、一種の氣迷ひを抱かざるを得なくなつたのである。不景氣はいつの場合においても、常にこの通り確かな形態を具へたものでなかつたが、ただこの意味において政府がこれを招いたといひ得るのである。殊に一方に節約を説きながら、その節約したものを何に向つて利用してよいかの、方法を示さず便宜も供與しなかつたことは、反對派に指摘せられても致し方の無い弱點であつて、國の活動は少なくともその部分だけ、縮むかも知れない危險はあるのである。しかしながらこの弱點は補充する事が出來るし、また補充するのが當面の責務でもある。それよりも更に進んで警戒をしなければならぬのは豫てこの方面に用意なかりし内閣が、突差にそのいはゆる轉換政策を行うて、ひとり自ら自家どう着の苦しみをなめるに止まらず、無益に財政を混亂せしめて、更に今後の整理を至難ならしめることである。通例いはゆる人氣取りの政策には、とかく鼻元思案のものが多いのは當然であるが、今囘は特にその弊害が目の前に追つて居る。現在の切詰められた歳入?態において、到底その恩惠の均等に分ち得ないことが明かだとすれば、あらゆる階級は競うて困窮の聲を放ち、少しでも早く顧みられまた手を下されんことを努めざる者は無いであらう。さうして因縁あり勢力ある者が、最初に便宜の地に立ち得た例が現れた場合に殘りの失望した多數はどうなつて行くであらうぞ。假に前途の光明を望んで、耐忍してこの一期を度過せんとした者までも、節を變じてこの不平の群に、加はらうとする傾きは無しとせぬのである。これが社會の不景氣感を、一層深刻化すべきこともまた明かで、いはゞ政府は好んで自ら奔命に疲れんとするものではなからうか。

　濱口氏の内閣の一つの缺點は陰氣なことであつた。國人をして勇健にこの難局と闘はしむるの術を解せざることであつた。政府の儉約は借金を減すだけかも知らぬが、國民の緊縮は新たなる力である。將來一國の共同幸福のために、利用せらるゝことを辭せざる餘力である。何故にこれを今少しく元氣よく、自由にまた會心的に働かす工夫をしない(425)のか。少くともこの頻發する社會悲慘事に心を曇らせつゝ、しかもそれを民政黨内閣當然の現象の如く、世人を思念せしめて捨てゝ置くのであるか。昨年の三月、與黨は今日の野黨と協同して、滿場一致をもつて救護法を可決して居る。さうして制定の功を敵派に獨占せらるゝを恐れて、進んでその實施を本年度に期せんことを提議して居るのである。それを昭和六年の始めに施行せんとしたことが既に緩慢であつた。ましてやこの急す〔傍点〕の時節に際して、更に平然としてまたこれを延期せんとするやに傳へられる。これは明かに言質に忠ならざる態度であり、人氣を專念として一時をび〔傍点〕縫する以外、國の平安を計畫する志無きものゝ如く、見くびられてもよい所業である。義務教育費の一千萬圓増擔の如く、強ひて首根つ子を押へようとする者の無い限り、幾らでも公約を破らうとする量見である。しかるに教育費の増加は寧ろ公共團體の統一を亂さんとするものなるに反して、救護法の根底は共助心の長養である。現在の不景氣對策の概ね繼張りに過ぎぬに反してこれは各個の市町村をして、自ら貧困の根源を省察せしめる機會なるのみならず、更に進んでは消費改善の愉快なる意義を體驗せしむる效果さへあるのである。前に健全なる好景氣の到來を待つといつた者が、二月や三月の逆境にうろたへるはもちろん愚であるが、事態を今日の成行に放置して、なすべき義務をさへ怠つて居ることは、必然に破滅の道である。それに心づかねば更に尚一段の無智である。

　昭和五年次の養蠶各期掃立の數量を制限すべしといふ中央會の警告が、果して各製絲工場間の二割封印の申合せなどと、同じ程度の效果を收め得るかどうか。當の農業者等がその實現を豫期せざるはもちろん、警告者自身においても、また恐らくは何等の確信があるわけではないと思ふ。これは單に六月以降の新繭出囘り期に際し、不幸にしてその相場の激落が愁訴せられるとしても、蠶絲業同業組合中央會たるものは、これに對して一應は冷淡乃至無力の口實が出來たわけで、殊にこの團體の幹部の中に、必ずしも繭價の安きに過ぐるを悲しまざる若干の者がをることを考へると、かゝる名ばかりの「生産調節」方針を條件として、絲價の安定のために千數百萬圓の損失を覺悟した、農林當局者の大膽にもあきれると共に、徒らに組合員二百何十萬人の頭數に算へ込まれて、少數絲屋たちの要求を無意識に尻押し、しかも自家日常の生活利害を提げて、この險惡なる政治くわ亂のうちに卷込まれんとする全國の中小農家のために深き憂ひを抱かざるを得ないのである。

　今囘の補償法發動が、單に一部の製絲家の資金難を融和したといふ以外、主としては銀行業者の安全を、いやが上にも保障せんとする事業であつたことは、今にそちこちの賣崩し運動の出現によつて、もう一層明白になることゝ思ふが、さうで無くとも前期物の後始末などは、個々の養蠶家に取つては痛くもかゆくもない事であつた。然るに世には永年の氣風として、如何なる場合においても人のうまいことをするは妨げず、その代りに自分も比較をこれに取つて別の要求をすればよいといふ考へが行渡つて居るために、何の造作も無く中央會の議はまとまつたけれども、もし(427)この團體の存立が國家のためであつたならば、これなどは誠に權衡を得ない處置であつた。僅に眼前の一小難局を救解せんとして、こゝに第二の大問題を喚び起したのみならず、新たにまたその決定を困難ならしむるの事情を添加したのである。思ふに日本のいはゆる蠶絲業は、この中央會の不均一なる注意努力の結果、將來はいよ／＼その内部の割據對立を促進し、折角この方面にのみ發達した生産者と消費者との提携は、次第に困難になつてくることであらう。さうで無ければ一方の數多く、又協力の不可能なるに乘じて、更に一段の壓迫が加へられることになるであらう。

　その壓迫が若し不幸にして、この生産調節の意見となつて提示せられたものとすれば、吾人は寧ろそれが實現の見込無き一種の空論であつたことを、慶賀しなければならぬかも知れない。現在地方の養蠶業は、府縣行政の威望をもつて極度に奬勵せられ、個々の農家もまた全力をこれに傾けてゐる。桑畑は既に開かれ蠶舍その他の設備は成り、人の勞力は　　　略々用意せられて居る。今頃掃立種紙の増減のみによつて、市場に順應する彈力は至つて乏しいのである。自勞自桑は素より當然の法則であり、この巧妙なる獨占業者を相手として、農家がもし投機式生産に從事せんとすれば、忽ち足元をすくはれることは分つて居るが、しかも郷黨の間には若干の勞資融通があつて、始めて各自の生産を幾分か安全にして居たのである。他の新種の生産の之に代るべきものが現れぬ以上、他人の生産調節はこれを期待するまでも、少くとも自家眼前の必要收入を減額して、中央會の勸誘に應ぜんとする者は有り得ない。さうするとその結末はどうなるであらうか。

　政府が最近の絲價安定策を例に引かれ、救助を迫られることは眼に見えて居る。素直にその要求を容れて均等に缺損を補給すれば、問題の無くなることも確であるが、その樣な事をすればまづ破産である。さうしてその解決はただ一時のものであり、原因は依然として國の境に迫つて居るのである。さきに生絲の國策と稱して、頻にかの「貿易の大宗」のために、過去の繁榮を維持すべしと主張した者が、飜つて忽ち海外需要の大勢が、早晩今日あらしむべきことを看破したことは、ほとんと同一人とも思はれぬ程の賢明の相違ではあるが、特に改めてこれをといふ代り品も用(428)意せずに、たゞ組合員の退縮を迫るといふことは、少くとも足を食ふ章魚である。日本蠶業の新たなる強敵としては、人造絹絲があり外國養蠶があるが、この二者は性質において區別がある。一方は獨自の特色を發揮して、これに對抗することも望まれるが、他方は即ち永遠の競爭者である。これが國内ならば關税の障壁を高くし、強ひて消費者の忍苦に、身の安さを支ることも出來ようが、輸出である以上は裸の角力である。生産以上に何一つの武器の無いことは、茶の實驗によつて既にこれを明かにした。しかうして農家養蠶の生産費の中には、やはり評價の自由なる土地があり、改良の見込多き智能と勤勞との報しうが入つて居るのである。苦しいには相違ないが對立の餘地はまだ確にある。この際に臨んで生産の限定をもつて今の立場が保たれるものと、果して心の中から信じて居る者があるのか。但しはまたかうでもいつて、少しく手前勝手の申しわけをしようとするのであるか。

　獨り現内閣ばかりの弱點でも無いが、今まではいつも問題の急迫が認められて、それから始めて調査會が起り、答申がもつ體らしく提出せられる頃には、事情も要求も既にやゝ變化するのみか、時としては政府さへ變つて居ることがある。發見せられるのは政策そのものに非ずして、單に政策無かるべからずといふ眞理だけに止まつた場合は多いのである。然るに我海運界の病弊は、つとに診斷濟みであり、その治療法に關しても、論議は略々定まつて居たとはいひながら、とにかくに船主協會が自身改造の必要を意識し、敢て外部の力を借らずして、能くこれまでの計畫を立てたとすれば、それは寧ろ喜ぶべき變則であつて、少しでも他の多くの未定案に遠慮をする必要は無い。議會は少なくともその當否を議してよいのである。特別議會だからといふ政府の言前は、大抵の場合には準備の不足、乃至は遷延の希望を隱すべき口實に過ぎなかつた。それに御付合ひをして徒らに機會を逸するやうなことが、若しこの案以外の重要問題の解決にも有るとすれば、そんな馬鹿げた先例を破るためにもこの案の提出は賛成すべきものである。

　しかも問題の對社會的意義は、必ずしもこの一點に止まらぬのであつた。世人も既に熟知する如く、個々の船主の前の胸算用によつて、やたらに安物の劣惡船を買ひ集め、日本を世界の古船の掃だめとした弊害は、とくの昔にもう(430)どん底に達して居る。内には水上經營の危險率を増加し、外には國際の競爭に對して、永遠の落着をもつて甘んじなければならぬことは、當の本人までが共々に悲しみ憂ふるところである。然るにも拘らず、今までの政府にはほとんと確信ある一個の政策すらも無かつた。それが幾分か強壓的ではあるが、單に船主仲間の獨立した協力によつて、自身その亂雜を整理する方法があるとすれば、兎に角に發見でありまた智惠である。もちろん法律の力を假らず、國家の介助をも受けずして、それを實行したら尚立派には相違無いが、一方には丁度軍縮の影響を受けて、前途を割引されんとする造船界があり、これに對しても若干の考慮を要する今日としては、あるいはこの兩方の問題を結びつけて、存外に少しばかりの國の力をもつて、合理化の實を擧げるかも知れぬ。それを特別議會だから考究してはならぬといふ道理はない。

　現在事業界の錯雜せる經濟利害、殊に病弊いまだ海運業の如く徹底せず、困るといふ者には色々の階級がある場合には、いはゆる合理化は一種の空論となり、または政治家の美辭となり易いのである。ところが船舶業者の方面ばかりは、その勢ひが既に究まつて居る。假に如何なる利己主義者を連れて來ても、かうして改革する以上に改革の目途無きことは、今日の提案者の如何なる人々であるかを見てもよくわかる。彼等の一部分は少なくとも、今やその過ちを悔いて居るのである。悔いて自ら正しきに進まんとして居るのである。この一念發起は相應に貴い。さうして合理化は常にかくの如く、もつとも不合理の明白であり、また多數がこれを除去するに熱心なる部分から始めなければ、到底成功の前例をもつて後からくるものを激勵することが出來ぬのであつた。

　海運の事業の盛衰が、我帝國の前途を明るくもまた暗くもすることは、理論としては既に五十年も前から高く唱へられて居たのであるが、實際においては世人の大多數は、これに向つてはとんと何等の關心を持つて居なかつた。それを限りある資本家團の私經濟として、その歿落をも憐れまざると同時に、その無謀なる經營ぶりをも批判しようとはしなかつたのである。それが今囘は改めて國民の審議に上り、こゝに一時期を畫して將來の策を立てしむべき絶好(431)の機會は來たのである。希くはこの機會を利用して、もう一度開國以來の方針と手段とが、果して合致して居たか否かを考へて見たい。名は國民の力を海外に伸びさせると稱しつゝ、その實は限られたる投資家に投機の便宜を供與する以上、特にこれといふ政策も立てゝ居なかつた結果が、結局今度の破綻を暴露したのでは無いか否かを考へて見たい。今囘の船舶業組合法案は假に成立しても、要するにこれは千トン以上の問題である。さうして多數國民の將來の機會は、寧ろ却つて千トン以下のものにつながれて居る。吾人はこの更に根本的なる重要問題を討究するためにも、永く目前の船主救濟案を、未解決の?態に放置するを欲しないのである。

　今度の米穀委員會の序をもつて、兎に角に三つの點だけは明かになつた。一つには昨冬調査會の可決答申した米價基準公定の問題が、今でもまだ農林大臣の念頭に留まつて居るといふこと、二つには米穀市價の昂低に關して、比較的豐かなる知識と大なる關心とを持つて居る委員たちが、少なくとも基準を設けるといふ方針だけに對しては、格別(432)の故障を唱へる考へはないらしきこと、三つには主務當局とこの重要政策との關係が、相變らず調査考究中の外へは出て居なかつたことである。煮え切る煮え切らぬの批評は別として、この三つの事實の前の二つだけは、まづ／＼結構なことゝ見て置いてよからう。

　一體この政府は創立以來、幾度か農村の振興には冷淡だといふ類の、惡評を投げかけられんとした政府であつた。單なる自家防衛の必要から考へても、少しは米穀法などの運用において、何等かの新機軸を試みなければならぬ立場に居る。ところが昨年の調査會は、騷ぎが大きかつた割にはこれぞといふ意見も無く、大抵は前年事業の尻ぬぐひと、一部の思惑師の鎭壓とに終始し、後に殘されたものといへば、ほとんとこの基準案あるのみであつた。その後農村の收入?態は、數月前から見るとまた少し惡くなつた。議會は近く迫つて居るのに、政府無能の論は、幾分か前よりは耳を傾けられ易くなつて居るのである。かゝる際に當つて僅ばかりの買換などを計畫して、損で申し譯をしようとするなどは、第一に智惠の無い話である。なるほど現在の米價低調は、事實農民の大多數のために、風馬牛相關せざることには相違ないが、果してこの漸落の傾向が、如何なる程度において反動を見、また少くとも食ひ止め得られるかといふことは、將に本年の生産に取りかゝらうとする人々に取つて、どの位大きな問題であるかわからない。吾人近年の經驗によれば、この農村の不安はおよぶ所廣く、また若干の持續性をもつ上に、都市のそれに比べると甚だしく内面的であつて、從うて田舍の生活を陰うつ〔二字傍点〕ならしめて居る。町の人は心輕く、しばしば笑ひもし忘れもして居るが、村ではもう餘程久しい間、昔の豐年滿作の悦びとは縁を切つてしまつて、百姓はつまらぬといふ類の歎聲を、くり返してばかり居るのである。假に失業者の半分が衰へて還り來り、新たに彼等の負擔を加重するやうなことは無くとも、農民をこの?態に放置して、政治の清く明らかならんことを、期待し得る道理は無かつたのである。然るに基準案は假に萬全唯一の策で無いまでも、兎に角にこの底知れぬ不安と動搖とに向つて、一つの足がかりを供與する力だけはある。少なくともこれを土臺にして、生産の新たなる企畫を立てんとする者だけには、ある程度の安全率を受合つた(433)ことになるのである。假にその基準の適不適について、將來の論議は免れぬとしても、少なくとも必ず農によつて生を立てんと欲する者に、その繁榮の條件を示すことだけは出來たわけで、しかも政府としては別に今まで以上の努力も費さずに、保障者の美名を收めることが出來るのであつた。拔け目の無い政治家ならば、一人でもかういふ妙計は案出したであらうに、堂々たる調査會の決議を背後にもちながら、まだ實行の着手さへも出來ぬといふのは、よくよく新しい仕事に對して、遠慮深い當局であると見える。

　けだし國務のじふ滯といふことは、日本積年の弊と名づくべきもので、今更これ一つの「調査中」を、惡みあざけるのも不公平ではあるが、今囘の米價基準案などは、あれ程念いりなる調査會において、永々しくひねくり囘して置いて、それから又「調査中」だから殊に滑けいに聞えるのである。しかも一方の辯明もまた一應の理由があるのは、その調査會が實際はあまり調査をしては居なかつたのである。いはゆる上山案の平均物價指數から、二割の上下を限度とするといふ案と、他の一方の現實生産費を基礎とする算出方とは、根本の主義において背馳して居る。さういふ二つの兩立し難きものを、種々なる反對意見を付して引渡し、取捨を執行官吏に一任する位ならば、調査會などは有れども無きが如きものであつて、假にその議事態に對して若干の敬意を表しようとすれば、幾ら有能なる者でも、再び調査考究中に陷らざるを得ないわけである。然し必要なるものは解決であつて、問題の承認だけでは無かつたとすれば、これを處理することは既に當局の任務に屬して居る。試みに吾人の判斷をもつて參考に資するならば、生産費は人により土地によつて區々であり、これを平均しようとすれば結局は皆事實と反するは同じである。物價指數を標準とする案も澤山の缺點があり、かつ二割の開きを認めては論理に合はぬが、兎に角に外部の材料に由つて豫め算定し得るものを、目標と定めて置くことは便利である。農業生産費の中でも、土地資本の評價は常に外部から指定し得る。たとひ人爲的にもせよ一旦その標準が定まるならば、生産費をこれに調和せしめることは困難で無い。たゞそれが現實に個人の損失に歸するといふことが、常平政策の一つの障害であつたが、現在の市價?況は自然にその障害を(434)無くさうとして居る。今を機會として將來の底根を保障して置くことは、もつとも行ひ易い方策かと思ふが、果してこの次の反動高を夢想する人々の不滿を押し切つて、取捨をこの際に決するだけの勇氣があるか否か。殘された問題は今ではもうこれ一つしか無い。

　公私經濟緊縮の擧國運動は、當初この政府が財政難局の打開策として、案出されたかの如き印象を與へた故に、果して豫期の通り一般國民の理解と共鳴とを得るや否や、實は少しばかり氣遣はしかつたのである。ところが過去半歳有餘の成績に徴すると、理解の點にかけてはあるいは十分に精確でなかつたかも知れぬが、少なくとも多數の共鳴者だけはあつたと見えて、今まで見られなかつた一種の新傾向が、ちやうどこの運動を境に、徐々として一國經濟生活の表面に展開して來た。無論これもまた一つの時運であつて、必ずしも功を中間傳達者の努力のみに歸することは出(435)來ず、發案者たる現政府とても、單にこの隱れて居る人氣を見つけたといふだけで、假に今後の變化が完全に愉快なものであらうとも、それを自分たちの手柄として誇るわけには行かない。がそれは要するに歴史家の問題であつて、差當り決して置く必要は無い。何にもせよ一つの計畫が效果を全國におよぼし、その是非利害の跡が明白に論じ得られるといふことは、政黨政治の本意とするところであり、濱口内閣に投票した國民は、當然に彼等の惡びれざる全責任を信じ、今頃除外例や緩和策のせん〔二字傍点〕議をもつて、自らその實行の力を弱めつゝあることを豫期しないであらう。今までの多くの政府が、單なる一片の訓諭をもつて、難事を人に強ひんとしたに反して、この内閣は同時にまた自ら約束して居るのである。官廳は寧ろ率先して、節約の範を掲ぐべきことを、可なり強烈の節をもつて國内に宣明したのである。しかうして彼等は何事をなし遂げたか。國民自身の側からの報告は既に到着した、彼等の多數は在來の消費方法に、若干の不備ありしことを意識して居る。個々の判別には失敗はあつたにしても、兎に角にその生計に整理の餘地あることを認めて、ある種の消費はこれを省略しようと試みて居るので、その影響はまづ多くの都會職業の上に現れて居るのである。地方公共團體においては、中央よりも一歩を先んじて、この風潮に追隨する必要があつた。これに對する監督官廳の態度は、近頃甚だしく不徹底であつて、一方に節約を勸めつゝ他方支出を誘ふが如き形はあつたが、それにも拘らず彼等はその緊縮を中止せず、往々にして必要なる諸經費の上にさへ削減を加へんとして居るのである。然るに發頭人たる中央の政府では、昨年實行豫算の遣ひ拂ひを一部延期し、今年は必要なる幾つかの費目をくり延べて、當分の豫算減を示しただけをもつて、あるいは一通りの公約を果したと、自得して居るかと思ふ懸念がある。反對政派の惡口を待つまでもなく、それはゐ〔傍点〕縮であつて緊縮といふものからは遠い。いづれ行はなければならぬ國の事業ならば、寧ろ遲れるよりも早い方がよいのである。その樣な支出を後囘しにしたところで、本當は少しも儉約になつてはゐない。折角國民の意氣込をこの程度にまで高めて置きながら、現在では自分はまだ不當に樂をしようとしてゐるのである。

(436)　今度鐡道省で本年度の物品購入費に、一千五百萬圓とかの節約を實行するといふことは、何よりもまづこの政府の信用のために、喜ぶべき報道といふことが出來る。この中にはいはゆる市場不景氣のおかげによつて、安くなつた部分が何程あり、いはゆる國産愛用の趣旨によつて、代用し得たものが何程あるか、もし早くからこの方針を採用したならば、更に結構であつたらうといふ類の事は、今更振りかへつて論究するまでもない。政府が恐らくは國の最大の消費者であつて、これまで大家の會計役の如く、徒らに在來の出入商人を愛撫して居たことは、實際はもう少し前から反省してもよいのであつたが、強ひてその點を責めようとすれば、却て改革をはゞむ結果になる。それよりも注意しなければならぬことは、物品の大量需要者は、ひとり鐵道の一省だけではない。現在の物價指數の下において、尚以前の標準を持してその豫算を算出し、一旦許容せられたる金額である故に、これを如何樣にも支出すべしといふ考へ方は、果してこの公私緊縮の運動を一期として、一般に根絶することが出來るであらうかどうか。同じことならば決算の事後にこれを責めるよりも、特に今期の協賛に際して、豫めその態度を明かにせしめたいものである。

　いはゆる國産品の奬勵が、一種の愛國運動の如く解せられるといふことは、實は日本の名譽とはいはれない。しかも自然の論理の通りに、圓滑に實現しなかつたのは、大體においてそれが不利であつたためで、値が安ければ品が惡く、品が通常なれば價が高く、いづれにしても外品に劣る場合が多かつたからである。關税に保護され運賃に惠まれて、尚そんな?態に永く留まつて居たのは、單なる生産費の問題ではなかつたのである。我々の大きな不利は販賣費の大きいことであつて、その弊害の本家本元は、實は官廳の買入方法であつた。今度の鐵道の節約と稱するものが、もし幸ひにして健全かつ永續性あるものならば、ゆく／＼その利益を一般の小消費者に分つ以前、まづ好き手本を他の政府諸機關の、これまで大切な旦那場として、甘く見られ激しく爭奪せられて居た大消費者に示して、今少しく具體的にこの内閣の苦心を、國民の前に實證することが出來るだらうと思ふ。

　堀切東京市長が罷めようとする主たる動機は、あるいは正直のところ健康が永くその職に留まることを許さぬと感じたためかも知れぬ。病氣は必ずしも定例の口實で無いのかも知れぬ。全く今までの帝都市長の地位は、寧ろ心身の強壯なる者を、不眠乃至は神經衰弱に陷らしめるやうに出來て居た。折角衆望をもつて招請した堀切氏を、同じ災厄に遭はせたのは氣の毒であるが、實は市民の側ではその根本的診療をこそ、同君に向つて期待して居たのである。既に内外多年の經驗によつてこの實?を知り盡し、改めて一種の決意をもつてこの重任を受諾した人が、僅か一年ばかりの後に同病相憐れむに至るべきことを、豫想し得なかつたとすれば意外である。だから世上には樣々の臆測が行はれるのである。

　堀切市長の人氣の原因は、本人は却て心づかなかつたでもあらうが、何よりもまづ彼が單純で氣持のよい就任の態度にあつた。才能や識見も素より重要であるけれども、多數の市民はそんな事までは考へて見ない。これ程面倒なしかも問題の多い職務に向つて、自薦もせずまた尻込もせず、單に頼まれたから出て來て、力一杯に働いて見ようとした意氣込を買つたのである。自身一個の進路から商量するならば、必ずしもかやうな難道を踏まずともよい人が、いはゞ仕事の面白味に引寄せられて、一つ大いに遣つて見ようといふ氣になつたといふことが、古來東都の住民の、殊にうれしがる點でもあつたのである。今頃いはゆる明哲保身の術を講じた、僅な眼前の事業の一段落を理由に、任期を度外にした圓滿退職などはせぬといふことを信じたればこそ、兎に角にこれまでの目に見えぬ支援が與へられたの(438)であつた。何かよく／＼の新たなる理由なき限り、この信頼に背く者は無いはずである。

　復興祭の花々しい式典のうちにおいても、市民は決してその第二段の完成が、更により困難なる事業であることを忘れては居ない。堀切市長の負はされて居た大任は、いはゞ今から取かゝるべきものばかりであつた。増税の新豫算は辛うじて成立したといふのみで、復興公債の利子補給問題を始めとしその執行にはまだ色々の難關が横たはつて居る。新規事業は現在尚腹案の程度に在つて、いつでも根本から覆へされるやうな?態に置かれて居る。それだけの事業ならば何人にも計畫が立つともいへるが、果してこれを舊式の實現手段に押戻し、再び淨化の必要を叫ばれるやうな懸念を生ぜぬとは何人も斷言し得ないのである。市電の紛亂は一應治まつたといふのみで、これを呼び起した根原の弱點には、少しでも手はつけて無い。それよりも更に大きな懸案は、内部行政の組織、これと市會との裏面の關係を改革することであるが、漸くその入口に差かゝつたばかりで、突如として一種の病氣にかゝるやうなことでは、餘りとしても市民の冀望に反するものである。一年以前の堀切市長の樂觀が、あるいは無邪氣に過ぎたものであつたか否かは、今更批判して見ても仕方が無い。それよりも考へて置いてもらひたかつた一事は、假に豫想しなかつた故障が新たに現れたとしても、それを乘越えまた取除くことも、同じく市民がこの少壯市長に對して、寄託して居たところの事務の内であつたといふことである。少なくともこれを市民の前に明白にすることは、恐らく他の如何なる後任者にも、期待することが出來ないのである。

　一方市民の側においても、同時にまたこの機會において、何が堀切市長の豫想外であつたかを、考へて見る必要があるやうに思はれる。たとへば道途傳ふるところの部内の不統一、たつた五人か三人かの同役の間において、一年もたゝぬに意見の疎隔があり、對立の勢ひを養成したといふ原因は、果して制度にあるか、またはたゞ人々の癖にあるか、その原因は順序を逐うて、次第にこれを無くすことが出來るものか。但しは一刀兩斷の處理にまつべきか。市會は一旦淨北の實を示したやうに、我も人も喜び勇んだけれども、尚その背後には忌はしき舊分子の、潜んでこれを左(439)右せんとするものがあるのでは無いか。ひとり一個の現市長が、去るか止まるかの小問題では無いのである。毎囘の市長異動に際して、必ず秋波を送り風評を促成し、もしくは隱約の奔走を事とする者は、實際市を懷ひ市に盡さうとする以外に、何等かの動機を包藏せぬ者であるか否か。これと呼應して變化を利用せんとする者が、果して今日はことごとくへい息して居るかどうか。もし假に然らずとすれば、吾人の市長問題は永遠に未解決だといはなければならぬ。即ち市民の努力はこれではまだ十分とはいはれぬのである。ひとり病と稱する一堀切氏の無責任のみを、窮追してすますわけには行かぬやうに思ふ。

　現在日本の對外經濟に取つて、蠶絲業の盛衰ほど重大な影響を持つて居るものは無い。だから一旦の政策が失敗であつたと決すれば、これは政黨の論爭から超越して、急いで適當なる善後策のために、朝野の力を合すべき問題であつた。然るに政府當局はその誤信を強辯して、分り切つたる結末を將來に見送らんとし、反對派はまた單にこれを過(440)去非政の證左に供せんとするが故に、いよ／＼救解の機會を遲延せしめて居る。たま／＼議會の開期中であることが、却て眞率なる政策の討究を妨げるといふのは、實際笑ふことも出來ない深酷の皮肉である。

　政府の承服すると否とには論なく、いはゆる絲價安定策が理由なき樂觀に出發したものであることは、それが少しでも豫期の效果を擧げなかつた一事を見たゞけでも既に明瞭である上に、今はまた第二次の新絲計畫に直面して、案の發頭人たる中央會の要部までが、ほとんとその當初の論法を持續し得ず、思案投首の?に陷つて居るといふのが、即ちまた何よりの強い證據である。私益防護に急なる者の、いはゆる專門意見ほどあてにならぬものは無かつた。今更これ以上に窮追するまでも無く、かの政策は失敗であり、大いなる國家の損失であつた。政策一轉囘の必要は既に目前に迫つて居るのである。

　それならば果して親切なる政治家の、かねて國民のために第二段の政策を考案して居た者があつたかといふと、その點はまだ至つて覺束ない。たとへは代議士大口喜六君の、この間題に對する意見などは、一半は確に傾聽すべきものがあつた。政府當業者が昨年の見越輸出の結果、海外の在荷高を過剰ならしめ、市場制御の實力が一部彼に移つて居ることに心つかず、もしくは強ひて知らざるを裝うて、わざと對抗の虚勢を張らしめんとしたことが、寧ろ今日の行詰まりを、更に苦痛多きものならしめた原因といふことは出來るであらう。しかも政友會が假に政權を執つて居たとして、その早晩斷行すべかりし金解禁の後に備ふべく、果してかの桑園の改良と繭質の優化とのために、數百萬圓の補助金を農村に散布するだけをもつて、安心することが出來たらうかといふと、何人も首を傾けて否と答へんとするであらう。のみならず、恐らくは黨員自身の間においてすらも、急場に臨んでは何の判別も無く、やはりまた專門團體の希望に聽いて、無益なる補償法の適用を試みようとする説が起らずには居なかつたらうと思ふ。黨爭の尖鋭化した今日の?態において、過去の失政の遠慮會釋も無く指摘せられるのは、これは如何ともせん方無きことではあるが、いやしくも人心の歸趣を問はんとする意圖がある野黨ならば、この單なる政府攻撃の材料以外、何か今一段と有(441)望なる自己の方策を提げて戰はなければならぬのであつた。この點はひとり一個の生絲對策だけでは無く、すべての不景氣問題に對しても、等しく世上の政友會に期待するところではあるが、特に急迫せる蠶絲政策において、一層の物足りなさを感ぜざるを得ぬのである。

　僅かばかりの補助金に勿體らしい名を付して、幾つとも無く掲げて置くことは、いはゞ政友會の傳統の政策であつた。隨分久しい間そんな事をくり返して居たけれども、そのために農村は振興せられては居ない。誠にこの一黨が田夫を友とする志を有つものならば、今の如き場合にこそ、もう少し壓迫せられたる彼等を省みるべきであつた。蠶絲業同業組合中央會は、地方の小さな養蠶者をも總括した團體であるが、内部の勢力はやゝ均衡を失して、後者の利害は必ずしも十分に代表せられて居ない。たま／＼希望の不一致がある場合には、なだめすかされる役割は大抵は農民が演じて居る。殊に今囘の不自然なる生産制限においては、最後の負擔の農民の上に歸すべきことは製絲家自身さへこれを公言してゐる位である。共通なる資本家の利益を保持するためにすら、尚機械に封印をつけなければ、密に申合せを破らうとする彼等のために、少地積の桑園を改良しつゝある者が、果して限産の御付合ひを忍び得るであらうか。かういふわかり切つた問題をすら、尚團體外部の者から批評せられなければならぬ?態においては、彼等の發案した蠶絲政策が、寧ろいち早く失敗に歸したことを、幸ひとしなければならぬのであつた。

　然るに今やさういふ人々の團體の中ですら、いはゆる人爲策を斷念すべしとする傾向が次第に著るしくなつて來た。政策はいづれは人爲のものであるが、今囘失敗したものは餘りにも恩澤が一部的であり、かつ極端に消極的であつた。國の生産を減じ貿易を衰微せしめるために、骨を折り金を使はうといふ政策がさう安々と行はれる道理は無い。放任こそもつとも自然である。如何なる作略を施さうとも、需要以上の生産が持續するわけは無いが、これに選擇移動の餘地も與へずに、外部の抑制をもつて中止せしめようとすれば、小さな生産者のまづ困ることは明白である。しかも一切の限産案はすべてこの結果を豫期しつつ、一時の苦しまぎれにこの途を進まうとするものであつた。そんな計畫(442)を座視しながら徒らに過去の失敗の原因を論究する者を、農民の味方と認めることは出來まいと思ふ。

　豫想の通り、騷ぎばかり徒らに大きな特別議會ではあつたが、せめて最終の經濟問題決議案だけは、何とかして十分の言議を盡さしめたかつた。反對黨が時期を見ると稱して、一旦交換した意見のうちから、有利なる論材を集拾して、これを捨臺詞的に投げつけて去らうと企てたのも眞面目でないが、與黨がただこれを避けまた押つぶすことに專念して、一向に自分たちの正しと信ずるところを、公表する機會をとらへようとしなかつたのは、すこぶる彼等のために不利益な態度であつた。二百七十何名の絶對多教は、存分に濫用せられてしまつた。これに對して久しく頭數の優勝にばかり頼つて居た政友會が、自身まづ内に弱味を感じて居たためか、はた單に戰法の拙なるがためであつたか、終始非難と惡評の放送を事として、かつて堂々たる積極の論陣を張つて、江湖に見ゆるの氣はくを示さなかつたことは、寧ろ同情を抱く人々の特に失望を禁ぜざるところであらう。

　政友會傳統の積極方針なるものに對しては、少なくとも一部のものは今も尚希望を抱いて居る。それが單純なる一種のかけ聲でなく、また放漫なる行政ぶりを粉飾するための好名義でなかつたといふことを、證明してもらひたがつ(443)て居る者は、今日は更に多いのである。あるいは總選擧の際においでは、いまだかの「景氣か不景氣か」の標語に耳を假さなかつた者のうちにも、今ならば近よつてその所説を檢討しようとする者が出來て居るかも知らぬ。もし果して故意でなかつたとすれば、またと得がたいやうな好機會を逸することは、何にもせよ惜しいことである。濱口氏の内閣は主要なる憲法の條章を解決するに、甚だしく齒切れの惡い態度を示して評判を惡くしたが、その經濟政策を執持する點については、意外にも堅固なる意思を現して居る。だから直接これに向つて政策の轉換を迫ることは、いはば「厭やがらせ」であり若くはたゞ雄辯法の實習に過ぎぬものゝ如く、玄人は却て考へてかゝるかも知らぬが、實際をいふならば政府にこれだけの勇氣を持たしめた力といふものが、まだどこかにあるのである。それは大資本家團でもなく、またいはゆる彼これ屋でもないことは、政友會自身も略々これを解して居るであらう。その與論の中心を見つけて、これを動かし得たならば轉換は必ずしも難事ではない。孤立の二百七十餘名は、到底永く國民の所信に、背反した政策は行ひ得ないからである。

　今の内閣がともすればこれを自力一方の作用の如く解することは、誤りであるけれどもまだ害は少い。これに反して問題を公人の經濟意識に訴へず、個々のもつとも迷ひ多く、もつとも判斷に乏しき者に對して、單に證明せられざる結論を説き聽かせ、實現に遠い希望を抱かせようとすることは、結果において殘酷であるのみならず、また無用の紛亂の種でもある。幸ひに世人は總選擧の時のやうに、狂奔もせずまた動搖もして居ない。二個の相容れざる方策の得失を判別する力にかけては、寧ろ衆議院以上の公明であり、かつ冷靜である者は幾らも居る。假に一方において不可能であつたとして、直に絶望してしまふ必要はない。少くも今日地方の與論が、いまだ容易に反動政策に走らうとしない理由を尋ねて、し〔傍点〕細に論評しまた丁寧に講説する餘地はあるのである。

　いはゆる積極政策の不信用は、必ずしも民政黨の中傷に基づくものではない。以前幾度かこの主義を標示して、これといふ效果の擧がらなかつたこと、若くは往々にして惡用の弊があつたといふやうな、歴史的理由ばかりが妨害を(444)して居るのでもない。それよりも肝要なる一點は、果して現在これを唱ふる者に、如何なる實行手段があるのかをいまだ知らぬからである。果してこの忌はしい經濟界の沈衰が、彼等の力量によつて晴々と取除くことを得るか否か。それを確める途がまだ與へられて居ないからである。今や全國の消費減退は、如何にも政府が自慢をすることの出來ぬまでに、失業その他の困つた結果を招いて居る。しかも突如として日本に入込んだ大規模生産の技術が、いつでも入用以上の産額を供給して、無理にも國内にこれを處理しようとして居た事實は、相次いで現出する生産制限と市價低下によつて、ほとんと完全に暴露したのである。資本力は既に具はつて智能これに伴はず、いつでも人眞似をして同じやうな物ばかりの生産に餘分の力をかけ、更にこの?態を維持するがために、やたらに消費をすゝめて居たことが、忽ちにしてこの不景氣を招いたのである。しかも政府にはたとひこれを善導するの術が無くしても、その無駄排除のために省略せられる資力は、いつまでも死藏せられるはずがない。自然に必ず流出して、一層有效なる新種の生産を促すことは明かで、これに對しては勞力も物價も、現在は殊に便宜が多いのである。消極主義の政府の弱點は、もちろん明彩をもつてこの將來の經濟界を描寫する能はざりし點にあつたが、それがために現實の希望は破壞せられては居ない。恐らくはやゝ目先の利いた者から、既にこの隱れたる機會を利用して、今にその成績を世に誇ることになると思ふ。いはゆる國産奬勵の運動は、この意味において期待せられてをる。もし強ひて今までの過剰生産を尻押する方面にのみ、この運動を向けてゆかうとすれば、結果は却てこの自然の展開を妨げるかも知れぬのである。故に野黨の政策轉換論は、その内容次第では迎へられる時がくると思ふが、單に今まで高唱してをるやうな逆戻り一方の主義では、恐らくはもう共鳴者は得られぬのである。

　從來の良二千石に期待せられたる美德は、あるいは政府方針の忠實なる傳達であり、また謹直なる准依であつたかも知れぬが、それは多分中央に十分の計畫がある場合の事であつた。今囘は議會で公然と承認せられた通り、政府が實行を決したる救濟手段は、未だこの深酷なる經濟不況に對して、施すべきものゝ一端に過ぎぬのであつた。その後日淺くまたは多忙にして、何等の腹案の新たに追加せられたものも無かつた事は、首相内相の訓示が重複してよくこれを示して居る。假に明白に助勢を頼むといふまでの言無くとも、これだけでは到底持つて還つて、各地方の人心を安んずるには足りない。乃ち地方官各自の活躍は、暗黙に要望せられて居るのである。

　いはゆる不急土木の即行の如きは、政府をしてその節約非債の原則を破らしめるには、惜しい位の姑息策である。職業紹介の機關も無きに勝るといふまでで、これを理想に近く改革して見たところが、尚「燒石に水」の歎息を免れ(446)ることは六つかしい。失業保險の制度が日本に向かぬといふ愚論は解し難いが、兎に角に現在の間に合はぬだけは確である。さうなると結局は國内産業の發達と、海外貿易の隆興とによつて、新たに勞力需要の途を開くの他は無いといふことに歸着するのだが、果して現政府の高唱するが如き國産愛用の聲によつて、出來るだけ短い期間にその目的を達し得るであらうかどうか。これが實際は今囘の地方官會議の何よりも重要なる一議題であつたのである。

　政府當局のこれに關する見解は、一言でいふならば國内消費者群の判別力に對する、總括的の不信任であつた。彼等は外國崇拜の夢まだ覺めやらず、いつも同品質以下の貨物に向つて、誤つて餘分の代金を輸入者に拂つて居たかの如く評せられて居る、左樣な愚劣なる貿易が、果して永い間續き得るものであるか否か、それがまづ第一に疑はしいやうである。從來の國産運動も常にこの通りであつたが、これは甚だしく生産者の側に寛大なる批評である。開國初期の我々の消費が、笑ふべき外國趣味の盲從であつたことは事實であらうが、その類の洋化者は實は數において甚だしく限られて居たので、これを全國的の傾向にしてしまつたのは、たうたう〔四字傍点〕たる内地の模はう〔二字傍点〕製造家であつた。彼等の眞似は最初には甚だ拙であり、しかも宣傳は相應に上手であつたがために、消費者は往々にしていか物をつかみ、欺かれ笑はれたる不愉快な經驗を重ねて、こゝに和製に對する悲しむべき不信用を引起し、たま／＼改良を重ねて優に外品を壓するやうになつても、尚多大の努力を費すに非ざれば、自家同胞の所産を愛用せしめ難いまでになつたのである。單なる趣味もしくは見得坊によつて、外品を求めんとする者は決して多くない。しかも原物と模はう品との二種あることが明かならば、人は後者を忌み輕んずるもまた自然の情であれば、責は寧ろ舶來とまぎらはしい商標を付して、強ひて外國趣味を賣付けんとした製造者の方にあつたといつてよい。

　さういふ多數の製造家が、外圖品の高價なる間は存分にその比較差を利用し、一朝逆に競爭の壓迫を受けんとすれば、忽ち保護を急呼して自己の弱點を補助せしめ、競爭が幸ひにやめばまた生産を加減して、徹頭徹尾消費者をしぼり上んとしたのも久しいことであつた。その上にこの異國趣味を一つの武器として、常に心輕き消費者の選擇を左右(447)して居たのも彼等である。だから單に國産愛用の標語を掲げて、無差別に國内の生産品を尻押することは、假に政府にはさういふ目的は無くとも、再びまた善良なる消費者をして、責任なき模はう生産者の食ひ物たらしめる危險が多いのである。

　國の生産力の現在の餘剰は、無論是非とも有效なる事業に、これを利用せしめなければならぬ。さうして何が有效であるかは、消費者で無ければこれを決することが出來ない。地方の行政官は比較的彼等と近いといふのみで、從來はやはり中央と同じく、常に從順に企業者の勝手放題なる生産に追隨し、これに奉公することをもつて勸業と解してゐたけれども、今は既に世情も改まつてをる。無益の消費の國民を貧しくしたことを經驗した人々は、恐らくはまづ新種の國産の、更にこれによつて第二の生産を展開するやうなものを選別することが出來るであらう。國産愛用を實現せしむるには、是非とも愛用するに足るものを國産せしめるやうに努力しなければならぬのである。

　過日全國の地方長官を宮中に召させられし際にも、陛下には特に靜岡縣知事に仰せあつて、もつとも縣民生活の實況を、有りのまゝに御覽なされんとする思召しを示されたと傳へられる。この縣は各種の産業及び教育の諸施設において、優に出色ある一地方には相違ないが、それが今囘の行幸地として選定せられたる理由は、一つにはその交通の利便、一つには農工商漁各種の生産樣式は相接觸し、融合して一團共同生活體の繁榮に進まんとする光景が、特に一望のうちに收められるやうな地勢に在るからであつて、寧ろその長所短所が、共に全國府縣の現在を縮寫して居る點に、恐らくは代表の價値があるのである。修飾は即ち無益なるのみならず、これを單なる一靜岡縣の面目と解して、その光榮を獨占せんとするが如きは、また海と深き仁慈の聖旨に副ふもので無いと信ずる。地方には素より各自の利害があつて、時としては他方の抑制をもつて一方の獨進を期する弊もあつたが、過去六十年來の中央統一は、今や既にその大部分の幸不幸を共通ならしめて居る。まれに恩澤の厚薄を感ずる例はあるにしても、今日國を擧げて憂愁し(449)また希望する當面の生活問題の如きは、ほとんと過不及無く隅々にまで行わたつて居るのである。地方一樣の不安は、中央部の大體政策が、あるいは田園の實情を忘れて伸展しはせぬかといふことであつた。文化の標準が都府に置かれてあるために、地方は取殘されて行くのでは無いかといふ懸念が、しば／＼不必要なる都市追隨を誘引したのであつて、そのために地方の優秀なる知能は、必ずしも郷土の幸福のみには利用せられては居なかつたのである。たとへば靜岡、濱松、沼津の如き市街地は、いづれも由緒ある舊文化の中心であつたけれども、今やほとんとその任務を東京生活の仲次に限つて、いまだ獨得の地方文化事業を分擔せんとせず、僅に自分等より更に小さい町村に向つて、一種遠來の生活趣味を、押賣して生きんとしてゐたのである。かういふ弊害においても、やはりこの縣は全國を代表して居る。一たび車駕の親臨を仰ぐことによつて、始めて地方各自の改革が、やがては全日本の新たなる國運を開くべき端緒となるべきことに心付く者が出てくるならば、直接このたびの光榮に欲し得ない他の府縣とても、決して徒らに靜岡縣民の幸福をうらやむことは無いであらう。

　前代國郡の巡狩は、主として恩寵を四民にあまねからしめんがために、いはゆる車てつ馬跡をもつて、全版圖の上に印せんとせられたのであつたが、今日は最早その必要は無い。殊にこの國民經濟の一大過渡期に際會して、聖天子御身親ら進みて小民の疾苦に感動したまはんとする有難い行幸である。有る限りの將來の希望と、これを實現すべき勇氣と熱情を表白して、少しでも大御心を安め奉るより以上に、より誠實なる奉迎の辭は無いのである。時はあたかも農桑、水産、その他色々の屋外作業の、もつとも繁劇なる際を選びて、地方を巡察したまはんとする聖旨は奉體しなければならぬ。個々の團體が相競うて、この機會を自分達の幸福に記念せんとすることは、私情としては美しいけれども國家的で無い。徒らに形式の繰返しをもつて、御多忙なる御旅行を煩はし奉ることは、殊に御自由なる御觀察と御研究のために、衆人相戒めて差控へるやうにしたい。これが光榮ある靜岡縣民に對する全國一般の期待である。

　不景氣救濟の唯一つの間に合せ策として、政府が無暗に自分の自由なる低利資金を貸ださうとすることは、相手がいはゆる中小商工の如き、働かずには食へぬ人々である場合においても、尚往々にして彼等の退縮を援助奬勵する結果に歸せんとして居る。最近の擔保生絲の補償にせよ、また今より行はれんとする養蠶金融にせよ、目的は單に生産の制限、乃至は供給抑制の消極的自衛に便宜を與へ、當業者をして幾分か腰強く、次の反動的高相場まで持堪へさせるといふに過ぎない。それが首尾よく成功したところで、國内物價の一般水準を低めて、生活を安易ならしめようといふ當初の計畫とは合致せず、また眼前の失業對策、即ち國産を増殖して新たに勞力の需要を促さうとする方針とも兩立して居ない。現在のとらはれたる政客には、助成と救濟との差別が立たぬ者は多いかと思ふが、それがどちらでも好いといふのん氣な時代はもう過ぎてしまつた。殊に林業の方面にあつては、その弊はとくに實際問題となつて、地方人を苦しめつゝあるのである。

　漁業においても同じ傾向は現れて居るが、林業の資本化は日本においてはそれよりも更に甚だしきものがあつた。かつては山地住民の將來の生業に備ふべく、森林を保管しまたは植栽した町村、もしくは部落や篤志者が相應にあつたことは事實であるが、それが追々と利用の期に近づくと共に、權利はいつと無く資本家の手に移つて居る。少なくとも形勝の地は彼等に占められ、他の比較的不利の地位にあるものはこと／”＼く彼等によつて死命を制せられて居る。農地が今日も尚二分の一以上、所有主直接經營の下にあるに反して、林地の勞働者はほとんと一人として、貿本運轉(452)者の奴僕たらざる者は無いといつてもよい。新たなるいはゆる林業家の一半は、もつとも怠慢なる不在地主でさへもあつた。たま／＼地元に近く住んで、自身經營の興味を持つ者とても、その簿記方法は完全に都市風であつた。故に今日の如き木材市場の不況に際し、彼等にろう城の兵糧米を援助することは、當然に山村勞働者の雇上げの休止となるのである。農林省が目下努力計畫するところの山林擔保の擴張なるものは、取りも直さず失業の流行を、人知れぬ山奧まで持込まうといふ案である。

　過去の我國の林業政策に、多分の樂觀的採算があつたことは事實である。現在の山持ち等が數年前の好景氣時代に、高い單價をもつて山を買ひ、もしくは擔保に取つて流れ込ませたことも、あるいは彼等單獨の誤りでなかつたかも知れぬ。彼等は國家と共に米材の海を越えて來るべきを豫測せず、また樺太の官吏がやたらに素人材木業に寛大なるべきを知らなかつたことは、あたかも絲屋たちが人造絹絲の發達を、夢想しなかつたのと同じかも知れない。しかも前年の木材關税運動以來、彼等は明かにその評價法の失敗であり、資本投下の手段としては選擇を誤つたことを自認してゐるのみならず、現在の經濟情勢に面しては、また他の多くの株主や問屋と同樣に、早くその手持品を賣拔けて、損害をある程度に食ひ止めんとしてゐるのである。それを若干の他力本願派のみが、いつも未練を抱いて尚政府の特志に期待させようとしてゐるのである。

　事態を今日の如くならしめた責任は、國民もまた一部はこれを分たなければならぬ。我々は近世山林荒廢の害に懲りた餘り、木材だけには國産愛用を心がけなかつたばかりか、更に山地の住民の次第にその生計の基礎を失ふべきをさへ意としなかつた。新田稻作場の發展につれて、村にもこの利害を顧慮せざる者が多くなつたが、山林は本來農業收益の急激なる減少を補充するために、天然が用意してくれた臨時の作業地である。外に出て居た働き手が業を失つて、再び戻つて來ても差當りは困らぬといふことが、もし日本の誇るべき特殊國情ならば、それはこの類の伸縮性ある作業が、故郷に待つて居てくれることを條件として居る。さうで無かつたら田舍の慢性的失業は、必ず一段の惡結(453)果を、小作その他の方面に現すに相違ないのである。林地の荒廢はこれを防ぐ方法もあるが、農民心理の荒廢はそれよりも遙に氣遣はしいのである。

　全體日本の木材市價が、遙に海を越えてやつてくる外國品よりも、高からねばならぬ理由はどこにあるか。それを考へて見るのに現在ほどよい機會は無い。品質が優良であつて人が粗材を愛するとならば、早く安物に栽ゑかへる方がよい。勞銀が高くて困るといふなら、今はその供給が有り餘つて居る。運材その他の設備に金がかかるとならば、それこそ補助をしても早く改良せしむべきだ。さうして土地林木の元の評價が高過ぎたといふなら、林主は既にこれを知つて、大いに引下ようとして居るのである。一方失業者の減少のために、不急の土木をさへ黙認しようといふ者が、他方資本家の無爲に尻押して、彼等をして睡つて不景氣時代を通過させようとするなどは、到底常識ある者の許せない自家どう着ではあるまいか。

　與黨部内の消極方針綬和論には、その出發點において一つの誤解があるやうに思はれる。それは一言でいふならば政府能力の過信、即ち現在痛感せられる事業界の不振、これに伴ふ生産の減退と勞力の過剰とを、今も彼等の意志によつて實現しつゝあるものと認め、何か官府の手加減一つを以て、どの樣にもこれを引戻すことが、出來るものゝ如く思つて居ることである。この想像の果して當れりや否やを確めぬ限り、寧ろ不徹底なる轉換意見が、中から起るのも自然である。政治家の責任觀は、今日は決してその強きに失するを憂ふべき時でないが、不幸にしてそれが誤つたる判斷に基づく場合だけは、結果は國を更に悲しむべき混亂に導く故に、警戒しなければならぬのである。

　濱口氏の内閣がその成立の初頭に際して、極力國の財政の行詰まりを高唱し、これを打開するには何をさし置いても金解禁を斷行すべしとする以外に、一方には現在の民間消費の甚だしき放漫の?に在ることを指摘して、これを抑制しまた改善するためには、政府自ら進んで宣傳の任に當るも辭せずといふ、意氣込みを示したことは事實である。いはゆる教化運動は永續せざりしにも拘らず、かの聲明が意外なる反響を喚起し、あたかも時を同じくした金解禁の影響、その他大小の市場變化と合體して、次第に目前の不況を誘致したことだけは爭はれぬ。だから野黨が春秋の筆法を應用して、民政黨の政府日本を不景氣にすと攻撃したとしても、これを正面から否認する理由は無いのである。假に政府がかほどまでの效果を豫期しなかつたにせよ、はた實際は　　　略々豫期して居たにせよ、兎に角に原因は過去のものであり、その責任の歸屬もまた極めて明白である。しかも問題は今や第二の更に國難なるものに入つて居る。單(455)に政府が過去の「失政」を自認して、急いでその逆轉を企てたとしたところで、果して以前と同樣の「好景氣」時代を喚び返し得ると信ずる者は、百パーセントの積極論を抱持する政友會員中にも恐らくは甚だ少ないことゝ思ふ。政府は一方にその當初の方針の誤りではなかつたことを辯疏しつゝ、實は今日既に色々の緩和し得べきものを緩和して居たのである。さうしてその效果は格別現れなかつたのである。現在殘されてあるものは非募債主義の撤囘より他には無い。これとても現在の豫算難に直面して、あるいは寧ろその議論の強く行はれん事を、希望するやうな人情も底に動いて居らぬとも限らぬが、いかんせんこれを行ふときは政府はうそつきとなり、しかもその效果はまだ少しでも豫期することが出來ぬのである。

　この政府の新たなる經驗は、今日の經濟改造が潜んで居た一つの機運であつて、いはゆる消極内閣の發動は、その單なる口火に過ぎなかつたといふことでなければならぬ。若しそれが今日に至るまで、尚政府の一擧一動と終始するものであつたとすれば、局に當る者の無能は、今よりも更に何十倍も非難せらるべき理由があるのだが、國民は幸ひにしてさういふ物の見方はしてゐない。現在の生産がしば／＼國内の消費能力を超越し、しかも一方には有形無形の必要なる財貨が、今尚生産の圏外に放置せられてゐることを感ずる者は、少なくとも田舍に靜思しつゝある人々の中には多かつた。彼等が濱口氏の新方針に呼應して、能ふべくんば省的をもつて餘力を養ひ、次の生産に向つてこれを施さうとする念慮は、存外に熱烈なるものがあつたのである。この獨自の覺せいが若し無かつたならば、ほとんと首鼠兩端と評してよい樣な現政府の存在が、これだけの影響をもたらすべき理由は無かつたのである。然るに與黨のうかつなる自信は、内にその原因を求めんとして得ず、今や僅に一つ殘つた非募債主義を見つけて、これでも動かしたら現?が緩和せられるかと考へついたのは、實に飛んでもない不用心な話であつた。

　反對派の極端なる反動主義にでも出でぬ限り、一部の新起債や當もない新事業が、果して何程の變化を今日の傾向の上に加へ得るとするか。言はゞ自らその生産を制限せんとする過多生産者たちに、暫時の休息を與ふるだけのもの(456)ではないか。現在の多くの生産は制限し得る生産であつた。それを無限に消費せしめんとしたものが、今までの「好景氣」であつたのである。國力の新たなる展開を企圖するとせば、その考究と指導とは、是非とも既成産業の外に出る必要がある。もし政府と與黨とに、幸ひにして何等かの罪滅ぼしをしなければならぬ意が動いて居るとすれば、これから手を下してよい仕事は幾らでもある。改めて何が國民の生活において要求せられて居るか。それを見つけることが第一の仕事である。徒らに不信の名を甘受して非募債の旗印を引込めて見たところで、元の政友會時代に戻ることすらも恐らくは困難であらう。

　商工當局者の合理化意見なるものは、餘りにも含蓄が多かつたゝめか、幾たび拜聽してもたゞ單なるお題目としか受取れなかつたが、幸ひに今囘の實業家招待會においては、濱口首相が略々明白に代つて、その趣旨の存する點を公表したやうである。しかも當日の列席者中には、あるいはその樣な話を聽かうとは豫期しなかつたか、まだ何やら頓珍漢な答辯をした人もあるらしいが、あの演説は案外に具體的で、意味の二通りに取れるやうな文句は少ない。つまり戰時經濟の整理が、日本ではまだついて居なかつたからつけようといふのである。少し戰時の調子に乘つて、擴張し過ぎて居たから建直さうといふのである。即ち合理化をもつて生産過多の害を除かうとする、考へとしか解せられぬのである。

　ところが一方政友會の政務調査會においては、ちやうど同じ日の同じ時刻に、失業對策その他の特別委員會を開いて、その席上山本會長は、敢然として日本に生産過剰は無いといつてゐる。日本の不景氣はたゞ貧血だと言明してゐる。朝野兩黨の首腦部の見解は、この點簡明に相反してゐるのである。かう來なくつては國民の政治的興味は引立たない。今では雙方天王山の頂上を爭ひもしくは單に名目の異を求むるに過ぎなかつたものが、今度こそはいはゆる旗鼓堂々の對陣である。一方の説正しくんば他の一方は必ず誤つてゐる。どちらも負けるなといひたいが、どちらかが負けるに極つてゐる。これが國民の智慮と公正とに對する、大きな宿題で無くつて何であらう。

　一部と總體との混同を利用して、後で逃げ口上は御免である。問題は日本の主要なる若干の産業について、果して(460)生産過多といふ事實、即ち現政府のいはゆる合理化を必要とする事實が無いか否かであるが、この點に關しても政友會の達識家は、尚その生産微力觀を主張するや否や。それをまづ豫め念を押して置かなければならぬ。國の活動が一方に偏し易く、常に全體としては足らぬ勝ちの生産の中において、假にもし一部の商品が無用に多く作られて居たとすれば、その徒勞の失は倍加しなければならぬはずであるが、最近は生絲と繭、綿絲とその製品、セメントから鋼材の類まで、大よそ國内産業の十指の屈せられたものは、大抵は滯貨の處理に惱み、到底將來の操業短縮のみをもつて、その急激なる値下りを支柱し得ない?況にあるので、これを生産力のいまだ十分ならざる兆候と見ることは、兎に角に餘程困難な話である。從來の政策には往々にして、産物の種類と數量とを問はず、作られた以上は必ず賣れるやうに、又高くても買ふやうで無ければ、愛國心に乏しきかの如く、考へんとする傾向があつた。保護の關税などは生産者の、當然に要求し得る權利の如くなつて居た。國内はあるいはこれによつて、景氣をつけることも可能であつたが、國際貿易ばかりはさう自由にも行かない。だから一旦世界的過剰に直面すれば、忽ち鼻を突いて四苦八苦の窮況に落ちなければならぬのである。

　政府がこれにしや〔二字傍点〕口して責任の肩を緩うすることは固より許されない。殊に失業はこれをやむことを得ざる成行として、豫めこれに備へざりし罪を免るべきもので無い。しかも一朝の消費の變化をもつて、かくまでの多くの日給者を路頭に迷はしむべき?態に放置した者も、辯解の辭は實は無いわけであつた。今日少壯有爲の經濟學者は、多くは無産者のためにその研究を續けて居たにも拘らず、かゝる不安なる生産?態の下に、その大切なる同胞を寄託し、今僅に結果のかくの如く慘たるに臨んで、却つて合理化のやむべからざる害を非議せんとして居るのは、悲しむべき手おくれといつてよいのである。

　吾人の見るところ、濱口氏のいはゆる合理化は、泥棒になはといふ以上、ほとんと六日のあやめ〔三字傍点〕にも比すべき手おくれの救濟手段である。單にこの方が正しく、又棄て置いては尚惡くなる危險がある故に、あらゆる故障と困難とを(461)押切つて、少しでも早く後から追つかうとする努力で無くてはならぬ。それを一個の水先案内としても、甚だ心細き合理局を相手と頼み、今はまだ各自の生産減縮をもつて、國難呼はりをするやうな實業家に、最初の相談を持かけたのは實に緩慢至極のさたでは無いか。彼等實業家はこの日本の産業を、吹けば飛ぶやうな向ふ見ずの高調子に持つて來て、曾て新たなる必要の生産に、豫めその力を割くことを考へなかつた人々である。こんな人に相談をすれば、まづ私を救つてくれといふにきまつて居る。實に無益なることをしたものである。

　國の生産は消費が目途である。消費する以上作つてならぬのみか、消費すべきものだけは必ず生産しなければならぬ。それを固定の利害ある資本團に、伺ひを立てたことは間違ひである。日本には既に多數の消費者を代表して居る組合がある。彼等は消費のために新たに生産する必要あるものが、何であるかを知つて居るはずである。一日も早く餘つた力を、彼等の要求する生産の方に向ける工夫をしなければ、いはゆる横の合理化も、また一個の空題目に止まらねばならぬ。消費組合運動の健全なる發達のために、今日は誠に絶好の機會であるが、かの水先案内殿はどちらを向いて居るのか。またこの船頭たちもわや／＼と何をして居るのであらうか。舟を山に登らせない用心こそ肝要なれ。

　國立公園の候補地が餘りにも數多く、當路者がその指定に迷はなければならぬといふことは、めつたに他の國では聞かれない話である。出來ることならば土地にさういふ熱心なる希望者のある間に、今少しく大規模に此計畫を、進めて置いた方がよいかとも思はれる。が實際今日の運動者の中にはある者は他を排して日本一の名聲を博せんとし、またある者は國家をして、多額の支出をさせようといふ、下心のあるのだから始末が惡い。此二つの要求は恐らくは二つとも無理である。國立公園の宣傳なるものは、今までも相應に行渡つて居るらしきにも拘らず、如何なる事情であつたか今でも誤解は尚多い。公園といふからには、土の皮を引めくつて赤土をだし、ペンキを塗り、やがては門前をげん歌のちまたと化せしむるものと、心得てゞも居るかと思ふ人が、澤山に出てあるいて居るのである。調査會事業の第一着手は、無論まづこの無益なる期待を消散せしめることでなければならぬ。ありもせぬ金の使ひ拂ひをどうかうなどといふことは、それからずつと後の事でいゝ。

　國立公園の實現は、法律の制定を必要とするのを見ても明かなやうに、多くの自由と財産權の制限を意味して居る。座して優秀の風光を愛用して居る者に取つては、新たなる一種の地役であり、山水の社會奉仕である。現在の人口?態においてこの上自然を破壞すること無しに、地方の生計を保持して行くことは、實は決して容易なる苦勞では無いはずである。それを自ら運動してまで、國民全體の利益にさゝげたいといふのは、篤志ではあるけれどもその動機が解し難い。あるいはその地域が大半は公地であり、直接收用のうき目を見る人が少ないために、これもまた一つの廢(463)物利用の如く、氣輕に考へてをる者もあるか知らぬが從來何人も當てにしてをらぬといふやうな土地は、さう澤山には有り得ない日本である。果してこれを皆國立公園の内に、圍ひこんでもらひたいといふ要望が、精確に地元居住者の大部分の意向を代表して居るかどうか。それも今一度念を押す必要があるやうに考へられる。

　これまで地方の運動者等のさも全體の利益を増進するものゝやうに、内と外とに向つて高唱して居た計畫には、實際は沿道地主の懷勘定だけであり、もしくは少數客商賣の人々の喜悦にしかならぬものが、幾らもあつたことは、土地の住民がよく經驗して居る。今囘の國立公園の事業の如きは、目的が殊に眞面目であり、また效果を百歳の後に收むべきものであるだけに、少くともさういふ誤解、さういふ空なる樂觀から出發せしめて、末々不愉快なる記念を留めるやうなことは、何としても避けたいものである。内務省の方針が地方の均衡を重んじ、出來るだけ各階級の國民にその恩惠を及ぼさうとして居るのは結構であるが、更に今一段の用意としては、國立公園の本旨が國の天然のもつとも美しい姿を、たゞ有りのまゝに保存するにあるといふことを明かにし、必ずしも自動車を飛ばせホテル別莊を構へ、徒らに洋式文明を山の奧、沖の小島にまで持込まうといふのでは無いことを、何等の含蓄も無くいひ切つてもらひたいものである。

　現在の國立公園計畫は、忌憚なくいふならば例の觀光局思想と混同せられようとして居る。これによつて冨有なる外國旅客の財布をしぼり、いはゆる土地に金を落させようといふ巧らみと、この自然保存の大事業とを、あはよくば一擧兩得しようとして居るのであるが、そんな蟲のよいことが果して出來るものかどうか。出來ないとするならば一方誤つたる地方の期待、もしくは政客の彼等を喜ばしめようといふ念慮が合體して、富士でも奧日光でも今よりも遙に俗惡な、自然で無いものにしてしまふ心配は無いかどうか。さういふ名勝地ならば新たに指定せずとも、もう我邦には多くなり過ぎる位ある。何かの機會に少しでも人が騷ぎだすと、忽ちその評判は全國的となつて、棄てゝ置いても山水を改造し、都市の利便を片端から運んでくる。國立公園の指定が當今の急務となつたのも、いはゞこの破壞の(464)忍ぶべからざるものがあるからであつた。成ほど物見遊山は日本人の主要なる慰安であり、いはゆる優遊自適の徒にも、行くべき所を與へてやる方がよいが、實は彼等の多數は必ずしも國立公園を必要として居ない。たゞ世上に評判の高い所へ行つて見たいだけである。心から自然に飢ゑて居る者、是非ともこの國の元の姿を見たいと願ふ者には、事々しい施設計畫は問題で無いのみならず、却て餘計の評判をもつて、また一つの折角殘されたものを、俗地とされてしまふ危險さへあるのである。國立公園設置の眞の意義を理解して居るかと思はれる人たちが、徒らにこの地方の狂奔ぶりを眺め、またこれに對して直言することも出來ないやうでは名は國立公園などといつても、本當は何が出來るか知れたもので無い。

　從來ある一團の愛農家の中には、國の失費によるに非ざれば、農村を強固ならしむる能はずとする信念が、いつの頃よりとも無く深く植付られて居た。さうして專らその努力を政府補助金の強要に傾くる者が、尊敬せられたのも久しいことであつた。無能なる政治家は寧ろこの要請に盲從するを以て能事とし、彼等の欲するところの補助は大半は許容せられ、その金額の集計は既に太平時代の濱口氏等をおびえさせたのであつた。しかうして今や乃ち如何。あらゆる忍ぶべからざる節約を忍び盡し、多くの必要なる事業費を次年に繰越して、尚かつ消極豫算のつば目は合はぬのである。減税はつとに天下の期待するところなるにも拘らず、これに振向くべかりし財源の如きは、いつの間にかもう煙である。政府救濟の力のかくの如くほとんと頼むべからざるに立至つて、農村は事實まさに飢ゑて居るのである。果してこの期におよんで過去の振興諸運動の成績を囘顧し、手柄を誇り得るものは何人あらうか。今更農民の自主自立を考へだすなどは、確に時おくれには相違ないけれども、その悔恨の表白としては率直である。

　もしこれに加ふるに若干の省察と同情とを以てすることが出來るならば、農村は恐らく速かに濟はるゝであらう。從來多數の同情者なる者の態度は、實はたゞ一樣の鼠色を以て、農民生活の未來を塗まつ〔二字傍点〕することであつて、絶えてその間に一道の生路あることを指示せんとせぬことであつた。それ故に一朝今度のやうな逆境に面すると、農民は忽ち意はゞみ膽落ちて、力闘囘復の業は則ち後れるのである。心から彼等を愛する者ならば、この際は特に眞實を語らなければならぬ。いづれの災厄の場合も同じやうに、その災厄の中心がどこにあり、どこが安全なる足場であるかを示して、周章する人々を落つかしめなければならぬ。今囘の農村不景氣はもちろん未曾有ではあるが、幸ひにしてその原因は限られて居る。近年餘りに力をいれ過ぎた養蠶業が、突如として生産過剰の聲に脅かされたことがその主たるもので、これに次いでは都市四周の果樹、そ菜の如く、これも急激に需要を越えて生産を増加したものが、幾分か反動的なる安價をもつてたゝきつけられようとして居るだけである。村の買物季節の盆前後において、極度に現金の(466)缺乏を來たしたといふことは苦惱ではあるが、一部專門に近い養蠶農の他は、一年を通計した損失は、決して都會の失業者などと、日を同じくして談ずべきものではなかつたのである。

　村が貧富の利害によつて、近年分裂のうき目を見ようとして居ることも事實であるが、しかも異常時の利害の尚協同を必要とするものが多いことも、又この際の痛切なる實驗であつたと信ずる。近年のいはゆる組合運動者が、果して口舌の雄でなかつたならば、今や正しくその熱辯を役立て、平素の信念の夢で無かつたことを證明すべき好機會である。殊に三十何年の愛兒的扶養を受け、廿億圓の資金を持つて居る産業組合が、もしもこの際に共に泣いて居るやうならば、彼等はたしかに男ではないのである。さうしてまた智惠のある人間でも無いのである。彼等の國に對する當初からの約束は、田舍に一人の窮民をも取殘すまいといふのであつたが、その最後の目標には雁に達し得ずとも、既に農民の半分は組合員である。彼等をして他力救援の門に立たしめることは、平時においてすらも既に恥辱である。ましてやこの危難に當面して、僅に相助を盟約した同志をすらも救ひ得ぬとあつては、産業組合などは無かつたも同前のわけである。だから恐らくは今に大いに働かうとして、支度をしてゐるのであらうと見るのである。

　近來の製絲業者、殊に中央會に巣くへる大頭株の擧動が、露骨に養蠶家の立場を侵食せんとする態度を見るたびに、吾人は今更の如く組合製絲の活躍の、將來の目ざましさを想像せざるを得ないのであるが、正直なところ少し仕度が長過ぎるやうである。工女を遠方から高い費用を以て呼び寄せ、一朝景氣が惡ければ押しだして省みぬといふやうな、(467)不自然なる營業振りをいつまでも續けさせ、蠶を飼ふ以外には副業も無い小農に向つて、生産制限を強ひたり、聽かなければたゝきつけようとするが如き、無理な壓迫をいつまで許容するのか。今日の實?のみを以て判斷すれば、人はあるいは日本の産業組合をもつて、一切の暗示と機會とに無感覺なる鈍物の寄合の如く誤解するかも知れない。

　我邦の實費診療事業なるものは、名前ばかり早く知られて一向に發達せず、殊に都會に偏して村落はいまだその利澤に浴して居ない。簡易保險局が自分の計算の安全なる基礎に立つて、進んで實現の任に當らうとして居ることは、今日の際としては耳寄りな話であつて、社會はもつとも速かに效果の國の隅々に及ぶことを期待すべきである。日本醫師會の利害がこれと衝突し、從うてあるいはその反對の爲に、今囘も又々立消えの運命を見るであらうかの如く豫想する者のあるのは、悲しむべき一つの誤解であつて、たま／＼この間題に對する世人の研究が、必ずしも熱心周到ならざることを語るものである。

　看過すべからざる二つの大いなる事實は、一つには醫師會の申合せたる藥代診察料が高くて、多數中小産業者の生活程度と釣合はず、よく／＼危篤大切の病人でも無い限り、「醫者の藥は飲まぬ分別」をする者が、既に非常なる割合に達して居ることである。古風な民間藥が際限も無く復活し、もしくは迷信と技術との分界點が、容易に見究められぬやうな無藥治療術、更に如何はしい祈たう〔二字傍点〕まじなひの類が、盛んに潜行して居るのもこの結果である。醫學は進歩(468)しても醫療はまだ決して發達したといはれぬのは、主としては醫師團の操業短縮が、生絲や綿布以上にその決議の目的を達して居るからである。

　第二の事實は開業醫が都會とやゝ人口の多い平地とに集中して、引込んだる村々を御留守にして居ることである。四萬三千の總醫師數は、全國人口に比べて決して過剰とはいひ得ないのであるが、單に彼等の職業地の選定を自由として居るばかりに、一部には既に激烈以上の競爭があり、弊害は可なり露骨に感じられ、いよ／＼一般人の不信用を増さうとして居るのである。いはゆる「醫者は多過ぎるか」の問題の如きは、現時の都會にあつては絶對にしかりであつて、しかも一方には一生先生の顔を見る無くして、死んで行かねばならぬ者が段々多くならうとして居る。この樣な情ない?態は昔の世にも無かつたと思ふ。要するにそれは醫師會の組織が惡いのである。改造を企てて然るべしと思ふ。

　以前醫師會の生産制限策は、根本にさかのぼつて醫學校の卒業生をも抑止して見ようとしたことがあつたが、それは恐らくは不自然な企てであつた。假に今日の一定數を超過させぬことが出來るとしたところで、世間が惡くなり需要が減退すれば、共食ひの難儀は加はらざるを得ない。その上に醫師の數は何としても増して行くのである。だから結局は料金の申し合せを破毀して、分立しようとする者を防ぐことは六つかしくなるわけである。この際に臨んで一方從來の未開地に向つて、新たに醫師の需要を盛んならしめる事業が起らうとして居るのに、それに反對を唱へんとするなどは有り得べからざることであり、萬一有つたとすれば驚くべき鼻元思案である。

　醫師に健康を託し得ざる者が、全人口の半を越えて居る?態において、簡易保險の事業が安全に遂行し得ないのは明かなことである。保險事業者の醫療設備がもし整備するならば、直接に利益を收むる者は彼等であるけれども、それが同時に又中小産業の新たなる幸福となり、無益の散亂心の救濟ともなることは、常に平民の友を以て自ら任ずる小泉遞相などは、恐らくもう疾くに知つてゐることゝ思ふ。今までの弱點は必ずしも醫師會の反抗におびえたのみで(469)無く實際あるいは彼等の利害を侵すやうな部分に、その最初の力を施さうとしてゐたのでは無いか。もしさうならば今囘はそれを改良すべきである。

　簡易保險局の被保險人などは、適當に都ひ〔傍点〕に分散してゐるはずである。田舍の住人は今まではその素質の強健をもつて、天然に危險率を支へてゐたが、近頃はもう既に多くの文明病に感染し、また逃げ込んで惱んでゐる者が多くなつた。醫療の不備は何よりも地方の生活を不安ならしめて居り、村醫の補助制度はこの缺陷に向つて、もはや久しい間その效果を認められなくなつて居る。個々の小區域にはあるいは移動式の實費診療所を設けても、その目的は達せられるかも知れぬが、兎に角に日々の勞働に衣食する人々に、多くの金と時とを費さしめなければ、醫學の恩惠も受けられぬやうな?態に放置して、一方に醫師の過剰を患へて居るといふことは、誠に見苦しい國の恥である。この方にまづ力を入れるのが至當である。

　全國農村の負債現在高、推算約五十億萬圓と稱せられるうちには、無論尖端地主等の農外投機資金、もしくは浪費者の没落を支持するために、無理に調達せられたる若干の借金も、含まれて居るには相違無いが、それにしても、近年不況を連呼せられて居る土地の生産業が、能くこれ程の起債能力を發揮したといふことは、決して悲觀の材料とばかり見ることが出來ぬのである。土地が遊民に取つてもつとも安泰なる放資物であつた時代ならば、だまして金を貸して兼併を企てる者も有らうし、貸すなら借りようといふ考への足らぬ人々には、融通は即ち落し穴であつたかも知らぬが、今日は既にその陰謀は無用になつて居る。計算はしぱ／＼誤びうに陷るが、兎に角に返し得るだらうといふ雙方の見込の一致した額が、やゝ五十億に逢して居たといふだけは事實であつて、今更ながらこの大切な底力を下手に使ひ、僅に目下困窮の證據材料として、かういふ目ざましい數字を提示しなければならぬ愚かさを、悲しまない者は少ないことゝ思ふ。

(471)　然るに世間にはわざと事態を惡く解釋して、人を心細がらせて得意とするかと思しき者が居る。例へば農民がその重い租税公課の外に、毎年五億に近い金利を、農外の人にさく取せられるといふ類の考へ方、これなどは明白に大間違ひである。今日農村に融通せられて居る資金の出處は、信用組合で自分等の貯蓄したもの、預金部が管理する郵便貯金、それから簡易保險局に託してある銘々のかけ金はいふも更也、時としては因業なること普通の金貸業者にも劣らざる無盡會社の金とても、これまた農村人が無理算段をしてなりとも、とにかく積立てゝ來た金であつた。それが總體の八割を越えるか、都市から貸される高が二割以上であるかが、問題となるだけであつて、つまり大部分は自分等の心がけにより、兼ねて用意してあつたものを融通して居るのである。信用組合の聯合と相助は、主義原則においては近年益々親密になつた。有無相通は彼等本來の素志である以上、いよ／＼農村の生意が衰へるとならば、第一にその經費を切詰め、次には自ら貯金の利率を引さげてなりとも、低利の供給を計るべきであつた。然るに政府が無暗に低資をこの機關に供與したために、組合自身の金は自然に後囘しとなり、中には預金として一部を外間に運轉する者があり、全體としては農村の組合はまだ貸方に立つて居るのである。さういふ預金こそは、まづ引戻してこれを各自の用にあてなければならぬが、實際相助の本旨を遺憾なからしむるためには、缺くべからざる一つの條件があつて、それが現在はまだ徹底して居ないのであつた。政府がさも／＼恩惠の如き顔をして、實は自分たちの貯蓄をまはして居るのも知らず、今も尚足利時代の德政のやうなものを夢み、何かといへば國に損さするを成功と感じ、あるいは米穀會計の八千萬圓、生絲補償の三千萬圓の如き大穴を、うらやまうとする態度を示して居る間は、同心一體の實は擧げ難い。組合の結合には公約の嚴守が基礎である。如何に財政が豫算に反したからとて、辭令をだしてある教員の俸給を、負けさせるやうな根性が、進歩した長野縣にまでも流行する世の中では、假に安樂なる一部の住民があつたにしても、皆と一緒になつて救濟の分取に、參加しようとする弊は制し難いであらう。

　今日の農村には資本制度の興味が、幾分不必要の程度にまで入つて居るやうに、組合はまたその内部の個人主義のた(472)めに惱まされて居る。井上藏相は最上級の賛辭を呈したけれども、この産業阻合の普及時代に際して、一方に無盡の大小團體が、これと互角の勢ひをもつて對立して居るといふなどは、何としても大なる奇跡である。少なくともあの種の節制の乏しい高利率の融通が、今でもその必要を認められて居る限りは、信用組合はまだ半分の階級を排除した、一種の獨占機關と見られても、辯明の辭は無いわけであり、政府の低資もまた他の一半のやゝ優越の地位にある者に、その恩惠を私して居たことになるのである。五十億萬圓の農村債務が、果して衰微沈滯の氣壓計に過ぎないか、但しはまた農村活力の前途を期待せしめる好兆候であるかは、今日は未知數であり、かつ至つて大切なる別れ目である。事情はもちろん府縣により、また村によつて一樣で無いことゝ思ふ。これを實地について考察し、また適切に指導するのは、個々の共同生活體の任務である。空ばく〔二字傍点〕たる概かつ〔二字傍点〕論には世人は既にあきて居る。何度くり返されても、少しでも農村を振興させて居ないからである。

　この空前の農村不況に當面して、府縣各自の實行し得る任務が、まだ幾分か殘つて居るらしく見えることは、よい意味にもまた惡い意味にも、是非とも注意しなければならぬ點である。全國農會長たちの思ひ／＼の陳述を見てもわかる樣に、農村生活の苦しいといふのは一樣であつてその色彩と濃度とは決してどの地方も同じといふわけでは無い。養蠶は今や全國共通の農産業とはなつて居るけれども、その普及には差等があり、數量も經營方法も土地毎に著るしい相異があつて、たとへば東部日本の二三縣の如く、農家が一歳の生計の過半をこれに打込むといふ例は、寧ろさう多くは無いのである。その他の不幸なる作物とても、成ほど模はうと盲目的過剰とは、最近の通弊であつたとはいひながら、今でもこれに參與した農村の數は限られて居るのである。然らばこの眼前の困窮の、少なくとも原因だけは區々であつた。にも拘らず豫め地元の討究を盡すことなしに、さつさと地方官吏の面前を素通りして、大都の中心に集合し來つて、出來るだけ概括的の決議をしようとする流行は農會にはあるので、つまりは府縣といふ公法人の生活機能が、思ひ切つて見くびられて居るのである。果してその樣に見縊つてもよろしいものかどうか。それを先決問題として考へて見る必要がまさにあると思ふ。

　從來主務本省の地方官の考課を檢する態度は、必ずしも嚴格で無かつたとはいはれぬが、その方針は幾分か狹かつた嫌ひがある。平素は敏活に中央の通達する所のものを執行し、中央の統計表上に數字の普通以上なるものを羅列すれば、それでも良二千石の名を博するに足りたか知れぬが、一朝指揮者たちに豫想しなかつた事故が偶發し、乃至は(474)これに對應すべき策謀が備はらぬとなると、結局地方は請訓の電報をさへ飛ばして居れば、何物を座視して居ても無能では無かつたといふことに、なりさうな懸念もあるのである。その間にはまた中央の過重する政治家があつて、事毎に府縣獨自の無力を、信ぜしめんとするのだから遣り切れない。これでは地方民が運動をもつて萬能藥となし、自ら進んで拾はるゝを待つ捨兒のやうな、心細さを味はうとして居るのを笑ふことは出來ぬのである。

　皆で地方の分權を論じ、知事の公選を御題目にして居た人々は、改めて三思しなければならぬ。今日の府縣は國に次での偉大なる共同生活體である。町村もまた決して未成年者では無い。假にいはゆる農村のかう〔二字傍点〕亂者なる者が現れたにしても、安達さんを煩はしてにらんでもらふことだけは、各自の面皮にかけてもこれを辭退させる必要があると思ふ。税は家々の私經濟を暴露すること無しに、たれにも知られて居る公然の責務であつて、その債權者はまた何人よりも寛大なる、自分といふ者の集合體である。必ずしも法の強制を怖れずとも、それを納めないと困窮人の列に算へられるのがはづかしい故に、今までは苦しみつゝも拂ひ續けて居たのである。それが唯一人でもこの際を口實とし、有つてもだすまいとする者が現れたとすれば、忽ちその例を追ふ者の増加すべきことは、今日の人情としてはまず自然といつてよい。ましてや少しでもその背後に立つて、理窟をつけてくれようとする者の氣はひがあるとすれば、滯納同盟などは造作も無く成立つ事であらう。これはいふまでも無くまた別種の厄難である。自治體のための恐るべき一つの病である。たとへ同情に堪へざる原因がそれを誘導したにもせよ、手を束ねてその流行に任せて置く理由は無い。火事や傳染病に火の子を説諭し、もしくは親方を頼んでバチルスに小言をいつてもらふ事の無益なる如く、もし一地の病勢が猛烈にして手を下し難くんば、次にはいち早くその蔓延を、最小限に食ひ止めるのが急務であるが、それが果して中央の御方針、もしくは首府に集まつてくる人たちの十分なる要求が、貫徹する曉まで待つて居てよいか否か。それ位はよもや知らぬ人はあるまい。現在の町村變態が、目に立ち聲高く評判せらるゝを見ても明かなる如く、この流行は幸ひにしてまだ一部分に限られて居る。

(475)　同じ經済事態の下にさいなまるゝ他の町村は、然らば何の方策と人情味をもつて、この苦境を凌がうとして居るか。どういふ豫ての用意、若しくは臨機の處置が、兎に角に今までを無事ならしめて居たか。この正道なる隱れたる辛苦を速かに調査し、天下に公表するだけでも、府縣としては有意義なる新事業の一つではあるまいか。いはゆる生産統制の善後策を決するためにも、地方は風土によつてそれ／”＼の地方是あり、又特に利害を同じくする府縣限りの、共同の討究も必要なるはずである。それを中央の一機關の總括的斷案に待ち、甘んじてその指導に服せんとすることは、再びまた西瓜や桃梨を到る所に作らせて、農民を泣かせた結果をくりかへすおそれがある。府縣會の臨時會などは、かういふ場合に開いて、各自自分の健康法を究めるのが本筋であるが、それを企てたものも至つて少なく、たま／＼これを試みたものは空論に終止した。府縣の自ら濟ふ手段なるものは、まだ一向に省みられて居ない。これは見樣によつては大なる囘復の餘地である。

　失業者授職の必要に促されて、卒然として認可せられた各種の地方土木のうちには、あるいは幾分の計畫粗漏があり、もしくは緩急前後の順序を誤つたものがあつても、この際は忍ばなければならぬかも知れぬが、少なくとも先頃東京の市中で發見せられた勞働手帳の買占の如き、不愉快極まる濫用だけは、嚴に當局者の責任を以て、豫めこれを防止せんことを要求する。それは簡單に救濟の效果を妨げるといふだけで無く、永く將來に向つて僞善者の成功を保障するが如き、不幸なる先例を殘すことにもなるからである。一部同郷の居住者の窮迫を呼號することによつて、まづ自らを利益せんとする企ては、現在においても既に少しづつ顯れて居るが、さういふ惡傾向は斷じてこれを助長せしめず、國家の好意的支援は、專らその必要の特に切なる者に、限定せらるべきは無論の話である。

　けだし現行の開こん助成法は、當初は明白に資本家の要求に基いて、立案せられたるものであつた。一部耕作者の組合なり、または公共團體なりの出願したものはあつても、いづれも聞發後の田畑の賣價を想定して、それを計算の根據とせぬものは無かつたので、強ひて國民總體の負擔をもつて、少なからざる補助金を給付し、經濟上不可能なる新地主を、作り上げようとしたことは、一樣に吾人の是認する能はざる所であつたのである。然るに時勢はまた一轉して、今日は既にこれをさへ忍ばねばならぬやうに、なつてゐることは事實である。いはゆる歸農者は村々に溢れ、個々の生産物は著るしくその需要を減じ、農家の總收入はその養ふべき口數と、反比例に激減して居るのである。この餘剰の勞力を支持し、次の好況時までたどりつかしめるためには、時としては全然不急なる道路土木をさへ、黙認(477)しあるいは勸誘しなければならぬ有樣に立至つたのである。荒野薄地の開こんの如きは、ほとんと今日の急に應ずるがために、豫め用意せられてあつた仕事といつてもよい。實際その付近に自らこれを耕さんとする希望あり、かつ氣力ある者が居るならば、如何なる便宜を與へてゞも、これを奬勵して差支は無いわけである。然しながらこれは要するに失業の臨機對策の一つであつて、この特別の介抱を受ける者は、斷然一種の「勞働手帳」を所持する者に限られなければならぬ。從來のいはゆる耕地業者たちが、この機會を利用して更にその恩惠を割増せられ、これによつてその計畫の失敗を補充してもらふ理由などは、どこの隅を捜しても無いのである。

　以前の開こん計畫が、あれ程十分なる國家助成を受けながらも、尚失敗しなければならなかつた原因は、もはや何人の目にも明白である。耕作業者たちの目算はたゞ一つ、即ち相應の價を以て、その田畑を賣り又は貸さうとしたところが、その望みは段々に薄くなつて行かうとして居るのである。この際口實を構へこの補助の高を増し得べくんば、豫算の實行は幾分か樂になるだらうが、それで助かる者は國民の助けんと欲する者で無いのみならず、その金は恐らく蠶絲擔保の補償金同樣に、どこにも復活しない死金となつてしまふであらう。地方の勞銀は今日はとくに下つて居る。事業費の豫算は寧ろ幾分か省略する見込がある。それでも引合はぬといふのは、單に地主としての在來の經營法が、改革の必要を生じたことを意味する、それも最初の政策の失敗ならば、たれかゞ尻ぬぐひをしなければならぬのは當然であらうが、この多事多難の際において、名を農村失業者の救濟にかりて、始末を付ることだけは御免を蒙りたいものである。

　あるいは國家直營の開こん事業を説いて、新たなる展開を策せんとする者もあるらしいが、これとても無益な手數である。成程國家は鷹揚なる好地主であり、損失を何とも思はぬ美德は備へて居るだらうが、自身耕作の出來る見込は無く、結局は耕地の處分のために、その利害を勞働者と對立する者と共通にして、折角自作創成の手段をもつて、追々に無くしてゆかうとして居る病源を、新たに又どかりと持込むことは同じである。その上にこれを實現するには(478)議會を待たなければならぬ。そんな事をして居ればまた今度もかけ聲ばかりで終るかも知れぬでは無いか。

　農村失業の對策としての開こんは、まづかの助成法との絶縁を條件とすべきである。實際耕作の能力ある者に、最初から荒地原野の所有權を付與することが出來れば土地の未來の増價は自然の見返りとなつて、現在の低資も比較的安全かつ無難に、これを直接必要ある者に貸つけることが出來るはずである。それを顔役や旦那衆の聲がかりで、今まで利用もせずに抱へて居た者の、利益に歸せしめようとしたのが舊式であつた。この心持が拔けぬ限り、假に成功したところで將來の問題の種である。一方で自作農の創定のために、借り手もつかぬ資金を用意しつゝ、他方に骨折つて小作騷動の土俵場を築かうとするのみか、更に耕地の増加を以て、開こん事業の成功に害あるものゝ如く考へなければならぬ人々に、この失業者救濟の權能を委任して置いたのでほ、將來尚いつまでも農村の平和を、脅かされる危險は除くことが出來ぬと思ふ。

　政府が目前の農村窮?を打破すべく、既に十分の誠意を抱くにも拘らず、事志と戻つて效續擧がらず、もしくは逆に一部の不安苦惱を増進するが如き結果を見るとすれば、それは獨り一政黨内閣の恥辱のみでは無い。平生公共の福利を口にする同時代人も、これを座視する以上は共に無爲空論のあざけりを分たなければならぬ。それ程に今日は新しい方策の缺乏と、協同の努力の不足とが、ひろく朝野を通じて感じられて居るのである。世上若干の病原探究者たちも、今はまづこの急迫せる對症療法に向つて、各自何等かの見解を呈すべき時では無いのであらうか。

　國の預金部の蓄積を杖とも柱とも頼んで、それをやゝ檢束なく融通するをもつて、たつた一つの善政の如く解せしめることは、政府歴代の常たう手段であつて、少しでも新味を帶びた政策では無いが、今日の不如意財政の下においては、これもまたやむを得ない處置であらう。しかも從來の低利貸付をもつてまだ足らずとし、更に相應の巨額を注ぎ込んで見ようといふ計畫ある際だけは、兎に角に一通りその目途の果して夢で無いか否かを、反省せしめる必要はあるやうに思はれる。吾人は少くとも現在既に提供せられて居る色々の救濟資金が、どれだけ利用せられまた感謝せられて居るかを、明かにすることだけは要求してよい。

　政府自らが報告して居る如く、今日府縣に割つけたる數千萬圓の資金は、他の簡易保險局の例年の貸付豫定額と共に、まだ一向に借用の申出が無いといふことである。何か之には手續上の不備があるといふので、專らその原因のせん議中だとも傳へられる。深くせん議をするまでも無く、實はその原因は大よそは分つて居る。今日地方において極(480)度の不足を感じて居るものは、生計費であつて産業の資金では無かつたのである。金はあり人の勤勞には幾らでも餘裕があつても、これを利用して起るべき産業がまだ起らぬために、一旦不時の收入の缺損を見た場合には、それを補充して今までの生計を支持することが出來ない。これが悲痛なる農村の苦境であつた。それ故にこの上借金をふやして利子に追はれるのはいやだといふ聲が到る所に聞え、低利の金融は乃ち名ばかりの救助とすらもならなかつたのである。實際政界と近接した大資本國の中には借りたをもらつたと考へる樣な横着なる者もまれで無いが、その樣な惡い度胸は農民は持つて居ない。もちろん彼等の辨償能力も、豫め嚴密に調査せられたからではあるが、假にやゝ不用意なる貸付が許されたにしても、少數札付の遊蕩兒以外、返さぬ金を借りようとする者は、土地定住者のうちには居ないのが當然である。さうすると彼等の多數は、見す／＼眼前に利用し得る資金の豐富なることを知りながら、借りて使つて生計を上進させるだけの、機會を與へられぬといふ二重の苦しみに惱んで居るわけである。

　この失業は都市の勤勞者の如く、全部の遊食でない故に今までは輕視せられて居た。農村の失業はつまり慢性また陰性のものであつた。それが今囘は消費の減退と、過剰人員の歸村とによつて、二重三重に壓迫を増加して來たのである。だから新たに土木事業などを地方に起して、彼等の收入の途を立てゝやらうといふのであるが、假に町村は貸付の勸誘に應じ後日返辨の目算を立てゝ、その資金を利用することが出來たとしても、要するにそれは臨時のものである。單にある期間の收入を補足するといふ以上に、問題を解決しては居ない。一方にはまた産業組合の圏外にある多數小民が、今まで無盡その他の高利に苦しんで居たのを、新たに國の貸付の低資と借替へ得るといふことも、間接には生計資金の増加であつて、無論一ぺんだけは救はれたことになるのであるが、これとても誠に高の知れた改良であつて、國家の側から見れば、單なる行詰まりの延期といふに過ぎなかつたのである。

　今度の災厄のたつた一つのよい經驗は、もつと色々の土地に適した生産を、農村のために保留し置けばよかつたといふことである。如何に蠶業が貿易の大宗とかであらうとも、あれ一つに依頼すれば、急場には他人の犧牲とならな(481)ければならぬといふことであつた。中央の政府が感じて居る以上に、今まで深入して居た地方ほど殊にこの過失を悔いて居る。しかし即座にこれと代るべきものを、發見することも不可能である故に、現在はもつとも熱烈にその新しい考案を求めて居るのである。勞力、資金二つの關係から見ても、今は展開の好機會であるといふことがいへる。政府自らは假に全國畫一の指導の、徒らに生産過多と無謀なる消費奬勵を招くに止まることを知つて、今後餘計な忠言を差控へるとしても、少くとも地方各自の講究と試驗とは、出來るだけこれを助成する方針に出でなければならぬ。その準備を缺いた低利資金の融通などは、いはゆる燒石に水であつて、恐らくはまた農村自力の繁榮を妨げるものである。改策轉換の是否は事ふりたる議論であるが、實際この政府はいまだ轉換すべき政策をすらも示して居ないのだ。新たに解決しなければならぬ問題に對しては、いはゆる消極の方針は存在する餘地が無い。だから今更かやうな文字には拘泥せず、折角始められたる農村振興の政策を今度は必らず無意義無效果に終らせぬやうにしたいものである。

　國の米穀政策に對する農民の期待は、既に著るしく變化しかゝつて居る。たとへばある縣の縣農會は、米價釣上運動に參加せざることを決議し、また有名なる二三の米輸出縣においては、第二次の政府拂下米に向つて、特に生産者に優先權を認められんことを運動すべしといふ聲が高い。然るに一万二百五十萬石の古米を、蟲に食はせつゝある政府は、現在の保管制度の百弊あることを公認しつゝ、いまだいさゝかもその改正に着手せざるのみか、僅かばかりの整理入替にすらも尻込して、折角怪我の功名の一好機會をすらも逸し去らうとして居る。これがもし時世を解し得ざる米穀委員等の故障に基くものとするならば、民の窮苦を救ふ以前、まづ自ら救ひだされなければならぬものは農林省である。

　それよりも豫め是非とも念を押して置きたいことは、疲弊困頓の?にある一般農民の、たつた一つの頼みの綱は、この出來秋の米の賣値であるが、それを果して夏秋蠶以上に、相應の値頃に保持するの見込があるか否かといふこと(483)である。本年の照込は大體に順調である上に、清算市場の先物は安く、農家はやゝ賣急いで、青田の取引さへぼつぼつあると傳へらる。やゝ端境に迫つて政府米を賣出させ、その勢ひに乘じて安く買はうとする陰謀も想像せられぬことは無い。かういふ容易ならざる農村の不安を前にして、この政府手持の常在の競爭品を早く處理して置く以外に、何か一つでも成案と名づくべきものがあるかどうか。これは國民が是非とも詰問しなければならぬ點である。

　今日の物價低落は、實は政府の力ともいふことは出來ぬのであるが、往々にしてそれを手柄顔に説き立てようとする者が居る。しかも肝腎の米の小賣値はどうかといふと、上れば久しい間上つたきりであつて、滅多に下げて又下げようとする時は來ないのである。これでは生活苦の聲が高く唱へられ、延いては農村の引込思案を、一層陰氣なものとするも當然では無いか。あるいはそんな事は農林省の所管で無く、米穀法の番人は單に常平の目的を達して居ればよいといふのかも知れぬが、然らば現在は果して何人のために、市價の低落を防いで遣つて居るのかといふと、それにはもう口廣く答へることが出來なくなつて居る。實際農村の心ある人々は、既に交易の原理を理解して、生産費を減じて純益を求めるより他に、永く産物の販路を安全にする策の無いことを説いて居るのである。ひとり主務官廳のみが今尚米高權現のじゆ〔二字傍点〕文を信じて、これで何の御利益をも被らざる農民を悦ばし得るものと思つて居たのは、歎じても尚餘りある時代錯誤であつた。

　米穀特別會計は近世の政策中、まづ失敗の横綱ともいふべきものであつた。民衆も政府も共に一日も早くその始末を付けたがつて居るのであるが、たゞ惡因縁は三百萬石の蓄積と、七千萬圓の大穴の補てん〔二字傍点〕であつて、それによい智惠が無いばかりに、引ずられて今日に至つたのである。もちろん拙いことは非常なものであるが、これがもし差當つての生活費輕減と、同時に新米安防止の一つの契機になつてくれるならば、あるいはその功に免じて經理の非難を緩め、いづれは背負込むべき國庫の負擔だから、まづあきらめようと、いふことにならうも知れない。然るにさういふ一石二鳥の便益にも心づかず、うか／＼この厄介なる制度を次の時代にまで持越さうとする、料簡のほどは誠に解し(484)かねる。

　あるいはその樣なことをすれば、相場をする一方の者に餘計な尻押しをすることになると騷ぐ者があらうがそれは全くその通りであつて、その點が殊に米穀法の惡むべき弊害であつたのである。いつの時代の買上賣拂ひにおいても、それをまづ知つて利得するのは商人であり、甚だしきは政府背後に居る金のほしい徒輩であつた。農民の大部分は大抵の場合、聲より以外の恩惠には與つて居ないので、それだから早くこの制度を改めて、出來る限り生産者のこれに參與し、また都に住む消費者等と、利益を分たしめようといふのである。しかうしてこの方法はとくの昔より、もう決して机上の空論では無くなつて居る。單に今日になるまでこれを妨げて居たものは、國が全國の米價を統御せんとする出來もせぬ野望であつた。それも現在のやうな異常時に當つて、少しは思ひ切つた處分が出來るならば格別、依然として右を視左を顧み、いはゞ米屋町の風見の鳥にしかなつて居ないのである。今囘はもうその切上げ時だ。假に小民の生活苦には無關心であらうとも、少なくとも自己救解のためにも早くこの米を賣つてしまふ必要はある。さうして將來は個々の生産者と消費者とのために、今少しく着實なる方法を考案することが、殘されたる唯一つの活路である。

　本年の米價維持が、斷然最重要位の經濟問題であることは、既に輿論の痛感するところではあるがいよ／＼政策の效果が發現するのは、今から約二個月の後のことである。故に政府がもし姑息の安を盗まうとすれば、少なくもその期間だけは眠つてゐてもよいのである。無論その時になれば大いに騷がれ、また大いに責められるでもあらうが、それは實際においては何等の益する無く、弊はこと／”＼く、空しく患ふる者が負はされるにきまつてゐる。全體に今日の米穀法が、いさゝかも未然の防制を念とせず、騰落の實勢既に窮まつて後に、緩慢なる運用に取かゝる故に、常に中間商人に致さるゝの結果となることは大缺點であるが、それを今頃論じて見ても致し方がない。差當り利害の衝に立つ農村人とその團體は、何は置いてもまづ現行制規の範圍内において、少しでも迫りくる厄難を凌ぐの手段を講じなければならない。徒に事後の責任を問はうといふ意氣込を示しただけで、働く能はざる者が働くかどうかは覺束ない限りである。

　吾人の要望はほとんと常識の當然に指示するところであつた。國の倉庫には二百萬石に近い安米が遊んで居る。さうして一方に正米は端境期の品薄を唱へて、機會ある毎に相場を釣上んとして居るのである。この現象は明白に没條理であつて、原因はたつた一つしかない。即ちこの有る米を賣つてしまふといふことは、第一着には收入の減退に惱む者に、少しなりとも生計費のくつろぎを與ふる外に一方新穀需要に對するけん制力を小さくし、更に幾分でも後期の調節資金を増加することが出來ることになるのである。政府は前二囘の賣拂成績の香ばしからざりしに懲りて、も(486)はや舊米の處分を斷念し、實は内々腐ればよい位に思つて居るらしくも見えるが、本筋の入札商人が見向きもしなかつたのは當り前のことで、彼等は實際は高ければ高くてもよい人々であつた。高くて困る人々はその外にあるのであつた。これを省みなかつた政府も冷淡ではあらうが、見す／＼弊害を二重三重に蒙らねばならぬ者、もしくはそのために東奔西走するといふ人々までが近く現れんとする低落におびえつゝ尚甘んじてこの目前の高い飯米を買はされて居るといふに至つては何ともはや合點の行かぬ話である。

　思ふに米生産者の他力主義なるものは、今やその病が腹の底にくひいつて、中々一通りの治術では救ひだせぬやうになつて居るのではあるまいか。もし然りとすれば今日の行詰まりを機會として、起死囘生の道を切開くより他は無い。成ほど今日までは資本の資力が外にあり、市場は彼等の意に反して取引の値段を指示して居たければ、幸ひにして政府は無力ながら常に好意を示し、組合はまたこと／”＼く農民の味方である。これを利用するだけの計畫さへ立てば、たとひ對等の獨立にまでは容易に達し難いにしても、少なくとも自家の常に生産する物品を、高い價を拂つて買入るが如き、情無い?態からは挽し得られるのである。現に今囘はそれを試みて、小規模ながらも成績を擧げた例はあるので、唯不幸なことは率先して彼等の自立を講ずべき者が、米は必ず政府の手を以て價を釣上げしむべきものと、最初から獨斷して居ることである。それだから一朝その期待が外れると、取返しのつかぬ危險に陷らなければならぬのである。

　産業組合の健全なる發育を遂げて居る土地ならば、恐らく今囘の如くその能力を發揮し得る機會は少ないであらう。農林大臣は過日政友會員が訪問した際に、拂下米代金の延納は許すかと質問したら、意外な面特を示したといふ話であるが、それは此大臣が偶然に考へて居なかつただけで、必ずしも全然今の手續において、不可能なことでも無ささうである。然しその樣な細工までせずとも、組合がその中間に立つて活躍する意圖さへあれば、どうせ支出すべき生計費の、しかも節約にさへ歸する金である。その融通と決濟とは、決して方法無きに苦しまぬのである。問題は單に(487)各自協同の力を以て、徐々に農民の立場を強くしようといふ念慮が、あるかまたは無いかである。在野黨の憂國者等はよく横合より口はだすが、これがまた名譽の「よらしむべし知らしむべからず」主義者であつた。農民を今日の米穀法崇拜者たらしめた責任は、その大部分を擔はなければならぬ人々であつた。うつかりとその言に信頼して、再び米相場を農政の中に持込まぬだけの用心は必要である。積極消極のゆきがかりの論爭を離れて、國民が今や一せいに待こがれてゐるものは、新たなる消費の囘復である。折角今年は希有の豐作に惠まれて居りながら、これを力として合理的なる生活の展開も出來ず、寧ろ生産の過多を歎かなければならぬやうな結果を招くとしたら、いづれの一黨が政權をは〔傍点〕持しようとも、多數の地方人はまた昔の補助政策にすがつて、一日延びの不安を繰り返さなければならぬ。人に憐れまるゝ必要の無い農民を作ること、これこそたつた一つの組合生活の目的であるのだが、今はまだ組合それ自身が往々にして助けられて活きようとして居る。彼等の覺せいはまことに今日の急務である。

　現在の不景氣救濟と稱するものが、概ね姑息なる個々の對症療法に過ぎなかつたことは、將に實現せんとする帝都中央の夜店政策などがよい見本である。町には從前の小賣商の數は元のまゝで、その上に大がかりなる百貨店の幾つかが増加した。個々の店ぽ〔二字傍点〕の收益がき〔傍点〕薄になつた原因は、簡單にこれを分割する口數が多くなつた結果で、果して折角の低利融資が、これ等部分的失業者の衰退を支柱し得るや否やも、實はまだ確では無いのである。この際に當つて(488)更に無職者の小商人化を援助し、この自由なる街頭の新百貨店を繁榮せしめようとするのは、いはゞ鹽水を飲んで渇きを醫せんとするの策であつて、流石は臨機應變を本務とする警視廳の、智惠の働きとは認め得るが、同時にまた社會經濟の根幹の問題が、到底この方面の人たちのみに、一任して置けないことをも意味して居る。

　しかもまた一方においては、いはゆる銀ブラ人士の氣輕なる消費者心理も當てにせられ、かつ存分に見縊られて居るのである。若しこの多數市民の購買力が、最初から制限せられて居るか、または必ず一定の生計方針の下にしか發動せぬものであつたら、見す／＼常店の華客を侵食するが如き、新たなる競爭者を翼立するまでの勇氣は無かつたはずであるが、多分かうして置くと人は新規なる興味に刺激せられ、餘分の買物をして町をうるほしてくれるものと、豫期せられて居るのである。實際またさう豫期せられても致し方の無いほど、今までの家計には自主が無かつた。僅の宣傳や流行によつて、いはゆる消費餘力は勝手次第に引まはされて居たのである。だから今囘の露店政策の失敗と成功とは、つまり最近の生活改良運動の效果に對する、一種の試驗の如きものであつて、まだ／＼都市人には落第の危險が多く、從つて發案者はある程度まで、この妙計を誇り得る望みもあるのである。

　問題は寧ろこの一時的便法の間接影響如何、もしくは是が全國經濟の自然のすう勢と、どこまで歩調を合せて進み得るかである。獨り今日の絹織物非奢し品論者のみといはず、曾て好景氣の頂上において、各自の生産設備を十分に固定してしまつた者は、一人として消費者の盲目的追隨を熱望せぬは無い。無差別なる購買力の復興は、彼等一同の祈つてやまざる所であつた。しかも實際はいづれも自發的にその生産を制限して、辛うじて市價の急落を防がんとし、世間は乃ち失業者の増加を悲しみ、かつかの利己的なる自衛手段を惡みつゝも、尚いはゆる操業短縮の必要を承認せざるを得なかつたのである。隣の黄金國の産業繁榮なるものが、何を意味して居たかも明かになつた。要するに消費はさう際限も無く、生産業者によつて指導せらるべきものでは無かつたのである。この點に關しては、今年の地方住民はよい實驗をして居る。彼等の收入がほとんと極度まで減少して、忍ぶべからざる生計の節約を強ひられたのは、(489)大なる災難であつたけれども、その代りにはまた亂雜なる都市風の消費と、一旦の絶縁を宣することは出來たのである。消費の形態は既に著るしく變化した。固よりその中には無理なる決斷も多く、自給自足は單なる標語であつて、それが當世に實現し得ぺからざることは分つて居るが、少なくとも何が各自の勞作をもつて、補充しまた代替し得るかは學び得た。少なくとも都市住民の後塵を拜して、町から剰つた生産品を押賣せられるの不愉快からは、偶然に脱出することが出來た。他日再び町を標準とする趣味の統一に戻つて行かぬ限り、兎に角に一應はかの夜店政策の價値如何、今まで自由勝手にきめた生産種目と生産量に對して尚現?を支持すべき義務が、果して消費者にあるか否かを、冷靜に批判し得る立場に立つことになつたのである。

　過去五十年の歴史に鑑みて、地方消費は誠に大いなる力であつた。この力が假に一部分でも意識せられて居たならば、國の産業はあるいは今日の如き傾向を取つて、多數の生産者をして自滅の不幸に陷らしめなかつたかも知れぬ。如何なる物件でも町で作り次第、賣り次第といふ氣風は便利なやうに見えたが、一朝緊縮の生活を餘儀なくせられる時がくると、乃ち今囘の如く行き詰まらなければならぬのである。不用意の責はまた地方人の方にも有つた。今囘の自然の警策によつて、まづ最初に解決しなければならぬことは、何を消費すべきかの問題であると思ふ。これは生活の必然の要求でもあれば、同時に健全なる將來の生産を指導する力ともなるのである。政友會の生産増進策なるものは、この意味においてその當否を決すべきもので、假に何物を生産するかを詳かにせず、もしくは現在生産の制限を必要とする事業を、今一度盛返させようとするやうな案であつたら、五億六千萬圓はさておき、五萬圓の金も無駄である。が幸ひにしてそれが新種の生産の試みであり、久しく利用せられないで居る人と資力とのために、新たに前途を開かうといふものであつたら、これこそ時代の正に要求して居るところである。果してこの二つのうちのいづれであるか。吾人の好奇心は一にこの點に集注するのである。今囘の帝都の露店街でも、主として國産の發明品を賣らせるといつてゐる。假に澤山の食はせものがあらうとも、尚發朋は現?維持よりはよい。